誰かが「自分のために」審判してくれるのか-10月28日英語説教(その3)

2018年10月28日 英語説教

翻訳:Harry  (上のタイトル動画は編集を加えています)

これがキリスト教会の問題なんですが、考えの中にずれがあります。
まるで誰かが「自分のために」審判してくれると考えている。
神様が降りてこられて、すべての権能と領土と権威を下さり、自分は高みの見物。すべてはうまくいく。これはもう最悪の無責任な「準備」だといえるでしょう。

例えばの話、トランプの国際的ビジネスのすべてを与えられ運営しなさいと言われたらどうしますか。それを知って準備しないでしょうか。具体的なたとえ話をしています。ホテルの経営など他の分野でもそれに精通した人材を自分の周りに集めて準備しないでしょうか。きっと準備するでしょう。

「ああ、やった!ついに来るべきものが来た。自分は何もしなくていい!」

そうはならないでしょう。これがキリスト教会の問題なのです。
極めてはっきりと聖書に天国は実体でなされるといっているのに、それをいまだに恐れている。現実に立ち上がって悪を裁き、邪悪な者と戦うことを恐れているのです。本当に戦うことになるかも知れません。これをキリスト教徒たちは恐れているのです。特に教団内の女性がこれを恐れています。女性の戦士になっていない。

私が訪れた教会のほとんどでは、耳に心地よい言葉を聞き、ただ励ましの言葉が欲しい、ただ日常の不安を解消したいと思っている。悪魔に対して立ち上がり戦う闘士として、女性戦士としての準備がなされていません。霊的な話だけをしているのではありません。

(フロリダのブラウン牧師の教会での)ミーティングがあって、その昼食の間、取り囲むすべての牧師、すべての人々に「サンクチュアリ教会の女性は全員訓練している」といってウィリアム博士が得意げに話してくれました。われわれは女性たちも訓練しています。口だけで終わらせず、侵略者に勝手な振る舞いをさせたくないからです。だから女性も鍛えています。神の王国にふさわしい王妃を育てること、これは私たちの責任です。

女性たちを弱いままにしておけない。耳障りのいいことだけ聞かせて、不安を除くだけ・・「ああ、すべてうまくいきますよ。神様があなたのために闘ってくださいます」などと(私は)言いません。神様は準備のための闘いを与えられるかもしれません。

ただ脇に立って「神様、頑張れー」と叫ぶチアリーダーを演じるのでなく隊列に加わることができるように。

ほとんどの教会、キリスト教会は女性を単なるチアリーダーに育てているのです。(女性も)チアリーダーになりたいと思っているから。私はチアリーダーを欲しません。私が望むのは戦士です!チアリーダーでは目的を達することができない。何ができますか。ビキニを着て敵の気持ちをそらすのですか。(笑)

それでは戦場の目的を果たすことができないのです。
チーフをご覧なさい。(訳注:本部の教会員トム・バークのこと。アメリカ陸軍特殊部隊グリーンベレーの第1期としてベトナム戦争を戦った。ネイティブアメリカン)彼はジャングルの戦闘に従事しました。チーフは女性を鍛えました、ベトナム人女性です。なぜなら防御線の最後にくると、襲撃者がやってきて子供たちを殺すからです。襲撃者は遊びのように赤ん坊を投げてそれを剣で受けて突き刺すのです。そういうことをチーフは見てきたのです。グリーンベレーは襲撃者を追って全員仕留めました。化け物、悪魔のような者たちです。

そのような者たちをコントロールしていたシステム、権力の源泉が共産主義でした。人々を荒廃させ、奴隷にするシステムです。

そこでチーフは(ベトナムで)女性を鍛えました。狙撃を教えたのです。攻撃軍と直接には戦いませんが、背後から狙撃できるようにしたのです。支援兵に仕立て上げました。いつでも戦うこと、敵を倒すことができました。

いったいどれだけの教会がそういうことを議論しているでしょうか。ハルマゲドンが来ればサタンの軍勢は彼らを殺害し破壊するというのに。私の言っていることが分かりますか。

これは問題です。誰かと戦い、ときには相手の命まで奪う。女性にとって最も恐ろしいことではないですか。ゾッとする話です。

ところが、教会に行くと何をしているかといえば女性の心を癒すだけ、不安を解消することだけしかしない。口数多くしてただ心地よくさせるだけ。「神様があなたに代わって戦ってくださいます」といって。

しかし王国の文化では、神様は自分の子供たちを守る責任を与えられるかもしれません。それはまさに神が望まれる自分になることです。自分以外の人々に任せることなく。あなたは王国の責任を分かち持つ一人なのです。王国の正義に責任をもつことなしに、一体どうして裁きの権威をもつことができますか。権威がないというのです。わかりますか?

