2019年3月17日英語説教(2)―完結

2019年3月17日 日曜礼拝 英語説教

翻訳:BANBOOS

(略)

康お母様は何十年もずっと前線の仕事を通過しなければなりませんでした。何十年もずっと認められることなく、誰にも感謝の言葉を受けずに、何十年もずっと神様に仕えて来られました。ときたま彼女の年齢か何かのことで表彰されるだけです。

いつも裏方で、若々しい心情、神様に対する信仰、キリストに掛けた命を中心とした信仰を決して失わずにいました。自分の命を神様に捧げたその最初の日を決して捨てませんでした。70年間前線で、それを心の中で新鮮に保ちました。

全世界の教会でも、康真のお母様より真のお母様としてふさわしい人は1人もいません。

最後の時、追い込みの時、土壇場で、韓オモニが自身の栄光と今や失いつつある財産のために、ゴールから後戻りしたためです。裏切った人は決してうまく終わることはありません。

最後の瞬間のことです。草創期からの大先輩たちは、誰もお父様の王権のために、お父様の相続人のために立ち上がりませんでした。あの巨大な宮殿で、清平のスタジアムに集まった中で誰も。誰も我々のために立ち上がりませんでした。 続きを読む

2019年3月17日英語説教(1)

2019年3月17日 日曜礼拝 英語説教

翻訳:BANBOOS

(前略)

明日は聖和式でもありますが、同時にプリム(訳注:エステル記の主人公である王妃エステルにちなんだユダヤの祭日。2019年のプリムは、3月20日の日没から21日の日没までとされています。どういうわけで2日早い日をプリムとしているのかは不明です。)の日でもあります。エステル記2章17節から行きましょう。

概要を話していきますが、まず17節から始めましょう。

ここでの王とはペルシアのアハシュエロス王のことです。

17:王はすべての婦人にまさってエステルを愛したので、彼女はすべての処女にまさって王の前に恵みといつくしみとを得た。王はついに王妃の冠を彼女の頭にいただかせ、ワシテに代って王妃とした。

エステルはユダヤ人の女性です。王はエステルを見て恋に落ちました。それから何が起こったかは、3章、4章でわかります。

3章に飛びますが、ハマンという人が大臣に昇進します。ディズニーのアラジンの映画を覚えていますか。ジャファーという大臣が出てきて、王を洗脳して全てを支配してしまいます。それと同じことがここでも起きます。

ハンメダタの子ハマンという人が昇進して、アハシュエロス王の下でペルシャ帝国の大臣になります。エステルのいとこが、彼女を養子にして自分の子供として育てていました。

宮殿である計略が発覚します。2章21節に戻りましょう。 続きを読む

2019年3月10日英語説教

2019年3月10日 日曜礼拝 英語説教

翻訳:BANBOOS

今日は短い話に留めます。ご存知の通り、この礼拝の直後から追悼の期間となります。ですからこれは追悼礼拝の延長となります。全員が認識を同じくするためです。我々はもちろん祈ってきましたし、真のお母様に精精を捧げてきました。 

 キングスレポートで数日間話してきたことですが、このことが世界中に知らされることがとても重要です。我々と一緒に参加する日本、韓国、ヨーロッパの全ての兄弟姉妹たち、真のお母様の霊界での生活について、とても明白な見方を持つということが大切です。 

 我々が明確にしておかなければならないことがあります。真のお母様は一生を終えられました。彼女も我々も荒野にいました。家庭詐欺連合はみなお父様を裏切り、韓オモニはお父様を裏切りました。彼らはお父様の血統、それから王権を拒否したのです。また同時に同様にしてお父様を裏切りました。 

 我々は荒野にやってきて、ここにいる一部の人たち会うようになりました。そして他の人たちこの地域に移って来るようになりました。その間数年で・・・。お父様の主要な弟子の中でも、真のお母様はお父様に選ばれて荒野に来られ、お父様の三大王権のために立ち上がるようになりました。  続きを読む

康真のお母様聖和のお知らせ

翻訳:BANBOOS
<Newfoundland Sanctuary Church、フェイスブックページより>

親愛なる各家庭の皆様

ここに、天基10年1月30日(2019年3月6日)東部標準時間午後5時41分、全人類の永遠の真の母である康賢実(カン・ヒョンシル)様が勝利的に聖和されたことをお知らせいたします。

真のお母様は天一宮の自室で、二代王亨進様、王妃妍雅様、國進様、チエ様など多くの人に見守られながら、安らかに聖和されました。

お母様の霊界への滞りない旅立ちのために、できるだけ多くの国でそれぞれ3名の祈祷チームでリレーするよう準備してください。聖和の時刻から少なくとも40時間のリレー祈祷を継続してください。

