イズミさんの素晴らしい証しがあります-11月4日英語説教(その1)

Sunday Service   November 4  2018   Rev  Hyung Jin Moon   Unification Sanctuary  Newfoundland PA on Vimeo.png

2018年11月4日 英語説教

翻訳:BAMBOOS

今朝はエペソ人への手紙4章から行きましょう。前もって知らせておきますが、それから詩篇29篇に飛びます。

1:さて、主にある囚人であるわたしは、あなたがたに勧める。あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩き、2:できる限り謙虚で、かつ柔和であり、寛容を示し、愛をもって互に忍びあい、3:平和のきずなで結ばれて、聖霊による一致を守り続けるように努めなさい。4:からだは一つ、御霊も一つである。あなたがたが召されたのは、一つの望みを目ざして召されたのと同様である。5:主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ。6:すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのものの内にいます、すべてのものの父なる神は一つである。7:しかし、キリストから賜わる賜物のはかりに従って、わたしたちひとりびとりに、恵みが与えられている。8:そこで、こう言われている、「彼は高いところに上った時、とりこを捕えて引き行き、人々に賜物を分け与えた」。9:さて「上った」と言う以上、また地下の低い底にも降りてこられたわけではないか。10:降りてこられた者自身は、同時に、あらゆるものに満ちるために、もろもろの天の上にまで上られたかたなのである。11:そして彼は、ある人を使徒とし、ある人を預言者とし、ある人を伝道者とし、ある人を牧師、教師として、お立てになった。12:それは、聖徒たちをととのえて奉仕のわざをさせ、キリストのからだを建てさせ、13:わたしたちすべての者が、神の子を信じる信仰の一致と彼を知る知識の一致とに到達し、全き人となり、ついに、キリストの満ちみちた徳の高さにまで至るためである。14:こうして、わたしたちはもはや子供ではないので、だまし惑わす策略により、人々の悪巧みによって起る様々な教の風に吹きまわされたり、もてあそばれたりすることがなく、15:愛にあって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達するのである。16:また、キリストを基として、全身はすべての節々の助けにより、しっかりと組み合わされ結び合わされ、それぞれの部分は分に応じて働き、からだを成長させ、愛のうちに育てられていくのである。17:そこで、わたしは主にあっておごそかに勧める。あなたがたは今後、異邦人がむなしい心で歩いているように歩いてはならない。18:彼らの知力は暗くなり、その内なる無知と心の硬化とにより、神のいのちから遠く離れ、19:自ら無感覚になって、ほしいままにあらゆる不潔な行いをして、放縦に身をゆだねている。20:しかしあなたがたは、そのようにキリストに学んだのではなかった。21:あなたがたはたしかに彼に聞き、彼にあって教えられて、イエスにある真理をそのまま学んだはずである。22:すなわち、あなたがたは、以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く古き人を脱ぎ捨て、23:心の深みまで新たにされて、24:真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべきである。25:こういうわけだから、あなたがたは偽りを捨てて、おのおの隣り人に対して、真実を語りなさい。わたしたちは、お互に肢体なのであるから。26:怒ることがあっても、罪を犯してはならない。憤ったままで、日が暮れるようであってはならない。27:また、悪魔に機会を与えてはいけない。28:盗んだ者は、今後、盗んではならない。むしろ、貧しい人々に分け与えるようになるために、自分の手で正当な働きをしなさい。29:悪い言葉をいっさい、あなたがたの口から出してはいけない。必要があれば、人の徳を高めるのに役立つような言葉を語って、聞いている者の益になるようにしなさい。30:神の聖霊を悲しませてはいけない。あなたがたは、あがないの日のために、聖霊の証印を受けたのである。31:すべての無慈悲、憤り、怒り、騒ぎ、そしり、また、いっさいの悪意を捨て去りなさい。32:互に情深く、あわれみ深い者となり、神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように、あなたがたも互にゆるし合いなさい。

