神様の愛が皆さんの中に安着すれば神様と一つになる-「豊かな王国」(その4:完結)【英語説教日本語訳】

The Rich Kingdom July 23 2017 Rev. Hyung Jin Moon Unification Sanctuary Newfoundland PA on Vimeo

The Rich Kingdom【豊かな王国】7/23/2017

翻訳:管理人

天一国、この王国はどちらでも大丈夫です。大企業も中企業も小さなビジネスもいいのです。小さな個人教会でも、インターネット教会でも、メガ教会でも全く構いません。王国は巨大なテントのようなものです。人々はそこで自由と主権を見いだします。そこではみんな仲良くできるとは限りません。組織のスタイルがそれぞれかみ合わないこともあるのです。ビジネスや教会の経営に関する考え方、哲学が必ずしも一枚岩ではありません。そういうものではないのです。意見が異なることもある。コカ・コーラがペプシに攻め入らない、あるいはペプシがコカ・コーラを攻撃しないことがあり得ないのと同じです。クロロックス(洗剤の会社)が・・競争相手はどこでしたっけ・・・オクシパウダーと競争する、オクシクリーンでもなんでもそれは許されるのです。一点お互いに自由な市場に関しては合意していること、これがあればOKです。それがお互いに結託して市場の自由を排除しようとするとき、その時こそ問題です。だからこそ天一国では独占禁止法が、常に更新され、大企業が有利な法律をつくったとしても、10年経てば失効します。

自由の律法によってさばかるべき者らしく語り、かつ行いなさい。あわれみを行わなかった者に対しては、仮借のないさばきが下される(ヤコブ2:12-13)

だからもしジャマールにあわれみなく、ローデスを攻撃するなら、彼の問題はくだらない問題とみなされ、皆から愚か者とみなされるでしょう。いいですか、ジャマールにも自由の律法によって仮借ない裁きが下される。もしそうだとすれば、ローデスの信用を逆に高めるだけです。どういうことか分かりますか。これは神様が下さったとても良い実例です。サンクチュアリのコミュニティが注意深くこれをみるとき、王国をさらに理解できるのです。すべての諍い(いさかい)に介入することが王の役割ではありません。王の役目というものは-これは三代王もよく理解しなければなりませんが-お父様の観点を守ることです。(あるメンバーを指して)このベトナムで闘った兵士を記憶せよということです。皆さんも偉大な闘いを闘ってきた兵士なのです。霊的、天宙的規模の戦争です。そこで皆さんは神側を選んだのではないですか。だからベトナムで戦った兵士と同じです。おそらく彼も軍の全員と、また、グリーンベレーの仲間全員と仲良くやってきた訳ではないでしょう。おそらく怒り狂ったこともあるでしょう。しかしそれでも彼はその人々を守るために戦いそして実際に守りました。戦場で多くの命を救ったのです。

自由の律法によってさばかるべき者らしく語り、かつ行いなさい。あわれみを行わなかった者に対しては、仮借のないさばきが下される。あわれみは、さばきにうち勝つ。(ヤコブ2:12-13)

最後に神様はわたしたちにあわれみを行って下さるでしょう。なぜなら信仰と愛の賜物を頂いたからです。神様は私たちすべてにあわれみをくださいました。私にもそしてすべての人にも。ここにいる人にも、世界中のサンクチュアリの人々にも。あわれみと信仰の賜物をくださったのです。だからお父様が最も困難な時、厳しい時に、私たちは自己の利益を顧みず、自己保身にも走らなかったのです。困難なことを成してきました、想像もつかないことを。間違っていると思うことに対して立ち上がったのです。

私はかつて一度見たことがあります。ローデスとジャマールがまるでスローモーションのように、駆け寄ってハグするところを。まるでBGMが流れ、カメラが360度回転して風景を撮る・・・そこにドローンカメラも入って3Dパノラマのように(笑)。愚かなドラマクイーンにならないで下さい。翌日にはまた喧嘩しています。私の語ったことをいちいち引用して、重箱の隅をつつくように、「王国は正確にはこうでなければならない」とか「ああでなければならない」とか言い合っている。二人がそうしていたことを知っています。私はバカではありません。神様はその二人を愛しています。それを知っていなければなりません。

わたしの兄弟たちよ。ある人が自分には信仰があると称していても、もし行いがなかったら、なんの役に立つか(ヤコブ2:14)

ここでいう最大の行いとはなんでしょう。それは「隣人を愛する」ことです。律法を満たす最高の行いは何であるといっていますか。

しかし、もしあなたがたが、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」という聖書の言葉に従って、このきわめて尊い律法を守るならば、それは良いことである。(ヤコブ2:8)

「尊い律法」だといっています。もちろん、意見の相違や論争もあるでしょう。時にはそれで問題が明確になることもあります。しかし相手を潰そうという意図でそれをしてはいけません。その人も真のお父様のために立ち上がったのです。しかし相手が暴漢に襲われているのに、「自分は助けに行かない」などと言う点まで落ちないで下さい。それは平和警察、平和軍の精神に反します。王国の倫理規定に反するというのです。

ある兄弟または姉妹が裸でいて、その日の食物にもこと欠いている場合、あなたがたのうち、だれかが、「安らかに行きなさい。暖まって、食べ飽きなさい」と言うだけで、そのからだに必要なものを何ひとつ与えなかったとしたら、なんの役に立つか。信仰も、それと同様に、行いを伴わなければ、それだけでは死んだものである。(ヤコブ2:15-17)

信仰に行いが伴うのは、行いが救いをもたらすからではありません。行いがお父様の家、王国の入口を示してくれるわけではありません。信仰が善き行いを伴うのは、善が神様の性質だからです。ますます神を信じると、より神様に似たものになりたいと欲するようになり、自然と善き行いをするようになるのです。より愛し、より近くに行きたい、より似ることを願い、人生の中心に神様を据えたいと思い、自然に神様に似たものになる。しかしまだ完璧ではないにしても、より神様に似たものとなり善き行いをするようになる。善き行いは悪いものではありません。多くのキリスト教会では善き行いは駄目だといいます。なぜならそれは救いにつながらないからと。善き行いは、動的な信仰がもたらすものです。生きて呼吸をしている関係性において。自然に湧き出る行いというものがあるのです。

行いのないあなたの信仰なるものを見せてほしい。そうしたら、わたしの行いによって信仰を見せてあげよう。あなたは、神はただひとりであると信じているのか。それは結構である。悪霊どもでさえ、信じておののいている。(ヤコブ2:18-19)

これは国進兄さんが言ったことです。二人とも(ジャマールとローデス)真のお父様を愛している、三代王権を愛しているという。二代王を愛しこれを王のために行っているという。ローデスはこれは王のためにしているといい、ジャマールも王のためにしているという。皆も二手に分かれて、あなたは王のためになっていない、そっちこそ王のためになっていないと言い争う。
感謝すべきことに、お父様が地上に代身者として残して下さった者は自分の口で話すことができる。だから、どうか、他人が、私(二代王)の思いはこうこうだ、と代弁するのはやめて下さい。

あなたは、神はただひとりであると信じているのか。それは結構である。悪霊どもでさえ、信じておののいている。(ヤコブ2:19)

悪霊でさえ私が真のお父様の相続者であり、後継者、代身者であることを知っているのです。私たち夫婦が真の父母の代身者であることを知っているのです。確かに知っている!もちろん私が願ったことではないということをいつも言っておかなければなりませんが。

あなた方はすべてのことを行ったというかも知れませんが、悪霊でさえ神様の位置を認めているし、お父様がなされたことを認めています。だから「自分はこれこれを王様のために行った)というだけでは十分ではありません。あなたは似たものになっているのか、万王の王に似たものになっているのか、それが問題です。その性質において似たものになっていますか。T-シャツのWWJDというマークは何を現わしていますか。「イエス様ならどうするだろうか」(What Would Jeus Do)です。それが思考法の訓練になるのです。

「イエス様ならどうするだろうか」

「お父様ならどうするだろうか」

状況に巻き込まれてしまいますか、それともお父様の視点で見ようとしますか。二人とも戦いの勇者です。二人とも王国の戦士なのです。だから完全だとは言いません。問題ないなどとは言いません。広くとらえて下さい。前後の事情を広く考慮することで、この問題を取りまく感情の渦に巻き込まれずに済みます。それは神様から離れ天使長により近づけるものです。天使長は感情圏で踊りながら人を誘惑するのです。

前後事情を考えなさいというのです!お父様の事情です。

神が命じられた時、アブラハムはそれに応じて立ち上がった。祭壇を築いてイサクを献祭しようとした。娼婦のラハブは神の人々(イスラエル)を守りました(ヨシュア記)。だから娼婦の中にも色々いるのです。神の人々を売り飛ばす娼婦もいれば、神の人々を保護する娼婦もいるのです。ここぞという時、神様は娼婦を用いることもできるのです。すべての娼婦を用いられるわけではありませんが、ラハブを用いられました。もちろんそれで娼婦自体の罪を断罪されない神様ではありません。要するに、これらを通してお父様は何とおっしゃったでしょうか。家に帰ったら民数記33を読んでください。そこに最初の文章を見いだすでしょう。そこで事情の見方が与えられるでしょう。われわれの成してきたことを再び想起させ、個人の栄光を求めてここに来たのではありません。嘲り、嘲笑を自分の栄光のために受けてきたのではないでしょう。サドマゾヒズムでそんなことをしたのではないでしょう。

一人一人が、もっとも困難な時に立ち上がり、正しいことを成したのです。だから皆さんが完璧なのではありません。皆仲良くやっていけるわけではないのです。しかし99.999%の人ができないことを成してきたのです。あなたが必ずしも意見が合わない人もそれを成してきたということです。99.999%ができなかったことをした人です。要点が分かりますか。

時々、怒り狂わせるようなことをするとしても、喧嘩するとしても、特別な人々ではありませんか。一度私たちのトレーニングに参加してみなさい。2,3時間もすれば心配事などすべて吹っ飛びます。(笑)

神様の視点で見なければなりません。だからぜひ試してください。祭壇での本の向きを変えて(お父様のから見て正しい向き、つまり私たちから見ると聖典が180度反対向きになる)みなさい。大きな違いを感じることでしょう。どうか試してみて下さい。正しい霊界を周囲に感じることができるでしょう。またその感想を教えてください。

天聖経(英語版)327

貧しい田舎の農夫として草取りをし、農業をする立場にいたとしても、その農夫に心と体に膨れ上がる愛の情熱が燃え上がっているとすれば、心の五官と体の五官が完全に合わさり、この上もない喜びを味わうことでしょう。 このように神様の愛が皆さんに臨む安着点をもっているなら、時計の振り子の振動のように神様の胸が一度だぶんと揺れれば、皆さんの胸が一度だぶんと揺れ、それで皆さんと神様が共に回るというのです。
(祝福家庭と理想天国I-370)

ここでいう愛は相対主義的な神の愛ではありません。悪は憎みながら、しかし隣人を愛する。これらは決して二律背反ではありません。悪を憎むことと、隣人を守ること。警察はいつもそれを実行しているでしょう。これは相対主義的な愛の話ではありません。

神様の愛が皆さんの中に安着すれば神様と一つになる。神の愛するものを愛し、神の憎む者を憎む。

時計の振り子の振動のように神様の胸が一度だぶんと揺れれば、皆さんの胸が一度だぶんと揺れ、それで皆さんと神様が共に回るというのです。

アーメン、アージュ。

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自由意志には結果が伴う-「豊かな王国」(その3)【英語説教日本語訳】

