韓お母様の「勅命」に韓国のメンバーが公然とそむいた日

 
2016年5月29日亨進様英語説教から
 
 
韓国で大変なことが起こっています。これは九里家庭教会の写真です。九里教会は教会において最も歴史のある場所です。お父様が数えきれないくらいくらいここで修錬会をされ、祝福のマッチングもその多くがここでおこなわれました。アメリカでは一和ビルとして知られています。九里市にあるので九里教会となっていますが、一和ビルです。宿泊寮もあり修錬会の設備も整っています。お父様が韓国で用いられた主要な修錬所であることを心に留め置いて下さい。

ここが数カ月前、上が何の相談もなくこの施設の売却を進めてきました。韓オモニがそうするよう強く押していたのです。しかしここの信徒たちが反対しました。主要な巡礼地であり、お父様が直接修錬会をされた歴史的な場所であるとして売却に反対したのです。さまざまな紆余曲折を経て、韓オモニは幹部を九里に送って説得するように指示しました。基本的に「売れ」というわけです。この数カ月ここをめぐって内輪揉めがあったのです。

Kingdom Bridegroom   May 29  2016   Rev. Hyung Jin Moon   Unification Sanctuary  Newfoundland PA on Vimeo

この韓オモニと幹部からの売却命令に対して、この写真にも見えるように教会員たちは垂れ幕を玄関に掲げました。垂れ幕には「真の父母さまの第二の故郷、心情の象徴体であるA、B棟を聖地、巡礼地として死守しよう」と書かれています。上級幹部がやって来てなんだかんだいったようですが先週、投票が行われました。

投票の前にも上からの働きかけがあったことは当然です。投票前に「真の父母は一つなのだからお母様の命令と一つになれ」といって「教育」したそうです。投票の結果は賛成101、反対183で、売却話は否決されました。教会員たちはこれが韓オモニの直接の指示だということを十分承知したうえでの決断でした。

牧会者は呼び出されいろいろ話を聞かれたそうです。なぜ売りに出されたかというと九里の地が清平と競合する地だからです。清平を中心にしようとする意図からでたものでした。本部機能をすべて清平にあつめ、またまた何か壮大な「博物館」をつくるという計画もあります。世界で最も素晴らしい博物館で一度はいって出てくるころにはすっかり信者になっているそうです。(笑)
 
 
管理人:今年の初め、仁進ニムにアメリカの牧会カムバックを認め全面的に協力せよとの韓オモニの指示にアメリカの教会員が強く反対してそれがかなわなかったことがある。韓国でも同様のことが起きたようだ。600年程前、神の去ったローマ法王とカトリック教会に対してあちこちから頻々(ひんぴん)と反乱がおこり始めたことを思い出した。同じことを感じた人はクリックを
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全体主義者よ!訴えるなら訴えるがいい!

Kingdom Bridegroom  Rev. Hyung Jin Moon  May 29th  2016  Sanctuary Church on Vimeo2

 

“ ご覧のように、「荒野の王(Wilderness King)」のサインの上に統一マークを掲げています。

不法使用といっています。

全体主義者よ!訴えるなら訴えるがいい!

あれは私のマークです。

私のお父様が私に下さったものです! ”

 

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江利川会長説教 「天一国合衆国憲法とお父様とアメリカ」5月22日・29日

2016年5月22日に江利川総会長が語られた説教の映像です。

5月29日には兵庫県尼崎市内で行なわれた関西博愛教会の礼拝で同じタイトルの説教をされました。


「逆転の王国」天一国の憲法に関心を持った方はクリックを
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説教「自然の王国」要約版 下

2016年5月22日、二代王の説教「自然の王国」の要約版です。

後半では天一国の仕組みがマタイ21章の聖句を読み解く形で解説されます。政府(一部のエリート)が人間的知恵の産物に過ぎない「政策」をもって国のダイナミックな経済活動に介入することを排除し、あくまで神の子たちの自由な経済活動がマクロの次元で最良である(見えざる神の手が働く)という古典的経済自由主義に近い天一国の経済理論が展開されます。個人レベルでは机上の理論の習得よりも一人で、家族単位で生き抜くことのできる実学を身に付けることの必要性と重要性が説かれています。

Kingdom Nature   May 22  2016   Rev. Hyung Jin Moon   Unification Sanctuary  Newfoundland PA on Vimeo

Kingdom Nature 自然の王国 5月22日 2016 【要約版下】

マタイ21章

21:28あなたがたはどう思うか。ある人にふたりの子があったが、兄のところに行って言った、『子よ、きょう、ぶどう園へ行って働いてくれ』。 21:29すると彼は『おとうさん、参ります』と答えたが、行かなかった。 21:30また弟のところにきて同じように言った。彼は『いやです』と答えたが、あとから心を変えて、出かけた。 21:31このふたりのうち、どちらが父の望みどおりにしたのか」。彼らは言った、「あとの者です」。イエスは言われた、「よく聞きなさい。取税人や遊女は、あなたがたより先に神の国にはいる。」

パリサイ人がイエス様を問い詰めようと迫っているところです。パリサイ人は、同意したが働かなかった息子と最初、拒否したが働きにでた息子、どちらが父の心にかなうか、というイエス様の問いにたいして「あとの者です」と答えます。普通はこう答えますよね。皆さんもこう答えるでしょう。最初ぼやきはしたがとにかく仕事をこなした。イエス様はそれに対して、「よく聞きなさい。取税人や遊女は、あなたがたより先に神の国にはいる」と答えられました。

これは一体どういうことでしょうか。理解に苦しむところです。イエス様が正しいとしたものは実は前者(行くと答えたが、行かなかった息子)だったということです。

キリスト教世界では2000年間この聖句の解釈で混乱してきました。

この聖句を天一国憲法の観点からみていくことにしましょう。イエス様は国家レベルで語っておられるので国家レベルの話をしましょう。登場する「息子」を「国家」と読みかえます。

「ぶどう園」は経済を象徴しているとみなしていいでしょう。
弟は「いやです」と答え、考えを変えて「ぶどう園」で仕事をします。しかし兄は「わかりました」と答えながら「ぶどう園」で仕事をしませんでした。

「ぶどう園」では畑で「ぶどう」だけが育つようにする、つまり草を取り除き、その他の野草を取り除いて「ぶどう」が畑を独占することを進めていくのではないですか。正しいですか、正しくないですか。競争を排除することです。

ですから息子つまり国が経済に介入して独占を認めるということ、これがすべての知識人がよいと認めることだというのです。

いわゆる知識層と呼ばれる人々は市場経済に介入することに大きな関心を持っています。市場は野放図で無秩序、放っておくと独占が起きるなどと考えているのです。問題はそのような計画経済、経済政策の行きつくところは彼ら自身が「独占者」になるということです。彼らが「独占者」となって市民活動のすべてに規制の網を張りめぐらせて市民を窒息させるのです。

それらは結局、王国を破壊することになるのです。
「何もしない王こそ、最高の治世をほどこす王である」これは老子道徳経にあることばです。国民の生活に介入しない王が良いというのです。それが最良の治世をほどこすことになるというのです。4000年前の文書です。

ではもう一人の息子、国はどうしたのでしょう。「ぶどう園」に行きますと答えて何もしない、介入しないということです。もちろん個人レベルで考えればぶどうを育てるためにはいろいろと畑に手を入れなければなりませんがここでは国家レベルで考えて下さい。

市場にまかせること、国がいたずらに介入しないことこそ価格が安定し生産が伸び、最高の技術革新を招き経済の繁栄を達成する手立てなのです。ですから国家レベルにおいて、「気が進まないけれど、ここは市場に介入しよう」という者たちこそ経済システムを破壊に導くのです。逆に「経済分野は何とかしてみましょう。しかし市場に介入することはしません」という者達こそ市場を機能させ、経済を良くし、生産、労働においても事態を好転させるのです。そして人々は自由と責任にもとづいて選択の自由を行使して経済が自律的にまわるようになるのです。このような考え方は常識を裏返したもののように思えるでしょう。なぜならいつも個人レベルで物事を解釈するからです。

