主のための臨戦態勢(Locked and Loaded for the Load)
文: Tom Dunkel 写真 Bryan Anselm
2018年5月 21日
翻訳:HARRY
KAHRは手のひらサイズのK9モデルを1995年に発表した。これには一般人も警察まで飛びついた。このジャスティン(国進)の成功が父親の目に留まり、KAHRは統一教会の事業体の一つに吸収されることになった。ジャスティンは韓国に移り、KAHRに加えて子会社の社長を兼任した。1999年には、あの“ベビーフェイス”・ネルソンなどギャングが愛用した名高い「トンプソン・サブマシンガン」を製造していた会社(訳注:トミーガン)を買収するだけの資金を取得する。
アメリカの政府機関、「アルコール・タバコ・火器及び爆発物取締局」の2016年の報告によるとKAHRが販売した銃器は、2016年1年間に、ピストル4万274丁、ライフル9千86丁だ。
ジャスティン・ムーンは修正第2条の活動的な支持者だ。一般国民も合衆国軍兵士が持つ武器はすべて所有が許されるべきだ、とジャスティンはいう。
「もしアメリカの全女性が武器所有権を行使するなら、アメリカの犯罪率は根本的に下がるだろう」KAHR社で彼は私にこう言った。「もうレイプも強盗もできないだろう」
ジャスティンが統一教会(財団)の位置を上っている頃、ショーン(文亨進様)はジャスティンの後をハーバードまで追いかけることになる。ハーバード・エクステンションスクールでリベラルアーツ(訳注:「自由七科」文法学・修辞学・論理学の3学、および算術・幾何・天文学・音楽の4学)学士を取得後、ハーバード大学院(神学校)に進学して修士号を取得した。その後、アメリカ、韓国、インドで仏教の研究に8年を費やした。
ショーンには、「自分とは何者なのか」という問題を探しに出なければならない切実な理由があった。まだ彼が学生の頃、1999年に彼の兄、ヨンジン(フィリップ:栄進様)がラスベガスのホテルの17階から飛び降りたのだ。二人は一緒に育ってきた。フィリップは21才でショーンの一つ上だ。
「生まれてからほとんどの期間、同じ部屋で生活しました。一緒にビデオゲームをし、一緒にドリトス(スナック菓子)を分け合いました。」
こうショーンの回顧録には書かれている。
2007年7月、「放蕩息子」は統一教会の「群」の中に戻った。前年の秋にショーンは、6日間で1万2千回の敬拝を実行する意志を電信で伝えていた。また同じ頃には、ポスター大の紙に、医者に抜かせた自分の血で、毛筆をもちいて漢字一文字「誠(sincere)」を書いた。
ショーンの最初の仕事は統一教会のソウル教会での牧会だった。それから10カ月もたたない頃に、世界会長に任命された。ショーンは3度の式典で、彼の父は自分を「相続者、後継者」に任命したという。しかし、彼はまた兄プレストン(文顕進)と韓鶴子に対しての複雑な反応も見せた。2012年に夫が亡くなって数日後、彼の父がソウル北部の山上に建てた豪華な天正宮に来るようにと韓鶴子はショーンを呼んだ。ショーンによると、韓鶴子は「私は神だ、私はハナニムだ」と彼に宣言したという。それに対して彼は言った。
「お母さん、どうかそのようなことを言わないで下さい。お父様も喜ばれないでしょう」。
彼によると、母、韓鶴子は教会の活動から徐々に彼を締め出し、ついには彼の電話に出ることも拒んだという。2013年、彼の父親の死後、1周年にショーンは、母に会えることを期待して宮殿におもむいた。これは彼(亨進様)の言い分だが、その時、母親は警護員に犬でも追い払うように彼を追い払わせたという。
ジャスティン・ムーンは弟についた。偶然その頃、ニューヨーク州はジャスティンを困らせる、銃規制法を何本か州議会で議決した。そこで自分を含め、KAHR社も統一教会から離脱することを決意し、KAHR社の本社も移転した。2013年の春には、兄弟二人は家族と共にペンシルバニアに落ち着くことになった。
ショーンは自宅のリビングでサンクチュアリ教会の礼拝を開始する。その頃、自宅はローズ・バレー(主の谷)という町にあった。
つづく
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