2016年4月24日説教「逆さの王国」【英語説教日本語訳】全文

The Upside Down Kingdom   April 24  2016   Rev. Hyung Jin Moon   logo Unification Sanctuary Newfoundland PA on VimeoThe Upside Down Kingdom  Rev. Hyung Jin Moon  April 24th  2016 on Vimeo

イエス様は「天国では誰が一番偉いのですか」と質問されました。すると幼い子どもを呼びます。その子供はそれにこたえて素直にやって来ます。そこでその子を真ん中に立たせるのです。この子供はキリストに対し素直であるだけでなく従順であることがわかります。

天一国憲法前文および最初の条文では神様と主体である夫と対象である妻という神様の創造の計画に対し感謝を捧げています。憲法の中で再臨主に感謝を表しているのです。その根があってこそ自由を享受することができ、王国が豊かになるのです。

天一国憲法の下にあるとき、神様が与える保護と人権、政府の制限と国民の保護ゆえに御前に従順になります。これらすべては神様の愛と血統からもたらされるものです。

天国の王権は神様の種によってもたらされ、キリストの千年王国はそこから始まるのです。

ところでイエス様が幼子を呼び寄せると、その子は従順に従いました。イエス様はそこで、「幼子のように自分を低くしなければならない」と言います。ここで多くの人は神様の前にへりくだることは謙遜に振る舞うことだと思っているのですが、神様の前に謙遜であることは時にサタンに対して粗野であることを意味します。神様に従順であるためには時に自分と家族を抑圧するサタンに対して攻撃的で厄介な存在であることも必要なのです。そのような悪の勢力にとって危険な相手になることも必要です。

ところが私たちはこれを相対主義的な独り善がりの哲学で納得しがちです。
神様の前に謙遜であるために自分はすべての人にとって良い人にならなければならないという風に考えるのです。自分を犯そうとする者に対して良い人であっていい訳がありません。

そのような時は、顔を殴りつけ、眼を突き、その急所を50回位捩じ上げる(笑)、また柔術の業で締め上げるなど、ありとあらゆることをして自分と自分の宮を守らなければなりません。自分に危害を加えるものに親切に語る必要などないのです。

誤解してはならないのは子供はどんな時でも例外なく謙遜である必要はないということです。キリストに対して謙遜であれというのです。ここがポイントです。

天一国ではその全法体系、統治システムは神様の承諾と神様から与えられた自由と恩恵の賜物です。そのすべては神様の贈り物であり愛であるというのです。私たちが主権を与えられて暮らす自由で豊かな国は神様と再臨主の賜物であるということです。神様の愛によって一つに束ねられているのです。

「わたしを信ずるこれらの小さい者」の「わたしを信ずる」が重要です。天一国の祝福された幼き者は神様のみ前に従順であり神様を愛し尊敬し、なおかつ自分がどこから来たのかを知り神様を信ずるものであるということです。

18:7この世は、罪の誘惑があるから、わざわいである。罪の誘惑は必ず来る。しかし、それをきたらせる人は、わざわいである。 18:8もしあなたの片手または片足が、罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。両手、両足がそろったままで、永遠の火に投げ込まれるよりは、片手、片足になって命に入る方がよい。 18:9もしあなたの片目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。両眼がそろったままで地獄の火に投げ入れられるよりは、片目になって命に入る方がよい。

いままで私たちはこの聖句を個人的レベルで解釈してきました。イエス様は文字通り腕や足を切れとおっしゃっているのではないであろうが、罪の誘惑からしっかりガードしなければならないと。

この「罪の誘惑」「つまずかせる」(英語ではoffend)の原語はギリシャ語のスカンダリツォ(σκανδαλίζω)であり、字義どおりに訳せば「わなを仕掛ける」という意味です。

わたしを信ずるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる(スカンダリツォ)者は、大きなひきうすを首にかけられて海の深みに沈められる方が、その人の益になる。

現代のこのoffendの用法には「怒らせる」という意味がありますがリベラルな人々は何でもかんでも「怒らせ」られます。お父さん、お母さんという言葉ですら彼らを怒らせるのです。パートナー1、パートナー2と呼べば彼らは納得するのでしょう。冗談ではありません。何に関してもこういうことを言うのです。

教育の場でも男子、女子という性別を分けて呼ぶことに対しても社会的な枠組みにはめていると反発するのです。これは良い悪いではなく単なる区別です。

ともかくスカンダリツォの意味は「わなを仕掛ける」「つまづかせる」というものです。ですから聖句で「罪の誘惑」と訳されている部分は「わなを仕掛けられた」と解釈できるのです。

18:6しかし、わたしを信ずるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海の深みに沈められる方が、その人の益になる。

ですから上の聖句では「小さい者のひとりをつまずかせる者」というより「小さい者ひとりにわなを仕掛ける者」としたほうが分かりやすいのかもしれません。「子供達を破滅に導く」という意味です。

これらのことを天一国憲法、千年王国の観点から見ればイエス様がここでいう「小さい者」は天一国国民と言えるでしょう。

ではその「小さい者」にわなを仕掛け、むしろ「大きなひきうすを首にかけられて海の深みに沈められる方が」まだましだと言及されている対象は何を意味しているのでしょうか。個人レベルを離れて国家レベルで考えましょう。わなを仕掛けて国を支配しようとするものは何でしょうか。天使長的マモンです。

イエス様は「神様とマモンの両方に使えることはできない」とおっしゃいました。信仰と拝金主義は両立しないということです。しかしこの世界では金を支配する機関が大きな力をもつのです。

巨大金融機関があらゆる形で社会主義的、共産主義的中央権力を支持するのを目にしてきました。それが寡頭制であれ何であれ自分たちが利益になると判断すれば彼等は支援するのです。現代女性運動、フェミニズムも社会をどの方向に導くのかと言えばより大きな政府へと導いていくのです。その仕組みは単純です。その点ではイスラム法もスルタン(イスラム世界における君主号)などによる独裁に導く傾向を持ちます。 つづく

要するにフェミニズムであれ、共産主義、社会主義、寡頭政治であれ独裁制に繋がらざるを得ないのです。イスラム法もその傾向をもつのです。今述べたような社会思想はどれも「大きな政府」を志向するものです。そしてその「大きな政府」は巨大銀行をそのパートナーに迎えるのです。このようにして現実社会は回っているのです。

巨大な私的銀行団が大きな政府を支え、その政府は大企業とマスメディアの後ろ盾になる。そしてそれらは巨大銀行にまたつながる。こういう大きな輪を描いているということです。

それらは何も知らずに誠実に生きている国民を罠にかけるのです。社会主義的システムが天一国の市民にとっての罠となるのです。この「大きな政府」を志向する思想は若い世代、子供達に罠をもって迫ってくることをくれぐれも忘れないで下さい。中央で一律管理する教育という罠です。これをもって強制的に社会主義、共産主義的思想を学ばせようとするのです。

アメリカ国民も「民主社会主義」と聞くと「社会主義ではないのだ」と安心するのです。もうそれは脳死状態に陥っているとしかいう他ありません。民主党の大統領候補者は公然と「自分は民主社会主義者だ」といっています。それに若者が歓声をあげているのです。

イエス様が幼子に望むことはどのような内容でしょう。天使長的な大きな組織・機関に奴隷のように仕えることを願われると思いますか。ありえません。

神様の立場であるイエス様が願われることは、喜びと栄光を返すことはもちろんのこと、それぞれに与えられた才能を開花させ、異なる個性に応じて与えられた才能と祝福、創造性、革新精神を発揮して人々を助け、為に生きる世界を現出することです。神様との誓約のもと正しい結婚をして自由の子供を産み育て、自由と責任を次の世代に伝える。

創造主ならばどちらを願うと思いますか。子女が天使長のようなカルテルの主管を受けるのか自立して横とのつながりを築き正しい結婚をして、四位基台の家庭を築いて社会に貢献していくのか。愛の創造主がどちらを願うのかは明らかだというのです。

世界は今、神様の王国ですか、サタンの王国ですか。イエス様は「この世は、罪の誘惑があるから、わざわいである」と嘆かれたのです。

社会において、人々がその自由と責任を自覚しそれを守ろうとしなければどうなると思いますか。罠に嵌(はま)ります。ありとあらゆる政治運動の名をもって罠に引っ掛けようとするのです。そういう運動に関わる時はよくその要綱を調べなければなりません。
今流行りだからといって乗っかってはいけません。それは愚かなことです。結局、社会主義的な独裁に引っ張って行かれることはないのか、そういう罠がないか客観的にその運動を見なければなりません。その罠は文明を滅ぼします。

18:8もしあなたの片手または片足が、罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。両手、両足がそろったままで、永遠の火に投げ込まれるよりは、片手、片足になって命に入る方がよい。

これらの聖句は個人的問題を宣べているようですが、政治、経済、芸術などあらゆる活動をする国家のレベルで見る時どうでしょうか。イエス様は「『御国が来ますように』と毎日祈りなさい」と言われました。これを毎日祈っている人はいますか?

あなたの片手または片足が、罪を犯させる(罠を仕掛ける)なら、それを切って捨てなさい。もしあなたの片目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。そうしないと地獄の火に投げ入れられるというのです。

これを「自由と責任」対「その他独裁に通じるイデオロギー」という観点で見てみましょう。私たちは成長期にありとあらゆる方向からプロパガンダを吹き込まれます。すこしテレビをつけて見ればどれほどプロパガンダに溢れているか分かるでしょう。大統領は立派だ。政府は正しい。国の教育や教師がいかに優れているか。実際には教師が無神論者である割合は通常の五倍です。社会主義者、共産主義者も多いのです。大学の教師は一般アメリカ国民を代表すると思ってはいけないのです。

そこに影響を受ける時私たちは罠に嵌るのです。そして他の人達をもサタン側に引っ張っていくことになります。なぜなら自分は大学で偉大な教育者から教育を受けたエリートだと思い込んでしまうからです。そして他人を支配しようとする。もし全身がそういう風に染まっていくとするならば分別しなければなりません。その道は人を引き連れて地獄に行く道だからです。

エリートにとってみれば人々は僕に過ぎないのです。好きにできるのです。ですからそういう影響を受けたのなら分別しなければならないのです。さもないと他の人々を罠にはめることになります。

キューバの社会主義もその昔、天国を約束していました。南米のベネズエラでも完全に腐敗しきっています。国民は自分の身を護ることもできず生き地獄のような状態が続いています。貧しい国民がいる一方でエリート層は宮殿でボディガードに警護され優雅に暮らしています。

人類の歴史は奴隷の歴史でした。独裁者の足の下に虐げられてきた歴史だというのです。解放の自由の国を熱望してきたのです。一般の人々が自由を享受できる国を。悪なる人々、悪なる支配者、悪なる独裁者からの自由を求めてきたというのです。行動の自由だけではなく悪からの自由です。

天一国国民はすでに王国の意識を持っています。
実体の王国はまだありませんが法律はすでにあります。王国の思考形式をすでに持っているというのです。それに基づいて善悪を分別します。私たちは「からし種」を持っています。多くの人が見抜くことができないことも私たちは見抜くことができるのです。生地の深いところに埋まったイースト菌はパン全体を大きく膨らませることができるからです。

マタイ13章
18:23それだから、天国は王が僕たちと決算をするようなものだ。 18:24決算が始まると、一万タラントの負債のある者が、王のところに連れられてきた。 18:25しかし、返せなかったので、主人は、その人自身とその妻子と持ち物全部とを売って返すように命じた。 18:26そこで、この僕はひれ伏して哀願した、『どうぞお待ちください。全部お返しいたしますから』。 18:27僕の主人はあわれに思って、彼をゆるし、その負債を免じてやった。18:28その僕が出て行くと、百デナリを貸しているひとりの仲間に出会い、彼をつかまえ、首をしめて『借金を返せ』と言った。 18:29そこでこの仲間はひれ伏し、『どうか待ってくれ。返すから』と言って頼んだ。 18:30しかし承知せずに、その人をひっぱって行って、借金を返すまで獄に入れた。 18:31その人の仲間たちは、この様子を見て、非常に心をいため、行ってそのことをのこらず主人に話した。 18:32そこでこの主人は彼を呼びつけて言った、『悪い僕、わたしに願ったからこそ、あの負債を全部ゆるしてやったのだ。 18:33わたしがあわれんでやったように、あの仲間をあわれんでやるべきではなかったか』。 18:34そして主人は立腹して、負債全部を返してしまうまで、彼を獄吏に引きわたした。 18:35あなたがためいめいも、もし心から兄弟をゆるさないならば、わたしの天の父もまたあなたがたに対して、そのようになさるであろう」。

この聖句はイエス様が「許し」の観点から述べられたものでした。ペテロがこう問います。「この者は私に嘘ばかりつくのですが、7回まで許すべきでしょうか」。イエス様はこれに「7回の70倍までも許しなさい」と答えます。そうしたやり取り中でこの聖句が出てきます。

イエス様はここでまた王を例えに用いていますが、当時のユダヤの状況は「長成級」の世界とはほど遠いものでした。

天一国ではキリストと共に共同相続し統治するのです。天一国民は歴史的に王様だけが持つことができた権利を所有します。国民もその領地をもち主権を有します。そして外部からそこに税を課するものはありません。そして自分の王国を守る手段を持つのです。そこが重要です。人権条項の2番目です。天一国は多くの王からなる王国なのです。

天一国はひとりの王がいて、そこに貴族がいて国民はそれらに仕えるというものではないのです。それはこれまでのサタン世界の王国です。神様の王国はそれとは180度反対の王国だということです、全く逆転したものなのです。

天一国には多くの王がいますが、王の王が存在します。王が建てた王権と法律があり、その王権が法を守ります。わかりますか。では天一国の王とは何でしょうか。王は国民だというのです。お父様が「我々は百姓(ぺクソン:農民ではなく一般民衆の意)にならなければならない」とよくおっしゃいました。教会員ではなく市民です。

今までの王国では王と言えば権力の独占者でしたが、神様の王国では王はその国民であるというのです。では天一国の僕とは誰のことを言うのでしょう。

天一国にはもちろん議会もあれば上院議員も存在します。政府の役人もいるのです。選挙で選ばれた大統領も役人も存在します。また地方にも政府があります。

天一国の僕とは政府および政府で働く者をいうのです。市民が役人に監視されるのではなく、市民が監視するのです。冗談ではありません。アメリカやその他の国で政府がいかに監視を行っているか知っていますね。天一国ではこれが逆にならなければなりません。市民が公僕を監視するのです。公正に法律を成立させているのか、市民に正しく仕えているのか、これを監視するのです。

公務者は市民に負債を負うということです。

「それだから、天国は王が僕たちと決算をするようなものだ。決算が始まると、一万タラントの負債のある者が、王のところに連れられてきた。」

市民が政府の役人と決算をするのです。そして、負債のある役人は王のもとに連れてこられます。そこで市民はその僕に「この悪い僕よ」と断罪します。長成級完成期の姿がまさにこれだというのです。これがアジアやヨーロッパの普通の人々をどれほど驚かせるでしょうか。これまでの文化には存在しなかったのです。役人の前に腰をかがめてきたのです。

『悪い僕、わたしに願ったからこそ、あの負債を全部ゆるしてやったのだ。 18:33わたしがあわれんでやったように、あの仲間をあわれんでやるべきではなかったか』。 18:34そして主人は立腹して、負債全部を返してしまうまで、彼を獄吏に引きわたした。

ここでいう獄吏とは法の執行者です。天一国では悪事を行った役人は官僚機構の中に隠れることはできません。地方の国民に対して説明責任を負うのです。地方は地方で管轄権を持っています。それが肩越しに凌駕されることはありません。ですから悪事を行った役人が地方の司法引き渡され、詐欺などで有罪と判断されるとそこで処罰されるのです。

国民の権力を理解することができますか。国民が天一国の王であり主権者であるというのです。まさに上下逆さまの王国です。長成期のアメリカはまさにこれでした。しかし今はそうではありません。完成級に上がることができなかったのです。アメリカは当初、奴隷制をいう罪を背負っていました。そこで始まったのが修正のプロセスです。

