十字架・復活の福音でなく王国の福音-1月7日「鉄の杖の王国2」英語説教ポイント(その1)

Kingdom of the Rod of Iron 2   January 7  2018   Rev  Hyung Jin Moon   Unification Sanctuary  Newfoundland PA on Vimeo.png

Kingdom of the Rod of Iron 2

「鉄の杖の王国 2 」2017年1月7日

翻訳:BAMBOOS

Vimeo 28:27
興味深い内容をシリーズで続けます。「鉄の杖の王国」2です。同じテーマでさらに深く掘り下げていくということです。

テッドも繰り返していましたが、これは私の言葉ではなく聖句です。二代王がこれを考え出したのではありません。聖書にあるみ言なのです。私たちは、イエス様ご自身や天国の福音として認められるその福音のことをでっち上げているのではありません。それはイエス様ご自身が2千年前に語られたことです。

教会は教えて来なかったとしてもそれが核心なのです。しかし教会が何をやってきたかが重要ではありません。イエス様は明確に語っておられます。私たちも毎回聖句を確認してきました。

それで皆さんに注意して欲しいのは、繰り返し聖句を見ていると心が閉ざされてしまうということです。そこでやるべきことは心を向けることです。こういった聖句を読んでもう一度心を向け、記憶し、より深く追及するのです。というのもそれが人の持つ問題であるからです。聖句を知っても、その神様のみ言に心を閉ざせばそれは傲慢な態度を取るということです。

このような聖句は心に入り、神様のみ言を聞けば信仰が増します。聖書にはそのように書いてあります。神様のみ言を聞いて「知っています」「聞きました」のようなことを言うのではありません。それは愚かな考えです。信仰的な考え方ではありません。私たちは実際このことが分かっていないのです。自分の生活の中で体現していません。

実際に先週聞いたかもしれませんが、瞑想や神様との関係において、深い祈りの中や心の奥底にまでは入っていません。それが現実です。先週の話を聞いた後でも、昼食のにおいがした途端にすべて忘れてしまったのです。

ですから新鮮な気持ちをもって見なければなりません。

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何度も聞いたかもしれませんが、初めて見る人はどうでしょうか。初めてここに来た人にはどうでしょうか。初めての人にこのビデオを送ったとしたらどうでしょう。初めて聞く人のために思いやりを持ってください。
マタイによる福音書6章9節からです。非常に重要な聖句です。これらを見ていくのは神様が私たちに王国について、骨組みについて、未来の王国について、また千年王国がどのようにできるのかを教えている重要な聖句だからです。

(マタイによる福音書6章9-10節)
だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。

みんな知っていますね。知っていることだと思って、もう目を伏せ始めていますよ。

(マタイによる福音書6章33節)
まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。

それがクリスチャンのやるべきことです。私たちがまずやるべきことは、神様の王国を求めることです。神様の王国とは何か私たちを暖かく快適な気持ちにさせてくれるものではありません。それが、神様が私たちのためにはっきりと書いてくださったことです。それを相続するのが私たちの役割であり義務なのです。自分のイメージを作り出すことではなく、自分の心の中で作り上げるものではありません。

それは神様が私たちに、生育し、繁殖し、地球を主管し征服するようにと意図されたことです。そのように主権を持って支配するのですが、そこでは善をもって、愛をもって、慈悲をもって、徳をもって、まず神の国とその義を求めるということです。

義がとても重要だという話をしました。自分のではなく神様の義です。神様の善、神様の正義です。私たちは神様との関係を築く中で、神様がどのように支配するかを理解するようになり、そうして私たちは王国でキリストのような人物に近づいていくのです。「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」ということです。

(マタイによる福音書7章21節)
わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。

如何なるクリスチャンも神様の前に謙虚でなくてはならないということを思い起こさせる内容です。

(マタイによる福音書10章7節)
行って、『天国が近づいた』と宣べ伝えよ。

(ルカによる福音書4章43節)
しかしイエスは、「わたしは、ほかの町々にも神の国の福音を宣べ伝えねばならない。自分はそのためにつかわされたのである」と言われた。

イエス様は王国の福音を宣べ伝える目的のために送られた方です。再臨主の時代には王国を建設されます。それがキリストの使命です。そのように語られ、ルカによる福音書4章43節にそれがあります。

(マタイによる福音書4章23節)
イエスはガリラヤの全地を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。

ここでも福音は神様の王国のことです。神の王国が福音です。福音とは神様の王国のことです。それを避けて通ることはできません。

通常は、福音とは十字架であり死でありイエス・キリストの復活であると言っています。「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」というのが、ヨハネによる福音書3章16節にある聖句です。福音派がそれを引用して説教するのを聞くことが多くあります。

しかし、キリストが福音をどのように説明しているかと言えば、それは王国の福音であり、人々にそれを説いていたために当時のローマ人と指導者たちを怒らせることになりました。

イエス様が説き続けたこの福音は、彼らの権力、権威、中央集権の天使長的な権力との共謀を揺るがすものでした。ですからいつもイエス様を殺すよう求めていました。

(マルコによる福音書1章14節)
ヨハネが捕えられた後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた、「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」

これは本当に衝撃的なことです。というのは何世紀もの間、これが福音ではないと言ってきたからです。福音は十字架、死、復活であるのだと言って。繰り返しますが、聖句を見ればイエス様はご自身の福音を定義しています。福音を与える方にはそれを定義する権利があると思います。イエス様は福音を与えたその人であり、福音を神様の王国として定義されているのです。今日はそれを深く探求していきます。

つづく

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