The Rich Kingdom July 23 2017 Rev. Hyung Jin Moon Unification Sanctuary Newfoundland PA on Vimeo

The Rich Kingdom【豊かな王国】7/23/2017

翻訳:管理人

彼らはリベラルのバカ者かもしれません。
ポケモンをぶら下げた奇妙なリュックを背負い、
紫色の髪の毛。喉元にはピカチュウのタトゥーを入れて。
私はのど首にポケモンのタトゥーを入れている少女をみましたよ。
80才になったときどう見えるか考えてみたのかというのです。
前頭葉で少しは将来を考えた方がいい。
80才でポケモンがそんなに必要ですか。それでも、関係ないのです。そのような人たちが襲われるとき、個人的にその政治信条に同意できないことがあったとしても、平和警察、平和軍として、行って助けなければなりません。そして守るのです。

もしローデスとジャマールが、お互いに子供たちが、たとえば「ローデスが襲われたら死ねばいいのよ。それが彼女に相応しいもの!」なんて言い出したらどうでしょう。それは間違っています。逆でも同じです。私が思うに二人は決してそのようなことはしないでしょう。しかし子供ならわかりません。その結論にとびつくかもしれません。それは駄目です。
それは根本的原理、神を愛せ、隣人を愛せという根本的原理に反します。平和警察、平和軍の原理に反します。互いに愛し合う名誉ある武装市民として。

だからといっていつも仲良く喧嘩もしない、意見の相違もなく、いつも一つになっている、そうであれということではないのです。そんな意味ではありません。面白いことに、詐欺連合からサンクチュアリにやってきた人々が、「ついに家庭連合から出てきました。家庭連合ではいつもフェイクで『一つになる』とかいっていましたが、ここでは皆さんは本当に一体化しているんでしょう?」といいました。

他人同士が集まっているのです、夫婦が一つの部屋にいても一つになれない時があるのに。意見の相違があるのは人間社会の自然な姿ではないですか。意見が異なるから人々が悪に染まっているとは言えません。

お父様の視点から、神様の視点から見るなら、金の指輪をつけた派手な人であろうと、貧しい人であろうと関係ありません。どれだけあなたが神様を愛しているか、そこに関心があるというのです。かといって、またこれで自己正当化する私達です。

自分は真に神を愛するからローデスを攻撃するのだ・・あるいはジャマールを攻撃するのだ。

そうして人が低俗化するのはわかります、人間ですから。まあ、しかしそれが家族であり、コミュニティというものです。確かに私たちは完璧ではありませんし、いつも仲良くできないこともあります。小さなことで諍い(いさかい)もあるでしょう。しかし「お父様を刺して死ぬのか(お父様を裏切るのか)」という核になる信念においては意見の相違は一切ありません。それが(真の)男、女であるというのです。

ジャマールとローデスのことをよく聞きます。おそらくジャマールはこれを歩いている途中に聞いて、落ち込むことでしょう。(ジャマールさんは今、青年達とフロリダに向かっている)心配はいらないというのです!神様は2人を愛しておられます。神様はそれぞれの能力に応じて完璧に用いられるのです。そして御旨を果たされる。

しかし、もし分け隔てをするならば、あなたがたは罪を犯すことになり、律法によって違反者として宣告される。(ヤコブ第2-9)

サンクチュアリで一つ知っておかなければならないことは、意見の相違は人間レベルであるかも知れない、しかし当事者は努力しているのか。分け隔てをしているのか。国進兄さんは言いました。ジャマールと話していた時のことです。「エネルギーを外向きに使いなさい。ローデスを攻撃してエネルギーを無駄にしてはならない。」問題を公にしています。ローデスはそれに対して認め、「自分の罪を認める」と言っています。それでいいではないですか。問題解決。先に進みましょう。

国進兄さんは「いま(われわれは)王国を建てなければならないのだ」とジャマールに言いました。しかしジャマールも思慮深い人です。時にうまくいかず、人を罵ることもありますが、彼は神学も深く深く考える人です。また青年の教育に関して素晴らしい才能をもっています。彼は率直に話をします。自制心の価値や純潔と結婚後の絶対「性」に関して青年達に率直に教えています。素晴らしい才能です。ローデスにその代わりはできません。ジャマールもローデスに代わって彼女の仕事はできないのです。ローデスが忙しく走り回るから、大きなイベントができるのです。お父様が定められた行事です。彼女が走り回って、いろいろ準備したおかげで劉正玉師の原理本体論講義も成功裡にできたのです。準備はほとんどローデスがしました。ジャマールにはそれはできないのです。私はジャマールを愛しているし、素晴らしい才能をもった人ですが。

神様はサンクチュアリのすべての兄弟姉妹を用いて様々な才能と能力に応じて、王国の建設の過程で相応しいことを担当させられるのです。しかし「あの人は本当に嫌いだ」という、この点にまで落ちてはいけません。そのように攻撃を受ける人がいるなら私が弁護します。たわごとをいうなということです。神様の十戒から逸脱している。

意見の相違は大いに結構です。感情的な議論もいいでしょう。でも殺し合ってはいけません。もし相手が誰かに殺されそうになったら助けてあげなさい。助けた後でまた喧嘩を続ければいい。
お父様の観点を知れば知るほど、素晴らしいと感じます。

例えば、祭壇に関していろいろ議論があります。日本も韓国もそれぞれ、お父様のお写真を飾って、三代王権、そして天聖経を置いて祭壇をつくります。今なら天一国憲法も置くでしょう。またロウソクもあります。祭壇に関してまだ、公式な指示を出していません。しかしこの問題に関する私の助言はこれです。

「最良の方法は、常にお父様の立場に立って考えることだ」

例えば普通の祭壇を考えるとき聖書は自分に向けて置いています。原理講論も自分に向けて置いている。しかしそれはあなたの観点です。それを真の所有者であるお父様の方に向ける。祭壇の前に行くたびに「お父様、み言を賜っても構わないでしょうか」と尋ねてから、逆に回して手に取るのです。それはお父様から頂く立場です。あなたが語ったみ言ではありません。これがお父様の視点で見る例です。お父様の観点からみるとき一般になされている状況は、人がみ言や原理講論を所有しているように見えるのです。

それは霊的にも大きな違いがあることが分かるでしょう。教典を真の所有者に向けて置くだけのことです。それだけで、み言を頂くという姿勢を得ることができます。無造作に聖典のページをめくることをせずに。(み言を)乞い願わなければなりません。お父様の写真に体を曲げて、「今日ここからみ言葉を頂いて構わないでしょうか」というのです。

ローデスとジャマールの問題でもめている時に、お父様は私に素晴らしいみ言をリマとして下さいました。

お父様はどうお考えですか、み言をお与えください、といって祭壇の前に行って、お父様の方に聖書を向けて伺いました。すると民数記33章が与えられました。インターネットで今見ることもできます。このみ言が与えられました。

「これはイスラエルの子たちの旅路である」

モーセとアロンがイスラエルの人々を率いて荒野を旅している場面です。最初の聖句が「これがイスラエルの子たちの旅路である」でした。またお父様に尋ねると「女は正しい」という聖句です。その反対側には「女の犯した罪は大きく、男は正しい」とありましたが、それはお父様の意図したみ言ではありません。お父様が下さったみ言は「これはイスラエルの子たちの旅路である」です。

このように神様の視点で見れば、二人とも我が子だということです。二人ともが信仰の旅路にあって、最大限の力を振り絞って進んでいるのです、もちろん完全な人間ではないでしょう、しかし神様の後を歩いているのです。

そのみ言をもらって励まされ、心が静まりました。皆さんも天聖経などをお父様に向けて置いて試してください。天聖経をお父様に向けて置くのです、なぜならお父様こそ、み言の所有者ではないですか。だから祭壇に行くたびに、聖句を奪い取るのではなく、求め願うのです。それだけで正しい秩序を生み出すことが分かるでしょう。

だから、自由の律法によってさばかるべき者らしく語り、かつ行いなさい。(ヤコブ2:12)

自由意志があります。成すべきことを自分で決めるのです。ローデスを呪い、Fワードを連発するジャマールは行き過ぎだという人もいます。兄さんもしょっちゅうFワードを使っています。聞いたことあるでしょう(笑)。

またある人は(ジャマール)がやっていることは狂っているといいます。ジャマールは33ページにわたる文書をつくりました。それをもう公表しましたか?(公表しました)

もしそれに何らかの価値があるとするならば全員がそれを認めるでしょう。それに価値がなければそれを見る人全員が、なんだこれ、馬鹿じゃないかということでしょう。もし価値が無ければ人は「ああ、哀れな人だ。インターネット上のつまらないグループから追い出されただけでここまでするか」というでしょう。そうなることで彼(ジャマール)は自由の律法で裁かれることになるのです。だから神に委ねなさい。分かりますか。

自由意志には結果が伴うということです。だから、この方向で行こうと決めたら、それに付随する結果を受け入れなければならないということです。また別の方向を選ぶなら、良きにつけ悪しきにつけその結果を受取るのです。だから素晴らしいといえます。

最も大切なことは、リーダーは何でもかんでも干渉してはいけないということです。それをするとすべての細かなことに巻き込まれてしまいます、誕生日にどんな髪型にすればよいかとか。だから、関わりながら巻き込まれない術を学ぶことが大切です。

真のお父様御自身があらゆる派閥やグループを抱えておられたのです。その実情を知れば吐き気をもよおすことでしょう。お父様が派閥の確執をご存じなかったと思いますか。お父様をまともな方だと思うならそれはありえないことでしょう。お父様はまともな方です。

このことが天一国でもあり得るということです。起業家精神に富み、一人の指導者を中心にして小さな組織でいようとする。また別の組織はピラミッド型で、拡大志向に富んでいる。そして自由市場で軍隊のように活動し、自分たちのやり方でビジネスにおいて成功する。天一国にはこの二通りの組織があり得るのです。ここでそのピラミッド型上意下達型組織が結託して独占状態を作り出し、連邦政府を大きくしようとしたら問題です。天一国ではそれは無理です。彼らが作った法律は10年で失効します。要するに人々はピラミッド型組織で働いてもいいし、独立して仕事をしてもいい。

世界のサンクチュアリ教会の組織についても同じことが言えます。ある教会は家庭連合のように階層的組織になり得ることがあります。

またそれを見たある者は、あの組織を見てみろ、家庭連合のようにヒエラルキー構造になっている、われわれは完全にNOヒエラルキーで行く、という人がいます。しかしその人間もその組織の自由を止めることはできません。ピラミッド組織が居心地いい人もいるのです。ピラミッド組織でこそ、より神様が能力を発揮させることができる人材もいるのです。

家庭連合では服を着ている、われわれは服を着るのには反対だ!これはおかしいでしょう。家庭連合では車を使っている、われわれは車を使うことに断固反対だ!ちょっと待って。ただの機械だというのです。

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7月21日「焚火を囲む証会」国進様 -「夜の神様、昼の神様」について

金曜に行われている「焚火を囲む証会」、2時間以上に及ぶものです。
興味深いトピックをピックアップして字幕付したいと思います。

7月7日の記念すべき第1回の亨進二代王の証を見逃した方は「三代王権ブログ」で、まとめてくださっています。こちらからどうぞ。7月7日の亨進二代王の証

(国進様の証)原稿で太字にした箇所の字幕に誤り(抜け)があります。

ここまで来て今、科学者たちはジレンマに陥っているのです。科学が神の存在を証明する時代になったというのです。それがいまの科学者のジレンマ、ぶち当たっている大きな壁だということです。あらゆる局面を見てもそうです。世界が丸ごと完全に変わりました。その速さが可笑しいくらいです。非常に知的で頭脳明晰な人たち、いろいろ学んで研究している人々の間の討論でも、神は存在するかもしれないと。神は時間空間(時空)を超えて存在するなどといっているのです。時間と空間の中で存在する神は、時空が存在する前から存在すると。これはまさにお父様が「夜の神様」と「昼の神様」を語った内容そのものではないですか。

「夜の神様」「昼の神様」の話を聞いたことがありますか?初めてそれを聞いたときどう思いました?