もちろんリンカーン大統領のような人物も登場しましたが南北戦争のあとリンカーンも中央に権力を集めました。そしてその後1913年には連邦準備制度理事会が設立されました。それはマルクスの綱領の一つである中央銀行の設立です。そこからマルクス主義の道を歩み始めたのです。憲法修正条項の導入がはじまったこの過程がお判りでしょうか。
人類史上見たこともない、あらゆる機会が与えられていた長成期のアメリカが崩れました。

天一国憲法および神様の観点から見る時、イエス様の神の国に関するみ言が真に迫って来ます。それは実体をもつようになるでしょう。

ここでお父様の天聖教を見てみましょう。

天聖教722(英語版)
メシヤが王権を代表するのです。その国では、すべての聖徒たちが再臨して、キリストの名で王の役割をするのです。ですから、これは氏族的王権になるのです。そのようになれば、国家的世界の版図圏に、王権が同参できる解放圏になるのです。

ここでいう聖徒たちとは誰を指しますか。メシヤを信じる者です。そして聖徒たちがどうするのですか。僕として侍るのですか。いいえ、「キリストの名で王の役割をする」のです。そしてそれが氏族的王権になります。国民が「王」だというのです。

「そのようになれば、国家的世界の版図圏に、王権が同参できる解放圏になるのです。」

皆さん、み言は強力です。悪魔はこのみ言を見せたくないでしょう。

天聖教799(英語版)
アダムとエバを実体としてつくっておいたのは、神の国の民を繁殖するためなのです。天国の息子、娘です。

国民が国の王、相続者になるというのです。偽りによってつくられた社会主義、共産主義、寡頭政治の抑圧の循環システムではありません。

今、最後の終末、審判の時代を迎えていますが、終末は「世界の終末」を意味するというよりは「この世の支配者の終焉」を意味します。艱難や苦難はもちろん避けられないでしょう、私たちはそれに対して備えをしなければなりません。それは事実です。

しかしトンネルの先には別の世界、来るべき王国が開けることを知って、審判を超えていく知恵と力を持たなければなりません。来るべき王国がどのようなものなのかは天一国憲法から窺い知ることができます。その世界が地上に到来する様子を目の当たりにすることでしょう。  
 
 
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パシセラ氏(マーク佐野)について

以前、統一教会ブログ村で長く人気を保っていたブログ「パシセラのブログ」に関して予備知識がない方も多いと思う。佐野氏に対して反論を練っている方もいると想像するがまずは彼の思考様式のコンテクストを周知するため、過去に統一ブログ村で掲載されたパシセラ氏関連の記事を主にブログ「火の粉を払え」、「火に油を注げ」から引用させていただく。参考になれば幸いです。記事を転載させて頂いた米本氏と鞍馬天狗氏に感謝いたします。

 

顕進様の顔に泥を塗る者、顔を立てる者   「火に油を注げ」より

とうとうINポイントでも小生に追い抜かれた「パシセラ (Paci-fi-Cera) のブログ」であるが、正直言って毎回記事がウザい。

文亨進元世界会長との接点
●引用開始
統一教会にあまり関係ない事を書くことも多い私のブログが上位にあって、申し訳ないですが、統一教会は凋落の一途を行っている、つまり、統一教会は神様の摂理と関係がなくなっている、と感じています。

統一教会本部で、毎日のように、文亨進元会長に対する対策会議をしても、それが世界と何の関係があるのでしょうか?

世界で起きている過激な宗教の起こす問題や、韓半島の問題や、様々な事態と何の関係があるのでしょうか?

以前にも書きましたが、文顕進理事長は、統一教会とも関係なく、清平とも関係なく、分派とも関係ありません。
●引用終了
「統一教会にあまり関係ない事を書く」ブログを、なぜブログ村統一教会に登録しているのだ? 「文顕進理事長は、統一教会とも関係なく」と言いながら、なぜブログ村統一教会で執拗にブログを更新しつづけるのだ。矛盾している。矛盾した存在は破滅すると原理講論にも書いてある。

原理講論・総序
●引用開始
存在するものが、いかなるものであっても、それ自体の内部に矛盾性をもつようになれば、破壊されざるを得ない。
●引用終了
つまり、パシセラ氏のブログがブログ村統一教会に存在することは破滅状態である、ということが正しい原理的解釈である。

統一教会と関係ないと連呼しながらも、ブログ村統一教会に登録し、「私のブログが上位にあって、申し訳ない」と謙遜的傲慢に書く。だから、彼のブログを開くと、PC画面がものすごく臭い。臭いだけではなく、こんな声も聞こえる。

「おまえら、いつまで腐った教会にしがみついてんだよ。お父様の願いを果たすのはこっちなんだよ。早く目を覚ませよ。だけど、俺は勧誘しないよ。俺はそもそも腐った統一教会と関係ないんだよ。来たけりゃ、そっちからお願いしてこいよ」

まあ、オナニーレベルで自慰色が、もとい自意識が過剰なのである。単なるシコシコ自己満足ブログに過ぎない。

そうではないというのならば、もっともっと顕進様の理念や活動を大々的にアピールするべきである。顕進様は、平和運動でいろんな実績を収めていると聞く。そういうものを大々的に紹介してほしい。教会からごっそりとお金を持っていったんだから、そのお金の大部分を捧げた日本食口に、お金の使い道を説明する義務がある。

それで、自分たちの献金がお父様の願いどおりに正しく使われていると知れば、多くの日本食口は顕進様と共に歩む道を選択しただろう。

ところが、顕進様の側近がオナニーブログをこいている、もとい書いているものだから、日本食口は顕進様を正しく理解できないのだ。しかも、パシセラ氏は上から目線で、日本食口を突き放したよう書く。これではいけない。

沈みゆく船内の客をヘリで見ながら、「あほだなあ、出口はあっちだよ、早く悟れよ、死んじゃうよ」と客観視している冷血人間と一緒である。お父様のために必死に献金してきた日本食口を見殺しにしているのと一緒である。

そういう者を側近にもつ顕進様、そういう輩を指導できない顕進様は、大したことないね~と思う。命懸けで日本食口を救おうとしている亨進様とは、心情世界においてアンドロメダ星雲とマリアナ海溝ほどの差がある。そう思わせてしまうパシセラ氏は、顕進様の顔に泥を塗っていると自覚するべきだ。

かたや、同じ顕進様派でも、ちゃんと顕進様の顔を立てる者がブログ村統一教会にはいる。stfgraduate氏である。

顕進様はUCIを奪ったのではなく守ったということに気付いてください
●引用開始
2009年以降一切の献金を受けず黒字経営をしてその収益金でGPFなどの世界摂理を持続的に行い現在のような実績をあげている顕進様ですが、UCIを統一教会の指導部に任せていたら、今我々が見ているような希望が統一家にあったでしょうか。顕進様側に度を越えた献金摂理などありません。組織がまともならそうなるのです。

日本の食口が捧げた血と汗と涙によって捧げられた献金をもとに設立されたUCIがここまで成長し、世界摂理が進められています。皆さんが世界摂理のためにと献金されるそのお金は一体何に使われていて、皆さんはどのようなビジョンを見いだして活動しているのですか。

顕進様のされていることを見て、誰よりもその実績を誇りに思う資格があるのは他でもない日本の食口たちです。
●引用終了
ブラボー! 本当にそうならば、顕進様は悪魔連盟たちから日本食口の献金を守り、お父様の願いのとおりに運用していることになる。こういうふうに書いてこそ、顕進様の顔を立てることになる。

勘違いする人がいるので書いておくが、小生は顕進様、亨進様、その他もろもろの言い分を信じて書いているわけではない。あくまでも、知り得る情報から判断して書いているだけあって、その情報の真偽については問うていない。統一教会激動の時代に、食口読者諸氏が考えを巡らせる1つの材料として、小生の考えを述べているに過ぎない。

今日の結論は、

統一教会に関係ないというパシセラ氏はブログ村統一教会から出て行け!

ブログ村統一教会に居続けたいのであれば、stfgraduate氏のように正々堂々と顕進様を誇れ! 

である。

内部改革の必須アイテム! 亨進様の説教を拡散せよ! 「火に油を注げ」より

昨日の米本氏ブログは衝撃的であった。

悪魔たちの連盟にたぶらかされている「お母様」

これは日本の全食口が読むべき貴重な説教である。こういうことを本部がやらないで(できんか)神を信じぬルポライターがやってしまうところが、まさに事実は小説より奇なりである。

この内容をなるべく多くの食口に知らせるために、ぜひブログを持っている食口は、上記米本氏ブログを拡散してほしい。また、インターネットに疎い層に知らせるために、説教をプリントして配るとか、映像をDVDに焼いて配るとか、あらゆることをして多くの食口に知らせてほしい。

この説教には、それくらいの価値がある。ぜひ内部改革をしたい有志は、みなで協力して上記のような計画を実行してほしい。この説教を全食口にくまなく行き渡らせることができれば、内部改革も夢ではなくなる。この説教は内部改革の必須アイテムである。

その理由を説明しよう。

もし、この説教の内容を日本の全食口が知ったらどうか。いくらなんでも、全く心を動かされないという者はおらんだろう。

亨進様は世界会長時代、日本をくまなく巡回した。来日の際の飛行機は、お供の幹部たちがビジネスクラスやファーストクラスを勧めても(自分たちもそこに乗りたいからな)、いつもエコノミークラスで押し通した。

日本での宿泊も、高級ホテルではなく教会であった。ある教会では、まさか亨進様が泊まると思ってもいなくて、トイレットペーパーの補充を忘れていて、亨進様が大便したら紙がなくて、「紙がないですよ~」と言われた。そこの責任者は人事を覚悟したが、「教会はわが家と一緒なんだから、全然気にする必要ないよ」と言われておしまい。

巡回先の教区では、くじ引きで選ばれた食口の家を数件、必ず訪問した。不正なしのくじ引きなので、オンボロのアパートで貧乏暮らしをしている還故郷家庭もおれば、夫に離婚されてしまった壮婦の家もあった。そこで彼らの悲惨な事情を聞いて、涙し、共に祈った。

彼が言った「これまでこれだけ天のために苦労してきた日本食口は聖人です」という言葉に、多くの日本食口が感動した。だから、彼を慕う者が多い。小生の周りにも、当時「亨進様に日本の総会長になってほしい」と言っていた婦人が何人もいた。

アメリカでは「亨進様の教会は天の願いに反しているので、行くな」と公文まで出ていても、彼の説教集をいまだにブログで引用する公職者がいるくらい、日本では絶大な人気を得ている。

このように亨進様を慕う多くの日本食口が、今回の彼の説教内容を知ったらどう感じるだろうか? 当然、彼の言葉を信じるだろう。

本部が公文で「亨進様もおかしくなってしまいました。亨進様に付いて行かないように」と言っても、顕進様のときのようにはいかないだろう。教会の金を強引に持って行った顕進様とは、人望の差があり過ぎる。亨進様が誠実な宗教者で、決して嘘をつかない人間だと、誰もが知っている。本部が「亨進様はおかしい」と言えば言うほど、食口たちは本部を不信する。

そして日本食口たちは、彼の説教を通して、韓国の悪魔的な幹部たちがお母様をたぶらかし、私腹を肥やしてきたことを知って、高額エンドレス献金をやらなくなるだろう。

高額エンドレス献金がなくなれば、韓国教会はつぶれる。日本教会もつぶれる。宗教サラリーマンたちは、俗世間でこき使われる生活(つまり僕の僕の生活)に苦しむことで、過去の罪を蕩減していくことになろう。

その後に、亨進様が返り咲いて、教会をまともな宗教団体にしていけばよかろう。彼はもともと高額エンドレス献金をやめるべきだと主張してきたから、今までのような教会運営はしないだろう。MBAの國進様とセットで動くから、教会の健全運営は大丈夫だ。

そもそも國進様は会社経営をして自立しているので、日本食口の高額エンドレス献金に依存する必要がない。國進様自身が経済的に自立しているから、教会の仕事は完全ボランティア。よって公職者に「おまえたちも経済的に自立して、教会公務は無給でやれ」と迫ることができる。亨進様・國進様体制に、韓国の悪魔的な幹部たちや、日本の宗教サラリーマンが入るこむ余地はない。

顯進様派のパシセラ氏はこう述べている。

●引用開始
統一教会が内部改革されて、そこに文顕進理事長が戻るというシナリオはない、と思うべきです。私は、これを100パーセント明確に、お知らせしておくべき責任を感じるので、このように書かざるを得ません。
●引用終了

顕進様は、教会に戻ってはこないという。したがって、教会を真の家庭に引き継いでもらうことを願うならば、人望がある亨進様と経営手腕のある國進様のツートップ体制しかないという結論になる。

「統一教会と関係ない」とは? 「火に油を注げ」より

パシセラ (Paci-fi-Cera) のブログ 「統一教会と関係ない」とは?
●引用開始
「統一教会と関係ない」、つまり「統一教会員である事が信仰であると思い込むのではなく、真の神様を探し、真の文先生を探してください」と言っているのです。
(中略)
私がブログ村に残っている理由は、統一教会の人に対する、「救命ボート」の目的だけです。その目的を見出した方達からは感謝されます。私の書いている事が「救命ボート」に見えないのは、統一教会に留まっていれば「死ぬ」事がわかっていないからではないでしょうか?
●引用終了
思いっきり関係あるじゃん! 国語力ゼロである。こう書くべきである。

「統一教会と関係ない」、つまり「顕進様や、彼に従う私たちは、統一教会や統一教会員とは一切授受作用しない」と言っているのです。だからコメント欄を開放しないのです。
(中略)
私がブログ村に残っている理由は、統一教会の人に対する、「私の自己顕示欲」の目的だけです。その目的を見出した方達からはバカにされます。私の書いている事が「私の自己顕示欲」に見えないのは、自分に読解力がないことをわかっていないからではないでしょうか?。

江利川安栄女史のすごいところ 「火に油を注げ」より

1日に語ったスピーチの全文が追記されていた。

仰天情報-江利川安栄氏が文7男のところに!!
●引用開始
【総会長を承諾した江利川女史の挨拶】
(中略)
今から11日前ですけれども、天暦の1月1日、午餐がありましたが、その時に出かけて行きました。
「お母様どうぞ、この今世界会長が発しておられるみ言葉に対して反対しないでください。最低無視してください。そして世界会長、国進ニムも本当にお母様を愛しておられます。ですから、どうぞお母様、お母様と亨進世界会長、国進ニムがひとつに成ってください」
そのように何回も命がけで訴えました。
(中略)
私のベースは、「お父様のみ言葉を死守しよう」、そして「お父様の願われることで、難しいことを私が率先しよう。今の時も、今の実情も、あまりにも難しい。ほかの人がやるのは難しいだろう。じゃ、私がしよう」と、決心しました。
(中略)
ですから、お父様の後継者、父母様の後継者であられる亨進世界会長、そのお父様、そして亨進世界会長の涙がどれほどでしょうか。その涙とひとつに成り、そしてお父様のみ言葉を中心に伝統を立てて、そして世界会長、国進理事長が行かれる真の父母様の勝利の道を、私も歩まさせていただきたいと決心しました。
●引用終了

江利川安栄女史のすごいところは、ポチではないということである。真のお母様にも堂々と正論を言えるところがすごい。普通の日本人幹部はポチだから、ご主人様のご機嫌を取るために、鼻をクンクン鳴らしてすり寄りだけである。

上で「正論」と書いたが、何が正しいのか。それは、お母様と亨進様、国進様を1つにしようとしている点だ。統一原理的に言えば、母の使命は、アベルとカインを1つにして、父の元に行くことである。これがなされないと、母は勝利したとは言えない。江利川女史は、極めて原理的な観点に立っているのである。

真の家庭において、顕進様と国進様がアベルとカインである時代は終わっている。顕進様が失敗したからである。顕進様派の皆さん、すまんの。あくまでも統一教会から見た観点だから、気にするな。あ、気にしないか。顕進様と統一教会は関係ないんだもんね、バカセラさん。もとい、パシセラさん。

