2月の祝福式では、1家庭につき少なくとも1丁の鉄の杖が必要です(キングズレポート12/29から)


神の国の王、王妃は、自らの主権に立ち、それぞれのやり方で自分の王国で王冠と鉄の杖を持って立たなければなりません。

それはすなわち、自らの財産を守る力はあなたの鉄の杖であることを意味します。

鉄の杖は宗教的な武具を表すのです。

鉄の杖-キリスト教歴史において初めてそれが神の国の宗教的武装具を意味するということを理解することができました。神の国では鉄の杖を持つことが必要なのです。

よって、今度2月の祝福式では、一家庭につき少なくとも1丁の鉄の杖が必要です。

もちろん海外からのお客さんも来ますから色々な問題、それは解決します、少なくともアメリカにいる人たちは全員、一家庭に一丁、あるいは花婿、花嫁それぞれが一丁ずつもつことができればそちらの方がより良いのです。

少なくとも一丁のAR、ロシアなど、それがあまりに高価で手に入れることが難しいところでは例えばAK(通称カラシニコフ銃)を-AKも鉄の杖として認めます。

しかしこれはあくまで次善の策です。
平和警察・平和軍として、一体とならなければならないので、もちろん最強の軍隊をもっているのはアメリカなので、選ぶとすればAR-15がいいのです。AR-15はキリスト教の枠組みの中、ユダヤ・キリスト教の文化の中、アメリカ合衆国憲法から生まれたものだといえます。だからキリスト教の発明品だといえるでしょう。

AR-15は世界中で多くのキリスト教徒の命を守ってきました。王の鉄の杖は、もちろん氏族の王、王妃の鉄の杖も、最低一家庭に一つ、子供たちが成長すれば子供たちの分も用意する-これが理想です。

神の国のすべての家庭の必須条件です。鉄の杖をもつことが必須です。鉄の杖は神の国の武装具の一つだというのです。いわば神の国の市民権の必須条件です。それぞれの王国の市民権だということです。キリストは鉄の杖で統治するのですから。

鉄の杖を持つ群衆、これは天一国の市民権の象徴だということです。もはや奴隷ではない-いまや王の権能を得たことの象徴。

歴史的にみても、王様だけが王冠と武器をもつことができました。
特にこの2月の祝福式では、すべての家庭が持たなければなりません。

家庭の将来のため、家族と天一国のための投資です。
私あるいは教会に献金しろと言っているのではありません、あなたの家庭のために投資しなさいと言っているのです。

鉄の杖を必須とします、望ましくは、AR-15。王の訓練もすべての平和警察・平和軍の訓練もこれを用いているのです。

もちろん難しい国もあるでしょう。しかし自分の国の法律を犯してはなりません。
合法的に取得しなければならないというのです。法を守らなければなりません。

これは重要なことです。愚か者のように法律を破ってはいけません。
すべて法に則して行うことです。現在暮らしている仕組み、制約の中で行動して下さい。

天一国では、これ (AR-15) が天一国の家庭にたいする投資であることはいうまでもありません。

これを一家の家宝とすべきです。子供、孫、子々孫々に受け継いでいくのです。50世代を過ぎたときに「これは初代先祖の鉄の杖、これをもって先祖は二代王と共に天一国に入った」こういえるようにするのです。

*12/24英語説教日本語字幕付きビデオはこちらから⇒「王国の防衛権」

翻訳:管理人
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王様の推奨ビデオを観てみよう【日本語字幕付】

 
 
12月24日の英語説教から

プレガーユニバーシティの合衆国憲法修正第二条(市民の武装の権利)に関する動画を見てください。10分ぐらいのものですので、ここでは上映しませんがあとから自分で見てください。主旨が分かります。

10分より短いですが下のビデオがそれです。

翻訳・字幕:管理人

アメリカ市民は銃を所有する憲法上の権利をもっているのでしょうか。

憲法修正第2条にはこう書かれています。
「規律ある民兵団は、自由な国家の安全にとって必要であるから、武器を保有し携行する国民の権利は、 侵してはならない」
かつて、私はこの条文で保証するのはは、民兵団の権利であって個人の権利ではないと考えたときがありました。

2008年の「ワシントンDC(コロンビア特別区)対ヘラー氏」裁判において連邦最高裁で反対に回った4人の判事の見解がまさにこれでした。この裁判は銃所持をめぐる歴史的な判例になりました。

しかし研究を進めるうちに、私の先の考えが間違っていることに気付きました。

建国の父は、要するに個人の権利を保障していたのでした。

DC対ヘラー裁判で判決を支持した5人の判事はまさに正しい判断を下しました。

もう一度条文をみてみましょう。

「規律ある民兵団は、自由な国家の安全にとって必要であるから、武器を保有し携行する国民の権利は、 侵してはならない」

まず、この「国民の権利」という言葉に注目しなければなりません。
ここで権利が保障されているのは「国民」であって、「民兵団」でも「州政府」でもないのです。

この「国民の権利」という言葉は、合衆国憲法でいく度か登場します。
例えば修正第1条では、

「平穏に集会する権利および苦痛の救済を求めて政府に請願する国民の権利」を定めています。

また修正第4条では、
「不合理な捜索および押収または抑留からの安全を保障される国民の権利」が担保されています。

憲法起草者はそこまで「銃を保持する国民の権利」にこだわるのなら、なぜ「規律ある民兵団」という言葉を入れたのでしょうか。この冒頭の「規律ある民兵団」という語句は「根拠節(justification clause)」と呼ばれる部分です。この節は、なぜ権利が保障されるべきかの補助的説明をします。
それに対して「運用節(operative clause)」はどのような権利が保障されるかを表します。
2条の場合は「武器を保有し携行する国民の権利」です。

では「民兵団」は起草当時どのような意味だったのでしょうか。
1792年の民兵法は、「民兵」を、「18才から45才までのすべての白人男性」と定義しています。
今日では、もちろん、そこに女性もあらゆる民族を含むでしょう。これが狭い意味での小さな自警団のようなものではないことは明らかです。

