「主権は血統を通じて次世代また次世代に伝承していくものです」国進ニム5月27日質疑応答から(その2)

字幕付け作業が終わり次第、動画をアップします。今回は、文章だけです。

International Leadership Seminar 5 27 2017   YouTube.png

自由な社会は長続きしないのです。本当に悲しむべきことはこれです。
われわれの先祖が聖書的歴史期間を通して自由と自律の憲法を掲げて、このアメリカ合衆国を建てるために働き続けてきました。ここまで何百万という人々がこの国のために命を懸けたのです。それを相続した人々は、先人の労働と犠牲のおかげで、この国にみのった実を享受してきました。しかし相続したその価値を貴重に思わなかったのです。それが大きな問題です。世代を超えるということが。ただで手にした実を尊ぶようにどのように子供を教育しますか?独裁ではなく自由を選んだのは「私」です。父から受け継いだものの価値を受け継がせていくこと本当に試練であり難しい問題です。

それは神様の創造以降、アダム、エバを通してできなかったことなのです。彼らは神様から相続した価値を理解できなかったばかりか、それを駄目にして、僕(しもべ)に与えたのです。しかしその僕はそれを世代を継いで相続してきました。聖書的意味でこれを見るなら、最初に与えられた祝福はアブラハムに与えられたものでした。自分が創造主から与えられた祝福の価値の意味を父として子孫に伝えることができたという意味で模範です。

アブラハム家庭が勝利した、第2世代、第3世代へと続くこの祝福の伝承、イスラエル民族にまで確保したこの祝福の伝承。これこそ私たちが家庭をもつときから抱える大きな挑戦です。夫婦間の理想の関係だけではなく、その価値を血統を通して両親から子供に伝承するのです。

アブラハムは、イサクとヤコブをとおして勝利者となりました。だから、神様はその三代を一つとみなしました。なぜなら地上で時間を超えて権威が継続するためには世代を超える権威と責任の伝承が必要だからです。それに成功しなければ血統は、終わってしまいます。

そこが個人であること、神様の真理と愛をもつ善なる個人であることと、天一国の王になることの違いです。主権を考えてみたとき、それは個人的な自由だけではありません。主権は血統を通じて次世代また次世代に伝承していくものです。

だから今、王様があなた方に王冠をかぶりなさいという時、皆さんは神様から頂いた祝福を自分一代で消費するのではなくどうやって次世代に伝えるべきかを考えなければなりません。だから「私」だけの問題ではないのです。王国の王になりたいと思う人、すべてが相続について考えなければなりません。

(質問者)あなたがおっしゃる、自由とその伝承について考えました。いま子供たちにその価値をどうやって教育したらよいか今一つよくわかりません。無償で与えるものですから、幼い子供はその価値を理解できないのではないでしょうか?

(国進ニム)
問題は自分が一生かけて努力してきたものをどうやって子供に伝えるかという問題が最大のポイントです。子供に関していえば、あなたは自分の血統を王として、自分が選択しなければなりません。自由意志と責任をもって自分が築いた財産を、(子供たちのうち)ジョンに与えるか、ジェイか、それともジェーンなのか・・・あるいは自分の責任を放棄して、子供たちに平等に分けるというか。世代を超えて主権を発展させる家庭になるか、一代限りの主権で終わる家庭になるかのそれが境目です。

つまり、一つの子供に対するテストです。しかし最後には、霊界に行くのだから、あなたは選択しなければなりません。

(質問者)
もし子供たちに全く平等に分け与えたとしたら、価値を理解できずに社会主義的に引き込まれるのでしょうか?

(国進ニム)
そこがポイントです。あなたが父親として、これが一番簡単だからといって、子供たちの位置や個性を考慮することなく「皆、平等に与える」といえば、誰が自分の血統として相応しいかという選択を放棄することになります。

ここで、少し困った立場に置かれたことを自覚しますか?ここが主権と主権なしの違いです。王であるのか、僕、奴隷であるのか。選択です。難しい選択です。一生を通して、家庭、国家建設などに向けて選び続けなければなりません。どのように子供に相続させるか、子供たちをどう評価するか、どう判定するかという選択までしなければならないのです。子供たちの徳をいかに測りとり、判定するのか。

主権を話すのは簡単です。責任を語るのも容易いことなのです。神の国で王になると話すことも簡単なのです。しかしその役割を責任もって成し遂げることは、もっと難しいのです。

つづく

翻訳:管理人
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王様の推奨するビデオ講義「独生女と三代王権」BYパンザー会長【日本語字幕版】第4回

8回シリーズの第4回目です。

2010年から2012年にかけて行われた、八大教材教本の奉呈式についてお話しします。
「ここに人類の永遠の教材となるべき八大教材教本を残します。
文鮮明先生マルスム選集、原理講論、天聖経、家庭盟誓、平和神経、天国を開く門・真の家庭、平和の主人・血統の主人、世界経典。」
この式典は世界中で行われました。2010年にニューヨーク、2011年に韓国では1万2千人が集まりました。そして韓国で2012年。映像を見ましょう。

「皆様、真の父母様は、既に人類のための遺言を準備し、残しました、一生に6度、7度も生死を行き来する獄苦を経ながらも勝利し、準備した遺言書です。永遠なる人類の教材教本として8種類の本を残しました。この教本は、皆様が霊界に入っていても読み、学ばなければならない本です。人間の頭脳から出てきた言葉や教えではありません。」

極めて明白です。次の映像です。

「神様の教材教本だ。従って行かなければならないみ言だ。この神様の教材教本、二つとない、一つだけの教本だ。永遠に、絶対に一つだけだ!永遠の教本だ!」

お父様は、一時的な仮の教材だと仰っていますか?お父様に劣る者が、打ち捨てたり、改ざんしていいものだと言われてますか?

NOです。

2012年4月、お母様は成和出版におもむき、お父様の説教のみ言集のある部分の削除を命じました。その後、家庭連合本部はみ言選集の第594巻以降の巻すべての回収を命じました。そして新たに編集しなおしたものをそこに差し替えたのです。差し替え版は、オリジナル版にあった、お父様のお母様に対する批判的な言葉がすべて削除されていました。

削除された文を二つ紹介しましょう。2009年2月16日のお父様のみ言です。

「(基元節まで)あと何年、何カ月残っているか。オモニが、それまで自分が果たすべき責任のレベルまで達していなければ、問題が起こる。だから私が責任を引き受けてそのすべての責任を果たしたのだ。お母様の分まで私がここまでも果たしたのだから、オモニが怒りをぶちまけるか、殴りつけるかでもしない限りはすべてうまくいくのです。」

本来このみ言は607巻の310ページに載っていたのですが、削除された版ではこの前後のみ言が削除版の302ページに載っていますが、そこではこの一文が消されています。

第614巻141ページ(2009年オリジナル版・み言選集)

「オモニが堕落したのだから、自分で責任をもたなければならない。ふらふらしている女たらしの男にはできないのだ」

家庭連合はこの部分を削除して改訂版を出版し、この前後の部分は削除改訂版の71ページに載せられました。

2014年、八大教材教本にかえて、「三大教本」を出版しました。映像を見ましょう。

「空前絶後の宝石(三大教本)をもちました~!」

エンターテイメントももう少し考えるべきですね(笑)

お母様の新しく「磨かれた」天聖教は2014年にお父様の天聖教にとって代わりました。
家庭連合の「天一国憲法」には3つの基本経典を定めていますが、それは、オモニの天聖経、真の父母経、そして平和経です。

八大教材教本の奉呈式が、冒涜式になってしまいました。捨てられた経典がここでわかります。文鮮明先生み言選集、原理講論は主要経典と定められることなく、天国を開く門・真の家庭、平和の主人・血統の主人、世界経典も基本経典ではないというのです。天聖経と家庭盟誓、そして平和神経も変更されてしまいました。

ここで歴史的観点から新約聖書のイエス様が述べられた厳しいみ言を紹介したいと思います。

ヨハネによる福音書、2章4節で、

イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。

イエス様の母親のマリアが、水をワインにかえてほしいといった言葉に応えたみ言です。イエス様は親に対して不忠ともみえる言葉を使われています。「女よ、わたしとどんなかかわりがあるのか」。誰が自分の母親にこんな言葉使いをするでしょうか。自分の母に向かって「女よ」と言ったことのある人はいますか?私も言ったことはありません。でもイエス様はこう言われたのです。それは、母、マリアが神様の御旨をおこなっていないからです。それが理由です。

マタイ福音書の12章46節から50節では、
12:46イエスがなお群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちが、話したいことがあって外に立っていた。 12:47そこで、ある人がイエスに、「御覧なさい。母上と御兄弟たちが、お話ししたいと外に立っておられます」と言った。 12:48しかし、イエスはその人にお答えになった。「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか。」 12:49そして、弟子たちの方を指して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。 12:50だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。」

イエス様は、自分の母親がイエス様の摂理的使命を理解することなく、それを支援することもないので、もはや面会を拒否したという話です。

またイエス様が第一弟子のペテロに話したみ言があります。

イエスは言われた。「はっきり言っておく。あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう。」 マタイ福音書26章34節

お前は私を裏切る、とペテロに語られたのです。私はこの聖句について考えました。もしイエス様が十字架につかれた後、「み言調査委員会」がつくられ、そのメンバーが集まりこういったとします。「我々は本当にイエス様を愛してきた。しかしイエス様が私たちに向かって語った厳しいみ言を残すと、私たちの恥だ。母マリアも恥ずかしいでしょう。息子を理解せず、援助もしなかった。それを恥じるのは間違いないでしょう。ペテロにしてもそうです。ペテロも恥ずかしく思うでしょう。イエス様を証すべき決定的瞬間に、怖れを感じたのです。

私はこの部分が新約聖書の中で最も重要な話だと思うのです。なぜなら、仮にイエス様の母や弟子に対する厳しい言葉を、自分たちが恥ずかしいからといってすべて削除したとしたらどうでしょう。


イエス様は彼らを許したのです!そこが核心です!