ともかく、真の家庭における現在のアベルとカインは、亨進様と国進様であることは間違いない。だから、江利川女史がやろうとしていることは、「お父様のみ言葉を中心に伝統を立てて」、「真の父母様の勝利の道を」行くものだということは、全くもって原理的である。

そして、そのためには真のお母様にだって意見する。こんな日本人幹部は見たことがない。神山名誉会長もそうではないかと言われるかもしれんが、彼は直接お母様に意見できていない。江利川女史が一歩リードである。

しばらくお休みします 「火に油を注げ」より

貧しくて、献金はできないので、しばらくお休みします。

【参考】ナルシスト・パシセラのブログ
●引用開始
忙しくて、ブログは書けないので、しばらくお休みします。
●引用終了

(注)小生が休むのは献金であって、ブログではない。

清平横領疑惑に沈黙する徳野とパシセラ 「火の粉を払え」より

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統一教会考(63)

 最近、統一教会内部で立て続けに不可解な出来事が起きた。

 日本統一教会員の260億円もの献金が行方不明になった。
【参照サイト】「仰天速報!韓国の食口たちが金持ちイタコらに公開質疑書を送付す」 &「韓国のネット新聞が横領疑惑を報じた!」

 過度の献金要請は慎むべきと通達した当の本人が、教会員1世帯あたり60万円もの献金を要請した。
【参照サイト】「王様の“屍を喰らう”王妃様 」

 教祖・韓鶴子氏が“カルト”丸出しの発言を行なった。
【参照サイト】「新しい時代の始まりか、それとも破滅への序曲か-韓講話 」&「王になった王妃の指令:法の指図は受けない!」

 金持ちイタコの夫が妻に暴力を振るい、中国人女と逃亡した。
【参照サイト】「清平に異変が起きている!」

 韓鶴子氏が文亨進氏の面会を拒絶した。
【参照サイト】「わが子・亨進と会うのを拒否した母親 」

 おかけで、今回の原稿は約3週間遅れとなってしまった。
 以前に予告していた統一教会会長徳野英治氏への質問書である。

沈黙の徳野

 手紙の全文を公開する。

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*****************

徳野英治日本統一教会会長様
ルポライター米本和広

 前口上抜きで、単刀直入に質問させていただくご無礼をお許しください。
 質問は以下の通りです。

(1)韓国・統一教会の信徒会から天宙清平修練苑の金孝南氏などに公開質問状が送付されました。(同封しました)
 内容は、260億円もの巨額の献金を金孝南氏一族が横領したのではないかという由々しき疑惑です。
 260億円の大半は日本の教会員からの献金だと思われます。血と汗と涙の浄財です。
「260億円がどこに消えたのか」。徳野会長は教団の最高責任者として調査する責任と義務があります。調査されるつもりはおありなのでしょうか。

(2)「真のお父様聖和二周年93日伝道路程」を名目にした献金集めを、日本統一教会は現在行なっています。実際、徳野会長はビデオ礼拝で、「聖和2周年までに60数を勝利しましょう」と呼びかけていらっしゃいました。60数=60万円は大金です。
 ところで、徳野会長はいわゆる「新世事件」を受けて、2009年3月に「教会員の献金奨励・勧誘活動及びビデオ受講施設等における教育活動等に対する指導について」というタイトルの通達文(徳野通達)を出されました。
 そこには「教会員の経済状態に比して過度な献金とならないよう配慮する」と明記されています。
 未婚の教会員を含め教会員の全世帯に一律に60万円もの献金を呼びかけるのは、徳野会長自身が徳野通達に反していると思われますが、いかがでしょうか。

(3)そもそも徳野通達は今でも生きている通達なのでしょうか。

(4)「過度な献金」は、徳野会長自ら全国紙の記者の前で断固闘うとおっしゃった「教会員の拉致監禁」を誘因するものにほかなりません。一方で拉致監禁と闘うと言いながら、もう一方で拉致監禁を誘因するようなことを行なうのは、全くの矛盾です。
 釈明をお伺いしたいです。

(5)世界統一教会の事実上の教祖である韓鶴子氏は、韓国で行なわれた7月1日の集会で、幹部教会員たちにこう話されました。
「世の中の法律が私たちをうるさく指図することはできません」
 これを看過することは決してできません。
 なぜなら、
イ)統一教会が宗教法人として認可され、税の優遇措置を受けているのは法律のおかげです。法律の指図を受けないというのなら、法人格を返上すべきでしょう。

ロ)統一教会は拉致監禁に反対してきました。法律のバックボーンである憲法の信教の自由、また刑法の逮捕監禁罪に抵触するからです。法の指図を受けないというのであれば、拉致監禁に反対する根拠を失ってしまいます。

ハ)12年間監禁された教会員である後藤徹氏は、法律に基づいて、拉致監禁を行なった者たちを訴えました。法律の指図を受けないというのであれば、現在行なわれている東京高裁での控訴審を中止しなければならなくなります。

ニ)法律の指図を受けないと教祖が公言するような団体は、一般に反社会的な団体とみなされます。信者家族は教会員になっている子どもが反社会的な行為=犯罪を行なうのではないかと心配になり、強制的に子どもを隔離し、脱会説得を行なう可能性が生じます。

 大変お忙しいと思いますが、今月末までの回答をお待ちしています。
        草々

2014年7月12日

******************

<注>聖和二周年式典(8月12日)の直前になって、日本から50億円 (一人90万円ずつ、6000名)を清平に持ってくるようにという指示があったと聞いた。
 この話が事実かどうか、 事実であれば徳野通達に違反すると考えているのかどうか、質問することができなかった。

 期日までに回答はなかった。気の小さい、臆病な会長である。情けない! (以下、徳野氏の敬称を略す。敬意を払うことができないから)

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 徳野の部下ではなく徳野自らが「徳野通達」を破るのだから、この通達は事実上廃棄されたと判断するしかない。念のため、教会員の方々は教会長など上部に確かめてください。
 徳野よ!警視庁公安がこのブログを読んでいることを忘れる勿れ。
 この記事はこれで終わりなのだが、不可解に思っていることを書いておく。

シカトのパシセラ

 メロンで有名な夕張市の約2年7か月分の予算に相当する260億円もの大金を、“大母様”こと金孝南女史の一族が横領した疑惑が持ち上がっている。
 天正宮周辺では示威行動も行なわれた。
 また、一連の出来事は韓国のネット新聞で報じられた。

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 それなのに、献金を出せという側の公職者「いつも私のとなりに神様さま」や「教育部長の講義日記」、「今日もいいことがある!統一教会員のブログ」らは何らコメントしない。教団に飼い馴らされてしまい、感受性鈍感疾患に陥っているから仕方がないか。
 彼ら公職者は自分の教会の食口より上が大事のヒラメちゃん。 少しでも清平に触れると、たとえばいつも隣の松戸の総務部長兼教育部長は4人の子を養うことができなくなってしまう。だから、沈黙。御身大切のサラリーマン宗教人なのである。

 不可解でならないのは、現体制を批判し、文三男顯進氏の代理人のような役割を果たしている「パシセラのブログ」までもが、口を閉じていることだ。
 顯進支持派の日本の弱小団体「真の家庭を愛する会」も同じである。

 政治的センスがある読者なら疑問を抱くはず。パシセラ氏は少し前までは金持ちイタコを批判していた。それが、260億円もの献金横領の可能性が出てきたにもかかわらず、一切、触れようとしない。

 これには何か深い訳がある。 そう感じませんか?

 パシセラ氏はこう抗弁するかもしれない。
<信徒対策委員会の公開質疑書は、様々な思惑があって出されたものだ。つまり、権力闘争の材料として使われている。そのことを抜きに横領疑惑のことを取り上げるのは、どろどろとした権力闘争に巻き込まれることになるだけだ>
 なるほど。
 だがしかし、問題の核心は日本の食口からの浄財が清平で私的流用されたかどうかにある。誰が暴露したかではなく、横領疑惑が事実か否かにあるのだ。

 文顯進氏が日本担当だったとき、ことのほか献金の中抜き・流用・横領に目を光らせていた。パシセラ氏も顯進氏の側近として尽力したと聞いている。
 これに関することは拙著『我らの不快な隣人』(2008年刊)で触れている。 (385頁)

「世界宣教本部への献金を中抜きした事件もあった。一〇年ほど前の話である。日本・統一教会担当となった文鮮明の三男、顯進が調査したところ、在日韓国人の複数の地区長が献金の一部を横領していたことがわかった。顯進が文鮮明に諫言し、その結果、地区長を更迭し、韓国への帰国命令を出した」
※原文では「顯進」ではなく「興進」と書いてます。関係者にこの場を借りてお詫びいたします。

 おそらく、このときパシセラ氏は顯進氏の調査の片腕を担っていたはずだ。
 顯進氏もパシセラ氏も、公金横領にはことのほか敏感だった。それなのに今回は沈黙を守っている。

 仄聞情報だが、顯進氏が「いま、お母様と問題を起こすようなことはやめろ」と指示を出しているという。信じられない話だろうが、これはパシセラ氏及び「真の家庭を愛する会」の沈黙と符号する。
 清平の横領疑惑は韓鶴子氏と直接関係ないことだと思われていたが、7・1講話で韓鶴子氏が「清平のことに対してあれこれ言ってはなりません」と指示したことで、清平批判をすることは韓鶴子批判する(=お母様と問題を起こす)のと同じ-という関係になってしまった。
 そのため、沈黙しているのだろうか。

 では、問題の「7・1韓講話」をパシセラ氏はどのように扱ったのか。
 彼は「7月1日の文夫人のお話」で、いち早く、講話を日本語訳にして紹介しているのだが、韓講話の教義上の問題(「新しい時代の始まりか、それとも破滅への序曲か-韓講話」 で3人の現役食口が指摘した問題)に言及することは一切なく、

「どのように判断するかは、皆様次第ですが、文先生のお話と比較すれば、沢山の問題があるのが見えるでしょう。でも、文先生の御家族を批判する資格は、私たちにはありません。問題は、統一教会のリーダー達にありました」

 と、上手に「お母様への批判」を避けるとともに、問題の責任を重臣たちにかぶせている。
 文中の「私たち」とは、まさか読者を含む私たちではあるまい。「文顯進様を支持する私たち」ということだろう。なぜ、私たちは批判する資格がないというのか。説明がない。

 話を少し戻す。センスのいい食口読者は、先の顯進氏が「いま、お母様と問題を起こすようなことはやめろ」と指示を出しているという-の一文に瞠目したと思われる。
 これは、在米食口が顯進支持派から直接聞いた話である。
 支持派が嘘をついていないとすれば、顯進氏は徳野よろしく「清平のことにあれこれ言ってはいけません」という韓鶴子氏の指示に従おうとしている。なぜ?なんのために?

 ちなみに、清平が横領したとされる260億円は、ヨイド裁判の損害賠償金に匹敵する金額である。
 顯進氏が果たして損害賠償金を法的に請求するのか否か。それとも水面下で解決するのか。いまだ何の動きもないのが気にかかる。この問題に関心を抱いている「yosia621のブログ」と「gildongのブログ」の記事に注目したい。

(ここまでの原稿は三週間前に書いていたもの)

姑息な態度のパシセラ

 パシセラ氏が8月15日付のブログで「清平での役事でのメッセージを読んで」をアップしていた。是非、目を通してください。

 冒頭の一行は「最近の清平での役事でのメッセージを読みました」
 出典が示されていないから、どんなメッセージなのか読むことができない。彼も、統一村の住民ゆえ民度がとても低い。何かの文を批判したり肯定的に援用したりする場合は、出典(URL、文献名)を示すのが一般社会の常識なのに

<注>彼は、選民意識の強い統一教会員さんと同じで上から目線の御仁。ブログのコメント欄を開放していない。それゆえ、「一つの文にでもが2回続くのは変ですよ」と教えてあげたり、「清平のメッセージって、何ですか」と質問することもできない。
 子は親に似るという。パシセラ氏の親分顯進氏も、同じ上から目線の人だと思われてしまいますぞ。老婆心ながら注意しておきます。

 まぁ常識がないのは仕方ないとして、その次の一文には心底、驚いた。

私は清平を一生懸命に攻撃している、反清平派の統一教会の人たちに協力したくないので、あまり清平に関しては書かないのですが、少しだけ書きます。 (下手くそな文だ)

 この一文には、看過できない重大な問題を孕んでいる。

 パシセラ氏がいう「反清平派の統一教会の人たち」とは、金孝律グループのことを指していると思う。このグループは親分・顯進氏の敵である。
 そうであっても、彼らが糾弾しているのは清平の横領疑惑事件である。
 巨額の献金が金孝南一族の手に渡り、行方不明になっている。
 そのことを指摘することが、どうして「清平を一生懸命攻撃している」ということになるのか。
 ある政治的意図(権力の奪取)があれ、問題は彼らが糾弾していることが事実かどうかということではないのか!

 パシセラ氏もかつては日本の食口。高額エンドレス献金による日本の食口の辛酸ぶりは十分に認識しているはず。
 その献金の使い途に疑義があるのであれば、独自に調査し、糾弾すべきであろう。
 それなのに、協力したくないとおっしゃる。敵に塩を送りたくないということだろう。きわめて政治的、姑息な態度である。

 ところで、私は統一教会員の拉致監禁の実態を暴いた。そうしたところ、救出カウンセラーと称する牧師や全国弁連の弁護士や有田国会議員らから「統一教会に利用されている」「バランスを欠いたルポライター」「統一教会のシンパ的ライター」「統一教会の御用ライター」などなど様々な罵詈雑言を浴びせられた。
 一言でいえば、彼らは私が彼らの敵に塩を送ったから、けしからんと怒っているのだ。

 結局のところ、パシセラ氏と反統一陣営の思考は瓜二つである。
 パシセラ氏らが拉致監禁問題に言及しないのも、やはり敵に塩を送りたくないということなのか。

文顯進マンセー

 話を進める。
「少しだけ書きます」というから、横領疑惑に触れるのかと思ったら、さにあらず。それには一切触れることなく、“原理”を餡ころ餅をこね繰り回したような、私からすれば屁理屈が延々と続く。

「創造原理的に、権威ある位置は、王、父、長男であるという事は、どんな霊能者が現れても、否定できません。否定しようとすれば、論理的な矛盾が待っています」

 おいおい、清平疑惑が韓国のネット新聞に報じられた現在、問題の核心は霊能者の存在とその位置ではなく、霊能者一族の献金横領のことではないのかい。
 それなのに、いつものごとく、長男(?)文顯進万歳だ。
 結果として、パシセラ氏の言説は横領疑惑を黙認しているに等しいのである。

 徳野とパシセラ氏は、場所は異なるが同じ穴に棲息しているようだ。  

 人は年月とともに変わっていく。価値観も変わっていく。だから人間は面白い。しかし、変節だけは御免蒙りたい。
 徳野はその昔、当時日本担当だった文顯進氏に韓国人幹部の横領疑惑を直訴したことがあったという。

 ああ、後味、悪ぅ~ッ
 そう思われる方は一緒に「学生街の喫茶店」を聴きましょう。(広告をスキップして)
♪人の姿も変わったよ♪

みんなでブログ村に直訴しよう。*付録:佐野と桜井との比較 「火の粉を払え」より

下劣な食口たち | トラックバック(0) | コメント(32)
下劣な食口たち(17)

-ニュース速報-

 14名の韓日の食口たちが清平を集団告訴。検察は2月に受理。6月にも処分が下る見込み。
 次回のブログで続報を流します。ご期待!ください。

 つい最近話題になっていた「ブログ-統一教会村」での“不正クリック”のことは、早くも旧聞に属することになった感がするが、看過できないことなので、一言述べておきます。

 何人かのブロガーの方が問題だとして取り上げていたのは、「バナー」を“不正クリック”し、特定のブログのインポイントの順位を意図的にあげている。そのためそのブログの順位が不当に上位になっており、人気ランキング表そのものが実態から遊離し始めている-ということです。