中央主導の市場介入型の経済システムを採用する国は、「ぶどう園」に入り込んで「働く」がゆえに例外なくその国の経済システム、エコシステムを破壊してしまいます。だからいま私とグレッグさんは2人で別の農業の方法を研究しています。パーマカルチャーというものです。そこでは植物間の生態系を利用して自然と共生していきます。すべてが自然のままに野生を保ちながらも互いに連携し合う世界です。余計な介入なしに自然のままに育ち実ります。そして一種類の作物を栽培するやり方の数倍の成果を得ることができます。それがパーマカルチャ―といわれるものです。聞いたことのある人はいますか。こうしたものが大きな違いを生みだします。

この考え方は天一国にとっても重要です。天一国は自然の王国として存在します。自然の特性をよく理解することです。パーマカルチャーがそのよい例です。是非学んでみて下さい。生態系の何たるかを教えてくれます。こういうことについて私の息子、お父様が三代王に指名された息子と話をしたのです。その原則を息子に教えました。そうすることで、最高の王になるには介入を最小限に抑えるのがよいのだな、と悟ってくれるでしょう。これが天一国憲法の中でも重要な部分です。

息子を国と読みかえ、ぶどう園を経済社会と読みかえるときイエス様がなぜ二番目の息子が天国に入るといったのかが分かるのです。個人的に見るときこの息子は怠惰で愚かに見えるかも知れませんが、王が持たなければならない心構えなのです。自由な交わり、自由な社会に介入しないことが大切です。人々を強制するのではなく良心の決断にゆだねるのです。善悪の判断を強制ではなく良心に求めるのです。善を成せば善は自分に戻ってくるからです。

マタイ21章

21:33~21:43それだから、あなたがたに言うが、神の国はあなたがたから取り上げられて、御国にふさわしい実を結ぶような異邦人に与えられるであろう。

天国は王、つまりキリストの共同相続者たちのものです。キリストと共に治めるのです。サタン世界では王様のみが持つことを許された主権をそこではすべての国民がもつことになります。税を課されない権利、自衛権、武器を所持する権利、これらは王の特権であって市民の権利ではなかったのです。天一国ではこれが逆転します。国民が王の権利をすべてもつのです。王の王はメシアに連なる者であり、そこで天一国憲法が生まれました。そこが権利の始点になります。そこに実質的につながることが権利の源泉になります。王の王は王権のラインですが国民を支配する軍隊、マフィアのように国民を痛めつける中央警察などをもつものではありません。王国の原則に従わなければならないのです。そして国民を天につなげる位置に立っているのです。

イエス様はパリサイ人にこういいます-「神の国はあなたがたから取り上げられて、御国にふさわしい実を結ぶような異邦人に与えられるであろう」。ユダヤ人の中でも最も熱心な信仰者であるパリサイ人から神の国が取り上げられるといっているのです。常に律法を学び、敬拝をしたり祈ったり悔い改めをしているのがパリサイ人です。その彼らから天国はとりあげられ実を結ぶ異邦人に与えられるとあります。

天一国は生産者の国であると何度もいいました。物作りを学ぶことが重要です。自分で自分を養うことのできるスキルを身に付けるのです。そして子供たちにエコシステム、パーマカルチャー、アクアポニックス(さかな畑)などを学ぶよう奨励することです。大工仕事、電気の配線など自立して生きるための手立てを学び、外部のシステムや技術者に頼らなくても良いようにするのです。どこに行こうとも、食べ物から住むところまで調達できれば自由に生きることができます。こういうことは現在のアメリカや西欧の教育にはありません。原始の人々はわれわれよりずっとそういう知識をもっていました。熊本では水道が止まってしまいました。さあどうしますか。電気もこない。昔の人はそれが普通ですから全く問題ないのです。

自然界を理解し、おそれなく自然と関わることができる知識から遠く離れてしまいました。

ぶどう園をめぐってまた別のたとえ話がありました。作ったぶどう園を農夫に貸し出す話です。天一国憲法では国々は自由に交わり、同盟することが認められています。共産主義国家でもいいのです。それらが一緒になって交易することができます。中国銀行のようなものが来てビジネスをしても構いません。この聖句にある貸し出された農夫と同じです。

しかしその農夫が「ここはもうわれわれのものだ」などといい出すようになるといけません。オーナーから送られた息子を殺すようになってはいけないというのです。「ここはわれわれのものだ」、こういいだすことは許されないのです。外国の機関、企業が天一国で経済活動して自ら養うことは自由です。しかしこれが「ここはわれわれの管轄だから中国国内法を適用する」などといい出すことを許しません。「さあ、われわれの都合のいいように天一国憲法を変えよう」などといい出すことを許さないのです。そうなれば強制的に取り上げて天一国に編入します。

このぶどう園の主人が帰ってきたら、この農夫たちをどうするだろうか」。 21:41彼らはイエスに言った、「悪人どもを、皆殺しにして、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに、そのぶどう園を貸し与えるでしょう」。

天一国憲法ではまた戦争を始める時の規定があるます。他国に天一国の一部が侵略された時、天一国議会は武力行使を取るべきか否かを検討します。すべての国にこの種の規定があります。地域に限定される場合は「いまわしい者」をそれに見合う結末を迎えさせる方法を地域の管轄で判断します。一方国家間の外交レベルでもそのレベルに応じてこのような「よこしまな農夫たち」に対処する相応の対応策が憲法で規定されています。

来るべき神の国の預言の完成体となるべき天一国憲法の観点から見るとき、聖句の意味が明らかになるのです。現代キリスト教では聖句に対するこういう分析がなされているとは思いません。それはまだ天一国憲法が公に出回っていないからです。一度これに触れると、神様の霊を受け啓示としてイエス様が神の国の内容として語った聖句の意味がわかるのです。これまでその意味が分かりませんでした。

これは私たちの共同体にとっても大切なことです、とくに資産を所有する場合にはそうでしょう。社会主義のように共同管理の土地などのようなものはありません。ニューエイジ・コミュニティー運動などというものがありましたが、共産主義そのものです。それを人々に広めようとしているのです。地獄で暮らすようなものです。

私たちはそれに対して、コミュニティーのメンバーには個人でもオーナーになることを勧めています。自由に活動し合うオーナーです。世代を通して独立した者同士がともに相互協力し合いながら、しかし依存はしない。天一国の憲法の観点からイエス様の聖句をよむことの重要性はここにあります。このような観点で読むとき天一国が逆転の王国であることがはっきりわかるのです。普通に考えていたらこれはわかりません。国家レベルの話として聖句をとらえてみるときよく理解できるのです。

今、若者たちに格闘技のトレーニングを盛んにおこなっていますが、将来的にはブッシュクラフトなども礼拝後の適当な時間におこなっていきたいと思っています。自主独立のためのこうしたスキルを身につけたい人はここに来れば、多くの経験豊かな人々から学ぶことができるでしょう。自分を高める努力をしてください。ビデオゲームや韓流ドラマ、こういう麻薬のようなものはうち捨てて下さい。

ますます知識を高め、自己を啓発しましょう。他を助け、家族を助け来るべき天一国の主人になりましょう。

天聖経674(英語版)

イエス様が願った天国が心の天国ならば、心の天国を越えて環境の天国を築くということは永遠に不可能なのです。家庭天国を越えて、社会天国を築き、国家天国を築くというのは永遠に不可能です。世界天国はいつ成されて、天上天国はいつ成し遂げられるのでしょうか。メシヤには、万民を救い、霊界を解放して、神様を解放させるべき責任があるのです。

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説教「自然の王国」要約版 上

2016年5月22日、二代王の説教「自然の王国」の要約版を前半と後半の上下に分けて掲載します。

前半はピューリタン精神が建国の理念であったアメリカがその生誕から240年後にはローマ帝国の末期の再現(同時性)のごとき性的倒錯・混乱に陥る姿を嘆くとともに、韓氏オモニの堕落の動機と経路が描かれます。実質を失った「真の父母一体」を無知から題目のように唱え盲信する教会員、事実を見ることのできないあるいは保身から意識的無意識的に事実から目をそむける教会員を「脳死したゾンビ」と厳しく糾弾されます。