では民兵がまもるべき「自由な国家(州)の安全」は何を意味するのでしょうか。
銃所持反対論者が問うように、個人の銃所持の権利と何の関係があるのでしょうか。
ここでも歴史的考察が鍵になります。

1790年代において「自由な国家(州)」は、ニューヨークやロードアイランドといった個々の州を表す意味には用いられてはいませんでした。むしろわれわれが現在使う「自由国家」―圧政のない国という意味で用いられていたのです。

建国の父がアメリカに願った「自由な国」を意味したのです。彼らは武装した国民こそが専制に対する防波堤の役割を一部果たすと見ていたのです。武器を持つ国民こそ自分達を守ることができ、独裁者が権力を握るのを阻止でき、他国から自国を守ることができると信じていたのです。

もちろんこの権利は無制限なものではありません。たとえば「言論の自由」は長きにわたって、いくつかの制限された合理的制約を受けてきました。

しかし厳しい銃保持の規制は、厳しい言論の自由に対する規制と同様に、建国の父たちが意図していた修正第2条に反することになります。

ひょっとすると、この修正第2条に対する解釈は現代では時代遅れであると思うかもしれません。
国民の考え方が変わるように、憲法も修正する必要があります。建国の父はそのための条項も準備しています。国民の考えが変われば、それを反映させた憲法改正も可能なのです。

しかし皮肉なことに、現在の国民の考え方を詳しく見ても、個人の銃所持に対する考え方は相変わらず強いのです。世論調査でも一貫してアメリカ国民の3分の2以上が修正第2条は国民が銃を所有する権利を保障するものだということを信じています。

ここ数十年をみても、議会、州政府は繰り返しこの見解を再確認しています。

アメリカ市民は銃を所有する憲法上の権利をもっているのでしょうか。

憲法起草当時もそうであったように、アメリカの歴史を通して、そして現在でもそれは国民の権利であるのです。

UCLA(カリフォルニア大学LA校)法学部教授、ユージン・ボロクでした。

【参考動画】

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「つるぎのない者は、自分の上着を売って、それを買うがよい」(ルカ22:36)-12月24日英語礼拝ポイント④

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 2017/12/24 

「王国の防衛権」 Kingdom Right of Defense

翻訳:BAMBOOS

Vimeo 1:45:21
今度は非常に重要なルカによる福音書22章の逸話です。

35:そして彼らに言われた、「わたしが財布も袋もくつも持たせずにあなたがたをつかわしたとき、何かこまったことがあったか」。彼らは、「いいえ、何もありませんでした」と答えた。36:そこで言われた、「しかし今は、財布のあるものは、それを持って行け。袋も同様に持って行け。また、つるぎのない者は、自分の上着を売って、それを買うがよい。37:あなたがたに言うが、『彼は罪人のひとりに数えられた』としるしてあることは、わたしの身に成しとげられねばならない。そうだ、わたしに係わることは成就している」。38:弟子たちが言った、「主よ、ごらんなさい、ここにつるぎが二振りございます」。イエスは言われた、「それでよい」。39:イエスは出て、いつものようにオリブ山に行かれると、弟子たちも従って行った。

非常に興味深い逸話です。剣は現代で言えば銃です。世界中のすべてのクリスチャンが完璧な人だと信じている宗教指導者が、弟子たちに銃を持っていなければ上着を売って買いなさいと言っているわけです。その時代を考えると本当に衝撃的な教えです。しかし人間の命という観点から考えると、全く衝撃的ではありません。というのも危険な道に行こうとする人は、自分を守ることができる必要があるからです。これは教会でほとんど教えられることのないキリストの逸話です。

もちろん、ローマの兵隊に襲われたときイエス様は剣をおさめるように言いました。そして、剣をとる者はみな、剣で滅びると言われたではないかと言う人がいるでしょう。しかしその同じキリストが、自分たちには暴力に訴える力があり暴力的な革命ができるが、目的があるので進んで自分を捕えさせるのだと言ったというのは興味深いことです。同じキリストが同時に弟子たちに、自分を守ることができるようにしておくように言ったのです。

するとお父様は剣を壊して鋤と鍬にすると言われたではないかと言う人がいます。それは非武装化の主張だ、民衆の武装を解除しないといけないのだと。聖書にそう書いてあるし真のお父様もそれを引用して、剣を壊して鋤に変えるのだと言われていると。

先日も國進様に質問した人がいました。見事な回答をされていました。つまりそれは経済発展のことを言っているのだということです。神様は少しの武器を与えましたが、それらを経済発展に役立つ農業の道具に変えるようにしたのです。しかし言うまでもなく、最終的に神様はそれらを、国でさえ壊してしまわなければなりません。

興味深いとは思いませんか。最後の部分を言い忘れているというのです。しかし、聖書で全の側と悪の側について言っているのはどうでしょうか。

重要なことは、王国においてすべての男女が平和警察平和軍のメンバーであるという理由です。それを通してより良い人になるのでそれを使うこともなくなります。実際それによってもっと愛のある人間になります。そのような訓練によってもっと保護的な人になります。人を守りたい、守る必要があるということに価値を置くようになり、それを考慮するようになります。

レストランで、入口を気にかけて不審者が入ってきたらどうするかを予め考え、自分が守りの一線にならなければならないと考えているのはあなた一人かもしれません。自分を守ろうという意識を全くもたない人ばかりで、ドアに向けて位置を合わせ何か起きたら行動できるような場所にいるようにしよう、という考えを持つ人間は自分だけかもしれません。

それは悪い心構えでしょうか。君は大きな不安の世界で生きている偏執病だ、と言うでしょうか。人を愛したい、守りたいと思うのは偏執病でしょうか。洪水の起きる場所で生活しているのに非常用の物資を準備しておくのは偏執病でしょうか。車を運転するのにシートベルトをするのは偏執病でしょうか。

問題があります。善良な人々は、悪人や自己中心的な人々に罪悪感を持たせる可能性があります。その人たちの心は、意志が弱く、群衆的な心理を持ち、権力のために何にでも従うものです。善良な人々はそのような形で罪悪感を持つことはありません。