維新の翔ぶがごとくに-「≪統一教会ブログ村≫の具体的不正の事例」
yosia621のブログ-「GW明け、ブログ村不正疑惑!!」
コスモスの心-「哲学、思想」カテの皆様へ(不正アクセス)
プームチャイのブログ-「最近のブログ村(統一村)、読みにくいな~」
Kotenjiのブログ-「たかがブログ村、されどブログ村」
午後のカフェ・オレ-「【統一教会御用達ブログ】記事は書かなくても、 順位だけは上がる 」
風森火山のブログ-「統一教会ブログ村の『outポイント順』がすごいことに?!」
火に油を注げ-「現体制派食口は姑息な手段をやめ、正々堂々と論戦するべし!」
コスモスの心-「埃だらけの母の・・・ 」
風森火山のブログ-「後でじっくり出しますからね。覚悟しておきなさい!数字は嘘はつかないから」
コスモスの心-「復活!不正グループ?(その1) 」(これはなかなかの力作)、「復活 不正グループ!(その2) 」
風森火山のブログ-「いよいよらしい」
奇知外記-「ポイント変化、ブログ村の判断を待つべき!!」(また発作)

 一つのテーマでこれだけの記事が書かれたのは、カテゴリーの「強制移動」が話題になって以来のことではないでしょうか。
 実際にランキング表を眺めると、みんなが主張している通り、順位が大幅に入れ替わっていました。ちょっと驚いた。
 駒場グループのブログがかなり上位にランクされるようになっていたりして・・・

 しかしながら、不正の臭いがふんぷんと漂うものの、不正クリックと断じることはできないと思います。
「いつも私のとなりに神さま」の松戸の部長さん、栗原幸二さんはかつて仲間にクリックをメールで依頼したことがありました。これはブログ村が定めたルール違反で、明らかに不正な行為です。
 ところが、今回の場合はそうでないような感じがします。クリック依頼という証拠がないだけのことかもしれませんが・・・。

 わかりやすい例をあげれば、駒場グループに属するブログの場合です。グループのメンバーたちは仲間のブログを当然のことながら応援しています。そして、グループ以外の人たちにも読んでもらいたいと願う。これはごく自然な気持ちです。多くの人に読んでもらうためにはランキングが上位になったほうがいい。その結果、毎日クリックします。そうすると、INポイントが加算され、上位にランクされる。

 不正以降の栗原さんのブログもそうでしょう。ある現役シックからメールをもらったことがあります。
「いつも神さまさんのブログはそんなに面白いものではありませんが、やはり同じ現役シックさん、しかも公職者のブログだから、『応援のクリックをお願いします』と書かれていれば、クリックしますね」

 人情の世界です。これを超えて「政治の世界」になると、各派の柔らかなヘゲモニー闘争になります。
 ブログ村には、現体制支持派、顯進支持派、それとかぶるところがある神山支持派、亨進支持派、中山支持派、駒場支持派が入り乱れています。
 最近では「第4イスラエル研究」(4研)のメンバーも参入してきました。まさに群雄割拠です。
 ただし、4研といっても、岡本さんと広さんがやっていた頃の組織とは別物ですから、「4研成りすましブログ」といっていい。反発されるのであれば、実態に則して「新」を冠につけるべきでしょうね。

 特定の“政治的立場”に立たずに、統一教会から脱会してもらいたい、統一教会をつぶしたい・つぶれて欲しいと願う元シック(反統一)のブログ群もあります。反統一派の人たちは「いつも神さま」をクリックすることは絶対になく、反統一色の強いブログに応援のクリックをします。

 このように見てくると、問題の所在が明確になってきます。
*以下の数字は5月12日午前のもの。

 それはブログ村のランキング表がINポイント順を優先していることにあります。
http://philosophy.blogmura.com/uc/ranking.html
火に油を注げ!・いつも私のとなりに神さま・火の粉を払え!・統一教会変革論議・教育部長の講義日記(OUT順では16位)・777・パシセラのブログ・今日の訓読のみ言友の会(同19位)・火中の栗を拾う(同13位)・今日もいいことがある!(同11位)-という順位となっています。

 これをOUT順にすると、こうなります。
http://philosophy.blogmura.com/uc/ranking_out.html
火に油を注げ!・統一教会変革論議・火の粉を払え!・777・パシセラのブログ・サンクチュアリ教会 Facebook日本語訳サイト(IN順だと12位)・いつも私のとなりに神さま・yosia621のブログ(同13位)・cocoaのブログ(同20位)・維新の翔ぶがごとくに(同14位)

 異議申し立てをしている「コスモスのブログ」はINポイント順で42位、OUT順で24位。乖離が極端です。

 人気度が正しく反映されるのは、「操作性」が介在しにくい「OUT順」です。
 では、どうすればいいのか。
 解決方法は実に簡単なことです。
 ブログ村の村長さんに、優先画面を「OUT順」にしてもらいたいと直訴すればいいだけのことです。私のこれまでの体験上ですが、割と懇切に応対してくれます。

 連絡先はmailto:support@blogmura.com

統一エリート2世・桜井正実君の勇気を讃えよう。

 ブログ「神と共に生きる真なる息子娘として」のブロガー、stfgraduateさんが実名を公表した。
「stfgraduateは、桜井正実という者です」
 コメント欄でも勇気を讃える声があがっていた。
「インターネットの世界で実名を公表するというのは本当に勇気ある行動です。しかしそれだけの決意を感じます」(ふりかけ)
 だが、みんな遠慮してか、上っ面なコメントでしかなかった。

 周知の通り、桜井正実君は日本・統一教会の第5代会長の故桜井設雄氏(43家庭)の息子である。
 ブログをやっているエリート2世が実名を明かす。そのどこが勇気なのか、と一般社会の人は首を傾げるだろう。確かにその通りなのだが、背景事情を説明すれば納得できよう。

 統一教会は文家3男の顯進氏と義父の郭錠煥氏を分派と規定し、彼らを支持する食口を排除してきた。
 stfgraduateさんのブログ「神と共に生きる真なる息子娘として」を読めばわかる通り、顯進氏を支持する立場を明確にしていた。したがって、実名を明かすことは日本・統一教会から破門にされることを意味する。それゆえ、勇気ある行為と評価できるのだ。

 しかもである。母親の節子氏は5代目会長の夫人として組織から一目置かれているし、兄の正上氏は祝福教育部長として本部に勤務している(2011年現在)。彼らにとっては身内から“反逆者”を出したことになり、組織の中では肩身の狭い思いをしなければならない。そうしたことを認識しながら、本名を明かしたのだから、敬意を表したいのだ。
(その後、彼は「父(桜井設雄)を思いながら 」 を記した。本人にその自覚はなかろうが、明らかに現体制派への挑戦状である) 

 話題を転じる。
 同じ顯進支持派が開設しているブログは「パシセラのブログ」である。2つのブログを見比べてみればわかるが、程度は別にして幼さと論理的思考力の弱さは共通しているものの、パシセラ坊や、本名マーク佐野(GPF勤務)君のは上から目線で自意識過剰かつ傲慢、感情的な印象を受けるのに対して、
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顔を写真をフェースブックで公開しているから、パシセラ坊やも勇敢だ。ん?そうかなあ。小生にとっては自意識過剰としか思えんのだが。
ブログを数日間、更新しない・できないのはよくあること。それなのに、この坊やはいちいち「しばらくブログをお休みします」と書く。自意識過剰の証左であろう。また、「このブログは空港で書いています」とか。鞍馬天狗さんがナルシストだというのも当然だろう。
正実君のブログは内省的で謙虚、つとめて感情を抑制している。パシセラ坊やがコメント欄を開放していないのに対し、正実君はオープンにしている。何から何まで対照的なのだ。

 子は親に似るというが、彼らが親分と慕う顯進氏は傲慢な男なのか謙虚な人物なのか・・・。
 外野席から見れば、パシセラ坊やが記事を書けば書くほど、顯進ってヤナ奴と思う人が増えていくこと間違いなしだ。

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マーク佐野氏

少しはパシセラ(マーク佐野)氏のことがわかった
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2016年4月24日説教「逆さの王国」【英語説教日本語訳】その3

 
The Upside Down Kingdom Rev. Hyung Jin Moon April 24th 2016 on Vimeo.png

天一国国民はすでに王国の意識を持っています。
実体の王国はまだありませんが法律はすでにあります。王国の思考形式をすでに持っているというのです。それに基づいて善悪を分別します。私たちは「からし種」を持っています。多くの人が見抜くことができないことも私たちは見抜くことができるのです。生地の深いところに埋まったイースト菌はパン全体を大きく膨らませることができるからです。

マタイ13章
18:23それだから、天国は王が僕たちと決算をするようなものだ。 18:24決算が始まると、一万タラントの負債のある者が、王のところに連れられてきた。 18:25しかし、返せなかったので、主人は、その人自身とその妻子と持ち物全部とを売って返すように命じた。 18:26そこで、この僕はひれ伏して哀願した、『どうぞお待ちください。全部お返しいたしますから』。 18:27僕の主人はあわれに思って、彼をゆるし、その負債を免じてやった。18:28その僕が出て行くと、百デナリを貸しているひとりの仲間に出会い、彼をつかまえ、首をしめて『借金を返せ』と言った。 18:29そこでこの仲間はひれ伏し、『どうか待ってくれ。返すから』と言って頼んだ。 18:30しかし承知せずに、その人をひっぱって行って、借金を返すまで獄に入れた。 18:31その人の仲間たちは、この様子を見て、非常に心をいため、行ってそのことをのこらず主人に話した。 18:32そこでこの主人は彼を呼びつけて言った、『悪い僕、わたしに願ったからこそ、あの負債を全部ゆるしてやったのだ。 18:33わたしがあわれんでやったように、あの仲間をあわれんでやるべきではなかったか』。 18:34そして主人は立腹して、負債全部を返してしまうまで、彼を獄吏に引きわたした。 18:35あなたがためいめいも、もし心から兄弟をゆるさないならば、わたしの天の父もまたあなたがたに対して、そのようになさるであろう」。

この聖句はイエス様が「許し」の観点から述べられたものでした。ペテロがこう問います。「この者は私に嘘ばかりつくのですが、7回まで許すべきでしょうか」。イエス様はこれに「7回の70倍までも許しなさい」と答えます。そうしたやり取り中でこの聖句が出てきます。

イエス様はここでまた王を例えに用いていますが、当時のユダヤの状況は「長成級」の世界とはほど遠いものでした。

天一国ではキリストと共に共同相続し統治するのです。天一国民は歴史的に王様だけが持つことができた権利を所有します。国民もその領地をもち主権を有します。そして外部からそこに税を課するものはありません。そして自分の王国を守る手段を持つのです。そこが重要です。人権条項の2番目です。天一国は多くの王からなる王国なのです。

天一国はひとりの王がいて、そこに貴族がいて国民はそれらに仕えるというものではないのです。それはこれまでのサタン世界の王国です。神様の王国はそれとは180度反対の王国だということです、全く逆転したものなのです。

天一国には多くの王がいますが、王の王が存在します。王が建てた王権と法律があり、その王権が法を守ります。わかりますか。では天一国の王とは何でしょうか。王は国民だというのです。お父様が「我々は百姓(ぺクソン:農民ではなく一般民衆の意)にならなければならない」とよくおっしゃいました。教会員ではなく市民です。

今までの王国では王と言えば権力の独占者でしたが、神様の王国では王はその国民であるというのです。では天一国の僕とは誰のことを言うのでしょう。

天一国にはもちろん議会もあれば上院議員も存在します。政府の役人もいるのです。選挙で選ばれた大統領も役人も存在します。また地方にも政府があります。

天一国の僕とは政府および政府で働く者をいうのです。市民が役人に監視されるのではなく、市民が監視するのです。冗談ではありません。アメリカやその他の国で政府がいかに監視を行っているか知っていますね。天一国ではこれが逆にならなければなりません。市民が公僕を監視するのです。公正に法律を成立させているのか、市民に正しく仕えているのか、これを監視するのです。

公務者は市民に負債を負うということです。

「それだから、天国は王が僕たちと決算をするようなものだ。決算が始まると、一万タラントの負債のある者が、王のところに連れられてきた。」

市民が政府の役人と決算をするのです。そして、負債のある役人は王のもとに連れてこられます。そこで市民はその僕に「この悪い僕よ」と断罪します。長成級完成期の姿がまさにこれだというのです。これがアジアやヨーロッパの普通の人々をどれほど驚かせるでしょうか。これまでの文化には存在しなかったのです。役人の前に腰をかがめてきたのです。

『悪い僕、わたしに願ったからこそ、あの負債を全部ゆるしてやったのだ。 18:33わたしがあわれんでやったように、あの仲間をあわれんでやるべきではなかったか』。 18:34そして主人は立腹して、負債全部を返してしまうまで、彼を獄吏に引きわたした。

ここでいう獄吏とは法の執行者です。天一国では悪事を行った役人は官僚機構の中に隠れることはできません。地方の国民に対して説明責任を負うのです。地方は地方で管轄権を持っています。それが肩越しに凌駕されることはありません。ですから悪事を行った役人が地方の司法引き渡され、詐欺などで有罪と判断されるとそこで処罰されるのです。

国民の権力を理解することができますか。国民が天一国の王であり主権者であるというのです。まさに上下逆さまの王国です。長成期のアメリカはまさにこれでした。しかし今はそうではありません。完成級に上がることができなかったのです。アメリカは当初、奴隷制をいう罪を背負っていました。そこで始まったのが修正のプロセスです。

もちろんリンカーン大統領のような人物も登場しましたが南北戦争のあとリンカーンも中央に権力を集めました。そしてその後1913年には連邦準備制度理事会が設立されました。それはマルクスの綱領の一つである中央銀行の設立です。そこからマルクス主義の道を歩み始めたのです。憲法修正条項の導入がはじまったこの過程がお判りでしょうか。
人類史上見たこともない、あらゆる機会が与えられていた長成期のアメリカが崩れました。

天一国憲法および神様の観点から見る時、イエス様の神の国に関するみ言が真に迫って来ます。それは実体をもつようになるでしょう。

ここでお父様の天聖教を見てみましょう。

天聖教722(英語版)
メシヤが王権を代表するのです。その国では、すべての聖徒たちが再臨して、キリストの名で王の役割をするのです。ですから、これは氏族的王権になるのです。そのようになれば、国家的世界の版図圏に、王権が同参できる解放圏になるのです。

つづく
 
 
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2016年4月24日説教「逆さの王国」【英語説教日本語訳】その2

The Upside Down Kingdom  Rev. Hyung Jin Moon  April 24th  2016 on Vimeo.png

要するにフェミニズムであれ、共産主義、社会主義、寡頭政治であれ独裁制に繋がらざるを得ないのです。イスラム法もその傾向をもつのです。今述べたような社会思想はどれも「大きな政府」を志向するものです。そしてその「大きな政府」は巨大銀行をそのパートナーに迎えるのです。このようにして現実社会は回っているのです。

巨大な私的銀行団が大きな政府を支え、その政府は大企業とマスメディアの後ろ盾になる。そしてそれらは巨大銀行にまたつながる。こういう大きな輪を描いているということです。

それらは何も知らずに誠実に生きている国民を罠にかけるのです。社会主義的システムが天一国の市民にとっての罠となるのです。この「大きな政府」を志向する思想は若い世代、子供達に罠をもって迫ってくることをくれぐれも忘れないで下さい。中央で一律管理する教育という罠です。これをもって強制的に社会主義、共産主義的思想を学ばせようとするのです。

アメリカ国民も「民主社会主義」と聞くと「社会主義ではないのだ」と安心するのです。もうそれは脳死状態に陥っているとしかいう他ありません。民主党の大統領候補者は公然と「自分は民主社会主義者だ」といっています。それに若者が歓声をあげているのです。

イエス様が幼子に望むことはどのような内容でしょう。天使長的な大きな組織・機関に奴隷のように仕えることを願われると思いますか。ありえません。

神様の立場であるイエス様が願われることは、喜びと栄光を返すことはもちろんのこと、それぞれに与えられた才能を開花させ、異なる個性に応じて与えられた才能と祝福、創造性、革新精神を発揮して人々を助け、為に生きる世界を現出することです。神様との誓約のもと正しい結婚をして自由の子供を産み育て、自由と責任を次の世代に伝える。

創造主ならばどちらを願うと思いますか。子女が天使長のようなカルテルの主管を受けるのか自立して横とのつながりを築き正しい結婚をして、四位基台の家庭を築いて社会に貢献していくのか。愛の創造主がどちらを願うのかは明らかだというのです。

世界は今、神様の王国ですか、サタンの王国ですか。イエス様は「この世は、罪の誘惑があるから、わざわいである」と嘆かれたのです。

社会において、人々がその自由と責任を自覚しそれを守ろうとしなければどうなると思いますか。罠に嵌(はま)ります。ありとあらゆる政治運動の名をもって罠に引っ掛けようとするのです。そういう運動に関わる時はよくその要綱を調べなければなりません。
今流行りだからといって乗っかってはいけません。それは愚かなことです。結局、社会主義的な独裁に引っ張って行かれることはないのか、そういう罠がないか客観的にその運動を見なければなりません。その罠は文明を滅ぼします。

18:8もしあなたの片手または片足が、罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。両手、両足がそろったままで、永遠の火に投げ込まれるよりは、片手、片足になって命に入る方がよい。

これらの聖句は個人的問題を宣べているようですが、政治、経済、芸術などあらゆる活動をする国家のレベルで見る時どうでしょうか。イエス様は「『御国が来ますように』と毎日祈りなさい」と言われました。これを毎日祈っている人はいますか?

