神様は父であって母ではありません-10月21日 英語説教(その2)

Sanctuary Church Sunday Service 10 21 2018   YouTube.png

2018年10月21日 英語説教

翻訳:BAMBOOS

(箴言20章)
28:いつくしみと、まこととは王を守る、その位もまた正義によって保たれる。29:若い人の栄えはその力、老人の美しさはそのしらがである。30:傷つくまでに打てば悪い所は清くなり、むちで打てば心の底までも清まる。

傷は痛みます。サタンとの戦いにある時、傷は痛みます。誰かと戦う時と全く同じです。みなさんが厳しい戦いをしてその戦いに勝つと、全てのあざと傷から達成感を覚えます。そのためにあざや傷を作るということではなく、重要な点は、こういう戦いをしたのだということを思い出させてくれるものになるということです。

「傷つくまでに打てば悪い所は清くなり・・・」。つまり神様は私たちが困難な訓練を通過するように導くということです。なぜかというとあなたを愛しているからです。神様は父であって母ではありません。

母親の心ではいつも、「子供たちを愛しているので何でもやってあげましょう」と・・・全ての母親がそうだと限りませんが大部分はそういうものです。「何でもやってあげよう」「楽な生活をさせてあげよう」「自分たちのような苦労をさせたくない」と。子供をだめにしてしまい、彼らは悪魔になってしまいます。

責任感のある父親は、子供を苦労させなければならないと分かっています。苦労させなければならないのです。というのも苦労しなければ、甘やかされて弱くなり、ナルシスト的になり、自己中心的になります。

愛のある父親は、子供が苦労を経験しなければならないことを知っています。なぜなら苦労によって子供が育ち、強くなり、不屈の精神と忍耐力、信頼性が増すと分かっているからです。人生が容易過ぎると決して神様を信頼するようにはなりません。社会主義者や共産主義者のように全てやってもらっていて、なぜ神様を信頼するでしょうか。何に対しても葛藤することがないのです。苦難がありません。

みなさんは何かと戦わなければなりません。しかし何かと戦わなければならない時、苦労して敵を持たなければならない時、その時には深く掘り下げなければならず、一生懸命働かなければなりません。今や困難が自分に降りかかっています。そして負けてしまえば自分の失敗です。そしてその不安な気持ち・・・良いストレスは素晴らしいものです。ストレスは適切な場合には良いことです。プレッシャーは不可欠です。

ストレスやプレッシャーがなければ、絶対米を炊くことはできません。プレッシャーもなくストレスもなければ豆の料理もできません。温度が上がらず肉が生のままなら、旋毛虫症になります。寄生虫にも体の中から食われて下痢になります。

ストレスによって強いられます。神様はあなたを愛しているので、あなたが成長するようにストレスとプレッシャーを与えることもあります。あなたは精一杯働き、泣き言を言うのをやめます。大人になって立ち上がり、一歩も譲らずに障害物に向かって進みます。

神様はあなたに成功して欲しいと思っていますが、勝利を与えたくはありません。なぜなら、そうすればあなたを社会主義者、共産主義者にしてしまうからです。あなたを悪くします。

ですから「傷つくまでに打てば悪い所は清くなり」とは、社会主義、共産主義という、他人にやらせて自分では戦わないという考えを清くするということです。また、「むちで打てば心の底までも清まる」です。

それは誰かに委託する方法を学ぶべきではないという意味ではありません。大きな事業を行ったり、大きな戦いをしたりする場合には、明らかに誰かに委託する方法を学ばなければなりません。リフォームをするので私が全部自分でやろう、ということではありません。違います。委託する必要があります。一緒にこれができます。

ジェイコブ・鈴木さんがすばらしい仕事をしたではないですか。みんなロビーを見ましたか。鈴木さんは本当に素晴らしい。ジンソンもそのチームにいました。他にはアレクサンダー、ダニエル。ロバートもチームにいました。そしてミノルさん。みんな素晴らしい仕事をしました。ロビーを見ましたか。天井がなくなって美しくなっています。素晴らしい仕事ぶりです。

繰り返しますが大きな戦い、戦争をしているなら当然他の人と協力しなければなりません。助け合わなければなりません。仲間を作らなければなりません。ネットワークを作らなければなりません。戦争で一緒に戦う方法を学ばなければなりません。

個人のMMAの戦いや柔術の戦いであれば独りで戦えます。ですからそれは戦争のようなものではありません。1人の敵と戦うだけです。若者にいつも話しているように、青年時代に誰かを素手で倒すことができるのはかっこいいことです。それによって高揚感を覚えます。しかしいつも私は、錯覚するなと言っています。なぜなら武器を組み込むとすぐに、全く異なる世界に入るからです。それは、訓練を受けていない武装した人が簡単にあなたを粉砕することができるからです。

いつでも誰かを暗殺できるような、ブラジリアン柔術の黒帯で3度世界チャンピオンになったことのある人が、酒場でけんかをして頭を銃撃されました。白帯でもない人に胸と頭を撃たれて死にました。こういった技に錯覚してはいけません。そうですね、青年たち。

ですから王はあなたたちに武器の技も訓練します。そうすれば錯覚しません。常に武器という現実を見せます。特に悪いことが、悪い勢力がやって来る場合、彼らは武器を持って来るのであって、道着を着て鞭を持っては来ません。武器を持って来ます。ですから神様の王国の装備品は戦力を増強させるものである、と理解することが非常に重要です。ですから青年たちはその訓練を受けています。

21章のここを見てください。後のほうの「むちで打てば心の底までも清まる」です。困難。神様が与えることのある試練と苦難。それは私たちをより良く、より強くするためです。

この子供たちを働かせますが、働きたくないという時もあります。君たちにランニングや腕立て伏せをやらせ、ラウンドを追加すると、もうやりたくなくなります。けれどもそれで彼らは強くなります。この男の子たちを見てください。3年前、2年前は、ビデオゲームをやっているばか者たちで全く弱く全く惨めなのに、実際自分たちは強くてかっこいいと思っていました。今3年前の自分を考えてみれば、どれほどふざけた者だったか気づきます。

3年前何も知らなかった時のことを考えてみてください。私が心の中でどれだけ笑っていただろうかと。私はこの思考停止の子供たちを見た時、「この子たちはひどく錯覚している」と思いました。少なくとも今少しは現実に目が開かれています。

考えてみてください。それは彼らのせいではなく、取り巻く社会が子供たちをこうした錯覚状態に置いているからです。完全に錯覚しています。だから痛みを我慢する方法が分かりません。

格闘技で良いことは、痛みをたくさん感じるということです。たくさんの痛みがあります。この3年間の訓練で少しでも痛みを感じた人はどれくらいいますか。痛みがあります。精神的な痛み、心理学的な痛み、霊的な痛み、そしてたくさんの肉体的な痛みです。ケガをした人は何人いますか。手足を折った人。君は指を折りましたね。

この最後の聖句。「傷つくまでに打てば悪い所は清くなり、むちで打てば心の底までも清まる」。あなたをより強力にし、強固にし、忍耐力を与えます。もっと困難なことにももっと熱心に戦うことができます。レベルが上がります。

つづく

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