Kingdom Nature   May 22  2016   Rev. Hyung Jin Moon   Unification Sanctuary  Newfoundland PA on Vimeo

Kingdom Nature 自然の王国 5月22日 2016 【要約版上】

マタイ21章
21:28あなたがたはどう思うか。ある人にふたりの子があったが、兄のところに行って言った、『子よ、きょう、ぶどう園へ行って働いてくれ』。 21:29すると彼は『おとうさん、参ります』と答えたが、行かなかった。 21:30また弟のところにきて同じように言った。彼は『いやです』と答えたが、あとから心を変えて、出かけた。 21:31このふたりのうち、どちらが父の望みどおりにしたのか」。彼らは言った、「あとの者です」。イエスは言われた、「よく聞きなさい。取税人や遊女は、あなたがたより先に神の国にはいる。 21:32というのは、ヨハネがあなたがたのところにきて、義の道を説いたのに、あなたがたは彼を信じなかった。ところが、取税人や遊女は彼を信じた。あなたがたはそれを見たのに、あとになっても、心をいれ変えて彼を信じようとしなかった。

私たちはいま深刻で苛烈な時代を暮らしています。ヨーロッパも(移民問題で)たいへんなことになっています。アメリカの大統領選挙も激しい選挙戦になるでしょう。

アメリカを崩壊させようとしているホモ・セクシュアルやトランス・ジェンダーはホモ・セクシュアルからトランス・ジェンダーへと問題が変化していますが、政府がこれを進めているのです。人々が性別を自由に選んでいいというものです。常識も良識も窓の外に投げ捨てるようなものです。こういった現象は性的に混乱する社会を象徴しています。

狂ったことがおきています。リベラルな雑誌は性的に混乱する人々を「勇敢だ」と称賛しています。これをスーパー・エリート達が後押しし、大衆文化が後押ししているのです。もはや誰も何が善で何が悪かを判断できないのです。文化の寿命が尽きようとしているのです。崩壊の淵に立っているのです。世界の現状を見て悲しみを覚えます。

これらは内的摂理と連動しているようです。私たちはお父様の冒涜が進められていくのを知りながらそこに居続けることは不可能でした。お父様に忠実でありたかったからです。オモニは対象の立場を離れ、王の王の周りをまわることをやめました。オモニがすべての権力を手にしたとき、自分に反射する神の息子の栄光を目にしました。王の王に対する尊敬が自分に注がれ、王の王のまわりをまわるすべてのものが自分のまわりをまわっていることに気づいたのです。

そしてお父様の王位を簒奪(さんだつ)し、お父様を歴史から消し去ろうとし始めました。自分を中心とする完全に異端の宗教を開始したのです。正統な相続者、代身者である私に対抗し非難するため史吉子(サ・キルジャ)という36家庭の人物を送って巡回させました。

その彼女が公式の場で「お父様は亨進さまを推されましたが、お母様は違います。お母様は『駄目です』と言われたのです」と言っています。それでも家庭連合は「真の父母は一つだ」と言い続けているのです。

マルクス主義者と議論するのとなんらかわりません。こちらが証拠を上げて反論しても題目のように「真の父母は一つ」を繰り返すだけです。脳死したゾンビと議論するようなものです。「真の父母は一つでない」ことは近くにいる者たちは知っているのです。

先週清平でこう話しています。

神様は人類に対する夢があり、人間を創造されました。
しかし人間の堕落は天の父母様の痛みであり、
悲しみであり、恨でした。

それで、堕落した人間を取り戻すための
蕩減復帰摂理歴史が始まりました。

過去二千年前、イエス様当時には
マリヤとザカリヤと、ユダヤ教とイスラエル民族が
一つになれずに、侍ることが出来ませんでした。
イエス様が成そうとされた環境を
作って差し上げることが出来ませんでした。

しかし六千年ぶりに天が探し立てられた、
独り娘の基盤を通して、天は勝利されました。

大母様はその名の通り、大きな母です。
堕落した人類の前に、最も近く、彼らを抱き、
真の父母様の前に出ることを可能にする、
恩賜と恩寵を与えることの出来る大母様です。

以前にもいいましたが、オモニが話しをすれば話すほど本音が出てくるのです。個人的にはオモニは私の母親ですが、そういう感情は抜きにして現実を見て下さい。家族全員が自由な世界の建設を目指して共産主義や社会主義などのマルクス主義と闘ってきたにもかかわらずお父様が亡くなったとたんに母親がマルクス主義者になった。どうしますか。こうするしかありません。それは名誉の問題というよりも、そもそも大きな間違いだからです。

もはや家庭連合にはキリスト教徒や主の再臨と御国建設を待ち望む用意された人々をつなげる道は一切ありません。そういうことを惰性で口にしたとしてもそれを実現する望みはゼロです。なぜならいま懸命にサタンの王国をつくっているからです。

それは彼らがつくった完璧に全体主義的な「天一国憲法」に現れています。

これまで飽きるほど続いた全体主義の焼き直しである憲法と真のお父様の血統を引き継ぐ王権である真の憲法を見分けることができます。お父様には多くの子孫がいますが王権は一つです。家庭詐欺連合は血統圏にあるものを指さしてわれわれにも血統を受け継ぐ者がいるといっています、また母違いのサミー(パク)や聖進兄さんもいます。子供や孫はたくさんいても、王の王が決定した王統の血統はただ一つです。その血統をとおして摂理はまわるのです。聖書にも出ていますが、王の血統は一つです。その一つの王統にもとづいて王国は建設されるのです。

いま清平では何と言っていますか。大母ニムが真のお父様以上に人々に恩恵を下すといっています。大母ニムはおばあさん、オモニの母親です。その大母ニムが天では母なる神だというのです。そして韓オモニは自分のことを地上に送られた独生女であり、キリスト教歴史の結実だといっています。できるものならキリスト教徒にそう説明してみなさい。キリスト教徒は善悪を見抜きます。これは神から来たものか、サタンから来たものであるか見抜くというのです。これらは単なるアッシリアやバビロニア、エジプトなどで飽き飽きするほどみてきた異端にすぎません。唯一の神様という枠から外れるとたちまち二神教に移行します。そして二神教に移行すると間違いなく多神教になってしまうのです。お父様の子孫から「私は神だ」といいだすものが間違いなく出てくるのです。これまで飽きるほど見てきた内容です。

私たちが王国について詳しくいま学んでいることも偶然ではありません。聖書のなかで「御国の便りが全世界に及ぶとき、終わりが来る」とイエス様もいっています。王国がまず語られなければならないのです。それから終わりが来るのです。国進兄さんも何度もいっています。神様の審判を通過すると世界はこれまで私たちが暮らしていた世界と全く変わってしまいます。戦争がエスカレートして核戦争にまで及ぶとするなら、私たちがこれまで学校で学んだ世界地図の線引きも全く変わってしまうということです。世界が変えられるというのです。それは確実です。サタンの支配は終わりますが、彼らも徹底的に抵抗するでしょう。
私も何度もいいましたが。皆さん、これから悪くなることはあっても良くなることなどありません。去年から私がいっていることが実際に起こっていることが分かります。経済は崩壊するといいましたね。神のみ言の書でそれらはすでに予言されているのです。迫害と戦争、疫病に自然災害などが起こる。それらが途切れることなく起こります。特にキリストを信じる者に起きるのです。

私たちはイサクの世代に立たされています。犠牲の祭壇、神の祭壇にのぼる覚悟が必要です。
誰が生き残り誰が犠牲になるのか分かりません。それは神様だけがご存じです。ただ私たちにわかっていることは審判が永遠に続かないということです。迫害と困難には終わりがあります。しかしそうなるまでは状況は悪化の一途を辿るでしょう。こういう話をすることはつらいのです。なぜなら気分のいいことではないからです。