私たちは自分たちの考えが奇妙だとは考えられません。実際私たちは人を助けたいと思っており、先行して考えています。頭の中で誰かと格闘することを思い描いて、2つも3つも先の手を考えているのです。それが身についています。

ですから罪悪感を持つべきではありません。特別な考え方を持っているのです。強力な考え方です。それは現実に基づくものであり、魅惑的でロマンティックな政治家の嘘ではありません。

誰かがあなたに罪悪感を持たせようとするなら、そのたびにシートベルトはしますか、それなら偏執病ですねと言えば良いです。交通事故の死亡率を知っていますかと。あなたは運転するときは特に、不安と恐怖と妄想の中で生きているに違いないですねと。シートベルトをするなんて弱い人ですねと。ばかげています。

私が家にいるときも、また銃の愛好家たちも自宅にいるときに武装し、外出する時にいくつもの武器を重ねて身に着けているのは、何か証明したいとか満足したいとか、最高の父親のような存在から承認を得たいという幼稚な願望を満たそうとしているからではありません。性的な抑圧に対するこの内なる怒りを宇宙に向けて放つ? 黙りなさいというのです。どこかの間抜けが家に押し入るときそんなことは関係ありません。

スクラントンの友達のところであった話です。息子さんが一人で家にいるときに男が裏口から侵入しました。息子さんは銃を持っていませんでしたが訓練を受けていて、クロスボウは持っていました。それを持ってお父さんと狩猟に行っていたのです。男が裏口をドライバーでこじ開けて入ってこようとしていたので、息子さんはクロスボウを持って、奇襲しようとテーブルの後ろに隠れていました。男が入ってくると撃って胸に命中させました。良い息子です。男は逃げてしまいました。12歳ぐらいの子供です。

おばあさんが家で寝ていたら彼が防衛の第一線だったでしょうか。そうです。それは警察や軍の人でしたか。いいえ、12歳の少年だったのです。お父さんから狩猟のレッスンを受けてクロスボウの撃ち方を学んでいました。その少年は今、統合格闘技とブラジリアン柔術を習っています。そういう経験をしたからです。将来は銃を見えないように携帯する許可なども持つようになるでしょう。あなたと私が防衛の第一線です。

プレガーユニバーシティの合衆国憲法修正第二条(市民の武装の権利)に関する動画を見てください。10分ぐらいのものですので、ここでは上映しませんがあとから自分で見てください。主旨が分かります。

王国において自己防衛の権利は、単なる権利ではありません。それは責任であり生活様式であり、崇拝のあり方です。神様を愛し隣人を愛するのです。自己防衛の権利、その権利を練習し訓練することは、実際の宗教的な崇拝の行為ではありません。神様がそのような立場に立つことを願われたときに備えて強くなるために訓練することです。そのような生活様式は宗教的な権利です。お父様に喜びを捧げることです。子供が強くなってオオカミに食べられないようになるのを見て喜ばれるのです。喜びをもたらします。対象的な相対を創造された目的は何ですか。

このクリスマスの日に、クリスマスイブに。みなさん忘れないでください。王国を引き継ぐ者たち。私たちには権利があり、義務があり、責任があります。そのすべてがあります。しかしまた、神様を愛し隣人を愛する愛を心に持つべきです。言葉だけではなく実行し、実証となる生活をするのです。その生活が現実の生活で行う準備となります。他の人がそういう生活をすることを願うのではなく、自分がやるのです。それはすばらしい世界です。

天聖経120
神様は、生命の母体です。父母は、その子供の生命を育ててくれるという のです。生命の母体であり、愛の母体であり、保護の母体です。生命を保護してくれ、育ててくれ、愛してくれるというのです。
それゆえ、幸福はどこから出てくるのでしょうか。保護圏が成立しなければ、命が危機にさらされるのです。命が危機にさらされると、愛も成立しないのです。

私たちにはとてもすばらしい責任があります。みなさんと訓練を受けるのが大好きです。みなさんとこのような文化と生活に加わることが大好きです。それを実行しているからです。これが王国の生活です。それが搾取者に恐怖を与えます。若者には力を与えます。強く、誇りある、忍耐強い、愛のある人々になるように。

ローマ人への手紙5章には「患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出す」とあります。それゆえ私たちは平和警察平和軍の訓練を行います。それゆえそのような生活をします。自慢できるなどということのためではなく、神様を愛し隣人を愛することができるようになるためです。私たちにとって神様を愛し隣人を愛するキリストの肢体における力がすべてです。
おわり

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彼らを悪しき者の手から助け出せ-12月24日英語礼拝ポイント③

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 2017/12/24 

「王国の防衛権」 Kingdom Right of Defense

翻訳:BAMBOOS

Vimeo 1:28:18
詩篇82章を読みましょう。

1:神は神の会議のなかに立たれる。神は神々のなかで、さばきを行われる。
2:「あなたがたはいつまで不正なさばきをなし、悪しき者に好意を示すのか。〔セラ
3:弱い者と、みなしごとを公平に扱い、苦しむ者と乏しい者の権利を擁護せよ。
4:弱い者と貧しい者を救い、彼らを悪しき者の手から助け出せ」。

これはいうまでもなくドナルド・トランプが北朝鮮と直面していることです。「弱い者と貧しい者」。北朝鮮の人々は全体主義の共産主義の支配下にあります。それはまさに家庭連合が追求していることです。彼らの憲法を見てみれば。ミクロとマクロで同じサタンの動きが抵抗を受けています。トランプは北朝鮮に対して立ち上がっており、そこには2,600万人の「弱い者と貧しい者」がいるのです。

残念なことにその多くは、ソーシャル・エンジニアリング(↓)によって完全に洗脳されています。ほとんどの専門家は、やがてこの人々のために戦いが行われ救い出されるだろうということに同意しています。ホワイトハウスでは重大な決定について話し合われています。私の言っていることが理解できるなら、北の状況を変え、その共産主義体制を打倒する方法のことです。

