神様からだまし取るな―キングズレポート・ダイジェスト

Don’t Defraud God  2018年11月5日

翻訳:ANNE

神様は、カード番号を要求されずに、歩合制なので公平です。

25セントを稼げたら、2.5セント献金します。そうでしょう。収入の多少に関係なく、十分の一献金をいくらしたからどうということもなく。この方式で富を割合ごとに捧げることで、決して神様をないがしろにするようにはなりません。それこそが、聖書で教える十分の一献金の訓練なのです。神様を忘れないで惜しみない気持ちをを持てる練習なのです。なぜなら心が、心の宝となります。

神様からだまし取らないでください。あなたは祝福されません。

サンクチュアリは特に、キリスト教会(キリストの体)として、惜しみなく与える文化にしていかなければなりません。

貧しさに苦しんで、相当助けの必要な人が、そこに行ったなら、超自然的に腕時計が、新品の靴が手に入る、そんな場所を持つようにならなければならなりません。わかるでしょう。
これが文化のようでなければなりません。十分の一献金。

全く貧困に落ちた、そしてどうであれ見るからにそのような人々が、そこに行けば超自然的に涙を浮かべながら受けとる。
1万ドルぶんの腕時計を受け取る、3千ドルの靴を、何であろうと。

そこではこれが素晴らしい文化であると言われます。そして鍛え上げられ成長して、自己中心や欲深くはなりません。のみならず、受けたものを返そうとします。

ですから、会衆の間で巡回するようになります。神様の祝福が賜物が巡りめぐって、施す文化が目に見えて現れます。独り占めにしようとはせずに、恵みを受けても手放し、わけ与えます。しばらくそれが繰り返されますが、それからもう必要ないとわかったときには、蓄えます。

とくに、「そうするべきだ」と神の声えを聞く人がこのことをしてきたのです。

私たちはロドニー・ハワード・ブラウン牧師の教会に1万ドルの献金をしました。
聖霊の働きによってお父様がはっきりと、1万ドル与えなさいとおっしゃったからです。それで献金したのです。

私たちの関係は今、重荷を分かち合い発展しています。そこの牧師たちの、鉄のつえの訓練も協力します。
わかりますか。

関係性を深めることによって、さらなる祝福が訪れます。
リバー教会全体が取り組んでいる神様のときの声に、いくつかの要点で期待しています。
全国を揺さぶりフロリダ州を揺さぶるように。
わかりますか。

それでヨアシは正義を取り戻すため、アタリアと彼女が神殿で行ったバアル崇拝を破壊します。そして神殿に正義を取り戻しました。神殿に正義が戻りました。(歴代志 下 第24章)

十分の一献金をしない教育が、子供たちのためと思わないでください。神からだまし取る利己的で邪悪な人間にしてしまいます。必ず幼いときから教え始めるのです。
いつでも神様の御旨のために尽くす、ということが当たり前で生活の一部となり、信仰の力にもなるのです。

もちろん皆さんが率先してしなければ教えることなどできません。見本を示さなければなりません。でなければ、詐欺になります。

この欺瞞が教会から押し出され、正義と善良な人々が神様に侍る努力をし、教会に取り戻します。口だけで神様を愛するというごまかしではなく、内に秘めた本当の宝の心で。

もしも、自分をさらけ出して生き方を変えるならば、文化が変わりはじめるのです。
変化し始めます。

私たちがこのように祝福の雰囲気を創るならば、自然発生的な祝福と賜物が全会衆に巡り満たされると言えるでしょう。

若者たちが素晴らしい恩恵にあずかるようになるでしょう。そしてしばらくはその恵みの中で満たされるが、しがみ付くことはせずうまく管理した後、お返ししたり誰かにあげます。

どうですか、なんて美しいことでしょう。

王国ではこの様な文化が求められるのです。
寛大な文化。気ままに与える。意欲的に施す。
慈善の心で与えるのです。

d-3

ネバダの山地

神様に歩調を合わせる―キングズレポート・ダイジェスト

Keeping Pace With God

2018年10月30日のキングズレポートより

翻訳:ANNE

皆さんは神を喜ばせるためにどう生きるかを教えられてきましたね。そこでは敵の中に暮らすとあります。
欽定訳聖書テサロニケ人への第一の手紙第4章に素敵な表現でこうあります。「あなたがたが、どのように歩いて神を喜ばすべきかをわたしたちから学んだように、また、いま歩いているとおりに、ますます歩き続けなさい。」

