2月3日礼拝説教 パンザー会長 (前半)

Sunday Service   February 3  2019   Unification Sanctuary  Newfoundland PA on Vimeo.png

2019年2月3日  

翻訳:BAMBOOS

次に深刻なテーマについて話したいと思います。私はこの新しい本のことで、研究をしてきました。暴力についての話です。今日お話ししたいのは、暴力についての2つの真実についてです。良いニュースと悪いニュースがあるのですが、どちらを先に話しましょうか。悪いニュースのほうですね。ではそのようにしましょう。

聖書での最初の罪の行為は、カインとアベルの話にあります。供え物が拒否されて、カインはそのことに本当に怒ります。本当に一生懸命努力したのかもしれません。何か作物を育てて、おそらく本当に一生懸命働いたのでしょう。そして、自分は兄なのにと考えたのかもしれません。神様が自分の供え物を受け取るに違いないと本当に考えるだけの理由がありました。そしてそうならなかったので非常に憤慨したのです。

「カインは大いに憤って、顔を伏せた」とあります。すると神様はこう言われました。「なぜあなたは憤るのですか、なぜ顔を伏せるのですか。正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しい事をしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」

カインはとても怒り、その怒りは弟アベルに向けられました。自分の外に問題があると考えたのです。問題はあの愚かな弟にあるのだと。神様は実際、問題はあなたの外にあるのではなく、あなたの内面にあるのだと言って、カインを導こうとしました。自分の内面を克服しなければならないのだと。

しかし興味深いことに、さもないと「罪が門口に待ち伏せています」と言われます。とても興味深い表現です。まるで動物が襲い掛かろうとしているように、待ち伏せているというのです。神様は、もし間違った選択をすれば、サタンが今にも奪って行こうとしているのをご存じだったのだと思います。サタンがあなたに爪を立てようとしている、とでもいうように。

残念ながらカインは克服することができず、弟アベルに「さあ、野原へ行こう」と言います。もしかしたらアベルはもっと詮索して、野原で何をするのか探るべきだったかもしれません(笑)。おそらく信じやすい性格だったのでしょう。

彼らが野にいた時、カインは弟アベルを殺します。神様は、アベルはどこにいるかと言われますが、カインは知らないと答えます。おそらくそれが最初の大きなウソだったのだろうと思います。

(略)

十戒の6番目の戒めは殺人を禁じています。ヘブライ語では、「ratsakh」と「mut」という2つの言葉、ギリシャ語では「phoneuo」と「apokteino」という2つの言葉が、それぞれ「murder(意図的な殺人)」と「killing(殺すこと)」を意味します。

1つは「死に至らしめる」、もう1つは「(意図的に)殺害する」ことを意味します。後者は十戒で禁じられていますが、前者は違います。実際、ratsakhには英語のmurderよりも広い意味があります。ratsakhは、不注意や怠りによる死も含みますが、戦争中に殺すことを表現する場合に使用されることは全くありません。

つまり神様はmurderを禁止しており、不注意や怠りによる死も罰を受けますが、戦争で殺すことは禁止してはいません。神様は自分の家族や国を守るために戦うことを許可しています。

(略)

今度はイエス様のみ言に進みます。ルカ22章(35-38)でイエス様は言いました。

「わたしが財布も袋もくつも持たせずにあなたがたをつかわしたとき、何かこまったことがあったか」。彼らは、「いいえ、何もありませんでした」と答えた。そこで言われた、「しかし今は、財布のあるものは、それを持って行け。袋も同様に持って行け。また、つるぎのない者は、自分の上着を売って、それを買うがよい。あなたがたに言うが、『彼は罪人のひとりに数えられた』としるしてあることは、わたしの身に成しとげられねばならない。そうだ、わたしに係わることは成就している」。弟子たちが言った、「主よ、ごらんなさい、ここにつるぎが二振りございます」。イエスは言われた、「それでよい」。

つまりイエス様は彼らに、自分の身を守らなければならないと言っているのです。そのすぐ後のことです。(ルカ22:47-52)

