26 父よ、これはまことにみこころにかなった事でした。
27 すべての事は父からわたしに任せられています。
そして、子を知る者は父のほかにはなく、父を知る者は、
子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほかに、
だれもありません。
マタイによる福音書第11章
マタイによる福音書第11章
翻訳:BAMBOOS
ですから青年男子、女子たちは私の足元に来て私と時を過ごすべきです。このアノインティング(油を注ぐ、任命、聖別などの意味)を聞き、命の油注ぎを受ける必要があります。自分が融合されたものだということを知っていましたか。つまり人生で最も長く過ごした5人の人を合わせたものという意味です。長く一緒に過ごした人のようになります。
愚かな友達やビデオゲームと過ごしていれば馬鹿になってしまいます。知恵がなくなります。しっかりと進むことはできません。高いレベルの人たちとやっていくことはできません。誰もあなたに投資しないでしょう。あなたに可能性を見出す人はいません。なぜなら自分がそれを許さず、石だらけの地面に隠してしまうからです。自分が誰と一緒にいるかということに注意を払う必要があります。
若い人たちはインターネットでもどういう人と過ごすかという話です。君たちは長い時間、1日に平均で8時間から10時間インターネットを使っています。驚いた顔をしないでください。君たちは簡単に8時間から10時間もやっています。つまりインターネットでそのように過ごす人たちのように、自分もなっているということです。
彼らの習慣によって方向付けられています。多くの場合悪い習慣です。彼らの悪い知識、悪い知恵。しかし考えてみてください。それが君たちの人生にとても大きな影響を与えるということです。ですから成熟した人たちと過ごす必要があります。お父さんやお母さんはもちろんですが、王とも過ごす必要があります。ですから君たちを訓練するのです。
ただ君たちが恐ろしくて強い人間になると思うような技を教えているのではありません。そうではなく、君たちは尊厳を持った人間になるのです。國進様と過ごし、自由社会の勉強会に出て彼と過ごし、寛大な心、寛大な人とはどんなものか学ぶのです。ビジネスで成功した人物を。
ゼロから業界10位に入るようになりました。20(訳注:音声不明瞭)年前にショットショーでのちっぽけな展示ブースから始めました。これくらいの小さな机だけの小さな店でした。今ショットショーやNRAショーに行けば、カー・アームズは最大の展示ブースの1つです。神様に栄光を!
それがアノインティングです。そういう人と一緒に過ごしてください。特に十代後半の人たち。そのようなアノインティングを持つ人のまわりにいたいと思うのです。
聖書を持ってきてください。神様のみ言と過ごす必要があります。イライラしないでください。「今日は日曜日だ。30分過ぎた。1時間過ぎた。イライラする。もう出て行って遊ばないといけない」。それは愚かな人間です。
1週間のうち3時間、4時間、5時間でも多くはありません。君たちは一晩に馬鹿な友達ともっと長い時間を過ごしています。どれだけ神様と、また神様のみ言と過ごす時間を持っていますか。その人の文化、価値観、道徳観、性質を理解するために共に過ごすべき人がいます。ただやってきて、後ろに座ってゲームをするだけでは得られないものです。そうしていたのはみんな分かっているはずです。
論理的に考えてみれば分かります。そんなことをしても何も学べません。正しいですか。イエスですか、ノーですか。自分の頭を使ってそれが正しいか考えてみてください。そして理解するのです。だれも君たちを責めることはありません。誰にも若い時があります。
しかし君たちは訓練を受けており、高度な責任があります。カリ・エスクリマを今学んでいますが、非常に危険な技です。とてもかっこいいですね。危険な技です。もっと責任を持ち、より高いレベルの統治者の支配権を持つ必要があります。高いレベルの道徳を持って統治することができなければなりません。私たちが扱っているのは致死的な武力です。
鉄のつえの訓練とはみなそういうものです。より高いレベルの致死的武力を扱うに従って、より高いレベルの道徳を持たなければなりません。一層高いレベルの博愛です。日曜礼拝のように考えないでください。大きなメガチャーチに行って説教を聞いて、「神様のことを聞いたから大丈夫」などと思わないでください。そうではなく、共に過ごすということを考えてください。神様を愛する成熟した人と時を過ごすということです。いっしょに集まって神様に栄光を捧げ礼拝します。
この中には成熟していない人がいるということは分かっています(笑)。確かに未成熟な人たちもいます。しかし一般的に言って、です。外れた人、変わり者はいつでもいるものです。しかし一般的にこれは聖別されたグループです。アーメンと言えますか。日曜礼拝とか日曜の説教という観点で考えないでください。演説ではありません。共に時を過ごすということなのです。