完全な人だけしか神様とキリストに受け入れられないとするなら、天国に入る者は誰もいないでしょう。私もあなたもお父様を裏切ったことがあるでしょう。私もお父様に口答えしようとしたことが何度もあります。お父様を失望させたこともあります。ここが理解できますか。

キリストの弟子の失敗を文書で残すということは、聖典の中の重要な部分を構成します。完全なものだけを神様が受け入れられるとするならば、私たちは全員地獄に行くしかないからです。本当ですか、本当ではないですか?

この点を、残念ながら、お母様と家庭連合は理解できなかったのです。

2014年、家庭連合はその憲法で、お母様が死んで霊界に行った後、統一運動を指導する「最高委員会」なるものを制定しました。「憲法」には真のお父様の相続者/後継者について何も定めていません。油を注いだ血統にたいするお父様の指示を拒絶しました。

お母様はお父様の顕現される場所を一点に限定しました。お父様の御聖和直後にこう言っています。

「お父様がどこにでも現れると思いますか。そんなことはありません。私の所か、清平に来られます。分かりましたか。もし皆の中で知らない者がいるなら、今私が説明しました」

この言葉についても少し考えてみました。
イエス様は復活後、500人を超える弟子たちの前に現れました。そのほか何度も。だからお母様の言葉は何の意味もありません。お父様が再臨主だとするなら、霊界の監獄のようなところに居られると思いますか。なにか小部屋に閉じ込められているとでも考えますか。どうしてそんなことがあり得るでしょう。

お父様の八大教材教本はオモニの3大教典にとって代わられました。
お父様の血のにじむ歌詞でつづられた聖歌「栄光の賜物」は天一国の国歌でした。これはお父様が興南の死の強制収容所から解放された直後に書かれました。お父様は「この喜びを表現できない」とおっしゃっています。死の強制収容所から解放直後ですよ!考えてみて下さい。誰でも神様を呪うでしょう。どうして自分を地獄のようなところ、死の場所に送られたのか・・・。お父様は「永遠のその方の愛と慰労の声を、永遠に喜び栄光を享受せん」と言われるのです。どうしてこれを愚かしいお花畑のような歌詞にかえることができるのでしょう。憎むべきではありませんが、(家庭連合の国歌とは)比較になりません。実際に多くの家庭連合の兄弟姉妹は、私に以前の天一国国歌を今も歌っていると言っています。

 

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「どんな基礎の上に王国が建てられるのか」国進ニムの質疑応答5月27日(その1)

皆さん、こんにちは。
えらく、偏って座っていますね。
あちらに座らない理由があるんですか?

あちらにいるのは誰だろう。
カメラの位置を気にしないで、くつろいで座っていますね。

さあ、何から話しましょう。
王国について話していたのではないのですか。
だからここに残っているんでしょう?
王国についてどんなことを学びましたか。
神様の王国のすばらしい所はどこでしょう。

そう、王国は自由の地です。
神様の王国の基礎をごらんなさい。
お父様は神様の王国はどのような所だとおっしゃいましたか。
良心で暮らすとしたら、それは自由意志をもつことですか、もたないことですか。
良心をもつということは選択の自由を得るということです。
自分の信じることの正誤を、関係性や状況を理解するうえで自分の道徳観にもとづいて決めることができるということではないですか。

自由の要素、自由意志があるのです。
愛はどうですか。自由意志なしに愛は存在しますか?

愛するように強制することはできませんか。
できない?
神さまの王国は、良心の王国、自由意志の王国です。
自由意志があれば、必ず愛を得ますか?
少なくとも、愛される可能性はあります。
公平ではありません。
ある者は愛され、ある者は愛されないから神様の王国は不公平ですか?
ひどい神様ですね。

だから、神様の王国では、自分で何かをしなければなりません。そうしなければ、何もあっちから与えられません。
例えば、お腹がすいたらどうしますか?
仕事を始める?それだけの知恵がなければどうします?
確かに建国の父のひとりは、空腹こそ勤勉の最高の動機だといいました。
おそらく今お腹がすいているんでしょう。

どうやって生活するか考えなければなりません。
でもこれはいい質問だしとても大切な質問です。
神様の王国を考えるとき、そこに必要な要素があります。
自由意志と選択の自由です。何事も自分から始めなければなりません。
そこに保証はありません。リスクがあります。

物事にリスクがあり、保証はありません。
愛を得ることができないかもしれないし、食料を得ることができないかもしれない。
そんな世界に住みたいですか?

(はい)

どうして?
われわれの話している天国の基礎となる要素を見るとき、強制のない、個人の選択に根ざしています。それが天国建設の思想的基盤です。

だから天一国憲法をみるとき、そこに違いが・・基礎がある。つまり自分の人生をつくっていく上で、幸福を追求していく上で、選択の自由と良心、自由意志を持つこと、これが根っこにあるのです。しかし成功する保証はありません。経済的に成功する保証もありません。情緒的に成功する保証もありません。しかし最終的に愛を見つける可能性、人生に満足する可能性はあります。神様が計画されたものです。

神様の王国についてその要素を語るとき、具体的に、憲法のクラスで話し合うとき、反対側を見てみましょう。サタン側ではどうなっているのか。

サタンの王国の思想的基盤はなんでしょうか。
選択の逆とは何ですか?

力(強制)ですね。

サタンの王国では基本的に、彼が自分より多くを持っているとしたら、そばに行って一緒になってそれを盗もうとするのです。それが社会主義でしょう?

社会では、それぞれの人がそれぞれの量の社会資源をもっています。所持金の量も違います。それが不公平だといって・・。不公平だという人々を集めて、不公平だと叫びをあげる。そして盗み取る。もし人がそれに抵抗すると、どうやって盗みますか?

どうしますか。その人たちを殺して、打倒し自分たちが作ったわけでもないものを、奪い取ります。それが社会主義の基本でしょう?それがサタンの王国の基本です。

ねたみと嫉妬、奴は自分より多く持っている、奪い取ってやれ。そういう社会では、道徳は何によると思いますか。平等主義の考えは、正しくないでしょう。悪ですか?

(機会の不平等は・・・)

そう、機会の平等があり、結果は不平等になる、これがポイントです。
人はそれぞれ能力に違いがあり、才能も異なるからです。そう、みんなそれぞれ唯一の存在です。たとえ、経済的平等を強制的に実現させようとしても、人は不平等のままです。幸福度に関して不平等は残るからです。ある人は別の人より幸せでしょう。ある人は愛する人とともにいるけれど、ある人は悲惨な状態でいる。だからたとえ、結果的に経済的平等をつくりだしたとしても、幸福における不平等が生じます。平等が生みだす結果は何ですか。

サタンやサタンの王国、サタンの思想、社会主義、共産主義について語るとき、その問題に直面します。「自分は犠牲者だ」「不公平だ」こういう思いを持つ心理は、決してなくなりません。経済的平等になったとしても。

絶えず嫉妬の思いは生じます。自分自身の向上に目を向けないからです。苦労して、個人としての自己を見ようとしないからです。つねに自分を人と比較する。

そう、根っこに他人への嫉妬があるのです。出て行って自分で人生を切り開こうとしない。
惨めな自分の中に自分のアイデンティティを見つけようとする。結局それは何ですか?

その自己中心の塊は?偶像崇拝です。
社会主義の基礎は、偶像崇拝なのです。犠牲者である自分を崇拝しているのです。
ここで十戒に戻るのです。だから神様はわれわれに偶像崇拝を禁じたのです。

終わりがないからです。

社会というものは結局、基本的な原則、原理に基づいています。
きわめて単純な教訓が社会、国家、世界の基礎にあるのです。
世界を見るとき、大きくて、とても複雑にみえるでしょう。
複雑さが世界をつくっているのではありません。
根っこにある、基本的で単純な哲学的原理のうえに全世界が成り立っているのです。
だから自由な意志の上に築かれた社会と、強制の上に築かれた社会では根本的な違いがあるのです。これは二律背反、お互いに交わらない原理です。うまく調和しないのです。水と油のように。結果平等の社会を追求するならば、力を用いて平等にするなら、それは絶えず自由意志の思想から自分を引き離すことなのです。そしてその強制力をつくりだす組織が成長するにつれて、その力を濫用し、抑圧的力を強めていくのです。そうして、戻れない坂道を転がり落ちるのです。

エデンの園でアダムとエバが堕落した時のことを考えるとき、エバがいかに無邪気にリンゴを食べたことでしょう。しかしひとたびその道を下り始めると、世代を超えて滑り落ち続けるのです。エバの行いの結果は無限に倍加され、この世界すべてがサタンの被造物となり、サタンの王国が作られることになったのです。

だからそこが問題です。どこから始めるかが重要なのです。どんな基礎の上に王国が建てられるのか。種が問題です。植えた木は何の種なのか。良い種か、悪い種か。

基本的な道徳的価値が、根本的に全世界の運命を決めるのです。世界がどうなるか。これは皆さんが選択する問題です。全統一運動がお父様の聖和の時に選択すべき問題でした。どのような王国を求めていくのか。神様の王国のビジョンは何か。一人の選択が重要です。あなたの選択がいつも同じとは限りません。周りを取り巻くこの世界、キリスト教に基づくこのわれわれが喜びを得る世界、それが西洋文明を発展させました。建国の父が革命戦争を通して闘い取った世界。人々がただ日々関わり合うことだけで、保証される世界ではありません。
実際これは歴史上特異な出来事だったのです。人類歴史のほとんどはこんな風にはいかなかったのです。