-興味深いと・・・

正直に言ってください。

-神様が2人おられるのかと思いました。

お父様は気でも違ったのかと思ったでしょう!あまりにも狂ってる・・・年を取り過ぎたのだなと。「夜の神様、昼の神様」って何ですかそれは・・・(笑)。

お父様が与えた区別はあまりに正確です。しかし現在、(科学的にも)明らかにされてきたことなどを考えると、(夜の神様、昼の神様は)創造主の根本的な性質を見事に説明していることが分かります。創造主、神様は永遠の神であり、時間空間が生まれる以前から存在するお方だということが分かる。創造主は時間空間も創造された方である。これは、キリスト教の枠内の神学や神に関する哲学だけに見られるユニークな考え方です。ユダヤキリスト教的伝統の描く神様だけが時間空間を超越しているのです。他の異教の神はすべて時間空間の中に存在しています。

だから、お父様が「夜の神様と昼の神様」を区別すること、すなわち、「夜の神様」は時間空間が存在する以前の神様であり、「昼の神様」は天地創造以後の神様を現わすと説明されるとき、お父様は、異教の神と、唯一神とを根本的に区別されておられるのです。それは神学的な説明あるいは定義としては全く正確なものです。その意味では、科学的定義であり、その定義をお父様が初めて宣布されたとき、私たちは「お父様は気が狂った」と感じたのですが現代の科学を理解すると、またその方向性を見極めるときに、「ああ、お父様は正しい」と言わざるを得ないのです。これこそ創造主である神様、時間と空間を超越して存在する神様の本物の定義であると。他の神々はどうですか。異教はすべて昼の神々を語っています。それらは何者かによって作られ、自己を崇拝させるものです。偶像崇拝です。異教崇拝は新しいものではありません、古代からあるのです。まさに今、韓お母様が自分がそうだと定義付している内容です。異教への扉を開きました。今自分のことを偽りの第二の神だといっているのですから。そこからまた無数の神々が解放されます。それは本物ではありません。永遠の神の仲間を装っているに過ぎません。なぜなら、神は御一人、時間空間以前に存在するお方です。

お父様が、夜の神様と昼の神様を説明された後、「私は夜の神様から来た」とおっしゃいました。つまり生まれる前から存在し、天地創造の前から存在しているということです。

信じられない話でしょう!

翻訳・字幕:管理人
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自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せ-「豊かな王国」(その2)【英語説教日本語訳】

The Rich Kingdom July 23 2017 Rev. Hyung Jin Moon Unification Sanctuary Newfoundland PA on Vimeo

The Rich Kingdom【豊かな王国】7/23/2017

翻訳:BAMBOOS

しかし私は、すべての牧会者たちに一緒に掃除をさせました。そしてお父様はダンベリー刑務所で犯罪者たちの大小便を掃除しましたが、私たちは救われた人々のものを掃除しているのですから感謝しなさいと言ったのです(笑)。

汚いことを、地べたで草を刈って泥で汚れることを恐れなければ、事業や起業が失敗しても雇ってもらえるのです。そして意欲があって肯定的な精神を持つならばもう一度復帰することができるのです。自分が誰であるかとこの仕事を知っていることで自分が低下することはありません。その場所でもっと強くなることができ、もう一度立ち上がることができるのです。

平和警察、平和市民軍は非常に重要です。訓練を受けた子供たちは、汚いことを学びます。彼らは汚く、汗を流した、また時には血を流した相手と戦い、訓練を受けます。平和市民軍の訓練を受けるときには汚くなることも学びます。そして行軍とブッシュクラフトを行い、走り回って戦闘訓練などを行います。汚れるのです。それでもなお、それはまだ本物ではありません。グリーンベレーのようなところのチーフのような、本当のハイレベルな人には及びません。それはまだ象徴的なものにすぎないのです。

そこにいるあの男性は本物です。神様の王国における、世界の全主権国家にとっての素晴らしい英雄です。なんと素晴らしい男性でしょう。彼は文字通り、16億の哀れなアジア人を全体主義の圧政の下で抑圧し、臓器狩りを行い、小児性愛クラブを運営する中国共産党と戦いました。

見てください。汚い服を着た貧しい人です。さて私は、汚い服を着た人々がときどき教会に入っていくのを知っています。彼らはシャワーも浴びていないので少し臭いかもしれません。しかし、彼らが朝働いているのを誰が知っているでしょうか。牛を引いて来ているのかもしれません。

あの汚い服を着た貧しい人を見てください。このズボンは6カ月履いていますので私の汚い服に文句を言いたいかもしれません。このズボンはきれいなズボンではありません。しかしよくできているので臭いはしません。まだ十分使えます。まあその話は置いておきましょう。

私が言っているのは、みんな腕を上げて歩くべきだとか、デオドラントはいらないとか、王国ではそれは違法だとかいう話ではありません。シャワーを浴びてください。いい匂いをさせて、香水をつけて良いのです。違法ではありませんよ。

しかしある人が1日中牛を飼っていて農場での仕事を終えて教会に来たとき・・・。

これはこのような田舎の教会にいることによる祝福なのです。農場から来た人は自然と農場のようなにおいがしますのでより理解ができるのです。多くの郊外の教会ではそういったことに全く不慣れです。ですからもしそこに入っていけば差別されるでしょう。

外見やそれを気にすることが悪いとかいうことではありません。しかし、それはある人が王国に入ることを許されるかどうかを決める要素ではないのです。

牛のような臭いのする男性にすべての女性が魅力を感じるわけではないということは分かります。ああ、一人いるようです(笑)。例外のない規則はないですね。

しかしそれが最終的な課題ではないということです。それが王国で問題となる唯一のことではないのです。もちろん、外見が良くて良いにおいのする見栄えの良い男性を望むということは理解できます。しかしそれが主要な問題ではないのです。

お父様と韓お母様を見たときにそこには大きな違いがあります。韓お母様はいつも末梢的です。「なぜそのスーツを着ないのですか。なぜ僧侶のような恰好をしているのですか。なぜ頭をそるのですか」。常に末梢的なのです。「私たちは高位の立場なのに何という服装ですか。何というネクタイですか」と。(たかが)ネクタイのことではないですか。お父様は気にされないのです。

私が大きなイベントに韓服を着て行ってもお父様は気にされません。仏教の僧侶の服を着ていてもお父様は気にされませんでした。お父様は気づいておられたはずですが他の人のように騒いだりすることはありませんでした。外見は重要ではないと言っているのではありません。それは、横的なレベルではどのような立場を取るのかということについて様々なメッセージを送ることになります。ある人が、100パーセントではありませんが、髪の色がけばけばしい人ほど急進的なフェミニストだということを言っていました。しかし必ずしもそうではありません。紫色の髪でも政治的に非常に保守的な人もいます。紫の髪が素晴らしいとは言っていません。

「王様は紫色の髪が素晴らしいと言った」「王様は王国では麻薬は違法ではないと言ったから私たちは麻薬を使っても良い」。私はこのような馬鹿な話をいつも聞きます。

しかしそれは決定的な要素ではありません。第5節を見てください。「神は、この世の貧しい人たちを選んで」。貧しい人たち。彼らはエリート政治家に搾取されています。貧しい人たちは本当に神様を探しています。教会に来る貧しい人は良心的で道徳的で、神様に仕えたいと思っています。ビルダーバーグ・グループ、中央集権の政府、そしてワシントンの政治家の文字通りの犠牲者になって、投票を稼ぐために利用されたのは貧しい人ではありません。 

神様は貧しい人を選ばなかったでしょうか。彼は信仰と名誉を持ち、神様に仕え、神様を愛したいと思っている普通の人のことを話しています。「貧しい人たちを信仰に富ませ」です。そして「御国の相続者」「神を愛する者たちに約束された」とあります。

アメリカの普通の保守的なクリスチャンは、あなたの家庭を傷つけようとはしません。普通の保守的なクリスチャンはあなたが銃を所有して家族と娘を守りたいと思うことをうれしく思うのです。普通の立派で善良な人は、自分の娘に銃と危険な武術の訓練をすることがうれしいのです。私の子供たちもそうです。

ジョジョ師匠は、娘が成長したら必ず銃を携帯するようになると私に言うとき、私はそれをうれしく思います。彼を非難したりしません。誇りある人がひどい子供を持って、成長して悪魔のようになったらうれしくなりません。あの父親は娘が自分を守れるように訓練して強くしたいと思っていると聞くとうれしくなります。なぜなら私たちは神様にとって価値あるもの、大切なものを守りたいと思うからです。

そしてそのような性質と精神を持つことによって、その人は自分の家族の中だけでなく、他の人にもそれをきっと広めるだろうということが分かっています。自分の家族を守り、子供が自分を守れるように強くしたいという意識を持っているなら、必ず他の人に対しても同じことをするだろうというのです。

あなたは他の人々に力を与えるための、一つの精神、文化、コミュニティの一部なのです。そうすれば彼らは略奪者の餌食になることはありません。あなたは牧羊犬のコミュニティの一部です。

ですから私たちは、若い女性が汗を流してあざを作り、血を流して訓練して、それでも一生懸命に訓練するのを人々が見ることを素晴らしいことだとみなします。それは素晴らしいと彼らは言います。何人かの女の子たちは強くなりました。男の子を倒せる子もいるでしょう。

しかし、私たちは、彼らがそのような責任の精神の中にあるとき幸せを感じます。そのような神様に対する信仰を持って、私たちが神様の似姿であり人間が尊いものであり、守られていることを知って。いつも彼らに同意するというわけではありません。彼らの行うことをすべて推薦するということではありません。彼らを激しく非難することもできるのです。大馬鹿野郎!悪魔崇拝者になっている!と言って。しかしそれでも愛をもってそれを行うことができるというのです。

そしてあなたがそこにいると誰かが命を守りたいと思うのです。あなたがもし子供にそのようなことをするように教えるなら、あなたはきっと生まれる前の赤ちゃんを守りたいと思うでしょうし、家族を守るために人々に力を与える憲法修正第二条を守りたいと思うでしょう。きっとそのような精神の一部となるでしょう。つまりあなたは霊的王国の一部となるのです。

自分の子供に銃の訓練を行い、彼らがもっと強くなるように、そして傲慢にならないように、他の人のために強くなるようにと言う人に会えば、その人はほぼ間違いなく保守派だと思うでしょう。私はライノー(名ばかりの共和党)の共和党のことを言っているのではありません。本物の、自由に根差した真のリバタリアニズム、真のリベラリズムのことです。つまり、あなたに同意しないとしても尚あなたの権利を、あなたを守りますということです。