ディーン・ラドキーのビジネス・トレーニングを受けた人はいますか。ジム、良かったですか。覚えていますか。素晴らしかったです。彼はフォーチュン500に入るような世界的な企業を経営しています。青年達も受けたのでしょうか。彼がCEOを育てる時に何と言っているか知っているでしょうか。彼はCEOを育てる時にお金を稼ぐ方法について話していました。彼は一緒に過ごすのです。4時間も5時間も一緒に過ごします。
聖書には「主の足元に座って」とあります。指導者から学ぶ原則です。キリストの肢体(クリスチャン、教会などの意味)が呼ぶところの弟子の身分というものです。そのフォーチュン500の企業を経営する人ですが、彼はその方法を知っている人です。みなさんは知りませんね。彼が知っていることを理解するには、彼の足元に座らなければなりません。彼は単にあれこれと言って、この本を読みなさいというようにただ教えることはできません。
私がブラジル柔術のビデオをいくつか見せて、あれとこれをやって練習すればそれで大丈夫だと言えるでしょうか。それは正しいですか。みんな現実の世界でそれが分かっています。単にそのように言うだけというのでは不可能です。一度聞いただけで突然実戦に戦えるようになる、などということはあり得ません。みなさんの中で訓練を受けている人なら誰でも分かることです。何が必要でしょうか。戦う時間が必ず必要です。致命的な記憶の時間です。相手が自分を殺そうとするような、新しい習慣を作り、新しい致命的な反応を起こすことです。
青年たち、私の話は正しいですか。それは同じことです。弟子の身分であるということです。神様のアノインティングを受けた聖別された人の近くに行くということです。なぜなら神様はあなたも聖別されて欲しいと願うからです。あなたにみすぼらしくなって欲しくありません。挫折して欲しいと願ってはいません。いつも被害者面して欲しいとは思っていないのです。神様が願うのは、あなたが自分の栄光のためではなく神様の名のために勝利することです。あなたに勝利して欲しいのです。
神様のみ言にはとても味があります。それは魂のための食事です。ですから黙示録でヨハネは経典を実際に食べています。神様のみ言があなたの内側に入れば、神様のみ言は蜜よりも甘いという話がどういうことか理解できます。非常に力強く、人生を大きく変容させ、強い結束をもたらすものです。何というか、全くの混沌の中にある時、確固とした力をもたらします。私たちの救いの岩、強力で堅固な土台を。
迫害がなく、苦難がなく、問題がない人生。特に自分の命を主に捧げているのであれば、確実に困難に直面することは間違いありません。あなたはトランブルメーカーになります。サタンのポリティカル・コレクトな文化や政策、サタン主義、共産主義に問題を引き起こすのです。あなたは問題を起こしています。みんなトラブルメーカーです。
何が恐ろしいか分かりますか。悪に反対する喜びに満ちたトラブルメーカーです。だから彼らはキリスト教を嫌います。なぜならそれが生きた石の体であり神殿であるからです。それは喜びを持っています。神様の喜びがその力なのです。
そして彼らは世界の在り方に対する信念を認めません。風の中の柳のように世界に対して曲がることはありません。なぜなら彼らの受ける価値は世界が提供するものより素晴らしいからです。あらゆる富も名声も栄光も何もできません。神様の栄光に比べられるものはありません。高い目的のために生きること、魂を救済しようとすること、終わりの日の偉大な収穫を見ること、魂が救われ解放されて束縛から自由になることに比べれば。
ガラテヤ人5章。
「自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない」
聖句にはそのようにあります。「堅く立って」「つながれてはならない」と言っているのです。
しかし興味深いことに一方ではキリストはこう言っています。
「わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい」「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」
くびきというのは首に掛けられるものです。世のために働けばそれは重荷です。ハリウッドのハーヴェイ・ワインスタインのために働いて、名声と富だけを追求するならそれは重荷です。魂を売るということです。小児性愛と性的人身取引に関与しなければなりません。魂を売れば、知らずに名声と富を求めていった非常に多くの魂が性的虐待を受けました。
つづく
掲げられた布にはこう書かれている。
「覆われているもので現わされないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはない。だから、あなたがたが暗闇で言ったことはみな、明るみで聞かれ、奥の間で耳にささやいたことは、屋根の上で言い広められる」 ルカによる福音書 第12章2節から3節
管理人のつぶやき:普遍的な(Catholicの意味)教会はどこへいく…
第3章
西側世界の内乱 Civil War in the Western World