*ソーシャル・エンジニアリング:政府やある政治団体が、大衆の社会的な態度や行動に影響を及ぼそうとすること。対立する独裁的な政府や政治団体の運動を批判するときの言葉として使われることが多い。

聖書には「弱い者と、みなしごとを公平に扱い、苦しむ者と乏しい者の権利を擁護せよ。弱い者と貧しい者を救い」とあります。

神様は理由を与えてそれによって人々が強くなるようにしています。道徳を与えているのです。なぜ人が強くなれなければならないのかということに対して。なぜ強くならなければならないかということについての意志と目的を与えています。

誰か他の人に任せることはできません。与えられたあるときに、誰かの命を守るための最前線にいるかもしれません。それは自分に不釣り合いかもしれません。罪のない人を傷つけている人に対抗して行動を起こすように求められるかもしれません。学校に頭のおかしいジハーディストがやってきて、子供を全員殺そうとする場に居合わせるかもしれません。パキスタン、イギリス、ヨーロッパで起きたことです。

それゆえイスラエルはそれを学びました。タイも学びました。タイでは公立学校の教師が銃を携帯しています。知っていましたか。白人至上主義者の話だと思っていましたか。貧しい肌の浅黒いアジア人が人種差別主義者だというのでしょうか。

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箴言24章
10:もしあなたが悩みの日に気をくじくならば、あなたの力は弱い。
11:死地にひかれゆく者を助け出せ、滅びによろめきゆく者を救え。
12:あなたが、われわれはこれを知らなかったといっても、心をはかる者はそれを悟らないであろうか。あなたの魂を守る者はそれを知らないであろうか。彼はおのおのの行いにより、人に報いないであろうか。

神様が知っているのであれば神様がその人を守ってあげるべきではないのか、と言うのであれば、あなたは罪を犯しているということになります。「神様はすべて知っていて私は自分を守るお金もないのに、なぜ私がやらなければならないのか」。それは責任を先送りしているということになります。

神様がその場にあなたを置いたということは、あなたにできるということです。どちらにせよそれを通して成長するのです。またその人はそれによって救われます。

「死地にひかれゆく者を助け出せ、滅びによろめきゆく者を救え。」
あなたは神様がやるべきだと言います。それは神様に罪を犯すことです。

ふたたび道徳のことです。善良な人々が力を支配することを学ばなければならない理由は何でしょうか。神様の王国のため。愛のためです。というのも私たちは神様を愛し、隣人を愛するからです。同意できなくても、飼っている犬が嫌いでも、政治的方針が嫌いでも、それでも守ることができます。

エゼキエル書33章
3:彼は国につるぎが臨むのを見て、ラッパを吹き、民を戒める。
4:しかし人がラッパの音を聞いても、みずから警戒せず、ついにつるぎが来て、その人を殺したなら、その血は彼のこうべに帰する。
5:彼はラッパの音を聞いて、みずから警戒しなかったのであるから、その血は彼自身に帰する。しかしその人が、みずから警戒したなら、その命は救われる。
6:しかし見守る者が、つるぎの臨むのを見ても、ラッパを吹かず、そのため民が、みずから警戒しないでいるうちに、つるぎが臨み、彼らの中のひとりを失うならば、その人は、自分の罪のために殺されるが、わたしはその血の責任を、見守る者の手に求める。

つまり、剣が来ることを人々に警告する責任を持つ「見守る者」が、警告を行わないのであれば、それで人が死んだときには彼の責任となるということです。

ですからあらゆる牧師と宗教指導者のような人は、善良な人々がどうして武装する必要があるのかを教える必要があるのです。そういうわけでお父様は私を、迷彩を着た教皇のような立場に立てたのです。カトリックの教皇ではなく迷彩の教皇です。

宗教指導者は、その信者に自分たちの愛する人や隣人を守る能力を持つように言わなければなりません。

私たちの住むところは逆さまの世界です。そこでは宗教的な人がこのようなことを話すことができません。教会でこのようなことを話せば気が狂っているということになります。

クリスマスイブには、松の木とヤドリギとジンジャーブレッド・クッキーのことを話すことになっているのです。私は自己防衛のことを話します。

イエス様は誕生され、他人への愛のために自分の命を捧げました。ウォーリアー・ポエットの道徳を示されています。戦士の道徳を示されています。本物であること、神のようであることが、人にとってどういう意味があるかを示されているのです。

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政府の警察や軍だけを促進する人もいるかもしれません。市民の番犬であることを恥ずかしいと思わせようとします。「君は戦争を見たことがない」「言っていることが分かっていない」などと言って。しかし、市民を訓練する本物の人たちは、私たち市民のことは好きですが、中央集権化した政府や中央集権化した権力を望んでいません。彼らが市民を訓練するのは、市民が第一線だと分かっているからです。

二人の子供がいてデイケアセンターに行くシングルマザーでも、彼女が子供たちの第一線です。そういう暮らしが子供たちにとって最適なものではないとしても。お父さんとお母さんは子供たちの第一線です。お兄さんお姉さんは弟妹たちの第一線です。軍でもなく警察でもなく自分なのです。ですから社会の保護において市民は重要な役割を担っています。市民がそのようにする社会では市民が力を持ち、罪の意識を持ちません。犯罪率は高くなるでしょうか。ならないのです。ばかばかしいほど低くなります。

つづく

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神が用いるガサツな人-12月24日英語礼拝ポイント②

Sanctuary Church Sunday Service 12 24 2017   YouTube.png

 2017/12/24 

「王国の防衛権」 Kingdom Right of Defense

翻訳:BAMBOOS

王国で非常に重要なのは人々が権力を持っているということです。中央集権化した権力がある場合、どのような国、歴史上の政府の例を見ても、その文明の搾取者がその権力に魅了され、自分でもその権力を手に入れたいと考え、中央集権化した権力に向かって引き付けられます。最終的には支配してそれを利用し、道徳的なふりをしても実際は敵を虐殺します。