「神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富ませ、神を愛する者たちに約束された御国の相続者とされたではないか」
ある研究結果を見つけたそうです。それによると幸福度は中産階級が最も高いということです。非常に裕福な人はといえば、幸福ではありません。それによると最も高い「幸福度」の範囲は、年収5万ドルから8万ドルの間だということが分かっています。全く困窮しないだけのお金はありますが、世界中のすべてのお金は持っていません。それがあるとダメになってしまい、傲慢になります。また子供を悪魔のように育ててしまうのです。

世界のすべてを所有しないことで自分の持つ物に感謝するようになります。それでもときには休暇を取ることができて、自分の持つ物に、神様があなたに恵んだものに感謝できるのです。つまりバランスがあるのです。

しかし、ビーズ・オルソン、ジョージ・ソロスのような人々は、何十億、何兆と持っていてもその貪欲さは飽くことがありません。すべての西洋の国を支配し、アフリカやアジアの国の大部分を支配しても十分でなく更に求めます。止まらないのです。

天一国憲法を読むならば、これが普通の人にとって最大の自由と保護をもたらす文書なのです。それが全てです。読んでみるなら率直に言ってそれはサタンから来るものではあり得ません。どこから来たものか分かるのです。そこから延びる木を見ることができます。万王の王です。文先生が本当にメシアであり、再臨主であるのかという疑問に真剣に取り組むのであれば、その憲法を読んでください。そこに彼の業績があります。そしてこの地上に他にそのようなものがないことが分かるでしょう。

次に6節に行きましょう。「しかるに、あなたがたは貧しい人をはずかしめたのである。あなたがたをしいたげ、裁判所に引きずり込むのは、富んでいる者たちではないか」

愚かな社会主義者、解放神学者、偽のイエズス会聖職者でも何でも、すべての聖職者がそうだというのではありませんが、その大部分は社会主義者のメッセージを説かなければなりません。カトリック教会が社会主義のメッセージを伝えなければならないのは、社会主義国に責任を持っているからです。完全に中央集権の社会主義国、神権政治です。

それから彼らは、裕福な人を憎まなければならないというのです。お金を持っている人は誰でも憎まなければならないのだと。実際、彼らのお金を取り上げてあなたにあげると約束した民主党に投票した人がいます。彼らはその聖句を利用するのです。イエス様はそのような話をしていないということを見てください。金持ちがどれほど悪いのか。いいえ、違う金持ちもいるのです。

ここで言っている金持ちはローマ帝国で金持ちになっています。ローマ帝国で金持ちになる唯一の方法は、政府と共謀することです。天の王国で金持ちになる方法は、また天の王国で物質的に経済的に恵まれる方法は、他の人に仕えることによるものです。

自由市場では、他の人に競争相手よりもっと良く仕えることによって恵みを受け経済的な報酬を得ます。より良い製品、商品、サービスを作れば生活に役立ちます。そのようにしてより裕福になるのです。他の人に良いことをすることで恵みを受けます。彼らを非難し、人々から盗むためにマフィアのような政府と共謀することによってではありません。

しかしローマ帝国では、マフィアのようなローマ帝国と共謀することによって金持ちになるのです。上位0.01パーセントが悪い人たちです。ごく少数のトップが問題です。そこには政府と共謀し政治家を買収している超億万長者がいます。彼らが問題なのであって、政府と共謀するようなレベルにならない限り、洗剤の会社を作ってそれを大きくした人が問題ではありません。

そのような寡頭制の金持ちが「あなたがたを虐げ、裁判所に引きずり込む」と言っているのです。そのように彼らはあなたの起業したビジネスを妨害しているということです。アマゾンやウォールマートのような独占企業です。彼らはあなたがビジネスを始めるのをもっと難しくしています。あなたがビジネスを始めるころには、手続きすべきばかげた規制のせいで20万ドル、30万ドルの借金があります。あなたに勝ち目はありません。そして彼らは訴訟を起こします。「あなたは登録商標を使っています。あなたを訴えます」。

ですから小さなアイスクリーム屋を始めるのにも20万ドル、30万ドルという借金をしなければならないような制度が出来上がっているのです。その上彼らはあれこれといった理由であなたを訴えるのです。あなたを追い出して始末するために。あなたは始末されて20万ドル、30万ドルの借金を払わなければなりません。

そのようなタイプの富裕層は悪です。なぜなら中央集権の権力と共謀しているからです。これは自由な取引、自由な市場活動ではありません。その人が素晴らしいサービスを提供しているから自由に取引するというものではありません。

私たちはビジネスを始める人々、起業家精神を持って広く成功するような人を称賛します。そのような人々は英雄です。それは素晴らしいことであり、彼らは人に尽くしてきたのです。普通の人々はそれに対して怒ることはありません。おめでとう、自分にもできたら良いのにと言います。普通の人は「彼はあなたよりずっとたくさん持っている。彼から盗むのを手伝ってくれ」などと言ってそれにちょっかいを出したりしません。

思考停止に陥っている教化された子供たちは、メディや愚かなセレブなどの左翼によってそのように考えるよう訓練されてしまっています。「彼らはあなたよりもっと持っています。見てみなさい」と。ゼロサム・ゲームではないのです。一つのパイを取り合っているのではありません。別のパイを作ればよいのです。

しかし、民主党のような公然とした社会主義者、公然とした共産主義者、そして共和党にいる隠れた共産主義者。共和党の大部分のライノー。少なくともランド・ポール上院議員やトランプのような良い人、本物の共和党もいます。彼らは自分を国際金融に売ることなく共和国のために立ち上がる人たちです。そのような人々は、企業の富裕エリートに対抗して立ち上がっています。トランプも億万長者ですが彼は独占企業に反対しています。

そのためにトランプのために投票したコミュニティの人々は皆彼のことを、ブルーカラーの億万長者と呼んでいるのです。彼は普通の人のために立ち上がっているのです。政府の官僚が普通の人を痛めつけることができないようにするために。

これらの寡頭制の覇権的なローマの「富んでいる者たち」が「あなたがたをしいたげ、裁判所に引きずり込む」というのです。

「もしあなたがたが、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」という聖書の言葉に従って、このきわめて尊い律法を守るならば、それは良いことである」

さて、オンラインであちこちにたくさん飛び交っている皆さんの好きな話題として、ローデスとジャマールのことがあります。どこへ行ってもローデスとジャマール、ローデスとジャマールの話です。

聞いてください。真のお父様はローデスとジャマールを愛しておられます。実に簡単なことですね。ローデスも愛されており、ジャマールも愛されています。どこへ行ってもローデスとジャマールの話ですが、私はどちらも知っていますし、どちらも愛しています。真のお父様も二人を愛しておられます。

皆さんは神様の視点で見なければなりません。お父様の観点を考えてみてください。韓お母様は彼を裏切り、その相続者、後継者は追いやられ、すべての人が彼から離れ・・・。ところでこれは彼が任命した者です。そしてポコノ山地で小さなグループを作って、ポコノ教会があってローデスが・・・。それがどうしたというのですか。彼女はロバート・ピッケルとはあまり仲が良くないからそれがどうしたというのですか。私には気になりません。

彼らは二人とも立ち上がりました。同じくらい大変な時に二人とも立ち上がりました。世界中の教会が私を親不孝者と非難し、母を裏切ったなどと言って、私が真実を話しているために、また私が不名誉な女になりたくなかったので、そういう理由で彼女は私をすべての役職から解任しました。お父様は私を相続者として指名したというのに。そして彼らはすべてのお金を盗んで逃げようと思ったのです。しかし彼らは今お金を得られません。なぜならそれは王国の祝福ではないからです。

王国の祝福は血統であり、王権であり、憲法です。それが来るべき王国です。それが真の祝福です。それが本当に相続されるものです。ですからそれは成功しません。不名誉、裏切り、簒奪、そして嘘に基づいていないので成功するというだけです。私たちは苦労しなければなりませんでした。私たちはすべての友だちや家族から離れなければなりませんでした。私たちは韓お母様に、彼女が悪魔崇拝と自己崇拝への道を進んでいると告げなければなりませんでした。今誰もが分かります。

そして今でも郭グループや家庭詐欺連合と学者の前で討論を行うとき、すべての学者は私たちが文鮮明先生の伝統を引き継いでいると言います。私たちは彼のものを変えていないのだと。そして彼が3回、2つの大陸で任命した後継者と一緒にいると。ところで私がそうなることを選んだわけではありません。外の世界がそのように見るのです。

お父様の観点から、その当時ローデスは途方もなく英雄的なことを行いました。ジャマールはその当時、途方もなく英雄的なことを行いました。ですからお父様の観点からすれば、ジャマールとローデスがうまくやって行けず、一緒に火のそばでクンバヤを歌えるかどうかは、重要ではありません。お父様が見られることは、彼らの信仰、彼らのお父様に対する愛、そしてすべての同調圧力、すべてのポリティカル・コレクトネス、すべての憎しみを持つ人、彼らは頭がおかしいという人々に対抗し、NOと言って自分はお父様のそばにいると言って立ち上がるために行った実績なのです。

そして皆さんも同じことをしました。重要なことはこれなのです。見てください。「このきわめて尊い律法を守るならば」。この聖句によると、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」です。

もしジャマールが、自分の子供がローデスを憎むように訓練しているなら、彼女は自分の子供がジャマールを憎むように訓練します。そして、たとえローデスが撃ち殺されても彼女はそうなって当然だと言います。そうすると彼らはサタン的だというのです。そして自分の子供に悪魔崇拝を勧めているということです。ダニーは不名誉になります。私の知る限り、彼はそのようなことはしていません。たとえ彼の子供が徐々にローデスに対して否定的になっていたとしても。もしかしたら彼女の家庭のほうもそうかもしれません。そうだとしたら、もちろん子供にそのようなことを望まないでしょう。それは平和警察、平和市民軍ではありません。

平和警察、平和市民軍とは「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」ということなのです。隣人に同意できないかもしれません。隣人を好きではないかもしれません。しかし、隣人が略奪者のようなものにレイプされていれば、あなたは彼らを助けに行くのです。

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神の王国は、聖書を読む質素な男女によって建設されるのだ-「豊かな王国」(その1)【英語説教日本語訳】

The Rich Kingdom   July 23  2017   Rev. Hyung Jin Moon   Unification Sanctuary  Newfoundland PA on Vimeo.png

The Rich Kingdom【豊かな王国】7/23/2017

翻訳:BAMBOOS
 
今日は「豊かな王国」についてお話します。「王国の豊かさ」にしたかったのですが以前そのタイトルは既に使いましたので逆さまにしただけです。

私たちはほとんどすべての王国の聖句を取り上げてしまいました。残りは黙示録の2つだけです。信じられないですね。今回はヤコブの手紙です。これは章全体が途方もない内容です。実際相互に関係しています。短いですが章全体を見ていきます。一緒に読んでいきましょう。