2017年9月に、康真のお母様は、王の王、真のお父様である文鮮明師の花嫁となられ、それまでその位置にあった人物の堕落によって空席だった位置に立たれました。そうすることでお母様は、完成レベルのエバを復帰するという神様の摂理を成就されました。お母様は、全人類の永遠の真の母であり、歴史上の全ての女性の中で最も偉大な方です。

聖和式は、2019年3月18日(天基10年2月12日)午前10時から、ペンシルベニア州ニューファンドランドのサンクチュアリ教会で執り行われます。詳細は分かり次第発表いたします。

世界平和統一聖殿
世界宣教本部長
ティモシー・エルダー

2019年3月3日英語説教

2019年3月3日 日曜礼拝 英語説教

翻訳:BANBOOS

聖句に行きましょう。先週はあまりにも縛られてしまって、聖句まで行きませんでした。(別のことに)打ち込みすぎてしまいました。最初からすぐに聖句に行きましょう。マタイ23章ですが、とても重要です。

ほぼ全体でキリストご自身が語っておられる長い章の1つです。ですから、とてもユニークな章です。私の縮小版の聖書でも約2ページに渡るほど長いです。赤い字はイエス様が語られている部分なのですが、ページのほとんどが赤くなっています。興味深く、また力強い章です。

とてもたくさんのことが・・・今日神様は我々にみ言を準備しておられますので、これを読んでいきましょう。強力なみ言です。23章を一緒に読みます。

 1:そのときイエスは、群衆と弟子たちとに語って言われた、2:「律法学者とパリサイ人とは、モーセの座にすわっている。3:だから、彼らがあなたがたに言うことは、みな守って実行しなさい。しかし、彼らのすることには、ならうな。彼らは言うだけで、実行しないから。4:また、重い荷物をくくって人々の肩にのせるが、それを動かすために、自分では指一本も貸そうとはしない。5:そのすることは、すべて人に見せるためである。すなわち、彼らは経札を幅広くつくり、その衣のふさを大きくし、6:また、宴会の上座、会堂の上席を好み、7:広場であいさつされることや、人々から先生と呼ばれることを好んでいる。8:しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはならない。あなたがたの先生は、ただひとりであって、あなたがたはみな兄弟なのだから。9:また、地上のだれをも、父と呼んではならない。あなたがたの父はただひとり、すなわち、天にいます父である。10:また、あなたがたは教師と呼ばれてはならない。あなたがたの教師はただひとり、すなわち、キリストである。11:そこで、あなたがたのうちでいちばん偉い者は、仕える人でなければならない。12:だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう。13:偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは、天国を閉ざして人々をはいらせない。自分もはいらないし、はいろうとする人をはいらせもしない。14:〔偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは、やもめたちの家を食い倒し、見えのために長い祈をする。だから、もっときびしいさばきを受けるに違いない。〕15:偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたはひとりの改宗者をつくるために、海と陸とを巡り歩く。そして、つくったなら、彼を自分より倍もひどい地獄の子にする。16:盲目な案内者たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは言う、『神殿をさして誓うなら、そのままでよいが、神殿の黄金をさして誓うなら、果す責任がある』と。17:愚かな盲目な人たちよ。黄金と、黄金を神聖にする神殿と、どちらが大事なのか。18:また、あなたがたは言う、『祭壇をさして誓うなら、そのままでよいが、その上の供え物をさして誓うなら、果す責任がある』と。19:盲目な人たちよ。供え物と供え物を神聖にする祭壇とどちらが大事なのか。20:祭壇をさして誓う者は、祭壇と、その上にあるすべての物とをさして誓うのである。21:神殿をさして誓う者は、神殿とその中に住んでおられるかたとをさして誓うのである。22:また、天をさして誓う者は、神の御座とその上にすわっておられるかたとをさして誓うのである。23:偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。はっか、いのんど、クミンなどの薬味の十分の一を宮に納めておりながら、律法の中でもっと重要な、公平とあわれみと忠実とを見のがしている。それもしなければならないが、これも見のがしてはならない。24:盲目な案内者たちよ。あなたがたは、ぶよはこしているが、らくだはのみこんでいる。25:偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。杯と皿との外側はきよめるが、内側は貪欲と放縦とで満ちている。26:盲目なパリサイ人よ。まず、杯の内側をきよめるがよい。そうすれば、外側も清くなるであろう。27:偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは白く塗った墓に似ている。外側は美しく見えるが、内側は死人の骨や、あらゆる不潔なものでいっぱいである。28:このようにあなたがたも、外側は人に正しく見えるが、内側は偽善と不法とでいっぱいである。29:偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは預言者の墓を建て、義人の碑を飾り立てて、こう言っている、30:『もしわたしたちが先祖の時代に生きていたなら、預言者の血を流すことに加わってはいなかっただろう』と。31:このようにして、あなたがたは預言者を殺した者の子孫であることを、自分で証明している。32:あなたがたもまた先祖たちがした悪の枡目を満たすがよい。33:へびよ、まむしの子らよ、どうして地獄の刑罰をのがれることができようか。34:それだから、わたしは、預言者、知者、律法学者たちをあなたがたにつかわすが、そのうちのある者を殺し、また十字架につけ、そのある者を会堂でむち打ち、また町から町へと迫害して行くであろう。35:こうして義人アベルの血から、聖所と祭壇との間であなたがたが殺したバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上に流された義人の血の報いが、ことごとくあなたがたに及ぶであろう。36:よく言っておく。これらのことの報いは、みな今の時代に及ぶであろう。37:ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。38:  見よ、おまえたちの家は見捨てられてしまう。39:わたしは言っておく、『主の御名によってきたる者に、祝福あれ』とおまえたちが言う時までは、今後ふたたび、わたしに会うことはないであろう」。 

