「あなた方は私の重荷をさらに重くしている」キングズレポート2月8日ハイライト(前半)

千年王国といいました。
そこでの武器は鉄の杖です。
キリストは鉄の杖で、共同相続人たちと共に統治するのです。
千年キリストと共に生き共に治めるのです、悪を打ち破って。

悪を打ち負かすのです、なぜなら善人の手の内にあるから。普通の人です。サイコパスでもなくソシオパスでもない普通の人々。キリストとともに立ち、訓練された人々です。
聖書には 「神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです(テモテ第2の手紙1:7)」とあります。力と愛と思慮分別、この三つの要素はすべて、鉄の杖、銃器を扱うにあたって本質的に重要な要素です。

銃器の訓練には、修養を積んだ精神と人類に対する愛の心、そして神を愛し隣人を愛する愛、そして「力」に対する主管力、生死の克服、主権をもつ人にとってこれらが絶対的に必要です。
昨日の韓国語礼拝でも話をしました。
もちろん、アメリカの兄弟姉妹、韓国をはじめとするあらゆる国のメンバーが、今回の祝福式に「どうして王冠と銃なのか」と話しています。これは現実を見ること、リアリティをもつことを求めているのです。ただ参加して気分が良かったなどという話ではないのです。

王である振りをすること、そのように装うことではありません。王、王妃としての実際の力をもつということです。単なる象徴や比喩や空想の世界であっては駄目なのです。これはファンタジーゲームではありません。パソコンのファンタジーゲームではないというのです。

式典でただ王冠を被って神様の前に立つのではありません。面白いことに王冠に対して文句を言う人はいません。(笑)

しかし実際の武装兵器である鉄の杖、聖書のいう武具をもつという時、これは聖書的には王冠よりも中心的内容です。キリストと共に治める者が手にもつ鉄の杖については聖書で繰り返し言及しているのです。また聖書に留まるのではなく現実の力なのです。これに訓練の責任が伴うことは言うまでもありません。平和警察、平和軍文化の一端を担わなければなりません。逃げ回る臆病ものであることをやめ、戦士の文化の一翼を担わなければなりません。

コメンテーターであることをやめ、β(ベータ)メイル(男)、βフィーメイル(女)のまま、あれこれ批評するだけの者ではいけないということです。トレーニングすら始めようとしないではないですか。立ち上がるα(アルファ)メイル、αフィーメイルたちと一緒になって行動しない。若者たちはαメイル、フィーメイルに成長しつつあります。αメイル、フィーメイルでない両親があれこれ批判していてどうしますか。親がどちらかといえばβメイルでいて、戦士文化にあれこれ批評を加えていて、その子供たちがαメイル、フィーメイルになって両親より立派な人間になればどうですか。脅威の存在になります。これは愚かしいことです。親も平和警察、平和軍の文化に参加すべきです。そうして実際にαメイル、フィーメイルになるのです。すると女性はαメイル、フィーメイルをねたんだり恐れたりすることなく愛するようになるのです。あなたもαメイルの一員になるのです。

*注:アルファメイルは生物学の用語の一つ。
アルファ(alpha=α)は「一番最初の」という意味合いをもつ単語だが、生物学(動物生態学)でアルファといえば「群れの中で最優位の個体」を意味する。これにmale(男性)という単語をつけると「群れで序列一位のオス」を表す。(雌の場合は alpha female という)

お父様はスーパーαメイルでした。皆さんにはわからないでしょう。
おもしろいことは、お父様に対して表面では取り繕いながら、始終陰で不平を漏らしていた者が、いま、私が家庭連合に対する不平不満をいっているというのです。いいかげんにしろというのだ。

荒野でモーセに対するつぶやき、不平不満と同じです。
私たちは幻想を語っているのではありません。霊界の天国の話をしているのでもなければ、クリスチャンが思い描いている霊的天国でもないのです!

実体の天国の話をしているのです。現実の文化、皆さんがそこで王、王妃として責任を負うべき実体的な文明の話をしているというのです。王家の服装を装い、実際には持っていない王の権力をもっているふりをすることではないのです。

現実の私、あなたが問題です。
今回の祝福に関しても、締め付けがあるとか、階層化するとか言って文句を言う人がいますが、この祝福は素晴らしく解放的です。皆さんの気持ち、心情、と愛は理解しています。私にも多くの人が言ってきたのです。皆さんが軽視しているのではないのはわかっています。人々もそんなつもりで言ってはいないといいます。皆さんを愛しているし、皆さんの心情もわかるのです。

