「自分のものでない相続を力ずくで奪う-それは社会主義のエッセンス」 国進ニム5月27日質疑応答から(その4)

いつだってその要素はあるのです、どの子が親の与えた価値を理解しているのか見極めることです。これがチャレンジであり、神様の王国が失われた理由でもあるのです。この難題の前に、人は親として、この選択はしたくないと、どうせなら平等に分けてしまおうというのです。
でもいいですか、平等に分けようと決めることもある選択なのです。どちらにころんでも選ばなければならないのです。自分の血統と主権を創設することもできるし、子供たちの主権を破壊することもできるのです。

ここにいる人たちも、子供たちがその決定を聞いて「不公平だ!」というのを聞くのは嫌でしょう。「不公平だ」という、言葉は何を意味するのでしょう。その発想の基礎にはなにがありますか。サタン
の王国です。あなたの子供が「あまりにも、不公平だ!」というのは、本音は「力を行使してもその決定をくつがえす。自分も分け前にあずかれるはずだ!」ということです。

それは社会主義の基盤ではないですか。「そちらが自分にくれないなら、どうであろうと自分から奪う」というものです。子供の一人がそういうことを言い出したら、何とこたえますか?「主権」からでる言葉は決まっています。「駄目だ。力ずくで奪おうというなら、お前を討つ」。「自衛手段も持っている、自分の資産は守り抜く」。だから「主権者」として強くならなければならない。自分の王国を守る手段と意志をもたねばなりません。ここで最初に戻ります。自由意志と、言論の自由と、信教の自由から出発しました。それらの自由をもっているなら、そして「主権者」だというのなら、「自由」は自動的に次に必要なものを。自由があるというなら、あなたの家も富など自分が築いたものは、むざむざ他のものに奪われてはなりません。それが自分を守る自由だというのです。だからすべてつながっているのです。何世紀も人類が見つめてきたその、本来の権利、神様の贈り物と言ってもいい-それは聞くに心地よいから、あるいは銃をただ所有したいから、誰かがつくりだしたものではありません。それらはひとまとまりの権利です。ほかのどの権利が欠けても基本的な良心の権利を維持することができません。

国に、守りを委ねると、国に自分の所有を引き渡さなければなりません。そして信仰の自由も言論の自由も良心の自由も失います。自分の持物も失うのです。ひとたび、国が守ってくれるようになれば、自分の物を守る手段を失います。国がやって来て、所有物を求めるからです。その時、国になんといいますか。何も言い返すことができません。自分を守る術をもたないからです。

これは革命的原理です。それは聖書的経済学とよべるものです。イエス・キリストの経済学です。再臨主の経済学です。その経済原理はすなわち「自分が汗して稼いだものは自分が所有する」という原理です。自分が苦労して得たものは、自分が保管する、ということ。

ここで問題が生じます。自分がとても生産的で、たくさん稼ぎ、たくさん蓄えたとします。他の誰よりも豊かになったとすると、怠け者のぐうたらたちがやって来て、「あなたは沢山持っているが、我々は持っていない」という。そのとき、銃を持っていなければ、その者たちはやすやすと奪っていくでしょう。

聖書的原理・・・労働の自由、労働で得たものを自分の物にする自由、そしてそれを守る自由は聖書的原理です。そして人を殺す聖書的権利をもっているということです。私が勝手に言い出したことではありません、すべて関連しあっているのです。

これが難しいのです。生涯かけて成功を収め、資産を蓄えたとしても・・・それは霊的資産でも物的資産でも構いません。これを次の世代に引き渡すことに失敗すると、あなたの遺業は消えてなくなります。

お父様をご覧なさい。多くの霊的富をもっておられます。統一運動の歴史を通して、お父様を愛して、ついてきたすべての人々。お父様の資産は、外的なものだけではありません。人々のお父様への愛と、名声があります。政府の公職についていた人は大勢、そのような富をもっています。政治家は、知名度をもっています。だからその子供が選挙に出やすいのです。つまり親の政治的遺産をもっているのです。

神様の王国は、主権の王国です。政治的王朝にとどまらず、経済の王朝でもあります。われわれは多くの中産階級の王朝をもたなければならない‐これが問題です。しかしそれは現在の法律では不可能です。神様の王国を語るとき、それは無数の人々の主権を語るのと同じことです。基本原理としてその国は、憲法に規定される基本的権利の上に建てられるものですが、それがどう法律で具体化するかが問題です。

憲法とそれに基づく立法が、大きな独占を防ぐように運営されるなら、中産階級の花咲く社会が生まれるでしょう。中産階級が、次世代に丸々相続させることのできる社会が生まれるなら、世代を超えた中流階級が定着します。相対的に層の厚い中流階級が、世代を超えて続くでしょう。地上天国をいうとき、そのことを語っているのです。王国と国民という場合、一部の貴族階級の相続権だけではなく、国民の30%が同じように相続させることのできる社会を語っているのです。

どのようなタイプの社会でも、自由競争の障害物をすべて取り払うなら、規制や官僚主義を排除するなら、ビジネスや資源の所有者が、たいてい国民の30%を占めるようになります。零細企業から中小企業、大企業に至るまでの経営者の割合がそうなるというのです。まだ労働力になるまえの未成年の世代、退職して一線から引退した世代、それらを除いて、最大30%の人口がそうなるのです。すべての人が所有権を有する社会、つまり30%の人口が何らかの事業を行う社会と独裁者の君臨する社会つまり1人がすべてを所有する社会、この幅があります。

神の国を実践的な面から語るなら、私たちがそのためにしようとしていることは、事業主の数を最大にするような法制度をつくることです。そのことを目指して天一国憲法は設計されています。

明らかにトランプはその方向に動いています。われわれが天一国憲法を学ぶとき、つまり神の国について話をするとき、神の国というのはどこか遠くにあって、歴史を通して狂信者たちが夢に描いてきた、ただの思想ではありません。そうではなく、神の国は実際に建設され得るものです。それは法律、政治、経済、社会の構造を理解することを通して。現実に建設可能な、実際に存在する王国です。その王国はモデルをつくり、その社会の人々にどういう影響を与える社会になるか予測可能です。それはどこか遠くにある架空の、観念的な実現不能なものではありません。今日のわれわれが完全に実現可能なものなのです。その意志があるならば。そこを理解すること、区別することが重要です。

神様の王国は既に存在します。ただそれを建国しなければなりません。神の国はシンプルなものです。神の国についてのお父様の教えは、その「良心」に関するものです。その自由意志であり、幸福追求、その幸福は創造主に対する愛の中にあります。

しかしこれらの単純な言葉、単純な考えの背後には根源的で深遠な、社会構成の有機的分岐がなければなりません。自由意志と良心と主権と相続の原理に従って生きるならば、それはこれまでと全く異なる社会ができます。社会のあらゆる面において。経済や法律、政治、軍事の構造において。その核心的システムにおいて。この変化について考え始める必要があります。

この孤立した、信仰の厚い宗教的コミュニティを、いかにして現実の国家にしていくのか。神様の御心の国にするのか。それが問題です。どうやって建設するのか。われわれはそれを考えなければなりません。

私たちの考え方も変えていかなければなりません。キリスト教がお父様を見捨てた後、荒野路程を行かなければならない宗教組織として軍隊のような組織にならざるを得ませんでした。特別な軍隊です。たとえば精鋭部隊になるための規則は非常に厳格で、そこに求められる基準はとても高いものを要求されます。それに対して一般の軍隊、部隊においては清英軍に比べて低いし難しくもありません、もちろん軍としては厳格ですが。

そういう特殊部隊と通常部隊から、一般市民レベルに話を移すとき、軍隊のような組織の在り方が必要ですか。高い低いという基準が必要ですか?

だから今は、われわれが社会でどう生きるか、法律や政府をつくって神様の御旨についての理解をそこに投入し、(軍隊ではない)一般市民社会にどう適用するのか。

マイクをまわしてください。

(質問者)

以前、この問題を話したときに質問として出たことですが、この小さなコミュニティの物流(経済)の問題について、互いにどうかかわるべきかを尋ねました。地上天国の礎石となるためにそうすべきかという質問に、あなたは釣り(漁)、農場を学びなさい、自給自を身につけなさい、とおっしゃいました。

(国進様)

それについては今も言っていますよ。自給自足であって、釣りや農業で一家を養えるようにしておく、それも労働の結果を自分の物にする方法です。蓄積した財をいかに相続させるか、いかに自分の仕事、生命を次世代に継承するか、それが主権者として大きな問題であるといっているのです。あなたの仕事や生活は必ずしも物質的なものだけとは限りません。あなたの仕事、生活、それに神の国の追求もその一つなのです。

翻訳・字幕:管理人
にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村

すべての暴君に愛をこめて-話題の写真(KING’S REPORT)から

ようこそ、キングズ・レポートへ
私は天一国二代王、ショーン・ムーンです。

ティムも知っているように、この間、ある写真をフェイスブックにアップしました。
フェイスブックページで見つかります。
タキシードっぽい服を着て、白いワイシャツに蝶ネクタイを結んでいました。覚えていますか?

P380(KAHRの自動拳銃最小モデル)と、黒のスパイダルコの(ミリタリー)ナイフをもってポーズをとりました。その時の衣装にぴったり合っていたからです。

その時の写真を見せてくれますか。私のフェイスブックページに載っているはずです。

これが大騒ぎを引き起こしたそうですね!バカバカしくて私はフェイスブックを見ていませんが。ピエールも驚いていました。

家庭詐欺連合が大騒ぎです。面白いのはサタン側の人々は、誰かが「武器」をもっていると強烈に拒絶反応を起こすことです。なぜ拒絶反応を起こすのかというと、「武器」そのものを制御していると見せて自分を善い人に見せかけたいからです。自分たちは武力を用いたくないと・・・その代わりに圧倒的な政府の権力機関に任せて奪わせるのです。家庭詐欺連合の性質がよく現れています。

あの、狂ったフェミニズム、男性嫌い、お父様をヘイトする魔女たちが、わめき散らしているのです・・この写真を見て・・・。

おもしろいですね。写真をもっと出しましょうか。もっとキーキーいいますよ。さらにヒートアップしてわめくことでしょう。わめく程いい、というのです。

「主権」を愛する者たちは、その「主権」を周りの人にも広げようとします。これを素晴らしいと思うのです。つまり、周りの人たちが、ポリティカル・コレクトネス(言葉狩り、見かけ狩り)や、不要な罪の意識、また世間の攻撃、服従させようとする攻撃に対して立ち上がることが素晴らしいと。

「いや、自分は自分の家族を守る手段をもち続ける!自分たちが作ったいかなる国にも頼らない。お前のような独裁者を倒すため、必要とあれば命を懸けて戦いもするという多くの仲間がいる。」

すると彼らは骨の髄まで恐怖を感じるのです。

写真が出ますか?

