6月2日 「ムッソリーニとF・ルーズベルトの馴合い関係」二代王、GOAラジオに出演(その3)-6月3日英語礼拝

6月3日のサンクチュアリ教会(ニューファンドランド)の礼拝は、亨進様不在ということもあり、前日(6月2日土曜日)GOAラジオに出演した際の録音(約40分)を聞きました。4回に分けて日本語訳を掲載します。その3回目です。

翻訳:Harry

プラット会長
今日のゲストはショーン・ムーン牧師。
彼の本が間もなく発売されます。
有り難いことに私は発売前の新刊をいただきました。
タイトルは「鉄のつえの王国」。

ここでウェブのアドレスを教えてください。本が発売された時に皆がアクセスして購入できるように。

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二代王
Rod of Iron ministries.org」もしくは最後が「.com」でも大丈夫です。このサイトから予約も可能です。

プラット会長
分かりました。番組の最後にもう一度、告知します。
あなたがこれを様々な分野に関連させて説いていることが嬉しかった。

銃器に関連する多くの部分に光を当ててくれました。

例をあげると、いまわれわれがディープ・ステートと呼ぶ勢力と共謀したメディアによってもたらされた多くの結末。このディープ・ステートは20世紀の半ばにヨーロッパではファシズム、ナチズムと呼ばれていました。

困ったときには政府が助けるという考え方、現代の言葉に置き換えれば、縁故資本主義(クローニー・キャピタリズム)、全国民は黙って言われたことだけやっていればいいという考え方です。

政府の存在目的は少数のエリートを豊かにすることであると。それは実際、イギリスが(アメリカの)植民地の弾圧を強めていく過程で現実になったことでした。それこそが独立戦争をもたらした直接的原因だと私は思います。

つまり、イギリス人が(アメリカ植民地に)弾薬の禁輸措置を開始して、弾丸と火薬を禁輸しました。そこから植民地の人びとも深刻に考え始めたのです。牧師たちもそれについて真剣に説教で話し始めました。もうロンドンよ、さようなら、というわけです。ロンドンはもはや植民地のことなど何の関心もありませんでした。

「代表なくして課税なし(アメリカ独立戦争(1775年 – 1783年)時のスローガンの一つ)」よりもっと重要な問題は、イギリス人は鉄砲に弾を込めて自分達に向けるのに、植民地の人びとは黙って座して撃たれるのを待つだけという状況にあったことです。もちろんイギリスもアメリカ植民地に銃があることを知っていたのでそれを何とかして使えないようにしようとしたのです。だから銃規制の源をたどれば18世紀まで遡るわけです。(笑)「弾薬の所有を規制する。」

これで国民を支配下に置けるわけです。もしそれが成功していれば、植民地人は支配下に置かれるしかなかったのです。しかし幸運なことに、そうはなりませんでした。
あなたが、ムッソリーニやヒトラーが権力を手中にして恐ろしく危険な存在になる経緯を著書に書いて下さったことをたいへん評価しています。

それに加えて、マスメディアが、当時も今も、独裁者、暴君の侍女の立場を喜んで演じていることもあなたは著書で指摘しました。これはつい見逃してしまうのですが、残念なことに、われわれを油断ならない領域に引き込みます。

わが国で保護されている権利は、表現の自由、言論の自由、出版の自由などがありますが、メディアが、いったん独裁者の侍女になってしまうと、メディアが、政府から情報独占のお墨付きをもらったら、われわれは自由を保つことができません。

二代王
アメリカ国民の大半は知らないので、これを知るとショックを受けるでしょうが、ムッソリーニやヒトラーが健在だった頃、フランクリン・ルーズベルト大統領は公然とムッソリーニを称賛していました。メディア、多くの左傾メディアはナチス・ドイツの集団殺戮に焦点を当てることはしても、ソ連、中国、カンボジア、キューバなどの共産国家で殺された人々の数を報道しません。

