2019年6月2日英語説教(1)

「神は我々を奴隷ではなく王として作った」

文亨進二代王 説教

翻訳:BANBOOS

今日は申命記5章に行きましょう。出エジプト記20章15節を昨日勉強しました。十戒を見ると盗んではならないとあります。「汝盗むなかれ」です。それが示しているのは第1に、物を所有できるということです。次には、誰かの物を盗むことは大罪であり、神様がとてもお怒りになることだということです。

例えば先週例を挙げましたが、共産主義のように何かを共同で所有して、全員が全員の物を共有するとします。私はリックのネクタイを取ります。それは盗みではありません。私のネクタイだからです。

共産主義のように全てを共同で所有するなら、私があなたの素敵な靴を足から脱がせて取っても盗みではありません。自分の物を取っただけです。問題です。

ですから神様は所有を認めます。というのも神様は所有者であり、主権者だからです。すると人間はみな神様の形に作られたので、主権者でなければなりません。

しかし我々はいつも納得させられ、・・・怠惰、情欲、権力といった罪の誘惑を受け、そうした責任をあきらめてしまい、彼が代わりにやってくれると言います。そのような政府、言うまでもなく天使長の反キリスト的体制の政府では、人間性が奪われてしまいます。あなたはもっと動物のように飼育されてしまいます。

あなたの労力、投資をすべて彼らが盗みます。あなたが何をしても中央政府はさらにあなたから奪います。それが反キリスト的な体制だということを我々は知っています。

聖書にははっきりとあります。詩編第2編を学んだことを覚えているでしょうか。先週も勉強しました。異教の国々を嗣業として与え地の果てまでを所有させると聖句にあります。それが8節です。9節が、鉄の杖をもって彼らを打ち破り、陶工の作る器物のように彼らを打ち砕く、です。

有名な聖句ですが、前者の8節は主権のことを言っています。神様が我々に地球を所有させるということについて話しています。地球は、ニューエイジのカルトの人たちが信じているように、宇宙に浮かぶ偽の女神のようなものではありません。彼らは私をカルトと呼びます。土地を所有すべきであり、自分の身を守る権利を持つべきであり、王と王妃になるべきだと私が言っているので、彼らは私のことをカルトと呼びます。

ニューエイジ・カルトの人たちは大きな政府を推進しており、つまりは共産主義・社会主義の体制を求めているということになります。それは必ず、貧困層と富裕層をさらに階層化します。しかし彼らは言葉巧みに人々にそれを受け入れさせているのです。共有しましょう、貧しい人を助けましょう、と言って。しかし最終的には逆になります。

(略)

左翼や社会主義者の多くが行う議論があります。残念ながら教師や教授が子供に教えているものです。我々は最高の意識を持っている。だから動物に悪いことをすべきではないし、苦痛を止めるべきだ、といったようなものです。

全てが意識に基づいていて、道徳はより高いレベルの意識に基づくのだとしています。つまり我々は宇宙で知る限り最高レベルの意識を持っているので、より高い道徳基準に縛られるのだというのです。あるいは、自分たちで道徳を決めることができるのだと。それは他の生き物や存在に向けて、正しいやり方で徐々に知れ渡るようになるべきだとしています。

その論拠の問題点はこういうことです。もし宇宙の他の存在がもっと高い意識を持っていたらどうでしょうか。仮に狂った悪いエイリアン種族が地球にやってきたとして、彼らが超7次元的な高い意識を持ち、過去も未来も見通せるとしたら。

本当にエイリアンがいると信じてはいませんが、例えばという話です。もっと高い意識を持つ存在がいたら、ということです。意識が脳から出たものだとしたら、もっと大きな脳を持ち、多くの情報を処理できる動物や宇宙の種族がいたらどうでしょうか。それによってより高いレベルの種族になるでしょうか。その種族は効率的で道徳的になることができ、我々が豚や牛を飼育するように、我々を飼育することができるでしょうか。なぜなら我々の意識のほうが低いからです。

より高いレベルの意識を持ち、より賢い種族には低レベルの種族を飼育する正当な権利があるという論拠は破綻します。

実際には意識レベルがもっと高い存在がいないとしても、単なる論理の演習でその論拠の弱点が分かるのです。馬鹿げていてスイスチーズのように穴だらけであることが分かります。