あなたの片手または片足が、罪を犯させる(罠を仕掛ける)なら、それを切って捨てなさい。もしあなたの片目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。そうしないと地獄の火に投げ入れられるというのです。

これを「自由と責任」対「その他独裁に通じるイデオロギー」という観点で見てみましょう。私たちは成長期にありとあらゆる方向からプロパガンダを吹き込まれます。すこしテレビをつけて見ればどれほどプロパガンダに溢れているか分かるでしょう。大統領は立派だ。政府は正しい。国の教育や教師がいかに優れているか。実際には教師が無神論者である割合は通常の五倍です。社会主義者、共産主義者も多いのです。大学の教師は一般アメリカ国民を代表すると思ってはいけないのです。

そこに影響を受ける時私たちは罠に嵌るのです。そして他の人達をもサタン側に引っ張っていくことになります。なぜなら自分は大学で偉大な教育者から教育を受けたエリートだと思い込んでしまうからです。そして他人を支配しようとする。もし全身がそういう風に染まっていくとするならば分別しなければなりません。その道は人を引き連れて地獄に行く道だからです。

エリートにとってみれば人々は僕に過ぎないのです。好きにできるのです。ですからそういう影響を受けたのなら分別しなければならないのです。さもないと他の人々を罠にはめることになります。

キューバの社会主義もその昔、天国を約束していました。南米のベネズエラでも完全に腐敗しきっています。国民は自分の身を護ることもできず生き地獄のような状態が続いています。貧しい国民がいる一方でエリート層は宮殿でボディガードに警護され優雅に暮らしています。

人類の歴史は奴隷の歴史でした。独裁者の足の下に虐げられてきた歴史だというのです。解放の自由の国を熱望してきたのです。一般の人々が自由を享受できる国を。悪なる人々、悪なる支配者、悪なる独裁者からの自由を求めてきたというのです。行動の自由だけではなく悪からの自由です。
 
 
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2016年4月24日説教「逆さの王国」【英語説教日本語訳】その1

The Upside Down Kingdom  Rev. Hyung Jin Moon  April 24th  2016 on Vimeo.png
マタイ18章
18:1そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、「いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか」。 18:2すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、 18:3「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。 18:4この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。 18:5また、だれでも、このようなひとりの幼な子を、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。 18:6しかし、わたしを信ずるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海の深みに沈められる方が、その人の益になる。18:7この世は、罪の誘惑があるから、わざわいである。罪の誘惑は必ず来る。しかし、それをきたらせる人は、わざわいである。 18:8もしあなたの片手または片足が、罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。両手、両足がそろったままで、永遠の火に投げ込まれるよりは、片手、片足になって命に入る方がよい。 18:9もしあなたの片目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。両眼がそろったままで地獄の火に投げ入れられるよりは、片目になって命に入る方がよい。

イエス様は「天国では誰が一番偉いのですか」と質問されました。すると幼い子どもを呼びます。その子供はそれにこたえて素直にやって来ます。そこでその子を真ん中に立たせるのです。この子供はキリストに対し素直であるだけでなく従順であることがわかります。

天一国憲法前文および最初の条文では神様と主体である夫と対象である妻という神様の創造の計画に対し感謝を捧げています。憲法の中で再臨主に感謝を表しているのです。その根があってこそ自由を享受することができ、王国が豊かになるのです。

天一国憲法の下にあるとき、神様が与える保護と人権、政府の制限と国民の保護ゆえに御前に従順になります。これらすべては神様の愛と血統からもたらされるものです。

天国の王権は神様の種によってもたらされ、キリストの千年王国はそこから始まるのです。

ところでイエス様が幼子を呼び寄せると、その子は従順に従いました。イエス様はそこで、「幼子のように自分を低くしなければならない」と言います。ここで多くの人は神様の前にへりくだることは謙遜に振る舞うことだと思っているのですが、神様の前に謙遜であることは時にサタンに対して粗野であることを意味します。神様に従順であるためには時に自分と家族を抑圧するサタンに対して攻撃的で厄介な存在であることも必要なのです。そのような悪の勢力にとって危険な相手になることも必要です。

ところが私たちはこれを相対主義的な独り善がりの哲学で納得しがちです。
神様の前に謙遜であるために自分はすべての人にとって良い人にならなければならないという風に考えるのです。自分を犯そうとする者に対して良い人であっていい訳がありません。

そのような時は、顔を殴りつけ、眼を突き、その急所を50回位捩じ上げる(笑)、また柔術の業で締め上げるなど、ありとあらゆることをして自分と自分の宮を守らなければなりません。自分に危害を加えるものに親切に語る必要などないのです。

誤解してはならないのは子供はどんな時でも例外なく謙遜である必要はないということです。キリストに対して謙遜であれというのです。ここがポイントです。

天一国ではその全法体系、統治システムは神様の承諾と神様から与えられた自由と恩恵の賜物です。そのすべては神様の贈り物であり愛であるというのです。私たちが主権を与えられて暮らす自由で豊かな国は神様と再臨主の賜物であるということです。神様の愛によって一つに束ねられているのです。

「わたしを信ずるこれらの小さい者」の「わたしを信ずる」が重要です。天一国の祝福された幼き者は神様のみ前に従順であり神様を愛し尊敬し、なおかつ自分がどこから来たのかを知り神様を信ずるものであるということです。

18:7この世は、罪の誘惑があるから、わざわいである。罪の誘惑は必ず来る。しかし、それをきたらせる人は、わざわいである。 18:8もしあなたの片手または片足が、罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。両手、両足がそろったままで、永遠の火に投げ込まれるよりは、片手、片足になって命に入る方がよい。 18:9もしあなたの片目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。両眼がそろったままで地獄の火に投げ入れられるよりは、片目になって命に入る方がよい。

いままで私たちはこの聖句を個人的レベルで解釈してきました。イエス様は文字通り腕や足を切れとおっしゃっているのではないであろうが、罪の誘惑からしっかりガードしなければならないと。

この「罪の誘惑」「つまずかせる」(英語ではoffend)の原語はギリシャ語のスカンダリツォ(σκανδαλίζω)であり、字義どおりに訳せば「わなを仕掛ける」という意味です。

わたしを信ずるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる(スカンダリツォ)者は、大きなひきうすを首にかけられて海の深みに沈められる方が、その人の益になる。

現代のこのoffendの用法には「怒らせる」という意味がありますがリベラルな人々は何でもかんでも「怒らせ」られます。お父さん、お母さんという言葉ですら彼らを怒らせるのです。パートナー1、パートナー2と呼べば彼らは納得するのでしょう。冗談ではありません。何に関してもこういうことを言うのです。

教育の場でも男子、女子という性別を分けて呼ぶことに対しても社会的な枠組みにはめていると反発するのです。これは良い悪いではなく単なる区別です。

ともかくスカンダリツォの意味は「わなを仕掛ける」「つまづかせる」というものです。ですから聖句で「罪の誘惑」と訳されている部分は「わなを仕掛けられた」と解釈できるのです。

18:6しかし、わたしを信ずるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海の深みに沈められる方が、その人の益になる。

ですから上の聖句では「小さい者のひとりをつまずかせる者」というより「小さい者ひとりにわなを仕掛ける者」としたほうが分かりやすいのかもしれません。「子供達を破滅に導く」という意味です。

これらのことを天一国憲法、千年王国の観点から見ればイエス様がここでいう「小さい者」は天一国国民と言えるでしょう。

ではその「小さい者」にわなを仕掛け、むしろ「大きなひきうすを首にかけられて海の深みに沈められる方が」まだましだと言及されている対象は何を意味しているのでしょうか。個人レベルを離れて国家レベルで考えましょう。わなを仕掛けて国を支配しようとするものは何でしょうか。天使長的マモンです。

イエス様は「神様とマモンの両方に使えることはできない」とおっしゃいました。信仰と拝金主義は両立しないということです。しかしこの世界では金を支配する機関が大きな力をもつのです。

巨大金融機関があらゆる形で社会主義的、共産主義的中央権力を支持するのを目にしてきました。それが寡頭制であれ何であれ自分たちが利益になると判断すれば彼等は支援するのです。現代女性運動、フェミニズムも社会をどの方向に導くのかと言えばより大きな政府へと導いていくのです。その仕組みは単純です。その点ではイスラム法もスルタン(イスラム世界における君主号)などによる独裁に導く傾向を持ちます。 つづく

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HSU(Holy Spirit University)オンライン授業募集のお知らせ

 
 
今回HSUでMore Than Carpenter の日本語のクラスを担当するアメリカの星野と申します。

亨進様のご意向もあり、より正しい聖書の理解にお役立て頂ければ幸いでございます。
授業内容は、テキストを訓読してみんなでディスカッションするという形態です。私自身も含めてみんなで聖書やキリスト教、イエス様をより正しく理解するための入門のような内容ですので、初心者でも誰でもたのしく学んでいくことができると思います。
オンライン授業なのでzoomができる環境が必要となります。

対象:日本人青年、全世界の日本人サンクチュアリアン
授業時期:6~8月
時間:未定

※授業時間について日本時間の
①土曜日朝9時~
②土曜日朝7時~
③土曜日夜8時~
どちらがいいか選択してください。時間は人数の多い方になります。
アメリカ国内や他の国からの参加もあり、人数によっては、クラスを分けたいと考えております。

応募〆切: 4月26日

詳しい内容は参加者に送らせて頂きます。みなさん、ふるってご応募下さい。
よろしくお願いします。

アメリカサンクチュアリ教会  星野仁志

※ 参加を希望される方は、以下のメールアドレス宛に応募して下さい。これは一次募集の位置付けです。応募の結果にもとづいて授業時間を決定し、5月以降、改めて正式に募集する予定です。正式な募集は米国のウェブから行われます。

tsubaki0358@gmail.com
 
 
 
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「真の父母様の一体不可分を示す8つの根拠」批判

 
 
ここに掲載する小論はある海外宣教師(旧共産圏宣教、信仰歴45年、元ナショナル・リーダー)がまとめたものです。今回許可を得て、家庭連合の主張とサンクチュアリ教会の主張をお父様のみ言葉と原理を基に公正、中立的な立場で語られた内容を掲載します。オリジナルはこちらから

「真の父母様の一体化」について

2012年9月3日、お父様は聖和された。

その後、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)はお父様は霊界に行き、地上にいるお母様を協助し、一体化していると我々を教育した。そして、「お母様を絶対中心として一体化するべきである」と。

また、私を含め、ほとんど全ての信徒はそれを信じて疑わなかった。しかし、徐々に、お母様が話される多くの事柄がお父様在世中に話されたみ言葉と多くの点で食い違っていたり、お父様がしてはならないと言われた事をお母様は平気でするのを見て、多くの信徒は「お母様とお父様は本当に一体化しているのか?」と言う疑問を持つようになった。

家庭連合は一貫して「お母様とお父様は一体化している」と主張し、本部から出される全ての方針は「一体化」が、その根源にある。即ち、「お母様が言われる事はお父様が言われる事であり、お父様の意志である。」と、本部の論理は全て、この様に構成されているのである。

そこで、今回は、「真の父母様は一体化しているのか?」「お母様は完成したのか?」という二つの疑問について、お父様のみ言葉を中心に論じたい。

家庭連合本部(日本)はお父様のみ言葉を引用して、「お母様を絶対中心として一体化」すべきである事を強調した。本部が引用した最初のお父様のみ言はこれである。

「伝統はただ一つ!真のお父様を中心として、他の誰かの、どんな話にも影響されてはいけません。先生が教えたみ言と先生の原理のみ言以外には、どんな話にも従ってはならないのです。今、先生を中心にしてお母様を立てました。先生が霊界に行ったならば、お母様を絶対中心として、絶対的に一つにならなければなりません。今、お母様が行く道はお父様が今まで立てたみ言と説教集を中心として、行かなければならないのです。他の言葉を述べるのを許しません。」(「祝福」1995年夏季号、p68)

家庭連合は、このお父様のみ言葉を引用して、何を言いたいのか?
それは、「今、先生を中心にしてお母様を立てました。先生が霊界に行ったならば、お母様を絶対中心として、絶対的に一つにならなければなりません。」と言う部分である。

しかし、家庭連合はこの文章の前後を全く無視しているのである。
お父様はお母様と信徒に、この文章を条件として付け加えました。「他の誰かの、どんな話にも影響されてはいけない。お父様のみ言と原理以外には、どんな話にも従ってはならない。お母様が行く道はお父様が今まで立てたみ言と説教集を中心として、行かなければならないのです。他の言葉を述べるのを許しません。」もし、この条件に沿ったお母様の言動であるならば、問題はないのである。

しかし、この条件を示すみ言に照らし合わせれば、

「お母様は天聖経を改竄し、コピペした真の父母教を作ってはならないし、家庭盟誓の変更、天一国国歌の変更、原理講論の創造原理や堕落論の変更、独生女論即ち、自己の無原罪誕生を主張したり、お父様の無原罪誕生を否定、16歳の時に無原罪になり、メシアになったとメシアとしてのお父様を否定してはならない・・・その他。」という事である。

お父様が提示した条件に反している事をお母様がしていることが問題なのである。

また、家庭連合やお母様を支持する人々は下記に示す、お父様のみ言を引用して、お母様は、お父様の「後継者」「お母様とお父様は一体化」である事を証明しようとし、信徒を混乱に陥れた。

お父様のみ言によると、「これからは先生がいなくても、お母様一人でみ旨に何の支障もないと言うのです。・・・ですから、先生が一人でいても、真の父母の代身であり、お母様が一人でいても真の父母様の代身です。」(1990年3月27日)
「お母様は私の影のようです。ついてまわる影のようです。私は実体を持った主体の教主であり、お母様は対象の教主です。それで、私は第一教主、お母様は第二教主です。」
(1990年5月6日)
「私が死んでも(お母様には)統一教会を導くことができる能力もある。自分一代で、この複雑な恨の峠をすべて清算するという決心が私よりもお母様がもっと強い。」
(1991年10月19日)
「お母様は真の母になり、真の妻になり、真の娘になる。その三つをすべてしなければなりません。一つするのも大変ですが、お母様はそれをすべて成し遂げました。」
(1992年7月10日)
「霊界に先生が行ったとしても、お母様が地上にいれば、霊界と地上界の統一圏ができるので、いつでも、お母様がいる地上に来て一緒に暮らすことが出来るのです。」
(1993年10月15日)
「お母様を中心として、皆さんが一体になっていかなければならない時が来ました。もう、先生がいなくても、お母様が代わりにできる特権を許諾したというのです。」
(1994年11月27日)
「真の父母というのは二組はあり得ません。」
(1995年1月1日)
「お母様、表彰される。」
(1999年6月14日)