生き方についてというと、一定の教えがあるのを知ることができます。ちょうどお母さんから買い物リストをもらい、ただそれに頼ってお使いに行くような感じです。分かりますね。
どうやって生きるのか教えてもらっていたようです。八段階を一段ずつ昇りながら成長するように、もしくは七つの完成数に到達するように、など教えられてきました。

いやいや、どのように神様と共に歩むかについて、果たして教わってきたのでしょうか?それらはとても異なるのです。
ただ生き方を知る、というだけでなく、そんな事は書かれてもいませんが……神に喜びを帰しながら生きる、そう書かれています。それ(知る事)が何か悪いということではありませんが、異なるのです。

新国際版聖書(NIV:New International Version)のあちこちの殆どの箇所で、教義を変えてはいませんが、いくつかの箇所で聖句を完全に省略したり削除して、異端となってしまっています。削除されてしまっていますが、これは非常に悪いことです。何か翻訳するときに文章を取り除くなんてできないことです。わかりますか。全文を訳すべきです。

3,000の受け継がれてきた文書から、たった一行でも削除されたら…どのようにその一行を消せますか?その存在してきた一行一行の文書をいかにして削除できるでしょうか?なんということでしょう!
ずっと綴られてきた、3,000以上の新約聖書の歴史的記録。どうして、翻訳という名の下で取り除かれなければならないのでしょうか?そんなことはできません。あってはならないことです。
それで現在、あの王国(イングランド)では新国際版聖書は冒とく的とされています。

新ジェイムズ王訳(New King James Version)版のような他の翻訳で使われているいくつかの文は、死海文書(しかいもんじょ)のクムラン文書(Qumran)が見つかった後、その中からいくらか引用されていると、私は思います。
*クムラン‐ぶんしょ【クムラン文書】《クムランはqumrān。「クムランもんじょ」とも》「死海文書(しかいもんじょ)」に同じ。死海西岸の遺跡クムランとその付近から発見された。

これらのことが発見されたのはジェイムズ王、1611年以降です。ちょうどその頃、キング・ジェイムス(欽定訳)版が出版されたのは確かです。ですから文書が知られるようになったのはそれ以降になります。それで私は、新ジェームズ王訳版には書かれていると思います。
私は全ての翻訳の中でキング・ジェイムズ版のみが、神様のみ言だという信奉者ではありません。しかし、最も良い翻訳の一つです。
新キング・ジェイムズ訳版はキング・ジェイムズ訳から離れていっていると思います。クムラン文書が発見されたことと、微妙なニュアンスを付け加えられたり等々。

しかし、神様を喜ばせるためにどう生きるか、神様の喜びのためいかに歩むのか、違いがあるのがわかると思います。
あなたがあるべき姿、生き様があらわになります。

神様を喜ばせながら生きると言うとき、聞こえはいいが掴みどころがないようで、ああ、ただじっとしていてもいいような…
しかし、神様を喜ばせるために歩むという発想は、いつでも動ける状態です。ただ快適な暮らしをするだけではなく、出動する準備が整っていなければなりません。理解できていますか?

微妙な違いがありますね。その違いを感じることができますか?
もし、神様と共に歩む方法を知っているなら、常に行動します。動くために準備万端でなければなりません。いつでも方向転換できなければなりません。そうでしょう。
神様を喜ばせる生き方を知りながら、ただ家にとどまり、引っ越しもするが…。言ってる意味が分かりますか?

しかし、もし誰かについて歩くいていくなら、あれちょっと左に片寄りすぎてしまった、ただちに右に戻らなければ。東の果てから西に戻るようにというように、時々神が修正してくださるのが道理にかなっています。左に行き過ぎれば右に行け、右に行き過ぎれば左に行けと。

神はあなたのいく道を導いてくださいます。
過去に起こったしるしをたびたび見逃して、左に逸れていったりしますので。
なぜ神様は時によって全く違うしるしをくださるのか。なぜお父様はあの時とこの時とかけ離れた指示をくださるのだろうかと。
なぜなら、その時点であなたが左に片寄りすぎてしまったので、右に来いと言われるのです。右に行き過ぎた時点で左に来いと。
政治的な話じゃありませんよ。お父様は一度も左翼になったことはありません。歩く方向のことについて話しているのです。わかりますか。