(前回の話の最後から)
これらのイデオロギーでは、国家は悪者とみなされた者達を排除する正当な機関とみなします。主流メディアは政府の計画した大量殺戮に加担しました。国のイデオロギー、大義に賛同しているジャーナリストたちは、国の行為を、どんな方法を使っても良く描き出すのです。
・・・・・・・
ひとつ恥ずべき例として、ニューヨーク・タイムズ特派員のウォルター・ドゥランティを挙げることができます。彼はソビエト連邦の「革新的」な共産党指導者を讃える一連の記事を書いて、1932年に権威あるピューリッツァー賞を受賞しました。ドゥランテイの記事はウクライナ農民約4百万の(スターリンによる)強制された餓死について、ニューヨーク・タイムズの読者を欺きました。
残念ながら、全体主義の大義や政府についての真実性に欠いた報道が蔓延しています。最近の例でいうと、かつては豊かな国であったベネズエラで起きた、飢餓と栄養失調による多くの国民の苦しみと大量の死者に関する報道です。民主主義的な反体制派が選挙人名簿の監査を嘆願したにもかかわらず、社会主義者のウゴ・チャベスは、テログループのヒズボラだけでなくイラン政府、シリア政府の助けを借りて秘密(警察)のネットワークをつくり出しました。それに止まらず、キューバの秘密警察まで連れてきてベネズエラ市民をひそかに監視したのです。
チャベス独裁の後継者、ニコラス・マドゥロはキューバ、イラン、ロシア、シリアから支援を受けました。民主主義的反体制派を排除する策が講じられ、共産主義体制の支持者だけにしか食料を供給しないということまでしたのです。ハイパー・インフレーションと価格統制は危機的な物不足をもたらし、基礎的な医療用品すら店の棚から消え、人々は簡単に治療できる病気でさえ死にかけています。
二つのイデオロギーが共に見落としていることは、どんな民族や階級にも、極端な善人も極端な悪人も存在するという事実です。自分たちのグループ、階級、民族を自己崇拝することは、神を畏れぬ考えであり、その結末は、道徳的な人なら誰も望まない血塗られた歴史の跡を残してきたのです。
その一方で、2018年の始めに発表された報告は、「キリスト教徒はいまだかつてない迫害に直面している」と警告しています。「迫害され、忘れられ(Prosecuted and Forgotten)」(訳注:世界各国のキリスト教徒の迫害を調査報告している団体ACNの報告書)では今のままキリスト教徒に対する暴力が継続するなら多くの国のキリスト教徒は生き残れないと警告を発しています。この報告書は北朝鮮を含む世界各国での「言語に絶する暴虐」ぶりを浮き彫りにしています。北朝鮮ではキリスト教信者は「強制的な飢餓、中絶、また報告書によると信仰の強いものは十字架につるされて火あぶりにされ、スチームローラーで轢き殺される者もいる」といいます。
報告書は続けて:
(報告書から引用)
他のどの多宗派よりもキリスト教徒が迫害を受けているだけでなく、非常に酷い迫害を受ける信徒が増加し続けています。中東での迫害はもっぱらイスラム過激派によるものですが、ナイジェリアでも、イスラム主義者ISISとも提携するボコ・ハラムによって2百万人近いキリスト教徒が追放されたという報告があります。
・・・この広範囲にわたる迫害。証拠から見て、西側諸国と貿易や戦略的なつながりのある国の体制が、迫害を受ける少数派、特にキリスト教徒のために西側諸国が影響力を行使するのが当然である(訳注:自国の反体制派に対する軍事介入を願う)としているように見える。
これ以上キリスト教徒を、戦略的ご都合主義と経済的利益のために祭壇の供え物にすることは許されない。
(報告書引用以上)
一方で、アメリカ人の大半はそのような現在進行中の、キリスト教徒や宗教的少数派への残虐行為の事実を全く知らないか、ほとんど知らないのです。大学のキャンパスでは、キリスト教徒や他の宗教少数派に対する大量虐殺に反対するよりも、多くの学生は、自分たちが気になる「自覚なき差別」(マイクロ・アグレッション)などのために闘っているのです。
人が現実の善と悪の存在が見えなくなるとき、闘う大義として新奇な世界、「ミクロ」の幻想を思いつくのでしょう。これは全体主義者にとっては喜ばしい知らせです。なぜなら彼らの飽くなき野望は、世界中のユダヤ人とキリスト教徒を追放し、ユダヤ・キリスト教的思想を排除することなのだから。3章終わり
つづく
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自分の聖書を開いてください。へブル人10章に行きましょう。青年たちは聖書を忘れないで持ってきてください。訓練に来る時には自分のギ(着、ユニフォーム)とカリ・エスクリマの棒を持ってきます。そうですね。それからどうしましたか。腕立て伏せを100回、200回。聖書を必ず持ってきてください。本屋に行くかイーベイで注文してください。女子たち、日曜の教室に聖書を持ってきてください。賛美します。神様のみ言を知るのです。