ここに記されている日付を見ると、全て1990年代のお父様のみ言を引用したものである。この時期は1990年3月27日に第31回「父母の日記念礼拝」があり、「女性全体開放圏宣布」があった。そして、女性連合が出発し、1991年9月に東京大会、その後、1992年4月に、「世界平和女性連合」が創設された。

つまり、お母様がお父様によって表彰されるまでの10年間に話されたみ言であり、お母様を励ますためにお母様や信徒に向けて話されたものである。決して、聖和が近づいた事に対する切実な準備としての後継者を示すためのみ言ではない。その証拠を下記に述べる。

1999年6月14日にお母様は表彰された。この表彰は「お母様の責任分担の母子協助時代7年路程勝利、終了」の表彰であった。

その勝利によって、次の、「父子協助時代」を迎えることが出来たのである。
お母様の勝利の表彰後、1999年9月9日9時9分9秒、お父様のみ言では「今までの、復帰歴史においては母子が協助してきましたが、母子協助時代が過ぎ去るのです。蕩減の歴史は母子、オモニと息子娘が犠牲となって復帰されましたが、9・9節を宣布して、南北が統一される運勢に入り、父子協助時代に入るのです。オモニはいなくても構いません。オモニはいくらでも探し立てることが出来ます。(み言選集303巻p264、1999年9月9日)

また、翌年2000年1月5日のみ言では「国家時代を越えて、アボジを中心に連結された時、オモニではありません。これで一つになると、オモニは長子に任せるので父子協助時代に移るのです。」(み言選集314巻p230、2000年1月5日)

2000年11月11日のみ言では「ですから、直接的に、完全な愛の種を家庭的に受けて、父と息子が直系で連結されるのです。ここに、母親は必要ではありません。母子協助時代と父子協助時代は違うというのです。絶対の愛ゆえに、神様が女性を抱いて出てきましたが、そこに、相対的に立つには、絶対服従しなければならないのです。これはオモニに対する言葉です。」(456-465、2000年11月11日)

これらは、「お母様、表彰される」すぐ後のお父様のみ言である。お母様を後継者として指名した言葉であろうか?私には矛盾に見えるのだが・・・

お父様のみ言を都合良く利用して、父子協助時代に入ったお父様のみ言を無視し、自己の主張を正当化しようとするのは如何なものであろうか?余りにも、姑息と言わざるを得ない。

お父様は2008年4月28日に享進様に「真の父母の権威移譲式」を行い、2009年1月15日―31日に3度に渡って「戴冠式」と「真の父母祝福」を伝授されました。

もし、家庭連合が強弁するのであるならば、この2009年1月31日以降で、お父様がお母様を「後継者」として任命したというみ言があれば、提示してもらいたいし、家庭連合の名誉にかけて提示するべきである。

ここで、亨進様・サンクチュアリ教会は「お母様とお父様の一体化」について、どの様に言っているのか?享進様の説教の動画を見ると「お母様とお父様は一体化しておらず、お母様は完成していない。お母様はお父様とは別の道を行き、お父様を否定し、原理を否定している。」と言う。しかし、亨進様はお父様の聖和までのお母様の勝利については全く否定していない。寧ろ、称賛しているのである。しかし、お父様の聖和後のお母様について疑問視しているのである。

お父様は2007年5月11日のみ言で「お母様は2013年6月16日までに完成しなければならない。」(天正宮訓読会)と言われている。

これは信徒にとって、驚愕的なみ言であった。1960年の御成婚から始まって、2007年5月1日までの47年間、お母様は完成していなかったのである。その47年の間に行われた勝利宣言、宣布はお母様の個性完成が基礎にはなく、お父様の個性完成と真の父母様の「条件的一体化・条件的勝利」を基に摂理が進んで来たというこである。

そうすると、2007年から2013年までの、たった6年間で、47年掛けて出来なかった個性完成をお母様は出来るのであろうか?と不安になるのは私だけであろうか?

「真の父母様夫妻が横的に最終一体を成した。」
2010年6月19日 午前2時20分
6月26日 午前3時25分
「真の父母様ご夫妻は最終一体」
2010年11月22日
2011年2月3日
「すべての摂理の完成、完結、完了と最終勝利を宣言」
2011年12月11日

また、2010年7月1日、2011年12月11日にお父様が宣布された「最終一体圏完成宣言」により、家庭連合が2007年に言われた事、即ち「お母様は2013年6月までに完成しなければならない。」と言われた事が成就したのである。

しかし、何故お父様は何度も何度も「真の父母の一体化」を繰り返し宣布するのか?
私は「真の父母は一体化」していなかったと確信した。しかし、条件的には・・・

亨進様・サンクチュアリ教会は「お母様は側近、悪魔連盟によって、利用されている。」と言われた。しかし、家庭連合は「お母様は誰からも影響されておらず、独自で判断されている。」と反論した。
また、お母様自身も「誰の言葉も聞かない。」と言っている。(2015年3月18日)

しかし、お父様は「私はあなた方は訓母ニムの言葉を聞くべきでないと言っているのです。訓母ニムは、私と相談せずに行動します。もし、私が訓母ニムが行うように、神様と相談せずに好きなように行動すれば、天と地はどこに行くのでしょうか。」
(み言選集、612巻p169、2009年)

お母様が訓母ニムといつも一緒におり、話し、相談していたことは誰でも知っている事実である。
また、お父様は「お母様に全てを任せましたが、お母様が握ったお金を自分のしたいようにしようとしています。勝手にするというのです。あなたはあなたの行きたいように行き、私は私の行きたいようにするというのです。私が朝、どれほど深刻だったか。」
(み言選集、607巻p11、2009年1月24日)

{オモニもこれからは私の思い通りにするという考えをしてはならないのです。「アボジも私がいなければ完成できない」、そんなことを考えてはいけないのです。}
(み言選集、491巻p247、2005年3月22日)

これらのみ言は「お母様はお父様とは別の道を行っている。」という、亨進様の言葉を裏付けるものである。

その後、今度は私の脳天を打ちのめすようなお父様のみ言が入って来た。
2012年1月19日、天正宮訓読会での「事件」であった。ここで、お父様がお母様に対して激しく批判したのである。

「天地人真の父母はお父様とお母様が二人ではなく、一人である。」
「お父様とお母様は別々ではなく、一つなのである。」
「お母様はお父様の台であり、ただ食べ、周りにいるだけでは、真の母にはなれない。
「別々に動いては滅んでしまう。」、「お父様が呼んでも、お母様は返事をしない。」
「安州(お母様の故郷)と韓氏は自慢してはいけない。もし、すれば、真の母になれない。」
「私を無視して、お前たちが、私を安山子にしてはいけない。」
「お母様が独自路線を行っている。小鬼だ!」
「お母様はお父様とは違う道を行っている。」
「お前たちも全員(お母様に追従する子女様、側近、教会指導者)、お母様と一団となって違う道を行っている。こいつら!」
「お母様に従うもので、お父様が必要でないというものは、根のない小鬼だ。」
「私は、今一人ぼっちだ。私には息子も娘もいない。お母様は一人で勝手にしている。」
「お父様の話を聞かず、お母様が私に対して、私の言葉を聞きなさい。とするのはルーシェルよりもっと、恐ろしい存在だ。」
「孝進が生きている時、お父様がかわいそうだ。お母様はなぜ、お父様のみ言を聞かないで、自分の方式でするのか?と私に言ったことがある。」
「お母様は今からお父様に絶対服従しなければならない。」

これらのみ言を理解すると、2012年1月19日まで(聖和8カ月前)、お母様はお父様に絶対服従しておらず、一体化せず、完成していなかった事になるのである。
これによって、前述の家庭連合の弁明も再び霧散に帰したのである。

その後、4月14日「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」特別宣布式(天和宮・ラスベガス)で蕩減の完全終了。

お父様は「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会を最終、完成、完結することを、お父様の前に奉献します。」と宣言された。

6月5日、4次元入籍式(ラスベガス)「国進、享進様のアベル・カイン一体を宣布」
「真の父母の仕事は完成、完結、完了」と言われた。

お父様の最後の祈りで「私はこれを全て成し遂げた。私は全て完遂した。」と言われた。
この最後の祈りはお母様の天聖経、英語版の最後にはこの様に書かれています。

「everything will be brought to a conclusion. I have accomplished everything for this. I have completed everything . Aju!(August13,2012)」である。
この最後の祈りは真の父母様が向かい合い、手を取りながら祈られたものである。

それでは、何故、お父様は「私は(I)」と言われたのか?ここは「私たち」または「真の父母」はと言う言葉が、お母様への感謝の気持ちと共に来るのではないか?それを、敢えて、何故「私は」だけなのか?
これは、お父様の聖和直前まで、お母様はお父様と一体化出来なかったことの証左でもある。
この「私は」の中に、「私たち、真の父母は」と祈ることのできなかったお父様の悲しみと恨みを感じるのである。

そして、2012年8月3日の最後の訓読会で、お父様は「すべてを壊したオンマ(お母様)と金孝律は責任を取りなさい。」と言われたのである。
これらを見て、どうして、「お母様は完成した」「真の父母様は一体化している」と言えるのであろうか?

この様に、「お母様の個性完成が無く、お母様とお父様の一体化が無い」ところで、2013年2月22日(天暦1月13日)に「基元節」を迎えたのである。

家庭連合の主張と国進様・享進様・サンクチュアリ教会の主張を公平に比較して見ても、
亨進様が言われる様に「基元節は失敗であり、サタンに奪われた」と理解する事が正しい様に思える。

そして、サンクチュアリ教会の説明によれば、これらの失敗を復帰するために、サンクチュアリ教会を設立し、国進様と共に復帰摂理歴史を歩んでいるのである。また、「基元節」はサタン主管下で行われた祝福であるため、これを復帰するために「真の父の権威に戻るための祝福式」を2016年2月13日まで行っていた。

もし、2月13日までに聖酒を飲まなければ、1世は堕落1世に戻り、2・3世は堕落1世に戻る。と言われ、私たちに警告されていた。お父様は「私が93歳、お母様が70歳で完成級の聖婚式をもつことで、すべての祝福家庭と共に完成した天地の時代に入ることが出来る。」(2011年8月29日、天正宮訓読会)

と言われたが、2012年のご生誕日に行われる予定の聖婚式をお父様はキャンセルされた。そして、お母様にさらに1年の猶予を与えられ、願われる基準での一体化を待たれた。
しかし、聖和により、完成段階の真の父母の聖婚式は果たされなかったのである
(以上)  (本文強調・色付、下線は管理人)
 
 
家庭連合「公職者」という名の「寄生・搾取層」の保身が卑しい
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2016年4月17日「天国の種をまく人」【英語説教日本語訳】全文

Kingdom Sower April 17 2016 Rev. Hyung Jin Moon 1 Unification Sanctuary Newfoundland PA on Vimeo.png
 
今日はマタイ13章から始めましょう。聖書をお持ちの方はご覧下さい。
ところで2週間前には同じ章で「麦と毒麦」について見ました。今日見るのはマタイ13章の中でも最も有名な箇所です。

マタイ13章
13:1その日、イエスは家を出て、海辺にすわっておられた。 13:2ところが、大勢の群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に乗ってすわられ、群衆はみな岸に立っていた。 13:3イエスは譬で多くの事を語り、こう言われた、「見よ、種まきが種をまきに出て行った。 13:4まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。 13:5ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、 13:6日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。 13:7ほかの種はいばらの地に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。 13:8ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。 13:9耳のある者は聞くがよい」。
13:10それから、弟子たちがイエスに近寄ってきて言った、「なぜ、彼らに譬でお話しになるのですか」。 13:11そこでイエスは答えて言われた、「あなたがたには、天国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていない。 13:12おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。 13:13だから、彼らには譬で語るのである。それは彼らが、見ても見ず、聞いても聞かず、また悟らないからである。

この最後の12節を見て下さい。この部分は非常に不思議な聖句です。11節から見てみましょう。

13:11そこでイエスは答えて言われた、「あなたがたには、天国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていない。 13:12おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。

謎めいた聖句だとは思いませんか。その意味が分からなくとも何となく実感することはできます。この部分についてはキリスト教世界では多くの注釈、解説がありますが、一度、自由社会、天一国憲法の観点から見て下さい。天一国憲法の中で神の王国の謎について詳細に描かれています。

天一国憲法の観点から見る時「おおよそ、持っている人は与えられて」の「持っている」とは何を持っているのでしょうか。それは天一国憲法の知識だといえます。

そして持っている人は「いよいよ豊かになる」とあります。神の国について知り、その祝福を受けそこで暮らす人々は、自分達がこの世で最も自由な国を造り出そうとしていることを自覚しています。人々、仲間と協力して作る、より自由な結社、より自由な交易が確保される大きな自由と機会のある社会。これは現実に人々が生きて生活する世界です。
地上天国は現実に人々が生活する場所だというのです。決して天使の舞うディズニーランドのような夢の世界ではありません。

2週間前に「麦と毒麦のたとえ」で見たように、王国には「毒麦」も存在するのです。イエス様が語っているような問題を含む雑草もそこに生えるということです。そこに天使が登場して麦と毒麦を分けて毒麦の方を火に投げ入れましたね。

そこでエンジェル(天使)の語源であるアンゲロス(άγγελος)という言葉について学びました。神聖な天界の天使の意味とは別に、体を持つ天使を意味していると言いました。

聖書の記述に、天国に行くと「天使のようになる」とあります。天使は力を持つとともに天国では仕える者です。「平和警察」「平和軍」を想起して下さい。それはすべての市民・国民が為に生きる精神の発露として隣人を守る役割を「平和軍」「平和警察」を通して果たすということです。そこには連邦警察も連邦軍も存在しないのです。

歴史的にも中央権力として存在する「武力」こそ最も危険な存在であるということを我々はよく知っています。独裁者がそれを掌握することはいともたやすいというのです。この天使長的サタン的パターンが人類堕落歴史の中で何度も何度も繰り返されるのをいやというほど見てきたのです。

アダムに与えられたものは王国であり、アダムはそこで王になるべきでした。そして全地を統治するはずだったのです。アダムとエバが主権者です。しかし王国は堕落し、取り上げられ、その結果ルーシェルが王国を盗み取りました。この世の王子、この世の王になったのです。

サタンはイエス様を何と言って誘惑しましたか。お金や権力で誘惑したのではありません。この世の王国をもって誘惑したのです。自分にひれ伏すならこの世の王国を与えようと言って誘惑しました。試練から戻ったイエス様は繰り返し、繰り返し神の国の福音を宣べ伝えました。

12節の「持っている人は与えられて、いよいよ豊かになる」の意味はなんでしょう。王国とその憲法を持っている人は自由の意味を知り、自由な取引と自由なコミュニティづくり、そのネットワーク形成を通してすべてにおいて良好な結果を得ることができます。実体の天国がまだ現実になっていないとしても霊的には天国圏に入っているのです。
誠実な仕事相手を求め、双方が得をするような解決策を求めることで豊かになることが可能です。

一方、「持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう」の意味は何か。神の国の神秘を悟らない人、その憲法の知識に欠ける人、神の国がどのように建てられるのか分からない人々は、社会主義や共産主義といった一方に偏った考え、「妬み」を促進する思想に捉われる。この者はあなたよりも多く持っている、恵まれている、それは悪であり、自分達に権力を与えてくれるなら奴らから奪い取り上げてあなたに分け与えよう、などとささやきます。その言葉に乗ってしまうと政府の奴隷になるのです。