 パリサイ人に対する強力で、厳しい批判のコメントです。この人たちは当時の宗教的な人たちでした。若い時私たちは、宗教的であることで清くなると思っていたかもしれません。いつも高尚なことを考えているように見せかければ、と。しかし神様はこうしたことについて警告しておられます。そのようなことをしてはならないと警告しておられるのです。当然ながら当時の宗教的文化を非難されているのです。 続きを読む

天一国のもとでの信仰の自由-キングズレポート・ハイライト

 

キングズレポート2018/11/29から

翻訳:ANNE

アメリカにおいて、信教の自由と言いますがそれでも聖書に宣誓します。例えば、裁判の法廷において聖書に宣誓します。判事も聖書に宣誓します。

(エルダー本部長:大統領も宣誓します。)

そうです、大統領も聖書に宣誓します。
これは法で定められているでしょう。大統領の義務として。

(エルダー本部長:わかりません)

これは興味深い(面白い)質問ではないですか?
信教の自由と言いながらも、しかし、これは歴然としたキリスト教文化なのです。

もちろん、神の王国、天一国では更に明確になります。なぜなら、諸王がキリスト教の神を讃美し、たたえる式典に参席するようになります。この国はあまねくはっきりとキリストを中心とします。異教信仰や快楽主義ではありません。

(エルダー本部長:ワシントン(政府)が伝統を重んじるようになりました。大統領が聖書に誓います。)

おそらく無神論者は嫌がっているでしょう。

(エルダー本部長:もちろん、無くそうとしているに違いないです。)

誰の目から見ても、アメリカの例は火を見るよりも明らかで、信教の自由の基盤の上であっても、キリストを中心とする文化なのです。

天一国では、お父様の王権のもと沢山の式典や祈祷会に参加することで常に与えられる(機会)、神様の御名をイエス様の御名を高めることで一般化され、さらに増すようになります。

大統領はアメリカにおいて宗教上の象徴ではありません。大統領は聖職者ではないのです。
しかし、神様の王国である天一国では王様は司祭として我々に戴くのです。
国の王様として、そして天一国の諸王としても。

未来の天一国で諸王はテレビ中継を見ながら…今日行われている(真の)神の日、子女の日、万物の日の式典の祝いなど、祈祷会とお父様の訓読会、すべてこの文化は神様の栄光を讃えること、イエス様を高める内容であります。…これらのことがテレビで放映されます。
ちょうどニューヨーク市で行われるクリスマスパレードなど…あれは何でしたか?

(エルダー本部長:メイシーズ(デパート)主催の感謝祭パレードですね。)

あれは感謝祭でしたか。
クリスマスにも何かやっていませんでしたか。アイススケート・リンクのようなところで、野外コンサートなど。
とにかく、そのように天一国の式典は主要な地域どこにでも放映されます。

(エルダー本部長:クリスマスツリーが設置されたところで(コンサートが)ありますね。)

ホワイトハウスのクリスマスパーティーも全国中継されます。

とにかく、王国のすべての人々が視聴することができ、どのようなことと繋がっているのかを心に留めるようになるのです。そうですね。

アメリカでは感謝祭パレードのようなものを、見なければならないと命じられてはいません。
見る必要はありませんが、重要な行事が継続して行われているのです。
なぜなら国家に感謝しているならば、建国の父に感謝するようになっているからです。
異文化同士を国家に結びつける、共通の歴史と共通の遺産を浸透させようとすることになります。共通の信条体系で結びつける。もしも国がそれをしなければ、バラバラになり分断されます。

今、アメリカで実際に起こっていることです。二つに割れています。社会主義・共産主義者との間で分断されています。建国の父に感謝の念を抱く人々および、一般的にユダヤ・キリスト教の原理で統御された人々との間で。
分断されていっています。真っ二つに分かれています。

それを認識している、ある一流雑誌の記者が書いた記事には…グレッグが示してくれたんですが…
「アメリカは回避不能の分断になる。もちろん衝突と戦争は起こる。」
しかし彼は、そこに新しい体制が出現すると予測しています。