自分が圧迫された時に内側から何が出て来るでしょうか。圧力と迫害を受けた時に。先週話しました。レモンをしぼるとどんなジュースが出てきますか。レモンジュースです。グレープフルーツをしぼればどんなジュースが出ますか。ブドウをしぼったらどんなジュースが出ますか。
圧力を受けた時、しぼられた時にそれが何であれ自分の内側にあるものが出てきます。そして悪魔はあなたを標的にしています。キリストに命を捧げたいと願う人は標的になります。悪魔があなたの首を狙っています。
聖書では悪魔は吠える獅子のようだとあります。私を追いかけて殺し滅ぼそうとしています。一旦自分を捧げるなら悪魔がやってきてあなたを捕えるのです。ですから悪魔は信仰告白を恐れます。ローマ人10章を見てください。
「すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。」
悪魔はそれを嫌います。信仰の告白をしたからです。第2テモテ4章8節に書かれた道の途上にあります。先週その「義の冠」について話しました。「今や、義の冠がわたしを待っているばかりである」と。そこでは「主の出現を心から待ち望んで」います。主の再臨を待ち望んでいるのです。何ということでしょうか。悪魔はそれを望みません。悪魔がそれを恐れるのはあなたの心が離れてしまい、この世の物を愛さなくなるかもしれないからです。お金や富、物質的な物を愛さなくなってしまうかもしれないからです。
聖句にはこうあります。「虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい」
私たちはこの世だけではなく永遠の世界に目を向けています。それがまさに神様の世界であり、興味深いことに神様の永遠の王国でもあるのです。なぜなら最終的には王国は地上に来なければならないからです。聖句には強力な力があります。そのため悪魔は告白を恐れるのです。
霊的な目が開かれれば私たちは見ることができます。この小さなニューファンドランドの町、ペンシルベニアの小さな町。ピッツバーグでもフィラデルフィアでも、ニューヨーク市でも、どんな街でも、さまよう魂を見ることができます。
肉体という器に入った人々のさまよう魂を。彼らはどこに行くか知らずにいます。iPhoneやiPadを見ながら生きた死人のように歩き回っています。彼らの魂、霊はどこに行きますか。地獄に行きます。神様からの永遠の分離。私たちはそれが起きて欲しくありません。
私たちが聖霊を受ける時に新しい心情を与えてくれるのは、神様の愛です。聖書でいうように石の心を取り上げて、肉の心を入れてくれます。肉体的なものではなく思いやりを持ったという意味です。神様に敏感であるということです。神様の霊につながっているということです。聖霊が駆り立てるのを内側で聞くことができるということです。脳内の処理だけではなく、心の奥底で感じることができるというのです。
今日それは誰かに話しかけてきているでしょうか。それは内なる変容です。また喜びの心情、愛の心情であり、罪による犯罪のために、魂が離れ離れになっているのが分かります。罪の報酬は死だからです。
キリストのような心情で彼らを見て泣き叫びます。霊的な目で彼らを見れば歩いている人たちの魂はさまよっています。彼らがキリストに命を捧げることはありませんでした。信仰告白をすることはありませんでした。悪魔はまだ彼らの所有権を主張しています。今もこの世の物で彼らを誘惑することができます。分離するポイントがありません。サタンから決別するために自分を捧げると言える分離ポイントがありません。
使徒行伝2章30節(訳注:正確には37節から)にありますが、人々がペテロにどうしたらいいかと尋ねると、悔い改めなさいと答えます。そして全ての国に行って父と子と聖霊の名で洗礼を受けなさいと。
悔い改めなさいと言いましたが、メタノイア(ギリシャ語)とは心を変えるという意味です。この世の物から自分の心を背けるということです。それらは永続しません。神様は、豊かさに責任を持つことのできる若い世代の人たちを育てたいと願っています。強欲にため込む人のように富に執着するのであれば、その人たちの王国は崩壊します。アーメンと言えますか。
心に寛大さを持っていません。仲間や友と提携し、王と王妃のより大きなコミュニティに仕え、平和警察・平和軍で安全のための相互グループを作ることができません。ため込むだけなのです。小さな王国を持っていたとしても、聖句にあるように取り上げられてしまいます。
神様は若者を育てたいと思っていますが、それは寛大になることのできる者に力を与えたいと願っているということです。君たち男子もやがて王とならなければなりません。神様はあなたの内面を信頼しなければならなくなります。多くのことに対する責任を。
ですから寛大な心を持つことが非常に重要です。度量の大きい心です。いつも渇いているカップのような貧しい心ではなく、豊かに満ち溢れるカップです。そうすれば王冠が意味をなします。それにはカップが満ち溢れていなければなりません。枯れてしまってはいけないのです。アーメンですか。神様に栄光を捧げましょう。アーメン。ハレルヤ!
