2019年5月19日英語説教(1)

衝撃:「教父たちはみな中絶反対者だった」

文亨進二代王 説教

翻訳:BANBOOS

(前略)

エレミヤ書1章に行きましょう。これが今日の話の枠組みになるからです。4節から行きましょう。

4:主の言葉がわたしに臨んで言う、5:「わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに、あなたを知り、あなたがまだ生れないさきに、あなたを聖別し、あなたを立てて万国の預言者とした」。

つい先週のことですが、フィラデルフィアでプロライフの人たちと一緒に、プランド・ペアレントフッドのビルの前で戦いました。

そこに行ったプロライフの勇士は手を挙げてください。恥ずかしがらないで。若者の中にはよくわからずにただ参加しただけの人もいたかもしれませんが、それでも戦場に立つ勇士です。自分では何もしていないと思っているかもしれませんが、その場にいることがサタンに対抗する積極的な意思です。罪もない人を殺すことに反対する積極的な意思なのです。

そこにたぶん500名ほどの人が来ていて、もしかすると中絶しようとしている人もいたかもしれません。その日に自分の子供を殺そうとしていた人もいたかもしれないのです。しかし我々がそこにいたことで、またたくさんの仲間がいたことで、どれだけの命が救われたか分かりません。それは決して分かりません。ただ参加しただけでどれだけの命が救われたか。

地域に教会ができると・・・統計でもわかっていることです。プランド・ペアレントフッドの前で祈るだけでも・・・。それは無実の人を殺すナチスの死の収容所です。医者はつまりナチスの医者です。彼らは赤ちゃんを引き裂いて、ばらばらに切り刻みます。手足を切り離さなければならないのです。それがアメリカで彼らのやっていることです。これはナチスの死の収容所のようなものです。

ナチスドイツよりもはるかにたくさん殺されています。1973年以降、5,400万から5,600万人です。それはヒトラーの7倍、8倍です。私の話を理解していますか。呆然とする話です。それはとても悪いことです。

(略)

ただ参加しただけでも、サタンの文化と戦うことができました。何人の命が救われたかは分かりません。あの日のおかげで誰かが生まれようとしているかもしれません。我々には分かりません。神様だけがご存じです。ちょっと考えてみてください。信じられないことです。子供の命を救ったかもしれないのです。我々は神様のみ旨に参加しました。これは信じられないことです。

マタイ7章で読んだことです。「わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである」。先週それを勉強しました。

我々はただ神様のみ旨に同意して5パーセントの責任分担を果たして戦ったことで、命を救ったかもしれず、または命を救う過程に参加したかもしれません。それはすごいことです。

このような行動主義がとても大切であり、ここに本当に熱心に働く勇士たちがいてとてもうれしく思います。彼らは霊的な戦いをすることを望んでいます。プロライフの大会に参加したり、妊娠中絶医院のための祈りに参加したりしていないのであれば、それを強く勧めます。命を救うかもしれません。文字通り子供を救うかもしれません。本当に最高の機会なのです。

6節に行きましょう。

6:その時わたしは言った、「ああ、主なる神よ、わたしはただ若者にすぎず、どのように語ってよいか知りません」。7:しかし主はわたしに言われた、「あなたはただ若者にすぎないと言ってはならない。だれにでも、すべてわたしがつかわす人へ行き、あなたに命じることをみな語らなければならない。

興味深いことに、またこの章全体で第1にされているのは命の神聖さです。我々は新約聖書だけに由来するものだと考えがちですが、トーラーからきているものであり、神様のみ言から来ているものです。聖句の中に書いてあります。

私は興奮しているので早く終わらせたくありません。非常に強い内容があってそれを共有したいと思うからです。

これは本の予告の章の1つです。これは、歴史的に見て中絶に対する教会の立場がどのようなものかを示す証拠です。プロライフの戦いが現代の戦いだと思うかもしれませんが、これは古代からの戦いです。この章のことで、この本の中で触れている論文もあります。そして異教徒、つまりローマ人とクリスチャンの間での子供の扱い方の違いについて論じています。ローマの文化で子供がどのように扱われているかについての研究を詳しく論じています。

クリスチャンの信仰形態は、子供の扱い方の枠組みを作っています。ですから何を信じるかがとても重要です。共産主義は自由と同じではありません。こうした考えには大きな違いがあり、その多くは共産主義や左翼主義のように極めて危険です。大量虐殺、流血、滝のように血が流されることにつながります。

(つづく)

コメントを残す