歩くということは精力的なことです。静的なものではありません。
誰かの後に着いていかないとならないということは、疲れるものです。

神様を喜ばせるために、ただよく暮らせと教えられたなら、来る日も来る日も活動して誰かに従う必要もないでしょう。考えてみてください。

皆さんは確かにどなたかのもとについて行っているというとき、踏みしめる道のりで導いてくださる方の指導を心がけて案内に従っていきます。

もしも心に留めることが出来ずよそ見をするならば、行く道からすっかり切り離れるのです。

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ネバダから二代王の最新メッセージ

米国西部時間1月25日(金)の午後(日本時間1月26日午前)に文亨進様はラスベガスで開催されたショットショーを終えてその足でネバダ山脈に向かわれました。

nssf shot show 2019

スライドショーには JavaScript が必要です。

 

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【HSU 聖霊大学春期クラス】の申込が1月27日(日)から始まります

2018-05-28 (1)

* 受講申込み期間:1月27日〜2月17日までHSU(聖霊大学)サイトから

 上の写真の上でクリックするとHSUのページにリンクします。ただし1月27日になるまでは申し込みができません。

* 授業についてのお問い合わせは、各リーダーに連絡してください。

主な日本語講座

春期受講期間 2月17日~4月28日(全科目共通)

テーマ 愛と尊敬

時間  月曜日 10:30am
方法  zoom
リーダー 細川 明美 clean1115@gmail.com  010-2464-2200
教材  愛されたい妻と尊敬されたい夫
(著者:エマソン-エグリッチ/発行:ファミリーフォーラムジャパン)

テーマ 鉄の杖と狩猟

時間  金曜日 1:30 pm
場所  ソウルカンブク射撃場
リーダー 大竹とし子 010-3634-9215
教材  み言葉(プリント) 狩猟免許試験過去問題集

テーマ 平和のための準備  聖書的サバイバル実践講座

時間  土曜日 9:30 pm
方法  zoom
リーダー 市川健一
教材  聖書、他の資料は随時e-mailでお送りします。

テーマ 天一国合衆国憲法の学習

時間  水曜日 9:00 pm
方法  zoom
リーダー 岩本健志
教材  天一国合衆国憲法、自由社会、2代王及び国進様のみ言

テーマ 一緒に学ぼう!「祝福の意義と価値」

時間 月曜日 10:00 pm
方法  zoom
リーダー 星野仁志
教材  聖書、天聖経、原理本体論、神様の血統の種の長い旅程
二代王様が語る「三日行事、祝福の聖約」(2015.4.21)

テーマ  私は聖書を知らなかった

(Part3 ダニエル書~ヨハネ黙示録)
時間 火曜日 10:00 pm
方法  zoom
リーダー 井田ゆかり
教材  聖書、おっ聖書が読めてくる

テーマ 私は聖書を知らなかった

(創世記~モーセ五書と聖書の概要について)
時間 金曜日  9:30 am
場所 東京都内(詳細は後日記載します)
リーダー 村上
教材  聖書、おっ聖書が読めてくる

テーマ 私は聖書を知らなかった

(入門:聖書を通読する前に)
時間 土曜日 7:00 am
方法  zoom
リーダー 井田ゆかり
教材  聖書、おっ聖書が読めてくる

全開講クラス
2019-01-24 (5)2019-01-24 (1)2019-01-24 (2)2019-01-24 (3)2019-01-24 (4)

質問等、連絡先: 星野 tsubaki0358@gmail.com

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腎臓の勉強をして神様を発見した―2019年1月20日日曜礼拝ティム・エルダー(その2:完結)

Sunday Service   January 20  2019   Unification Sanctuary  Newfoundland PA on Vimeo.png

2019年1月20日日曜礼拝ティム・エルダー

翻訳:BAMBOOS

「そして彼らはわが民となり、わたしは彼らの神となる」。それは我々にとって途方もない希望です。

アウグスティヌスは言いました。私の心があなたの中で休まるまでは、休まることはない。どれだけ自分で自分の人生を導いていると考えたとしても、ビジネスで成功しても、お金をたくさん儲けたとしても・・・。ジェフ・ベゾスを見てください。1400億ドルの資産があっても家族は崩壊しています。

1400億ドル所有していたとしても、結婚を失い、家庭を失うならそれが何だというのでしょうか。それはまさに、世界最大の金持ちであっても結婚を保つにはお金だけではどうしようもないという教訓です。ジェフ・ベゾスであっても清めの過程を経なければなりません。神様に至るには自分の偶像から引き離されなければなりません。

