天国で最も小さい者-1月7日「鉄の杖の王国2」英語説教ポイント(その4)

Kingdom of the Rod of Iron 2   January 7  2018   Rev  Hyung Jin Moon   Unification Sanctuary  Newfoundland PA on Vimeo.png

Kingdom of the Rod of Iron 2

「鉄の杖の王国 2 」2017年1月7日

翻訳:BAMBOOS

Vimeo 1:36:25
悪口を言われても気分を悪くしないでください。ただ「ありがとう」と言うのです。自分のYouTubeチャンネルでいつも悪口を書き込まれ、挑発されたからと言ってそれがどうしたというのでしょうか。興奮していちいち回答しようとしないでください。彼らは愚かなロボットのような、インターネットのキーボード戦士にすぎません。弱虫です。現実の生活で向き合えば逃げ出すような人たちです。過呼吸に陥って紙袋を使っているような。

(マタイによる福音書/5章13節)
あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。

私たちは守ります。塩は食べ物を守るものです。味を付けます。風味を添えます。食べ物に対してこのような良い効果があります。神様は生ぬるい中途半端がお嫌いです。熱いのか冷たいのかのどちらかを好みます。みなさんはぬるいコーヒーが好きですか。おいしくて熱いコーヒーか紅茶ですね。

(マタイによる福音書5章 14節)
あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。

神様は私たちの自尊心を満足させようといっているのではありません。神様は父であって母ではありません。

王妃が母親の愛について言っていました。母親は外が寒いとき子供に「上着を着なさい」「靴下をはきなさい」と言いますが、父親は「行きなさい。15分で戻るように。そんな服装で報いを受けるのは自分だ」と言うのです。

神様は父ですから、私たちの自尊心を満足させるためにこのような言葉を書いたのではありません。私たちに教えを授け、弱虫になるなと言っているのです。「あなたを励まして言いますが、あなたは塩です。そして光となるのです」と言って、そういうわけだから弱虫になってはいけないということです。

誰かが攻撃しているとき弱虫にならずに、喜びなさい、心配するなと言っているのです。励ましています。それは本当に大切なことです。良いコーチ、良い教師、良い父親は叱って真実を伝える方法を知っています。子供がナルシスト的になって偽善に陥っているときに率直に真実を語りますが、同時に励ましてあげます。

(マタイによる福音書5章 15節-16節)
また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。

神様は愛のある父です。霊と真実で教えながら私たちの霊を励まします。すばらしいではないですか。父なる神様を賛美しましょう。天のお父様を愛します。

(マタイによる福音書5章 17-19節)
わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。

天一国がそうだと言えるでしょう。もし神様に反対する人を教えているとすれば、あなたの評判は下がっていきます。処罰されるとさえ言っていません。「天国で最も小さい者と呼ばれる」と言っているのです。自由市場はまさしくそのように機能するものです。

あなたが無能で約束を果たさず、人に悪い扱いをし、不正なことを行うなら、自分の評判を貶めることになります。誰もあなたやあなたの子供を助けたいと思わなくなります。

見てください。「しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう」とあります。王国とはユダヤ・キリスト教の世界です。そこではやはり十戒を守ります。やはり神様を愛し、自分を愛するように、自分を守るように隣人を愛することに従います。

(マタイによる福音書5章 20節)
わたしは言っておく。あなたがたの義が律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、決して天国に、はいることはできない。

パリサイ人は共産主義の独裁者であるローマ帝国の寡頭体制と共謀していました。当時マルクスはいませんので名前は違いますが、同じような愚かな体制です。現代の言葉にすれば共産党の一派です。

そうすると義がまさるのは全く容易です。難しくもありません。人に対して抑圧、搾取、殺人、レイプ、略奪をしないようにするだけのことです。それほど高い制約ではありません。誠実な心を持っていればパリサイ人にまさるのは難しいことではありません。

みなさんは神様を愛し、人を愛し、故意に人を傷つけたくないと思っています。搾取したくないと思っています。問題ないです。王国でもちゃんとやれます。しかし、これはいらないなどと言っていると自分の評価を傷つけることになります。「天国で最も小さい者と呼ばれ」、評判は落ちてしまいます。

つづく

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