だから人々は現実離れした、たとえ嘘でも耳ざわりのいい話を聞きたがるのです。

ここの若者も格闘技を学んでいますが、現実と向き合うことはすごいことでありしかも重要です。自分は結構いけるのではないかと思っていても、本物の格闘家と戦えば直ちに倒されてしまいます。殺されるかもしれません。だから格闘技を学ぶことは現実と直面することであり貴重だというのです。自分は黒帯だ、といっても本物の格闘では通用しません。

現実を直視するとき目が覚めます。

3年前、韓オモニと一緒にいるとき、幾度となく信じられないほどの傲慢さを実感させられました。「すべてはうまくいくのだ」「前向きに考えなさい」「良い風に考えなさい」などなど。楽しい未来を描いても、それだけでは現実になりません。柔術を学んでいる者達、前向き思考だけで強者を倒せますか。

現実を知り、ショックを受けたうえで努力して前に進むのです。私たちが王国について考えをめぐらせるのは、世界政治、世界経済における大規模な嘘、大規模な腐敗、内的摂理においては家庭連合内の腐敗と崩壊、こういうものを直視するためです。
家庭連合は「お母さまは全ての訴訟を取り下げられた」といいながら実の息子に対して訴訟を起こしています。

母親が実の息子、お父様の後継者に対して訴えを起こしているのです。現実をみて色々感じることもあるでしょう、でもそれが現実です。宣伝文句を信じ続けて現実を無視し続けることはできないのです。家庭連合の人々も現実を知らされることが多くなってきました。現実から身を隠すことはできません。

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「自然の王国」2016年5月22日説教(全文)【英語説教日本語訳】

Kingdom Nature   May 22  2016   Rev. Hyung Jin Moon   Unification Sanctuary  Newfoundland PA on Vimeo2

 

マタイ21章
21:28あなたがたはどう思うか。ある人にふたりの子があったが、兄のところに行って言った、『子よ、きょう、ぶどう園へ行って働いてくれ』。 21:29すると彼は『おとうさん、参ります』と答えたが、行かなかった。 21:30また弟のところにきて同じように言った。彼は『いやです』と答えたが、あとから心を変えて、出かけた。 21:31このふたりのうち、どちらが父の望みどおりにしたのか」。彼らは言った、「あとの者です」。イエスは言われた、「よく聞きなさい。取税人や遊女は、あなたがたより先に神の国にはいる。 21:32というのは、ヨハネがあなたがたのところにきて、義の道を説いたのに、あなたがたは彼を信じなかった。ところが、取税人や遊女は彼を信じた。あなたがたはそれを見たのに、あとになっても、心をいれ変えて彼を信じようとしなかった。

私たちはいま深刻で苛烈な時代を暮らしています。これは世界のどこを見てもいうことができます。ヨーロッパも(移民問題で)たいへんなことになっています。アメリカの大統領選挙も激しい選挙戦になるでしょう。先週、NATO(北大西洋条約機構)の長官を務めた経験のある人が「2017年にロシアと西側諸国の間で核戦争が十分起こりうる」と発言しました。その理由としてシリア、ウクライナをめぐる確執が上げられます。

アメリカを崩壊させようとしているホモ・セクシュアルやトランス・ジェンダーをロシアはまだ受け入れていません。ロシアは自分で破滅はしたくないということです。アメリカではホモ・セクシュアルからトランス・ジェンダーへと問題が変化していますが、政府がこれを進めているのです。人々が性別を自由に選んでいいというものです。月曜は少年で、火曜は少女になる。それを非難すると、人種差別主義、非人道主義の烙印を押されるのです。常識も良識も窓の外に投げ捨てるようなものです。こういった現象は性的に混乱する社会を象徴するものです。

そして性に関する文化全体が変容するとき、生物学的なXY遺伝子の存在を無視してまで、人々は「今日は男性、明日は女性」というものを受け入れることをせまられます。性転換などをしても生物学的男性、女性の区別はなくすことはできません。こんあたり近くのあるポコノの高校でも、男子生徒が自分はトランス・ジェンダーだといえば女子トイレ、女子のロッカールームを使うことができるのです。シャワーも女子生徒と一緒につかうのです。

こういう狂ったことがおきているのです。リベラルな雑誌は性的に混乱する人々を「勇敢だ」と称賛しています。これをスーパー・エリート達が後押しし、大衆文化が後押ししているのです。もはや誰も何が善で何が悪かを判断できないのです。経済が落ち込むだけではなく、性にまつわる文化においても激しく劣化し、善悪の区別がつかないようになっています。文化の寿命が尽きようとしているのです。崩壊の淵に立っているのです。世界の現状を見て悲しみを覚えます。

これらは内的摂理と連動しているようです。今週、韓オモニが話した内容を見て下さい。私たちが宮殿に居続けることができなかったわけは皆さんももうお分かりだと思いますが、お父様への冒涜が進んでいく中でその場に残ることが不可能だったのです。姦淫者、売春婦であると同時に貞節な家庭を守ることができないの同じです。どちらか選ばなければなりません。王宮ではすべてのことが公になる前にすでにこの事実がありました。だからそこから離れたのです。お父様に忠実でありたかったからです。対象の立場を離れ、王の王の周りをまわることをやめました。オモニがすべての権力を手にしたとき、自分に反射する神の息子の栄光を目にしました。王の王に対する尊敬が自分に注がれ、王の王のまわりをまわるすべてのものが自分のまわりをまわっていることに気づいたのです。

そしてお父様の王位を簒奪(さんだつ)し、お父様を歴史から消し去ろうとし始めました。自分を中心とする完全に異端の宗教を開始したのです。正統な相続者、代身者である私に対抗し非難するため史吉子(サ・キルジャ)という36家庭の人物を送って巡回させました。

その彼女が公式の場で「お父様は亨進さまを推されましたが、お母様は違います。お母様は『駄目です』と言われたのです」と言っています。それでも家庭連合は「真の父母は一つだ」と言い続けているのです。

マルクス主義者と議論するのとなんらかわりません。こちらが証拠を上げて反論しても題目のように「真の父母は一つ」を繰り返すだけです。脳死したゾンビと議論するようなものです。「真の父母は一つでない」ことはこのようにそばにいる者たちは知っているのです。

先週清平でオモニはこう話しています。

神様は人類に対する夢があり、人間を創造されました。
しかし人間の堕落は天の父母様の痛みであり、
悲しみであり、恨でした。

それで、堕落した人間を取り戻すための
蕩減復帰摂理歴史が始まりました。

過去二千年前、イエス様当時には
マリヤとザカリヤと、ユダヤ教とイスラエル民族が
一つになれずに、侍ることが出来ませんでした。
イエス様が成そうとされた環境を
作って差し上げることが出来ませんでした。

しかし六千年ぶりに天が探し立てられた、
独り娘の基盤を通して、天は勝利されました。

大母様はその名の通り、大きな母です。
堕落した人類の前に、最も近く、彼らを抱き、
真の父母様の前に出ることを可能にする、
恩賜と恩寵を与えることの出来る大母様です。

以前にもいいましたが、オモニが話しをすれば話すほど本音が出てくるのです。個人的にはオモニは私の母親ですが、そういう感情は抜きにして現実を見て下さい。家族全員が自由な世界の建設を目指して共産主義や社会主義などのマルクス主義と闘ってきたにもかかわらずお父様が亡くなったとたんに母親がマルクス主義者になった。どうしますか。こうするしかありません。それは名誉の問題というよりも、そもそも大きな間違いだからです。

もはや家庭連合にはキリスト教徒や主の再臨と御国建設を待ち望む用意された人々をつなげる道は一切ありません。そういうことを惰性で口にしたとしてもそれを実現する望みはゼロです。なぜならいま懸命にサタンの王国をつくっているからです。