非常に濃い内容です。今日準備していた曲は何と言いましたか。「主が私にしたこと」。来週やるのですね。今それを学びましょう。こういう歌詞です。

(一緒に繰り返し歌を練習される)
「弱い人に自分は強いと言わせ
貧しい人に自分は金持ちだと言わせ
目の見えない人に見えると言わせる
それが、主が私にされたことだ
ホザナ ホザナ 屠(ほふ)られた子羊に
ホザナ ホザナ イエスは死んで蘇った
ホザナ ホザナ 屠られた子羊に
ホザナ ホザナ イエスは死んで蘇った」

歌を覚えましたね。素晴らしいです。分かるでしょうが様々な聖句から来ています。

ここを見てください。「さて、主にある囚人であるわたしは、あなたがたに勧める。あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩き」。

数週間前に勉強しましたが、キリストと共に道を歩むという聖句はどこだったでしょうか。キリストに喜びを与え、幸福をもたらす、キリストと共に歩むという。

これはまた別の聖句です。「あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩き」。神様が人に与える贈り物には様々な物があります。11節にあるように、伝統的には5つの聖なる職務とされる物があります。いわゆる神様の職務の5つ、または5本指です。

使徒、預言者、伝道者、牧師、教師の5つです。ですから誰もが、神様の職務に関連する何かをするために召されているのです。霊に対する務め、迷っている人に対する務め、また神様のみ言を救うための務めです。神様のみ言を聞くことで信仰が訪れるようにするための。

み言を聞くことで精神を強化し、取り戻すためです。み言聞かなければならないのは、普通の世界ではすぐに忘れてしまうからです。我々は簡単に忘れます。時々なぜやっているのかという目的を忘れることもあります。そのため神様のみ言が、我々をしっかりと支えて目的を思い出させるのです。

我々はこの地上で何をしているのでしょうか。長年の疑問です。その疑問は通常哲学で必ず問うことです。小惑星の上に漂っている進化した霊長類に過ぎない、というのが、彼らがあなたに信じさせたい宗教です。というのも、それが奴隷化を正当化するためのものだからです。そうしてあなたをおりに閉じ込めることを正当化します。インターネットのおりや、おりで例えられる物に。憲法がひどいサタン的なものである国では、憲法のおりかもしれません。

ある種の知的な人が言う話なので正当化されます。彼らは優れた才能のある人たちで、魔法のような科学や、聖書にある古代のオカルトの探求をする、あらゆる種類の高度な知識を持つ人たちです。人々はオカルトの高度な知識、秘密の知識を探求していました。彼らはホルスの目によって探求していました。秘密の謎めいた宗教です。

それと同じことです。ある種の高度な知識を求め、ある種の秘密の知識を求めて、一般大衆を奴隷化したいという自分たちの欲望を、正当化しようとしていたのです。それでいつもオカルトを求めていたのですが、現代では科学がほとんどそのようなものになっています。

科学が何か悪いことだというのではありませんが、多くの人にとって疑似宗教のようなものになっています。結論は人間性の抹殺なのに、この思想的な比喩として、何か合理的な論理的な物を追求しているのだと、自分を正当化することができるのです。結論としてはAIが人を追い抜くということや、ロボットが実際に人間を時代遅れのものにしてしまうということであるのに。

優秀な科学者がクリスチャンと討論する番組を見ました。そのクリスチャンは哲学者の見地からは理想主義者でした。科学者のほうはよく勇気をもって参加したと思いますが、ロンドンの教授でした。「信じられないこと(Unbelievable)」という番組でしたが、良い番組でした。基本的にはクリスチャンが無神論者と討論するというものです。イギリスのクリスチャンの人が番組の司会をしていましたが、とても素晴らしかったです。

その教授は唯物論者の枠組みから来ている人で、人間に目的があるかどうかということを話し合いました。その教授の結論はばかげたものだったのです。基本的に我々に目的はないということを認めていました。あらゆる複雑なやり方で。

エペソ人の手紙には警告があります。13節、5つの聖職について語ったすぐ後です。

13:わたしたちすべての者が、神の子を信じる信仰の一致と彼を知る知識の一致とに到達し、全き人となり、ついに、キリストの満ちみちた徳の高さにまで至るためである。14:こうして、わたしたちはもはや子供ではないので、だまし惑わす策略により、人々の悪巧みによって起る様々な教の風に吹きまわされたり、もてあそばれたりすることがなく、15:愛にあって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達するのである。