お金がたくさんあるから自分たちの人生は素晴らしいのだと考える人たちも、清めの過程を経て神様によって偶像や忌まわしい物、逸脱から引き離されなければなりません。そうすることで神様は、彼らが罪を犯した居場所から救い出すことができます。そうして彼らを清めることができ、「彼らはわが民となり、わたしは彼らの神となる」のです。

神様が我々のためにこれをしてくれるという希望があります。神様は諦めません。聖書歴史6千年、実際の歴史では、分かりませんがおそらく数万年の間、神様は決してあきらめませんでした。そして毎日24時間、人々を1つにするために働いておられるのです。

そして「わがしもべダビデは」・・・これはメシアでありキリストであり、キリストの血統のことです。「・・・彼らの王となる。彼らすべての者のために、ひとりの牧者が立つ。彼らはわがおきてに歩み、わが定めを守って行う」。定めとは何でしょうか。天一国憲法です。

「彼らはわがしもべヤコブに、わたしが与えた地に住む」。最終的には地球全体を神様が我々に与えます。そして我々は地球全体で生活します。そして私は、宇宙の至る所でも生きるようになると思います。

私の説では、人類は今ベータテストの段階にあります。我々はベータテスト段階でまだバグがあります。それは原罪というものです。原罪を宇宙全体に広げたくはありません。しかしそれに対処したらすぐに、エンタープライズ号みたいな宇宙船か何かに乗って出ていくことができるのです。宇宙の他の場所に行くことができます。

そうした惑星で生きることもできるし、宇宙船の中で自分たちの環境を作り出すためにその鉱物を利用することもできます。分かりませんが、我々は今ベータテスト段階にあるかもしれません。それで最終的に神様は我々が宇宙全体に広がることができるようにし、宇宙全体に満ちるようにさせてくれるのです。

中絶もなく、飢餓で死ぬ人もなく、何兆、何十兆、何千兆という人間が宇宙全体に住むようになります。それが私の説です。賛成の人もいるようですね。それは神様のことです。私は未来のことについてここに立って話すことはできませんし、私にはそうするための力はありませんが、ただ神様のことだというだけです。

「わたしは彼らと平和の契約を結ぶ。これは彼らの永遠の契約となる。わたしは彼らを祝福し、彼らをふやし、わが聖所を永遠に彼らの中に置く」。つまり「平和の契約」だというのです。これもまた天一国憲法のことです。永遠の契約、つまり永遠の憲法ですから修正できません。

「わたしは彼らを祝福し、彼らをふやし、」。ですから何兆、何千兆と増えても飢えることもありません。「わが聖所を永遠に彼らの中に置く。わがすみかは彼らと共にあり、わたしは彼らの神となり、彼らはわが民となる」。もちろん全ての人が神殿となります。

「そしてわが聖所が永遠に、彼らのうちにあるようになるとき、諸国民は主なるわたしが、イスラエルを聖別する者であることを悟る」。神様が全ての紛争などを超えて人々を1つにする時、神様を信じない人たちはそれを見て、あの人たちは1つになっていると言います。

彼らは法廷で戦っていましたが、1つになります。20年、30年、40年前に祝福を受けて離れた人たちが戻ってきています。このようなこと全てが本当かもしれません。もしかしたら異邦人たち、神様を信じず、原理を信じない人がそれを見て、神様の証しとなるかもしれません。

「そしてわが聖所が永遠に、彼らのうちにあるようになるとき、諸国民は主なるわたしが、イスラエルを聖別する者であることを悟る」

神様のみ言に賛美を捧げましょう。ありがとうございました。

ですからこれは、神様が諦めずに平和の世界、希望の世界をもたらし、ご自身の王国をこの地上に造られるという神様の我々への約束です。我々は自分たちの5パーセントを達成しなければならないだけですが、5パーセントには決して希望を失わないということも含まれます。そして神様が共におられ、この地上にいる全ての人と霊界にいる全ての人の心の中で、王国を取り戻すために働いておられるということを常に理解することです。

神様は単なる時計技師のような神様ではありません。何か物事を引き起こしておいて何もしないような方ではないのです。毎日分刻み秒刻みで我々の人生に関わっておられます。たとえ神様を否定しても、神様は全ての人の人生に関わっておられるのです。そして、コミュニケーションのために可能な限り全てのチャンネルを利用されます。