それは彼らがつくった完璧に全体主義的な「天一国憲法」に現れています。見識のある人々はそれを見抜くことができます。

これまで飽きるほど続いた全体主義の焼き直しである憲法と真のお父様の血統を引き継ぐ王権である真の憲法を見分けることができます。お父様には多くの子孫がいますが王権は一つです。家庭詐欺連合は血統圏にあるものを指さしてわれわれにも血統を受け継ぐ者がいるといっています、また母違いのサミー(パク)や聖進兄さんもいます。子供や孫はたくさんいても、王の王が決定した王統の血統はただ一つです。その血統をとおして摂理はまわるのです。聖書にも出ていますが、王の血統は一つです。その一つの王統にもとづいて王国は建設されるのです。

いま清平では何と言っていますか。大母ニムが真のお父様以上に人々に恩恵を下すといっています。大母ニムはおばあさん、オモニの母親です。その大母ニムが天では母なる神だというのです。そして韓オモニは自分のことを地上に送られた独生女であり、キリスト教歴史の結実だといっています。できるものならキリスト教徒にそう説明してみなさい。キリスト教とは善悪を見抜きます。これは神から来たものか、サタンから来たものであるか見抜くというのです。これらは単なるアッシリアやバビロニア、エジプトなどで飽き飽きするほどみてきた異端にすぎません。唯一の神様という枠から外れるとたちまち二神教に移行します。そして二神教に移行すると間違いなく多神教になってしまうのです。お父様の子孫から「私は神だ」といいだすものが間違いなく出てくるのです。これまで飽きるほど見てきた内容です。

私たちが王国について詳しくいま学んでいることも偶然ではありません。聖書のなかで「御国の便りが全世界に及ぶとき、終わりが来る」とイエス様もいっています。王国がまず語られなければならないのです。それから終わりが来るのです。国進兄さんも何度もいっています。神様の審判を通過すると世界はこれまで私たちが暮らしていた世界と全く変わってしまいます。戦争がエスカレートして核戦争にまで及ぶとするなら、私たちがこれまで学校で学んだ世界地図の線引きも全く変わってしまうということです。世界が変えられるというのです。それは確実です。サタンの支配は終わりますが、彼らも徹底的に抵抗するでしょう。
私も何度もいいましたが。皆さん、これから悪くなることはあっても良くなることなどありません。去年から私がいっていることが実際に起こっていることが分かります。経済は崩壊するといいましたね。神のみ言の書でそれらはすでに予言されているのです。迫害と戦争、疫病に自然災害などが起こる。それらが途切れることなく起こります。特にキリストを信じる者に起きるのです。

私たちはイサクの世代に立たされています。犠牲の祭壇、神の祭壇にのぼる覚悟が必要です。
誰が生き残り誰が犠牲になるのか分かりません。それは神様だけがご存じです。ただ私たちにわかっていることは審判が永遠に続かないということです。迫害と困難には終わりがあります。しかしそうなるまでは状況は悪化の一途を辿るでしょう。こういう話をすることはつらいのです。なぜなら気分のいいことではないからです。

だから人々は現実離れした、たとえ嘘でも耳ざわりのいい話を聞きたがるのです。たとえば政治家が「アメリカ経済はこれまでにないほど好調です」と言うなら、現実には最低の状況であるにもかかわらず、「なるほど」と納得してしまいます。アメリカは20兆ドルの負債を抱えています!ある専門家の中には1200兆ドルの負債だと推定する者もいます。

これはもはや狂気の世界です。嘘と政治宣伝に満ちた世界に暮らしています。テレビドラマを見てもビデオゲームなど、どこを見てもその中で人を欺くような情報が常に送られてきます。現実を直視することは難しいことですが、そうすることが唯一の薬です。

ここの若者も格闘技を学んでいますが、現実と向き合うことはすごいことでありしかも重要です。自分は結構いけるのではないかと思っていても、本物の格闘家と戦えば直ちに倒されてしまいます。殺されるかもしれません。だから格闘技を学ぶことは現実と直面することであり貴重だというのです。自分は黒帯だ、といっても本物の格闘では通用しません。

現実を直視するとき目が覚めます。そうしてそこから段階を踏んで向上していく過程が始まるのです。このように現実に向き合うこと、現実を直視することこそ、知的な分野でも他の様々な分野でも重要だというのです。とんでもない状況であったとしても現実と向き合うのです。

3年前、韓オモニと一緒にいるとき、幾度となく信じられないほどの傲慢さを実感させられました。「すべてはうまくいくのだ」「前向きに考えなさい」「良い風に考えなさい」などなど。楽しい未来を描いてもそれだけでは現実になりません。

柔術を学んでいる者達!前向き思考だけで強者を倒せますか。

現実を知り、衝撃を受けてなを、努力して前に進むのです。私たちが王国について考えをめぐらせるのは、世界政治、世界経済における大規模な嘘、大規模な腐敗、内的摂理においては家庭連合内の腐敗と崩壊、こういうものを直視するためです。
家庭連合は「お母さまは全ての訴訟を取り下げられた」といいながら実の息子に対して訴訟を起こしています。

母親が実の息子、お父様の後継者に対して訴えを起こしているのです。現実をみて色々感じることもあるでしょう、でもそれが現実です。宣伝文句を信じ続けて現実を無視し続けることはできないのです。家庭連合の人々も現実を知らされることが多くなってきました。現実から身を隠すことはできません。

マタイ21章

21:28あなたがたはどう思うか。ある人にふたりの子があったが、兄のところに行って言った、『子よ、きょう、ぶどう園へ行って働いてくれ』。 21:29すると彼は『おとうさん、参ります』と答えたが、行かなかった。 21:30また弟のところにきて同じように言った。彼は『いやです』と答えたが、あとから心を変えて、出かけた。 21:31このふたりのうち、どちらが父の望みどおりにしたのか」。彼らは言った、「あとの者です」。イエスは言われた、「よく聞きなさい。取税人や遊女は、あなたがたより先に神の国にはいる。」

この場面を想像して下さい。パリサイ人がイエス様を問い詰めようと迫っているところです。パリサイ人は、同意したが働かなかった息子と最初、拒否したが働きにでた息子、どちらが父の心にかなうか、というイエス様の問いにたいして「あとの者です」と答えます。普通はこう答えますよね。皆さんもこう答えるでしょう。最初ぼやきはしたがとにかく仕事をこなした。イエス様はそれに対して、「よく聞きなさい。取税人や遊女は、あなたがたより先に神の国にはいる」と答えられました。

これは一体どういうことでしょうか。理解に苦しむところです。イエス様が正しいとしたものは実は前者だったということです。あとの者は最初断ったがとにかく仕事をした、だからこちらが正しいという答えにイエス様は「取税人や遊女があなた方より先に神の国に入る」といわれました。取税人は金のためにユダヤ人でありながらユダヤ人を売るものであり、遊女は金のためにその身を売るものです。いかなる道徳、律法にてらしても先の息子が正しいではありませんか。

キリスト教世界では2000年間この聖句の解釈で混乱してきました。
パナマにある兄弟がいます。今日もこのライブ映像を見ていることでしょう。南米の大陸リーダーにつながったのですが、キリスト教会で格闘技を教えています。彼がキリスト教の牧師さんと一緒に聖句を読んだそうです。するとその牧師は「20年間この聖句で悩んできたがいま初めてこの意味がわかりました」といったそうです。天一国憲法の力はそれほど大きいということです。神様の血統のつらなる王権の力です。

この聖句を天一国憲法の観点からみていくことにしましょう。イエス様は国家レベルで語っておられるので国家レベルの話をしましょう。

ここでは父と二人の息子が登場します。それは父なる国、つまり天一国憲法を採用した最初の国とみなすことができます。そしてそこから派生する国々がある、それが息子です。また共和国である限り天一国合衆国に参加することも可能です。また「ぶどう園」はなにをたとえているのでしょう。ぶどう園は果実を収穫するところです。国家レベルで考えるとき、この「ぶどう園」は経済を象徴しているとみなしていいでしょう。
すると弟は「いやです」と答え、「ぶどう園」で仕事をします。しかし兄は「はい分かりました」と答え、「ぶどう園」で仕事をしませんでした。「ぶどう園」での仕事の意味をみていきましょう。園芸をしている人はいますか?