蝶ネクタイをつけた私、二代王です。銃のコミュニティに所属しているので銃を携帯しています。それに黒のスパイダルコ(ミリタリーナイフ)。ネクタイの裏に潜んでいます。
小さな「お化け(モンスター)」です。

翻訳・字幕:管理人
にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村

リーダーは悪魔の祭壇で悪魔を崇拝している年寄りの気難しい銀行家たち-6月18日英語礼拝(その3:完結)

Kingdom Defense   June 18  2017   Rev. Hyung Jin Moon   Unification Sanctuary  Newfoundland PA on Vimeo.png

王国の防衛 Kingdom Defense 06/18/2017

 

もう一つのビデオを見せますが、詳しくて今までで最も良いものだろうと思います。聖句を詳細に調べて、聖句の観点からなぜキリストに従う者は自分を守ることができないといけないのか(を説明しています)。そして平和主義者の主張の矛盾点が分かります。

もちろん黙示録19章ではイエス様自身が裁きを行い、戦争を起こすと書いてあります。

11:またわたしが見ていると、天が開かれ、見よ、そこに白い馬がいた。それに乗っているかたは、「忠実で真実な者」と呼ばれ、義によってさばき、また、戦うかたである。12:その目は燃える炎であり、その頭には多くの冠があった。また、彼以外にはだれも知らない名がその身にしるされていた。彼は血染めの衣をまとい、その名は「神の言」と呼ばれた。14:そして、天の軍勢が、純白で、汚れのない麻布の衣を着て、白い馬に乗り、彼に従った。15:その口からは、諸国民を打つために、鋭いつるぎが出ていた。彼は、鉄のつえをもって諸国民を治め、また、全能者なる神の激しい怒りの酒ぶねを踏む。16:その着物にも、そのももにも、「王の王、主の主」という名がしるされていた。

面白いですね。「もも」というのは種がある場所ということです。そこに「王の王、主の主」と書かれています。

次にビデオを見ますが、とても重要な勉強なので集中しましょう。実際すべてのクリスチャンがやるべきことです。なぜなら彼らは標的にされているからです。クリスチャンと福音派は新しいテロリスト、敵であり、ナチと同じだと言って、左翼の狂った人に煽られているのです。それは本当にばかげた話です。私たちは暗殺未遂がおこるような環境に生きているのです。もっと悪くなるとみなさんに言いました。これが先週起きているのです。

もっとひどいことが起こるとしか思えません。なぜならソロスが何億ドルという資金を援助しているからです。トランプはCIAでもFBIでも、大統領を殺すと言っている人はすべて直ちに刑務所に入れさせるべきです。連邦犯罪ですからやってはいけないことなのです。政治がすべての組織を動かすにはもっと時間が必要でが、彼は取り組んでいます。

「トランプを殺せ」と煽るような環境なのです。議員を暗殺しようというのは大統領の暗殺の一歩手前のことです。まったくひどい状況です。愛国者たちは我慢できません。なぜならこれは左翼の共産主義者の暴力的な、サタン的革命だからです。

狂った左翼、あなたたちは何のために、誰と戦っているのですか。誰があなたたちのリーダーであり、誰が資金を出しているのですか。見てみなさい。彼らは文字通り悪魔の祭壇で悪魔を崇拝している年寄りの気難しい銀行家たちです。なぜそのような人のために戦うのですか。自分の人生を生きて成功したいと思わないのでしょうか。彼らはただ金魚のようになりたいのです。小さなパンくずのようなものを与えられて。すべての人が同じように同調し、誰も気分を悪くさせる者もいません。それはまったくばかげて、みじめなことです。

それは私たちが絶対に学ばなければならないことです。非常によくできたこの論考を見てみましょう。クリスチャンが自分たちを守ることができるかという点についての討論をそれぞれの立場から示しています。

(ビデオ視聴)

Kingdom Defense   June 18  2017   Rev. Hyung Jin Moon   Unification Sanctuary  Newfoundland PA on Vimeo (1).png

もちろん彼が言っていたローマ人への手紙13章の話について、私たちは文脈を知っています。私たちは天一国憲法を知っていますので、政府は非常に制限されるということが分かります。

そこで話していたのは、クリスチャンとして警察官であったら辞めなければならないし、軍人だったら辞めなければならないのかということです。討論の中で、平和主義者のクリスチャンが、「そうだ。クリスチャンであるなら警察や軍隊を止めないといけない」と言っていました。それは平和主義の非常に極端な考え方です。

例えば誰かがあなたの娘をレイプしに来たとして、壁にライフルが置いてあったとしたら、それを使ってその男を止めようとするかという話です。そして平和主義のクリスチャンの答えはNOだというのです。もちろん彼らは、それは誤った二分法であり、選択肢が二つしかないわけではないのだと言います。他にもできることがあるのだと。福音を伝えることもできるとか、いろいろです。

しかし、その男が自分の娘をレイプすると分かっていたとしたらどうでしょうか。または、確実にあなたの妻と子供をすべて殺してしまうと知っていたとしたらどうでしょうか。そして壁にライフルがあるとしたら。

もちろんこれは、神様が摂理をどのように進められるかについての非常に限定された見方です。それは、誰かが神様に祈って癒してくれるようにお願いしたのに癒してもらえなかったと言うのと同じことです。もしかしたら神様はあなたに医者を送ってくれるかもしれません。または健康に関して知識のある人を送ってくれるかもしれないのです。そのほうが、神様がやって下さることに近いでしょう。

神様は私たちの周りの環境を作ったわけではありません。ですから私たちが何かを祈って何か奇跡のようなことが起こるのであれば、私たちは周りの環境を使う必要もないし、他の専門家に助けてもらうように頼る必要もありません。それは神様の創造の技に対する非常に限定された見方なのです。神様がいつも奇跡的に助けなければならないという信仰です。平和主義のクリスチャンの中でそのようなものがあります。殺人犯が来て子供をレイプしようとしてもキリストに信仰を置くのだと言うのです。それはもしかしたら限定的な見方かもしれません。

神様は自分や家族を守る能力を持つことを許しています。神様がすべての人を医者にするなら誰かがあなたを治療してくれるかもしれません。ですから王国ではすべての人が平和警察、平和市民軍であり、すべての市民が自分と家族や隣人を守る能力を持ちます。もちろんコミュニティを守ることができます。

C・S・ルイスの言葉で素晴らしいものがあります。平和主義者は基本的に、子羊が獅子と共に横たわるのであれば頻繁に入れ替えなければならないと言います。新しい子羊を連れてこないといけないということです(笑)。

重要な点は、自分の身を守るのがクリスチャンでないというのであれば、誰かに自分を守るように頼むのもクリスチャンではないということです。警察に電話して、彼らが来てあなたを殺そうとした人を殺せば、あなたがクリスチャンとして殺人を行ったということなのです。ですから平和主義者は実際それを避けることができないのです。なぜならクリスチャンはみな、聖書の神様は今日も明日もずっと同じだと言うからです。ですから神様がモーセやダビデに戦うように、あるいは死刑にしろと命じたとき、それはイエス様のときと全く同じ神様だというのです。

それは長く続いている論争ですが、政治的悪魔崇拝者の側の全体主義者がどのような思想を求めているかみなさんは分かるでしょう。彼らはクリスチャンが武器を捨てて平和主義者になることを望んでいるのです。それは、カストロやマドゥーロのような社会主義の独裁者、ヒラリー・クリントンやビルダーバーグ・グループにとって都合が良いのです。国連も韓お母様も同じことです。彼らは人々を武装解除したいのです。なぜなら結局彼らは、一般人が自分の身や家族やコミュニティを守るようにしたくないのです。なぜなら彼らはその素晴らしいコミュニティを支配したいからです。自分たちの喜びのために望むように彼らを利用したいのです。人々が自由に暮らせないように、良心を持って神様と共に生きないようにするのです。

狂った時代ですが目覚めなければなりません。私たちはキリストの肢体として、真のクリスチャンとして・・・キリスト教は宗教ではありません。それは関係性です。公正で善良であり、私たちが生命を維持し正義を守ることを望まれる、愛する父との関係性を持つ人々です。私たちは完璧ではありませんが、完璧な神様に仕えています。神様は悪が支配するままにせず、罪のない者を滅ぼすままにしないことを求めています。

これは私たちのコミュニティにとって、世界的にもとても重要なことです。なぜなら、これはキリストとの関係を持つ人にとって大きな義務のあることだからです。誰かのせいにすることをやめて、自分のために誰かにやってもらおうとするのではなく、王国では自分が責任を持たなければなりません。自分と家族と、隣人の安全に対して自分が責任を持たなければならないのです。

私たちは大統領とこの国のために祈っています。そして議員を殺そうとした暴力的で扇動された過激な暗殺者の試みが成功しないことを祈ります。そうならないことは分かっています。傲慢な左翼、共産主義者、社会主義者は最後には必ず敗北します。しかし彼らは権力に飢えています。それがこれまで以上になっており、善良な人々が備え、善良な人々が責任を持ち、今朝の聖句のように備える時が今だというのです。準備してください。最善を望みながら、最悪に備えるのです。道徳的責任を持つ人々で満たされることは私たちの社会にとって不可欠です。

天聖経121

サウル王が戦争に勝利したのち、「女と子供だけ残して、男はすべて殺せ」と言われたのに、殺さなかったので罰を受けたことを知っていますか。どうしてそうなったか、考えてみましたか。サタンの男を生かしておけば、 サタン世界が再び侵犯するので、そのようにさせたのです。サタンの男がいれば、自分の妻を連れていって思いどおりにするので、男さえ脈を断ってしまえば、子供と女は天の側に属することになり、その制度がなくなるのでそうさせたのです。そうしなかったことにより、異邦の神をあがめ、あらゆる異邦の淫乱な風俗が入ってきて、天の国が侵犯されたので、サウルが罰せられたのです。(124-202,1983.2.15)

どの神に仕えるかで大きな違いがあります。異なる神に仕えれば異なる基準、異なるルール、法律があります。ですから一つの真の神様、創造主であり父であり、私たちの魂を愛する方を崇拝することが絶対的に不可欠なのです。その方は自分自身の生命を、その息子を、私たちを救うために捧げる方です。そのような道徳、善、公正、正義の創造主であり、宇宙の守護者です。そのような方に基づいて神様の王国が維持されるのです。

これらの狂った左翼の神々やサタンの神々ではありません。結果が全く異なります。これまで以上に重要です。祈ることももちろん重要です。私たちが祈りをあきらめないこと、平和をあきらめないこと、平和に人々と暮らすことをあきらめないことが非常に重要です。

しかし重要なのは、攻撃されたとき、生命が脅かされたとき、自分の血統を守る義務があるということです。なぜなら私たちはただ信仰によってその血統に入ったのではないからです。私たちは神様の血統にあります。私たちは神様が作られた血統を守り、すぐに来る神様の王国を守る義務があります。

翻訳:BAMBOOS
にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村

最後の瞬間の守りとして、善良な人は自分を守る権利を持っています-6月18日英語礼拝(その2)

Kingdom Defense   June 18  2017   Rev. Hyung Jin Moon   Unification Sanctuary  Newfoundland PA on Vimeo.png

王国の防衛 Kingdom Defense 06/18/2017

 

私たちはもちろんもっと悪くなると知っていました。9月23日は黙示録にあるサインが天体に現れる日です。NASAの星座のコンピュータープログラムをみなさんに見せました。聖書で教えているように並ぶということが分かっています。女性、乙女が太陽を着て足の下に月を踏み、12の星の冠をかぶるのです。

私たちは聖句の中でそれが中間の期間であって、そこから良くなるのではなく悪くなるのだということを知っています。それはまた獣の印が出てくるときでもあります。私たちがそれに関連する物や、物を買って取引する能力に影響のあるマークの様なものを9月に見ることがあれば・・・。それが何なのかは変わりませんが、重要なのは私たちが今重大な時にあるということです。

人々が暴力に煽られて文字通り議員が暗殺されそうになりました。これは共和党議員に対する暗殺未遂ですが、ホワイトハウスの一歩手前のことだというのです。それは普通の市民を狙ったものではありません。それでも十分悪いことですが、大統領の一歩手前まで来ているということなのです。

敵によってその人を知ることができます。トランプを憎む人々はみな、中央集権の全体主義の、狂った独占主義者です。彼らは人々を貧しくして、自分が神々として崇められることを望み、無神論者であるばかりでなく悪魔崇拝者です。

ロンドンでのビル火災については口にすることもできません。ところでこのラマダン期間中に殺された人の数は記録的な数に上っています。明白なことにラマダン中に人を殺せばアッラーからのポイントが2倍になるというわけです。狂っています。しかしそれがイスラムのテロだと言うことができません。イスラムテロの90パーセントはイスラム教徒を標的にしているのです。大部分はイスラム教徒を殺しているというのですから、彼らこそこのような人々に反対すべきなのです。

現実や発言、考えを支配するのはまさしく全体主義国家です。もちろん彼らはオバマとヒラリー・クリントンを次のアメリカと世界の大統領にすることを実現したかったのです。アメリカをヨーロッパのようにして。ヨーロッパの人たちは分かっているでしょうが、ヨーロッパはもう崩壊しつつありますがそれでもヨーロッパではうまく行っていると(言っています)。

「フランスではテロリズムが80パーセント減った」「No-Goゾーン」「スウェーデンでレイプ率が最高に」
良くやりました。
「ビルダーグループとダボスグループを信じている」
素晴らしい。良くやりました。
そしてもちろん彼らはそれをアメリカでやりたいのです。そして彼らはそれを感じ、味わうことができ、自分の口に入れたでしょう。ヒラリー・クリントンはそれを味わうことができたでしょう。彼女がヨーロッパのようにこの国を所有するところでした。

ヨーロッパでは言論の自由がありません。政府の悪口を何か言ったり、イスラムテロだと言ったりすれば、ヘイト・クライムで逮捕されます。犯人の名前がムハンマドやアリで「アッラーフ・アクバール」と叫んでいたとしてもイスラムテロと言うことができません。彼らの預言者も軍隊の活動家であり、800から900のユダヤ人の首を切ったのに。それがイスラムの歴史の本流です。現実を見ることもできません。