スターリン、ヒトラー、毛沢東、そして現在なら金正恩を見てもみな同じことです。アメリカの民主党は基本的には共産党のようなものです。本当に違いはありません。中央集権化した軍、警察を求め、中央集権化した銀行を求め、中央集権化した教育を求め、中央集権化した医療を求めています。まさしく共産主義です。マルクス主義の綱領がすべてあります。それから言うまでもなくネオコンがおり、それは偽の共和党です。右派ですが左派の共産主義者と協力しています。

右対左。誰もが選択肢があると考えますがそれは事実ではありません。トランプはその権力構造に対して違ったものを代表しています。たとえ完璧でなく、大げさで、人のことを侮辱していたとしても。まるで2週間前に話した戦士エヒウのようです。誰とでも争い、大げさで、がさつで粗削りですが、神様はトランプを用いるのです。ずる賢い悪魔のような人をサタンも利用していますが、神様も押し通して現状や政治活動家などを打破し始めるために、がさつで大げさなことを言う人を用いることがあります。

しかし、なぜ一部ではトランプやトランプ革命に人気があるのでしょうか。今ヨーロッパのようなところでも広がっており、東ヨーロッパでは実際、銃の権利が必要だと言っています。

私たちはスイスでの協議会に行き、ヨーロッパでの銃の権利について話します。アメリカより劣る原因は何なのかということについて。彼らも自己防衛の権利を持つべきです。そうすることで支配層や君主が君臨できなくなります。ヨーロッパでそのような話をすることは文字通り違法なのです。

ポーランドは違います。ポーランドは変わろうとしています。ヨーロッパには歴史的にイスラムの侵略に対する緩衝地帯がありました。それで少しは現実的なのです。しかし西ヨーロッパはラ・ラ・ランドです。常に守られ、片側は海で守られています。逆側は東ヨーロッパによって守られています。文字通り共産主義の隠れ家となっています。それゆえに崩壊しつつあります。

私たちは、米国銃所有者協会の会長であるラリー・プラット氏とそこに行く予定です。そしてアメリカの銃の歴史について話し、本当の統計について話します。善良な人々が武装すると、犯罪は減ります。犯罪者は恐れをなすのです。

犯罪者がこの小さな町の近所の誰かの家に入ろうとするならどうでしょうか。ここは世界で最低の殺人事件の発生率を誇る場所の1つです。というのも全員が、お母さんも、ショットガンやAR-15ライフルを持っているからです。

老人ホームに入っていけば、おばあさんがショットガンを取り出して撃ち殺してしまうでしょう。気を付けたほうがいいです。この辺でバカなことはできないと犯罪者は分かっています。彼らは盗んだ成果を楽しむために明日も生きていたいと思っています。

もっとも、教授や公立学校の教師に教化され洗脳されている人が多いことは残念なことです。公立学校の先生のすべてが悪いわけではないとしても、彼らは州の公式な教師として自分で同意できないことであっても教えなければなりません。

そして(マタイによる福音書6章)33節です。
33:まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。

イエス様が福音について語られるとき、それは神の王国のことです。これまで何度も、福音は神の王国のことだという様々な聖句を紹介してきました。

キリストはまず神の王国を求めなさいと言っています。そして義です。王国において義は非常に重要です。絶対的に重要です。神様が「まず神の国と神の義とを求めなさい」と言われたのは・・・。非常に興味深いことに、力も愛の道徳を持たなければならないからです。知っていたでしょうか。暴力の支配も、逆説的ですが愛の道徳を持たなければなりません。あるいは慈悲と言っても良いですが。慈悲は古来、苦労を伴うことを意味しています。その言葉の語源を分析すると苦労を伴うという意味です。

権力や資源の獲得、ある地位でも何でもそういったものを高めるといった目的のためだけに、ただ力を行使し、力について学び、また力を支配しようとするなら、悪の結果となり得ることを追求しているのだということです。だからこそ自己防衛も含めた防衛の支配は、愛の道徳とつながりを持たなければなりません。それが絶対的に重要なことです。

実際に重要であるというだけでないということを、この動画で見ましょう。ジョン・ロヴェルです。望むなら明日にでも(戦場で)戦うことができる人です。元陸軍レンジャー連隊の特殊部隊員で、世界中で何度も戦場に行っています。ウォーリアー・ポエット・ソサイエティ(Warrior Poet Society)という団体であらゆる国の人を訓練しています。私たちは彼をここに呼んで訓練しました。すばらしい男です。ショット・ショー(銃の見本市)に来ますので、もしかしたら彼のところに行ってインタビューするかもしれません。まあどうなるかわかりませんが、ショーで彼を探し出してみます。ビデオを見ましょう。

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私にこういった(格闘技などの)技術があることを知っている人は、ほとんどいません。それは良いことです。こういった訓練をしているならその秘密を敵に知らせたいとは思わないのです。責任ある人間ならそういうことはしないものです。人前でただ見せびらかしたりするものではありません。そういうものは文化にありません。

これをやってメダルを取りたいとかいうことも良いでしょうが、だからと言って結局それがどうだというのでしょうか。本当の話、それが価値を与えてくれるものではないのです。

力強い人間になる価値と願望と喜びを与えてくれるもの。私たちが訓練する理由は、神様を愛し、隣人を愛することです。それはイエス様が凝縮した戒めを現実化したものです。イエス様はパリサイ人にモーセの戒律の(重要なものの)一つが何かと尋ねられて、心を尽くし精神を尽くし、思いを尽くして神様を愛しなさい、そして自分を愛するように隣人を愛することだと言われました。自分を守りたいと思うように隣人を進んで守りなさい、ということです。非常に簡単なことです

平和警察平和軍の最も重要な中心的推進力は、キリスト教の道徳を実現化する訓練をすることです。つまり神様を愛し隣人を愛するという道徳です。

クラスの終わりに王妃と話しましたが、子供たちに「隣人を愛しなさい」と言いたくありません。そうすると隣人が神様だと考えてしまうかもしれません。子供たち自身も、神様を愛し隣人を愛することが標語だと理解するようにならなければなりません。始めの部分を忘れないでください。そこが重要な部分です。それが隣人を愛する理由なのです。