問題だというのです。だから訓練に違いがあります。われわれは、若者を訓練し、その他の人を訓練しています。皆さんも分かっているように、単なる肉体の訓練ではありません。霊的訓練でもあるのです。訓練をするときには、銃の訓練もそうですが、「生死の問題を主管する」という決意で臨まなければなりません。

人命を守り、神の民を守ることを求められる場合、皆さんは死を決して奮闘しなければなりません。そういう決意をしなければならないのです。武器を携帯するということはそういうことです。侵略者に対してそういう肉体面での決意が必要だということです。だから何より生活パターンを変えなければなりません。自分のベルトに2、3ポンド(訳注:約1キロから1.3キログラム)の重りを付けてみる、それだけではだめです。どこに行くにも。(笑)

女性がそうすると服のシルエットが変わってしまうでしょう。ぴったりフィットするレギンズやシャツを着ることができません。そうするなら(おもりが)隠れるように何とか工夫しなければなりません。女性もいざ実践するとなれば何かを変えなければならないのです。

見栄え良くしながら、防御者になることは可能です。それが望ましい。なぜなら敵に、強力な者は誰かを悟られたくないからです。むしろ誰が危険で強力なのか分からない状態にしておきたい。 アーメン?  (アーメン)

そうすれば敵のやる気もそがれるのです。・・・彼らにはドッグフードを与えておくこと、本物の肉を与えてはいけません。彼らはいつも相続者を手なずけようとします。自分の所有者を手なずけようとするのです。手なずけられるのはイヌの方であり、オオカミの方でなければなりません。主人であってはならないのです。オオカミの力で主人を手なずけようとするのです。これが問題です。そうさせてはいけません。

だからこそ嬉しかったのでした。ブラウン牧師は副牧師たちが何も持たない写真と、彼らがARライフルをもった写真の両方を送ってくれました。いまライフル射撃の訓練をするように勧めているそうです。徐々に、少しずつ段階を踏んで。私はそれでも素晴らしいことだと思います。ブラウン牧師がそれを進めていくと教会を分別できるのです。左翼の信者たち、左に傾いた信者たちは「いったい何をしているのですか」といって教会を去るでしょう。それでいいのです。そうならなければなりません。なぜなら神の軍隊を作るのですから。

本人(ブラウン牧師)は特に武装させているわけではない、準備しているわけではないといっているにしても、実際、たくさん銃器を所有しています。

今、ブラウン牧師は指導力を発揮しているし、国進ニムも気前よくAR-15ライフル、鉄の杖を10丁も寄贈しました。それを副牧師たちに渡しているのです。彼らもたいそう気に入っています。その話を牧師たちとしたのですが、一人の黒人の牧師さんが罪でも犯したようにうなだれていたので「ブラウン牧師が副牧師たちと兄が送ったライフルと一緒に写っている写真を見ましたか」と聞きました。すると彼は「ああ、その時一緒に映らなかったのです。実はもうライフルを持っていましたから」。そういって罪深そうにうなだれていました。

「どうして罪を宣告されたかのようにうなだれるのですか。あなたは先に鉄の杖を持っていたのに」と私は言いました。「あれはすべての王が持たねばならない鉄の杖ですよ」。それを聞いて勇気づけられたように喜んでいました。

彼の奥さんも隣に座っていたのですが、奥さんもショットガンが身近にある地方の育ちなので何の問題もありません。

ここにキリスト教会の問題があるのです。
肝心かなめの所を見逃しているのです。その周りをぐるぐる回っている。だからサタン主義者はそこを抑えて世界を奪ったのです。まさに毛沢東がいみじくも毛語録の中でいったように「権力は銃から生まれる」を実践した。ここに焦点をまっすぐに合わせ、そこに悪なる人々が集まってきたのです。そして権力を奪取した。ここに問題があります。

彼らは聖霊に酔うことなど何とも思わないのです。なにも恐れない。宣教師も恐れなければ福音伝道も脅威にならない。どれも恐れないというのです。ただ唯一恐れるものは何かというとこの教会から出てくる「鉄の杖の王国」これです。これを世界、悪なる世界は恐れるのです。これを彼らは恐れる。

これは決して自慢していうのではありませんが―われわれは小さな特殊な群れに過ぎません。しかし、いいですか、デンマークTVが来て素晴らしいドキュメンタリーを制作しました。ヴァイス・メディア(カナダ)も11月の第一週に番組を放映します。さらにスペイン国内ナンバー2のスペイン国際TVも放映するのですが・・・スペインの人口はどれくらいですか?5千万か6千万です。(訳注:2018年現在、約4千6百万人)もちろん左翼の方が多いでしょう。CNNやMSNBCのインタビューを求めて来るでしょうが、ポジティブな影響はもたず、むしろネガティブなものとして見せるでしょう。でもそれはどうでもいいのです。重要なことはメッセージが拡散するということです。

つづく

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