神様は新しい人たちを育てたいと願っています。主に対する畏(おそ)れとは知恵を意味するものです。怖いという意味ではなく尊敬したいということです。主を中心に置きます。屈服するのです。私たちの命は主の物です。
考えてみてください。あなたが誰かの下にあってその人がけちで、いつも枯渇し、いつも厳しく不満ばかり言っているとしたら、そのような人の下にいたいと思いますか。うっとうしくはないでしょうか。そんな人の近くにいたいとは思わないでしょう。
ではなぜそのような人になろうとしているのでしょうか。青年たち、どうしてそういう人になろうとしますか。寛大な心を持たなければなりません。だから神様はあなたたちの十分の一献金で訓練します。何ドルか持っていて10セント出すとか、1ドル出すという話ではありません。神様の仕事が1ドルの献金で大幅に向上すると思いますか。違います。それは寛大さの訓練なのです。お金を崇拝しないようにするためです。
すごい話をしましょう。國進様は本当に寛大です。先週のことでした。夜タンパ・ベイのブラウン牧師からメッセージングで電話がありました。私は彼がくれたこの新しいアプリの使い方が分かりませんでした。電話に出ようとして「ハロー、ハロー」と言ったりしていました。ようやく出ることができ、彼はみんなが元気かとか来てくれてありがとうといったことを色々と話していました。彼はホテル代や食事代も払ってくれました。
それから彼は「君たちは私に木箱を送りましたか」と聞きました。私が「何ですか」と聞くと「木箱だ」と言います。私は「木箱は送っていません」と答えました。すると彼は木箱か届くという電話をもらったところだと言いました。
私たちは彼のミニストリーに種まきの1万ドルをまだ送っていませんでした。そのことを話してもいませんでした。みなさんにだけ話していました。それでこの教会からは木箱を送っていないと答えたのです。兄のジャスティンからのものに違いないだろうから彼に電話させて欲しいと話しました。
ブラウン牧師は心配していました。木箱は銃販売店に送られるもののようでした。それで彼は中に何が入っているか確認する必要があると言いました。なぜならこの人が言うには、木箱は自分宛だが中身が何か分からないのは奇妙だというのです。
そうして國進兄さんが、彼が試しに使うのに最適な銃が入っていると教えてくれました。それで銃が入っていることを折り返し伝えたのです。すると、大きな木箱なので何が入っているか全部を知りたいのだと言います。相当大きな木箱だったからです。
國進兄さんは自由社会勉強会の最中でしたので、終わったら連絡してくれるということでした。それで分かったのはST9やカー・アームズの製品、トミーガン、そしてトランプ・ガンという1911年のクラシックで芸術品のようなかっこいい銃、またARも入っているということでした。
それでまた電話してこういうものが入っていると伝えると、ブラウン牧師はARが1つか2つなのかと言います。私が複数形で言ったからです。それで私ははっきり分からないのでジャスティンに電話させて欲しいと答えました。それでいくつ入っているか教えてくれたのでブラウン牧師に電話しました。
1つや2つではなく10ですと私は伝えました。10丁の新品のトンプソンARです。彼の教会への寄贈品として。ひとつ890ドルでしょうか。しかし國進兄さんはただ聖霊によって感動して、心に神様を確かに感じ取ったのです。この男に、この教会に種をまきたいとのだ言っていました。契約もしていませんし、相互の合意もありませんでした。何もありませんでした。ただ心の中の小さな声があっただけでした。それは寛大な行いです。このミニストリーにプレゼントするだけでなく、大規模なペンテコステ・ミニストリーにも与えています。彼らを助けているのです。
青年たちはこれを理解していません。このような世界を理解しなければ、貧しい心だけでなく取るに足らないものに囚われてしまいます。わずかしか持っていなくても取り上げられるのです。聖句にはそうあります。寛大な心を持つべきです。男子たち。眠らないでください。
つづく
翻訳:BAMBOOS
第3章
西側世界の内乱 Civil War in the Western World
アメリカは徹底的に分断された国です。それは4年ごとに行われる大統領選挙での民主党の強い州「ブルーステート」と、「レッドステート」と呼ばれる共和党の強い州での、有権者を巻き込んだ戦いを見れば火を見るより明らかでしょう。
しかし、この分断は単なる政府の役割や政策などに関する政治論争、それ以上のものなのです。本質的にもっと根源的性格をもつ論争です。すなわち超越した存在、すなわち神の存在と権威を受け入れ肯定する者と、神への信仰など無知に根差す未熟さだと主張する「専門家」の「啓蒙された」階層のいうことを信じる者との間の争いなのです。
18世紀ドイツの哲学者イマヌエル・カントはこう言いました。
啓蒙とは人間が自ら招いた未成年状態から抜け出ることである。未成年状態とは、他人の指導なしには自分の悟性を用いる能力がないことである。
啓蒙運動以来、多くの者が宇宙は「神の摂理」ではなく物理法則に支配されたものであるとみなすようになりました。科学の進歩に伴い、道徳の源としての神あるいは宇宙の秩序の源としての神はもはや必要ないと人類は考えるようになったのです。理性それ自体と科学で十分だと。
そのような(信仰という)義務から免れることを多くの者たちは喜びました。