一国の中に、二つの国が存在するかのように分断されることによって。

そこには、公共教育・大学と呼ばれる社会主義者養成所によって洗脳及び訓練された、莫大な左翼市民が存在するのです。共和国とは相容れない社会主義を信じる者たち。主権と責任に基づく国とは矛盾する。共にすることができません。

このように二つの、何百万人もの人々、これはいまのアメリカにとって、小さな割合の人ではありません。何万、何百万の人々です。わかりますか。

二分化と分断が起こっており、学者の予測では明らかに衝突が増えて、さらに拡大して…基本的に内戦であり、しかしそれを起点として新しい体制が建てられるのです。

(新しい体制が)築かれることでしょう。

運任せにしないでください-2月17日英語説教(その3:最終回)

Sunday Service February 17 2019 Rev Hyung Jin Moon Unification Sanctuary Newfoundland PA on Vimeo

2019年2月17日 英語説教 その3

翻訳:BAMBOOS

我々はヘマをすることがあります。私は昨日やってしまいました。疲れていたのです。真剣さが足りませんでした。しかし悔い改めたので、また今度別の人に向けて頑張ります。

ただ我々と一緒にいるだけではだめです。キリストを他の人に広めたいという願望――これは、ただ我々の中に留まっているべきではありません。願望は行動に移す必要があります。

私の言っていることが全員分かると思いますが、ある人に会って、その人に(キリストについて)話さなければと思うことがあるのです。神様が完璧な状況を準備してくださって、イエス様について話さなければならないと感じます。みなさんの中で、特に古い勇士たちはきっと多くの人が分かる話だと思います。人生でこれを感じたことが必ずあるはずです。

そしてそのように行動しなかった場合、どうなったか分かりますか。後悔したのです。その人にはもう二度と会えません。しかしそのうち、起きたことを意図的に忘れようとし始めます。自分を断罪せずに、次は臆病にならないで前進しよう、その人に話すようにしよう、と。

素早く、十分に時間をかけてやらなければ失うことになります。そしてその願望を失い、聖霊は離れます。心は沈み空虚に感じるようになります。なぜならそれは、キリストによって永遠の命と喜びを感じ、人々が救いを受け解放されるということを、他の人に共有することを通じて出て来るものだからです。

それは、人々が救われることは、どんな癒しよりも良いことです。癒しは神様の存在と神様の働きに対する素晴らしい証人です。しかし、どんな癒しよりも素晴らしいことは、人が救われることです。地獄に行こうとしていた人が、今度はイエス様の隣にいるようになるということなのです。

我々の中で余りにも多くの人が神様の霊に圧倒され、満たされて、聖霊の洗礼をうけているに違いありません。

・・・願望を持っているのに・・・。思いがやってきて、もうできない、プライバシーの侵害になると言い訳を重ねて失ってしまいます。知らないうちに聖霊は去っていくのです。神様の臨在に対する感覚を鈍らせずにいれば、我々は人々が救われることを渇望するようになります。渇望、そして喜びです。

ここに新しいゲストを迎えることがあります。様々な場所から何人か若者が来ました。そしてキリストに命を捧げました。もう二度と彼らに会うことがないかもしれません。しかしその日、キリストに命を捧げたのです。

1カ月程前、体の大きな人がここに座っていました。その人に会うことはもうないかもしれません。しかし彼の人生で何かが変わり、自分の命をキリストに委ね、サタンから神様へと捧げました。そうしたことに興奮しなければなりません。外面では分かりませんが、その人に革命的なことが起きています。

どんなにおいしい持ち寄り料理よりも満足感を与えるものは、人が救いを受けることです。彼らがついに、自分の命をキリストに捧げようと約束することなのです。霊的な目が開いて、彼らの魂に喜びを見ることができます。喜んでいるのです。なぜなら、彼らが今永遠の命の賜物を与えられたからです。

小さなことのように思えるかもしれませんが、大きな物である必要はありません。自分の命を変化させたというその小さな出来事。その人に、これから他にどんなことが起こるのを神様が準備しているのかは分かりません。しかし始まったということは分かります。過程は始まったのであり、変化は起きたのです。そして変化の兆候はだんだん増えていきます。

誰かが命をキリストに捧げるということに、本当に胸が躍ります。それほど豊かなことはありません。誰かがついに自分を解き放ち、自分自身と自分の道を信頼し、行き止まりを自覚して・・・。最終的に自分を解放します。

なぜなら自分で牢獄に入っているようなものだからです。誰かが解放されるのを目撃します。悪魔によってまわりに築かれた牢獄から解放されるのです。いったん解放されると、彼らの命がどこへ行くのか分かりません。南に行くのか、北に行くのか、西に行くのか、東に行くのか。

どんな場合でも神様は彼らの人生に何か働きかけています。神様は人生を変えておられます。教師や講師であるなら、人々の人生を変えることがどれほど素晴らしいことか分かります。教師や講師として、人生が変わっていくのを見るのがどれほどの喜びとなるでしょうか。創造主である神様ならその喜びはどれほど大きなものでしょうか。