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王冠につけるサイン-5月26日質疑応答から

王権の文化についてよく思いをめぐらさなければなりません。例えば韓国幹部(家庭連合)による食口の扱いなどと全く異なる文化です。いま、皆さんは自分たちの王冠を準備し始めています。ウィリアム・ゲージはここにいますか?そこにいますね。ウィリアムが素晴らしいお父様のサインを銀色でつくりました。その素晴らしいサインをつけると良いのです。全く素晴らしいです。私が式典で被る本物の王冠にも、ウィリアムが白金でつくったものを、つけるつもりです。キングズレポートで被る王冠にも銀製のものをつけてくれるでしょう。
それはお父様のサインだということです。それはどういう意味を持つのか。

聖書に書かれているというだけに留まりません。確かに黙示録に14万4千人が子羊とともに立つとあります。

ありますか。見せて下さい。これはグレッグのものですが、ここを見てください。
ここに、統一マーク。真のお父様の名前がここにあります!見えますか、素晴らしいでしょう!ウィリアム・ゲージにもう一度拍手をお願いします。とても素晴らしい出来栄えです。
ウィリアム・ゲイですね、失礼しました。

2.png
彼は韓オモニの宝石も多く手がけてきたのです。長年、イーストガーデンで彼を見てきました。彼は真にキリストを愛する人です。真にお父様を愛する人です。本物です。韓オモニにもたいへんな情を持っているはずです。たくさんの宝石を作ってきたのですから。しかしその時がきたら、「これ以上、お支えすることは出来ません」と言ったのです。


5月27日土曜日の今日、中野(東京)の救命ボートの伊藤さんを中心に首都圏メンバーが集まって王冠作りに挑戦しました。

材料費500円でこの出来栄えです!

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第55回 真の万物の日 サンクチュアリ本部LIVE中継

第55回 真の万物の日、及び 世界基督教統一神霊協会創立63周年記念式典LIVE

午前7:00 (午後8時)       式典(敬礼式)    

午前9:00 (午後10時)    朝食

午前11:00(午後12時)   エンタテイメント

午後0:30 (午前1:30) 午餐

午後1:30 (午前2:30)    王様の質疑応答

午後3:00 (午前4:00)  閉会

赤カッコ内:日本時間

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王様の推奨するビデオ講義「独生女と三代王権」BYパンザー会長【日本語字幕版】第3回

8回シリーズの第3回目です。

次のビデオを見てみましょう。
国進様と亨進様がお母さまを信じておられた様子が分かります。

(ヨナニム)
まさに二人はお父様とお母さまを深く信頼しておられました。亨進様と国進様お二人です。お二人はお父様だけではなく、お母様のことも信頼しておられました。もちろん、私たちはお父様とお母さまの間に葛藤があることも知っていました。緊迫した場面もありました。でも、お二人(国進、亨進様」とも大人です。妻もいますし。私だって夫をとても怒らせるときがあります。だからお二人はそれでもお母様のことを信頼しておられたのです。つまりお母様が正しい判断をするということを。幾度かこういうことがありました。亨進様はいつもあまりにもお側ですべて見ておられるので、国進様に、「兄さん、何でもかんでもお母様の名義にすることは少し控えるべきかもしれません」。と言われたのです。宣教財団、ソウルの大教会である天福宮教会、清平財団などすべてお母様の名義にしていたのです、なぜなら国進様が当時の統一財団の理事長を務めておられました。その国進様が周りを説得して、すべてをお母様の名義にしていかれたからです。なぜならお父様はすべてを御自分の名義にすることを願われなかったからです。お父様は霊的権威であってそうすることが正しいとみなしておられたからです。

お父様が法的な権限をもたれなかったので、国進様は信頼するお母様にそれを託されたのです。それもただ、言葉や位置だけではなく、約50億円を天福宮建設に、また約500億円を拠出して宣教財団をつくりお母様の名義としたのです。それはお父様がおられなくなった時、お母さまが、他の指導者に頭を下げてお金を貰わないでいいようにするためでした。お母様が勝利的母として歩めるように内外で道を整えたのでした。本当にそのための準備でした。

(パンザー会長)
最後のビデオで、亨進様が最後に解雇されたあと、お母様に会いに行かれた時のことを話されています。

(ヨナニム)
2013年、亨進様はお母さまに会いに行かれました。お父様の聖和記念の頃です。そこで今までと同じことを亨進さまはお母さまに話されました。私はお母さまが激怒されるのではないかと恐れて、一言も発せず下の床を向いたまま、凍り付いていました。亨進様はお母さまに「お母さまこれはいけません。お父様のみ言を変えてはなりません。」これを繰り返し言われました。いつだったか忘れましたが。ラスベガスでお母様に会われた時、一対一でやはり、同じことをお母様に言われました。「み言を変えると、教会が分裂します。お父様も喜ばれません」。それに対して「お父様も私のやることをきっと喜んでくださる」と答えられました。そして「ある女性(金孝南)は、自分(オモニ)の魂はとても清らかで、お父様も霊界で喜んでおられると言っている」と言われました。何度か亨進様は、お母さまに電話されたり、誕生日には花を贈られました。ある時、ラスベガスで話している途中でお母様は席を立たれることもありました。母の日に亨進様が電話して、「お母さま、愛しています」と言った時「会議で忙しいから、電話を切る」と言われた時もありました。お父様の聖和記念日の頃、2014年に清平に行った時、お母様は面会を拒否されました。「お父様の聖和式典に顔を出さない限り、お前とは会わない」と言われました。当時、家庭連合が作った天一国憲法を発表しようとしていました。亨進様は、そこに自分が出席すれば、お父様の御心に反する法を認めることになると言いました。だからそこには出席できないと。

(パンザー会長)
風が強かったのですが、神の怒りの表れのようでした。お聞きのように、亨進様はお母さまとの和解のために相当努力されました。何度もお母様にお父様のみ言を変えないようにと懇願されたのです。

多くの兄弟姉妹は、お母様が完成していて、堕落するはずなどないと信じています。お父様も何度もお母様を讃えられました。色々な機会に激励し、褒め称えたので、私たちもお母様は完璧に違いないと思ってきたのです。

しかし、ここでお父様は2007年に、「お母さまは2013年6月13日までに完成しなければならない」とおっしゃいました。もしお母様が完成しておられるのならどうしてお父様は「完成しなければならない」と言われる必要があるでしょうか。完成しているのなら、当然、完成させる必要などありません。すなわち、お母様は完成していなかった、とお父様は言っておられるのです。

2011年8月29日に、翌年「2012年の聖誕日に真の父母様の完成期成婚式を執り行う」と言われ、その年の暮れには「私たちの聖誕日に、聖婚式を行って真の父母完成の宣布する」とおっしゃいました。2012年の真の父母の完成級の聖婚式を控えて、世界中からこの式典のために数百人の指導者がすでに集まっていました。そこで真のお父様は怒りながらこう宣布されたのです。「今回はリハーサルだけ行い、完成級聖婚式は2013年に行う」。2012年にお父様は聖和されたので、真の父母完成級聖婚式は実現しませんでした。

ここで天聖経の話をします。UTSの多くの学者、他の学者も、新版の天聖経の翻訳や編集が大変優れているなどといっています。翻訳は完璧だなどといって。この件についてお父様み言を知りたいですか、それとも一流大学を出たものの意見を知りたいですか?どちらの方が重要でしょう?
私は友人にこう言ったことがあります。「完全な愚か者になりたいのならPhD(博士号)をとりなさい。そうすれば現実感を完全に失うから」

お父様のみ言を紹介します。「天聖経という言葉は恐ろしい言葉だ。誰でも、第三者が、いかに優れた人物でも、ノーベル賞をいくつもとるような人物でも、誰も天聖経に触れることも変更することもできない。だから別の宗派が生まれないというのだ」

お父様は、天聖経をかえると、別の宗派が生まれる、統一教会が分かれると予言されていたのです。お父様は率直にこうおっしゃっています。皆さん、率直なお父様が好きですか、それとも洗練された言葉使いをするお父様の方を好みますか?