「ぶどう園」ではぶどうをどうするのですか。その畑で「ぶどう」だけが育つようにする、つまり草を取り除き、その他の野草を取り除いて「ぶどう」が畑を独占することを進めていくのではないですか。正しいですか、正しくないですか。競争を排除することです。

ですから息子つまり国が経済に介入して独占を認めるということ、これがすべての知識人がよいと認めることだというのです。マルクスは「宗教はアヘンだ」といいましたが「マルクス主義は知識人のアヘンだ」という人もいます。たいがいの博士号取得者などの有識者、知識人は多かれ少なかれ不可知論的無神論者あるいはマルクス主義者であるといえます。

現実にはいわゆる知識層と呼ばれる人々は、中央による計画経済、経済政策を市場経済に導入することに大きな関心を持っているのです。市場は野放図で無秩序、放っておくと独占が起きるなどと考えているのです。問題はそのような計画経済、経済政策の行きつくところは彼ら自身が「独占者」になるということです。彼らが「独占者」となって市民活動のすべてに規制の網を張りめぐらせて市民を窒息させるのです。

ここにもいろいろなビジネスを始めようとしている若者がいますが、農場を立ち上げるにも気の遠くなるほどの規制をクリアしなければなりません。多くの役人がいて、彼らは野菜や果物を自由に売ることさえ許可しないのです。

Kingdom Nature   May 22  2016   Rev. Hyung Jin Moon   Unification Sanctuary  Newfoundland PA on Vimeo

それらの経済計画、経済政策、規制は結局、王国を破壊することになるのです。
「何もしない王こそ、最高の治世をほどこす王である」これは老子道徳経にあることばです。そこでは無為の王こそ最善の王だというのです。国民の生活に介入しない王が良いというのです。それが最良の治世をほどこすことになるというのです。4000年前の文書です。

ではもう一人の息子、国はどうしたのでしょう。「ぶどう園」に行きますと答えて何もしない、介入しないということです。もちろん個人レベルで考えればぶどうを育てるためにはいろいろと畑に手を入れなければなりませんがここでは国家レベルで考えて下さい。
市場にまかせること、国がいたずらに介入しないことこそ価格が安定し生産が伸び、最高の技術革新を招き経済の繁栄を達成する手立てなのです。ですから国家レベルにおいて、「気が進まないけれど、ここは市場に介入しよう」という者たちこそ経済システムを破壊に導くのです。逆に「経済分野は何とかしてみましょう。しかし市場に介入することはしません」という者達こそ市場を機能させ、経済を良くし、生産、労働においても事態を好転させるのです。そして人々は自由と責任にもとづいて選択の自由を行使して経済が自律的にまわるようになる。このような話を初めて聞く人には理解することが難しいでしょう。私もこの分野に関してはエキスパートではありません。国進兄さんが経済の分野に関しての専門家です。しかし私も基礎的な知識は持っています。だからこのような考え方は常識を裏返したもののように思えるでしょう。なぜならいつも個人レベルで物事を解釈するからです。知識階級は個人レベルで良いと考える内容を国家レベルにまで展開しようとします。それが国家に死をもたらすのです。社会主義的政策をとり、中央主導の計画経済を採用する国は例外なく失敗しています。アルゼンチンは100年前には一人当たりの豊かさではアメリカにまさっていましたが今ではベネズエラ並みに壊滅状態です。

中央主導の市場介入型の経済システムを採用する国は、「ぶどう園」に入り込んで「働く」がゆえに例外なくその国の経済システム、エコシステムを破壊してしまいます。だからいま私とグレッグさんは2人で別の農業の方法を研究しています。パーマカルチャーというものです。そこでは植物間の生態系を利用して自然と共生していきます。すべてが自然のままに野生を保ちながらも互いに連携し合う世界です。余計な介入なしに自然のままに育ち実ります。そして一種類の作物を栽培するやり方の数倍の成果を得ることができます。それがパーマカルチャ―といわれるものです。聞いたことのある人はいますか。こうしたものが大きな違いを生みだします。

イエス様も王国について語られたこの聖句を国家レベルで読み解くときはじめて意味を理解することができるというのです。若い皆さん、だからといって私が語った内容をわすれて、イエス様も父親のいうことには「はい」といって何もしないのが良い息子だといっている、などといってそれを実行しないで下さい。それはいい考えかも知れませんが、もっと考えをめぐらせてください。

国家レベルでみるとき意味が明らかになります。天国に入るのは介入する息子、つまり介入する国家、またそのやり方ではなく、エコシステムを自由に展開させるのがよいのです。

この考え方は天一国にとっても重要です。天一国は自然の王国として存在します。自然の特性をよく理解することです。パーマカルチャーがそのよい例です。是非学んでみて下さい。生態系の何たるかを教えてくれます。こういうことについて私の息子、お父様が三代王に指名された息子と話をしたのです。その原則を息子に教えました。そうすることで、最高の王になるには介入を最小限に抑えるのがよいのだな、と悟ってくれるでしょう。これが天一国憲法の中でも重要な部分です。
息子を国と読みかえ、ぶどう園を経済社会と読みかえるときイエス様がなぜ二番目の息子が天国に入るといったのかが分かるのです。個人的に見るときこの息子は怠惰で愚かに見えるかも知れませんが、王が持たなければならない心構えなのです。自由な交わり、自由な社会に介入しないことが大切です。人々を強制するのではなく良心の決断にゆだねるのです。善悪の判断を強制ではなく良心に求めるのです。善を成せば善は自分に戻ってくるからです。

これは生態系(エコシステム)に通じます。だれにとっても有益で協調的なものです。植物同志が協調することを促すのです。

マタイ21章

21:33もう一つの譬を聞きなさい。ある所に、ひとりの家の主人がいたが、ぶどう園を造り、かきをめぐらし、その中に酒ぶねの穴を掘り、やぐらを立て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。 21:34収穫の季節がきたので、その分け前を受け取ろうとして、僕たちを農夫のところへ送った。 21:35すると、農夫たちは、その僕たちをつかまえて、ひとりを袋だたきにし、ひとりを殺し、もうひとりを石で打ち殺した。 21:36また別に、前よりも多くの僕たちを送ったが、彼らをも同じようにあしらった。 21:37しかし、最後に、わたしの子は敬ってくれるだろうと思って、主人はその子を彼らの所につかわした。 21:38すると農夫たちは、その子を見て互に言った、『あれはあと取りだ。さあ、これを殺して、その財産を手に入れよう』。 21:39そして彼をつかまえて、ぶどう園の外に引き出して殺した。 21:40このぶどう園の主人が帰ってきたら、この農夫たちをどうするだろうか」。 21:41彼らはイエスに言った、「悪人どもを、皆殺しにして、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに、そのぶどう園を貸し与えるでしょう」。 21:42イエスは彼らに言われた、「あなたがたは、聖書でまだ読んだことがないのか、
『家造りらの捨てた石が
隅のかしら石になった。
これは主がなされたことで、
わたしたちの目には不思議に見える』。
21:43それだから、あなたがたに言うが、神の国はあなたがたから取り上げられて、御国にふさわしい実を結ぶような異邦人に与えられるであろう。

天国は王、つまりキリストの共同相続者たちのものです。キリストと共に治めるのです。サタン世界では王様のみが持つことを許された主権をそこではすべての国民がもつことになります。税を課されない権利、自衛権、武器を所持する権利、これらは王の特権であって市民の権利ではなかったのです。天一国ではこれが逆転します。国民が王の権利をすべてもつのです。王の王はメシアに連なる者であり、そこで天一国憲法が生まれました。そこが権利の始点になります。そこに実質的につながることが権利の源泉になります。王の王は王権のラインですが国民を支配する軍隊、マフィアのように国民を痛めつける中央警察などをもつものではありません。王国の原則に従わなければならないのです。そして国民を天につなげる位置に立っているのです。