(ヤコブの手紙 2章)
1:わたしの兄弟たちよ。わたしたちの栄光の主イエス・キリストへの信仰を守るのに、分け隔てをしてはならない。2:たとえば、あなたがたの会堂に、金の指輪をはめ、りっぱな着物を着た人がはいって来ると同時に、みすぼらしい着物を着た貧しい人がはいってきたとする。3:その際、りっぱな着物を着た人に対しては、うやうやしく「どうぞ、こちらの良い席にお掛け下さい」と言い、貧しい人には、「あなたは、そこに立っていなさい。それとも、わたしの足もとにすわっているがよい」と言ったとしたら、4:あなたがたは、自分たちの間で差別立てをし、よからぬ考えで人をさばく者になったわけではないか。5:愛する兄弟たちよ。よく聞きなさい。神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富ませ、神を愛する者たちに約束された御国の相続者とされたではないか。6:しかるに、あなたがたは貧しい人をはずかしめたのである。あなたがたをしいたげ、裁判所に引きずり込むのは、富んでいる者たちではないか。7:あなたがたに対して唱えられた尊い御名を汚すのは、実に彼らではないか。8:しかし、もしあなたがたが、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」という聖書の言葉に従って、このきわめて尊い律法を守るならば、それは良いことである。9:しかし、もし分け隔てをするならば、あなたがたは罪を犯すことになり、律法によって違反者として宣告される。10:なぜなら、律法をことごとく守ったとしても、その一つの点にでも落ち度があれば、全体を犯したことになるからである。11:たとえば、「姦淫するな」と言われたかたは、また「殺すな」とも仰せになった。そこで、たとい姦淫はしなくても、人殺しをすれば、律法の違反者になったことになる。12:だから、自由の律法によってさばかるべき者らしく語り、かつ行いなさい。13:あわれみを行わなかった者に対しては、仮借のないさばきが下される。あわれみは、さばきにうち勝つ。14:わたしの兄弟たちよ。ある人が自分には信仰があると称していても、もし行いがなかったら、なんの役に立つか。その信仰は彼を救うことができるか。15:ある兄弟または姉妹が裸でいて、その日の食物にもこと欠いている場合、16:あなたがたのうち、だれかが、「安らかに行きなさい。暖まって、食べ飽きなさい」と言うだけで、そのからだに必要なものを何ひとつ与えなかったとしたら、なんの役に立つか。17:信仰も、それと同様に、行いを伴わなければ、それだけでは死んだものである。18:しかし、「ある人には信仰があり、またほかの人には行いがある」と言う者があろう。それなら、行いのないあなたの信仰なるものを見せてほしい。そうしたら、わたしの行いによって信仰を見せてあげよう。19:あなたは、神はただひとりであると信じているのか。それは結構である。悪霊どもでさえ、信じておののいている。20:ああ、愚かな人よ。行いを伴わない信仰のむなしいことを知りたいのか。21:わたしたちの父祖アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげた時、行いによって義とされたのではなかったか。22:あなたが知っているとおり、彼においては、信仰が行いと共に働き、その行いによって信仰が全うされ、23:こうして、「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」という聖書の言葉が成就し、そして、彼は「神の友」と唱えられたのである。24:これでわかるように、人が義とされるのは、行いによるのであって、信仰だけによるのではない。25:同じように、かの遊女ラハブでさえも、使者たちをもてなし、彼らを別な道から送り出した時、行いによって義とされたではないか。26:霊魂のないからだが死んだものであると同様に、行いのない信仰も死んだものなのである。

ゆっくりと行きましょう。急ぐ必要はありません。

悪魔は・・・に対して・・・(※映像と音声の乱れ)・・・個人のレベルで・・・なぜなら王国は個人によって成り立っているからです。また国の教えがなされます。なぜなら王国が相続されるということを彼が話しているからであり、それは実際の国のことだからです。ですから聖句によって何層もの教えがなされるのです。神様は聖句を通して語られています。

黄色で強調した最初の部分から行きましょう。
「わたしの兄弟たちよ。わたしたちの栄光の主イエス・キリストへの信仰を守るのに、分け隔てをしてはならない」と言って、それから裕福な人と貧しい人の話を説明しています。これは非常に重要です。これが自由社会の中心のようなものです。

(※映像と音声の乱れ)・・・神様とサタンの違いです。これを見てください。神様、イエス様、そして真のお父様は、人類を信じています。見てください。「主イエス・キリストへの信仰を持ってはならない(訳注:英文の聖句の1節を直訳すると「分け隔てを持って・・・信仰を持ってはならない」となる)」とあります。

イエス様は裕福な人を信じているのでしょうか、貧しい人を信じているのでしょうか。人類を信じているのです。この裕福な人がどのような人なのか掘り下げていきましょう。なぜならお分かりのように裕福な人すべてが悪いわけではないからです。自由市場は善なる金持ちをたくさん生み出します。人に仕えることで利益を得ている人々です。独占とお金を盗むための政府との共謀によってではありません。それは全くの悪です。

重要な点は神様が人間を信じているということです。最初から人間を信じていたのです。力を持ったサタンと天使がダメな奴らだと考えていたとき、アダムとエバを信じていたのは神様でした。

サタンと天使長は、このばか者たちは何の力も持っていないと言っていました。「神様、彼らは私たちができることを何もできない。彼らは最低だ。アダムはだめだ。どうして彼にすべてを与えるというのですか。彼は一日中木の周りで走り回り遊びまわって、果物を食べ、釣りをしたりカエルを捕まえたりしている。豚と一緒に転がりまわってレスリングをしている。私たちがあなたと一緒に奴隷のように働いて作ったこのすべての美しいものをどうしてこの愚か者に与えるというのでしょうか」それは中央集権の政府が言っていることと全く同じだということに注目してください。

あらゆる中央集権政府は、「国民は愚かすぎて自分で判断できません。私たちには知性が必要であり、彼らに何をどのようにすべきで何を信じるべきか教える知的なマルクス主義、社会主義の教授の階級が必要です。そしてあなたの考え方が気に入らなければ検閲します」と言っています。

ピューディパイのことを知っているでしょうか。聞いたことがある人は?ブロンドのスウェーデン人でビデオ・ゲームのことを話す人ですね。彼のYouTubeチャンネルは180憶もの再生回数があります。彼は今年から、マクロ世界の愛国者たちを放送するようになりました。例えばインフォウォーズのアレックス・ジョーンズやポール・ジョセフ・ワトソンの動画を放送し始めたのです。

突然あらゆるメディアと政府が彼を嫌い、検閲しています。なぜなら彼らは自分たちが支配できない、自分たちよりも影響力のある発言を行う人を全て恐れるからです。ママの地下室でYouTube動画を作って180億の再生回数を記録しているピューディパイが、ドナルド・トランプを支持し始めたのです。そしてソロスやザッカーバーグ、そしてビルダーバーグの愚かな者たちが彼を検閲しようとしています。

この若者は決して完璧な人ではないでしょう。しかし彼は、「我々はCNNのメッセージを受け入れない。この中央集権の政府の言うことをもう信じない。彼らは納得のいくような説明をしていない」と言っています。ポール・ジョセフ・ワトソンのほうがもっと説得力があると言って彼を出演させています。

彼がそれをやればやるほどフォロアーにもっとシェアされて行き、もう彼らはその話を止めることができないのです。それは何かといえば、中央集権の政府は全く無能であり、全くの泥棒だ、彼らは小児性愛ネットワークだといったことです。それを止めることができません。

それは古典的な天使長です。権力を集中させ、独占し、普通の人から盗むために政府と共謀します。そして彼らは、一般の人を信じることができません。この例での貧しい人のことです。すべての人は基本的に貧しく、エリートは残りの5パーセントです。寡頭政治の体制であり、帝国主義であり、完全に中央集権のローマの体制です。それは農奴制の体制であり、無能なビルダーバーグ・グループがネオ封建制と呼ぶものであり、5パーセントの人がすべてを、あるいは国全体を所有して他の人は全員が農奴、つまり奴隷だというものです。

これがイエス様の時代に人々が暮らしていた体制です。ですから貧しい人と言ったときには、それは普通の人のことなのです。普通の人には何の機会もありません。そのような体制の中では機会が与えられないのです。

しかし、イエス・キリストの信仰、神様の信仰がどのようなものか見てください。私は時々お父様のことをじっくりと考えることがあります。なぜならお父様に仕えることはまるで映画の中で生活するようなものだったからです。一つ例を挙げれば、ある名節にあらゆる国の代表団がやって来て、イギリスの国会議員とジョージ・ブッシュ元大統領も参加し、アメリカの大統領との会談もあり、そして翌日にはボートに乗って、一般の漁師と一緒に10フィートの荒波の臭い水の中の魚に撒き餌をするのです。

ある時には清平パレスの大きな大理石の宮殿でこのようなイベントを行いながら、エンターテインメントも行って、マリオット・ホテルが食事の手配を行っていて毎回ステーキを、フィレミニヨンを持ってきていました。そして翌日には太平洋やアマゾンのジャングルの真ん中でマクドナルドを食べるのです。狂っています。

しかし、サタン世界には階級組織があり、天使長的な文化があります。ドナルド・トランプと全く同じように、ワシントンで何か行おうとするには、負の財産を取引するのだというのです。エリートと最高レベルで取引する際、通常の取引ではなく負の財産を取引します。なぜならそれらは全て政府や政府機関とのある種の共謀関係にあるからです。そのようなことがトランプに対してディープ・ステートで起きているのです。

ですから彼は物事を実行しようと、それらを取り除こうとしていますが、あまり早く実行したり、それらをあまり早く取り除いたりすることはできません。すると彼らは彼を殺しにやってくるのです。ですから彼は取引をして、交渉しなければならず、アサドと戦おうとかISISとは敵対しないというふりをしなければなりません。なぜならディープ・ステートがそれを望んでおり、ISISはペットのようなもので国務省やオバマなどを通して資金を与えてきたからです。ISISに何年支援してきたのでしょうか。ばかげた話です。アメリカ政府はISISに資金援助してきました。穏健派のシリア反乱軍と呼んでいますがISISに加わったという記録があります。まったく愚かでばかげたことです。

しかし彼らは大衆が非常に愚かであり、記憶力もなく、シリア反乱軍がISISの仲間に入ったという先週出た記事も覚えておらず忘れてしまっているのだということが分かっているのです。大衆が金魚以下の7秒の記憶力しか持っていないと分かっているのです。あることを話して次の週に反対のことを言っても大衆はそれを信じると分かっているのです。

お父様でさえこの世界で何かしようとするためには、彼らを集めて文先生と一緒に活動すべきだ、私の指示に従うべきだと言わなければなりませんでした。彼らと取引しなければなりませんでした。しかしお父様は最高レベルの人々を相手にする一方で、漁師たちと一緒に(釣りに)行くのでした。そこがご自分の家だと感じておられました。

それはもっとも快適なにおいのする場所ではありません。マイク・ロウが「汚い仕事(邦題:突撃!大人の職業体験)」という番組で漁師を扱っていました。最悪の仕事の一つではないでしょうか。撒き餌とか魚の内臓とか。

お父様はいつもそこに下りて、そのレベルに下りて行かれたのです。下りて行って釣りをされました。私はお父様が毎日、あるときは20時間もの間そのようにされるのを楽しんでおられたわけではなかったに違いないと思います。魚の腐った匂いがして足元はどこも血まみれになった荒れた海の上で、防水の作業着だけを身に着けて。

「主イエス・キリストの信仰」。イエスの国は普通の人によって相続することのできる場所です。國進兄さんが炉端でのすばらしいおしゃべりのときに話していたことはどんなことだったかと言えば、この王国は、つまりもっと広く言えば神の王国は、聖書を読む質素な男女によって建設されるのだということでした。

それは簡単なことです。なぜならその本を開くなら、それはあなたが動物だと言うことはありません。あなたが目的を持たない進化の流れの一部であって、ある種族の一員に過ぎないと言うことはないのです。もし、もっと高度な種族がやってきて全てを虐殺してもそれが進化なので問題ないなどと言うことはありません。聖書はそのようなことは言っていません。