私がどうやって神様を見つけたか知っていますか。私は腎臓で神様を見つけました。話を聞いたことのある人もいるかもしれません。私は大学を卒業した後、世界的な製薬会社に就職しました。研修を受けたのですが、その最初の段階がセールスマンをやることでした。医者のところを回らなければなりませんでした。薬局に行ってそこに在庫があるかどうか確認するというようなことです。

当時市場に出始めていた薬が、レーシックと呼ばれるものでした。目の手術の言葉と似ていますが少し違います。地域の医者や看護師と話すと、高血圧の主力薬剤がまだあるといっていました。しかしそれは1970年代に遡る物で、こちらは新発売になったばかりの物でした。

私は学生時代に生物学があまり得意ではありませんでした。昆虫や植物の名前を記憶できなかったのです。ともかく就職して最初にやらなければならなかったのが、これぐらいの厚さの課題の教材だったのですが、全てが人間の腎臓についての内容でした。

医者と話すのにこの薬がどのように作用するか知らなければならなかったのです。というのも、私の仕事は、会社がお金を払って作った様々な資料を持って行くことであり、それは薬がいかに素晴らしいかを示す内容だったのです。医者にその資料について話し、彼らに競合の薬よりもっとその薬を処方してもらうということです。

それで私がもらったこれぐらいの厚さの課題の本は、全て腎臓に関するものでした。とても昔の話なので全てを覚えていませんが、私が覚えているのは、彼らが私をモーテルに置いたことです。私は学校を卒業したばかりで住む場所がなかったからです。それで彼らは2週間後に来てテストを行うと言いました。

2週間、私は食べて寝る以外はその課題を勉強しました。2週間後に本を閉じると私は独り言を言いました。「ああ、これは素晴らしい」と。なぜなら私は腎臓のことを単にフィルターかふるいのようなものだと思っていたからです。ある物は通してある物は通さないという。しかしそれは、はるかにもっと複雑なものでした。

全てを覚えていないので細かく説明しませんが、体の中の液体の量を調節したり、栄養素を調節したり、あらゆる種類の内容があります。それで、これが任意の抽出で起こるはずがない、というわけです。またこれは1つの臓器だけのことです。他の臓器のことを勉強したら、どれだけ信じられないほどのことになるか考えてみてください。

私はそれ以前にも神様を信じていたと思います。子供の頃からいわば観念的に信じていました。しかしその経験が私にとって決定的なものとなりました。そして数カ月後に私はメシアに出会ったのでした。それで会社は辞めました。腎臓の勉強をして神様を発見したことが、約4カ月後にお父様の教えを受けるための土台を築くのに役立ったのだと思います。

私は上司に、メシアを見つけたので辞めますと伝えました。彼らは、君は若いから選んだ道を行きなさいと言って辞めさせてくれました。そのようにして私は腎臓で神様を見つけた、ということです。神様はその課題を通して、その就職を通じて私に伝えていたのです。

私がその仕事から見つけたことは、神様を見つけたということでした。神様を見つけてそこにいる必要がなかったので、神様は私からその仕事を取り上げました。それが示すのは、神様は様々なチャンネルを通じて人に伝えるということです。通常最も予測していないチャンネルを通じてです。自然のこともあれば、誰かの話のこともあれば、様々な経験を通してのこともあります。

神様はいつも、人と話すため、人に働きかけるために複数のチャンネルのコミュニケーションを使用します。たとえ人が多くの人がするように神様を否定しても神様を憎んでも――また神様は信じるが関係を持ちたくないという人がいますが、そのようにたとえ神様と関係を持ちたくないと言っても、それでも神様はいつも人々に愛を持って伝えようとしています。

ですから神様は素晴らしいのであり、それが神様の愛なのです。単に神様がそのように感じるというのではなく、我々が本体論で学んだように、そうせざるを得ないからです。対象に愛を与えることで喜びと愛を経験したい、という抑えがたい衝動を持っておられるからです。それが本体論における心情の定義です。抑えがたい衝動。抑えがたいものです。

神様はそうせずにはいられません。愛することを止められないのです。誰かが止めさせようとしても、止めることができません。ハレルヤ。神様ありがとうございます。神様に賛美を。アーメン。

おわり

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二代王、国進様、ラスベガスに到着

亨進ニム、ヨナニムはひとあし先に到着されて、ラスベガス西部のレッド・ロック・キャニオンに行かれているようです。(写真から推測)

instag

そして国進ニム、チエニムも無事に到着!

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無事到着されて
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