8月26日英語説教「國進様の寄贈品」(その1)

Sunday Service August 26 2018 Rev Hyung Jin Moon Unification Sanctuary Newfoundland PA on Vimeo

2018年8月26日英語説教

 

自分の聖書を開いてください。へブル人10章に行きましょう。青年たちは聖書を忘れないで持ってきてください。訓練に来る時には自分のギ(着、ユニフォーム)とカリ・エスクリマの棒を持ってきます。そうですね。それからどうしましたか。腕立て伏せを100回、200回。聖書を必ず持ってきてください。本屋に行くかイーベイで注文してください。女子たち、日曜の教室に聖書を持ってきてください。賛美します。神様のみ言を知るのです。

自分が圧迫された時に内側から何が出て来るでしょうか。圧力と迫害を受けた時に。先週話しました。レモンをしぼるとどんなジュースが出てきますか。レモンジュースです。グレープフルーツをしぼればどんなジュースが出ますか。ブドウをしぼったらどんなジュースが出ますか。

圧力を受けた時、しぼられた時にそれが何であれ自分の内側にあるものが出てきます。そして悪魔はあなたを標的にしています。キリストに命を捧げたいと願う人は標的になります。悪魔があなたの首を狙っています。

聖書では悪魔は吠える獅子のようだとあります。私を追いかけて殺し滅ぼそうとしています。一旦自分を捧げるなら悪魔がやってきてあなたを捕えるのです。ですから悪魔は信仰告白を恐れます。ローマ人10章を見てください。
「すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。」

悪魔はそれを嫌います。信仰の告白をしたからです。第2テモテ4章8節に書かれた道の途上にあります。先週その「義の冠」について話しました。「今や、義の冠がわたしを待っているばかりである」と。そこでは「主の出現を心から待ち望んで」います。主の再臨を待ち望んでいるのです。何ということでしょうか。悪魔はそれを望みません。悪魔がそれを恐れるのはあなたの心が離れてしまい、この世の物を愛さなくなるかもしれないからです。お金や富、物質的な物を愛さなくなってしまうかもしれないからです。

聖句にはこうあります。「虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい」

私たちはこの世だけではなく永遠の世界に目を向けています。それがまさに神様の世界であり、興味深いことに神様の永遠の王国でもあるのです。なぜなら最終的には王国は地上に来なければならないからです。聖句には強力な力があります。そのため悪魔は告白を恐れるのです。

霊的な目が開かれれば私たちは見ることができます。この小さなニューファンドランドの町、ペンシルベニアの小さな町。ピッツバーグでもフィラデルフィアでも、ニューヨーク市でも、どんな街でも、さまよう魂を見ることができます。

肉体という器に入った人々のさまよう魂を。彼らはどこに行くか知らずにいます。iPhoneiPadを見ながら生きた死人のように歩き回っています。彼らの魂、霊はどこに行きますか。地獄に行きます。神様からの永遠の分離。私たちはそれが起きて欲しくありません。

私たちが聖霊を受ける時に新しい心情を与えてくれるのは、神様の愛です。聖書でいうように石の心を取り上げて、肉の心を入れてくれます。肉体的なものではなく思いやりを持ったという意味です。神様に敏感であるということです。神様の霊につながっているということです。聖霊が駆り立てるのを内側で聞くことができるということです。脳内の処理だけではなく、心の奥底で感じることができるというのです。

今日それは誰かに話しかけてきているでしょうか。それは内なる変容です。また喜びの心情、愛の心情であり、罪による犯罪のために、魂が離れ離れになっているのが分かります。罪の報酬は死だからです。

キリストのような心情で彼らを見て泣き叫びます。霊的な目で彼らを見れば歩いている人たちの魂はさまよっています。彼らがキリストに命を捧げることはありませんでした。信仰告白をすることはありませんでした。悪魔はまだ彼らの所有権を主張しています。今もこの世の物で彼らを誘惑することができます。分離するポイントがありません。サタンから決別するために自分を捧げると言える分離ポイントがありません。

使徒行伝2章30節(訳注:正確には37節から)にありますが、人々がペテロにどうしたらいいかと尋ねると、悔い改めなさいと答えます。そして全ての国に行って父と子と聖霊の名で洗礼を受けなさいと。

悔い改めなさいと言いましたが、メタノイア(ギリシャ語)とは心を変えるという意味です。この世の物から自分の心を背けるということです。それらは永続しません。神様は、豊かさに責任を持つことのできる若い世代の人たちを育てたいと願っています。強欲にため込む人のように富に執着するのであれば、その人たちの王国は崩壊します。アーメンと言えますか。