フリードリッヒ・ニーチェはこう書き記しました。
「まことに、『年老いた神が死んだ』との知らせに、われら哲学者と「自由な魂」は新しき曙(あけぼの)に照らされる思いがする」
この解放を喜ぶニーチェだが、その暗い裏面も予知しています。
「キリスト教信仰を捨てるとき、その者はまさに自分の足の下からキリスト教的道徳を引っこ抜く。道徳は決して自明ではない。・・・キリスト教は一つのシステムだ。一つの全体として捉えられるものだ。その中の、神への信仰という、一つの主要な概念を壊すなら、全体を破壊することになる」
いいかえれば、至高の神への信仰を失うなら、もはやキリスト教的価値観、または道徳を維持する哲学的基盤が現実に存在しなくなるということです。
殺人は悪か? 誰がそう決めたのか? 人殺しはいつの時代も悪いことだとあなたは思うかもしれませんが。別の人は違った見方をするかもしれない。盗みは悪いことか? 殺人も窃盗もそれを取締る法律がある。では、法が変わればどうか。道徳は法律が求めるものを基礎とすべきなのか。法と人々の現実の価値観と実践との間に不均衡が生じたときにはどうするればいいのか。
個人的には無神論者であったニーチェも、脱キリスト教ヨーロッパの未来は困難で、むしろ悲劇的であると予知した。
「私が関わるのは次の2世紀分の歴史だ。何が起きるのか、もはや起こらないことは何であるか、それを描く。ニヒリズムの到来・・・これまでかなりの間、われわれの全ヨーロッパ文化は大惨事に向かうかのように動いてきた」
「神が『死んだ』」とするなら、次のようなものを信じる他ありません。
ニヒリズム
人生には本質的に何の意味も価値もないとする主義(虚無主義)
物質主義
思考、自由意志による選択、意識を含むあらゆるものは物質的相互作用の結果にすぎないと考える。
優生学
人の生命に固有の価値などなく、進化が支配的な種を生み出したのだから、ある人種は他の人種より「優れている」と考える。その結果、「劣った」亜種/人種の数を減らし、「優れた」人種を増やす行為は正しいことだとする。
ニーチェは人びとが「神は死んだ」という結論を下すとき、彼らが世俗的な大義や制度を崇拝することを予知していました。例えば、国家(民族)社会主義-自分達の民族の利益を崇め、守ろうとする国家であり、他の民族に対して力、暴力を行使することもいとはないような国。
あるいは、共産主義-「労働者階級」の利益を代表すると主張するマルクス主義独裁。「階級間の憎み合い」「階級闘争」に訴えることで、その合法化を追求する。
人びとが神への信仰と世俗のイデオロギーとを置き換えた場合、何が起こるかについては、20世紀は十分すぎるほどの証言を提供してくれます。民族のアイデンティティを掲げる国家社会主義ドイツ労働者党は1930年代に政権を取り、1300万から2100万人の命を奪いました。共産主義イデオロギーは20世紀だけで、推定1億5000万人の命を奪ったといわれます。20世紀の、政府による大量殺人、「デモサイド(民衆殺戮)」は国外、国内の戦争で死んだ人の数の6倍以上、2億6千2百万人に上ります。
政府が好ましくない国民を始末したいと思う場合、国民が武装していると厄介であることは言うまでもありません。大量殺戮、ジェノサイドに先立ち、銃器の押収と登録を行うというゾッとするようなパターンを見ることができます。その例は次のようなものです。
・1915年、アメリカ人の大量殺害に先立ちトルコ政府は銃規制を強めた。
・ ドイツは1938年、ユダヤ人に対する銃の販売を禁止した。1939年から1945年まで、総計千3百万人の丸腰の武装解除されたユダヤ人と他民族が強制収容所に送られ、処刑された。
・ 1929年、ソビエト連邦は銃規制を開始し、それまで重武装していたソビエト市民から武器を押収した。1929年から1953年まで、もはや自衛手段を持たない約2千万人の反体制派が、集められ虐殺された。
・ 中国の銃規制政策は中華民国によって1938に開始された。1948年から1952年にかけて、2千万人の反体制政治家が自衛手段も何もない中、共産党政府によって皆殺しにされた。また加えて、5千3百万人が、大量の餓死者を発生させることになった政府の政策で殺される。
・ カンボジアは1956年に銃規制を開始。1975年から1977年に百万を超える国民が西側の価値観と文化にの教育または触れることで、それに「汚染された」とみなされ、殺された。
・ グアテマラは銃規制を1964年に導入し、その後、10万人のマヤ人を殺害した。
・ ウガンダでは銃規制政策を1970年に導入。8年間の恐怖政治が終わるまでに数千人のキリスト教徒が殺された。
これらの惨劇は脱キリスト教イデオロギーとその政治運動に根深い原因があります。異なる民族、宗教、階層の人々を人間とはみなさないのです。
これらのイデオロギーは、国家は、悪者とみなされた者達を排除する正当な機関だ、とみなします。主流メディアは政府の計画した大量殺戮に加担しました。国のイデオロギーや大義に賛同しているジャーナリストたちは、国の行為を、どんな方法を使ってでも良いものとして描き出すのです。
つづく
翻訳:Harry
最後の11章まで、つきあうぞ
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ジョージ・クック牧師のメッセージ 2018/8/25
少し聖書の話をしていいですか。
神様からメッセージを授かりました。