本当にこのことが教会に浸透しています。多文化的な愛の教え。善と悪を識別する方法が分からない愛。それは神様の愛ではありません。神様には父親らしい愛があります。神様は悪を愛しません。姦淫を愛しません。性的人身取引を愛しません。

「神様は全てを愛する。そうでなければ何も憎むことはできない」。それはばかげたことです。愛があるなら悪を憎まなければなりません。妻を愛するなら姦淫を憎まなければなりません。子供を愛するなら、性的人身取引業者を憎まなければなりません。自分の子供を捕まえて誘拐しようとしているのですから。

誰かを愛するのであれば、すでに道徳的な立場に立っているということです。決めたということです。このことのために立ち上がるということです。

これを愛すると言うなら、このために立ち上がるということです。迫害に抵抗し、あらゆる不義に立ち向かい、あらゆる嘲り、侮辱、敵があなたに投げつけるものが何であっても立ち向かうということです。何かを愛する時にはある立場を取ります。

ここの聖句では私たちに、もてあそばれる子供について警告しています。

(中略)

13節。「わたしたちすべての者が、神の子を信じる信仰の一致と彼を知る知識の一致とに到達し」。我々は神様を知らなければなりません。神様を知る時、もっと深く神様を愛するようになります。神様を知れば知るほど深く愛するようになります。愛が深くなればもっと自然に喜びを返したくなります。

罰を受けるから戒律を守るのではないのです。それが喜びを返すことだと知っているから守ります。簡単です。というのもそれが自分の第二の性質のようになり、自分の一部になるからです。

我々が戒律を持つのは、それによって聖なる者になれるからではありません。それが自分を浄化するということではありません。ただ神様を喜ばせるためです。それは単純で純粋なことです。子供がお父さんとお母さんを喜ばせたいのと同じです。非常に純粋で強力です。

神様を知れば知るほど、愛すれば愛するほど、男性なら保護者としての直感があるのでそれが進み・・・先週のときの声は何と素晴らしかったでしょうか。後からインターネットで確認してみましたか。良くできていた人もいました。もう一度やりましょう。神様の霊が私の中に入りますように。それをもう一度空気の中に解き放ちたいです。立ち上がって、ストレッチしてください。深いところに入っていきましょう。

(中略)

先週来ていた日本人のイズミさんの素晴らしい証しがあります。彼はとても若い感じの人でしたが、いくつかの癌を患っているようで、あるものはステージ4、あるものはステージ8とか・・・8段階の6ですか?とにかく末期癌ということです。ここに来たのは2週間前で、8段階のうち6だということです。医者は長くは生きられないと診断していたそうです。日本の病院で確認されたことです。非常に末期の癌ということです。

2週間前に来て祈りを受け、アノインティングが彼に降りました。もちろん肉体でも彼が何か戦っているのだと感じます。彼はすぐに日本に帰国しました。それで彼が検査を受けたと先週聞いたのですが、ステージ6だったのが日本に帰ってみると2に下がっていたというのです。ハレルヤ!神様を賛美しましょう。

私たちは誰も・・・中には自分たちの時になって亡くなる人もいます。我々は誰も止めようとはしません。神様が呼んで・・・とにかく我々には止めることはできません。神様が行くように召しているのであれば、誰が祈っていても行くということです。

しかし中にはその時ではない人もいます。しかし悪魔が逆らって、多くの場合家族が対立して、多くの場合嘲笑う人と迫害する人がすぐ後ろについていることがあります。それで早く行ってしまうのです。死んでしまいそうに見えます。医者もすぐに死んでしまだろうと言うのです。我々は誰であっても、時が来る前に亡くなって欲しくありません。

ある時点では行くことになります。それは構わないのです。神様が最終的に選びます。その時になっているのであれば行っても良いでしょう。しかし時ではないなら留まらなければなりません。なぜならまだ勝利すべき戦いがあるからです。それを内面で理解しておかなければなりません。
 

つづく

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