心に寛大さを持っていません。仲間や友と提携し、王と王妃のより大きなコミュニティに仕え、平和警察・平和軍で安全のための相互グループを作ることができません。ため込むだけなのです。小さな王国を持っていたとしても、聖句にあるように取り上げられてしまいます。

神様は若者を育てたいと思っていますが、それは寛大になることのできる者に力を与えたいと願っているということです。君たち男子もやがて王とならなければなりません。神様はあなたの内面を信頼しなければならなくなります。多くのことに対する責任を。

ですから寛大な心を持つことが非常に重要です。度量の大きい心です。いつも渇いているカップのような貧しい心ではなく、豊かに満ち溢れるカップです。そうすれば王冠が意味をなします。それにはカップが満ち溢れていなければなりません。枯れてしまってはいけないのです。アーメンですか。神様に栄光を捧げましょう。アーメン。ハレルヤ!

神様は新しい人たちを育てたいと願っています。主に対する畏(おそ)れとは知恵を意味するものです。怖いという意味ではなく尊敬したいということです。主を中心に置きます。屈服するのです。私たちの命は主の物です。

考えてみてください。あなたが誰かの下にあってその人がけちで、いつも枯渇し、いつも厳しく不満ばかり言っているとしたら、そのような人の下にいたいと思いますか。うっとうしくはないでしょうか。そんな人の近くにいたいとは思わないでしょう。

ではなぜそのような人になろうとしているのでしょうか。青年たち、どうしてそういう人になろうとしますか。寛大な心を持たなければなりません。だから神様はあなたたちの十分の一献金で訓練します。何ドルか持っていて10セント出すとか、1ドル出すという話ではありません。神様の仕事が1ドルの献金で大幅に向上すると思いますか。違います。それは寛大さの訓練なのです。お金を崇拝しないようにするためです。

すごい話をしましょう。國進様は本当に寛大です。先週のことでした。夜タンパ・ベイのブラウン牧師からメッセージングで電話がありました。私は彼がくれたこの新しいアプリの使い方が分かりませんでした。電話に出ようとして「ハロー、ハロー」と言ったりしていました。ようやく出ることができ、彼はみんなが元気かとか来てくれてありがとうといったことを色々と話していました。彼はホテル代や食事代も払ってくれました。

それから彼は「君たちは私に木箱を送りましたか」と聞きました。私が「何ですか」と聞くと「木箱だ」と言います。私は「木箱は送っていません」と答えました。すると彼は木箱か届くという電話をもらったところだと言いました。

私たちは彼のミニストリーに種まきの1万ドルをまだ送っていませんでした。そのことを話してもいませんでした。みなさんにだけ話していました。それでこの教会からは木箱を送っていないと答えたのです。兄のジャスティンからのものに違いないだろうから彼に電話させて欲しいと話しました。

ブラウン牧師は心配していました。木箱は銃販売店に送られるもののようでした。それで彼は中に何が入っているか確認する必要があると言いました。なぜならこの人が言うには、木箱は自分宛だが中身が何か分からないのは奇妙だというのです。

そうして國進兄さんが、彼が試しに使うのに最適な銃が入っていると教えてくれました。それで銃が入っていることを折り返し伝えたのです。すると、大きな木箱なので何が入っているか全部を知りたいのだと言います。相当大きな木箱だったからです。

國進兄さんは自由社会勉強会の最中でしたので、終わったら連絡してくれるということでした。それで分かったのはST9やカー・アームズの製品、トミーガン、そしてトランプ・ガンという1911年のクラシックで芸術品のようなかっこいい銃、またARも入っているということでした。

それでまた電話してこういうものが入っていると伝えると、ブラウン牧師はARが1つか2つなのかと言います。私が複数形で言ったからです。それで私ははっきり分からないのでジャスティンに電話させて欲しいと答えました。それでいくつ入っているか教えてくれたのでブラウン牧師に電話しました。

1つや2つではなく10ですと私は伝えました。10丁の新品のトンプソンARです。彼の教会への寄贈品として。ひとつ890ドルでしょうか。しかし國進兄さんはただ聖霊によって感動して、心に神様を確かに感じ取ったのです。この男に、この教会に種をまきたいとのだ言っていました。契約もしていませんし、相互の合意もありませんでした。何もありませんでした。ただ心の中の小さな声があっただけでした。それは寛大な行いです。このミニストリーにプレゼントするだけでなく、大規模なペンテコステ・ミニストリーにも与えています。彼らを助けているのです。

青年たちはこれを理解していません。このような世界を理解しなければ、貧しい心だけでなく取るに足らないものに囚われてしまいます。わずかしか持っていなくても取り上げられるのです。聖句にはそうあります。寛大な心を持つべきです。男子たち。眠らないでください。

つづく

翻訳:BAMBOOS

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