今は厳しい危機的な時です。彼らが思想的な戦いに敗北したからです。そしてもちろん最後の、真の性質に訴えようとしています。それはつまりすべてを焼き尽くし、皆殺しにしてしまうことです。「全体主義の国が持てないなら、みんな殺してしまおう」と。

寛容はどうしたのでしょうか。オバマの政府を尊重しなければなりませんという講義はどうなったのでしょうか。「保守派のみなさん、クリスチャンのみなさん、あなたたちは大統領を尊重すべきです」と。それはどうしたのですか。過去8年間彼らはアメリカ人にありとあらゆることを講義してきました。何を言って良いのか、何を信じて良いのか、何を飲んで良いのか。ニューヨークで大型サイズのコーラに市民の健康のために規制を掛けました。キチガイじみた管理です。彼らは全く、目が飛び出て、狂って、血に飢えた管理キチガイです。狂っています。

そういうわけで最後の瞬間の守りとして、善良な人は自分を守る人権を持っています。植物が毎日自分を守っているのと同じです。虫は動物が食べようとすると毒を作って顔に吹きかけます。それは自然権です。私たちは自分たちと仲間を守ることができます。それは善良な人が戦いを、戦争を求めているということではありません。彼らは平和を求めています。自分たちの生活を続けて豊かになって、道徳的に幸せに暮らしたいのです。時には子供たちを外に連れて行き、映画を見たり公園に行ったりして、普通にしたいのです。

彼らは、国の最高の地位について自分たちがいかに力を持っているかについて笑い声を上げているような、人を管理することに飢えた吸血鬼ではありません。そのような人々は狂った精神異常者です。彼らは大学という社会主義者のキャンプで吹き込まれた弱虫の追従者を従えて、文字通りの内戦を実際に始めたいと思っているのです。完全なキチガイです。完全に錯覚した人々です。

もちろんそういうわけで、建国の父からすべての男女、子供までが命を守る者でありました。NRA(全米ライフル協会)はクー・クラックス・クランから自分を守れるよう黒人に力を与え、ライフルを与えたのです。私たちは知っていますが、彼らはNRAの本当の歴史を教えようとしません。彼らは黒人がクー・クラックス・クランに殺されないようにするために武装させていたのです。

彼らが何も知らない罪のない子供たちの心に、国の教育者としてこのような嘘やプロパガンダを吹き込んでいることは信じられないことです。非常に大きな欺瞞です。

この写真を見てください。1960年代のものです。お父様はここにいませんがお父様が作られた会社です。最初に作った会社は空気銃の会社でした。人々が射撃のスポーツを楽しんで武器の使い方を理解するようにするということです。なぜならお父様は地獄の中で暮らしていたからです。全体主義の中で生きておられ、彼らはお父様を殺そうとしていました。国境を越えて来ながら、狂った共産主義カルトがいつ何時南下してくるか分からなかったのです。なぜなら神様の王国は単に霊的なものではないからです。「御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように」とあるように実体的なものでなければなりません。

19060031_1194892880620724_5222791441930538178_n

もちろんこのような写真を隠そうとしてきましたが、持っていた人がいたのです。見てください。男性も女性もいます。1960年代のアジアで、それは衝撃的です。なぜならアジアの人々は洗脳されてしまっていて、銃を見ると衝撃的なストレスを感じるからです。彼らは価値がなく二流だと洗脳されてきました。この姉妹を見てください。あれは江利川さんではないですね。似ていましたので(笑)。江利川さんの写真があっても驚きませんよ。

お父様がライフルを持って狩猟をされている写真がたくさん出てきました。彼らの嫌いな写真です。このような写真がなければ良かったと思っているのです。赤い帽子ですね。MAGAと同じでしょうか。私にはわかりません(笑)。フランスの方からもらったものです。

しかしこれはとても重要なことです。なぜならこの国で暗殺未遂がおきて脅威を感じているからです。クリスチャンが自己防衛の役割を理解することが絶対に重要なことです。自分を守らなければならないとすれば絶対に不可欠なことです。

このデニス・プレガーのビデオを見てみましょう。6番目の戒律、「殺してはならない」についてのものです。

(デニス・プレガーのビデオの要約:「殺してはならない」という十戒の戒律は、元のヘブライ語では「殺害(Murder)」という意味の単語が使われており、「殺す(Kill)」とは意味が異なる。「殺害」とは人間を不正に不法に殺すことであり、自己防衛など正当な理由がある場合とは異なる)

ラツハッ、「殺害」です。「殺す」とはまったく違います。これは非常に重要な話です。教会ではしてくれませんが、それは馬鹿げたことです。なぜなら、とりわけ大きな暴力事件が起こり、狂った人が議員を暗殺しようとしているような状況や、トランプのシールを車に張っていたら撃たれるような状況においては、人々は準備の必要があることを理解しなければならないからです。

これはジョージ・ソロスがアメリカで作り上げた狂気です。このような世界に私たちは今生きています。ですからこのような教会で話をすることは、絶対に不可欠なのです。なぜなら私たちのすべてが、世界的に見ても、自分たちの生命や他人の生命を守らなければならない状況になるかもしれないからです。ですからそれを話し合うだけでなく深く探求することが絶対に重要なことなのです。

これはイエス様の絵に対してコメントを入れたものです。
「『イエス様ならどうするだろうか?』と尋ねられたら、テーブルをひっくり返して鞭で人を追い立てることもあり得ることをその人に思い出させなさい」というものです。イエス様がそのようなことを行うこともあり得るのです。あなたを鞭で追い立てるかもしれません。ところで彼は自分で鞭を作りました。

聖書に出てくるこの場面についての平和主義者の反論の1つとして、古い翻訳や異なる翻訳を採用しているのだというものがあります。例えば彼は鞭を作って羊と牛を追い出したのだと言うのです。ある翻訳では彼を平和主義者にしているのです。人を追い立てたのではないと。キング・ジェームズ版を見るなら、もちろんそれが権威ある翻訳なのですが、彼はすべての人を鞭で追い出したとあります。そこに羊と牛も含まれていました。ヌンチャクのように。イエス様はヌンチャクのような鞭の訓練もしていたのです(笑)。

このような論争がクリスチャンの平和主義と正戦論と間に実際にあります。正戦論はもちろん戦争を制限するために作られました。正戦論という言葉は好きではありませんが、伝統的にそのように呼ばれています。それで戦争をできるだけ制限して時が来たら戦わなければならないということです。

平和主義者は、旧約聖書でモーセやダビデに対する命令のことを持ち出されるといつも問題になります。すると彼らは、それは聖戦だと言うのです。聖戦は問題ないが正戦は問題だと。平和主義者の側にも言い分があって、例えば彼らはパウロのことや初期の300年ぐらいまでの教父は平和主義者であったと言います。ニカイア公会議のことを挙げて、軍人は洗礼を受けるべきでなく、後ろに着席すべきだと言うのです。

しかし、もちろん彼らにも問題があり、論争があります。多くの平和主義者は再洗礼派のようなところから来ており、社会から隔絶したコミュニティでした。

しかし、それとは反対に「イエス様は私たちに世界の隅々に行ってキリストの福音を広めるように命令し、イエス様自身が旅行するときは自分の剣を持たなければならないと言っているのだ」と言っている人もいます。

つづく

翻訳:BAMBOOS
にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村

反トランプの弾劾暴動が7月2日に行われようとしています-6月18日英語礼拝(その1)

Kingdom Defense   June 18  2017   Rev. Hyung Jin Moon   Unification Sanctuary  Newfoundland PA on Vimeo.png

王国の防衛 Kingdom Defense 06/18/2017

今日は王国の防衛について話します。これが今重要な話題だからです。これについて探求しなければなりません。今がそのときです。

テモテへの第二の手紙4章、1節から8節まで、一緒に読みましょう。

1:神のみまえと、生きている者と死んだ者とをさばくべきキリスト・イエスのみまえで、キリストの出現とその御国とを思い、おごそかに命じる。2:御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい。3:人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、4:そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。5:しかし、あなたは、何事にも慎み、苦難を忍び、伝道者のわざをなし、自分の務を全うしなさい。6:わたしは、すでに自身を犠牲としてささげている。わたしが世を去るべき時はきた。7:わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。8:今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。わたしばかりではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう。

私たちは今非常に深刻な時にあります。ご存じのように左翼のカルト・メディアとプロパガンダ機関は、人々を逆上と暴力へと煽り立てています。私の理解する限り、被造世界を主管し、力を主管する方法を知っている善良な人々はその力を使いたいとは思わないのです。

若い時からそのような技術、力を使う方法を学んでいると、それがどれだけ危険であるか分かり、どれだけ致命的か、どれだけ人間が弱いかを学んでいるのです。破壊し、殺すことがどれだけ簡単であるかを。

若者たちは勘違いしていますので彼らにとっても重要です。ビデオゲームなどのせいで自分たちは強くて無敵だと思い込み、17、18歳でプロパガンダの戦争の中に入ってしまいます。彼らは、自分は無敵だと勘違いしているからです。しかし、彼らがブラジリアン柔術や総合格闘技などの本当の戦闘武術を練習すると非常に早く習得します。

ゲームを見たり、愚かな「悟空」のようなことをやってみたりしても追い立てられるでしょう。現実には何の意味もありません。そしてこれらの自分の持っている錯覚を打破しなければならないということがすぐに分かるのです。

しかし自分のレベルが上がれば上がるほどに力を持つようになります 。力が強くなればそれを主管しなければならなくなります。するとそれを人に使いたくないと思うのです。使うことはできますが、使いたくないのです。

狂った左翼の、社会主義者、共産主義者たちはマルクス主義者の大学で訓練を受けています。信じられないことに大学の90パーセントの教授がマルクス主義者です。今まで殴り合いのけんかもしたことのないこの弱虫たちが戦争を始めて、夢中で政府の中央集権の力を使い、人を殺してやりたいと思っています。なぜなら彼らはその力がどれだけ危険か分かっていないからです。人を殺すのがどれだけ簡単か分かっていません。

しかし、そのビデオゲームのカルトの中で、彼らはその通過儀礼を経験したいと思っているのですが、彼らは軍隊に行ったり、戦闘を学んだりすることで実行しようとは思わないのです。彼らはただ椅子にふんぞり返って人にそれを命令したいと思っているだけです。そして「私はとても強い。何千人もの人を殺した!」と言うのです。それはまったくみじめなで悪魔的で、邪悪な洗脳された子供たちです。

本当に支配的な力を持つ人はそれを使いたいとは思いません。なぜならそれがどれだけ致命的で破壊的で、残虐なことか分かっているからです。それは楽しいことではないのです。

しかし、善良な人たちがそれを持たなければならない理由は、彼らが正義を守ることができなければならないからです。彼らは無実の貧しい人たちを、また隣人を守ることができる必要があります。

しかし、左翼のヒステリー的な熱狂、カルト的な熱狂で最終的に言葉巧みに煽り立てています。そしてそれがもう数カ月続いています。「トランプを殺せ。トランプを暗殺しろ。はっはっは。面白い!」と。

このシェークスピアの舞台のように狂ったことが行われています。トランプがジュリアス・シーザーとして刺殺されるシーンがあるのです。そしてそれは芸術に過ぎないと言っています。ヒラリー・クリントンが大統領なら、彼女が刺殺される劇を上演すれば刑務所に入れられるでしょう。

大統領を殺すと言うならそれはもう芸術とは言えません。自由世界の指導者を文字通り脅迫すればそれは芸術ではありません。彼は世界の大統領のようなものです。そして彼は目を見張るような業績を上げています。彼はグローバリストの支配するTPPから手を引きました。主権国家に自分のエネルギーを利用できなくさせ、サウジアラビアの小児性愛の王とエリートの銀行家の世話になるように仕向ける気候変動政策から手を引いたのです。

そして先週の話ですが、キューバとカストロに挑もうとしています。キューバに対して国民を自由にしなければ制裁を課すと言っています。ですから今ラテン系の人々はみな、この人はラテン系の人を助けたいと思っており、ラテン・アメリカを全体主義、共産主義から解放したいと思っているのだと気付き始めています。彼らに自由を与えなさいと言っているのだと。