この話をしたいのです。
兄弟の多い中で末の息子が・・・創世記37章3節にはこうあります。
ヨセフは年寄り子であったから、イスラエルは他のどの子よりも彼を愛して、彼のために「彩りある衣(a coat of many colours)」(ジェームス王欽定訳)をつくった。兄弟たちは父がどの兄弟よりも彼を愛するのを見て、彼を憎み、穏やかに彼に語ることができなかった。
私は自問しました。弟が「彩りある衣」を身に着けている場所を見たぞ。
ただそれを見た瞬間、聖書のこのページが浮かんだのです。ヨセフのことは知っています。鍵を握る、一家を救うために非常に重要な鍵を握った人でした。
多くの困難を超えました。ヨセフの前半生は相当厳しいものでした。
荒野に一人捨てられて、奴隷として売られ、ボテパルの妻には罠にはめられるなど、散々な目に遭っているのです。しかし苦難の期間を過ごしたからこそ自分の血族全員を(エジプトに)招き入れることができたのです。もしヨセフがいなければ、もし末の息子のヨセフがいなければ、多くの兄たちはどうなったか・・「彩りある衣」を着た弟がいなかったら。
ここでひらめきがあったのです。
誰の悪口も言いたくありませんが、人を挑発もしたくありません。それでもあえて言うとするなら、もめごとに首を突っ込むとしたら、ポットをかき回すのにカヌーのパドルをつかいます。(笑)
テモテへの手紙第1を読んで思ったのですが、ティモシー・エルダー第1の手紙です。(笑)12節から14節です。
12女が教えたり、男の上に立ったりすることを、わたしは許さない。むしろ、静かにしているべきである。
13 なぜなら、アダムがさきに造られ、それからエバが造られたからである。
14 またアダムは惑わされなかったが、女は惑わされて、あやまちを犯した。
15 しかし、女が慎み深く、信仰と愛と清さとを持ち続けるなら、子を産むことによって救われるであろう。(テモテへの手紙一2章)
もちろん教会に女性が必要ないなどと言っているのではありません。教団に女性も必要です。しかし頂点に立つこと・・・教団の頂点に立つことは、頂点(手で三角を作って)分かりますよね。どのキリスト教団でもその頂点に立つことに関してはパウロの教えの通りです。頂点は男性でなければなりません。
また生まれた順番が、生まれながら有する権利を定めることもないのです。
あなたはその仕事をなすために確かに神様から選ばれたものであるかもしれないけれど、ここに今この動画をこっそり見ている人々へのメッセージがあります。あなた方はこそこそしたやり方で盗み見でもするように小さな情報を得ようとしているかも知れません。
私はあなたにこういいましょう。創世記50章にあなたに捧げる聖句があります。17節です。
「お父さんは亡くなる前に、こう言っていました 17『おまえたちはヨセフに言いなさい、あなたの兄弟たちはあなたに悪をおこなったが、どうかそのとがと罪をゆるしてやってください』。今どうかあなたの父の神に仕えるしもべらのとがをゆるしてください」。ヨセフはこの言葉を聞いて泣いた。やがて兄弟たちもきて―
ヨセフの兄たちは本当にひどいことをしたのです。ほんとうに悪事を働きました。だから心底ヨセフを恐れているのです。彼には兄全員を殺せる立場にいるのですから
― 18 やがて兄弟たちもきて、彼の前に伏して言った、「このとおり、わたしたちはあなたのしもべです」
末の弟の眼前で起こったことです。一番下の弟(訳注:一番年下はベニヤミン)は、悔恨の情を表す悔い改めの心情を目の前にしたのです。これがいま、こそこそこの動画をチェックしている人々です。
19 ヨセフは彼らに言った、「恐れることはいりません。わたしが神に代ることができましょうか。20 あなたがたはわたしに対して悪をたくらんだが、神はそれを良きに変らせて、今日のように多くの民の命を救おうと計らわれました。21 それゆえ恐れることはいりません。わたしはあなたがたとあなたがたの子供たちを養いましょう」。彼は彼らを慰めて、親切に語った。
さて、ひっそりとある場所でこっそり動画をチェックしている人よ(家庭連合を指す)、そもそも最初からそこにいるべきではない教団トップの女に従う者たちよ、もしも、その女性が多くの兄弟の末の息子の所に来て「私は恐ろしい罪を犯しました。許しが必要なのです。ここに王国の残りがあります。これは皆あなたのものです。私はあなたの疑いようのない権威のもとに身を置きます。」と言うのなら・・。
ここで私は約束します。もしこの取引が壊れても私は痛くもかゆくもありません。外部の人間として外から見ているだけなのだから。二つ目、私はあなたの末の息子をよく知っています。彼は許す心を持っています。しかしあなたはまず悔い改めなければなりません。悔い改めなければならない。真実を話すのです。貧しい生活を恐れてはいけません。養われることでしょう。どうですか、私のいうことがはっきり伝わったでしょうか。
翻訳:Harry
残暑見舞い申し上げます。
台風19 号、20 号が到来し、各地で激しい雨を降らせましたが、皆様お変わりありませんか。お見舞い申し上げます。
さて、アメリカからの報告により、8 月24 日の朝(日本時間24 日夜)無事に先祖解怨祝福式が終わったそうです。また、24 日早朝に行われた大陸会長会議で「世界平和統一聖殿」における「基元節」は、今年より天暦8 月4 日に行われることになりました。この日は昨年、天暦8 月4 日(陽暦2017 年9 月23 日)、「天宙天地人真の御父母様完成成婚式」が行われた日を記念いたします。今年は、陽暦では9 月13 日になります。