この愛の道徳によってこそ、心を躍らされ情熱的であり続けることができます。それによって、普通の人よりも優れた手段や技能を持った人が、必要なら罪のない人を守ることができるようになります。

だからといって何も保障はありません。あらゆる訓練をしていても頭を撃たれて死ぬことがあります。現実に基づいた格闘技では誰もが知っていることです。

つづく

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「天宙天地人真の父母様天一国生命の書入籍祝福式」(黙示録21章27節)

 

天基9年1月13日(陽暦)2月28日の祝福式の公式名称は以下の名称に決定されました。

「天宙天地人真の父母様天一国生命の書入籍祝福式」(黙示録21章27節)

 

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*サンクリュアリ本部公式フェイスブックページより

 

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*sasaさん、ご指摘ありがとう。↑

 

 

第51回真の神の日及び真の父母・文鮮明師とイエス様の生誕記念式典の日程

天基9年1月1日 (陽暦)2018年2月16日(金曜日)
深夜の祈祷会:参加される方はサンクチュアリ教会本部に2月15日の午後11時30分までに入ってください。

二代王による、祈祷のあと、真の御父母様への新年のご挨拶及び、二代王による年頭標語の揮毫が行なわれます。

 

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イエス様の誕生日とは関係ないミトラ教の冬至の祭りに-12月24日英語礼拝ポイント①

Sanctuary Church Sunday Service 12 24 2017   YouTube.png

 2017/12/24 

「王国の防衛権」 Kingdom Right of Defense

翻訳:BAMBOOS

Vimeo 46:36
これはもちろん有名な聖句ですが、王国の聖句についてすべて調べると、イエス様が福音について説いているということが明確に分かりました。十字架につけられることを説いていたのではありません。聖書には一つもありません。イエス様が福音を十字架の死と復活として述べたことは一度もないのです。実際イエス様は神様の王国の福音を説いています。王国について語っていたのです。福音とはユアンゲリオン、良き知らせのことであり、王国についてのことです。

これをさっと読んでみましょう。(マタイによる福音書6章)31節からです。

(マタイによる福音書6章)
31:だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。32:これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。33:まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。

これがとても大切です。クリスマスのことを話し、イエス様の生誕について話しましたが、何度も言っているようにそれはミトラ教の冬至(の祭り)です。クリスチャンはイエスを崇拝すると殺されてしまうので、ミトラ教に紛れてローマ人たちとこっそり崇拝したのです。そういうわけでクリスマスが12月25日に祝われるようになりました。

それはイエス様の誕生日とは関係ありません。春に近い時期に生まれたのです。春の初め、羊飼いたちは羊を連れて一晩中外で過ごします。それは羊に赤ちゃんがいる時期、年に一度だけのことでした。それが春の初めか冬の終わりの時期です。羊に赤ちゃんが生まれるのは年に一度だけです。オオカミが来て羊の赤ちゃんを餌食にしてしまうので、羊飼いは出て行って守らなければなりませんでした。聖書によればイエス様はもっと後に生まれたということです。

しかし、西洋でもそれ以外でも当たり前のことのようになっています。サンタクロースやクリスマスツリーといったものは長年の間に追加された異教のもの、異教の付属品であり、クリスマスは本来キリストをお祝いするものです。

私たちはキリストの生誕をお祝いするのですが、その方は自分の命を世界の救いのために差し出されました。言うまでもなく聖書の中で最高の愛について語っておられ、イエス様がそうされたように友のために命を投げ出すのがそれだと言っています。

それは最善の道ではありませんでしたが、神様はそれを用いて霊的救いをもたらされたのでした。しかし、肉的な救いや実体的な王国をもたらすことができたかといえば、できなかったのです。それゆえにイエス様は再臨する、戻ってくると言われました。

「毎日こう祈りなさい。神の国が来ますように。御心が天で行われるとおり地でも行われますように・・・」と。私たちは何度も話してきました。

神の王国が来なければなりません。クリスチャンであるなら神の王国が地上に来ると信じなければなりません。それを避けては通れません。昨日詩篇の第2篇、黙示録の2章12節と19章の聖句を読んで説明しました。それらはイエス様が再臨されたときに支配する方法です。もちろん王冠と鉄の杖を持って。クリスチャンであるなら、それもまた避けることのできないことです。

イエス様は再臨して永遠の王国を確立し、キリストが鉄の杖で支配します。聖書の詩篇2篇と黙示録2章にも書いてある通りです。地上の国々を撃ち、陶器師の作った器のように打ち砕くというのです。キリストが再臨するときには暴力もあります。

洗脳を行う学校では暴力は悪いと教えられていますが、必ずしも悪いとは限りません。暴力について学び、暴力を制御することを学ぶことは非常に重要です。そうやって自分を守る方法を学びます。あなたや弱者を暴力的に攻撃するために暴力を利用しようとしている人に対しての暴力の力を学ぶのです。

暴力についての知識と暴力の制御、そして支配、別の言葉では武力ですが、それは非常に重要な責任です。そして善良な人々は絶対にそのような責任を支配すべきなのです。というのも善良な人々は人を食い物にする搾取者ではないからであり、人を支配して上に立ちたいという病的な搾取者のようなことはしたくないからです。ただ本能的に人々を守りたいと思っているのです。積極的に人を食い物にし、弱者を食い物にしたいとは思っていません。弱い人を見るとかわいそうに感じて、その人たちを強くしてあげたいと思います。普通の人はそのようにします。

人口の10パーセントを占めるサイコパスは、弱さを見つけるとそこに付けこみ食い物にしようとします。40パーセントはソシオパスであり、利益を得られるのであればサイコパスや搾取階級と一緒行動します。いわゆる「良いナチス」というようなものです。悪いと分かっていても、利益が得られるとか恩給がもらえるということでそれに従うという人々です。そして残りの50パーセントはそういった傾向を持たず、利益のためにサイコパスだと分かっている人に従いません。一生懸命働いて暮らしていきたいと思っている、普通の人々です。それが人々の社会学的な内訳のようなものです。