イエス様はパリサイ人にこういいます-「神の国はあなたがたから取り上げられて、御国にふさわしい実を結ぶような異邦人に与えられるであろう。」ユダヤ人の中でも最も熱心な信仰者であるパリサイ人から神の国が取り上げられるといっているのです。常に律法を学び、敬拝をしたり祈ったり悔い改めをしているのがパリサイ人です。その彼らから天国はとりあげられ実を結ぶ異邦人に与えられるとあります。

天一国は生産者の国であると何度もいいました。物作りを学ぶことが重要です。自分で自分を養うことのできるスキルを身に付けるのです。そして子供たちにエコシステム、パーマカルチャー、アクアポニックス(さかな畑)などを学ぶよう奨励することです。大工仕事、電気の配線など自立して生きるための手立てを学び、外部のシステムや技術者に頼らなくても良いようにするのです。どこに行こうとも、食べ物から住むところまで調達できれば自由に生きることができます。こういうことは現在のアメリカや西欧の教育にはありません。原始の人々はわれわれよりずっとそういう知識をもっていました。熊本では水道が止まってしまいました。さあどうしますか。電気もこない。昔の人はそれが普通ですから全く問題ないのです。

自然界を理解し、おそれなく自然と関わることができる知識から遠く離れてしまいました。

ぶどう園をめぐってまた別のたとえ話がありました。作ったぶどう園を農夫に貸し出す話です。天一国憲法では国々は自由に交わり、同盟することが認められています。共産主義国家でもいいのです。それらが一緒になって交易することができます。中国銀行のようなものが来てビジネスをしても構いません。ただし銀行業全体の1%以上まで独占をすすめることは法律で禁止されています。その範囲なら天一国で営業しても構いません。

ロンドンやフランス、スイスで創業された銀行がニューヨークで営業しているのと同じです。天一国では海外からやって来て経済活動をすることは自由なのです。この聖句にある貸し出された農夫と同じです。しかしその農夫が「ここはもうわれわれのものだ」などといい出すようになるといけません。オーナーから送られた息子を殺すようになってはいけないというのです。「ここはわれわれのものだ」、こういいだすことは許されないのです。外国の機関、企業が天一国で経済活動して自ら養うことは自由です。しかしこれが「ここはわれわれの管轄だから中国国内法を適用する」などといい出すことを許しません。「さあ、われわれの都合のいいように天一国憲法を変えよう」などといい出すことを許さないのです。そうなれば強制的に取り上げて天一国に編入します。

このぶどう園の主人が帰ってきたら、この農夫たちをどうするだろうか」。 21:41彼らはイエスに言った、「悪人どもを、皆殺しにして、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに、そのぶどう園を貸し与えるでしょう」。

天一国憲法ではまた戦争を始める時の規定があるます。他国に天一国の一部が侵略された時、天一国議会は武力行使を取るべきか否かを検討します。すべての国にこの種の規定があります。地域に限定される場合は「いまわしい者」をそれに見合う結末を迎えさせる方法を地域の管轄で判断します。一方国家間の外交レベルでもそのレベルに応じてこのような「よこしまな農夫たち」に対処する相応の対応策が憲法で規定されています。

来るべき神の国の預言の完成体となるべき天一国憲法の観点から見るとき、聖句の意味が明らかになるのです。現代キリスト教では聖句に対するこういう分析がなされているとは思いません。それはまだ天一国憲法が公に出回っていないからです。一度これに触れると、神様の霊を受け啓示としてイエス様が神の国の内容として語った聖句の意味がわかるのです。これまでその意味が分かりませんでした。息子がああしたこうした、それがどういうことなのだ。私の妻がこの聖句を読んだとき「一体どういう意味なの」と悩んでいました。息子たちが「お母さん、僕は『はい、と答えて何もしないようにするよ』といったら困るでしょうね」。

これは私たちの共同体にとっても大切なことです、とくに資産を所有する場合にはそうでしょう。社会主義のように共同管理の土地などのようなものはありません。グレッグさんの農場も社会主義的なものではありません。ニューエイジ・コミュニティー運動などありましたが、共産主義そのものです。それを人々に広めようとしているのです。地獄で暮らすようなものです。

私たちはそれに対して、コミュニティーのメンバーには個人でもオーナーになることを勧めています。自由に活動し合うオーナーです。世代を通して独立した者同士がともに相互協力し合いながら、しかし依存はしない。天一国の憲法の観点からイエス様の聖句をよむことの重要性はここにあります。このような観点で読むとき天一国が逆転の王国であることがはっきりわかるのです。普通に考えていたらこれはわかりません。国家レベルの話として聖句をとらえてみるときよく理解できるのです。

今、若者たちに格闘技のトレーニングを盛んにおこなっていますが、将来的にはブッシュクラフトなども礼拝後の適当な時間におこなっていきたいと思っています。自主独立のためのこうしたスキルを身につけたい人はここに来れば、多くの経験豊かな人々から学ぶことができるでしょう。自分を高める努力をしてください。ビデオゲームや韓流ドラマ、こういう麻薬のようなものはうち捨てて下さい。

ますます知識を高め、自己を啓発しましょう。他を助け、家族を助け来るべき天一国の主人になりましょう。

天聖経674(英語版)

イエス様が願った天国が心の天国ならば、心の天国を越えて環境の天国を築くということは永遠に不可能なのです。家庭天国を越えて、社会天国を築き、国家天国を築くというのは永遠に不可能です。世界天国はいつ成されて、天上天国はいつ成し遂げられるのでしょうか。メシヤには、万民を救い、霊界を解放して、神様を解放させるべき責任があるのです。

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UTS(統一神学校)が密かに売却される

 
統一教会を退会したアメリカの二世が運営するサイト、”How Well Do You Know Your Moon”に興味深い記事が載っていた。この記事の内容が本当かどうかの事実確認は当ブログ管理人にはできていない。しかし、様々な状況を考えあわせるとこのUTS売却が事実である可能性は極めて高いと判断する。

1年半くらい前からベリータウン売却の話は表面化していた。ベリータウン大学とUTSを守ろう!

以上の経緯を踏まえたうえで下の記事を読んでほしい。ただ売却の事実のあるなしは早ければ一週間以内に判明するようだ。

“How Well Do You Know Your Moon”記事より 日本語訳は管理人

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家庭連合はUTS(統一神学校)の卒業式およびベルベディアで行われる大きなイベントが終わるまでは表ざたにしないつもりのようだが、歴史がそこに刻まれるとともに愛されてきたベリータウンの施設が秘密裏にNYのデベロッパー(開発業者)に売却されたようだ。

一般の食口に公式の発表がなされていないのは、当然ながら指導部が様々な非難や聞かれては困る質問などを間近に迫ったイベントの場でされるのを避ける狙いがあるからだ。

しかしすでに卒業生の間では動揺が広がっており、次週にも行動を起こすべき対応について話し合いがおこなわれている状況だ。

したがって、来週(ベルベディアのイベントで)ベルベディアの建造物にたいする歴史的価値云々の話を聞くとき「どうして40周年を迎えるベリータウンのUTSはその尊敬に値しないのだろうか」と自問すべきではないか。

家庭連合は次世代の教育と育成に力を入れるのではなかったのか?取引上有利だからベリータウンの大学を理念よりも儲けを優先させて売るというのだろうか。二世教育への取り組みは果たして掛け声だけなのか。
そして売却したお金はどこにいくのか。

今後は地元の教会単位で行われる二世教育について一般食口が自分達で負担しなければならないことになるだろう。

今回の売却も家庭連合の緩慢な死を象徴する出来事の一つといえよう。

 

これも真のお父様の跡を消し去る行為だ
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日本サンクチュアリ協会青年部のブログ紹介

日本サンクチュアリ協会の青年部は亨進様二代王・ヨナ様の祝福を得て出発しました。
その活動の方向に関しても亨進ニムから詳しくアドバイスを受けたといいます。
活動の様子はこのブログで逐一知ることができます。是非ご覧下さい。