命の根源である神様です。人間に自由な世界を与えた神様にとって、どれほどのものでしょうか。神様は人間に自分を選択して欲しいと願っておられます。その選択がなされた時、どれほどの喜びとなるでしょうか。その瞬間を過ぎ去らせないでください。

もしかしたら、神様はあなたがある人に鉢合わせするような、あるいはある人が「イエス様を知っていますか」と尋ねて来るような時間を準備されたのかもしれません。

物を盗んだことはありますか。嘘をついたことはありますか。結婚しているのに浮気したことがありますか。女性に情欲を抱いて、心の中で姦淫を犯したことがありますか。神様の名前をみだりに唱えたことがありますか。それを自分で認めるなら、あなたは嘘をつき、盗み、姦淫を犯し、神を冒涜している人です。

それが当てはまる場合、そして神様が正義の神様であるなら、あなたは裁きの日に裁かれます。あなたは最終的にどこに行くと思いますか。あなたの話した通りなら、良い場所でしょうか悪い場所でしょうか。我々に神様が必要だと悟らせてくれるのは、自分たちの罪です。罪がそれを悟らせてくれます。

私はヒトラーではありません。人を殺していないし虐殺もしていません。でも神様はそのようには見ていません。嘘をついたことがあれば嘘つきです。罪を犯しました。神様の名前をみだりに使うなら、罪を犯したということです。情欲を持って女性を見たなら、罪を犯したのです。

公正な世界、公正な国では、犯罪は罰せられなければなりません。そうでなければ正義はありません。犯罪者はいつも罪を免れてしまいます。正義がなく、誰もが不満を漏らします。

我々に直面する罪の現実が、我々に衝撃を与えて自己満足から抜け出させ、こう悟るのです。私は本当にそういう人間だ。神様はご自分の完璧さと比較して私を裁かれるのだ。私は神様から遠い。少なくとも、嘘をつき、盗み、姦淫を犯し、冒涜した。神様の前に主要な罪を全て犯した。そうであるならば、裁きの日に私は裁かれる。

それは正しいですか。正義の世界なら正しいのです。

どんなに自分が完璧だと思っても、清い、罪のない神様に対して、我々は罪を犯しています。神様は嘘をつかず、盗みません。動物や他人と比べるのではなく、神様と比べます。すると自分が多くの罪を犯していることが分かります。

罪のない完璧な裁判官の前に出て、その人が私を見れば、私には罪があるのです。全ての罪は犯罪となり、公正な世界では罰せられます。しかし、「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった」のです。「それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るため」なのです。それが逃れる道です。

つまりたとえ我々が罪人であっても、キリストは我々の罪のために死なれました。もちろん、キリストは王国を説き、王国を築くことが目的でした。人々が失敗し、キリストを拒絶したのです。霊的救いをもたらすために、神様によってその道が用いられました。

罪人としてキリストから分かれた人たちは、十字架がもたらしたものを見ます。我々は自分の罪の対価を支払うべきでした。それが裁判所から自由に出てきました。キリストは、あなたたちを自由に行かせ、自分が罪を償うので、ただ私が生きるように生きてくださいと願います。今までのように生きてはいけません。あなたが完璧でないのは知っていますが、私が生きたように生きようと努めてください。それだけが私の願いです、といって。

キリストは解放者です。その願いは人々をサタンと罪から神様へと解放することです。私たちへの願いも解放されることです。人々が罪から解放され、神様に忠実であるよう助けることです。

しかし興味深いことですが、こうした会話をしてみると、気分を良くさせると思うでしょうが、死の運命や審判、正義、罪といったことについて最初から考えさせることになります。こういうことを言われたこともなかったかもしれません。

彼らが悔い改めないのはそういう理由からです。自分は良い人間だと考えています。誰も殺していません。それが重要ではありません。神様は他の人と比べているのではなく、ご自分と比べています。それが問題なのです。問題は、教会が罪についてあまり話さないことです。そのため人々は自分に救い主が必要であることを忘れます。

そして罪を受け入れ、救いの賜物を受け取ると自由が得られます。死んだときに訪れる、自分の目の前にぶら下がっていた罰から解放される、そういう自由が生まれます。いろいろなことを信じようとしたとしても、死ぬ時はもう逃げ場がありません。創造主に向き合い、審判されます。

ですから実際こうしたことを人々は初めて考えます。「そんな風に考えたことはありませんでした。あなたの気持ちは分かります。私を傷つけるつもりではないことは分かります。あなたの話には少しショックを受けましたが、私を傷つけるつもりはないですね」と。

そうして素晴らしい会話ができます。我々は、人をキリストに導き、彼らが祭壇で自分の命を初めてキリストに捧げるように導くことで、大きな恵みを受けました。素晴らしい恵みです。本当に大きな恵みです。若い時にキリストに命を捧げる人もいれば、年を取って逃げ場がなくなってから命を捧げる人もいます。永遠に逃げることはできません。