核心となるみ言を紹介します。
「だから、他の言葉を入れるなというのだ。先生の言った通りで「糞」と言えば「糞」と書き残せ。「拳」と言えば「拳」で 残しておけ。私が解くものである。最も貴重なものだから、それを不用意に変えることはできない。」

キリストの生(なま)の言葉が最も貴重だということです。

「孝律(金孝律)!(はい)『創始者、文のいい所だけ残して、悪い所は隠そう、私が責任持つから』とお前は言えるのか?私がおまえの指図に従うべきなのか?孝律!お前が私の言うことを聞くべきか、それとも私がおまえの言うことを聞くべきなのか?この悪党め!これを出版して、お前にすべてやりなさいと言った。だがお前は何をした?お前自身が訂正したいのだろう。校正だと?誰が校正するのだ?お前がしては駄目だ!誰もこれに触るな!一言も変えてはならない!このとおり出版するのだ」2009/7/14天正宮

お父様は何がなされ得ようとしているか知っておられたのです。幹部連中は「お父様も年齢がいかれて、わからないだろう」と思っていましたが、お父様はすべてご存じだったのです。

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「これらはお父様が『いない』という状況のなかで可能ではなかったのか」永田教授の素朴な疑問

永田教授による論考です。以下の9項目について問題提起されました。少し長いですが全文掲載します。

  1. お父様時代の信仰が通じない家庭連合
  2. 宗教の生命は教祖の唯一性
  3. 神不在の新天一国国歌
  4. 「天の父母様」という不明確な神観
  5. お母様は「無原罪の独生女」?
  6. 神に選ばれた韓氏
  7. 徳野英治会長の「真の父母様の一体不可分を示す8つの根拠」について
  8. 亨進様が「統一教」にかえたことに対する宋龍天総会長の批判について
  9. 東アジアの危機に対するサンクチュアリ教会の対応

永田教授のプロフィール

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家庭連合に対する素朴な疑問

「なぜ、私たちはサンクチュアリ教会を選択したのか」

              永田正治 masaharu nagata

決定的事実-「今後、全部、私がしてきたことを代わりに任せようと思う」

私は、分派などは教会の力を削ぐ集団だと、関心をもちませんでした。しかし、2015年に亨進様が、「沈黙を破って」で発信しはじめたとき、「分派」とは受けとめませんでした。亨信様はいずれ後継者になるお方だと思っていたからです。
私はいくつかの亨進様の動画を見、その結論は、亨進様は後継者ですが、お母様は「教祖格」の方で、お母様を優先しなければならない、というものです。そんな自説を二年ちかく持っていましたが、今年に入って、それがくつがえされる事実を目の当たりにしました。それが以下のふたつの映像です。

(2008年4月16日 天正宮訓読会 亨進様の家庭連合世界会長就任) 〈聖和4年前〉
先生の息子たちのなかで、教会を誰に任せなければならないと思う?郭錠ファン。
すでにお父様が宣布なさいました。
ん?
すでにお父様は宣布なさいました。亨進様が受け持たれると。
ん?
すでにお父様が話されました。
何と言った?
亨進様が受け持たれます。
そうだ、そうしなければ。
(中略)
今後、全部、私がしてきたことを代わりに任せようと思う。
今、食口たちのなかで、信仰体験からみても何にしても、亨進の基準を超える者はいない。
分かったか。任命するのだ

(2010年6月5日 お父様が、お母様、亨進様とともに文書をしたためる) 〈聖和2年前〉
― 天宙平和統一本部も絶対唯一の本部だ。
その代身者・相続者は文亨進である。その外の者は、異端者・爆破者である。
以上の内容は、真の父母様の宣言文である。文鮮明印

 私はこの映像を、何度もくりかえし見、自説を変えざるを得なくなりました。すでに2008年4月以前に、お父様は亨進様を後継者として宣布し、それは幹部たちも周知する既定の事実だったのです。2010年6月5日には、お父様、お母様、亨進様の三者でそれを文書化しました。
 これに対し家庭連合は、後継者と定めていない、と強弁しますが、動画なので、どちらが正しいかは一目瞭然です。無理な主張はやめるべきです。
その後、多くの動画と文章をみて、たいへんな苦しみと歓喜が交差する日々を過ごしました。真の母と慕うお母様が、道を外れていることを知る苦しみ、反対に、亨進様にお父様の真のみ旨があり、あらゆる恵みと力があることを知る喜びです。
妻は私が話しても「私はお母様派!」と言って「サンクチュアリ教会を支持する人々の言説の誤り」を熱心に読んでいました。妻とおおくの議論を交わすあいだ、わたしは何度も言葉が詰まる瞬間がありました。「あんたはお母様派、わたしは亨進様派、それでいいや」と言ったこともあります。
しかしついに妻は、亨進様がお父様の後継者であることを悟ってくれたのです。ここに至るまで、我が家では一進一退の攻防戦が繰り広げられました。この間、いったい何が真理かを探究し、懸命に学び、語り合いました。ですからこの文章は、妻との対話の内容を皆さんに報告するレポートのようなものです。私たちの思いは、いま教会には夢にも思わなかった大変なことが起こっているという悲愴なものです。

お父様時代の信仰が通じない家庭連合

 今の家庭連合は、自分は「天の父母様」という神観は間違いで「天のお父様」が正しいと思う。「無原罪の独生女」というものは理解できない。韓氏が選ばれた氏族であることが信じられない。天一国国歌は「栄光の賜物」を歌いたい。亨進様は後継者。などと言ったら大問題になります。
すべてお父様時代には当たり前のことですが、教会でこんなことを言ったら分派だと排斥されます。上に挙げたものは、神観、メシア観、血統観、天一国国歌など、信仰の根本にかかわるものです。これが変われば別の宗教になってしまいます。今の家庭連合はお父様の教会ではなくなってしまったのです。

宗教の生命は教祖の唯一性

 クリスチャンが残忍な迫害に耐えたのは、イエス様の偉大な愛に接したからです。死を越える絶頂のとき、大いなる力を与えてくれるものは十字架にかけられたイエス様のお顔です。
 遠藤周作の「沈黙」の主人公ロドリゴは、迫害のなかでイエス様の顔を何度も思い浮かべます。イエス様が受けた拷問を生々しく描いた「パッション」をはじめ、「キング・オブ・キングズ」、「クオバディス」など、イエスと信仰をテーマとした映画や小説が数多くあります。
 それは、信仰を究極的に支えるものは「教祖」だからです。イエス、釈迦、孔子、マホメット、これら四大聖人の本質的教えと、崇高な生涯が、それぞれの宗教のレベルと力を決定しました。宗教の生命は、他の者と代えられない「教祖の唯一性」です。
 お父様は、「神のみが記憶し給う、血と汗と涙にまみれた苦難の道、人間として歩まなければならない最大の試練の道をすべて歩まれ」原理を見出されたのです。お父様のように、真理を探し出し、迫害に耐え、共産主義に勝利し、世界宣教を進め、四度の獄苦を味わったような宗教指導者はいません。この生涯が、お父様がメシアであることを証しています。お父様の愛と実践、すぐれた知情意は、どんな弟子でも、たとえ夫人であっても代わることができないのです。
「夫婦は一心同体」という言葉がありますが、心はひとつになれても、内容はひとつになれません。偉大な宗教家、ノーベル賞受賞者、天才的芸術家の内容を夫人が共有できるでしょうか。その卓越した人物だけが持つ唯一のものです。
お母様は、影のようにお父様を支え、子女様を生み育て、お父様の命令にしたがい、どこへでも行き講演するなど、み旨に大きく貢献しました。この侍る姿勢こそ誰にも真似できないお母様だけの貴い実績です。私たちサンクチュアリ教会員はこんなお母様は愛し従ってゆきます。家庭連合の人々と変わりません。
しかし悲しいことに、お父様の聖和後、お母様は変わってしまいました。私たちはお母様が、「無原罪の独生女」などと語らず、今も謙遜に、お父様に侍り、お父様を証する人であってほしいのです。お母様が「独生女」と言った瞬間、家庭連合は、お父様の唯一性が破壊され、「お母様の宗教・お母様のレベルの宗教」になってしまうのです。
 現在の家庭連合のすがたを大きな視野で見るため、2000年の時間差をおき、キリスト教に仮定して考えてみましょう。もしイエス様が殺されず、家庭をもち、多くの信者を得て、92歳で聖和されたとします。その後に夫人が、イエス様と自分が完全一体をなしたと主張し、イエス様が後継者と定めた子女様に教団の指導をゆだねず、自身が権力を掌握し、「無原罪の独生女」と称し、「人類とユダヤ教の歴史は私を生むためのもの」、「自身の家系を選ばれし氏族」と強調し、「神の呼称を変え」、「イエス様が定めた国歌を変えた」とします。
 そのような偽りのキリスト教は、もはやイエス様のキリスト教ではありません。そんなキリスト教は、世界を救うどころか、イエス様の唯一性という宗教的生命を失い、弱体化し、歴史から姿を消したに違いありません。今日の家庭連合はこのような道を進んでいるのです。
イエス様が生前に後継者を定めたならば、夫人は後継者が後を継げるように、リベカがヤコブにしたごとく、母子協助するのが天命なはずです。おなじようにお母様も、亨進様への継承の橋渡し役をなさるべきです。
 今、サンクチュアリ教会の食口は、つよく確信して叫んでいます。それは、お父様にひたすらしたがう亨進様と、お父様の伝統を変えているお母様が、あまりに対照的だからです。私たちは亨進様にしたがいお父様への道を選びました。これは統一食口ならば当然な選択で、そこに一切の迷いはありません。