聖書はあなたが政府の奴隷だとは言っていません。聖書はミシェル・オバマやヒラリー・クリントンがあなたの指導者となるとは言っていません。聖書では人は神様の似姿に作られたのだと言っています。そして私たちは宇宙を創造された神様の息子娘なのだと言っています。何度も聞いたことかもしれませんが、それは途方もない主張なのです。全宇宙の設計者である知的精神は現代の科学で証明されていませんが、すべて数学的であり幾何学的であり、設計されたものがあります。

あなたはそのような宇宙を創造した超越的存在の似姿として創造されているのです。無神論者はあなたのことを狂っているというでしょう。なぜならそれがそれほど壮大な主張であるからです。この大陸だけの創造主のことではなく、この海だけの創造主だけのことはではありません。私が言っているのは全宇宙の創造主のことです。あなたはその似姿として創造されているのです。それが天使長に対してどれだけ反抗的な内容かわかるでしょうか。

そして自由の主権は、神様を求め神様のみ言を読み、それを信じ、それを明らかにするために働く普通の人によって建設されます。

私は普通の人かもしれません。単なる武術の指導者かもしれません。ただの配管工かもしれず、それが何であっても私は神様の似姿として作られているということです。そしてワシントンの役人であろうとパイク郡の官僚であろうと、誰も自分がそうでないと言える人はいません。

それは頭がおかしいとかいうことではなく、その人は自分が誰か分かっているということです。それは直ちに彼が暴力的だとか誰かが彼を侮辱しているということにはなりません。それは、彼は自分が誰か分かっているということなのです。政府というグループやマフィアのようなものに屈しない人だということです。彼らはこの税金を払いなさい、あれをしないさい、これをしなさいと言っています。「子供を教化キャンプに送りなさい。情けをかけてやるから借金をしなさい。現代的で流行だから家庭を破壊しなさい。ケイティー・ペリーとマドンナに従いなさい」

ばかげています。そのような愚かなセレブ、ブラッド・ピットのような馬鹿な気取り屋には従いません。自分を素晴らしいと思っている愚かな共産主義者。もう50過ぎていて女性たちは嫌な男だと思っているのに。

セレブではありません。神様は普通の男性と女性にその王国を相続させます。あなたを捕らえることはありません。あなたをだますことはありません。家庭を破壊することはありません。ただ家族を養い道徳的にまっすぐな人になろうとするだけです。私たちはそのような人をつまらない人だとみなしています。「あの人はただの普通の人だ」と。女性たちはそのような男を負け犬、つまらない人と見なすように洗脳されています。しかし、そのような人が王国を相続するのです。

パレスでも私たちは子供たち全員に肉体労働をさせています。皆さん知っている通り私たちは造園作業をたくさん行いました。あるときは2トンもある危険な岩を移動させたことがありました。子供たちは人が来た時に座れるように小さなベンチを作りました。彼らは大工仕事をしたり、木の根を掘ったりしました。非常に重要なことです。大人がやってあげると言うことのほうがもっと大きな問題です。子供たちがこのようなことをやることでより強くなるのです。自分のことに気づき学んでいきます。何度も何度も同じことをしても飽きることがありません。自らを励ますのです。いかに不平を言わずに自分を励ますかを学ぶのです。

彼らは非常に重要な道具を学びました。精神性、勤労意欲。この子供たちは最初すべてに不平を言っていました。直接的な不平と間接的な不平があります。直接的なものは「なぜこんなことを」といったようなものです。間接的なものというのはふさぎ込んだ態度です。全員の活力を奪ってしまいます。全員が彼らによって力を奪われるのです。

他の人たちの活力を奪うのはやめなさいと彼らに言います。しかし子供たちはそのようなことを経験する必要があります。毎回愚かなことを繰り返します。教えるということはダイナミックなものだと思うでしょうか。それは何度も何度も同じことの繰り返しなのです。お父様は同じメッセージを何度も繰り返し語られたと思います。なぜなら人々が何度も同じ愚かなことを繰り返すからです。しかし彼らはそれを経験します。そして彼らがそれから逃げないようにするのです。なぜならそれが彼らに対する思いやりであり、役に立つことであり、将来彼らを傷つけないためなのです。

もちろん彼らは逃げ出すことができるだろうかと、文句を言いながら私たちの束縛を試そうとします。いろんなばかなことを言って。彼らを逃げ出させたらどうなるでしょうか。ただそれをもっと続けるだけなのです。そして結局仕事しながらも実際は全く別の王国を頭の中で作り上げてしまうのです。ですから若いうちに芽を摘んでおきます。早めに捕まえるのです。それが彼らを救うことになります。それで彼らは正直でいられます。

そして彼らが何回かそれを学べば、2回目3回目には錯覚の下で思い出すようになり、彼らの道徳観が変わるのです。彼らの働きぶりが非常に変わってきます。そして私はいつもお母さんたちを叱ります。なぜなら彼らが子供たちに不平を言わせて、そこから逃げるようにさせているからです。すべてではありませんがほとんどのお母さんたちがそうなのです。子供たちに好きにやらせて言わせておくと、それが循環してどんどん大きくなっていきます。なぜなら女性は衝突を求めないからです。論争を求めません。なぜそれがあなたにとって良いことなのか論理的に説明することを求めないのです。とにかくやりなさいと。しかしなぜこのようなことを学ぶ必要があるのか説明することは重要です。最も基本的な理由は、例えば他のすべてが失敗したとしてもそれでも彼らは仕事に就いて雇ってもらうことができます。肉体労働ができて、それを怖いと思わないのであれば。良い態度で行うなら仕事を得ることができます。それは保険になるのです。

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なぜ亨進ニムはAMAZONで買うなというのか

7月23日サンクチュアリ本部礼拝の説教に入る前に、二代王亨進ニムはアマゾンCEOのジェフ・べゾスを攻撃された。

アマゾンの創設者、ジェフ・ベゾスとはいかなる人物なのか、その一端が分かるビデオがこれ。
 
2016年5月16日(アメリカ大統領選挙の半年前)のウォールストリートジャーナルのYOUTUBE発信ニュースから抜粋字幕付。

Donald Trump Attacks Amazon CEO Jeff Bezos   YouTube.png

Blue Origin   Wikipedia.png

ジェフ・ベゾスが2000年に設立した民間航空宇宙開社のブルーオリジン

百田尚樹氏などの保守系有識者はアマゾンについても的を得たことを話している。

ジェフ・ベゾスがグローバリストの一員であることは間違いなさそうである。

動画の翻訳・字幕:管理人
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【7/30(日) 4th KINGDOM KNIGHTS MEETING 集まれ、王国の騎士たち!】

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日本サンクチュアリ協会主催

中高生の皆さん!第4回 キングダムナイツミーティングを開催します!!
若い中高生達が活躍する未来を応援する会です。
なんと、今回からビッグプロジェクトが始まります!!!>_<
このプロジェクトとんでもない可能性を持ったプロジェクトですが、活かせるかどうかは君たち次第です!

終了後はみんなで夏休みの宿題をする時間を持ちます。
お昼は美味しいカレーを出します!
中高生の皆さんはどしどしご参加ください!!^0^
また、中高生と交流したい大学生や青年も遠慮なくご参加ください。

【プログラム】

1. Building Life Foundation(基礎固め)
天地創造の秘密!神様が創造された世界の秘密を一緒に見ましょう!!

2. Special Project(私達のプロジェクト)
私達のスペシャルプロジェクトが始動します!私達の未来を作るビッグプロジェクトです!!

3. Summer Event Planing(夏のイベント計画)
夏のイベントをみんなで企画しましょう。今回で完全に計画を決めます!!!

4. Intelligence Improvement(智力強化、自由参加)
みんなで夏休みの宿題をやりましょう!!みんなでやればはかどるハズ!!

対象: 中学1年生 ~ 高校3年生(中高生と交流をしたい大学生、青年も大歓迎)

日時: 7月30日(日) 10:00~14:00、14:00〜は自由参加

持ち物: 筆記用具、夏休みの宿題

場所: 申込をされた方にお知らせいたします

申込フォームはこちらをクリック↓↓↓
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家庭詐欺連合の人々も「今のお母様は好きではない」と言うのです-7月16日英語説教日本語訳「適正な秩序の王国」(その3:完結)

Kingdom of Proper Order July 16 2017 Rev. Hyung Jin Moon Unification Sanctuary Newfoundland PA on Vimeo

Kingdom of Proper Order 

適正な秩序の王国(その3:完結)

 

イエス・キリストと再臨のイエスである真のお父様はそのような犯罪のために蕩減を払っているということではないのです。確かに犯罪には罰が必要です。彼らは実際そうしています。しかし、同時に彼らは私たちが罪を犯し、冒涜し、侮辱してしまった神様との関係性を復帰するために(蕩減を)支払っているのです。私たちが気づくことなくキリストが支払っているまったく別の層があります。原理的な考え方でいうところの心情の世界のようなものです。クリスチャンは普通それが分かっていません。彼らはただ賠償の償いや支払いといったものとしてしか捉えていません。もっと進んだ見方をしたとしても、犯罪と罰というものです。彼らはまだ神様の観点から心情的な世界でそれを捉えていません。「神様がとても冒涜された」「神様がとても侮辱された」と。

これに対する反対者は古典的に「神様はケチだ。神様はまったく中世ヨーロッパの封建制の王様のようだ」といつも言っていました。そうではなく、主権というものを理解するなら、天一国でも自由市場の中での評判が絶対的に重要なものです。あなたの名誉が絶対的に重要です。つまり、あなたが誰かに仕えれば他の人もそれによって信頼してくれるということです。

ですから主権という点で、これについて「神様は封建制の君主だ」と言ってぶつぶつ文句を言う人々は、罪(原罪)というものが罰を受けるべき犯罪であるという事実が抜け落ちているのです。しかし同時に、誰かを侮辱することは、そしてその人がそのことで侮辱されたと感じることは、狭量なのです。

さて主権という観点で、あなたの家庭の尊厳を保ち、あなたの王権の尊厳を保ち、氏族の血統の尊厳を保つということは、絶対的に非常に重要なことです。それは天一国において王の血統の未来に直接の影響をもたらします。そして誰かが私たちをひどく侮辱して、私たちもとても侮辱されたと感じたとして、その人物との関係を復帰するために―私たちはいつでもそのような人を無視して切ってしまうこともできますが―しかしその関係性を復帰するために何が必要かと言えば、その人物が許しを乞わなければなりません。あなたの家庭に与えた損害を返済するだけでは十分ではありません。彼らはその関係性を復帰するためには実際に「申し訳ありません」と言わなければならないのです。それで私たちは関係を持ったレベルになれるのです。

その犯罪に対して償いをすれば気持ちも和らぎ損害に対する補償も得て法的には問題ありません。しかし、それでもその人が今あなたの友人であるということにはなりません。親しい友人だと言うことはできないのです。聖書ではキリストはどんな兄弟よりも近い存在だと言っています。

その関係性の本質を復帰するためです。その犯罪に対する罰だけでなく、(天の)父と人類との間に意図されていた関係性における本質、調和のためなのです。そこにはそのための償いもなければなりません。私たちは多くの場合これを見落としているのです。お父様の苦難の路程・・・。

家庭詐欺連合は、お父様が彼らの犯罪に対する罰も償わなければならなかったということを理解できるレベルにもありません。彼らはそれを理解していません。私が話しているのはまた別のレベルで、お父様は実際全人類の罰に対する償い、すべての堕落、堕落行為、堕落した文明などのために蕩減をしなければならなったということを理解するということです。しかし同時にお父様は、ただ返済するのではなくそれを恨みのない本来のものとして復帰しようとしているということです。お父様は関係性と心情のレベルを全く恨みのない状態に復帰しようとしているという話です。不正を行い侮辱されるという感覚もありません。