どのような場合であっても、そうすることで人生全体が、永遠が変わります。そしてそれを目にする時、必ず大きな喜びとなります。なぜなら、自分の時のことを考えてみてください。あなたは実刑判決を受けましたが、自由の身になりました。どれほど幸せなことでしょうか。問題は、多くの人が実刑判決を受けていることも知らないことです。気づいていないのです。

それが来ると分かっていれば、違った行動を取るかもしれません。違った行動を取るという選択肢もありますが、問題は教会が、人々の気分を良くしようとしてそのことを話していないことです。死の運命や罪を突きつけません。それでひどい仕打ちをすることになります。人の目には好かれても、魂に対してはひどい仕打ちをすることになります。なぜなら死んで地獄に行くからです。肉体が死んでも地獄に行くという意味です。

ですから私は、韓氏オモニを支持することができませんでした。魂が危機に瀕しているというのです。彼女がこれをすれば地獄に送られます。罰を受けるのです。私が電話をかけるのを止めようと選択したのではありませんでした。地獄に行くといけないので、これをやめるように電話で伝えようとし続けました。すると母は愚かな秘書に話をさせたのです。秘書と話をする必要はありません。母と話をする必要がありました。

だから本当に悲しいことです。あなたが最善を尽くしても、その人が頑なな態度で神様を裏切ることを選択するなら、それが彼らの選択であり自分で選んだことをするのです。人々は最後に自分の選択で神様を否定します。その人のことを嘆きます。あなたがそうするのは悲惨なことです。しかしその選択を尊重します。神様はそれを尊重し、そうなることを許されます。

しかし、全ての人が命を失い滅びることが神様の意図ではありません。我々の意図でもありません。しかし我々は、問題を提起することはできません。それは重大なことであり、死ぬ日のことを考えさせます。永遠に年を取らない人はいません。

大変なジャンプをして自分の体をいじめて、たくさん格闘技の訓練をして、ひざを痛めて、弱くなったと感じ始めています。先日息子たちをハイキングに連れて行って、大きな山までたった3マイルですが、少し勾配のある道を近道して行っていたら、下りで膝を痛めてしまいました。リオに私のストックをぶつけてしまいました。心配しないで、あなたのせいではありません(笑)。

彼らと同じ年齢の頃、山登りは簡単だと思っていました。下りは簡単だと。青年たちは上りと下りのどちらがきついですか。上りですね。下りで痛めてしまいました。鋭く刺すような痛みがずっとありました。2、3歩歩くたびに、「息子たち待って、お父さんは少し待たないといけないから」。それで私のバッグを持ってくれました。私が12歳とか14歳で、格闘技の訓練をしていた時に、ひざが痛むようになる日が来ると思ったことがあったでしょうか。全くありませんでした。

我々は誰もが死にます。自分の死の運命に向き合わなければなりません。その日に向き合わなければなりません。運に任せないでください。お願いです。命をキリストに捧げたことがないなら、それを運任せにしないでください。いつ死ぬかは分からないのです。今日家に帰る途中で死ぬかもしれません。運任せにしないでください。

キリストに命を捧げたことがないのであれば、今日がその日です。あなたがあと1日ただ頑固であろうとして、命を捧げずに家に帰る途中で死ぬことになれば、我々は永遠に苦しみ、悲しむことになります。あなたが苦しむのを見ると我々は本当に、永遠に悲しむことになります。どうかそうしないでください。神様に対してそうしないでください。あなたはもう十分に泣いてきました。

つづく

デュナミスの力-2月17日英語説教(その2)

Sunday Service February 17 2019 Rev Hyung Jin Moon Unification Sanctuary Newfoundland PA on Vimeo

2019年2月17日 英語説教 その2

翻訳:BAMBOOS

イサクはアブラハムと歩んでいました。彼は父親を信頼し、父親のすることを信じていました。父の話、自分の命についての予言を信じていました。言い換えれば自分の命を父親の手に委ねていたのです。それは神様が我々に求めていることです。それが大きな試練です。

みなさんは誰かの手に自分の命を委ねなくてはならなくなります。それがポストモダニズムであろうと、あれこれ教える教師であろうと、誰かの手に命を預けることになります。神様が我々に問いかけるのは、どこで自分の命を神様に委ねるのかということです。アブラハムとイサクのように神様を信頼するのか、ということです。

我々がもしそのような考え方、心情、気持ちを備えるなら、空気が全て変わってきます。天使ですら何が起きているかを感じることができます。神様がその手を止めるよう言われた時、天使でさえもう為されたのだと分かりました。というのも、彼らはイサクの心、そして父親との一体化によって空気が変わったことを感じることができるからです。