イエスがまだそう言っておられるうちに、そこに群衆が現れ、十二弟子のひとりでユダという者が先頭に立って、イエスに接吻しようとして近づいてきた。そこでイエスは言われた、「ユダ、あなたは接吻をもって人の子を裏切るのか」。イエスのそばにいた人たちは、事のなりゆきを見て、「主よ、つるぎで切りつけてやりましょうか」と言って、そのうちのひとりが、祭司長の僕に切りつけ、その右の耳を切り落した。イエスはこれに対して言われた、「それだけでやめなさい」。そして、その僕の耳に手を触れて、おいやしになった。それから、自分にむかって来る祭司長、宮守がしら、長老たちに対して言われた、「あなたがたは、強盗にむかうように剣や棒を持って出てきたのか。

つまり、我々は自分を守るために備えなければなりませんが、それは我々が、自分の意見に基づいてただそれを使い始めるという意味ではないのです。実際鉄の杖を持っているからといって、神様がそう望んでいると自分が考える時にいつでも使えるということではないのです。私の言うことが理解できますか。弟子たちは剣を持っていました。しかしイエス様はだめだと、使うなと言われました。

クリスチャンは最初の300年以上神様のみ言を広め、その多くが殉教しました。それが実際に起こったことです。反乱を始めませんでした。お父様が言われたことですが、イエス様が受け入れられていたなら、状況は大きく変わっていたことでしょう。というのも、ローマ帝国の下で生活したくないという人はたくさんおり、独立のために戦っていれば大きく状況が変わっていただろうからです。しかしそうはならなりませんでした。多くの人が殉教しながらも信仰を保ちました。初期のクリスチャンは私から見て、驚くほど素晴らしい人たちです。そのような恐ろしくひどい状況で彼らが成し遂げたことは、素晴らしいことです。

数百年して、コンスタンティンがクリスチャンになり・・・本当にクリスチャンになったのかは分かりませんが、キリスト教を推薦してローマ帝国の国教にしました。私の意見では、それは寄せ集めでした。ともかくキリスト教は基本的にローマ帝国全体に広がりました。ところで他の宗教もありました。唯一の宗教ではなかったのです。それでも南ヨーロッパから中東、北アフリカまで広がり、全てクリスチャンになりました。

それからムハンマドが生まれ、コーランの教えを広めましたが、それは実際旧約・新約聖書から引用されていました。彼が加えたものもありますが、多くは旧約・新約からの引用です。

イスラム教は実際布教にとても成功しました。ここに地図がありますが、128年の内に、北アフリカ全体と中東全体、そしてスペインを支配したのです。驚くほど速い布教ですが、人々を殺すことによって成し遂げたものです。人々に選択肢を与えたのだろうと思います。自分の宗教の殉教者となるか、自分たちのギャング、マフィア宗教に参加するか。それはマフィア宗教でした。そしてとても成功しました。

その後何世紀にもわたって、ヨーロッパ、トルコ、またインドも含めて広く拡大しました。人々を殺し、改宗を迫る。それがうまくいきました。それは他の思想でも機能します。

20世紀に移り、ヒトラーは国家社会主義の思想を土台としていました。社会主義者でもあり、自らの国家民族の独自性を崇拝し、ユダヤ人を憎むという思想です。彼らはヨーロッパの大半を支配することができました。2500万人が彼の思想のために死にました。

今度は共産主義です。マルクスの教えに基づく共産主義。国民の敵がいて、階級闘争、階級間の憎しみを通じて進歩するというものです。労働者階級の独裁を確立するとういう方法を取り、労働者の楽園を作るには国民の敵を殺すのだと言います。国民の敵は誰かと言えば、基本的に現在の支配者に反対する者全員です。実際彼らは以前の共産主義者をたくさん殺しました。ロシアで何が起きたかと言えば、結局多くの共産主義者を殺したのです。上層部に逆らう人は誰でも殺されるか、飢え死にさせられました。