その結果持っているものまで取り上げられてしまいます。それは自由を売った代償です。社会主義、共産主義などを採用すれば、皆さん自身の胸の内で「嗚呼、自分は犠牲者だ」「権力を使って他の人の財を奪い取らせよう」などと考えるようになるでしょう。まるで悪魔です。ですから世界の社会主義、共産主義国を見て下さい。結局、国民は持っているものまで取り上げられてしまいます。その約束は偽りです。すべての国民は平等であるべきだ、世界のプロレタリアートよ立ち上がって大企業、資本家を排除せよ、資本と権力の集中がなされればそのあと自然に分散されるというマルクスの甘い言葉はけっして実現などしません。その中央権力による支配は強まることはあっても緩むことなどないのです。

天一国の体制と社会主義、共産主義、寡頭政治などの中央支配との違いが際立ちます。天一国を所有するものはますます豊かになる、これです。一方、天一国を持たざる者、社会主義、共産主義、寡頭政治などの中央支配体制では最後には持っているものまで取り上げられてしまうのです。まさに共産主義国の実態だというのです。

私はお父様の命で共産国家を何度か訪れたことがあります。この目で見ました。隣町に行くのでさえ地元の役人に届けを出さなければならないのです。別の通りに車を自由に進めることすらできません。独裁国家のなれの果てです。

このような観点で聖句を見る時、その意味を明確に知ることができます。

マタイ13章
13:18そこで、種まきの譬を聞きなさい。 13:19だれでも御国の言を聞いて悟らないならば、悪い者がきて、その人の心にまかれたものを奪いとって行く。道ばたにまかれたものというのは、そういう人のことである。 13:20石地にまかれたものというのは、御言を聞くと、すぐに喜んで受ける人のことである。 13:21その中に根がないので、しばらく続くだけであって、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。 13:22また、いばらの中にまかれたものとは、御言を聞くが、世の心づかいと富の惑わしとが御言をふさぐので、実を結ばなくなる人のことである。 13:23また、良い地にまかれたものとは、御言を聞いて悟る人のことであって、そういう人が実を結び、百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍にもなるのである」。

これも謎めいたみ言です。通常は信仰観から解釈します。もちろんそういう見方もできます。しかしこれも王国の観点からみて下さい。イエス様は天国理想を知る方でした。エデンの園、神の王国をもう一度地上に取り戻そうと、弟子たちに毎日祈りなさいと命じられました。

天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖〔せい〕とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり
地にも行われますように。
・・・

明らかにイエス様は天国とはどういうものであるかご存知でした。しかし当時の人々はローマ帝政の下で暮らしていました。生まれてこの方ローマによる支配のもとで生きてきたのでイエス様のいう王国を理解することができなかったのです。あたかも共産国家で生まれ育った人々に天一国憲法の意味、自由社会を講義するようなものです。一体どうしてそういう社会が可能であるのか分からないのです。

マタイ13章
13:18そこで、種まきの譬を聞きなさい。 13:19だれでも御国の言を聞いて悟らないならば、悪い者がきて、その人の心にまかれたものを奪いとって行く。道ばたにまかれたものというのは、そういう人のことである。 13:20石地にまかれたものというのは、御言を聞くと、すぐに喜んで受ける人のことである。 13:21その中に根がないので、しばらく続くだけであって、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。 13:22また、いばらの中にまかれたものとは、御言を聞くが、世の心づかいと富の惑わしとが御言をふさぐので、実を結ばなくなる人のことである。 13:23また、良い地にまかれたものとは、御言を聞いて悟る人のことであって、そういう人が実を結び、百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍にもなるのである」。

上の聖句でイエス様は「み言を聞いて悟らないならば、悪いものが来て奪い取っていく」と説明されています。また「石地にまかれたもの…御言を聞くと、すぐに喜んで受ける(が)…御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう」と言われ、「いばらの中にまかれたものとは、御言を聞くが、世の心づかいと富の惑わしとが御言をふさぐ」と言われました。

ここで知っておかなければならないことは、ひとたび天一国と天一国の到来を知るとプレッシャーを受けるようになるということです。皆さんは攻撃を受けるようになります。これは重要なことです。なぜなら天一国がこの世のものではないからです。人類史上このような王国がなかったからです。過去の王国とは徹底的に異なっているのです。

ですから天一国の王国としての神秘、自由と責任、天一国憲法の奥義を知るとき世の中から圧力を受けるようになるのです。悪いものが奪い取っていく、み言のための困難や迫害が起こってくるようになる。「悪いもの」とはこの世の富の偽りによって誘惑する者達です。

世界の富豪を見て下さい。全体の1%ではありません、0.01%の超富豪のことを言っています。ある調査によれば世界全体の富は数千人の手に握られていると言います。そして彼らはわずか数行の巨大銀行に関係する者達です。

では聖句のようなことがどのような仕組みで起こるのでしょう。

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マモン(新約聖書では富をあらわす言葉として現れる)は巨大銀行という神でありお金という神です。神とマモンの両方に仕えることはできません。全世界の金融、お金の流れをコントロールしている。このことがどれほど馬鹿げたことか分かりますか。

そしてそれらは実質的に共産主義、社会主義、寡頭政治を支えています。では一体なぜ巨大銀行が中央集権の思想を支持するのかというと、「大きな政府」を志向するからだということができます。「大きな政府」一つをつかんでしまえば、3億人の人を説得する必要などありません。3億人の人の心をつかむより、「大きな政府」一つをつかんで動かす方が簡単だからです。それできるなら政府の軍隊まで動かすことができるというのです。そして競争相手をつぶし自分を有利にすること国の立法などを通して可能になるのです。

それだけにとどまらず巨大教会やカトリック教会にまで融資しています。ローマ法王は巨大銀行や国連の政策、ゲイ問題などを100%支持しています。世界政府構想を100%支持しているのです。

そして「大きな政府」は大企業とメディアをコントロールします。天一国では私企業がメディアを所有することを禁止しています。それは違法行為なのです。なぜそうするのかを知ることが重要です。天一国でメディアは個人に委ねます。企業ではなく個人が所有するのです。CNNなどのメディアを企業が所有することを許しません。

アメリカには200を超えるチャンネルがあります。それを3つか4つの企業が所有しているというのです。つまり3、4人が全国の人々の見聞きする内容を決めているということになります。信じられないことです。

テッド・ターナー(CNN創業者)とディズニー、そしてマードックなどの巨大メディアによって大概のメディアが支配されているのです。だから年がら年中くだらないメッセージを聞かされるというのです。家庭も親もそんなものはどうでもいい、結婚もくだらない、子供の方が何でもよく知っている、ドラッグがかっこよくて、フリーセックスがいい。そのようなメッセージで溢れかえっています。

人々の幸せや人生を破壊するメッセージです。不幸になり、意気消沈している人々のほうが支配しやすいからです。こっちに行けと言えばすぐそっちに行くでしょう。賢明な人、天一国を理解し、権力構造を知り、中央集権に対する自由と責任を理解する人々は好まれません。

巨大金融が大きな政府を好み、その政府は大企業、巨大メディア、巨大な宗教教団をコントロールする。この構造をサタンは愛するのです。

マタイ13章の中でイエス様は「悪いものが来て奪い取っていく」「困難や迫害が起こる」などと外部からの圧力について話しておられます。

皆さんが若者だったとして高校や大学で「アメリカの中央銀行制度はやめた方がいいと思う」「大きな政府が結婚に口を挟むべきではないと思う」などと発言すれば直ちに迫害されるでしょう。

今週、20から30人の様々な人種からなる若者がある大学でトランプ候補支持の集会を開こうとしていると、おそらくはジョージ・ソロスの資金提供を受けるNPOの何百人もの学生たちがやって来て議論するならまだしも、ただただ「人種差別主義者!」と連呼して妨害しようとしました。

共産主義、社会主義、寡頭制などすべての独裁主義のやりかたです。聖句になんとありましたか?

「悪いものが来て奪い取っていく」「困難や迫害が起こる」

トランプ氏を支持する者は人種差別主義者?トランプ候補を支持する黒人は「自分は人種差別主義者ではない、そもそも黒人なのだから」という他ありません。移民を拒めば人種差別主義者といわれるのです。難民を家に迎え入れなければ人種差別主義者だと非難されるのです。家の鍵をかけるだけで人種差別主義者と呼ばれるかもしれません。

家に鍵をかけること、その必要性は誰もが理解します。負債の上で借金を重ねると負債が膨らむことも誰しも理解できるでしょう。

しかし「まかれた種」奪い取るために「人種差別主義者!」と連呼し迫害するのです。天一国の仕組みが分かり、天国の種に気が付くと、迫害を受けるということです。

皆さんの中で「陰謀論信奉者」と呼ばれた人はいますか。私は自分が陰謀論者だと呼ばれるとき、ではあなたはこの世の悪に関しては「偶然論者」ですねと応えます。悪は組織的に関連性をもって起きているのではなくすべて「たまたま」「偶然に」起こっていると考えているのですねと。それはあまりに非論理的でしょう。

天一国の仕組みを理解するとき、追い立てられ迫害されるということです。

ニューヨークタイムズが昨日書いていましたが、トランプでさえ9・11の報告書から28ページを削除したと言います。その理由はサウジアラビア政府が圧力をかけたからです。もし9・11事件でサウジアラビアを非難する文言をいれるなら数千億ドルの資産を投げ売りすると脅しをかけたのです。これには尻尾を巻かざるをえないでしょう。
この28ページは上院で「サウジ問題」と呼ばれています。これまで「イラクがやった」と言われ続け、国民がいわば「洗脳」された内容とは全く異なるものです。そしてイラクに攻め入って罪のない人々を何千人も殺したではないですか。そして石油を奪った。これは国民が聞きたがらない真実です。

この28ページのサウジ問題が浮上してきました。昨日ニューヨークタイムズが報道しました。この世のすべての事件は偶然に生じると信じている人々は真実に向き合わなければなりません。

サタン世界では背後にいる者を隠すある幻想、幻の煙幕を張るのです。それを見せ続けているのです。働いて黙って税を納めよ、そのすべての背後に目をむけるな。何も不都合などはない、だまってIRS(アメリカ合衆国内国歳入庁)に小切手を送り続けなさい。こう仕向けられているというのです。

また、23節にはこうあります。「良い地にまかれたものとは、御言を聞いて悟る人のことであって、そういう人が実を結(ぶ)」

真に天一国のしくみと天一国憲法の描く自由と責任について「聞いて悟る」とき「実を結ぶ」のです。そしてその実は「百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍にもなる」。

これもこの聖句の謎です。イエス様はなぜ「百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍にもなる」とおっしゃったのでしょうか。この点は天一国において非常に重要な問題です。

社会主義、共産主義などの全体主義と自由な体制の違いは全体主義では平等な賃金、平等な成果を約束することで嫉妬心を煽りますが、神様側の自由な体制では機会の平等を保障しますが必ずしも平等な成果を約束しません。

「百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍にもなる」、つまりその成果はどれだけ人々に奉仕したのか、社会の役に立ったのか、その高で決まるのです。ただしその自由な交流への機会は平等に開けています。
結果はあなた自身の奉仕の内容で決まるのです。

例えばアクアポニックス(さかな畑)に懸命に精力を投入して、日夜、顧客のためにより効率的で生産的なもの、より廉価なシステムのための改良に取り組むなら、顧客から祝福を得るでしょう。彼らは進んであなたの商品を買い求め、ビジネスを支援してくれるでしょう。

狂ったように顧客のために奉仕し、為に生き、社会に良きものを提供し、人々の暮らしを向上させる。そうすると百倍の祝福を受けるでしょう。そこまで熱心ではない供給者がいれば顧客は比較してより熱心な供給者を祝福するというのです。

機会は平等だけれども結果が異なるということです。自由な社会では無限の機会が存在します。共産国では仕事を自由に見つけることは難しいですが、自由な体制ではその自由に基づいて、雇い主が気に入らなければ職場を変えれば良いだけです。移動の自由があります。

どれだけ他の為に生き、愛し、奉仕するかで成果は「百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍にもなる」のです。

マタイ13章

13:31また、ほかの譬を彼らに示して言われた、「天国は、一粒のからし種のようなものである。ある人がそれをとって畑にまくと、 13:32それはどんな種よりも小さいが、成長すると、野菜の中でいちばん大きくなり、空の鳥がきて、その枝に宿るほどの木になる」。

人類の堕落歴史ではその政治体制は全体主義に継ぐ全体主義でした。堕落以後、ほとんどの期間を全体主義の下で暮らしてきました。その間ずっと天使長の主管を受けてきたのです。

アッシリア、バビロン、ローマ、中国、日本、すべてにおいてそうでした。文化こそ違え同じ体制であったということです。おなじ寡頭制、専制的な体制であったのです。アフリカやフィリピンでも同様でしょう。根は同じものなのです。

天一国は種として始まります。人々の嘲笑を買うほどとても小さな種です。しかし巨大な衝撃をもたらします。小さなからし種を軽んじてはいけません。大きな樹になるのです。

大きな樹に成長するとき、そこに可愛らしいスズメだけが巣作りするのでしょうか。聖句には樹には「空の鳥」が宿るとあります。ハゲワシも空の鳥ですね。鷲もハヤブサも空の鳥です。ただし猛禽類(もうきんるい)です。この樹に巣をつくるのは虫をついばむ可愛らしいスズメだけではないのです。

天一国には鷲やハヤブサも宿るということです。自由と責任の天一国では中央銀行、独占的教育、中央主導の金融供給、中央軍、中央警察などの一切は法によって禁止されています。そこに多くの空の鳥がやって来るのです。そうした理由で天一国の人権条項の第二が自己防衛の権利になっているのです。自分や配偶者、子供、隣人に対する危険を見極める力が天一国の安全にとって重要な鍵になります。わかりますね。天一国の安全保障です。

天一国には悪人も入ることができるのです。麦と毒麦のたとえでも話しましたが、収穫がなされるまでは悪もそこに留まるという話です。天一国を考える場合、善人ばかり集まっているという理想主義的な考えからは離れなければなりません。ほとんどの人は信用に値する人たちでしょう、しかしそうでない人もいることを想定しなければなりません。全員が選択の自由をもつので悪を選ぶ人も中にはいてもおかしくありません。しかし強制的に悪を選択させるような破滅に至らせるような社会ではもちろんありません。

天一国においては善悪及び危険を見極めることが非常に重要になって来ます。あらゆる種類の鳥が天一国という樹に巣をつくるからです。天一国には悪人はいないなどと理想主義者の考えに浸ってはいけません。すべての聖句はその存在を告げています。

マタイ13章

13:33またほかの譬を彼らに語られた、「天国は、パン種のようなものである。女がそれを取って三斗の粉の中に混ぜると、全体がふくらんでくる」。

イエス様は「三斗の粉」と言われました。小麦粉の3つの部分と考えてもいいでしょう。そこに小さなパン種を入れるのです。

アメリカの独立戦争はどのような経過で起こりましたか。当時の三分の一の住民はイギリスからの独立に反対していました。また別の三分の一は無関心でした。残りの三分の一が独立派でそのために闘う者に資金を拠出しました。そして全人口の3パーセントが武器を持って戦いました。それを30パーセントの人が支えたのです。この3分割には大変興味があります。

三斗の粉、3分割された粉に入れられたパン種はそのすべてを膨らませたのです。全体主義の体制では嫉妬心を煽り、政府が持つ者から取り上げるように仕向けます。しかし自由の体制では全体の水位が高くなり豊かになることですべての人が恩恵を受けるのです。もちろん船の大きさは人それぞれであるとしても水位が上昇するとすべての船も上がるというのです。全国民の生活水準が上がるということです。アメリカの貧困層も最貧国では貧困とはなりません。その水位が違うからです。

天一国憲法を適用するなら全体が膨らみ始めるのです。すべての国民の生活水準が上昇するのです。個々人では異なるかも知れませんが、全体が一様に上がるということです。これを全世界に適用するのです。小さな天一国憲法が全世界に及ぶということです。聖霊を感じて奮い立ちます!

