御国の福音-12月31日英語説教(その2)

Kingdom of the Rod of Iron 1   December 31  2017   Rev  Hyung Jin Moon   Unification Sanctuary  Newfoundland PA on Vimeo.png

2017年12月31日 「鉄の杖の王国 1」

Kingdom of the Rod of Iron 1

翻訳:管理人

イエス・キリストが自ら明らかにした福音とは何であったのか。
これはキリスト教徒たちと議論するには大変に意味のある内容です。
「福音」とは何か。
歴史的に説明づけられてきたエウアンゲリオン(ギリシャ語:福音)、教会が説いてきたその内容は「十字架上の死」と「イエス・キリストの復活」、これが「福音」でした。
それを通して救われる。

それに関して決まって引用されるヨハネの福音書3章16節、

「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛してくださった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」

決まってこの聖句を引用するのです。

しかし、聖書に何と書かれているのか、イエスご自身は何と言っておられるのか。イエス様がこの議論の中心人物ではないですか。イエス様が「これが福音だ」というものが福音なのです。それを知らなければなりません。

この点をクリスチャンの兄弟姉妹たち、とくにアベル側の銃所持者たちが理解できるように支援しなければならないのです。

「イエス様自身が福音は何とだといっておられるか見てごらんなさい」というのです。

何と言っているのか。

その前にイエス様が私たちに神の国について毎日、祈りなさいといわれた内容をみてみましょう。マタイ6章で、弟子たちに毎日こう祈りなさいとおっしゃっています。
それが主の祈りとよばれるものです。

ところでローマ法王はそれを変えようとしています。フェイクな法王です。私が真の法王です。あっちは偽の法王だ。その偽の法王が「主の祈り」を変えようとしている。私は再臨主の相続者、後継者です。彼は違います、偽の教皇であり、「主の祈り」を変更しようとしています。私は変えません。毎日、平和警察・平和軍の訓練の終わりに皆で唱えています。毎回、主の祈りで終えるのです。

天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように、
み国が来ますように、
み心が天に行われるとおり地にも行われますように。

御国が来ますように。そして、御心が天におこなわれるとおり地にも行われますように。

これを、イエス様が、信仰者、キリスト教徒たちに毎日祈りなさいといわれたのです。

だから、クリスチャンが話に関心を示したときに、その活気のある友好的な話し合いの中で、天一国憲法を見せたりしながら、さらに深く議論するとき、「御国のために毎日祈らなければならないことを知っていましたか。イエス様ご自身が命じられたことです」と尋ねる。

「ヨハネ第1の手紙に『神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである』とありますよ」だから、「あなたがクリスチャンでイエス様を愛するなら、主の祈りを唱えるでしょう」と。

これは日々の霊の糧です。王国(み国)が来ますように、御心が天におこなわれるとおり地にも行われますように、というイエス様の願いを自分の願いとして願っているのか。

マタイ6章33節では、あれこれ悩んで、明日どうなるだろうかなどと案じる前に「まず神の国と神の義を求めなさい」とあります。イエス様は「まず、神の国と神の義を求めなさい」といわれるのです。

「まず民主主義を求めなさい」でも「まず共産主義を求めなさい」でもありません。その他、役に立たない「学位を求めなさい」でもありません、「まず神の国を求めなさい」といわれました。

「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」
マタイ6章をみると、福音において、聖書の中で、イエス様は「まず神の国を求めなさい」といわれているのです。

マタイ7章21節では、クリスチャンに対して注意を喚起しています。

「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである」

クリスチャンは私をカルトの指導者だといい、みなさんをカルト信者だといいますが、それではイエス様もカルト主義者になってしまうでしょう。原始教会の活動もカルトになる。わたしたちは聖書をただ読んでいるだけです。派手な衣装の国営カトリックの説教を聞いたり、牧師の説教を聞いているわけではないのです。聖句を読みながらその真意を探っているに過ぎない。

連邦政府の援助を受ける牧師たち。これについて何度も何度も繰り返し非難してきました。どうしてそれが善くないのか、国がどうやって教会を買収するのか、教会の慈善活動をすべて連邦政府のもとで登録しているではないですか。政府のひも付き教会では説教者に大きな圧力がかかるのです。

イエス様が警告しているのはこれだけではありません。クリスチャンがよくよく覚えておかなければならないこと、人のことをカルト、カルトという前に意識しておかなければならないことが何かと言うと、いまわれわれをふくめ多くの人びとが「主よ、主よ」と言っていますが、「皆、天の国に入るわけではない」ということです。

だから、クリスチャンたちと話をするとき、聖書に関する知識を持っていることは当然のこととして、聖書を学習し、聖句を暗記し、それをもって議論できるようにしなければなりません。数カ月前に、ある牧師さんと議論したとき、イエスの再臨やあれこれを論じた後、私が聖句を持ち出すと彼は「あなたの父親はメシアじゃない」といいました。

そのとき私は「黙示録3章12節によると、キリストが再臨されるときあなた方はその名を知らない-キリストは新しい名で来られるからとあります」「そして彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの新しい名とを、書きつけよう」と。その名前は誰にも分らない。それでもあなたは、イェシュア、イエスの名で再臨すると信じている。聖書はイエスの名ではこないといっている。

たいていのクリスチャンはこの話が耳に入らないのです。それは聖書をよく読んでいないからです。だから彼らの注意を促すことが重要です。

そんなに自信過剰になってはいけません、私もクリスチャンです。自信過剰のクリスチャンではいけない。マタイ27章21節には、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない、と書かれているではないですか。これはイエス様がいわれたことです。聖書をよく読まなければなりません。キリストが新しい名前で来られることを理解しなければならない。多くのヘブライ語や古代ギリシャ語の専門家がいたとしても、聖書は、それでも彼の額に書かれた名を誰も知らないといっているのです。

キリスト教福音派クリスチャンと議論するとき、たいていこのような話の展開になるのです。やり取りの中で彼らも聖句から引用し、それに対してこちらも聖句を引用する。「よろしい、お互いに合意できないことを認めよう、最後の審判でどちらが正しいか見極めることにしよう」と。結局そこに落ち着くのです。

つづく

にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村