2019年6月16日英語説教(1)

「エズラとエルサレム再建」

説教:文亨進二代王

翻訳:BANBOOS

今日のみ言に行きましょう。エズラ記5章です。背景を少し話します。神様がこのみ言をくださったのはすごいことです。

これはこの時代の3人の主要な預言者に関するものです。バビロン捕囚時代のことです。エルサレムでは人々が帰還する中で3人の人たちが働いていました。彼らは追放されていたのです。ネブカドネザルはユダヤ人をエルサレムから連れ出し、神殿にあった黄金やつぼなど全てのものを奪い、サタンの神殿に置きます。

エレミヤが預言していたように人々は70年間追放されていました。ネブカドネザルが死に、次の王、キュロス(大王)(訳注:口語訳聖書では「クロス」、英語では「サイラス」と発音)が統治します。その時キュロスは帰還を許すのです。

これが基本的な話の背景です。人々が帰還する中でのことです。どこからかと言えば・・・バビロンに足止めされていました。ペルシャに足止めされていました。キュロスは聖書でメシアとして書かれています。ユダヤ人を救ったからです。ペルシャ――バビロンでの捕囚から解放し、故郷とエルサレムに帰ることを許してくれました。しかし言うまでもなく、神殿は破壊され、ネブカドネザルが来た時にみんな殺されました。

そこでゼルバベルという預言者が神殿を建てようとし始めます。エズラはトーラーの学者のような人で、彼もバビロンから帰ってきたユダヤ人です。彼はエルサレムに帰り、トーラーや聖書の他の部分を教え始めます。そしてユダヤ人のコミュニティを集め始めます。とても重要な人物であり、言うまでもなくネヘミヤは何を作り始めるでしょうか――壁を作り始めます。

ゼルバベルは神殿を建て始め、エズラはコミュニティを再建し、ネヘミヤは壁を作るのです。そうしたことがここで起きていることです。これが背景ですが、詳しく見ていきましょう。

5章の2節から行きましょう。

2:そこでシャルテルの子ゼルバベルおよびヨザダクの子エシュアは立ちあがって、エルサレムにある神の宮を建て始めた。神の預言者たちも、彼らと共にいて彼らを助けた。

神殿は破壊されてその全ての装飾品は奪われ、バビロンの財産として蓄えられたということを思い出してください。キュロス大王はエルサレムへの帰還を許し、他に何を許したでしょうか。神殿にあった物を取り戻すことを許したのです。サタンの神殿から物を持ち出し、自分たちの物を取り戻すことを許しました。興味深いことです。キュロス大王はとても寛大ではないでしょうか。また彼は神殿を再建するための資源も提供します。

人々は70年前に追放されて、今はおじいさん、おばあさんになっています。高齢の人たちです。ついにペルシャからエルサレムに帰還しますが、全て荒れ地となっています。神殿は冒涜されて破壊され、今度はそのチームがバビロンからの援助を受けて再建し始めます。

それで70年前に奴隷となっていた人たちが、神殿の再建を目にして今度は大声で泣いていたと聖書にはあります。余りも大声で泣いたのでラッパと泣き声を区別できなかったというのです。なぜなら喜びの涙があったからです。70年前に奴隷となり、今神殿が再建されてとてもうれしいのです。

驚くべきことに、聖句では感情が変わりやすいことを示しています。彼らは幸福です。神殿は再建されました。しかし、なぜ火の柱はないのか、なぜ力がないのか、と。

エズラが帰ってきて神殿を見ますが、もう力がありませんでした。建物は作ったのですが、神様の火がありませんでした。エズラはそれにとてもがっかりして、今度は別の理由で泣き出すのです。建物は作ってもそこに神様がいないので泣いているのです。

というのも、ゼルバベルと一緒に建設する間、捕囚が帰還していますが、愚かな者たちが女性たちと結婚していたのです。女性をもてあそんでいました。バビロンの女性や、付近の異教の女性と戯れていたのです。

女性たちは徐々に夫に対して力を持つようになります。徐々に夫の信仰を破壊するようになります。そして異教思想を取り入れるようになります。赤ちゃんを殺すのは愛のためだ、女性の権利だ、生殖の権利だと言って。サタンはその地域の異教徒の女性を利用して男性を誘惑させるのです。彼らは信仰を失い、神様を冒涜し始めます。

建物は建てますが本当の悔い改めはありません。本当の信仰はありません。神様に対する本当の愛はありません。建物を建てたぞ、やったー!というだけです。本物の神様の火はないのです。喜びのラッパで帰還して涙を流した人たちは、基礎が作られて神殿が建てられると、「ああ、信じられない」と言って喜びの涙を流しましたが、それも悲しみの涙に変わります。

エズラの時に神殿が建てられますが、それはひどい状態で、神様の力がないからです。神様の霊がありません。幕屋にあったようなものや、火の柱のように内在する物がありません。神様に導かれて、幕屋では1年に1度司祭が入って神様と対面しなければなりませんでした。その神様の力が欠けているのです。

ですからこれは我々にとってとても大切な聖句です。神様は、なぜそうされたか分かりませんが、それを私の心にとても強く印象付けました。なぜなら我々が今、真の父母の記念館を建てようとしているからです。神様はこのような警告を与えておられるのであり、それは素晴らしいことです。何という祝福でしょうか。

明らかに我々は清平のように大きなものを作ろうとはしていません。それほど巨大なものではないのです。しかし我々は真の父母の記念館を建てようとしています。博物館であり歴史的な場所です。そこで人々に、真の父母とは誰であり、真の母とは誰であるか、この女性はだれであるのかを示すのです。

我々はその過程にありますが、我々がこの大建造物を建てても神様の力がそこになければ、なんと悲惨なことでしょうか。それを建てて神様が全ての段階におられるように願いながら、愛がなく、本当の祈りがなく、悔い改めがなかったとしたら。ですからこれは問題です。

(つづく)

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