しかし、左翼のレトリックは、「殺せ、殺せ、殺せ」です。大統領を殺せとは言えません。それは連邦犯罪です。それは自由世界の指導者を殺せと言っていることです。それは言論の自由ではありません。建物に入って火を付けろというのは言論の自由ではありません。 銃を持つことはできますが、たくさんの人の前で引き金に指を掛けて歩き回ることはできません。あなたは撃たれるかもしれません。

ですから、ただトランプを殺せ、大統領を殺せと言うことはできないのです。人々にとても寛大でトレンディーだと言わせることを期待して演劇を上演することはできません。彼らはもう狂っているのです。

(キャシー・グリフィンの写真を指して)そして同時に有名人の写真を見たでしょうが、もちろんキャリアを台無しにしてしまったわけです。しかしこのような信じられない程過激な写真を使って自分を元気づけようとしていたのです。オバマの血塗られた首切りの写真を取ることを想像できるでしょうか。これはキャシー・グリフィンというコメディアンです。左翼のキチガイです。連邦犯罪ですからこのようなことはできないのです。面白いことではありません。そして自分たちは寛容な左翼だと言うのです。彼らはコーヒーショップに行って、ヨガの瞑想をするという人たちだと言っているのです。

カリフォルニアやハリウッドではそうですね。「私は全く非暴力主義なのでヨガをやっていますが、トランプの首をはねても問題ありません。でも私は平和的で非暴力的です」と。なんというごまかしでしょうか。道徳的なふりをしたいかさまだというのです。彼らは主権を持つ人々を殺しても何の問題もないのです。ヨガをやっているのに。

このようなトランプに対する攻撃があります。集会でもトランプ支持者が、郊外に住むただ従うだけの痩せた若者に襲撃されています。彼らは自分が強いと思い込み、マルクス主義、共産主義から見出した使命を帯びていると思い込んでいます。中国では7000万以上が殺され、ソ連では5000万以上が殺されたというのに、その愚かな旗を振っています。軍隊では殺されるというのです。

彼らは本当にビデオゲームの幻想の世界に住んでいます。狂っています。毛沢東やソ連の旗を振っているとすれば、それは気が変だということです。それらの政権に反対しようとしてどれだけの人々が殺されたでしょうか。血に飢えた吸血鬼のような、悪魔的で、高慢な卑怯者です。彼らは公正な戦いをしようともせずに不意打ちを仕掛け、町を歩いているときに頭の横を棒で殴るのです。10人連れてきて攻撃します。それこそまさに卑怯を絵に描いたようなものです。本当にみじめな人たちです。本当に馬鹿げています。

そしてもちろんこのような巧みな言葉で左翼とCNNやMSNBCなどによって煽り立てられて、狂気の沙汰となっています。殺せ、殺せと言って暴力を煽っています。彼らは狂っています。死のカルトです。このいかれた白人の若者を見てください。甘やかされた郊外の若者です。ソ連の国旗を持っているなんて嘘でしょう?みじめな若者たちです。現実や歴史の感覚もなく知識もありません。

ソ連の旗や毛沢東の旗を振るというのは、本当に教育を受けておらず信じられないほどIQが低いとしか言いようがありません。それで自由のために戦っているふりをしているのです。この若者たちは完全にいかれています。煽られているのです。

それではそのような暴力への巧みな誘導が何を引き起こしているのでしょうか。先週、レイチェル・マドーの大ファンでバーニー・サンダースの熱狂的な支持者でもあった狂った人間がバージニアに向かいました。そこでは共和党の人々が、武器を持たない人々が野球をしていたのです。そしてこの大ばか野郎は50発から100発もの弾丸を撃ち始めました。

そこで共和党でトップ3に入る人物であるスカリス議員が重傷を負ったのです。彼はつい先月、子供の人身売買と売春を追求しなければならないと発言していた人物です。トランプは1万人もの小児性愛犯罪者を刑務所に入れたのです。ロサンゼルスでの捜査だけで474名の逮捕者が出ました。キングズ・レポートでもその記事を紹介しました。

そして興味深いことに、スカリス議員はこのような人々をもっと厳しく追及すべきだと公言していた人だったのです。そして彼は撃たれました。

ニューヨーク・タイムズで、共和党の議員がこの日程で、少ない警備で野球をやるということが報道されていたというのはおかしなことではないでしょうか。本当に信じられないことです。感情的になった頭のおかしい不安定な人々を煽っています。トランプはこの国に自由と起業家精神を取り戻し、規制を緩和し、黒人の大学への資金援助を増やしているというのに、彼がナチスか何かであるかのように信じ込ませています。

トランプはラテン系や黒人を保護しようとしており、知らない場所や特にテロの多い国から来た人であふれかえらないようにして、労働者を保護しようとしています。

どうして左翼のキチガイたちは自分の家を貧しい難民に解放しないのでしょうか。ナンシー・ペロシはその子供たちを養子にすると言って、1人もやっていないではないですか。なぜ彼女は自宅の壁を取り除かないのでしょうか。貧しい人たちを入れてあげなさい。

みじめなほどに不合理です。ですから平均的な民主党の左翼のキチガイは低レベルで、この宇宙で最低のIQの人々だというのです。彼らの信じられないようなプロパガンダを見抜くことができないというなら、金魚と同じほどの記憶力を持っているというほかありません。毎日絶え間なく「トランプを殺せ」と繰り返しているのです。そして共和党議員が撃たれました。

ハフィントンポストの記者は、「暴力的なレジスタンスが効果的であるには組織されなければならない。このような単独の狙撃犯は有効な場合もあればそうでない場合もある」と解説しています。彼らは文字通り、もっとちゃんと組織したほうが良いと言っています。非難や怒りはどこへいったのでしょうか。トランプを模擬的に殺す演劇を支持していることに対する責任はどこにあるのでしょうか。キャシー・グリフィンやハリウッド・カルトの有名人たちはいつも、トランプを殴りたい、トランプを叩きのめせ、彼の首を切り落としたいと言って血に染まった首をツイッターやインスタグラムに投稿しているのです。このようなことは狂っています。

その結果どうなるでしょうか。それは、煽られて加熱した左翼カルトの実際の狂った要素に行きつきます。高性能のライフルを入手して、白いタイツと赤いシャツを着て野球をしている罪のない議員を殺害、暗殺するということです。ばかげたことであり、みじめなことです。彼らは暴力を求めるという本性を現しています。彼らは無実の人々を殺したいと思っています。時間の無駄だから議論をしたくないと思っているのです。自分たちは質問されたくないのです。ですから反対意見をすべて検閲したいのです。

それは家庭詐欺連合と同じ昔ながらの全体主義の性質です。「検閲しろ」と言っていますが、討論しに来れば打ち負かされます。なぜなら嘘を元にして主張することはできないからです。

そしてあと数日すれば、煽られた狂った人たちが、「アメリカを再び偉大にしよう」の旗を持った人々を銃で襲うのです。ちょっと町をドライブしてみてください。そうすれば銃で撃たれるでしょう。(訳注:スクリーンに実際に起こった同様の事件の記事)

私たちは、またオルタナティブ・メディアも何度もそれについて話してきました。ワシントンDCで行われるデモ行進にジョージ・ソロスが2億ドルの資金援助を行っています。彼は何億ドルという資金をトランプ弾劾のための暴動につぎ込んでいます。反トランプの弾劾暴動が7月2日に行われようとしています。もちろん彼は、このようにしてウクライナを不安定にさせたのでした。彼はそれを始めるためにアメリカとヒラリー・クリントンとオバマを利用したというのに、ナチを植え付け、ロシアのせいだと言ったのです。

ビルダーバーグのタワーでふんぞり返っているキチガイの戦争屋は、国や経済、人命を破壊しています。これまで以上にまったく危機的な状況です。

善良な人々は自分を守ることができます。私たちはこれから良くなるのではなく悪くなるのだと話しました。韓お母様の犯罪は天宙的な危機をもたらすと話しました。そしてその結果として世界はもっと混乱に陥ります。私たちが韓国は3年で崩壊すると言ったとき誰も信じませんでした。そして実際に3年で崩壊したのです。

ペンシルベニアが世界の大統領を選ぶ場所になると言ったとき、誰も信じなかったのです。そして北東ペンシルベニアは、世界のトランプ大統領を選んだ場所となりました。彼は今、文字通り世界の大統領として行動しています。キューバのカストロや、マドゥーロを追及して人々を解放しなければ禁輸や課税を行い、制裁を加えて滅ぼすと言っているのです。ラテン系の人々は本当にそれを感謝するでしょう。なぜなら彼らはカストロやマドゥーロから逃れるためにそれらの国から逃亡してきたからです。

翻訳:BAMBOOS
にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村

【字幕映像追加】9月23日以降、家庭連合の救いはなくなるのか-5月26日質疑応答から

在韓日本人女性が、韓国語で次のような質問をした。
「(天の大いなるしるしが現れる)9月23日以降は、家庭連合の食口に対する救いが無くなると二代王はおっしゃったと聞くが、本当ですか」

それについて質問内容を英語で説明されながら答えられる。

(二代王)
彼女の質問は(今年の)9月23日に大きなことが起こり、その後は家庭連合のメンバーたちの救いはなくなる、という内容を二代王の話として聞いたのですが・・・というものです。彼女がどこでそういう話を聞いたのか知りませんが、そのようなことを言った覚えがない、と私は答えました。9月23日はヨハネの黙示録12章で予言された「天の印」が現れるときです。

「一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた。 1その女は身ごもっていた」というものです。黙示録ではそれが艱難の中間点だということです。これについてすでに話をしたのですが、艱難の中間点では何かが起こるでしょう。家庭連合にもはや9月23日を超えると、救いが無くなるのでは、という彼女の問いに答えるなら、私はそのようなことを話していないということです。

人々には悔い改める余地が残されています。しかし悔い改めたとしても堕落人間として戻ってくるのです。だから神の血統に再びつながるための条件を立てなければなりません。家庭連合の一般の食口が悔い改めて戻るとき、お父様が血統転換のために定めた条件、祝福式、三日儀式、蕩減棒摂理、40日聖別期間がすべて必要です。しかし、家庭連合の公職者が戻るとなると話は違います。これらの条件をすべてやらなければならないのは同じですが、しかし、各々の犯罪のレベルに応じて、天一国の法律で裁かれなければなりません。なぜならその者たちは、反逆に加担し、天一国に対して反政府的扇動を行ったからです。公職者は積極的に韓氏オモニを支援して、プロバガンダを展開し、金銭をかすめ取り、一般食口を道連れにして、神の王国から道を外れたのです。クーデターに参加し、国家反逆罪を犯し、執拗に扇動をおこなってきました。よって、法で裁かれるべきです。実体の天一国が創建されるとき、公職者は、法の裁きを受けるのです。もちろん裁判所からの呼び出し、証拠の提出などの手続きを経るでしょう。その時点で解決されるのです。

それに対して一般食口は、そこに加担せず、略奪階層にも属していません。組織から金を受け取る連中です。しかしそうであったとしても、彼らに追随しました。ヒトラーにつき従った愚かなナチス党員と同じです。自分達の「愚かさ」ゆえにそうしたのです。「鈍感」で「馬鹿」であったから、韓氏オモニと共に堕落し、神の血統を失い、サタンの血統に戻り、韓氏オモニの異端と堕落の血統を継ぐことになったのです。悔い改めて戻るとき一切の地位も特権もありません。ただ悔い改めの態度だけで戻らなければなりません。そしてお父様が用意された条件を立てて、再度、血統転換するのです。しかし一般食口は天一国の祝福に招かれ得るでしょう。ただ彼らは、シープルであり、上から来る命令に盲目的に無条件で従う者たちなのです。社会的に戦略的に。指導者達に煽られ流されたのです。だから罪は相対的に小さいかもしれませんが、しかし彼らも自由意志でそれを選んだのです。まあしかし、公職者の幹部たちのような反逆と扇動の行為からは免れました。ここに違いがあります。クーデターを助け、その一部だった連中です。必ずしもそこまで(一般食口)は関与していないでしょう。

聖書では艱難の期間の中間でキリスト教徒に対して大きな迫害が来るとあります。もうそれが始まっているのです。キングズレポートでも話しましたが、「ファー・クライ5(far cry 5)」というビデオゲームが登場しました。そのゲームの中の悪党テロリストとして、アメリカの聖書を信じるキリスト教徒の銃所持者が描かれているのです。モンタナ州が舞台です。

