私たちは内側で働く聖霊の働きに敏感になるべきです-5月13日英語説教「鉄のつえの王国15」(その1)

Kingdom of the Rod of Iron 15 May 13 2018 Rev Hyung Jin Moon Unification Sanctuary Newfoundland PA on Vimeo

英語説教「鉄のつえの王国15」2018年5月13日

翻訳: BAMBOOS

マタイとマルコを終えて、今度はルカ4章に入ります。誰でも知っている非常に有名な部分です。この43節は非常に重要な聖句です。それはイエス様が送られた理由を説明しているからです。イエス・キリストご自身の口でその理由を、「わたしは、ほかの町々にも神の国の福音を宣べ伝えねばならない。自分はそのためにつかわされたのである」と語られました。これは記憶しておいて、それについて瞑想したりすべき大切な聖句です。

つまずき迷う人々、神様から離れた人々に対して、心に愛、慈愛を抱く時、そういうことから私たちは人に話しかけたいと思い、キリストの下に導きたいと思います。それは心に慈愛を持つからです。彼らと共に苦労しようと。私たちもかつてはそのような者であったのであり、罪から恩寵によって救われ、慈愛の心を聖霊によって与えられて、そのような人たちに手を伸ばそうとするのです。迷っている人、キリストを全く知らない人に手を差し伸べようとします。

それはただ行動しているのではなく、聖霊が内側で働いて、あなたを通して聖なる仕事をさせようとしているのです。そしてキリストへと導き、救いへと至らせます。私たちは内側で働く聖霊の働きに敏感になるべきです。

キリストが来た理由というのが非常に重要です。もう一度言うと、ほかの町々にも神の国の福音を宣べ伝えるために来たと言われたのです。

マタイ24章でも語られています。「御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである」と。ですから、福音を説くことが重要だということが分かります。神様の王国の福音を説くことがとても重要です。というのも、それが神様の王国の力の時代において導きとなるからです。

ルカ4章を一緒に読みます。38節からです。

(ルカによる福音書4章)
38:イエスは会堂を出てシモンの家におはいりになった。ところがシモンのしゅうとめが高い熱を病んでいたので、人々は彼女のためにイエスにお願いした。39:そこで、イエスはそのまくらもとに立って、熱が引くように命じられると、熱は引き、女はすぐに起き上がって、彼らをもてなした。40:日が暮れると、いろいろな病気になやむ者をかかえている人々が、皆それをイエスのところに連れてきたので、そのひとりびとりに手を置いて、おいやしになった。41:悪霊も「あなたこそ神の子です」と叫びながら多くの人々から出ていった。しかし、イエスは彼らを戒めて、物を言うことをお許しにならなかった。彼らがイエスはキリストだと知っていたからである。42:夜が明けると、イエスは寂しい所へ出て行かれたが、群衆が捜しまわって、みもとに集まり、自分たちから離れて行かれないようにと、引き止めた。43:しかしイエスは、「わたしは、ほかの町々にも神の国の福音を宣べ伝えねばならない。自分はそのためにつかわされたのである」と言われた。

神様の心情に掻き立てられることに心を開かなければなりません。あなたの慈愛の中に住む神様と聖霊の働きに敏感にならなければなりません。職場の仲間でも誰でも、誰か知っている人に話をしなければ、と感じるのです。神様は信仰を持つようにと促します。マーク・ロビンソンのような完璧に雄弁な人のように、全てをはっきりと話すことはできないかもしれません。しかし、聖書には神様が言うべき言葉を与えてくださるとあります。信頼し、信仰を持ち、自分のあるがままで良いのです。道に迷い、神から離れて土の中、つまり地獄に下りて行こうとする人たちのために、キリストの愛、慈悲が自分から出て来るようにします。

素晴らしいインターネット聖職者が行った、総合的で素晴らしい調査結果があり、嘘を捨て去ることについて語っています。それがプログラム全体の内容で、その中に地獄に関するものがあります。私たちは地獄について、異教の概念をかなり受け継いでしまっています。とても驚くべき話ですが、普通のクリスチャンは地獄のことを全く非聖書的に、異教的に信じています。それはまた別の調査結果の話で、今日その話はしません。

重要な点としては、人々が神様から離れるようになってしまったので、慈悲を持って寄り添い、話をして、福音を伝え王国を伝えるということです。もちろん、嘲笑され、軽蔑されるかもしれませんが、神様は信仰を持ちなさいと言われます。強く、大胆で、勇気を持ちなさいと。

刺激を感じて、神様の呼びかけと鼓舞に敏感にならなければなりません。

私たちは本当に危険な技を教えています。BJJ(ブラジリアン柔術)、MMA(総合格闘技)などの戦闘では、敵に対して敏感でなければなりません。敵のことを感じなければなりません。それは直接敵と接触するからです。

もっと高度な技の段階になると・・・例えば銃の場合です。途方もない攻撃的なエネルギーに対して、信じられない程のバランスを保たなければなりません。同時に極めて冷静なコントロールが必要です。その両極端のものが混在します。全速力で走って身を隠し、悪者を即座に倒すことができなければなりません。しかし、良くコントロールしなければなりません。指だけでその小さなものを引くのですから。

体全体は全速力で走って緊張していますが、突然、本当に繊細に正確に撃つ必要があります。そっと絞らなければなりません。そうしなければあたりに広がってしまいます。その微妙な差異を理解すればするほど、悪者に勝つために攻撃的な性質を保つことと、自分の精神をコントロールすることとを、絶妙に組み合わせることだと分かります。特にそれは自分の小さな指で行うことであり、小さな節をコントロールしなければならないということです。引き金の指を引けば、全てがダメになって、悪者を撃てないかもしれません。高度で非常に微妙な技なのです。

ここで分かるように、キリストは悪魔を追い払っています。聖職者の3分の1は戦っていません。キリストは悪魔と戦い、支配と権威と戦っています。悪となった人々の背後にある勢力と戦っています。このような悪魔と戦い、支配と権威と戦っています。私たちの戦いは血肉の戦いではなく、支配と権利との戦いです。

見てください。キリストは戒めました。強いのです。霊に取りつかれて苦しめられている人がいました。キリストは強い態度を続けました。その人の枕元に立って、熱が引くように命じます。熱に叱責しました。

「すみません、悪魔さん。出てもらえますか」などというようなものではありません。「出ていけ!」と悪魔を叱りつけたのです。キリストは、強く攻撃的で力強い態度を取っていました。言うまでもなく、この人々を、社会の人々を癒していました。しかしそこには莫大な力と権威がありました。莫大な自信がありました。自分を美化するということではありません。「私は完璧だ。私は神だ」ということではありません。それは妄想であって自信ではありません。

自信は適切な訓練から来ます。現実世界での応用にできるだけ近づけることで出てくるものです。訓練を全てやっても、常に疑問を持ちます。固まってしまうのではないかと。その瞬間に自信を持っていなければならないのです。

つづく

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