本日、皆様を代表して、真のお父様の聖和6 周年式典に参加する為9 名で訪米させて頂きます。帰国いたしましたら、報告を兼ねて「基元節」についても詳細に説明させて頂く所存です。
また、8 月の第4 周の「日本サンクチュアリ協会」公開礼拝は他の行事に変え、行われませんのでお知らせ致します。9 月は第2 週9 日に「日本サンクチュアリ協会」公開礼拝とし、訪米報告その他を江利川がさせて頂く予定です。それでは、取り急ぎ、皆様のご健勝とご活躍をお祈りしながら、報告とさせていただきます。
2018 年8 月25 日
日本サンクチュアリ協会総会長
江利川安栄
第2章 後半
神様の人類に対する願いは創世記1章28節に人類始祖に対する言葉として表現されている。
神は彼らを祝福して言われた、
「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」
私たちにとって第1の祝福は「生めよ」これは霊的に成熟することを意味します。第2の祝福は「ふえよ」、これは神を中心とする結婚、神を中心とする家庭を確立するということです。第3の祝福は「すべてを治めよ」これは人類すべてが、神の原理と本性に基づく神の主権を打ち立てる権利を持っているということです。
残念ながら、私たちの最初の先祖は堕落の罪ゆえにこの「3つの祝福」を成就することができませんでした。彼らの堕落には自己中心的な肉的交わりが関わっています。
個人の霊的成熟と、祝福された結婚、地上に対する神の主権、という神様の理想が成就しなかったということです。統一教会のメンバーにとって、聖婚祝福式は単なる結婚ではありません。キリストの堕落と縁のない王の血統に結婚と家庭が接ぎ木されるのです。黙示録19章9節にある「子羊の婚宴」です。
黙示録では、キリストは繰り返し「鉄のつえの支配(黙示録2:27)」について述べています。しかし「支配」という言葉は本来「導く、世話をする」あるいは「保護する」という意味のギリシャ語のポイマイノが語源です。したがって、この聖句はわれわれに神様が子供たちを鉄のつえで保護する、群れを独裁者のようではなく、愛する父として護ってくださるということを語っているのです。
同様に、私たち一人一人も「鉄のつえ」の力を用いるように求められています。それはこの世のサタンの王国が行ってきたように、人を傷つけたり抑圧するのでなく、神の王国とその住民を守るために用いるのです。
あなたと私には家族と社会、そして究極的には国まで守る責任があるのです。「鉄のつえ」は男にも女にもそして老人にも自分達と他の人を略奪者から守る能力を与えてくれます。
射撃魔から生徒たちを守るために、体一つで校舎に飛び込んだフットボールコーチが銃を持つことを許されていたならば、彼等の命を含む多くの命を救うことができたでしょう。
生徒を守ろうとして命を落とした3人のフットボールコーチ
生きるか死ぬかという状況で、第一対応者になるのは、たいていの場合、警官ではありません。それはあなたや私なのです。危機的状況で、警官が到着し、事態を掌握し、誰が関わっているのか特定し、とにかく、どんな対策を取るかを判断するまで10分から20分、ときにはもっと時間がかかります。
パークランド銃撃事件の場合、ほとんどの警官は到着が遅過ぎて、被害の拡大を防ぐことができませんでした。彼らにできた事といえば、せいぜい負傷者を手当てし、死体を運び出し、事件の報告書を書くことだけでした。
真の神の信仰は、妄想の世界のおとぎ話ではありません。神を愛し隣人を愛することの責任を男も女も引き受けるということです。他の人を守るためには、よろこんで自分の命さえ危険にさらす。これは、私の父が亡くなる前、私に教えてくれたことです。だから私も自分の子供とサンクチュアリのコミュニティにこれを教え、訓練しているのです。
父は現在の北朝鮮で生を受けました。ですから、人びとが無防備でいるとき何が起きるのかを十分に理解していました。共産主義の支配が及んだ時、父はキリスト教の説教をしているという理由で逮捕され、興南の死の強制労働所に送られました。そこで囚人は飢えに苛まれながら、死ぬまで働かされるのです。ダグラス・マッカーサー将軍率いる陸軍が父と他の囚人たちの命を助け、解放してくれました。父の家族の多くも数えきれない他の同国人とともに命を落としました。
私の父は、自分を拷問し、親族を殺した男たちを許しました。独裁者金日成に会いに行き、北朝鮮の近代化のためにと援助の手まで差し伸べました。
父はまた、朝鮮戦争後、韓国とその国民が決して無防備でいてはならないと、韓国で銃器の会社を立ち上げました。
神様はわれわれに地上天国における、父の共同相続者、共同後継者になることを願っておられるのです。(ロマ書8章、詩編2章をみよ)
これが、私が2月28日の祝福式に参加するカップルに、自分の「鉄のつえ」を持参しなさいといった理由です。鉄のつえの目的は人を傷つけることではなく、無垢な命を守ることです。
私の父はこう言いました。
「保護圏がなければ、命が脅かされます。そして命が脅かされるとき、愛は現れることができません。」
つづく
翻訳:Harry
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