とても控えめな推定ですが、中華人民共和国では6500万人、ソビエトでは2000万人と、多くの人が殺害されました。カンボジアも。ソー兄弟に実際45分ほどのインタビューをしたのですが、彼が経験したことは驚くべきものです。眼鏡をかけているだけで人を殺したのです。

同じ半球にあるベネズエラでも、国民は飢え死にさせられています。社会主義者の独裁者であるマドゥーロが、(写真で)自身の政党のメンバーシップカードを持っているところです。カードを持っていれば食料がもらえますが、持っていなければもらえません。だからゴミ箱をあさり食料を探します。多くの子供と老人が餓死しており、ひどい状況です。

できるだけ早くこの悪の独裁者が排除されることを、神様に本当に祈っています。キューバの秘密警察がおり、ロシア、中国、イランもそこにいます。このようなことが西半球であるべきではありません。この男が継続することを喜ぶ人がワシントンにはいるのかもしれません。

もちろん私たちの真のお父様は、このような問題についての見識を持っておられました。そのみ言を読んでみたいと思います。1977年の講演でのものです。

共産主義者は恐るべき敵であり、世界の3分の2を支配しています。熟考することなく誰でもいつでも処刑します。多くの人は、共産主義者に慈悲がないことを恐れているため、反対意見を言いません。しかし私は恐れず、立ち上がって真実を宣言します。アメリカが共産主義者に取り組むのに頼りにならなくなったとしても、国務省が諦め、CIAが希望を失ったとしても、私は諦めません。他の全員が撤退しても、私は前に飛び込み、前線で戦って、共産主義は神様の敵だと宣言します。

それが我々の真のお父様です。それが真のお父様なのです。真実を語ることを恐れませんでした。恐れることなく、肩に鉄の杖を担いで(訳注:写真のこと)おられます。悪のサタン的な独裁者と「和解」することが、世界に平和をもたらす方法だとは決して考えませんでした。愚かな人ではありませんでした。

Kingdom of the Rod of Iron December 17 2017 Rev Hyung Jin Moon Unification Sanctuary N3ewfoundland PA on Vimeo (1)

武力に対するキリスト教の考え方について話したいと思います。キリスト教では、防衛のための武力の使用しかないと明白に述べています。敵に殺されるままにする必要はありません。キリスト後の最初の数世紀はそれも必要だったのかもしれません。しかし神様は、我々がただ人に殺されるままであることは要求していません。

ではキリスト教を広めるために武力を使うことはどうでしょうか。もっと速くなるでしょうか。キリスト教に改宗するか、さもなければ首を切ると選択肢を与えるだけです。もしかしたら魂が地獄に行くのを助けることができるかもしれませんよ。

ある外国で政府の役人がクリスチャンに対する迫害を実行しています。人々を牢獄に引きずっていき、処刑も許可しています。この政府の役人を抹殺すれば多くの命を救えるでしょう。抹殺すべきだと思う人はいますか。手を上げている人がたくさんいますね。この人を排除すれば多くの人の命を救うことができます。するとあなたは、やがて聖パウロとなるタルソスのサウロを殺したことになります。彼はキリスト教を広めるために、歴史上のどの人物よりも尽くした人です。

悪い選択です。みなさんは新約聖書の半分以上を書いた、聖パウロを殺したことになります。サウロはクリスチャンに対する迫害を画策していました。多くの人を牢獄へと引きずっていき、ステファノや他の人たちの処刑の許可までしたのです。

我々は武力を使用することに慎重にならなければなりません。というのも、最悪の神様の敵に、神様が計画を持っていることがあるからです。武力の使用にとても気を付けなければなりません。

きっと初期のクリスチャンたちも、この男を排除したいと思っていたでしょう。この男は悪い人で、仲間を殺している。サウロの目が見えなくなり、神様はアナニヤという人を遣わします。アナニヤは葛藤したでしょう。この男を助けるべきか、それとも喉を切ってしまうべきかと。我々は注意しなければなりません。