政治的サタン主義者がプロパガンダを開始しました。そしてっ聖書を信じるキリスト教徒、修正2項に従い銃を所持する者たちを怪物として描いているのです。ゲームでは白人ですが、全キリスト教徒が対象です。

ここで一年以上、警告してきました。どんどん悪くなり、迫害は激しくなると。主流左翼が押し進めています。政治サタン主義者がしきりに左翼を押しているのです。主流派が行っているので状況は悪化します。キリスト教と神様、キリスト教的倫理観への全面攻撃です。

イスラムも同じ宗教だ、イスラムの方がよりより文明をつくると言いながら、キリスト教を相対化しています。こういうことがますます勢いを増すでしょう。主流になることでしょう。ソロスなどの悪党が、資金を提供して7月にはアメリカ国内で内戦を起そうとしているのです。ますますエスカレートする状況を目にしています。暴力に訴えることを呼びかけています。左翼は内戦のボタンを押そうとしています。それは神様と神側のトランプ大統領が小児愛者に対して攻撃を仕掛けているからです。トランプは4か月間に3千人もの小児性愛者を検挙しました。

トランプは小児性愛者ではなく、子供を犯し殺してその肉を喰らう、ネットワークの一員でないことが分かります。サタンのカルトに属していません。全国の警察が捕まえた3千人の小児性愛者たちは小児性愛のすべての根源がワシントンDCからきていることを知っているのです、それは民主党です。共和党なりすまし、とブッシュとつながりをもつ者です。お父様はブッシュに言いました「あなたはサタン世界の王だ。レバレント・ムーンの言うことを聞かなければならない。そうしなければ滅びる。」と。

これが現実の理由です。
「トランプを殺せ」を連呼し、今、内戦を起さなければ、トランプとキリスト教精神、子供と貧しい者たち、寡婦を守るキリスト教に、小児性愛ネットワークは破壊される・・・。悪魔はそれを知り、トランプに戦争を仕掛けているのです。このようにキリスト教に対する迫害は厳しくなるのです。トランプがサウジアラビアを訪問した翌日に「イスラムテロを支援しろ、さもなくば、お前は敵だ」というプレッシャーをかけたのです。翌日に(イギリス)マンチェスターで自爆テロです。無垢の子供も殺しました。左翼の仕業です。人々が望むように安定化に向かっていません。ますます悪化しています。一年にわたってこの話をしてきました。良くなる前に、悪化します。一種の浄化です。神様は天国を力づくで取り戻そうとはなさいません。屈服することで救いがあるからです。

韓氏オモニはそのサタンの血統をもって神様と王権と王の前に、屈服しようとはしませんでした。オモニは神の国を基盤を盗み取りました。しかし最も重要な核を奪うことはできませんでした。それは王様と王権です。これは盗むことができません、なぜならオモニのものではないからです。これらはすべて神様が神の王国を全世界規模で復帰しようとされる御計画のプロセスです。

サタンが神の王国から奪ったものを取り戻そうとされるのです。聖書は「天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている」といっています。あなたの秤で、終わりの日に秤とられるのです。

力で奪い取った怪物たちは、終わりの時にはそれが自分にかえってくるのです。悪魔の王国は同じ力で奪われるでしょう。良くなる前に悪くなるでしょう、しかし、それは神様の王国を実体で迎えるための必要な過程なのです。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村

わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども、わたしから離れて行け-「恩寵を相続する王国」 英語説教6月11日から(その3)

Kingdom Grace Inheritance June 11 2017 Rev. Hyung Jin Moon Unification Sanctuary Newfoundland PA on Vimeo (2)

「恩寵を相続する王国」Kingdom Grace Inheritance 6月11日【英語説教日本語訳】

アメリカ建国の父は知っていても、その次の世代について聞いたことがないでしょう。

迫害と試練、01:05これは、あなたがたを神の国にふさわしい者とする、神の判定が正しいという証拠です。 テサロニケ第2(1:5)

神様はすでに私達の性格や善行、を知っておられ、われわれは正しい行いをするかもしれないが、決して完璧ではないから誇らないということも、またわれわれが正しい時に正しいことをする、決して(家庭連合の)売春婦のように、権力と地位とお金のために不名誉なことはしないということも予めご存知でした。私たちは「善」を選んだのです。なぜなら、権力、地位、金を基礎としてとして、永遠に存続する文明、4千年の時を超えて存続した文明などあったためしがなかったからです。むしろ文明は、人類に、サタンの誘惑にたいして立ち向かう力を与える、永続する価値、永続する原理に基づくべきなのです。神様が任命した、自由と責任をもつ導き人、支配者となるべきです。

「01:05これは、あなたがたを神の国にふさわしい者とする、神の判定が正しいという証拠です。あなたがたも、神の国のために苦しみを受けているのです。」

「01:06神は正しいことを行われます。あなたがたを苦しめている者には、苦しみをもって報い、 01:07また、苦しみを受けているあなたがたには、わたしたちと共に休息をもって報いてくださるのです。」

「01:08主イエスは、燃え盛る火の中を来られます。そして神を認めない者や、わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者に、罰をお与えになります。」

マタイ福音書では、イエス様はこういわれています。

「[7-21]  『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行ったではありませんか。』[23]しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告する。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』」

そして日に投げ入れられるのです。
あまりに多くの者たちが「私は(お父様を)愛しています・・・」などといってきました。そうではなかったのだ。その者たちはただ、自分の地位とお金そして権力を愛していたにすぎない。正しい選択をして、迫害を受けるのはもうごめんだ・・・知り合いからもそっぽを向かれたくない・・・。嘘つきで口先だけの者たち。

キリストを中心として生きそして死ぬことによって、少年は大人の男性に、少女は大人の女性になるのです。真の人間を、天使長の奴隷である偽りの人間から区別します。主体的な者と奴隷のような非主体的な者を区別するのです。

「神様は正しく、神の人々に休息を与えて下さいます。」

そして「そして神を認めない者や、わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者に、罰をお与えになります」、なんということでしょう。聖書に「神様が罰を与える」と書かれているのです。

神様が罰する・・・なんと、イエス様が罰するというのです。

「神を認めない者や、わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者・・・」つまり、神様の計画を知るだけではなく、従うということです。愛と信仰と従順、福音に従うためには、まず愛をもっていなければなりません。神様は偽りの行いを基にする従順は求めておられません。真実の愛に基づくものを求めておられるのです。愛するから従うのです。神様に傷跡を残したくないから従うのです。神様を愛するから、傷つけて傷跡を残したくないのです。
配偶者を愛するから淫行をしないのです。

同じように、お父様の命令に従うのは、お父様を愛するからです。お父様が残された権力の座にすわり、贅沢を続けたいだけの韓オモニとは違います。

お父様は最後の最後に、全世界に向けて、「オモニが自分をもはや愛していない」という事実を示されました。オモニはお父様を怒らせたのです。自己崇拝の言い訳欲しさにオモニに従う、全体主義者で傲慢なナルシスト、いかさまで偽りの女性たちは、最初から最後まで失敗者だというのです。哀れです。

いかなる文明もそのような、弱くて哀れな悪魔主義的な人々の基盤のうえには建てられることはありません。ただの一つもありえない。

「神を知り、主イエスの福音に従う者は・・・」ここでいう福音は、イエス様自身がいっておられるように、「王国」のあらましを描く福音でした。これまでの説教を通してこれは見てきたことです。

イエス・キリストの福音は、王国の福音です。

「彼らは、主の面前から退けられ、その栄光に輝く力から切り離されて、永遠の破滅という刑罰を受けるでしょう」(1-9)

地獄とは、神様のおられない場所です。神様から切り離されて、永遠の時を過ごさなければならないのです。霊界では神様こそが生命を支える力なのです。生命の根源から切り離される永遠の死、延々と繰り返される痛み。霊界では、神様こそ光の源泉、生命の源です。

しかしすべてこれは、あらゆる男女の決断に委ねられています。選択で分かれるのです。

ある神学者がいいました。
「神様は人を地獄に送る必要がない。自ら好んでそこに行くのだ」

神様はそれを許さざるを得ません。「そこまで私を憎むのなら、私をお前の父だと認めたくないのなら、そうしなさい。離れて暮らすがよい。」

パウロはさらに、こういいます。
「また、その御力で、善を求めるあらゆる願いと信仰の働きを成就させてくださるように」

パウロは、あらゆる願いの成就を願っているのではなく、「善を求める」あらゆる願い、と言っているのです。人は馬鹿げた願いをもつこともあります。「善を求めるあらゆる願い」であるということです。福音の善、神の国の善です。そのような願いを神様は成就させて下さるのです。神様は全能であると同時に、信仰者なのです。ご自分の義に立つ者への約束に対して絶対的に忠実なお方です。その者が完全だからではありません。神様を抜いては、取るに足らない者なのです。

「信仰からなされたすべての行い。それは、わたしたちの神と主イエス・キリストの恵みによって、わたしたちの主イエスの名があなたがたの間であがめられ、あなたがたも主によって誉れを受けるようになるためです」

先週、「身代わりの償い」について話しました。「身代わりの償い」が成立するためには「身代わり」になるものがどのようなものでなければならないか。例えば裁判所の判事が、犯罪者を前にして、「よし、道で歩いている者、誰でもいいから連れてきなさい」と命令して連れてこられて者に対して、「この犯罪者の罪は、お前に移した」などということは決して許されないし、まともではありません。とんでもない判事であり、とてつもなく不正な判事です。

先週これについて、学びましたね。「身代わりの償い」として成立するためには必要な基準があるのです。前近代社会には、「身代わりの償い」を行っている様々な文化がありました。他の人の罪をあがなうことのできる人がいました。立ち上がって「自分が彼の罪を代わりに引き受ける」と言えば成り立つのです。古代世界のある文化ではそれがありえたのです。しかし近代では、普通ではありませんし、そのような話も聞きません。しかし、哲学では、「神の正義の哲学」、「神の法理学」においては、法哲学、罰に関する哲学が存在するのです。

このテーマで多くの文献書籍があります。この神の法理において「身代わりの償い」は先の例では、正当とは認められません。

まず条件の1番目は、罪を犯したものと、贖罪するものが同じ特性をもっていること、同じ特性に対して、罰することができなければなりません。だから神の前に罪を犯したとするなら、神の前に犯罪者であると同時に、単なる赦しで、償うことのできる遺恨などではなく、「犯罪」を構成します。

だから裁判官が「10人の人間を殺したのか、だが赦してやろう」などとは決していうことはできない。とんでもない裁判官だというのです。恐ろしい国です。罪は犯罪であるということを理解するなら、善なる神様がなぜ、悪を罰するのかが分かります。ダイエット・コーラのようなキリスト教を信じる者、気分が良くなる神様だけ信仰する者たちは、人間の罪が犯罪である、といわれると気分が良くないのです。善なる神様が、善であると同時に悪を裁くということを認めたくないのです。善良な裁判官が国の正義を守るために悪を裁くのと同じ理屈です。そこから逃げることはできないのです。

家庭詐欺連合も郭グループも、「罪が犯罪である」などと夢にも考えたくないのです。自分たちが裁かれたくないからです。しかし天一国が実体で創建されるとき、反逆罪で罰せられます。異端の団体から金を受け取った幹部はすべて裁かれるのです。

神の善と義にもとづいて、良き裁判官のするように罪は裁かれなければなりません。たとえ心が痛んだとしてもそうしなければならないのです。そうしてこそ法と国家の完全性を保持できるのです。

誰かがその罪の身代わりに償うとするなら、同じ特性をもつ者がおこなうこと、だから山羊や虫では駄目です。「裁判長、この蟻を私の代わりに裁いて下さい」とはいえません。同じ特性をもつ者でなければ。人間の罪は人間でなければ償うことはできません。人の機能をもつ者でなければならないということです。

条件の2番目は、償う人はその自由意志で行わなければならないということです。「私がやります。私が彼の罪を代わりに償います」と明言しなければならないのです。通りすがりの人では駄目な理由は、自らの意志で選択したのではないからです。だから義にかなっていない。このたとえ話を聞いたとき「ありえない!」と良心が反発を感じたのは、それが義にかなっていないからです。裁判官の命令で、無理やり連れてこられた者が、なにをしたというのでしょう。犬と散歩していたかもしれないのです。

自由意志が必要です。3つ目の条件は、罪を代わりに償う人がその決断を下すに十分な程度の自分の人生における権限をもっていることが必要です。例えば胎児では、自分の意志を示すことができません。

次に条件の4つ目です。身代わりになる人は、神の正義によって裁かれるのだから、そのような罪、すべての罪を代わりに償うことのできる能力をもつ者でなければなりません。だから「神の人」でなければならないということです。条件5番目とからんで、身代わりになる人は自分のために贖罪する必要のない人でなければなりません。これは先週見てきたことです。つまり、その人は神様に対して、いかなる負い目ももたないということです。完璧に罪なき人でなければなりません。いかなる罪も犯していない人です。

私は法律家ではありませんが、法律では、「法的擬制(legal fiction)」と呼ばれる概念があります。フィクション(擬制)ですが、法律的には実体的です。ウィキペディアでみてみましょう。

「法的擬制は、裁判所によって仮定され、または作成された事実であり、法的規則を適用するために使用される」

だから法律の世界では十分に裏付けられた概念です。また十分に分類されています。いくつか例をみてみましょう。たとえば養子縁組がそうです。

(ウィキペディアから読まれる)
「養子縁組がなされると、生物学的な両親のいずれか、または両方が、法的に子供に関係しなくなり・・・」これがリーガル・フィクション(法的擬制)と呼ばれるものです。現実ではありませんが、法律では用いられるのです。分かりましたか?これで間違っていないですね、ジム。ジムは弁護士です。

「法人格」というのも擬制のひとつです。

このように、イエス・キリストが他人の罪を代わって償うなどということは理屈が通らないし何の法的根拠がない、と主張する人々は明らかに間違っています。一般の法理学でも社会で、リーガル・フィクション(擬制)の存在を認めているのです。キリストによる贖罪がフィクションだといっているのではありません!

