5月24日説教「天の基準」文亨進師より抜粋
天使長が今もってお母様を主管していますが、最後はお母様が決めなければなりません。私たちが悲しむ数々の決定をなされてこられましたが、何が起きているのかということに世界中の食口が気付き始めています。
お母様はお父様がしてはいけないということをされました。天一国の子孫に伝えていかなければならない経典が削除されました。お父様が地獄の底、興南の監獄で拷問、十字架を越えて神様に感謝され栄光をお返しするという神の国の精神を歌われた栄光の賜物にいささかの敬意を払うこともなく変更しました。天一国の精神が削除されました。家庭盟誓、聖婚問答、神様の永遠のパートナーとしての誓いを立てる言葉が変わりました。以前にも話をしました。
お母様の神になりたいという思いの中で…「私はどのような人間だと思うか」「勝利した真の母です」「違います。私は神です」この会話を思い出します。
お母様、あなたを愛しています。でもあなたは神様ではありません。
旧約、新約と摂理を通して礼拝してきた神様。天使、預言者、この地に降臨されたイエス。その全てが敬ってきた(唯一なる)神様から離れ、多神教へと向かってしまいました。この二神教を通して、自分も神になるという誤った考えに世界中のメンバーが惑わされています。これはまさに繰り返し何度もイスラエル民族の中に現われた罪の行いです。唯一真の神様から離れ、多神教へと向かうという罪です。
統一原理は偽りの天一国憲法からは排除されました。この文書(天一国憲法)はすべての権限を中央、つまり清平に集めるものです。お父様の霊をもそこに閉じ込めようとしています。このような愚かな話を聞いたことがありません。原理ははっきりと霊は時間と空間を超越した存在と記しているではありませんか。時空を超えたお父様をちっぽけな山に閉じ込めることなどできません。
人々は神様のみ言を中心として聖霊の動きによって感動を得る。また聖霊による感動をみ言で確認する。
(ところが)すべての食口は清平の王族の奴隷にされています。そこではお父様の残された血統とは別に、独生女の神学を中心として、お母様の血統が用意されています。韓氏族のものです。
お父様が食口達と13時間14時間時には18時間共に過ごされました。確かにそういうことはしょっちゅうありました。それとつきあうことは大変だったでしょう。朝食を食べると言われても食口達と笑い、泣き、歌いなどして、結局朝食を取られないこともありました。その食口と会うのはそれが最後かもしれないからです。
「お母様がおかわいそう」「またお父様は約束を破られた」「またお父様を待っておられるのですか、大変ですね」などという周囲の悪魔たちの言葉をお母様が受け入れることがなければよかったのですが。お母様もそういう食口を見る時「私もかつては一食口だったのです」「お父様に出会う前は、私も一食口だったのです」と言う事が出来た筈です。お父様が食口達に心注がれるのを見て、お父様がいかにご自分を愛しておられるのか知ることも出来た筈です。ご自分も皆と同じ食口だったのですから。私は救世主です、私の血統は清められています、など言うことは狂気の沙汰です!だから原理を投げ捨ててしまうのです。原理的に説明できないのです。
ご自分の氏族、韓氏族を高めたいという欲求を抑えることなく、真なる対象的相対の位置を投げ捨てた。お母様が果たさなければならなかった対象的相対の役割は堕落の血統であるご自分の血統を否定することです。神様の血統、種ではないのですから。最後の時、お母様の仕事は自分の血統を否定してお父様の血統、神様の血統に屈伏することです。神の国には孤独な女性が必要です。自分の名誉、自分の家庭、氏族の栄光、自分の願い、虚栄心、そのすべてを投げ捨てて、花婿に栄光を捧げるそういう女性です。天一国の歴史にそのような条件が必要です。
ここから当然のように派生し起こったすべての変更のうえに、お母様は世界の様々な場所でお父様の玉座に座るようになりました。私から見て、お母様もこれはしてはいけないことであると理解しておられると思います。お母様の自尊心、崇拝を願う思いがそうさせたのだと思います。
これはヨーロッパで撮られたもの(上)です。後ろの写真を見ればこの写真が左右反転でないことが分かります。50年間そこがお父様の席であることを知っておられました。何かに取りつかれた女性を象徴しています。お母様を母として愛していますが、お母様はご自分の位置を離れられました。神の玉座に掛けておられます。正しいことではありません。原理を考えればこの写真を理解することができません。お母様はご自分がしておられることを十分理解しておられます。
私は自分の思いに従って人々の耳に心地よいことを話すことのできる立場にはありません。むしろ時に聞く人の感情を傷つけ損なうようなことを話さなければなりません。なぜかと言えばお父様が私にこの責任を任されたからです。ですから自分が言いたくないことを何度も言わなければならない不幸な立場にいます。なぜなら人々は何も感じないままに非原理に落ちいり原理に戻ろうとしないからです。結局騙されてしまうでしょう。
イエスさまもご自身の母親を叱らなければなりませんでした。お父様も母(忠母様)を叱らなければならない時がありました。今、私も自身の母親を叱らなければならない立場に立たされました。それは楽しいことでしょうか。決してそうではありません。
人間的になることもできます。これまで一緒にショッピングに連れて行ってくれたり、色々な所に行ったりしました。様々な行事に参加し、映画も一緒に見ました。しかしそれは今、一切関係ないのです。中心人物は自分と自分の快適な生活を越えた責任を持っています。
この写真の中でお父様はどこに座っておられるのでしょうか。悪魔たちは、お父様はお母様の膝の上で幼子のように掛けておられるとでも言うのでしょうか。お父様のことを何一つ知らない者達です。傲慢になりサタンに主管された者達です。どのようにでも好きにお父様を描くことができる今、この者たちは今幸せに思っていることでしょう。お父様が目の前からいなくなったのだから。
その道を選んだ者達!せいぜい気をつけなさい。
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