つづく

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鉄の杖を持つお父様-12月17日英語説教 ポイント⑤

Kingdom of the Rod of Iron   December 17  2017   Rev  Hyung Jin Moon   Unification Sanctuary  Newfoundland PA on Vimeo.png

「鉄の杖」の王国-Kingdom of the Rod of Iron

 2017/12/17

翻訳:管理人

この話はとても大切です。とくに「鉄のつえ」、そして「鉄の杖ミニストリー」に関して皆さんにはわれわれのために祈ってもらいたい。これは進めていくうちに神様が大きく協助してくださり発展するに違いありません。人々をトレーニングすることに関しても、われわれのコミュニティには多くのすぐれた人たちがいて多くを知る者たちがいます。

しかし、いいですか、すべてのクリスチャンはイエス様の元でのクリスチャンバージョン奴隷的福祉根性から抜け出さなければなりません。キリストの共同相続者としての心構えを持たなければなりません。われわれにその資格がある、値打があるからではありません。

ただ、神様が私たちを愛して下さるがゆえです。われわれのために犠牲になられたのです。そのキリストの愛ゆえに授かったもの(共同相続者の位置)だというのです。

しかし、その権威を頂いたなら、キリストに似たものになるよう努力しなければなりません。キリストのように統治する者にならねばなりません。神様のように高潔で正しい者にならなければならないのです。そのために神の国を守る本体にならなければならないのです。

Kingdom of the Rod of Iron December 17 2017 Rev Hyung Jin Moon Unification Sanctuary Newfoundland PA on Vimeo (1)

これはお父様の初期の弟子たちです。これがレバレント・ムーンの始めた最初のビジネスです。写真をご覧なさい。武器を持つアジアの市民です。(当時の)政治システムのもとでは完全に奴隷のような立場でした。完全な農奴、奴隷です。セメント造りの建物の前にいる彼らをご覧なさい。

ここに北朝鮮からやってきた一人の人。原理と聖書と聖霊による啓示、また神様からの啓示で知っていたのです-彼らはその人をメシアと思っていました。その方が訓練をされたのです。お父様の最初の事業、最初の銃器会社です。後に拡大され、韓国の防衛産業にまで発展しました。最後にはそこで国防用のバルカン砲や高性能マシンガンを製造していました。

なぜなら、お父様は分断された北部を政治サタン主義に奪われたことを熟知しておられたからです。韓国は強くなければならないと。そうして具体的に、暴政とその侵攻に対抗することはもちろんのこと―しかし本当の狙いはその霊的姿勢についてです。

考えても見なさい。アジアの男、女が1950年から1960年頃にこのようなことをする。2017年のアメリカにおいてさえ銃を携帯することはポリティカル・コレクト(政治的に正しいこと)ではないのです!1960年代のアジアを想像してみて下さい!

Kingdom of the Rod of Iron December 17 2017 Rev Hyung Jin Moon Unification Sanctuary N3ewfoundland PA on Vimeo (1)

そう、鉄の杖を持つお父様です。
お父様は息子、娘に常に武器を携帯するようにとおっしゃいました。子供の時に、ダグ・ウィリアムか誰かに射撃のレッスンも受けました。しかし統一教会ではこの万王の王の振る舞いを人に知らせたくありませんでした。これが神の国だと人に理解させようとしなかった。

お父様は、本当の真のお父様です。子供たちに責任と義務を与えられたのです―そしてご自分に似るものになるようにと。

Kingdom of the Rod of Iron December 17 201761

これも何度も目にした写真です。子を愛する父親であるならでも自分の娘の安全を願います。どうですか父親は答えてみなさい。当然娘の安全を願いますね。どこに行くにしても自分の身の安全を守り、自分で対処することを願うのです。娘を愛する父親として真に愛する娘に無防備でいろというのは頭がおかしい。狂っています。

どうしてこの写真がそこまで過激なのでしょうか。どうしてこれが証言中(UCIvsUC)に20人の弁護士から問題視されるのでしょう。10時間30分の証言でした。この写真を私に見せて罪悪感をもたせようとしました。これが秘密の写真だとでも思っているのか、フェイスブックのカバー写真にしているのに!これらの写真を見て私が驚くとおもいますか、インターネットにアップしているというのに。

弁護士:「この写真を説明して頂けますか、文牧師」

私は「 アメリカに神の祝福あれ!」といいました。(アメリカ合衆国は銃所持を基本的人権として認めている)

それを聞いて弁護士たちも思わず笑いましたね。

世界のどこでこのような写真を撮れると思いますか。一見おかしな写真ではありますが、考えてみて下さい、どこでこのようなことができますか。いま、平和警察・平和軍会議を企画しています。ラリー・プラット氏をゲストに呼んで、年明け1月に開催する予定です。

なぜ建国の父たちがヨーロッパから逃れてきたかが分かります。ほんとうに狂っているとしか言いようがない。講演会の講師が射撃クラブに所属していると「銃の権利」について政治的な話を話すことが(ヨーロッパ)ではできないのです。それでも敢えて話せば射撃クラブの会員証をはく奪されてしまうのです。だから射撃クラブから人を呼びたくても「行くことができません。政治的な話は禁止されているから」というのです。

では、学者、研究者をヨーロッパから招こうとするとどうなるでしょうか。「銃を所持する権利のヨーロッパでの重要性」などをテーマに講演するとすれば、学者さんも「わたしも大学との契約で禁じられているのでそれはできません」というでしょう。「そういう政治的な話はできないのです」と。

これがいかに馬鹿げているか分かりますか。タシロさんが私に銃弾で王冠を作ってくれましたが、(ヨーロッパでは)それは違法なのです。世界のある地域ではその王冠をかぶることができない。牢屋に入らなければならないのです。牢屋の中からキングズレポートをしなければなりません。(笑)

このばかばかしさ加減がお分かりですか。われわれはここ(アメリカ)で甘やかされています。どれほど自由であるか実感できないでしょう。世界の99.99%の地域では私たちがここ(アメリカ)で体験している(自由)ことを享受できないのです。しかも(アメリカは)まだ神の国ではありません、(神の国はもっと自由)本当に信じられないことです。