翻訳:管理人
にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村

「栄光の賜物」が絶対正統である理由-永田教授

永田博士の異端家庭連合についての考察 第2弾

1,アボニムの正統天一国国歌
2,「栄光の賜物」からみるメシア・アボニムの唯一性・絶対性
3,韓氏オモニの改ざん国歌
4,神不在の改ざん天一国国歌
5, 歴史認識、世界認識、人間認識が欠如した改ざん国歌
6,過剰なキーワードの羅列
7,亨進ニム・荒野で呼ばわる者の声

にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村


天一国国歌の研究
「栄光の賜物」が絶対正統である理由

永田正治 masaharu nagata 高麗大学歴史学科卒業 日本学博士)

1,アボニムの正統天一国国歌

2006年、アボニムは「栄光の賜物」を天一国国歌に定めました。みずから作詞し、国歌とするほど愛された栄光の賜物は、メシア・アボニムを象徴する聖歌であり、ご自身の「信仰の告白」であり、キリスト教の「主の祈り」にも相当する至高の価値を有する歌です。本来、メシアが定めた国歌が未来永劫、天一国の絶対正統国歌であり、それを改ざんすることが罪であることは議論の余地もありません。

ここで、あえてこの問題を論じるのは、天一国国歌改ざんが、韓氏オモニと家庭連合が行なってきた、アボニムの伝統を葬り去る最初の策動であり、多くのことと関連する、きわめて象徴性が高い事件だからです。「アボニムの正統国歌」と「韓氏オモニの改ざん国歌」を比較することによって、「無原罪の独生女」、「真の父母の完全一体」などの虚構を打ち砕くことができるのです。

 2006年、天正宮入宮が行なわれました。天正宮は、清平聖地の豊かな自然にかこまれ、美しく威厳があり、世界のどの王宮にも引けを取らない素晴らしい宮殿です。

 入宮に際しアボニムは、「栄光の賜物」を天一国国歌と定めました。しかし、この歌は、絢爛豪華な天正宮と似つかわしくないものです。「栄光の賜物」の歌詞は、アボニムが、入宮から56年も前に、北朝鮮の興南監獄から解放された後によんだ詩です。死線を越える過酷な苦役を終え、なにも持たず、みすぼらしい姿で弟子を訪ねたときによんだ詩なのです。

 「栄光の賜物」は、「統一教会は、自由天地から始まったのではなく、最低の立場、監獄から出発したことを思いなさい」というみ言に直結し、この天一国国歌の背景と内容に込められた高い宗教的、内的基準があればこそ、天正宮がアボニムの伝統を相続でき、世界、人類を救済する強力な中心地であり得るのです。どんなに威厳ある宮殿でも、アボニムの精神がなければ、ただの世俗の豪華な建物と変わりないものになり、宗教的生命を失ってしまいます。

1 はるかに輝く栄えの光 強く生きよ自由の生命 この地の果てまで目覚め立て
  生命の光、永遠にあり 生命の光、永遠にあれ

2 呼びて求むる栄えの主よ 大いなる姿は 天地を抱き 蘇きた生命はいずこにと
  尋ぬる君を如何に迎えん 尋ぬる君を如何に迎えん

3 死から蘇きたこの我は 蘇かしたお方に抱かれて 永遠の愛と恵みの声
  いついつまでも喜びを いついつまでも讃めまつれ

4 栄に入るのも主の恵み 愛に満つるも主の恵み 崇め崇めて奉れども
  足らぬこの身を如何にせん 足らぬこの身を如何にせん

 1番は、興南監獄から解放された喜び、2番は、自分を訪ねてくれる神、3番は、神に生かされ抱かれる喜び、4番は、神の恵みの大きさと悔い改めです。2番から4番まで、テーマは神への感謝と愛です。「栄光の賜物」は、アボニムが神と極限のなかで出会った心情を吐露した、神主義を体現した歌で、物質的栄華を超越した本質的精神が息づいているのです。

このアボニムの心と深く共鳴していた子女様がいました、それが亨進ニムです。天正宮入宮に先立つ講演のなかで、亨進ニムは、「世界の食口が苦労しているのに、宮殿か —–?」、「私はある行動をしたいと思います」と言って、壇上から降り、会場にいたお婆さんと黒人食口の足を洗ったのです。聴衆は驚きに包まれました。私は、長い信仰生活のなかでも、こんな感動的場面を目にしたことがありません。

天正宮入宮をまえにして、高い精神的価値をもつ、栄光の賜物を国歌にしたメシア・アボニムと、キリスト・イエスのように、食口の足を洗った亨進ニムの行動は、心情の発露をおなじくし、まさに成約時代、新約時代の両キリストを象徴する歴史的役事でした。当時、アボニムの天正宮は、世界救済の中心として、盤石の内的基準をそなえていたのです。

2,「栄光の賜物」からみるメシア・アボニムの唯一性・絶対性

まず、私たちが考えなければならないことは、「栄光の賜物」を作詞した1950年当時は、天一国も、聖婚も、統一教会さえもない時代だったということです。この歌には、韓氏オモニも、子女様も、私たち食口もいないのです。ただ、メシアであるアボニムが、神と二人だけで歩まれた時代でした。この事実に、メシアの「唯一性」と「絶対性」という神の救済摂理の核心が反映されています。

メシアとは、自体が信仰の目的体であり、希望の目的体であり、愛の目的体であり、また、全人類の信仰の結実体であり、希望の結実体であり、愛の結実体である。(み旨の道)

「栄光の賜物」のストーリーは、神とメシア・アボニムの関係が絶対テーマです。「栄光の賜物」の国歌制定には、この関係を、永遠に天一国国民に伝える確固たるみ心があります。

それはまた、神と人類の仲保者であるメシアの「唯一性」が、神の救済摂理にとって、他に比類ない重要性をもつことを教えます。人間の歴史にかつてなかったような両者の深い心情の絆を中心に、すべての人類に救済の光が及ぶのです。

その内面世界を表現し切った「栄光の賜物」は、歌う人々が、自然と、神とメシア・アボニムにつよく心情が引き付けられる国歌なのです。

「栄光の賜物」の背景から分かる、神の救いの要諦は、救世主である「メシア・アボニム」であり、「メシア・アボニム」あってこその「真の父母」、「天一国」、「統一教会」であることです。もし、アボニムと韓氏オモニ、天一国、統一教会との関係性が救済摂理にとって最重要ならば、2006年の時点で、アボニムはそれらが盛り込まれた歌詞の国歌を制定されたはずなのです。

アボニムにとって、家庭連合が唱えている「アボニムと独生女の一体による救済」は、アボニム30才の北朝鮮における受難期も、86才の天正宮入宮期も、そして聖和に至るまで、すなわち全生涯にわたり、第一義的重要性を持つものではありませんでした。家庭連合が主張する救済観は、アボニムの救済観とちがうのです。

家庭連合は、真の父母様の勝利で聖婚が行なわれ祝福・救済の道が開かれた、とします。しかし、それよりも、聖婚に至るまでの、アボニムの血と汗と涙の歩みが重要なのです。それがなければ、そもそも何も成就しませんでした。救済摂理の第一義的重要性はこの苦難の路程で、アボニムはそれに勝利しました。聖婚、祝福はそれが「形」になったものです。「形」より「内面の勝利」が重要です。だからこそ「栄光の賜物」を国歌に定めたのです。

それは何にでも言えることです。天才ピアニストの演奏会も、天分をもって生まれついた運命と、血のにじむような練習があればこそ可能で、すばらしい演奏会という結果より、出発と過程が重要なのです。

韓氏オモニは、アボニムと自分が一体と主張しますが、どこまでも、唯一のメシアとして、また絶対主体としてのアボニムの優位性を認め、対象として同参する一体化です。ですから、オモニはアボニムに侍ったのではないでしょうか。そして、アボニムの苦難と勝利の歩みは、「アボニムのもの」として、一人の食口のような気持ちでほめ讃えるべきなのです。アボニムの聖和後、韓氏オモニは真の父母完全一体という名のもとに、アボニムの苦難と勝利の歩みをそっくり自分の功績にしているのです。

また、アボニム30才という年齢が意義深いことは、世界宗教の教祖の歩みからも悟ることができます。イエス公生涯開始30才、釈迦出家29才、孔子学問確立30才など、世界三大聖人も同じくらいの年齢が最も重要な時代でした。三宗教では、これら聖人は、唯一、絶対の存在です。アボニムにとって、興南監獄の受難期は、三大聖人の歩みと同時性をなし、その基準を越えた時代でした。

アボニムに「あなたの人生の絶頂期はいつでしたか?」と問えば、おそらく30才、興南監獄時代と答えられると思います。ですから、86才になったアボニムが、あえて、56年前の「栄光の賜物」を天一国国歌に定めたのです。

実にそれは、私たちも同じなのです。修練会の主の路程で、最も涙を流すのは、興南監獄の受難の場面です。「栄光の賜物」は、統一食口にとっても他に代えられない聖歌であるとともに、神・アボニム・食口を、深い心情で結びつける掛け替えのない国歌なのです。

韓氏オモニは、ご自身があらわれず、正しい救済観を教え、メシア・アボニムに食口の心情が集中してしまう「栄光の賜物」は、自身が「無原罪の独生女」になる道を決定的に閉ざす、極めて都合の悪い国歌でした。そのため、突然の聖和から基元節という混乱期に乗じて廃したのです。

その目論みは成功しました。5月14日、韓氏オモニの東京公演では、アボニムの言及が一切なく、独生女の強調に終始しました。本来、アボニムを証しに日本に来るのが、オモニの使命なはずです。なぜ、韓氏オモニはメシア・アボニムを前に立てず、常に自分を主張するのでしょうか?アボニム不在で自分を誇るのがオモニの話の定番テーマなのです。むしろ、祝福2世の小村聡士さんのほうがしっかりアボニムを証していました。オモニより二世がアボニムを証する。これはどう考えても変なことではないでしょうか。

5月29日、久しぶりに、渋谷本部前にある愛美書店に行きました。店内には、ご夫妻の写真は複数ありましたが、韓氏オモニの写真は12にもおよぶ様々なものが並べられ、反対に、アボニムの写真は申し訳程度に一枚だけ置かれてありました。これは家庭連合の方針なんでしょうか。アボニムがおられた時には、よもやこんな時代が来るとは夢にも思いませんでした。「12対1」、これが現在の家庭連合の、独生女とアボニムの比重を如実に象徴しています。

3,韓氏オモニの改ざん国歌

2013年1月、韓氏オモニは、天一国国歌を「栄光の賜物」から「聖励の新歌」に変え、アボニムの歌詞を廃し、別人のものに変えました。しかも新歌詞は、公募で採用されたのです。国歌とは、建国のために戦った人々が高い志でつくる神聖なものです。建国者の精神が表明されるべき歌詞を公募で決めた国などありません。この方法そのものが邪道で、天一国を冒涜するものです。