日本サンクチュアリ青年部ログ

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4・11質疑応答から -聖霊について

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(質問者)
聖霊というのはイエス様と相対関係にある存在だと私たちは理解しているわけですが、亨進様の説教の中で「真のお父様の聖霊」という言葉がよく語られています。これらは同じ聖霊と考えてよいのでしょうか。

(国進様)
これが今、統一教会で教えられている中で混乱していることですが、お父様が神様の二性性相を語られるときそれが出てくるのですけれど、摂理の中で最も重要な関係は父と子の縦的関係であるとおっしゃいました。対象をかたられるときは主体の周りをまわる立場としての対象を話されました。ですからお父様は縦的存在として中央に位置しお母様は横的存在として主体のまわりをまわる関係です。神様は男性性相と女性性相をお持ちですが聖霊と言いうのは女性性相を反映するものです。だからお母様の役割はその女性性相をあらわすことでした。重要なものは縦的な(父子)の関係であって、対象はそれを横的に支えることです。つまりお父様の中の性相を対象は反映するのです。お母様の役割というのは対象としての立場を完成させ、絶対に対象としての立場を離れてはいけなかったのです。
原理によればお父様が霊界にいかれた後はその主体的立場は息子が継承し、お母様は主体として立った息子のまわりをまわらなければならない。主体のまわりをまわりながら主体の影響を受けながら女性性相を反映する存在が聖霊と呼ばれるものです。ですから現在の異端となった家庭連合には聖霊は存在しません。

(質問者)
私の質問はイエス様と聖霊という場合の聖霊と亨進様のおっしゃる聖霊は同じであるのかというものですが。

(国進様)
夜の神様という教えをご存知でしょう。夜の神様は創造以前から存在する神様です。基本的にお父様はご自分が神から来た者であるといわれました。基本的にはキリスト教でのキリスト像を再確認されたわけです。つまりイエス様が神様の形として現れそして天に戻っていかれたということを再現されました。ですからイエス様とお父様は同じだということになるわけです。ですからイエス様の時の聖霊とお父様の聖霊もおなじ、神様の女性性相を体現するものという意味では同じものなのです。

(質問者)
それではイエス様の後2000年間私たちを聖霊が導いてきたように、今後も聖霊の働きが望めるということですか。

(国進様)そのとおりです。これからも聖霊が私たちを導いて下さるでしょう。なぜなら二代王様がおられることによって縦的関係が維持されているからです。また二代王が立っておられるので夜の神様と昼の神様が一つになっているのです。夜の神様と昼の神様が一つになることによって神様の直接主管の基盤ができるのです。

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(質問者)
お母様の聖霊がヨナニムに移られたということですか。

(国進様)
現在、地上での縦的相対が文亨進であるので、お母様が位置を離れた今、二代王の相対者がエバの立場になっているのです。彼女は自分の前にひれ伏すことで霊的にエバの責任を果たしましたが、実体的にその責任を果たすのは三代王が立つときになります。イサクの世代、つまり二代目は犠牲の世代なのです。来るべきヤコブの世代が祝福を受けて十二支派をうみだすための基盤を造るのがイサクの世代の「犠牲」なのです。

(質問者)
私個人的にはお父様はモーセの立場で、亨進様、国進様がヨシュアとカレブにあたると思うのですがその認識は正しいでしょうか。

(国進様)
そういう見方も可能です。しかしお父様がおっしゃったのは三大王権でした。アブラハム、イサク、ヤコブのモデルに従ったものです。それはアダムとイエス様とお父様の関係でもあるわけです。

(質問者)
これも私の観点ですがヨシュアとカレブはエリコ城を滅ぼし三十一王を倒します。現代のエリコ城といいますか…

(国進様)
もちろんヨシュアとカレブの関係はアベルとカインの関係でした。そしてその一体化がカナンの地に入ることを可能にしました。アダムはその責任を果たしました。カイン・アベルもそうです。しかし、エバがその立場を離れています。しかし神の国の基盤は存在します。いま摂理は第二世代に移っています。韓氏オモニとサタンが外的な基盤をすべて奪っていきましたので、それをまたつくらなければなりません。しかし王国の種はすでに存在するのです。お父様は世界的基盤をつくられました。しかしそれはサタンと韓氏オモニにもっていかれることによって個人レベルまで下がってしまいました。これから審判によってサタンの世界的基盤は崩れていくでしょう。それと同時に二代王は神の王国を築いていくでしょう。その意味でも裁きの時が必要であるといえるでしょう。

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「旧約聖書」はたんなる信仰の書ではない

 


 
『世界を征する「トーラー」の奇跡』(1987)より
 
旧約聖書については、冒頭の『トーラー』と呼ばれるモーセ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)に続いて『預言書』と呼ばれる歴史記録の部分、それに『聖文学』と呼ばれる詩歌や叙事文との三部構成だ。一般的には、旧約聖書はユダヤ人の信仰の書と思われていて、私もかつてはそう考えていた。だが、ユダヤ人は旧約聖書を信仰の書としてだけ読んでいるのではないのだ。
このことを教えてくれたのは、私がアメリカ・ユダヤ神学学校の大学院でユダヤ哲学・ユダヤ神秘主義の研究をするために留学していた時に師事していたアブラハム・ヘシェル教授だ。ラビでもあったヘシェル教授は、こういわれた。

「旧約聖書は‟人間の失敗の歴史をつづった書“である」

師は現代のユダヤ三哲人の一人といわれたほどの人だっただけに、この言葉は強い衝撃を私に与えた。私は旧約聖書を師のいう「人間の失敗をつづった書」という観点から読み返してみた。するとそこには、師のいわれた通りの世界があったのだ。

ユダヤ人は何度となく襲った人類最大の災厄のなかから、不死鳥のようによみがえってきた。その原動力を、ユダヤ人の「選ばれた民」としての意識に求める人がいる。たしかにそれも原動力のひとつだ。だが、それと同じくらいに、いやそれ以上にもっと大きな原動力となるものがあった。それが、「人間の失敗をつづった書」から学んだ「失敗、挫折、危機からいかに再起するか」という解決方法だ。ユダヤ人はことあるごとに、旧約聖書の世界に思考をめぐらす。そして現在自分たちが直面する危機と、「旧約聖書」に書かれたことをオーバーラップさせる。そして「なぜ…」という疑問詞を入れて、そこから決断や結論を引き出すのである。

そのことは、ユダヤ人が読むヘブライ語の聖書をみると、よくわかる。そのなかでは、いちばん大きな文字の部分がヘブライ語の聖書になっている。そのとなりには中くらいの文字や、全体をとりかこむこまかい文字で「こういう考え方や説もある」という解説がならんでいる。本来、信仰の書というものは絶対的なものが多い。しかし、ユダヤ人は権威に盲従することを神によっていましめられている。
したがって、神の言葉が書かれたものであっても、盲従してはいけないことになっている。自分なりに理解し、解釈することが求められているのだ。

ユダヤ人と議論をすると、長年彼らと生活を共にしてきた私でも、うんざりすることがある。自分の主張を相手が理解するまで話をすることをやめない。その主張を相手が認めるか認めないかではなく、自分の主張だけははっきりさせておこうとするのだ。ユダヤ人が議論好きといわれるのも、権威に盲従してはいけないという訓練を、子供のうちから受けているからだ。

旧約聖書を「人間の失敗の歴史をつづった書」というラビ・ヘシェルの解釈も、一つの解釈である。だが、この解釈のなかに、ユダヤ人の強さの秘密が隠されていると私は思っている。
タルムードを「知恵の書」とするなら、旧約聖書は「決断の書」とでもいえようか。そしてこの二書が、ユダヤ民族の強さの源泉になっているのである。
 
著者:手島佑郎(ユダヤ思想研究家、父親の手島郁郎は無教会主義の流れを汲むキリスト教系宗教団体、キリストの幕屋の創始者)
 
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