私たちは、キリストが通過し償わなければならなかったことを熟考し理解すればするほど、それが初期の教会で見られたような単なる賠償ではなかったということになります。それも重要な要素ではあるのですが、それがすべてではなかったのです。

神様の苦難の路程には多くの層があります。それは私たちが解放され、祝福を受け、王国で暮らし、それに向かっていくことができ、主権を持つことができるようにするために神様が歩まなければならないものです。これらはみな自分や他の人から来るものではなく、ただ神様が受肉して来られるキリストから来るものなのです。劉先生が先週ずっと語っていたように地上における実体的な神様、神様の実体的な体として来られる方です。神様が世界で働かれる渦の中心点があります。ある点があります。神様が地上で働かられる一人の男性がいるのです。もちろん私たちはその方と共に歩みました。

「その負債は道徳的宇宙で不均衡を生み出しました」
その負債は法的な世界でだけでなく、道徳の世界で不均衡を生み出したと言っていたことに注目してください。なぜなら神様も道徳的な存在だからです。宇宙は数学的にだけ作られたのではなく、それは道徳的な宇宙です。なぜなら神様は数学的な宇宙をその道徳性で治めるからです。神様は道徳的存在であり、善なる方です。正義であり高貴であり、愛です。存在論的な観点で、考えられるあらゆる宇宙において最大限に優れた存在です。

負債が不均衡を作り出すとあります。道徳的な世界における不均衡です。私たちサンクチュアリの人が人々と話しに行こうとするとき、乱暴で 闘争的だとみなされ、何をしようとしているのかと言われます。私たちは彼らが神様と自分たちの間でひっくり返したバランスを復帰しようとしています。私たちは彼らが、神様との関係性で自分自身を正しく見つめ、彼ら自身ではなく神様をすべての賛美に値する方として正しく関係を持つことができるようにするために、彼らがバランスを取り戻すのを手伝おうとしているのです。

ですからもちろん人々に真実を話し、彼らを愛することができるのです。もちろん皆さんの多くが初期の頃からそれを経験しました。昨日もそうでした。人々に嘲笑され、無視され、逃げられて。

あらゆる人が私に、お願いだから天の父母様の名前で祈ってくれと言っていたことを覚えています。私はスタジアムで代表祈祷をしなければなりませんでした。3万の人がいる中で祈祷しなければならず、あらゆる人がお願いだから天の父母様と祈ってくれと。お父様の聖和の儀式の後、すべてのことが終わって、それから私は檀上に上がり、もちろん「敬愛する最愛の天のお父様」と祈ったのです。

私が天のお父様と祈ったとき、まるでそれは致命的な罪を犯したことのようになりました。リーダーたちはみな真っ青になりました。天のお父様と言っただけで。

そして私たちは彼らがクーデターを起こしていることが分かっていました。裏で私たちを殺そうとしていたのです。なぜなら私たちが彼らのロビー活動の制度、共産主義の制度を破壊していたからです。お互いをかばい合い小さなロビー活動グループを作って、できるだけ多くのお金を盗もうとしていたのです。彼らはなんとタッグチームを作っていました。

お父様と一緒にいたとき、お父様は私に夜一緒にいるように言われ、それがどの程度のものか分かりました。私がいつもそれほどお父様の近くにいたのは、いつも人々が様々なチームを組んでお父様の場所に侵入して来るからでした。巨文島に行くとき彼らは別々のチームに分かれていました。私は船で一つのチームと一緒にいなければなりませんでした。彼らはいつも文字通り何かを得ようとしていたので、私はお父様のすぐ横で寝なければなりませんでした。

そして私たちはそれが日本の兄弟姉妹に負わせられることが分かっていたのです。そのような騒ぎの中で私たちは違った意見を出そうとしていました。それで12時間とか時間が経って日が沈むと、今度は別のチームが待ち構えているのです。「お父様、今日は忙しすぎて船に乗れずに申し訳ありません」と言って(笑)。それでまた6-8時間の警護活動が始まるというのです。それは馬鹿げたことでした。

しかしそれが悪の本質であって、彼らはお互いに共謀し協力し合って悪事を働き、だまして搾取するのです。お父様はこれに気づいておられないわけではありませんでした。彼らの本質を知っていたのです。しかし、お父様は神様と全く同じようにサタンも使われたのです。

最終的にお父様は自分のなさっていることが分かっておられました。韓お母様が裏切ることを知っていたのです。詐欺師たちが完全に正体を現すように仕掛けていたのです。彼らは3、4年のうちに詐欺を働いていました。

しかし負債の不均衡があり、神様に支払われるべき正義の負債を償い、神聖な名誉に対する損害を賠償するために、人として人のために実行する永遠の偉大さを持つ存在のためにその負債を賠償する唯一の方法として宇宙の中でそれが作られています。

お父様の苦難の蕩減の路程を見たとき、それはすなわち神聖な名誉を復帰しようとする路程であり、神様の神聖な名誉に対する損害を取り除こうとする路程であるということなのです。それによって刺激を、真のお父様の力強い意志を感じさせるような最適なニュアンスが与えられるのではないでしょうか。

確かにお父様は人類を救いたいと思っておられますし、堕落してしまった者たちを救いたいと思っておられますし、神様に対して犯罪を犯した者たちを救いたいと思っておられます。しかしそれに加えて、お父様は数え切れないほどこれについて繰り返して語られ、もちろん恨みも苦痛も憤りもない神様との関係性を復帰しようとしていましたが、それだけでなく、神様が傷つけられた神聖な名誉、すべての天使たちと被造世界の前の偉大な名誉もそうだというのです。

これらの天使たちは神様と共にすべてのものを創造するために働きました。あらゆるもの、数学と方程式といったすべてのもの、宇宙を作りました。神様は自分の姿に似せた存在を創造しようと言われ、彼らが成長して素晴らしい存在になって王国を支配し、君たちも支配するのだと天使長に語りました。すると彼は、それがあまり気に入らない、いい考えではないと言ったのです。神様が人間を創造すると、「この愚か者たちが我々を支配する?そんな馬鹿な。あの馬鹿は湖で飛び跳ねてカエルを捕まえているのに。彼らは我々を支配できない。我々は空を飛べるし、あれもこれもできるし、翼をはためかせて交響楽を奏でさせることもできる。あの男は能無しだ。彼は汚れて木の周りで遊んでいる。彼は狩りや釣りに忙しい」と言ったのです。

「いやいや、待ちなさい。あれは私の子供だ。彼は支配するし、立派にやるだろう」(神様の言葉)

天使長の立場から考えてみてください。「神様は狂っている!我々は彼のために宇宙を支配しなければならない。我々は哀れみ深く賢いので神様のためにそうしなければならない」

見てください。その負債を賠償する唯一の方法。神聖な名誉に対する損害。アダムとエバが堕落したとき、天使長は「この人たちは何にもなりません。あなたを悪くみせます。この愚か者たちはだめです。私たちのほうがずっと良いのになぜ彼らに与えるのですか。そして彼らは堕落しました」と言うのです。

この絶え間ない長広舌の非難。「神様は彼らがとても立派になると言ったのではないですか。私は彼らが立派になると聞きましたが」といったようなことです。もちろんこれは普通の人に対してではなくて、その役立たずの者を創造した、そのAI-天使長を創造した完璧な宇宙の創造者に対してのものです。彼らはまさにそのようなAIのようなものではないでしょうか。彼らは私たちよりも早く計算も数学もできますが、結局悪になり、まるでAIのように私たちを排除したいと思っています。そこには同じ精神があります。

西洋では多くの東洋の国があるために変わりました。他国民がやってきて・・・彼らにとっては家族の名誉が非常に大きいのです。西洋では個人主義などのためにそれはあまり重要ではありません。インドから来たシーク教徒の家族に会ったり、アジアの日本人、韓国人、中国人に会ったりしてみれば、彼らはもっとそのような傾向があります。家族の名誉を汚さないことが非常に大きな問題なのです。

ここで神様の名誉について考えてみると、非常にたくさんの投入があります。何百万年という歳月を考えてみるなら、もしかしたら神様の心の中で熟慮することがあったかもしれません。「この愚かな者たちに自由意思を与えるべきだろうか。もしそうしたら彼らはめちゃくちゃにしてしまうかもしれない。もしかしたら彼らをロボットのように作るべきかもしれない。彼らを天使長のようにすべきかもしれない」と。

重要な点は、神様がそれについて考えて非常に大きな選択を、重大な決断を下したということです。宇宙の完全な道徳律の中で神様は重大な決断をしました。それはつまり、彼らを似姿の子供として残し、自由意思を持たせて神様か神様からすべてを盗んだ者であるサタンのどちらかを選択させるということです。

お父様が神様の恨について語られるとき、サタンの讒訴について話されています。私たちがお父様にもたらされる恥という文脈を心に留めておかなければ・・・お父様が非常にたくさん投入されたこと、自分の持てるものをすべて与えて、子供たちは立派になると公的に宣言され、そして彼らはすべて失敗しています。それはお父様の名誉にとって非常に大きな問題です。

劉先生と話しました。人々は私たちにお母様を救わなければならないと言います。私たちはお母様と同調しないことによって彼女を救ったのだと彼らに言いました。カインとアベルが彼女と一緒に行かなかったので、彼女が帰って来る道があるのです。真の母としてではなく、私たちの子供たちのおばあさんとして帰って来るということです。

私たちがそうしておらずにこのばかげた異端に同調していたなら・・・それはこの3、4年で誰もが分かったようにひどい異端なのです。家庭詐欺連合の人々も、「今のお母様は好きではない」と言うのです。全く非原理的なことを言っているのです。

その短い期間で彼らはその異端の本質を既に見てきたのです。私たちが何年も前に言ったように、女神信仰は必ず女性の搾取に結びつきます。権限の付与ではありません。そのように受け入れさせられますが、若い女性の搾取へと結びつきます。なぜなら、女神が崇拝の対象となるや否や・・・。その女神は今、父の神と競争しているのですが、女神はあることを自由市場に提供できます。あらゆる他の異教の神々と競争する中で、彼女はセックスを提供できるというのです。

ですから女神信仰は常に多産と若さを中心としており、大きな胸と尻、裸の女性が常に多産の中心です。あなたを愛する女神の愛の性質が、あらゆる豊かさと多産の祝福を与えるというのです。

それが現実の世界で時代を超えてどのように実現したでしょうか。あらゆる文明で絶えずそれは同じように女性を売ることに結びつくのです。神殿娼婦に結びつき、「あなたの娘を捧げなさい。そうすれば家族の大きな栄光となります」と告げるばかげた祭司を、狂った市民が信じるようになるのです。アシュラでもイシュタルでも、アフロディーテでもビーナスでも何であっても、彼女がその女神を代表するのだと言って。それは皆同じく愚かなことです。ヒンズーのヤラマでも同じです。

そして男はその神殿娼婦を得るために大金を払います。それはビジネスなのです。ですから神様は父です。OSDP(原理本体論)でもはっきりしています。神様はそれが好きではありません。なぜなら良い父親が皆そうであるように、自分の娘がレイプされ売春婦として売られるのを見たくないからです。