我々が祈祷を受ける時これは重要です。我々の多くが熱心にお互いに祈っています。いい加減な祈りをする教会が多くあります。我々は床を叩きながら熱心に祈り、大声で神様に叫びながら、人々のために祈ろうとします。熱心な祈りです。熱心な祈りを捧げるために、人がどれほど自分の命を注いでいるか理解してください。

あなたのために人が祈る時、「彼のことを考えていますよ。あなたのことを祈っていると彼にメールで送りますので」というような態度で祈るのではありません。そうではなく、人のために祈る時は汗を流しながら、天に向かって叫んで、熱心に祈るのです。そのようにしてあなたのために祈っています。

自分が死ぬ間際に、「去る時が来ました。受け入れなさい」と、いい加減な祈りをして欲しいとは思いません。自分の命について真剣な人を望みます。

ある姉妹が激しく戦っています。リサです。彼女はあらゆることについて戦うだけの力を持っていないかもしれません。しかし、彼女のために霊的に熱心に戦っている人たちがいます。当然のことと思わないでください。あなたのために祈る人たちから、どれほどの努力と血と汗が注がれていることでしょうか。彼らの命からの真剣な精力と努力です。

我々は人々の祈りを軽々しく受けてはいけません。特に熱心に祈っている場合。そうした祈りに真剣に感謝しなければなりません。なぜならそれは、人が惜しみなくただ与えるものではないからです。熱心に祈っているなら、あなたのことを熱心に思っているということです。それが空気を変えるものです。霊界でも天使はそれを感じることができます。彼らはアブラハムとイサクについてもそれを感じました。イサクの熱心な信仰にそれを感じました。また父親に対する信頼にもそれを感じたのです。命令が来た時、手を止めるのだと分かりました。

ここにいる人の多くが他の人のために熱心に祈っていますが、それを軽々しく取ってはなりません。彼らも戦っています。彼らも戦いの中で祈りと支援を必要としています。

(使徒行伝10章)38節です。

神はナザレのイエスに聖霊と力とを注がれました。このイエスは、神が共におられるので、よい働きをしながら、また悪魔に押えつけられている人々をことごとくいやしながら、巡回されました。

今度は11章(13節)に飛びましょう。

13:すると彼はわたしたちに、御使が彼の家に現れて、『ヨッパに人をやって、ペテロと呼ばれるシモンを招きなさい。14:この人は、あなたとあなたの全家族とが救われる言葉を語って下さるであろう』と告げた次第を、話してくれた。15:そこでわたしが語り出したところ、聖霊が、ちょうど最初わたしたちの上にくだったと同じように、彼らの上にくだった。16:その時わたしは、主が『ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは聖霊によってバプテスマを受けるであろう』と仰せになった言葉を思い出した。

聖霊は無制限のキリストです。それはキリストの力であり臨在であり、無制限の力です。創造主、無制限のキリスト。「そこでわたしが語り出したところ、聖霊が、ちょうど最初わたしたちの上にくだったと同じように、彼らの上にくだった」。ペンテコステの瞬間、聖霊が降りた時・・・舌が分かれるようにして聖霊が彼らの上に降りました。

聖霊を受けた時、心の中で何かが変わります。依存を続けるとかいうことではありません。何かが内面で変わるということです。神様の火が触れると、神様の火が心を支配すると、何かが変わり始めます。何かが燃え尽き、破壊されます。そして再創造されます。世の中に対するかつての見方が、人々が変わり始めるのです。変化し始めます。

何かが内側で変わり始めます。ヨハネは水で洗礼を授けましたが、キリストは聖霊で洗礼を授けました。生きた神様の霊が我々の中に宿っています。我々の中にキリストが内在します。おなかの中に何かがあるのが分かります。腹の中に何かがあります。腹の中で何かを感じます。何かが間違っていたり、外れていたりする時、捕食者が木の陰から見ている時、腹の中からある種の感覚が出てきます。暴力的な対立を経験した人は、それが起こる前に何かが現れるのを感じると言います。第六感とかいろいろ呼び名はありますが、腹の中で警告する何かです。ヨハネ7章38節には、「腹から生ける水が川となって流れ出る」とあります。

中核が内面で変わります。言葉の知識のような物ではありません。知的な知識のような物ではないのです。聖霊によって洗礼を受けると何かが内面で変わります。物事の感じ方、直感での捉え方が変わり始めます。単なる頭の中の知識ではありません。

良心が刺激を受けて、呼び起こされます。善悪を判断する良心が我々の中にあります。聖霊の力が入ると、善悪をもっと強く分立することができます。悪に対して、敵を倒すことのできる火のように強くなることができます。善に対しては、保護する火になります。必要とする人をまわりから保護します。

聖書ではデュナミスの力と呼び、ダイナマイトの語源であるデュナミスと同じです。ダイナマイトのような爆発的な力です。聖書で神様の力のことをいう時、デュナミスの力という時は、爆発的な力のようなことです。爆弾は地形を変えます。爆弾を山に仕掛ければ山を低くすることができます。莫大な力を持っています。