神不在の新天一国国歌

まず家庭連合がしたことは、お父様の聖和から半年もたたないうちに、天一国国歌を、「栄光の賜物」から「聖励の新歌」に変えたことです。お父様が興南監獄から解放されたとき、ご自身が作詞された深い思いが込められた歌を廃し、別人が作詞した別の曲に変えてしまったのです。
この改定理由があまりにも陳腐です。韓国と日本のメロディーがちがうので、混乱をさけるために変えた、というものです。実際は、メロディーの違いは一部だけです。こんな違いは、どちらかに統一するなり、歌いやすく編曲すればいいのです。日本の「君が代」はドイツ人が作曲したものを何度も編曲をくりかえし、今のメロディーになったのです。編曲というプロセスは音楽の常識ではないですか。
改定の理由が本当ならば、あまりにも非常識で見識のないものです。あるいは本当の理由は別にあり、それを隠すため、苦し紛れにこんな理由にしたのかもしれません。
「栄光の賜物」の歌詞は、1950年、お父様が生き地獄、興南監獄から解放され、弟子を訪ねた平壌でよまれた詩です。悲惨な拷問と苦役をともに受け、命を救い、解放してくださった神に限りない感謝を捧げています。また平壌の弟子をたずねた愛の心情をうたいます。お父様にとってこの時代は、苦難の頂点を越えたときであり、信仰の原点をつくったときでした。
お父様は天一国国歌を定められたとき、なんども歌い、涙を流されたそうです。私たちも修練会の主の路程で、もっとも涙するのは興南監獄の苦難の場面です。「栄光の賜物」は、「神-お父様の心情-我々-未来の天一国国民」をつなげる、中心に位置する歌なのです。
1番は、興南刑務所から解放された喜び、2番は、自分を訪ねてくれる神、3番は、神に生かされ抱かれる喜び、4番は、神の恵みの大きさと悔い改めです。2番から4番まで、テーマは神への感謝と愛なのです。すなわち、お父様が神と極限のなかで出会った心情を吐露した、神主義を体現した歌です。

1 はるかに輝く栄えの光         3 死から蘇きたこの我は
強く生きよ自由の生命            蘇かしたお方に抱かれて
この地の果てまで目覚め立て         永遠の愛と恵みの声
生命の光、永遠にあり            いついつまでも喜びを
生命の光、永遠にあれ            いついつまでも讃めまつれ

2 呼びて求むる栄えの主よ         4 栄に入るのも主の恵み
大いなる姿は 天地を抱き           愛に満つるも主の恵み
蘇きた生命はいずこにと            崇め崇めて奉れども
尋ぬる君を如何に迎えん            足らぬこの身を如何にせん
尋ぬる君を如何に迎えん             足らぬこの身を如何にせん

2013年2月、お母様はこの国歌を廃し、下に示した「聖励の新歌」を新しい国歌に定めました。しかも、お父様作詞の歌詞をかえ、新歌詞は、公募によって一般食口のものが採択されたのです。国歌とは建国した人々がつよい意志でつくる神聖なものです。国歌の歌詞を公募で決めた国などありません。この方法そのものが邪道で、天一国を冒涜するものです。

1 麗しき花よ 愛のバラ        3 真白き妙なる 鶴が舞う
望みの訪れ 満ち溢る           永久の果てなき エデンのごと
全世界あまねき こぞりて祝え       全世界にあまねく こぞりて祝え
尽きぬ喜び 輝かさん           尽きぬ喜び 輝かさん
自由の天一国               統一の天一国

2 気高き純白の 清きユリ          4 高くはためく 天つ御旗
まばゆき心は とこしえに          天地(人)父母様の 願う理想
全世界あまねく こぞりて祝え        全世界あまねく こぞりて祝え
尽きぬ喜び 輝かさん            尽きぬ喜び 輝かさん
平和の天一国                幸福の天一国

「聖励の新歌」はすばらしい曲です。しかし、お父様が定めた天一国国歌を変えたという途方もない事実から目をそらすことはできません。
曲のよさに覆いかくされ気づきませんが、新国歌の歌詞は問題です。これはとうてい神様は認めることができません。理由は二つあります。一つは、「栄光の賜物」と比較してみてください。あまりにも心情の世界、訴えるものが違うと思いませんか。テーマが神から離れてしまっているのです。
不思議なことに、この天一国国歌には「神さま」があらわれません。韓国、アメリカ、イギリス、ロシアなど、世俗国家の国歌にすら神があらわれます。イギリスなどは6番ある歌詞すべてに神があらわれ、12回も神の名が登場します。
天一国は世俗国家を超えた、神主義に立つ「神」を中心とする国のはずです。そのような国の国歌に「神」が一切あらわれないことは大きな驚きです。よりによって、どうしてこんな歌詞を採用したのか、理解できません。作詞者も審査する側もうっかり忘れたのでしょうか?天一国の根本理念と照らし合わせてみても、こんな重大な欠陥をもつ歌が、天一国国歌になれるはずはありません。神がこの歌を聞いてうれしいでしょうか。神を中心とした国歌を定めたお父様がどんなに嘆くでしょうか。これは統一教会史上最大の珍事かもしれません。一刻も早く、深い神主義にたつ「栄光の賜物」を、ふたたび天一国国歌に戴かなければなりません。
もう一つは、この歌詞は明るさしかありません。国歌というものは国民の歴史を踏まえてつくられます。善悪闘争の歴史を繰り返した国民の運命は悲惨なものでした。そのため、明るいだけの国歌など存在しません。各国の国歌の歌詞を調べてください。悲惨な戦争の歌詞が多いのです。
アメリカは「彼らの邪悪な足跡は彼ら自らの血であがなわれるのだ」、フランスは「敵の不浄なる血で耕地を染めあげよ」などです。「君が代」は重厚ですが、国歌はこれでいいのです。いざとなったら天皇を中心に団結できます。韓国も「神が護りたもう我が国万歳」、「一片丹心」、「苦しくとも嬉しくとも国を愛せ」と、まず「神」を強調し、苦難の中で身をささげ国を愛する精神を歌います。これは、国歌というものが、国が、戦争のような極限の状況を想定し、国民に警鐘をならし鼓舞するためにつくるからです。
「栄光の賜物」は、お父様が残虐な北朝鮮の監獄という、極限のなかで神と出会った心情を背景につくった歌です。そこには好戦性がある世俗の国歌に対し、神の愛を伝える神主義の強力なメッセージを発信しています。また、「死から蘇きたこの我は、生かしたお方に抱かれて」、「足らぬこの身を如何にせん」など、お父様の深い信仰の世界を伝え、何度歌っても味わいが増し、私たちに生きる勇気を与えてくれます。「お父様の天一国国歌」がどんなにすばらしい歌でしょうか。
しかし、2013年に制定した国歌は、そもそも神が不在で、深い歴史性も、苦難や忍耐という背景も、信仰の告白も、悔い改めもありません。10を越える過剰なキーワードを散りばめ、あるべき神のストーリーがなく、表面的で単純で、軽快な明るさだけを発信しています。いったい、こんな国歌で、未来の天一国国民が、厳しい苦難や試練を克服できるでしょうか。また人が悩み苦しんだとき、助けになるでしょうか。「栄光の賜物」とくらべて下さい!
明らかにこの歌詞は、「お父様の国歌」をあえて廃してまで、採用するに値する内容ではありません。家庭連合の「天一国国歌」の動画をみると、お父様があらわれます。それをご覧になるお父様の心情を思うべきです。しっかりと「栄光の賜物」と読み比べ、真剣にこの歌詞の問題を考えてください。
限りなく尊いお父様の国歌を廃したお母様の心は、決してお父様とひとつではなく、家庭連合もお父様のみ心を奉じていないという事実に気づかなければなりません。お父様が作詞した真の天一国国歌にもどすため、ともに声を上げましょう。

「天の父母様」という不明確な神観

次は、神の呼称を変えてしまいました。それにともない、家庭盟誓も「神様」が「天の父母様」に、「ハナニム」が「ハヌレプモニム」に変えられました。
お父様は「天のお父様」と祈っておられました。これは、原理的、宗教的根拠があります。原理講論47ページには「このように、神は性相的な男性格主体であられるので、我々は神を父と呼んで、その格位を表示する」とあります。
ここの「我々」は、統一教会だけでなくキリスト教、ユダヤ教、イスラム教などの一神教の神が相当します。また、天理教も私たちとおなじ両性の神ですが、人に現れる時は男性格の神としてあらわれます。男性格の神とは一神教の不変の伝統なのです。
2010年1月1日、お父様が「天の父母様」と祈祷している動画を示し、お父様も「天の父母様」を認めたとしています。しかし考えて見てください。お父様はその後、再び「天のお父様」と祈り続けました。もし「天の父母様」が正しい祈りならばそのまま維持されたはずなのです。むしろお父様が「天の父母様」という祈祷を「やめられた」事実自体が、「天のお父様」が正しい神の呼称であることを示す動かぬ証拠になるのです。
祈りとは、見えない神と一対一で向き合うもので、「個」と「個」の対面です。これは祈りの核心的な前提です。そのため神が男性(父)か、女性(母)かという区別が必要なのです。ですから神は両性をもちますが、人間に対しては必ず男性格の存在として現れるのです。男でも女でもない人間はいません。「天の父母様」という男性格でも女性格でもない、父でも母でもない、全くイメージ不可能な存在に対する祈りは、「個」と「個」の対面をさまたげ、焦点が不明確なものになります。晩年のお父様の祈祷も「アボジ」です。心情の世界では「アボジ」のなかに全てが含まれるのです。
「天の父母様」というものは、お父様も、世界の一神教も使わない家庭連合だけの神の呼称です。こんなお父様がなさらなかった祈祷をして、お父様が喜ぶことができるでしょうか。この間違った祈りにより、家庭連合の食口がうける霊的、信仰的損失は甚大です。今からでも、「天のお父様」というお父様の正統な祈祷に戻すべきです。

お母様は「無原罪の独生女」?