マタイ13章

13:44天国は、畑に隠してある宝のようなものである。人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、行って持ち物をみな売りはらい、そしてその畑を買うのである。

つまり宝の隠れた畑に投資するということです。畑ならどこでもいいという訳ではありません。投資をするなら宝の隠された畑に投資しなさいということです。投資をするなら天一国憲法のある所に投資しなさいというのです。そこは大きく膨らみ豊かになるからです。
イエス様は何と言われましたか?「聞いて悟るとき」豊かに実ると言いました。

ここに集う私たちは一握りに過ぎませんが、今世界中からこの場所に向かっての移動が始まっています。まさにここに天一国憲法が宿り、天一国の秘密が息づいているのでこの(ニューファンドランドという)畑に向かってやってくるのです。

マタイ13章
13:45また天国は、良い真珠を捜している商人のようなものである。 13:46高価な真珠一個を見いだすと、行って持ち物をみな売りはらい、そしてこれを買うのである。

ここで天国は「畑の宝」ではなく「商人」と譬(たと)えられています。これは大変興味深いことです。国進兄さんの天一国の経済、天国の経済についての話を覚えていますか。天一国での具体的な経済についての話です。天一国は具体的経済システムを持たなければなりません。商人としても側面も必要なのです。聖句の商人は真珠の代金を支払わずにそれを盗みましたか。

そうではありません。もしそうなら政府が何か法律を制定して真珠を取り上げるということになり大きな政府を支持する話になってしまします。

この商人は正当な代価を払って真珠を手に入れたのです。盗んではいません。天一国では「正当な取引」という概念が本当に重要です。透明性の高いきちんと契約の則った正しい取引です。透明性のある機関によって保障された商取引。

これこそ取引する双方にとって満足な結果を生み出す天一国の核心的かつ枢要な経済原則だというのです。どれだけ消費者のために奉仕するか、どれだけ他者を愛するかという生産者サイドの経済学です。これが天一国にはたらく「見えざる手」です。アダム・スミス(近代経済学の父)は「見えざる手」の正体をはっきりと知ることはできませんでしたが、「見えざる手」という言葉を用いました。

マタイ13章
13:47また天国は、海におろして、あらゆる種類の魚を囲みいれる網のようなものである。 13:48それがいっぱいになると岸に引き上げ、そしてすわって、良いのを器に入れ、悪いのを外へ捨てるのである。 13:49世の終りにも、そのとおりになるであろう。すなわち、御使たちがきて、義人のうちから悪人をえり分け、 13:50そして炉の火に投げこむであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。

この部分は「麦と毒麦」のところでも話しました。天一国でも共産主義や社会主義を志向するアリストテレスのいう「甘やかされた第三世代」は生じるでしょう。安易にものを与えられて育った結果、さらに無償の給付を求めて大きな政府をつくろうとする者達です。こういう三世が出てくることは避けることができません。しかし天一国では中央に権力を集める政府をつくることは禁止されています。ですから目的を果たそうとするなら暴力革命に訴える他ありません。

そうなると(聖句あるように)「御使たちがきて、義人のうちから悪人をえり分け、 炉の火に投げこむ」のです。その「御使い」は平和警察、平和軍です。

13:51あなたがたは、これらのことが皆わかったか」。彼らは「わかりました」と答えた。 13:52そこで、イエスは彼らに言われた、「それだから、天国のことを学んだ学者は、新しいものと古いものとを、その倉から取り出す一家の主人のようなものである」。マタイ13章

天一国も盟誓はすべて「天一国主人である私(家族)」から始まります。「天一国の僕」ではありません、それでは家庭連合になってしまいます。「天一国の僕である私(家族)」を喜んで唱えさせるのは家庭連合です。

お父様が下さったのは「主人である私」です。

キリストと共に相続する天一国の主人は倉から新しいものも古いものもすべて取り出すことができるのです。神様がアダムに約束されたものをイエス様はサタンを追い払ってすべて取り戻します。だから「天国のことを学んだ学者は、新しいものと古いものとを、その倉から取り出す一家の主人のようなものである」というのです。

「倉から新しいものと古いものを取り出す」。新しいもの古いもののどちらも成就する。これを「成約」とお父様は呼ばれました。これは天一国の聖約です。神様と天一国国民との間で交わされた聖約だということです。

天聖教877(英語版)
自分では、だんだん下がりながら苦労ばかりしているように見え ますが、だんだん高くなるのです。統一教会は、打たれながら大きくなります。一つの家に10人が住んでいるとすれば、公的な目的のために10人の反対を受けながらも我慢に我慢を重ねる人が、その家庭の主人になるのです。すなわち、天国の主人になるのです。(142-289,1986.3.13)

ここでいう「公的な目的」は社会主義のそれではありません。自由と責任における「公的善」です。自分の後始末は自分でつけること、自分のことは自分で守ること、自分で魚を釣り、木に登り、星を見て天文学の計算をする、そして人工的で皮相的なビデオ・ゲームや韓国ドラマのとりこにならず自然からダイナミックな感動を得ること、以上の事柄を子供たちに教えるのです。生きていることを実感するような本物の感動、神様への讃美を教えるのです。

天国のことを考えると本当に喜びに包まれます。
 
 
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2016年4月17日「天国の種をまく人」【英語説教日本語訳】その4

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ここに集う私たちは一握りに過ぎませんが、今世界中からこの場所に向かっての移動が始まっています。まさにここに天一国憲法が宿り、天一国の秘密が息づいているのでこの(ニューファンドランドという)畑に向かってやってくるのです。

マタイ13章
13:45また天国は、良い真珠を捜している商人のようなものである。 13:46高価な真珠一個を見いだすと、行って持ち物をみな売りはらい、そしてこれを買うのである。

ここで天国は「畑の宝」ではなく「商人」と譬(たと)えられています。これは大変興味深いことです。国進兄さんの天一国の経済、天国の経済についての話を覚えていますか。天一国での具体的な経済についての話です。天一国は具体的経済システムを持たなければなりません。商人としても側面も必要なのです。聖句の商人は真珠の代金を支払わずにそれを盗みましたか。

そうではありません。もしそうなら政府が何か法律を制定して真珠を取り上げるということになり大きな政府を支持する話になってしまします。

この商人は正当な代価を払って真珠を手に入れたのです。盗んではいません。天一国では「正当な取引」という概念が本当に重要です。透明性の高いきちんと契約の則った正しい取引です。透明性のある機関によって保障された商取引。

これこそ取引する双方にとって満足な結果を生み出す天一国の核心的かつ枢要な経済原則だというのです。どれだけ消費者のために奉仕するか、どれだけ他者を愛するかという生産者サイドの経済学です。これが天一国にはたらく「見えざる手」です。アダム・スミス(近代経済学の父)は「見えざる手」の正体をはっきりと知ることはできませんでしたが、「見えざる手」という言葉を用いました。

マタイ13章
13:47また天国は、海におろして、あらゆる種類の魚を囲みいれる網のようなものである。 13:48それがいっぱいになると岸に引き上げ、そしてすわって、良いのを器に入れ、悪いのを外へ捨てるのである。 13:49世の終りにも、そのとおりになるであろう。すなわち、御使たちがきて、義人のうちから悪人をえり分け、 13:50そして炉の火に投げこむであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。

この部分は「麦と毒麦」のところでも話しました。天一国でも共産主義や社会主義を志向するアリストテレスのいう「甘やかされた第三世代」は生じるでしょう。安易にものを与えられて育った結果、さらに無償の給付を求めて大きな政府をつくろうとする者達です。こういう三世が出てくることは避けることができません。しかし天一国では中央に権力を集める政府をつくることは禁止されています。ですから目的を果たそうとするなら暴力革命に訴える他ありません。

そうなると(聖句あるように)「御使たちがきて、義人のうちから悪人をえり分け、 炉の火に投げこむ」のです。その「御使い」は平和警察、平和軍です。

13:51あなたがたは、これらのことが皆わかったか」。彼らは「わかりました」と答えた。 13:52そこで、イエスは彼らに言われた、「それだから、天国のことを学んだ学者は、新しいものと古いものとを、その倉から取り出す一家の主人のようなものである」。マタイ13章

天一国も盟誓はすべて「天一国主人である私(家族)」から始まります。「天一国の僕」ではありません、それでは家庭連合になってしまいます。「天一国の僕である私(家族)」を喜んで唱えさせるのは家庭連合です。

お父様が下さったのは「主人である私」です。

キリストと共に相続する天一国の主人は倉から新しいものも古いものもすべて取り出すことができるのです。神様がアダムに約束されたものをイエス様はサタンを追い払ってすべて取り戻します。だから「天国のことを学んだ学者は、新しいものと古いものとを、その倉から取り出す一家の主人のようなものである」というのです。

「倉から新しいものと古いものを取り出す」。新しいもの古いもののどちらも成就する。これを「成約」とお父様は呼ばれました。これは天一国の聖約です。神様と天一国国民との間で交わされた聖約だということです。

天聖教877(英語版)
自分では、だんだん下がりながら苦労ばかりしているように見え ますが、だんだん高くなるのです。統一教会は、打たれながら大きくなります。一つの家に10人が住んでいるとすれば、公的な目的のために10人の反対を受けながらも我慢に我慢を重ねる人が、その家庭の主人になるのです。すなわち、天国の主人になるのです。(142-289,1986.3.13)

ここでいう「公的な目的」は社会主義のそれではありません。自由と責任における「公的善」です。自分の後始末は自分でつけること、自分のことは自分で守ること、自分で魚を釣り、木に登り、星を見て天文学の計算をする、そして人工的、皮相的でビデオ・ゲームや韓国ドラマのとりこにならず自然からダイナミックな感動を得ること、以上の事柄を子供たちに教えるのです。生きていることを実感するような本物の感動、神様への讃美を教えるのです。

天国のことを考えると本当に喜びに包まれます。

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2016年4月17日「天国の種をまく人」【英語説教日本語訳】その3

Kingdom Sower   April 17  2016   Rev. Hyung Jin Moon 1  Unification Sanctuary Newfoundland PA on Vimeo.png

 
また、23節にはこうあります。「良い地にまかれたものとは、御言を聞いて悟る人のことであって、そういう人が実を結(ぶ)」

真に天一国のしくみと天一国憲法の描く自由と責任について「聞いて悟る」とき「実を結ぶ」のです。そしてその実は「百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍にもなる」。

これもこの聖句の謎です。イエス様はなぜ「百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍にもなる」とおっしゃったのでしょうか。この点は天一国において非常に重要な問題です。

社会主義、共産主義などの全体主義と自由な体制の違いは全体主義では平等な賃金、平等な成果を約束することで嫉妬心を煽りますが、神様側の自由な体制では機会の平等を保障しますが必ずしも平等な成果を約束しません。

「百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍にもなる」、つまりその成果はどれだけ人々に奉仕したのか、社会の役に立ったのか、その高で決まるのです。ただしその自由な交流への機会は平等に開けています。
結果はあなた自身の奉仕の内容で決まるのです。

例えばアクアポニックス(さかな畑)に懸命に精力を投入して、日夜、顧客のためにより効率的で生産的なもの、より廉価なシステムのための改良に取り組むなら、顧客から祝福を得るでしょう。彼らは進んであなたの商品を買い求め、ビジネスを支援してくれるでしょう。

狂ったように顧客のために奉仕し、為に生き、社会に良きものを提供し、人々の暮らしを向上させる。そうすると百倍の祝福を受けるでしょう。そこまで熱心ではない供給者がいれば顧客は比較してより熱心な供給者を祝福するというのです。

機会は平等だけれども結果が異なるということです。自由な社会では無限の機会が存在します。共産国では仕事を自由に見つけることは難しいですが、自由な体制ではその自由に基づいて、雇い主が気に入らなければ職場を変えれば良いだけです。移動の自由があります。

どれだけ他の為に生き、愛し、奉仕するかで成果は「百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍にもなる」のです。

マタイ13章

13:31また、ほかの譬を彼らに示して言われた、「天国は、一粒のからし種のようなものである。ある人がそれをとって畑にまくと、 13:32それはどんな種よりも小さいが、成長すると、野菜の中でいちばん大きくなり、空の鳥がきて、その枝に宿るほどの木になる」。

人類の堕落歴史ではその政治体制は全体主義に継ぐ全体主義でした。堕落以後、ほとんどの期間を全体主義の下で暮らしてきました。その間ずっと天使長の主管を受けてきたのです。

アッシリア、バビロン、ローマ、中国、日本、すべてにおいてそうでした。文化こそ違え同じ体制であったということです。おなじ寡頭制、専制的な体制であったのです。アフリカやフィリピンでも同様でしょう。根は同じものなのです。

天一国は種として始まります。人々の嘲笑を買うほどとても小さな種です。しかし巨大な衝撃をもたらします。小さなからし種を軽んじてはいけません。大きな樹になるのです。

大きな樹に成長するとき、そこに可愛らしいスズメだけが巣作りするのでしょうか。聖句には樹には「空の鳥」が宿るとあります。ハゲワシも空の鳥ですね。鷲もハヤブサも空の鳥です。ただし猛禽類(もうきんるい)です。この樹に巣をつくるのは虫をついばむ可愛らしいスズメだけではないのです。

天一国には鷲やハヤブサも宿るということです。自由と責任の天一国では中央銀行、独占的教育、中央主導の金融供給、中央軍、中央警察などの一切は法によって禁止されています。そこに多くの空の鳥がやって来るのです。そうした理由で天一国の人権条項の第二が自己防衛の権利になっているのです。自分や配偶者、子供、隣人に対する危険を見極める力が天一国の安全にとって重要な鍵になります。わかりますね。天一国の安全保障です。

天一国には悪人も入ることができるのです。麦と毒麦のたとえでも話しましたが、収穫がなされるまでは悪もそこに留まるという話です。天一国を考える場合、善人ばかり集まっているという理想主義的な考えからは離れなければなりません。ほとんどの人は信用に値する人たちでしょう、しかしそうでない人もいることを想定しなければなりません。全員が選択の自由をもつので悪を選ぶ人も中にはいてもおかしくありません。しかし強制的に悪を選択させるような破滅に至らせるような社会ではもちろんありません。

天一国においては善悪及び危険を見極めることが非常に重要になって来ます。あらゆる種類の鳥が天一国という樹に巣をつくるからです。天一国には悪人はいないなどと理想主義者の考えに浸ってはいけません。すべての聖句はその存在を告げています。

マタイ13章

13:33またほかの譬を彼らに語られた、「天国は、パン種のようなものである。女がそれを取って三斗の粉の中に混ぜると、全体がふくらんでくる」。

イエス様は「三斗の粉」と言われました。小麦粉の3つの部分と考えてもいいでしょう。そこに小さなパン種を入れるのです。

アメリカの独立戦争はどのような経過で起こりましたか。当時の三分の一の住民はイギリスからの独立に反対していました。また別の三分の一は無関心でした。残りの三分の一が独立派でそのために闘う者に資金を拠出しました。そして全人口の3パーセントが武器を持って戦いました。それを30パーセントの人が支えたのです。この3分割には大変興味があります。

三斗の粉、3分割された粉に入れられたパン種はそのすべてを膨らませたのです。全体主義の体制では嫉妬心を煽り、政府が持つ者から取り上げるように仕向けます。しかし自由の体制では全体の水位が高くなり豊かになることですべての人が恩恵を受けるのです。もちろん船の大きさは人それぞれであるとしても水位が上昇するとすべての船も上がるというのです。全国民の生活水準が上がるということです。アメリカの貧困層も最貧国では貧困とはなりません。その水位が違うからです。

天一国憲法を適用するなら全体が膨らみ始めるのです。すべての国民の生活水準が上昇するのです。個々人では異なるかも知れませんが、全体が一様に上がるということです。これを全世界に適用するのです。小さな天一国憲法が全世界に及ぶということです。聖霊を感じて奮い立ちます!

マタイ13章

13:44天国は、畑に隠してある宝のようなものである。人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、行って持ち物をみな売りはらい、そしてその畑を買うのである。

つまり宝の隠れた畑に投資するということです。畑ならどこでもいいという訳ではありません。投資をするなら宝の隠された畑に投資しなさいということです。投資をするなら天一国憲法のある所に投資しなさいというのです。そこは大きく膨らみ豊かになるからです。
イエス様は何と言われましたか?「聞いて悟るとき」豊かに実ると言いました。
 
 
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