例えば審判が無いとしてそこには何もありませんでした。家庭詐欺連合が導こうとする軌道は、お分かりのように既に彼らの言うところの祝福を見つめさせようとしています。ばかげたことです。上層部のリーダーたちは皆100パーセント左翼の狂った相対主義者です。彼らは原理など屑同然だと考えています。あとどれくらいでリーダーたちが幼い子供搾取するに至るまで堕落してしまうでしょうか。正に悪魔崇拝そのものへと。

「イエスが聖句で述べている賠償金とは、父に対してのみ支払われる負債のための犠牲となるでしょう」
もう一度言いますが、サタンに支払われるのではなくお父様に支払われるということです。

劉先生が立ち上がってくれたことを本当に称賛したいと思います。彼は韓国でやっていましたが、(米国)サンクチュアリに初めて来て、今回公に人々か彼に会います。國進兄さんや私とも。彼はこれに対して多くの非難を受けるでしょうが、彼の決心は堅いものです。彼はこの控室に来たとき、私が真のお父様、天地の王の王から命じられたように、喜んでOSDP(原理本体論)を六大陸で講義するつもりだと言いました。

ですからこの「不正な」教材が世界の各地で広まることになるでしょう。良心を持ち、神様のみ言葉を聞くことを渇望するすべての兄弟姉妹達は、変わるかもしれません。神様のみ言は(人を)変えるのです。翻訳チームのアンドリュー・ラウズバーグとティム・エルダーに拍手を送りましょう。素晴らしい仕事でした。王国の愛国者たちが皆ここに集まっています。

天聖経72ページ(英語版)を読みましょう。

自分勝手にする神様ではありません。法を立てたならば、永遠なる方が制定した法は永遠のものです。自分が立てたものを自分勝手にしないのです。
それに順応して越えていこうとするその神様の権威、それが驚くべきことなのです。公義を立てるにおいては、すべて天理の原則にかなう公法を立てるにおいては、絶対に神様がまず踏んで越えていったのちに、万民が従うようになっていて、宇宙が従うようになっているのであって、それを2番目にすることはできないのです。そのような人間創造の理想的基準があるのです。

今日の日に神様に栄光を捧げ、神様が私たちをサタンから解放させて、神様との心情関係を復帰するために支払わなければならなかったものについてじっくりと考えましょう。

翻訳:BAMBOOS
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注:OSDPはOriginal Substantial Divine Principle(原理本体論)の略称

キリスト教徒は神の心情が分からない、それは本当か-7月16日英語説教日本語訳「適正な秩序の王国」(その2)

Kingdom of Proper Order July 16 2017 Rev. Hyung Jin Moon Unification Sanctuary Newfoundland PA on Vimeo

Kingdom of Proper Order 

適正な秩序の王国

原始教会では人々のためにイエス様が受けた苦難は、サタンに対する「支払い」だと考えられていたのです。サタンへの代償、「死」への代償と。聖句の3行目を見てください。アダムとエバは堕落によって文字通り悪魔に人間を売り渡した。基本的に売り渡したのです。
堕落して神様から離れた結果、未来への血統、未来の文明、人類の未来などすべてをサタンに捧げ、売り渡したというのです。そして現在、サタンが全人類にたいする所有権をもっています。

その結果、「正義」はわれわれをサタンの所有から解放させるためには神様はサタンに「身代金」を支払わなければならない。人間が未熟だから、またサタンに人類を売ったという信じられない犯罪を到底自ら支払う手立てがないのです。だから神様が歴史に現れて、介入されて、しかも肉体をもった姿で人間として現れるというのです。堕落が肉的だったので、神様も肉体をもって。地上の神の国という文明が、その実体が(サタンに)売り払われたのですから。だからこそ神様は、肉体をもって介入されるのです。なぜなら、王国は現実に建設されるべきだからです。だからこの見方によると、支払いを受けたのはサタン、であり「(霊的)死」そのものが身代金を受け取った。この説と似ているものに「受取人は神だ」というものもあります。これによって堕落の結果、人類の魂に対する負債が解消された、満たされたというのです。ある意味、懲罰がなされたとみるのです。壊されたものが修復された。ここで「満たされた」という言葉の意味はそういうことです。罪の結果として人類の魂がかかえた負債は解消した。面白い考え方です。こちらを見てください。

神様がキリストを代賞とサタンが受け取るように策を仕掛けられた。神様が悪魔に一杯食わせて、神の子であるイエス様を、人類を悪魔に売るという罪の身代金として受け入れさせた。しかしサタンはキリストが「死」に支配される方ではないということを悟らなかった。墓から蘇られるお方です。死んだからと言って終わる方ではないのです。しかしひとたびサタンが「身代金」としてキリストの死を受け取ったなら、「正義」はなるのです、たとえサタンが策に引っ掛かっただけだとしても!たとえ霊界にいたとしてもイエス様が摂理を前進させ、「正義」は成就され神様は人類をサタンから解放することができた。ここでいう救いはあくまでも霊的救いです。まさにこの点を、私たちが成約時代の観点からキリスト教徒を一段下に見てきた点でした、「あなた方はまだ完全に救いを受けてはいない」こう言って。だから私たちはこういう思い込みを持っていました。
「キリスト教徒は救われていないが、われわれは救われた」。
しかし原理の観点から見て必ずしもそれは正しくありません。キリスト教徒は霊的救いを受けています。救われているのです。異教徒のように霊肉共に救いを受けない者たちとは異なります。キリスト教とは霊的救いを受けているのです。異教の儒教や仏教の背景をもった、多くの(韓国の)長老からある文化が生じました。だから自然に理解できないことだったのです。しかし現実に、(統一教会は)キリスト教やキリスト教徒をさげすむような文化をもちました。しかし彼らはわれわれの信者仲間であるだけでなく、救いを受けた者達なのです。しかも同じ唯一真の神様に仕えています。

とても大事なことです。「キリスト教徒は、神様の苦難を分かっていない」と(教会内で)話すのをしょっちゅう耳にしました。しかしキリスト教徒が、キリストの受難についてのキリスト教神学を語るときの心情は、すべて神の苦難を思い語っているではないですか。

イエス様が十字架に向かい、十字架を背負い、十字架に釘付けにされる。そして神様に「どうして私を見捨てられるのですか」と叫ばれる。これらすべては神様の受難ではないですか。キリストの受難(The Passion)とは文字通り「苦難」を意味します。

ここでみる原始教会の見方の要点はこの「支払い」はサタンへの支払いだということです。サタンが人類に対する所有権を握っているのだから、当然「支払い」を受けるべきだと。そしてこれこそ、世界文明を築き、世界を導くキリスト教の全活動の根底に流れるものです。こうして新しい神中心の愛と倫理が生まれたのです、そしてそれがいま、女性や子供を守っているのです。これが人類を抑圧から解放し、霊界のサタンから解放する願いの基礎だというのです。地上ではサタンに支配された人間が抑圧をおこなっています。サタンから人類を解放するすべての願いは、この「サタンから人類を解放するために神は何を為されるべきか」という初期の思索に結びついているのです。この思想は数百年の時間の経過とともに幾度となく再検討されました。興味深いことに、11世紀から13世紀まで、トマス・アクィナスなどの人びとがさらに深い思索を重ねこれを検討しました。しかしいつも結論はそれまでのカトリック教会のものと同じでした。皆さんも見たことがあるでしょう。トマス・アクィナスなど修道士の絵を。実際、トマス・アクィナスはドミニコ会の修道士でした。この贖罪充足説(The satisfaction theory of atonement )についての彼らの検討は非常に深いものでした。しかし結論は結局、社会学的結論、つまり「それゆえに中央集権的カトリック教会が核心的に重要であり、それ(カトリック)こそ地上天国だ」というものでした。その時点から天使長的であったと考えられるのです。だから権力ピラミッドの頂点に君臨するカトリック教会はトマス・アクィナスをとても持ち上げるのです。アクィナスに聖人の位を与えドミニコ会修道士を一番に持ってくるのです、つまり彼らの神学をカトリックは愛しているのです。トマス・アクィナスが神の受難に関して、キリストの行動に関して真摯に思索していたとしてもカトリック教会にとっては関係ないのです。

またアクィナスの前に、カンタベリーのアンセルムス(生年1033年)がいます。キリスト教弁証学を学ぶとわかりますが、神の存在に関して存在論的議論を加えた人です。これはしばしば無神論者との討論で用いられます。彼はカンタベリーの司教でもありました。またこの贖罪充足説(The satisfaction theory of atonement )は彼が初めて唱えました。

ここでは「満たされる(gratification)」ではなく、損害賠償を「満たす(satisfaction)」ことが問題とされます。壊されたものは弁償し、奪われたものには支払うという考え方です。神様は正義の神なので、正義に対する侮辱は償わなければならないというものです。神様は公平で平等なお方なので神様の正義を侵すとき、公正に対する侵害、正義に対する侵害、平等に対する侵害、等々は償う必要がある。これは不正義に対するバランスをとるという法的な考え方にも関連しています。これによると罪、特にアダム、エバの罪は、主権を売り渡したということ、ここで主権というものは非常に大切なものであることを強調しておきますが、これは同時に、法的な考え方、つまり犯罪があったので正義の回復のためそれは償われなければならない。だからここにいる人もインターネットを見ている人も、サイコパスでない限り、「その悪(ワル)は許してやれ」などと言うことはできないのです。そのような国には正義が存在しません。それゆえ、正義は犯罪に対して償いを要求するというのです。法的バランスの問題です。ここでカンタベリーのアンセルムスについて見ることにしましょう。彼の代償理論です。

アンセルムスによれば、われわれは神の「名誉」に対して負債を追っているといいます。彼が、犯罪には償いが必要だということを理解していることを示しています。アンセルムスの観点によると私たちは「名誉ある神に恥辱をもたらした」というのです。神様は真に名誉あるお方です。誉(ほまれ)と尊敬と称賛に値するお方だというのです。われわれの罪、犯罪によって、それは罰せられなければならないと同時に、さらに一歩進んで、その行為によって神様に不名誉をもたらしたとするのです。つまり私たちは犯罪により償わなければならないのはもちろん、その上に、称賛されるべきお方に対して不名誉をもたらしたという犯罪を行った事実があるというのです。分かりますか。

だからこれは単なる、支払い、未支払いの問題、犯罪と刑罰の問題ではないのです。その上位に神様の心情を観なければならないというのです。神様は恥辱を与えられ、深く貶められたのです。深い深い傷を負ったのです。これは人間と天使が神様に対して負った負債であり、この負債を償却しないものは罪とを負い、これを償却する者は罪を免れる。これは義、あるいはみ旨の正しさであり、これが人の心を正しくさせ、正義をもたらす。これが、私たちが神に負う、神の名誉に対する完全で唯一の負債である。そして神はそれをわれらに求める。この負債を神に返すことができなかったので、本来の正義を回復するには不十分であり、神の名誉に対する罪(その負債)も満たされなければなりません。

だから自分の娘を殺した人間が「自分は20年の刑期を終えた」というだけでは、あるいはその代償を支払うだけでは済まないのです。その関係において再び調和を取り戻すためには、代償だけでは十分ではありません。悔い改めて面と向かって「申し訳ありません」と言って許しを求めることができなければならないのです。例えば誰かが自分の家族に対して犯罪を行なうとき、仮に家の一部を壊されたとしましょう。あなたは訴え、その弁償として200万円受け取ったとしましょう。しかしその過程で、心理的ストレスなど他の損害を受けています。例えばそのせいで離婚したり・・・。その犯罪によって派生した問題を抱えたりすることがある。その犯罪だけに限定されるものではありません。      

つづく

翻訳:管理人
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