 お母様は、「無原罪の独生女」であると頻繁に語られます。しかしこれは、お父様の聖和後、お母様が語られてはじめて知った内容です。家庭連合は、「独生女」という「語」は、お父様が過去180回使ったと言っています。1959年から使い始めたとしていますが、いつまで語ったかは明示しません。
ともかく、この語は「忘れられた言葉」でした。この内容が原理的に重要ならば、お父様は何度も語られ、全ての食口が周知していたはずです。私たちが馴染みない言葉だったということ自体が、「独生女」がお父様にとって重要でない内容であったことを物語ります。
反対に私たちは、お父様は堕落人間のなかから一人の女性を復帰し、相対として迎えると信じていたのです。すなわち、お母様もお父様による救いが必要な方だと理解していました。
しかしお母様が「無原罪の独生女」ならば、お父様の救いは不必要です。それどころか、メシアとして、生まれながらにして地上で人の罪を許す権限を有するお方になってしまいます。
これは全く新しい救済観です。たとえばクリスチャンにとって、「メシア」ならば、それがお父様か否かという選択が可能です。しかし独生女は、原理にも宗教世界にも存在しません。ですから、「独生女という女性メシア」がそもそも何なのか分かりません。お母様がメシアという選択そのものが不可能なのです。
まず家庭連合は、「無原罪の独生女」が、一神教の伝統の中で、メシアになりうることを神学的に論証しなければなりません。その次に、それがお母様であることを説明しなければならないのです。気の遠くなるような困難なステップを経なければなりません。お母様が短い言葉で話し、それを神学者が補足して済むことではないのです。
そして、原理講論のおおくの部分を書き改める、教義の大幅な改定が不可避です。まず、総序の「それゆえ神は、既にこの地上に、このような人生と宇宙の根本問題を解決されるために、一人のお方を遣わし給うたのである。そのお方こそ、すなわち、文鮮明先生である」とありますが、神はもう一人、韓鶴子様も遣わしていたということになり、書き加えなければなりません。
また、復帰摂理はメシアを遣わすためですが、独生女も遣わすという二大目的があったということになれば、後編の復帰摂理歴史は全面的に書き改めなければなりません。
しかし、それは不可能です。復帰摂理史はメシアを遣わすことを中心に書かれている聖書をもとに説きますが、聖書には、無原罪の独生女についての記述は一切ないのです。いったい何をもって独生女を説明するのでしょうか。
本来、「独生女」を語る前に、原理の改定をするのが順序です。あるいは早急にそれをしなければ、おかしいのです。しかしそれはできません。そんなことをしたらお母様が異なる原理を立てていることがあまりにも明白になり、食口が去ってしまいます。ですから、神学者に補足的に説明させて済ましているのです。
しかし、そもそもの問題として、お母様が、自身が「無原罪の独生女」であることを、家庭連合の神学者に説明させている行為自体が奇異なことです。いったい、自分がメシアであることを学者に説明してもらうメシアなど、どこの世界に存在するでしょうか?
この語が問題なのは、公職者は分かっています。その証拠に説教ではほとんど触れません。このお母様とのギャップがすべてを物語ります。「それは言わないでください」というのが本音です。
お母様はご自身について、「六千年人類歴史、二千年キリスト教史は私という独生女を迎える歴史であった」と語ります。こんなことは、お父様は一言も語っておられません。お父様が語られず、原理にもなく、いかなる宗教教義にもない「独生女」をいうものを信じようとするならば、理性をねじ伏せ無理に信じるしかありません。それが正しい信仰でしょうか。
あなたは、家庭連合が「無原罪の独生女」などと語る宗教でいいのですか?「無原罪の独生女」が世界の宗教界で通じますか?私たちの宗教の未来のため、真剣に、冷静に、これらの問題を考えなければなりません。

神に選ばれた韓氏

またお母様は、韓氏が、古代三韓、大韓民国など、「韓」という字に重ねて、選ばれた氏族だと語ります。「1960年代はたくさんの奇跡のようなことが起こるようになりました。宇宙の母、真の父母として現れるお方は、姓が韓氏でなければならないという啓示を受けた人がたくさんいました(2017年2月)」と語られます。
これも初めて聞いた内容です。お父様が、「韓氏は選ばれた氏族」と語ったことは聞いたことがありません。韓氏族が神の摂理上重要ならば、お父様は生前に何度も語られ、私たちはそれを周知していたはずです。
なぜ私たちは、お父様が言わなかったこのようなことまで、信じなければならないのでしょうか?信じられない食口は教会に居づらくなり、つらい信仰的重荷を負います。
これをキリスト教に置きかえれば、イエス様聖和の二年後、突然、夫人が自分の家系が神に選ばれた氏族だと主張し始めたことと同じです。キリスト教信仰は「イエスをキリスト」と信じることです。イエス様夫人が独生女であり家系は神に選ばれた「もう一人のキリスト」などという新教義は、信者に「真のキリスト」への道をふさぐ障害物以外の何者でもありません。
お母様はこれらのことを控えめに言うのではなく、強力に、頻繁に語られます。しかし反対にお父様は、「無原罪の独生女」、「韓氏は選民」と語られませんでした。ということは、お父様がそれを理解できなかったことになり、神の摂理に対する無知を意味します。むしろはっきり知っているお母様のほうが、神も摂理もよく知るということになります。それはとんでもないことではないでしょうか。
人の認識は不完全で、記憶はすぐに薄れます。お父様、お父様と言ってなければお父様を忘れます。ですからキリスト教会では主イエス、主イエスと頻繁に唱えます。今の家庭連合では、お父様より「無原罪の独生女」、「韓氏は選民」が強調されています。このような状態があと5年、10年も続けば家庭連合はどんな宗教になってしまうでしょうか。
反対に、亨進様のサンクチュアリ教会は、日に日にお父様の働きと栄光が増し加わっています。私の証をすれば、亨進様への確信が強くなればなるほどお父様に接近し、安心と希望を感じます。じつは私は、45年の信仰歴を持つ者ですが、5月14日に初めて、サンクチュアリ教会の礼拝に出席しました。それまでは、サンクチュアリ教会に通う兄弟の話とネットでつながっているだけでした。しかし、この細いつながりからでも、亨進様の姿からはお父様の香りが強烈に感じられ、引き付けられたのです。この文章は、お父様へ続く新しい道への出発の決意のために書いています。みなさんも、懐かしいお父様を近く感じたいならば、亨進様とサンクチュアリ教会をもっとよく知るべきです。

徳野英治会長の「真の父母様の一体不可分を示す8つの根拠」について

徳野会長は2016年4月、サンクチュアリ教会の主張に対し、8つの根拠を示し真の父母の一体不可分性を語っています。

① お父様は、ご自身の生涯最高の実績、傑作はお母様、と語られた。
これは私たちも同感です。しかし、お母様が「無原罪の独生女」という、愛と真理の実体、もう一人のメシアならば、そもそもお父様は何もする必要がなかったはずです。お父様の「最高実績、傑作」などにはなり得ません。この言葉自体、女性のメシアならば、使うことが許されない非礼な表現ではないですか。この言葉が成立するには、お母様が私たちと同じ堕落人間で、メシアであるお父様が教育し、成長させたということが前提になります。このお話はむしろ、お母様が「無原罪の独生女」ではないことの確かな根拠になります。

② 真のお父様は、ご自身の聖和後は、真のお母様を第二の教祖と思って従えと厳命された。
   これがいつのみ言か、徳野会長は言及していません。家庭連合の主張の問題点は、「いつのみ言か」を明示しないことです。新聞や週刊誌でも重要事項はかならず何年のことか示すのが常識です。お父様の膨大なみ言から、自分に都合のいい部分だけを引用し話を組み立てれば、どんな内容もつくりあげられます。それを避けるために、いつのみ言なのか示すべきなのです。
   お父様の後継者に対する御意思を推測するには、聖和から5年、10年ほど前、すなわち21世紀に入ってからのみ言に注目しなければなりません。それにはやはり、最初に提示したふたつの動画が決定的に重要です。
2008年4月16日、つまり聖和の4年前、亨進様家庭連合世界会長就任の「今後、全部、私がしてきたことを代わりに任せようと思う」という動画、また、2010年6月5日、聖和の2年前、「その代身者、相続者は文亨進である」という文章を書いている動画です。
   特にふたつ目の動画は、重要な事実を映し出しています。亨進様が後継者であることを命じた文書を、お母様が、お父様に書いていただくように横で積極的に言葉をかけ、亨進様は少し離れたところにいます。それは亨進様が後継者になることは、お父様だけではなく、「お母様もおなじ思い」だったことを示します。
   ですからお父様は、お母様が、亨進様が後継者になることを助けると信じ、安心していたはずです。聖和後最大の課題は後継者問題です。第二の教祖と思い従えというみ言のポイントは、お母様が亨進様を母子協助することに食口は従いなさいということです。
また、「第二の教祖」という語は比喩表現で、事実ではありません。比喩と事実を混同し、お母様がお父様と同等などと理解したら問題です。
今日、お母様は「お父様が果たせなかったことを私がしてさしあげる」と繰り返し語ります。よい言葉に聞こえますが、これは、人は死んだら終わりと考える、世俗の会社を引き継いだ後継者のような言い方です。お父様は死んでいません、今も生きてはたらき、先頭をきってみ旨を成しているのです。
キリスト教徒は教会が発展するのは主の導きと信じます。信仰深いクリスチャンならばイエス様は今も生きてはたらいていると考えるのです。
サンクチュアリ教会もおなじです。亨進様、国進様はじめ全ての食口も、お父様は今も生きて自分たちを導いていると思っています。「お父様が果たせなかったことを私がしてさしあげる」などと、お父様を過去の人にするような考えをする人はいません。家庭連合とサンクチュアリ教会のお父様観の大きな違いはここです。
第二の教祖という言葉は、「唯一の教祖」であるお父様のみ心にお母様がしたがうということが前提になります。もし、お母様がお父様のみ心に反する行動をするなら、比喩表現である「第二の教祖」という言葉は意味のないものになります。

