2月3日礼拝説教 パンザー会長 (後半)

Sunday Service   February 3  2019   Unification Sanctuary  Newfoundland PA on Vimeo.png

2019年2月3日  

翻訳:BAMBOOS

アメリカ建国の父たちは、アメリカ合衆国憲法の修正第1条で信教の自由を法定化しました。創世記で、神様が堕落に干渉しなかったのはなぜでしょうか。人類を創造主にするためです。

神様にとって自由はとても重要です。自由がなければ神様との関係も、神様との愛もありません。強制されたキリスト教はもはやキリスト教ではありません。力でキリスト教を広めたら、キリスト教ではありません。それは正しいですか。それが信仰でなかったなら、私はイエス様を信じるから天国に行くと言っても、そのようにはなりません。

お父様は安っぽいキリスト教を教えませんでした。それは保険のようなものではないのです。私はイエス様を信じると言いますし、聖霊の体験も少しあります、というような。そうではなく、我々はイエス様のようにならなければなりません。再臨主のようにならなければならないのです。そうでなければ、我々は天国に行くのだとか、新幹線のような物に乗って直行するのだと思うかもしれません。それは正しいですか。私にはどちらだと決められません。それが政治的なキリスト教です。例えば宗教的で政治的なものとしての教皇がそうです。

皮肉なことに、アメリカでは信教の自由が保証され、政府による宗教への侵害が制限されており、世界で最も宗教的に進歩した国です。驚くべきことに、アメリカでは政府は宗教に巻き込まれることから回避されています。国教を作り出すことはできません。しかも世界で最も進んだ国です。

天一国憲法は信教の自由を保証しています。誰も自分の信仰のために罰せられることはありません。通りの向かいの家に共産主義者がいる場合、その人に親切にすべきです。あなたの牛が溝に落ちてしまった時に、彼が助けてくれるかもしれません。別の方法で助けてくれるかもしれません。言っている意味が分かりますか。地域のレベルで、我々はあらゆる種類の人たちと一緒に生活しなければなりません。誰がより互いを愛するか、誰がより優しい隣人かという競争をするのです。その人たちは鍛冶の技術をカイル・トフィーに教えてくれるかもしれません。

憲法に基づく天一国には国教というものはありません。何かを信じることを要求される人は誰もいません。宗教の自由市場があり、競争が許されています。

天一国の王様は宣戦布告できません。ほとんど全ての国には、憲法上の君主がいます。歴史を通して王というのは宣戦布告をするものでした。天一国ではそうではありません。王の権限は制限されています。多くの影響力は、道徳的な力によるものです。霊的な力です。

常備軍はいません。中央集権政府に制限があります。局所的な自己防衛と市民軍があります。

(略)

準備ということが重要視されています。全員が練習しています。私も金属の標的を撃つことはできます。それ以外のことはまだこれから考えようという感じですが、金属の標的の殺し方は分かります。たくさん練習しました。我々は様々な方法で準備しています。柔術や様々な格闘技も。

我々には自己防衛の権利があります。自分たちの家族、地域社会、また国を守る権利があります。

裁判についてはどうでしょうか。例を挙げましょう。銃を持った人がここに入ってきます。日曜礼拝の最中にサンクチュアリ教会に入ってきて、銃で襲い始めます。我々にはその人を止めるために撃ち返す権利がありますね。しかしその人物が床に横たわっていたらどうでしょうか。床に横たわり、もう銃は持っていません。しかも出血しています。誰かがその野郎を殺せと言います。歩み寄ってとどめを刺す権利があると思いますか。

彼はここにいる全員を殺そうとしていました。すると近づいて彼にとどめを刺してしまうのは問題ないことでしょうか。――彼に唾を吐きかけるのは良いと言うのですか。なるほど。テストは合格です。

亨進様は自制(forbearance)について話しをされました。 DICTIONARY.COMforbearanceを調べてください。self-control(自己統制)の意味だと説明しています。容易なことではないでしょう。なぜなら誰かが攻撃してきているため、あなたのアドレナリンがあふれて、反撃しようという怒りのエネルギーがあるからです。その後いったん敵を無力化してから、自己統制を取り戻すのは容易ではありません。

全員がこの人物のとどめを刺すべきではないと言うのですね。ほとんど全員が、すでに無力化されるか制圧された人を殺すのは間違っていると言うのですね。

ここにいるクリスチャンである私たちはみな、自己防衛は正しいと信じていますが、不必要に他人に危害を加えることが正しいとは信じていません。しかし、もしこの部屋の少なくとも半分の人たちは、無力な他人に危害を加えるよう説得される可能性が十分にあると言ったらどうでしょう。なぜならば、それを証明する心理学実験が実際にあるからです。この実験のことを教えましょう。

とても有名な実験であり、イェール大学で1961年から開始されたものです。ミルグラムの権威を持つ人物に対する服従の実験は、イェール大学の心理学者スタンリー・ミルグラムによって1961年7月から実施された、一連の社会心理学の実験でした。