脳の大きさやどれだけのものを処理できるかに基づくものではないのです。たくさんの情報を処理できるスーパーコンピューターが将来他のスーパーコンピューターを産み、そのロボットの種族が人間を飼育するというのでしょうか。まるで多くの未来SF映画でやっているように。より高い脳の機能や高い知能の処理能力、高い意識を持つことで、道徳的になるでしょうか。彼ら自身で道徳を判断し、我々に対することを決定していいのでしょうか。

その論拠からは、それができるということになります。あなたが、最高レベルの意識が道徳を決定すると考えている無神論者であれば。それはヒトラーも、社会主義者や共産主義者、全体主義者もみな信じていたことです。

(略)

そうしたことから、道徳は他のどんな種族からではなく創造主から来たものでなければならないのです。というのも創造主を超える者はいないからです。

創造主をだれが作ったのか、というのは愚かな質問です。創造主は創造の外にいます。時間と空間を超越しています。

自分のことを賢いと思って、神が創造主なら誰がその創造主を作ったのかと質問しようとする人がいます。

しかしそれが影響を及ぼすのは時間と空間の中だけのことです。インテリジェント・マインドは時間と空間の外にあります。時間と空間の中にいるのであれば自分を作ることになってしまうからです。携帯電話を作ろうとする場合、自分が携帯電話の中に入ることはできません。

特に物質の空間と次元にある物質を作ろうとしているなら、その次元の外にいなければなりません。クリスチャンが非物質的と呼ぶものです。時間と空間、宇宙の全ての物質を超越していなければなりません。自分の作ろうとする物質の一部であることはできないのです。

(略)

創世記の23章に行きましょう。これが興味深いのは章全体として、サラが死んだ後、アブラハムは土地を買うための交渉をヘテの人々としているからです。それを見てみましょう。

3節からです。

3:アブラハムは死人のそばから立って、ヘテの人々に言った、4:「わたしはあなたがたのうちの旅の者で寄留者ですが、わたしの死人を出して葬るため、あなたがたのうちにわたしの所有として一つの墓地をください」。5:ヘテの人々はアブラハムに答えて言った、6:「わが主よ、お聞きなさい。あなたはわれわれのうちにおられて、神のような主君です。われわれの墓地の最も良い所にあなたの死人を葬りなさい。その墓地を拒んで、あなたにその死人を葬らせない者はわれわれのうちには、ひとりもないでしょう」。7:アブラハムは立ちあがり、その地の民ヘテの人々に礼をして、

礼をすることは聖書的でないという人がいますが、聖書的なのです。聖書には礼をするところがたくさん出てきます。なぜサンクチュアリは、なぜムーニーは礼をするのか、と。礼は聖書に出てきます。アブラハムはヘテの人々に礼をしています。サラを葬るために交渉していた土地を彼らがくれたからです。一部のアジア人よりもアジア人らしいのです。

8:彼らに言った、「もしわたしの死人を葬るのに同意されるなら、わたしの願いをいれて、わたしのためにゾハルの子エフロンに頼み、

もっと後まで飛ばします。

13:その地の民の聞いているところでエフロンに言った、「あなたがそれを承諾されるなら、お聞きなさい。わたしはその畑の代価を払います。お受け取りください。わたしの死人をそこに葬りましょう」。

彼らはそのほら穴を無料であげると言っています。しかしアブラハムは、いやお金を払いますと言っています。彼は実際、妻を葬るための場所を見つけるために人々と取引の交渉をしています。

つまり、資産の所有のもう1つの例だということです。それは、仲間と、または祖父母、父母、子供の3世代で住めないということではありません。ただ、家族であっても子供たちがあなたの土地の一部を購入するようにしなさいということです。共産主義者のように行動してはいけません。土地の一部をただ与えてはいけないのです。それは共産主義者です。それを王国に持ってきたいとは思いません。そうすれば、次第に悪くなっていきます。

土地を持っていてもただ子供に与えるだけではいけません。彼らに買わせなければなりません。

(つづく)

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