鉄の杖はデュナミスの力を持っています。それは制御された力の爆発だからです。悪に対抗し、善のために使用すべきものです。聖霊の内在によって、爆発的な力を持つデュナミスの力が内側に生じます。安定して徐々に熱くなる力ではありません。爆発的な力のことです。門を爆破し、山を爆破してどけることのできる力です。力強い力が我々の内側にあり、我々の中を通ります。

手を置いて人のために祈る時、自分の精神や力が彼らに流れ込み、癒そうとするのではありません。それは神様の力です。我々はただ、水が流れる器となるべきです。その生きた水の源ではありません。我々はただ器になりたいのです。生きた水を流す道具になりたいのです。その人に触れますがどうなるかは分かりません。しかし、神様の力と神様はご存知です。神様は個々人の心配事を全てご存知です。全ての疑い、全ての心配をご存知です。この若者たちもそうです。彼らが出てきてみなさんのために祈る時も。

彼らは心の中で、この人のために自分の霊的エネルギーを奮い起こさなければならない、というように混乱しているかもしれません。違います。我々や自分たちのことが問題ではありません。それは神様が自分を通じて働かれるようにするということです。そのようにすればプレッシャーはありません。

自分が祈っている人が癒されなければならない、というように、プレッシャーを感じる必要はないのです。そう願うのは素晴らしいことですが、背負い込まないでください。青年たち、いいですか。それはあなたが負わなければならない重荷ではありません。ただ、神様があなたを器として使われるようにするだけで良いのです。

あなたが祈った人の中には、神様の奇跡によって癒される人もいます。神様に栄光を捧げなさい。しかし、その人のために祈る器とならなければなりません。どういうわけか神様は、その人を癒すために奇妙な方法であなたを用いることがあります。

我々は信じられないような癒しを見ました。科学と医者に反するものでした。しかし、やはりそれは我々ではなく、背負い込む必要はありません。自分の霊的エネルギーが治癒すると考えるのは妄想です。自分の霊的な力などではありません。ただ神様にからっぽの器にしてくださいと頼みなさい。

つづく

お知らせから-2月17日英語説教

Sunday Service February 17 2019 Rev Hyung Jin Moon Unification Sanctuary Newfoundland PA on Vimeo

2019年2月17日 英語説教 お知らせから

翻訳:BAMBOOS

王妃とそのチームが動画を公開しています。先月始めたところですが、最初の動画が2万ビューを超えました。最初の動画としては非常に早く、大きな達成です。全て韓国語で、フェミニズムや、若い女性の未来を破滅させるフェミニズムの嘘に対して真剣に批判を行っています。

王妃はフェミニズムの嘘についてちょうどまた動画を上げたところです。これが韓国の大きなチャンネルで取り上げられました。自分たちのところで使用して良いか、と許可を求めて来ました。そして多少編集が入ったものの、何万人もの視聴者がいる大きなチャンネルで、ほぼ完全に彼女の動画を放送したのです。

それが広まって、チャンネル登録が急速に増えました。つまりこの30代、40代の女性たちが隙間市場を埋めることができ、フェミニストの母たちによって嘘を洗脳されている若い女性たちに方向性を示すことができたのです。王妃はいくつかの思想を掘り下げて、若い女性たちに驚くほどうまく示しています。

実際わずか数週間でこうして聴衆を引き付けたのは、目を見張るような結果であり、市場が成熟していて真実に飢えており、あらゆる大衆文化の言いなりになることにうんざりしていることを示すものです。それがとうとうセカンドオピニオンを得ることができたのです。

ユジンはすくに韓国に帰ってしまいますが、王妃に編集などで協力してくれました。彼女たちのチャンネルは韓国でもとても大きなものになっています。彼女は韓国に帰って、韓国の保守運動のために左翼と戦うつもりです。しかし王妃の動画はユーチューブでヒットしています。見てくれた人全員に感謝しています。メッセージは伝えられています。

今この場所から強い女性が現れたということは、驚くべきことです。世界について明確に理解している女性です。明確であり、洗脳されておらず、公立学校によってレベルを下げられていません。あらゆる機関の嘘を理解しています。結婚、子供、力と名誉などの社会の本当の価値を支持する、信仰を持った高潔な女性たちです。

人々がこうした女性たちのことをますます知るようになり、それに従ってくる人たちは弟子となり、キリストに近づくことになります。なぜならキリストに似た女性であり、信仰を持つ女性であり、羊飼いのような導き手であるからです。弱い女性ではありません。本当の守護者、導き手となるのです。この女性たちは、普通の女性に見えても普通の女性ではありません。普通の女性は弱く、思考停止に陥り、レベルを下げられています。ここにいる女性は訓練を受け、守護者となり、危険なことを学び、エピジェネティクスが解放されています。

つづく

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