これはニーチェが発した警告でもありますが、虚無主義(ニヒリズム)の時代が興って、文明を壊滅に追い込むためには-もちろんニーチェは不可知論無神論者でしたが-ユダヤ・キリスト教の神を排除すれば、他のすべての者を一緒に葬り去ることができるとニーチェは言いました。その一つが、個人の基本的人権であり、自治の原理であり、少数派を保護すること、これらの考え方は、マルチン・ルター後のプロテスタント、分権的なクリスチャンの核心的価値です。そして、これでアメリカ合衆国建国の父たちは理論武装しました。

プラット会長
ここで、はじめに触れた、フランス革命との比較に戻りましょう。フランス革命はとりわけフランスのプロテスタント、ユグノーを目の敵にしました。

国から逃げ遅れたユグノーは殺されました。一方、アメリカの植民地同盟、現在のアメリカ合衆国ですが、プロテスタントに十分な支配力があったために、イギリスに対して抵抗することができました。あなたが指摘したような、キリスト教的背景、すなわち「小さな政府」「国民主権」などの理念を持っていたからそれが可能だったのです。

そういう思想はフランスにはありませんでした。フランス革命の結果は悲惨なものでした。大きなギロチンで次から次へと虐殺、処刑していったのです。

二代王
それは間違いありません。アメリカ合衆国では「城の原則(コモン・ローに根拠をもつアメリカの刑法上の原則)」というものが法典化されていますが、私有財産に対して主体的権利が認められ、いわば個人は一国一城の王のようなものです。もしそこに何者かが侵入して、あなたや財産を傷つけようとするなら、それに対抗することができる、反撃する権利があるというのです。

この「城の原則」は当たり前に受け入れられていますが、実は聖書に根拠があります。それはキリストの共同相続人、キリストが王冠を与えてくださる、それを他人に奪われない、黙示録3章11節にあるとおりです。これは意識するしないにかかわらず、聖書の原理です。

たとえばニューヨークタイムズがショッキングな記事を書きました。
FDR(フランクリン・ルーズベルト大統領)がムッソリーニについて褒めそやしていたという事実です。これは(ムッソリーニの)黒シャツ隊のローマ進軍から一週間後の奇妙な追憶であり、ソ連が最初の5か年計画の開始した時です  (1922)。

今のアメリカは文字通り秩序をもとめている。アン・マコーミックという人が心に思い描いたことですが、産業同盟、労働者と政府がイタリアのムッソリーニの頃を、全体主義国家を見倣っている。信じられません。

レポーターはもちろんこの共産主義隠しを手伝っているのですが、なかには「F・ルーズベルト大統領、この合衆国大統領がムッソリーニを称賛していた」と正直に指摘する記者もいました。またムッソリーニも、FDRがその中で彼を讃美した著作「展望(Looking Forward)」(1933)に対して手紙で礼を述べたと言います。国が経済を道具にするルーズベルトの原則はファシズムの香りがすると彼女も言っています。ムッソリーニがルーズベルトを称賛したのです!

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プラット会長
そういうことはまず歴史の教科書には書いていません。興味深いですね。

二代王
左翼と全体主義体制とのつながり、この親しげに褒め合う、互いに称賛する、こういうやり取りが20世紀最悪の独裁者の一人(ムッソリーニ)と左傾のアメリカ大統領(F・ルーズベルト)との間にあったのです。これは大変にショッキングな出来事です。おっしゃるように、公立の学校でこういう歴史を教えられることはありません。

プラット会長
本当に議論すべき内容は-あなたは、もう始めていますが-思い起こせば私が学生時代にもこう習いました。

「ファシズムは右翼、共産主義は左翼。だからお互いに戦うのだ」

こういう考え、確かに互いに戦争しましたが、それをいうと、マフィアのボス同士も戦う。縄張りを巡って同様に血なまぐさい戦いをします、他の戦争と同じようにね。あなたが指摘するように、分析のための(別の)枠組みが必要です。「全体主義的な心構えを持っている者」と「自由主義的な心構えをもつ者」、これは大きな違いです。

ここでCMです、話は続きます。

つづく

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