③ お父様を誰よりもご存知の方はお母様。
夫婦が互いをよく知ることは自然なことです。それが一体不可分の証明にはなりません。それよりも、徳野会長はここで、「お母様は52年間も長きにわたってお父様に侍った」と言っていますが、この「侍った」という事実が重要です。
侍るということは、上下の関係があります。それは世俗的な男尊女卑の思想からなされることではなく、天的な神の秩序から、侍る方、侍られる方の関係性があるのです。すなわち、お母様はお父様に侍らなければならない天理があるから侍ったのです。
お母様の貴い価値は、52年もの間お父様に徹底して侍ったということです。先にも言いましたが、私たちはそんなお母様なら喜んで従ってゆきます。本来のお母様になんの疑問も、不信もありません。しかし、天一国国歌と神の呼称を変え、無原罪の独生女などと自称する、今のお母は、とうていお父様に侍っているとは思えません。私たちは昔のお母様に戻ってほしいのです。

④ 2月20日の祝福式にお父様の祝祷を使われた。
これはすばらしいことです。しかしこれが特別に一体不可分の根拠になるとは思いません。

⑤ お父様は「独生女」という言葉を180回もつかわれた。
 徳野会長は「独生女」という「語」だけを言及し、「無原罪の独生女」、「人類歴史六千年、キリスト教史二千年は独生女を迎えるためのもの」などの、お母様の「はなし」については触れていません。「語」の問題だったら「表現」にすぎませんが、お母様の話は「教義」になっているのです。私たちはそれを問題にしています。そのほか徳野会長は、「天一国国歌変更」、「韓氏の選民化」にも触れていません。

⑥ 天一国三大経典を出版し、天一国憲法をつくられた。
これらの事業を継承するのは当然のことです。内容については別の機会に論じます。

⑦ 8月13日の最後の祈祷前後に、御父母様は一対一で過ごす時間が多かった。
徳野氏も言っているように、それは夫婦として「自然な情」で、おおくの夫婦もそうするのではないでしょうか。  

⑧ 真の父母様の勝利により、小羊の婚宴をむかえられ祝福ができた。祝福家庭がお父様であれお母様であれ、どちらかでも批判することは祝福の出発点を否定する行為であり、霊的自殺行為。
この問題を考えはじめたころは、霊的自殺行為のように感じ、苦しみました。私たちは好きでお母様を疑っている訳ではありません。「途方もない、信じられないことが起こった」と当惑しながら、今の状況を嘆き、訴えているのです。
私は徳野会長に言いたい。この問題は、もしお父様が生きていたらできたか?と考えれば解けるのです。お父様がいらしたら、天一国国歌を変えることができましたか?ありえません。「天の父母様」と神の呼称を変えられましたか?おなじく家庭盟誓を変えられましたか?お母様が「無原罪の独生女」、「韓氏は選民」などと言えましたか?亨進様を追放できましたか?すべて、ありえません。これらはお父様が「いない」という状況のなかで可能だったのです。幹部はこれらの逸脱を「真の父母様は完全一体」というお決まりの文句で正当化しています。
もしできたと言うのだったら。お父様がこれらのことをする意思があったことを証明する動画を示してください。もしあれば、家庭連合には多くの記録とそれを探し出す人材がおり、すぐに出せるはずです。
家庭連合は食口に、見るな、聞くな、会うな、孤立させろ、とサンクチュアリ教会との接触を禁じています。それはおかしなことです。家庭連合は「サンクチュアリ教会を支持する人々の言説の誤り」を発信しています。5月には、まとめのナンバー2が送られてきました。太田朝久さんのような優秀な人が書いているのです。家庭連合が正しいなら、主張は強力です。ビクビクする必要はないはずです。
食口はこれを読む一方、サンクチュアリの主張も聞けばいいではないですか。私たちは「統一教会反対派」ではなく皆さんとおなじ「統一食口」です。ただ、お父様聖和以降の教会の歩みに同意できず、その是非を問うているのです。
食口の皆さんも、お父様の真のみ旨は何なのかを知るため、家庭連合とサンクチュアリ教会、両者の主張を知り、正しい判断をすべきです。サンクチュアリ教会の食口はみな、両方を知って、この道を選択したのです。今の家庭連合やり方は、まるで北朝鮮のような独裁国家の方法で、自由人である食口をバカにすることです。サンクチュアリ教会を知ることを禁じている家庭連合こそ、真理の世界から孤立している閉鎖的団体なのです。

亨進様が「統一教」にかえたことに対する宋龍天総会長の批判について

「世界家庭」五月号で宋龍天総会長は、「むしろ世界平和統一家庭連合という貴い名前を統一教に変えるという愚まで犯してしまいました」と批判していました。私は当時韓国に住んでいましたので、現場感覚でこれについて言及したいと思います。
当時、韓国の教会では、「世界平和統一家庭連合」と「世界基督教統一神霊協会」というふたつの看板をかけていたのです。そして社会での通称は「統一教」で、食口は「統一教会」あるいは、「統一教」と言っていました。何よりも、お父様自体が「統一教」とおっしゃることが多かったのです。
「家庭連合」という名称は社会的に認知されず、食口も三つの名称を使っていました。今でも一般では「統一教」です。私のもとに、教会が表紙をかざった四冊の週刊誌がありますが、すべて「統一教」で、正式名称も書いてありません。
当時、教会は複数の名称が並び立ち、あいまいなイメージしか社会に示せない状況だったのです。そこに堂々と社会の通称である「統一教」を名乗りはじめたアイディアはすばらしいものでした。おおくの食口も自然に受け止めました。これで社会と教会のイメージギャップを埋める効果が期待できたのです。ですから、お母様が、国民にひろく認知されている、「統一教」という名称を廃したことの是非は意見が分かれるところです。
総会長がこのような事情を言わず、亨進様が「統一教」を強調したことを「愚を犯した」と批判すれば、日本の食口は納得するしかないのです。それはフェアな態度ではありません。
当時、亨進様は「統一教」の呼称だけでなく、礼拝形式の改革なども進めていました。従来のキリスト教式礼拝は私たちにとっては恵みがありますが、外部の人にとっては違和感があり、新鮮味もありません。そのうえ説教は食口でなければ、理解できない内容ばかりです。
教会の問題は伝道が進まないことです。これは統一教会だけでなく、宗教全体のかかえるジレンマで、宗教が魅力を失っているのです。それを突破するには、旧来のやり方では不可能です。若者にも魅力あるものに改革しなければ宗教の未来はありません。当時、亨進様の礼拝形式の改革は、宗教学者たちも注目していました。お父様の聖和によってこの改革は中断したのです。
家庭連合はこの改革に対し、亨進様の伝統から外れた行動だったと批判しています。しかし今の教会は改革なくして発展はできません。人々に開かれた教会に変え、新しい宣教方法を考案しイメージを刷新しなければなりません。一つの方法が失敗しても、別の方法を考案し、不断に改革を推進しなければ発展は望めないのです。お父様の最も本質的な伝統を守らない家庭連合が、教会発展のために行なった亨進様の改革に対し、伝統を守らないなどと批判するのは、大きな矛盾であり、的外れなものです。

東アジアの危機に対するサンクチュアリ教会の対応

昨年の朴大統領弾劾の大規模デモからはじまり、北朝鮮の核ミサイル開発をめぐる軍事的緊張など、朝鮮半島を震源地とする東アジアは、一触即発の危機的状況にあります。日本では連日、緊迫した報道をつづけています。
家庭連合の礼拝にいって、奇異なのは、説教者が昨年の韓国の混乱も最近の軍事的危機にも、ほとんど全く言及しないということです。4月16日の礼拝は、金日成誕生記念日の翌日で、テレビの過熱報道も頂点に達しているときなので、何か言ってくれるのではと期待していました。ところが一言の言及もありませんでした。キリスト教会ならばこんなとき、「平和のために祈りましょう」と呼びかけます。ところが家庭連合の礼拝では、一切の話がなかったのです。いったい、どうなってしまったのでしょうか。
宗教は精神的なことが重要で、国際的危機などは関係ないということもできます。しかしお父様はそんな態度だったことは一度もありません。常に国家、世界の運命を教会の運命と一体ととらえ、国民に警鐘を打ち鳴らし、先頭を切って行動しました。今の家庭連合に一番欠けているのはこの姿勢です。
亨進様は、ミクロコスモスである私たちの心と行動が、マクロコスモスである国家、世界の運命を左右すると常に語られ、積極的に行動します。亨進様のこの姿勢は、お父様が危機のまえに講演をなさり災禍を避けた姿を彷彿させます。
すでに2年前、韓半島を中心とし世界が大混乱に陥ると語り、現在、その予言は的中したのです。サンクチュアリ教会が熱烈に支持したトランプ大統領の誕生から、韓国での統一旗、星条旗、太極旗を掲げての運動、日本での、安倍首相とトランプ大統領を強力に支持する画期的デモなど、まさに亨進様の奇跡のようなリーダーシップには、お父様が生きて働いているとしか思えません。
亨進様の歩みは、70年代からアメリカでなさったお父様の歩みを見ているようです。神の世界摂理は明らかにペンシルベニアにおられる亨進様を中心に動いています。亨進様をお父様の後継者と悟れば、今も生きてはたらくお父様の愛と真理の力によって心霊が復活します。今や、皆さんも決意し、真実のみ旨の流れに合流し、新しい道を進むべきです。

永田教授のプロフィール

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韓お母様問題(その20)2012年4月オモニが自ら成和出版に行って削除を命じたみ言

パンザー米協会長の講義、「罪なき独生女と三代王権」から

Rpanzar 講義 4   YouTube.png

2012年4月、お母様は成和出版におもむき、お父様の説教のみ言集のある部分の削除を命じました。その後、家庭連合本部はみ言選集の第594巻以降の巻すべての回収を命じました。そして新たに編集しなおしたものをそこに差し替えたのです。差し替え版は、オリジナル版にあった、お父様のお母様に対する批判的な言葉がすべて削除されていました。

削除された文を二つ紹介しましょう。2009年2月16日のお父様のみ言です。

「(基元節まで)あと何年、何カ月残っているか。オモニが、それまで自分が果たすべき責任のレベルまで達していなければ、問題が起こる。だから私が責任を引き受けてそのすべての責任を果たしたのだ。お母様の分まで私がここまでも果たしたのだから、オモニが怒りをぶちまけるか、殴りつけるかでもしない限りはすべてうまくいくのです。」

第614巻141ページ(2009年オリジナル版・み言選集)

「オモニが堕落したのだから、自分で責任をもたなければならない。ふらふらしている女たらしの男にはできないのだ」

 

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登録商標「天一国」?!

