聖霊を受けるときにも責任分担を忘れない-10月28日英語説教(その1)

2018年10月28日 英語説教

翻訳:Harry  (上のタイトル動画は編集を加えています)

(金曜にブラウン牧師の教会を訪問)フロリダは楽しかったですね。恵まれた時間でした。色々なことがありました。若い人たちは1週間ほどいます。色々言われたりもするでしょう。多くの困難を通過しなければなりません。リバーチャーチ(ブラウン牧師の教会)は聖霊に満ちていて、聖霊による大騒ぎを見ました。(笑)

金曜の夜の礼拝はいつも6時間だそうです。ブラウン牧師は聖霊を受けて大騒ぎしている女性を、もう一度、席に座らせたりしていました。私たちの目の前の席です。(笑)

要点は、そのような多くのすばらしい霊的体験をしたということです。人々も神様を求めていました。繰り返し言っておきますが、神様に触れられたからです。これを覚えておかなければなりません。「原理」の凄い所ですが、私たちには自己の「責任分担」があります。

例えば、(ブラウン牧師の教会で)一人の姉妹に会いました。34年前に聖霊に触れて大騒ぎだったといいます。神様に触れて、笑いながら転げまわったそうです。そこで彼女と夫はキリストに自分の人生を捧げる決意をしました。教団をもって福音をもって世界の隅まで回ったそうです。

しかしその身に何が起こったか。

何と彼女の夫が他の女性と浮気をして離婚したというのです。現在彼女はひとりで6人の子供を育てています。50から60代の人です。彼女は泣いていました。われわれはそこの行事に参加していました。1回目の礼拝から次の礼拝とあって、最後に50人ばかりで夕食会が開かれました。教会の指導者が皆、参加していました。私たちもよばれて、その女性の隣の席に座ったのです。彼女は自分の証をしてくれました。

ここでもう一度理解しておかなければなりません。
神様は祈りに応えてくださいますし、私たちに触れて聖霊のバプテスマの炎を与えてくださいます。しかしそれで終わりではありません。それが目的ではないのです。それは始まりに過ぎないのです。

だから知っておかなければならないことは、聖霊のバプテスマを受けたからといって、サタンはもう襲ってこない、ということにはならないのです。むしろもっと激しく攻撃してくるでしょう。もっと祈りの時間が必要になるのです。これが現実です。ある姉妹は個人的な証をしてくれました。実際に涙を流して泣いていました。王妃(ヨナニム)は彼女のために祈りました。それは見ていて美しいことに違いはないのですが、しかしすべてを神様に依存することはできないのです。だから神様は「いつも警戒していなさい(目を覚ましていなさい)」といわれました。「勇気をもって恐れずに」と。
なぜなら、われわれには「責任分担」があるからです。 アーメンですか。(アーメン)

寝ずに起きて、きっちり服も着ていなければなりません。聖霊を受けて裸で走り出すわけにはいきません。捕まれば刑務所行きです。(笑)

ちゃんと服を着てやるべきことはやってもそれで救いが来るとは限りません。私たちにできることは神様がくださったものに付け足すことだけです。繰り返し言いますが、神様から触れられたとき、神の火を受けたとき、もうなすべきことは何もないと考えるのは愚かなことです。火を運ぶものにならなければなりません。その火を保ち続けなければなりません。受けた炎を持ち続けるのです。燃やし続けなければならないのです。アーメンですか。

(アーメン)

例えば私が皆さんの鉄のポットに入れるようにと、キャンプファイアの火をあげたとします。これをポットにいれっぱなしにしておけば火は消えてしまします。燃えるものをくべなければならないし、風に吹かれないようにしなければなりません。いいですか。それを消さずに燃やし続けなければならないのです。そうして神様が関与して下さる一致点が得られるのです。私たちもその一部なのです。私たちも神様の働きに関わっているというのです。

多くの教会で「神様がすべてをなさる」というのを聞いたことがあるでしょう。

しかし、神様は私たちになすべきことを求められるのです。神様は人間にも何かしてもらいたいのです。

終わりの日に起きることを思い起こしてください。預言は、どれも人々が共に立ち上がるとあります。そしてサタンの軍勢に立ち向かうとある。だからいつでも、どんな時でも人間が、神の民がかかわらなければならない部分があるのです。それが私たちの救いではありません。しかし共に使命を果たすこと、神の摂理において協働するということです。

(端に向かって歩かれながら)真ん中に立ちっぱなしにせずに、移動します。寝ている人はいないか確かめるのです。(笑)

とても重要な話です。凄い証を聞いたといいました。私たちには小さくとも果たすべき部分があるのです。神様の共同相続人となるということです。重要な、本当に重要なことです。

今日(フロリダから)戻ってくる若者たちの助けになるようにしたいと思っているのですが、彼らの体験を自ら冷静に分析できるようにしたいと思っています。聖霊で高揚しているはずです。天の新しいワインに酔っていることでしょう。それは素晴らしいのです。若者たちはそういう体験も必要なのです。神様から触れられること、何といっても重要なことです。しかし彼らが知らなければならないことは、それによって人より優れたものになるわけではないということです。誰よりも神聖な者になったわけではないのです。

誘惑は間違いなく来ます。悪魔はより一層、仕掛けてくるでしょう。だから適切にその位置を悟らせる必要があるのです。たとえ聖霊によって引き上げられ、目の前が開けたようになっていたとしてもです。

開ける前には閉じなければなりません。どれくらいの人が気付いていますか。一つのドアを開ける前に、別の一つのドアを締めなければならないでしょう。そういう体験のある人は手を挙げてください。

神様に賛美を捧げましょう。ドアを開けるなら別のドアを締めなければなりません。好むと好まざるにかかわらず、ある扉を開いていきたいと思うなら、一つドアを締めなければならないでしょう。

ドアを開けてでたら勝手に後ろでドアが閉まるとすれば、それはお化け屋敷でしょう。だから若者が聖霊体験をしてその後、意味を理解させることが大切です。それは神様との生活の始まりに過ぎないのです。それで終わりではありません。ゴールを駆け抜けたわけではないのです。牧師さんたちが祈ってくれて聖霊のバプテスマを受けたからといって終わりではありません。始まりに過ぎないのです。むしろ戦闘に備えなければなりません。

聖霊を受けて騒がしくなるということは、弱くなることではないのです。聖霊でけたたましく笑い出したとしても、神様は新しくしてくださるというのです、新しい人間に。
しかし(サタンとの)戦闘に備えなければなりません。霊的戦闘に備えるのです。

ここにキリスト教会の問題があります。

つづく

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聖霊を受けるときにも責任分担を忘れない-10月28日英語説教(その1)」への1件のフィードバック

  1. はぐれ者 の発言:

    江利川会長の礼拝「防御と創建摂理に対処する発展組織の編成」でのお話に反論する人は出て来ないね。心当たりする人いるでしょう!ほらほらそこの貴方。
    今まで言うだけの玉名市根性梨ばっかりかな?

    いいね

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