参加者は無関係の実験を手伝っていると信じ込まされ、「学習者」に対して電気ショックを施さなければなりませんでした。この偽の電気ショックは、仮に本物であったら致命的となるレベルにまで徐々に引き上げられました。実験の結果、意外にも、しぶしぶではあったものの、非常に高い割合の人が指示に従ったことが分かりました。

この人たちは平均的な人たちであり、配管工や弁護士、教師といった様々な種類の職業の人たちでした。この実験で彼らは、「学習者」がいて、電気ショックが学習に役立つかどうかを研究しているのだと言われていました。奇妙に思えますがそういう実験でした。参加者が施す電気ショックは偽物で、役者がショックを受ける演技をしていました。致死的な、あるいは相当の損傷をもたらすレベルのボタンを押すこともありました。

ミルグラム実験の参加者は、実験後のインタビューで、電気ショックを与えたのはおもに3つの理由からだったと主張しました。権威ある人が信用できると思えたこと。理由が良いことだったこと。そして何か起きたら研究者が全ての責任を取ると考えていたことです。

兄弟姉妹のみなさん、ここで私が言いたいのは、お父様は誰が最大の権威を持つと言われたのかということです。――良心です。たとえあなたが尊敬する権威の高い人がいて、それが大義のためだと自分で思っても、自分の良心で確認しなければなりません。

私はただここにいる人たちに話しているのでなく、またインターネット放送で話しているだけでもありません。今から100年間の人たちに語り掛けています。なぜなら、あなたに対して高い権威を持った人が、例に挙げた銃撃犯のような――そのいまいましいやつにとどめを刺せとあなたに言うような状況が起こるかもしれないからです。

我々は注意しなければなりません。なぜなら聖書の記録が、選ばれた人たちも腐敗することがあるのだと証明しているからです。彼らも人間です。イスラエル人より我々のほうが良いと思いますか。彼らは確実に私より10倍の苦労をしました。私がここで言いたいのは、キリスト教の本質は、自分が悪を行う可能性があると理解することだという話です。

みなさんが祭壇に上がってイエス・キリストを救い主として受け入れている時、なぜあなたには救い主が必要なのですか。それは自分の中に悪があるからです。人を殺す潜在的な可能性があります。嘘を言い、レイプし、これまでに話していたあらゆる悪を行う可能性があります。それがキリスト教の本質だと理解すべきです。私は悪い人間になる可能性を持っているのです。

原理講論の376ページ(英語版)には、こうあります。

第一は、武器でサタン側を屈伏させて統一する道である。しかし、統一されたのちにきたるべき理想世界は、全人類が共に喜ぶ世界でなければならないので、この世界は、敵を武器で外的に屈伏させるだけでは決して実現できない。ゆえに、彼らを再び内的にも屈伏させて衷心から喜べるようにしなければならない。
(日本語版:後編第五章 メシヤ再降臨準備時代、 第四節 世界大戦、(四)第三次世界大戦、(1) 第三次世界大戦は必然的に起こるのであろうか)

つまり政治的な転換はありません。主張されているようなジハード的なキリスト教はないのです。戦いで人々を負かす必要はあるかもしれませんが、それが目標ではありません。目標は内的な屈服です。自発的な屈服です。それがお父様の信じておられた勝利なのです。

私がアメリカでとても誇りに思うことの1つ・・・。第二次世界大戦後、ドイツや日本とのこの悲惨な世界大戦の後、アメリカは何をしたでしょうか。我々はヨーロッパの大半を再建しました。日本のことも支援したと思います。もう敵として扱いませんでした。そのことを神様に感謝いたします。神様ありがとうございます。敵となるのではなく、友となりました。素晴らしいことです。私はその国から自分の妻ももらいました。

出エジプト記にある3番目の戒めではこう言っています。

あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。(出エジプト記20章7節)

つまり我々は、神様の名において悪を行ってはならないのです。私にとってこれはとても深刻な問題です。というのも、自分の恥となるだけでなく、神様の名に対して恥となるからです。

ビデオで二代王様が言っておられた話をもう一度読みたいと思います。

我々は悪と暗闇に立ち向かわなければなりませんが、自分がそれに吸収されたり、暗闇になったりしてはなりません。独裁を新たな独裁に置き換えるのではなく、自由を守る制度に置き換えようと努力すべきです。アベル型の革命は、復讐したいという誘惑に屈しません。

創世記9章にある、人間の命の価値についての内容を最後に取り上げたいと思います。

また、あなたたちの命である血が流された場合、わたしは賠償を要求する。いかなる獣からも要求する。人間どうしの血については、人間から人間の命を賠償として要求する。人の血を流す者は人によって自分の血を流される。人は神にかたどって造られたからだ。(創世記9章 5-6節)

つまり我々が誰かを不当に殺せば、神様の似姿を殺すことになるのです。またヨハネ3章16節にはこうあります。

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

神様はサンクチュアリ人をとても愛された、またはクリスチャンをとても愛されたとは言っていないのです。神様は世界を愛されたと言っています。つまり神様は人類全員を愛されたということです。地球上の全ての人間が当然生きる権利に値するというのです。私と同じ考えの人に限らないということです。