繰り返しますが、そもそもメシア・アボニムが定めた国歌は、天地が崩れても、絶対に変えてはならないのです。しかもこの国歌にはアボニムの深い思いが込められているのです。その国歌を廃すという恐ろしいことを韓氏オモニはしました。家庭連合が言うように、韓氏オモニがアボニムと完全一体ならば、こんな反逆行為をできるはずがありません。

世俗の国でも国歌は革命でも起きない限り変えるものではありません。しかし、家庭連合の天一国国歌の改定理由は陳腐です。韓国と日本のメロディーがちがうので、混乱をさけるために変えた、というものです。実際は、メロディーの違いは一部だけです。こんな違いは、どちらかに統一すればいいことです。現に、サンクチュアリ教会では、日本人、韓国人、アメリカ人がピッタリ合わせて「栄光の賜物」を歌っています。どうやったら混乱するか教えてもらいたいものです。
 
それはすなわち、理由にもならないような些細な理由で、メシア・アボニムの尊い国歌を廃したということなのです。この改定理由が本当ならば、あまりにも非常識で見識のないものです。それよりも、本当の理由は別にあり、それを隠すため、苦し紛れにこんな言い訳にしたのでしょう。

すべての国家は、建国に至るまでの過程を最も重要な時代とみなします。ですから、独立戦争や革命戦争を背景とした歌詞がおおいのです。おなじようにアボニムも、ご自身の若き時の苦難から、天一国時代にいたるまでの戦いの歩みを最重要の時代とみました。そのなかで最も記憶すべき時代として、過酷な戦いであった興南監獄を背景とした歌を天一国国歌と定めたのです。
 
それに比べ、韓氏オモニにとって最も重要な時代は、アボニムの聖和後、2013年からはじまる天一国新時代です。基元節を区切りに、アボニムを中心とした家庭連合から、自分を中心とする家庭連合に変えるためには、アボニムを象徴する国歌を廃し、自分を象徴する新国歌をつくらなければならなかったのです。

家庭連合は、なにかといえば、天一国新時代が到来したと強調しますが、宗教にとって新しい時代とは、教祖が生まれ歩まれた時代です。その時代を中心に置き、つねに教祖の生涯を振り返るのが宗教の正統な歴史観です。キリスト教をはじめ世界の高等宗教はみなおなじです。アボニムの聖和後に新しい時代がはじまったと強調し、アボニムの時代には想像もできなかった、無原罪の独生女という女メシアが登場するなどということは、宗教の基本さえわきまえない偽りの救済思想です。

4,神不在の改ざん天一国国歌

「聖励の新歌」はすばらしい曲です。曲のよさに覆いかくされ気づきませんが、新国歌の歌詞は問題です。これはとうてい神様とアボニムは認めることができません。

1 麗しき花よ 愛のバラ 望みの訪れ 満ち溢る 全世界あまねく こぞりて祝え
  尽きぬ喜び 輝かさん 自由の天一国

2 気高き純白の 清きユリ まばゆき心は とこしえに 全世界あまねく こぞりて祝え
  尽きぬ喜び 輝かさん 平和の天一国

3 真白き妙なる 鶴が舞う 永久に果てなき エデンのごと 全世界あまねく こぞりて祝え
  尽きぬ喜び 輝かさん 統一の天一国

4 高くはためく 天つ御旗 天地(人)父母様の 願う理想 全世界あまねく こぞりて祝え
  尽きぬ喜び 輝かさん 幸福の天一国

不思議なことに、この天一国国歌には「神さま」があらわれません。「言葉」からも「意味」からも「ストーリー」からも、神があらわれないのです。統一教会の聖歌(韓国版)には、「主:チュ・チュニム」、「父:アボジ」、「神:ハナニム」という神を示す語があらわれます。神を賛美する「聖苑のめぐみ」は、「われ今楽しく常に(神を)讃えん、栄光を高く捧げまつれ」など、「語」は省略されても、意味とストーリーにしっかり神が示されています。2曲の例外(5番、46番)をのぞき全てに「神」があらわれ、しかも多くは複数あらわれるのです。キリスト教の讃美歌はむしろもっと徹底して「神」があらわれます。

「神」を高く戴く、神主義を標榜する天一国の国歌に、「神」があらわれないのは、にわかに信じられない驚くべき事実です。韓国、アメリカ、イギリス、ロシアなど多くの国歌にも神があらわれます。この国歌は、キリスト教の伝統がある世俗国家よりも、むしろ神に対する意識において劣っているのです。イギリスなどは6番ある歌詞すべてに神があらわれ、12回も神の名が登場します。イギリス国歌一番を見てみましょう。

神よ我らが慈悲深き女王陛下を守りたまえ。我らが高貴なる女王陛下の永らえんことを。神よ我らが女王陛下を守りたまえ。勝利・幸福そして栄光を捧げよ。御代の永らえんことを。神よ我らが慈悲深き女王陛下を守りたまえ。(「女王陛下」は、男子が即位すれば「国王陛下」に変わる)

世俗国家でもこれだけ神を意識するのです。アングロサクソンが世界に君臨する理由もこんなところにあるのかもしれません。ともあれ、天一国の根本理念と照らし合わせてみても、宗教上、こんな重大な欠陥をもつ歌が、天一国国歌になるべきではありません。神がこの歌を聞いてうれしいでしょうか。神を崇める国歌を定めたアボニムがどんなに嘆くでしょうか。これは、公募に応じた人も、審査する人びとにも、アボニムの伝統を重んじるという思いが完全に欠如していたことを暴露するものです。こんな国歌をもつ国に、神の祝福があるはずがありません。

5, 歴史認識、世界認識、人間認識が欠如した改ざん国歌

国歌は、国民の歴史を踏まえてつくられます。善悪闘争の歴史を繰り返した国民の運命は悲惨なものでした。そのため、明るいだけの国歌など存在しません。各国の国歌を調べれば、つらい外国の支配や悲惨な戦争の歌詞が多いのです。

世界で、幾多の侵略をうけ亡国の悲しみを味わった国として、ヨーロッパのポーランド、アジアの韓国をあげることができます。ポーランドは、「ポーランドは滅びず、我等が生きる限り、外敵の包囲、サーベルにて打ち破らん」、韓国は「神が護りたもう我が国万歳」、「一片丹心」、「苦しくとも嬉しくとも国を愛せ」と、苦難の中で身をささげ国を愛する精神を歌います。
アボニムは、誰よりも歴史の真実を知っています。まさに「栄光の賜物」には、アボニムが自由を奪われ、残忍な共産国家の監獄に収監され、信仰をつらぬいた背景があります。このような国歌は、国民につよい信仰心と忍耐力を養わせることができます。

しかし、韓氏オモニの国歌は、底抜けの明るさしかないのです。この歌詞は、陽陰ならば「陽」だけ、昼夜だったら「昼」だけ、喜怒哀楽だったら「喜」と「楽」だけ、というように世界や人間の明るい面だけしか見ておらず、一面的で、単純です。国歌というより、まるでスポーツの応援歌です。

ですから、本来、国歌に求められる真剣な歴史認識をもちません。「神」がなく、「苦」のかけらもなく「喜」だけが強調される、お花畑のような国歌で、国民の信仰心と忍耐力を養うことができるでしょうか。

また、国歌に求められる世界認識も欠如しています。世界のすべての国家は外敵をかかえ、国防を重視しなければならず、多くの国の国歌は戦う勇気を鼓舞するものが多いのです。アメリカの国歌は「彼らの邪悪な足跡は彼ら自らの血であがなわれるのだ」、フランスは「武器をとれ市民よ、隊列を整え、進め、進め、敵の不浄なる血で耕地を染めあげよ」などです。

私たちが生きる21世紀は、9.11テロ、アフガン、イランでの戦争、今も世界で頻発するイスラム過激派のテロ、北朝鮮の核の脅威、そして自然災害の被害など、平和と安寧とほど遠い世紀になりました。現在、おおくの人々が苦しみ、未来はさらに深刻化する可能性が高いのです。私たち食口にも、いつどんな艱難が襲いかかるかも知れません。

アボニムは過酷な世界情勢を熟知しています。共産軍と激しく戦った韓国動乱下によまれた詩を国歌にしたのは単なる偶然ではありません。世界に善悪闘争が続くかぎり、未来の天一国の存続と安全のためには、戦争の教訓を踏まえなければならないのです。天一国国民も、悪なる勢力から無法な攻撃を受けたら、スイス国民のように、家族と国歌を守るため、銃をもち、勇敢に戦う覚悟が求められるのです。

このような厳しい世界の現状をみると、韓氏オモニの天一国国歌は、なんとズレたものでしょうか。まるでシャンパンを抜いて盛大なお祝いするような雰囲気で、こんな国歌を歌いながら、厳しい21世紀の困難を克服し、人々を導くことができるでしょうか。最近、イギリスではイスラム国の連続テロが発生し、多くの死者を出しました。「韓氏オモニの改ざん国歌」は、明るい新時代を強調したいあまり、厳しい現実を忘れてしまったのです。この歌は、戦争やテロの危険に直面する国際社会のなかで、国歌としての資格はありません。

また、人の苦しみや試練に対する認識も欠如しています。こんな深みのない明るいだけの国歌で、未来の天一国国民が、人生で苦難や試練を受け悩み苦しんだとき、助けになるでしょうか。「栄光の賜物」は、「死から蘇きたこの我は、生かしたお方に抱かれて」、「蘇きた生命はいずこにと、尋ぬる君を如何に迎えん」など、アボニムの深い信仰の世界を伝え、私たちに、神の助けを得て、苦しみに打ち勝ち、生きる希望を与えてくれます。アボニムの国歌がどんなにすばらしい歌でしょうか。

「アボニムの正統国歌」の背景と内容には、優れた歴史認識、世界認識、人間認識があります。反対に、「韓氏オモニの改ざん国歌」はそれらすべてが欠如しています。どちらが天一国国民を正しく導くことができる国歌かはあまりに明白です。未来の天一国国民のため、「改ざん国歌」を廃し、アボニムの国歌を復活させなければなりません。

6,過剰なキーワードの羅列

1番、「愛のバラ」、「五大洋六大洲」、「天宙」、「億万歳太平聖代」、「自由」、「天一国」
2番、「純潔のユリ」、「五大洋六大洲」、「天宙」、「億万歳太平聖代」、「平和」、「天一国」
3番、「千年鶴の翼」、「永生の理想郷」、「五大洋六大洲」、「天宙」、「億万歳太平聖代」、「統一」、「天一国」
4番、「天一国の旗」、「天地人真の父母様」、「五大洋六大洲」、「天宙」、「億万歳太平聖代」、「幸福」、 「天一国」                                           

これは「改ざん国歌」(韓国語の直訳)にあらわれるキーワードを抜き出したものです。当たり前のことですが、キーワードとは、文のなかで特に強調される言葉のことです。ふつう、詩や歌詞のなかに、数個しかあらわれません。私は、こんなにキーワードが多い詩も、歌詞も見たことがありません。皆さんはいかがでしょうか。

キーワード26個を並べれば、歌詞の大部分を占め、歌の意味が分かってしまいます。要するに、キーワードでつなげた歌なのです。キーワードがこんなに多ければ、キーワードどうしが相殺し合い、強調効果はゼロになってしまいます。しかもこれらのキーワードはいい言葉ばかりで、苦難、忍耐、悔い改めなどを示す言葉はひとつもありません。なにか、やたらといい言葉だけ並べて、何にポイントがあるか判断できない歌詞なのです。

韓国文化に根づいたキーワードは、翻訳すると意味が軽くなってしまいます。ですから、家庭連合の動画や手帳には、韓国語からの直訳の日本語訳が出ています。また、キーワードは翻訳困難な語も多く、たとえば「五大洋六大洲」は「全世界あまねく」に、「億万歳太平聖代」などは「尽きぬ喜び」と意味が全くちがうものになっています。そのうえ、音がおさまらないキーワードもあり、歌うとき、「天一国」は「くに」に変え、たとえば「幸福の天一国」は「さちのくに」に変えています。

家庭連合が「栄光の賜物」を廃した理由は、韓国と日本のメロディーがちがい、国際的統一性がはかれないということでした。しかし、この新しい歌詞は、はるかに国際的統一性がはかれない深刻な問題があります。

それに比べ「栄光の賜物」は、キーワードといえば、まさに神をあらわす「主」、そして「自由」、「永遠」など数個で、神を中心としたストーリーがしっかりあるので、翻訳しても、韓国語の原意を伝えられ、日本語で歌っても深みがあり恵みがあります。