Kingdom of the Rod of Iron December 17 2017 Rev Hyung Jin Moon Unification Sanctuary Newfoundland PA on 1Vimeo (1)

このような写真は普通の感覚をもった人の度肝を抜きます。
普通のキリスト教徒たちの度肝を抜くでしょう。ポリティカルコレクトのクリスチャンも肝をつぶす。似非クリスチャンも仰天する。道徳家を装って、教会に行ってはイエス様が相対的愛の人だと思っている人々。善悪も判断できないでしょう。善人が銃を持つ姿はそういう人たちに認知的不協和をあたえるのです。

日本でも韓国でもお父様の権威のもとにいる兄弟姉妹が王冠摂理を行っていることを知っているでしょう。そして王冠とAR-15やARライフルをもって写真を撮っているのです・・・ただこれは象徴な表明です。法的にそれができないからです。国の法律を破ってまでしなさいとは言わないのです。しかしアジアでは象徴的にそれを行なっています。ある時点でわれわれは自由になります。時が来ればわれわれは先祖を解放する力をもつようになります。時が来れば、独裁者を倒す権力をもつようになるでしょう。これがいかにおそろしい声明であるか分かりますか。

 

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12月17日英語礼拝で流れたちょっと面白い動画

翻訳・字幕:管理人

皆さん、こんにちは。
ビル・フィトルのFIREWALLです。

アメリカで銃撃事件が起こるたびに左翼の「道徳家」はいつもそら見た事かと、自身の議論の武器庫を充実させます。
すなわち「アメリカの個人の武器所有にたいする病的にゆがんだ執着」、この思春期の性心理にも似た、危険な、ヨーロッパの映画評論家にも恥ずかしくて顔を合わせられないような、「アメリカの銃文化」が原因だというのです。

ここでウィキペディアを参照すると、100人当たりの銃所有数においては世界1位です。アメリカ国民100人中、銃器は90丁所有されていることになっています。100人に対して90丁です。左翼が喜んで使う数字です。そうアメリカの銃弾を含めた銃所持率はダントツで世界一位です。

100人で90丁ですから、2位のセルビアの2倍です。セルビアでは100人中58丁です。

さて左翼の銃規制のあほな議論の核心はここから。

単位人数当たりの殺人件数はどうなっているでしょう。

トップの国は、やはり2位の約2倍。断然ほかを寄せ付けない数字、10万人当たり90人のホンジュラス。社会主義国で銃規制しているホンジュラスです。

アメリカは、人口100人当たりの銃所持率世界ナンバーワンを誇っていますが、10万人当たりの殺人件数となると上位というわけではありません。

急進左翼には残念ですが2位でも3位でもありません。
10万人当たりの殺人件数に関しては、アメリカは上位5位にも入っていない。
じつはトップ10にもはいらない。20位も、30位もだめ。上位40位、50位にも入りません。銃殺文化のアメリカがですよ。

なんと60位、70位、80位にも入りません。90位もだめ。登録されている218カ国中、なんと「殺人の街」アメリカは100位にもはいっていないのです。2012年の統計によるとアメリカは10万人当たり殺人で死ぬ人間は4.7人。上から111番目です。
10万人当たりの殺人件数111位というのは、下位半分のトップではあります。
そして上位にいる国は実質的に、大きな政府、社会主義のユートピアで厳しい銃規制法をしいている国々なのです。これは道徳優越主義者にはきっと残念な知らせに違いありません。

左派にとってまだ都合の悪いことに、この111位、10万人当たり4.7件の殺人事件というのもアメリカの実情にはほど遠い。なぜならここに危険で毒性にみちた、例えば1位の
ホンジュラスのような強い銃規制をかけられた民主党支配の殺人の街、デトロイトなどの都市を多く含んでいるからです。厳しい銃規制法をもつデトロイトでは市民10万人当たり殺人件数が54.6人。

もしデトロイトが独立した国なら、世界2位のベネズエラを破ってホンジュラスに次いで単独2位になっています。アメリカ全体の10万人当たり4.7人という数字は、民主党の強い、銃規制の厳しい都市を含んでいるのです。順にあげれば、ニューオーリンズの53.2人、セントルイスの35.5人、ボルチモアの34.9人、ニューアークの34.4人、オークランドの31.8人、ストックトンの23.7人、カンザスシティの22.6人、フィラデルフィアの21.5人。クリーブランドの21.3人、メンフィスの20.2人。アトランタの19.0人、シカゴの18.5人、すべて10万人当たり年間の殺人件数です。

アメリカの4.7人という数字はこれらすべての殺人の多い都市を含んだ数字です。まず頭に浮かぶ拳銃狂いの街、テキサスのダラスは上位20位にも入りません。アメリカの総平均値4.7人とこんなにも低いのは、たとえば殺人件数最小のプラノ市(テキサス)の0.4人などを含んでいるからです。何度かプラノに言ったことがあるので自信をもっていえるのですが、実質プラノ市のすべての家庭にAR-15などの攻撃型ライフル、半自動式のショットガン、30径狩猟ライフル、45口径、357マグナム、38径、9㎜など様々な銃を持っているのです。ちなみに子供の練習用に22口径を使っています。銃器の他に、トマホーク、ボウイナイフ、ハンティングナイフ、ジャックナイフ、飛び出しナイフその他を所有していることは言うまでもありません。

銃器所持のメッカともいわれる都市で10万人当たり0.4人なのです。
もしアメリカ合衆国全体の値がプラノ市の殺人件数0.4人なら、111位ということはありません。なんと218カ国中211位になります。スイスの0.6人を下回るのです。ドイツ。デンマーク。スペインの0.8の半分です。ニュージーランド、オランダ、オーストリア、イタリア、フランス、オーストリアの半分未満です。アメリカ全土が、銃所持のメッカ、銃文化全盛のテキサス州プラノ市と同じ殺人率をもてば、殺人と暴力に満ち満ちたあのベルギーの1.6人の4分の1まで下がるのです。

銃が問題ではなく、銃を持つ人が問題なのではないでしょうか。

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