もう1つ、ローマ人5章8節です。

しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。

キリストは、イエス様は私たちのために死なれました。真のお父様は私たちのために生き、十字架に付けられました。私たち罪人のためです。我々が他の人よりも良いからではありません。

最後にまとめると、鉄の杖や暴力は命を救うために使ってもよいものであり、それはあなたにとってだけでなく、あなたの家族、地域社会、国、そして神様にとっても、そうした目的で使う場合は素晴らしい名誉です。しかし、鉄の杖の使い方を誤り、それで悪いことをするなら、自分にとっても、家族、地域社会、国、神様にとっても不名誉となります。長いプレゼンテーションになったことをお詫びしますが、とても重要な問題なのです。

なぜならこういう銃はおもちゃではないからです。人を殺すことのできる強力な道具です。人の命を奪うことは、小さな問題ではありません。我々は正しい動機を持つ必要があります。ご清聴ありがとうございました。

ミホに素晴らしい証しをしてもらいたいと思います。

(ミホ夫人の証し)
1カ月前のことですが、二代王亨進様が日曜礼拝で語られていました。とても力強いメッセージでした。お父様が語られていると感じました。王様を見ると口から聖霊の火が出ていました。同時に亨進様の背後に明るい光が見えました。光はとても強く、白く透き通っていてまるで火のようでした。

自分の目がおかしいのかと思い、目を閉じてもう一度見てみると光の中に顔が見えました。誰だろうと思うとすぐに答えが与えられました。それはイエス様のお顔で、微笑んでおられました。

私はそれまでイエス様に対して少し悲しげなイメージを持っていました。また私はいつも疑問に思うことがありました。イエス様と関係を持ちたいという思いです。真のお父様、と言うのは容易ですが、イエス様は・・・クック牧師のような方を迎えると私はいつも一定の距離を感じていたのです。自分自身でイエス様についてもっと知りたいという思いがありました。それで神様は、イエス様とお父様、そして二代王が完全に1つになっているところを見せてくれました。

それからここで祈り始めると、体全体が震えました。私は自分の目を開かなければならないと思いました。なぜなら、自分が飛んでいくように思ったからです。以上です。

この場所は聖霊に満たされています。二代王は、ここだけでなく世界中で放送を見ている人も同時に聖霊を感じることができるのだと言われました。

数週間前、東京に住む友人と話していたのですが、彼女は放送を一緒に見ていると言っていました。彼女たちにとっては夜中の1時とか2時になりますが、素晴らしく力強い説教を通じて聖霊を感じるのだと言います。

私は今も体が震えているのを感じます。

もう1つ証しがあります。私たちには祈りの戦士チームがあります。兄弟姉妹と3年前に始めたものです。毎週日曜日に礼拝堂の隅に行って、王妃・ヨナ様や兄弟姉妹と手をつなぎます。すると真のお父様が前のドアのところからやって来られます。毎週日曜日に。

もっと早くみなさんに伝えたかったのですが・・・お父様は私たち以上にこの日曜礼拝を心待ちにしているのです。私たちに会いたいと思っていらっしゃいます。私たち以上にこの礼拝に期待しておられます。

ここに素晴らしい共同体があることを非常にうれしく思います。そして王様は門を開く準備ができています。門を開き、多くの素晴らしい人たち、素晴らしいクリスチャンが来ています。私は、また私たちは彼らを迎える準備ができるよう祈ります。新しいキリストの身体、新しいキリストの花嫁となりたいと思います。私たちは、三大王権と共に世界に聖なる輪を作ることができます。

兄弟姉妹のみなさん、ありがとうございました。素晴らしい新年をお迎えください。

おわり

 

2月3日礼拝説教 パンザー会長 (後半)」への2件のフィードバック

  1. Jhon の発言:

    再臨摂理はユダヤ教ーキリスト教(Judeo-Christian)の復帰摂理の延長線上に立つべきで、これを無視してどんな急造教理を広めても、極東アジアの一民族宗教、異端で終わるのが精一杯です。これをしてしまっているのが韓オモニであり、そうでないのがアボニム、亨進様、信俊様と続く三代王権です。このことをいつも聖書に基づいて論理的に教えてくれるのがDr. Panzerです。
    この礼拝でも、古代の諸宗教では小児性愛、淫行がはびこっていたが、ユダヤ教は血統を何よりも重要視した。それ故に神が用いる選民たり得たという重要なポイントを教えてくださいました

    私見ですが、礼拝説教はやはりフルレングスのビデオを見るのと翻訳された文字だけを読むのでは伝わってくるものが全然違ってきます。極力編集、カットされていないビデオに日本語字幕を付けて日本の信徒は視聴すべきかと思います。
    国ごとに別の礼拝をしたり、ローカルの方々が説教をするのも大切かもしれませんが、SCPAで行われている礼拝に第二王のさまざまな摂理、思想、文化が反映されていると思います、そこにフォーカスするのが最も重要だと考えます。

    いいね

コメントを残す