私が、「改ざん国歌」の問題点を指摘するのは、改定の目的が、決して、「いい国歌をつくる」ものではなかったことを明らかにしたいからです。もし、いい国歌をつくろうとするならば、新国歌制定委員会が設けられ、アボニムの伝統を考え、聖歌、讃美歌や、他国の国歌も参考にし、作詞の能力がある人が、充分な時間をかけつくるのです。そうしていれば、少なくとも「神」が入らなかったり、「明るいだけ」の歌詞にはなりませんでした。

それをしなかったということは、とりもなおさず、改定の目的が「いい国歌をつくる」のではなく、「アボニムの国歌とその伝統を廃する」ことに真の狙いがあったことを示す事実に他ならないのです。

作詞者である崔洪吉氏の証によると、崔氏は詩作の経験すらなく、そのうえ時間は3日の猶予しかなかったそうです。ですから、とんでもないものができ上がってしまいました。家庭連合は、すぐれた詩人であるメシア・アボニムが、2年5か月の受難を背景に作詞した労作の国歌を廃し、なんと、詩作の経験すらない人が3日で仕上げた、にわか作りの国歌に変えたのです。このアボニムへの冒涜、不誠実は言語に絶するものです。こんな国歌を歌う場に、アボニムが臨在するはずがありません。家庭連合の天一国国歌の動画をみると、アボニムがあらわれます。それをご覧になるアボニムの情けない心情を想うべきです。

家庭連合の皆さんは、目を背けず、この事実を直視してください。家庭連合がアボニムの国歌を廃したことに納得できますか。アボニムは「栄光の賜物」を国歌にしたとき、何度も歌われ、当時を思い出され泣かれたそうです。そのような国歌を平気で廃する人を理解できますか。統一食口としての良心に問うて、アボニムの伝統を葬っている韓氏オモニと幹部に、ついていくか否か、真剣に考えてください。

7,亨進ニム・荒野で呼ばわる者の声

「荒野で呼ばわる者の声」とは、聖書にでてくる、洗礼ヨハネを指して言う言葉です。イエスが公的にあらわれる前に、洗礼ヨハネが人々にメシアが来ることを伝え、イエスをメシアとして受け入れられるように準備する歩みを表現します。

しかし歴史は、洗礼ヨハネが使命を果たせず、イエス自らが人々に訴え「荒野で呼ばわる者の声」となりました。結局、イエスは受け入れられず、殺害されました。
アボニムも、キリスト教牧師が責任を果たせず、自ら「荒野で呼ばわる者の声」になりました。そして、おもむいた所が北朝鮮であり、ついには興南監獄に収監されました。そこから解放されたときによんだ詩が「栄光の賜物」です。

21世紀になり、ふたたび同じことが繰り返されました。アボニムが苦労し基盤を築いた家庭連合は、韓氏オモニが権力を掌握し、アボニムの伝統をくつがえし、アボニムの存在を極小化する行動を繰り返してきました。正統後継者である亨進ニムは追放され、アメリカの片田舎から「荒野で呼ばわる者の声」を発するようになったのです。その悲痛な呼び声にこたえた群れが、サンクチュアリ教会の食口たちです。

この亨進ニムの叫びがなかったら、韓氏オモニの計画は成功し、この地上からアボニムの正しい教えは消え去ってしまったことでしょう。誰が、絶対権力をもつ韓氏オモニに「あなたは間違っている」と直言できたでしょうか。誰が、「偽の国歌」、「偽の神名」、「偽の家庭盟誓」、「偽のメシア」、「偽の経典」に反対を表明できたでしょうか。この訴えがなかったら、すべての食口は韓氏オモニの偽りに気づくことはできませんでした。私たちは亨進ニムに限りない感謝をささげなければなりません。

「荒野」は困難な環境を象徴します。宗教にとって、真に重要で本質的な言葉は、つねに「荒野」から発せられました。キリスト教のみならず、ユダヤ教、イスラム教、そして仏教や儒教も同じです。アボニムをはじめ、イエス、マホメット、釈迦、孔子は、逆境のなかで真理を説いたのです。亨進ニムはペンシルベニアの地で、アボニムと諸聖人の苦難の路程を継承したのです。そして、アボニムは私たちにこう命じます。

統一教会人となるためには、神様と先生の内情的な願いを相続しなければならない。(み旨の道)

アボニムが「神様と先生の内情的な願い」を、すべての食口に相続させようとしたものが、「栄光の賜物」の天一国国歌でした。私たちはこれを子々孫々まで、国歌として歌い継ぐ天来の使命があるのです。亨進ニムは荒野で私たちに叫び、そのことに気づかせて下さいました。

今日、サンクチュアリ教会はアボニムの正統天一国国歌を歌います。「栄光の賜物」の背景と内容にサンクチュアリ教会のすべてが象徴されています。反対に、家庭連合は、韓氏オモニの改ざん天一国国歌を歌います。この歌の背景と内容に家庭連合のすべてが象徴されているのです。

あなたが真の統一食口ならば、亨進ニムにしたがい、「栄光の賜物」を家庭連合の国歌に復活させるため、みずからも「荒野で呼ばわる者の声」とならなければなりません。

家庭連合の皆さんは、30年以上の信仰がある方も多いでしょう。長く信仰をして、今、ふかい落とし穴に落ちてしまいました。それが、韓氏オモニの偽りの教説と逸脱によるアボニムの真理の無力化です。天一国国歌問題をみても、その深刻さがお分かりになると思います。偽りの策動に関わったり、翻弄されれば、信仰の歩みは失敗し、長年の精誠が無に帰し、後悔するときが訪れます。神とアボニムを悲しませてはなりません。今こそ、勇気をもって、韓氏オモニのもとを去り、亨進ニムのサンクチュアリ教会の門を叩き、真のみ旨に合流してください。

日本サンクチュアリ協会公式サイトより

にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村

5月26日王様の質疑応答から-「第4アダム」の神学

(質問者)
今朝お父様の「第4アダム」についてのみ言を訓読しました。
それについて詳しく教えてくださればと思います。

(二代王)
確かにお父様は一時期、第4アダムについてよく語られました。特に郭グループはプレストン(顕進ニム)がそれだとか言って、大いに普及させました。なぜなら、彼らはお父様が王冠をかぶせた王権を否定したからです。二大陸で3度行われた歴史的事実です。それは誰も否定できません。繰り返しますが、私がそうしてほしいといったのではありません。お父様が王冠をかぶせられたのです。お父様の命によって。第4アダムという概念は非常に普及しましたが、それをもってメシアより高い位置に置きました。

お父様がまだ地上に居られるときに、「すべて戻しなさい」というお父様の指示を無視する際の口実にしたのです。お父様の命令は聞かなくてよいと。お父様は基盤を元に戻せとおっしゃったからです。だから盗んだのです。自分が腐心して作り上げようとした「第4アダム」神学を使って。お父様は生きておられ、すべてを返せと言っておられるが、「返しません。それがお父様の為になるのです」などといって-(笑)。覚えているでしょう。

自分たちのプロパガンダとして第4アダムの概念を普及しましたが、もちろんそれはインチキな、お父様が語られた内容に込められた意図を捻じ曲げたものです。

お父様の語られた第4アダムの意味は、お父様の次の世代の人々が、いかに第3アダム、完成したアダム、再臨のキリストの文化をそれぞれの祝福家庭が継承するか。それぞれの個人が、特に第4アダムの位置にある夫が、いかにして、完成したアダムの勝利を相続していくのか、そして氏族メシアを出発するのか。しかし繰り返しますが、お父様に替わることはできません。

自己崇拝したい人びとや家庭連合はこういいます。「お父様は私を氏族メシアにされたのだから、私がメシアでもはや、(真の)メシアは必要ない」。これはとてつもなく愚かな物言いです。異端のニューエイジ的解釈です。キリストの唯一性を知ろうとしません。

それは全く、全くもって、神様から離れた貧しい状態に他なりません。だからお父様は氏族メシアを、お父様に代わる者として、お父様を必要としない、自分がメシアになるという風に立てられたのではありません。自分の氏族における、メシアの代弁者となり、メシアの外交使節、大使になれというものでした。つまり、そこでメシアについて教え、メシアに導く、氏族メシアとして中心に位置するメシアに導くのです。真実と生命について力をもったお方、中心存在です。

異教徒を見るとき分かるでしょう。いつでも同じことをやります。お父様のみ言葉をキリスト教的文脈で見ることができない。そもそも、そんなことはできません。統一原理はキリスト教の背景をもって生まれたものです。そこまでしなくても、歴史的宗教学の観点からみても、(家庭連合や郭グループの)神学はうすっぺらでいい加減なものです。それで逃げ切ろうとするわけです。お父様の言うことを聞かず自分勝手に行なってきた自分の行動をそれによって正当化したいのです。宗教学という学問の観点から見ても、まったくいい加減で杜撰(ずさん)なものだというのです。まともな理論的整合性に欠く、神学というよりは政治的言い逃れにすぎません。

統一原理、原理本体論教育からキリスト教的世界観倫理観、聖書を取り除くことなどできません。しかし、人々はいかに都合よくキリスト教的倫理と聖書、とくに聖書的啓示と神様の預言を排除することでしょうか。

そこから離れて、何が氏族メシアか。ただ自己崇拝したいだけでしょう。自分を神と同等なものとみなしたいのです。お父様が自分に神になる許可を与えて下さった、位置をくださった、などといって。完全に、そして明白にお父様を裏切りました、そのようなことをして・・・。もちろん、そのような人々がお父様の家に入ることはできません。

天国に行けば、お父様の所に行こうとするでしょう。しかし、とてつもなく強力で、危険な者たちがお父様の傍(そば)にいることを知っていますか?あなた方を讒訴できる者たちです。それが誰かと言えば・・・国進ニム(笑)・・と、二代王です。

お父様は愚かな方ではありません。人生と目的の中心にお父様をおいている者たちをご存知です。また一方で、お父様の教えをゆがめ、利己的脚色をつける者たちもご存知です。キリスト教的文脈や聖句から切り離して、自分たちに都合のいい姿にメシアを改造し、神様を改造する。

韓オモニも郭グループも同じことをしているのです。このうちだれが王冠を授かりましたか?誰もいません。お父様から油注がれ、後継者、相続者、代身者に指名されたものはいないのです。お父様から王冠を戴けなかった理由があるのです。正統がないからです。

(質問者)
キャリー・ウィリアムスからの補足質問をします。
今朝の訓読で、神様は第一の創造主でありアダムは第二の創造主、アダムとエバは第三の創造主だというお父様のみ言がありました。アダムがなぜ第二の創造主であり、アダム、エバが第三の創造主なのでしょうか。

(二代王)
神様は第一の創造主であり、神様の種からアダムが生まれました。アダムは神様の種をもつ第二の創造主であり、アダムがエバと一つになれば、彼の種がエバに宿り、ともに次世代の創造主になるのです。アダムは創造の起源となる(神様の)種の所有者です。神様から受け継いだ種をもつがゆえに、創造の要素を付与されたわけです。それがエバの胎に宿ることで、ともに次世代の創造主となるのです。すべては種にさかのぼるのです。すべてです!創造という言葉さえ誕生と結びついているではありませんか。

翻訳・字幕:管理人
にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村

神様の王国は霊的なものにとどまらず、実体的なものでもあるということです―王様質疑応答5月26日から

19145825_10211756805868136_1671897378690937277_n

つまり、王国での教会の役割は、福音を伝え広め、祝福式などを主催したりする媒体となることです。王は教会の頭(かしら)となり、そこに多くの補助的な部門が枝分かれして、もはや王はそれらを財政的にコントロールしないのです。しかし、信仰と共通の信念で結ばれています。それは社会の中で機能しますが、それ自体まだ王国ではありません。教会を実際に王国だとみなしている福音派教会は多くあるのです。そこでは神様の王国は霊的なものにとどまらず、実体的なものでもあるということです。真の主権をもち、真の領土と国民を具体的な場所に備える国でなければなりません。こういうことをずっと話してきました。それは絶対的に重要なことなのです。   

-2017年5月26日王と王妃の質疑応答から

1969年にお父様が創業したイェファ・ショットガン&エアライフル会社の当時のメンバーたち

19060031_1194892880620724_5222791441930538178_n

サンクチュアリNFL公式facebookページより

翻訳:管理人
にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村