【登録商標】天一国?!   YouTube.png

まだ家庭連合が登録に成功したわけではありません。

5月25日が異議申し立ての期限ですが、これは簡単な手続きで延長できるそうです。(もうおそらく手続きがなされていると思います)

Petition Cheon Il Guk Trademark Defense.png

上のページで署名してください。献金画面は別にスルーで構いません。記入は名前とメールアドレスだけ。(上の画像をクリック)

大まかに支援ページの内容をお知らせすると次のようです。(概略)

文鮮明師を再臨主、万王の王と信じるわれわれは、家庭連合が韓国語である「チョン・イル・グク(天一国)」を商標登録しようとする家庭連合の試みを阻止します。

文鮮明師が創案された、この名称はサンクチュアリ教会創立当初からその信仰実践に組み込まれており、世界中のサンクチュアリ食口、1万人を超えるコミュニティで広く使用されています。 「天一国」を商標登録しようという行為はキリスト教会が神の王国(KINGDOM OF GOD)を商標登録するに等しい(愚かしく馬鹿げた)行為である。

したがって、これを法的に商標登録しようとする試みは、現在一般的かつ広く使用されているこの名称の使用を制限するものであり、私たち多くの家庭の信教の自由の権利に対する直接的な侵害であり、しかも違憲であり、到底容認することはできません。

私たちは、この名称が宗派的目的のために用いられることなく、文鮮明師の教えを信じる者すべてが自由に使用できるための努力を全面的に支援します。

*和さんから頂いたコメント↓

他の方にお伝えしていて質問頂いたのでここにコメント致します。
この署名はどの国からでもでき、どの国の言語でも署名とコメントが出来ます。世界中へ拡散お願いします。
またサンクチュアリーだけでなく、アメリカベイエリアでは家庭連合食口の参加もあったようです。
拡散の時はお名前を出したくない方には
署名とemailの下部分に
Show my name in the online signature list
というのがすでに選択されているのでそれを外して下されば名前は出ません。

また、署名の後にすぐ献金願いのページが出てきますが、これはサイト運営者に行く献金でサンクチュアリーへは行きません。飛ばして頂いても署名はされています。ご自分の署名が反映されたらメールが送られてきます。とくに献金について知らされないとちょっと戸惑うかたいらっしゃると思いますのでお伝え下さい。どうぞよろしくお願い致します。

 

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王様の推奨するビデオ講義「独生女と三代王権」BYパンザー会長【日本語字幕版】第2回

8回シリーズの第2回目です。

韓国で2回、アメリカで1回行われた3度の式典で真のお父様は祝福と真の父母の権威を息子、文亨進様とヨナ様に与えられました。その映像をお見せします。

「天地父母安息圏安着即位式において、真の父母様の祝福を伝授いたします。アージュ」

お父様のお顔を見れば、本当に喜んでおられることがわかります。

2010年6月5日には、また別の宣布文を書かれました。
「万王の王はお一人の神様、真の父母様もお一人の父母、
万世帯の民も一つの血統の国民であり、一つの天国の子女である。
天宙平和統一本部も絶対唯一の本部だ。その代身者・相続者は文亨進である。
その外の人は、異端者・爆破者である。以上の内容は、真の父母様の宣言文である 文鮮明印」

ここでもお父様は混乱したりせず明晰です。その翌年、お父様はこう語られました。
「神様も必要ない、父母も必要ない、長男も必要ない、三男も必要ない、しかし末の息子は必要だ。真のお母様にとってもそうだ。それと国進も必要だ。2人の息子。」2011/6/21ラスベガス訓読会

2012年にはお父様はこう言われます。
「国進と亨進、この2人の息子がカインとアベルとして一つになった」

このように5年続けて、お父様は確認させるように宣布されたのです。

お父様が霊界に行かれて以後、多くの世界のメディアが聖和式を報道しました。CNNなどフェイクニュースだと言いたいところですが、さすがにこの件に関しては正確に報道しました。CNNの見出しがこれです。

「文鮮明師の葬儀、写真左の末の息子、文亨進が後継者であり、右の文国進が統一財団の理事長である。この2人が葬儀を執り行った」

これは広く報道されました。決して隠された秘密ではありません。

次に周藤講師による講義の一部を紹介します。原理本体論のシリーズです。2012年のものです。
真のお父様「天のお父様!どうか、ただ一人で良いですので、私が愛するようにあなたを愛する人をお送りください。私以上にあなたを愛する者を!100年に1人でもいいです。私が愛する以上にあなたを愛する人を送ってください」お父様は、「これが私の祈りだ」と仰いました。また別の時には、30年前、40年前、お父様は「誰もいない」と言われました。しかし、ついに、お父様の心情を理解される方が一人、現れました。お父様の流される涙と同じ涙を流される方です。それが誰か分かりますか?
「真の御父母様の末の息子さんです」
そう、世界会長の文亨進様です。

この問いかけがいいですね。「名前をもう度行ってください・・」と。
ここで旧約聖書にとびます。というのもここに関わる重要な問題だと思うからです。リベカという素晴らしい女性についてお話しします。お父様はリベカについてよく話されました。世界経典の中で語っておられます。
「ヤコブは自分の路程においてっ苦労しました。しかし母親の方が苦労したのです。何百倍も大変だというのです。何度もヤコブを殺さないと確認させたのです。復帰を可能にするため、どれほどリベカの責任が大きかったか。その重要な使命を果たしました。リベカは息子と選民の血統を守るために命をかけました。」

ここで私はこう問うことをしなければなりません。お母様は勝利したアアベル・カインに対してどうされたのか。お父様が2008、2009、2010、2011、2012と毎年繰り返し、確認された内容です。

お父様のかたわらで3回も、亨進様の戴冠を一緒に行ったにもかかわらず、お父様の聖和の2週間後には、韓国で5つあった役職をすべて取り去りました。2013年には仁進様が去った後のアメリカの会長職に就きました。ヨナ様が「お母さまも絶対「性」についての講義を喜んでくださるに違いない」と思って報告したところ、「直ちにその講義をやめろ」という返事を受け取りました。そしてまたアメリカ会長職を解雇されたのです。

興味深いことに、神様は意図しない者に、本当のことを語らせるのです。私は史吉子氏にたいへん愛情と尊敬を持ってきました。個人的にも多くの教えを受けました。私の結婚についても導きをくれたのです。その史吉子氏が2015年の終わりに、お母様の命を受けてアメリカにやって来ました。アメリカの多くの都市を巡回して語りました。その目的は、皆に「お母さまを支えなさい」ということでした。私にミネソタのある姉妹から電話がかかってきました。そして史吉子氏の話した内容を聞きました。その録画も送ってくれました。私のユーチューブのページにアップしているので見てください。その中で、史吉子史はこういいました。

「お父様は亨進様を任命されたが、お母様は違った。お母様は駄目だと言いました」

われわれは繰り返し「真の父母は一つだ」と聞かされてきました。後継者とはなんですか。決して小さな問題ではありません。天正宮のカーテンを換えるようなものではありません。
お父様は新しいカーペットを選ばれたのではないのです。キリスト、メシア、再臨主の後継者の問題なのです!小さな問題ではありません。とても重大な問題です。史吉子史は亨進様が任命された2008年まで遡って、お母様は、真のお父様と異なる意見を持っていたというのです。お母様は「駄目だ」と言ったと。

ヨナ様に当時の事情について貴重なインタビューをしました。私たちのほとんどがその出来事を知らなかったのです。私は韓国でのその出来事を全く知りませんでした。詳しい報告もなかったのです。

ここで短いビデオを3本お見せします。最初のビデオは、亨進様がお母さまを真のお母様としていかに助け支えようとしてこられたかを説明しています。

「亨進ニムは、お父様への祈りとお母さまへの祈りを書き込んだ名刺サイズのカードをつくって、私はいつも出会う人に渡しました。3か国語でつくったのです。様々な日常の行事でも手渡しました。亨進ニムは積極的にお母さまを、霊的にも支えようとしたのでした。亨進ニムがいない時にスピーチをすることがあり、そこでも私はお母さまのことを話しました。スピーチのすべてをお母様について話したのです。いかに忠実な妻であったか・・・なぜならお母様に勝利してほしかったからです。お母様がお父様とうまくいっていない話を知らなかったわけではないのです。本当にお母さまに勝利して頂きたかったのです。それがお母さまの本当の姿だと思わなかったのです。」

つづく

翻訳・字幕:管理人
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