しかしリアリズムが問題だというのです。現実であること。これはある国の人々は本物の銃をもつことができないという印であり、これは「表示」にすぎません。それをどうこう言っているのではありません。階層化するつもりなどないのです。こちらが悪いとか良いとかいう話ではありません。世界各国の事情で、AR-15をもてる者よりも、もてない者が悪いなどといっていません。ただ、レベルの高低をいっているのです。

銃を持つ多くの人もいれば、パリサイ派文化の中で象徴的にしか持てない多くの人がいる。
たとえで話しましょう。もし私のトレーニングを受けているとするなら、その技量によって白帯、青帯、紫帯にランク付けします。ランクが低いからといって本質的に価値が劣るなどというのではありません。白帯が、青や紫帯の人よりも本来的価値が低いということではないのです。そんな考えはバカバカしいことです。

ただ、あなたはまだあるレベルに到達していないといっているにすぎない。あなたは、危機にあたって致命的反撃を与えるレベルではまだないと、青帯や紫帯、茶帯の人には及ばないといっているだけです。非難するものでは全くないのです。皆これを個人的に受け止める傾向があります。これはその人が置かれている客観的状況を指すものなのです。

銃器をもつことが許されない国の人は、そういう段階の状況化にあることを示すものです。あなたの周りの環境が、長成期完成級あるいは完成期蘇生級だといっているのです。これはお父様の権威のもとにあるひとびとを非難するものではないのです。

これをそれぞれの解釈をしたがる人も多くいるでしょう。意識、無意識化で様々に解釈するのです。ただ暇だから不平不満をいっているだけかもしれません。そういう人達は是非ここにきて平和警察・平和軍の訓練を受けてください。そしてアルファメイル、アルファフィーメイルの一人になってください。ベータメイル、ベータフィーメイルのままでいては駄目です。

こういう戦士の文化を受け入れて、一度打ちのめされて自己の地平を開いて下さい。皆さんの子供たちはより強力なアルファメイル、フィーメイルに成長するでしょう。人の上げ足を取ったり、細かいことに不平ばかり言う子供にはならない。なぜなら、アルファメイル、フィーメイルは感情的に行動したり感情的に話したりしないのです。

まず視界に入るものを眺める。時間をかけて学ぶのです。アルファメイル、フィーメイルとなるためには多くの時間が必要です。皆さんがこの文化に入らなければなりません。この文化に同参することが必要です。そこで耐えることを学び、忍耐を学ぶのです。そこで自分の既成概念を乗り越える。軽々しく考えることはできません。王権を軽く考えてはいけません、それは奴隷根性です。奴隷根性にはまってはいけない。王の武装具を欲しがって外見的に王のごとく見せる。それを「成金趣味」というのです。お金が急に入ってきて、見せびらかすようにお金を使う。しかしもともと昔からの資産を持っている人は、目立つことを好みません。例えば、中国人を見てください。外から見ただけでは、莫大な資産を持っているとは絶対にわからないのです。
これは最近、ITなどで金持ちになった中国人の話ではありません。彼らは成金と同じです。

だからここで心掛けに注意しなければなりません。信仰者でお父様の権威のもとにいる人、キリストの権威のもとにある人びとは王冠の意味をよく知っています。それによって王家、王統を感じるのです。しかしその感覚や、王族の一員になったという気分の良さが問題ではないのです。ここでより聖書的な武具である「鉄の杖」をもたなければなりません。

現実に鉄の杖(銃)を所有する、そう、自分と家族のため鉄の杖(銃)を所有するという観点で、他国でそれができない人々に同情し、実体的な長成級を超えることができない者たちを思いやらなければならないのです。

時々皆さんがあまりに愚かなことをいうので驚かされることがあります。鉄の杖(銃)を購入することを何か道楽の無駄使いのように言う人がいます。それでも私は愛していますがあまりに愚かではないですか。一体どうしてAR-15あるいはその他の銃のための700ドルが道楽の無駄使いだというのでしょう。もう信じられないくらい愚かだというのです。これは愛するから言うのです。

訓練をしなければなりません、訓練を。私と共にもっと過ごすことで、王をより知るようになり、私をより信頼するようになるでしょう。いつもいつも外から批評する、それは荒野路程を歩む私の負担を増すことです。モーセもどうでしたか。イスラエルの一部は絶えずブツブツとつぶやいていました。それはどの社会でもあることだとは理解しています。

しかし少しは王に対して思いやりを持ってほしい。あなた方は私の重荷をさらに重くしている。皆さんなりに正しく考えて、愛をもって行っていることだとは分かります。心配しないでください。皆さんを愛しています。

しかしあなた方は弱すぎる。この文化に同参していない。あなた方のたいていは王の訓練、トレーニングに参加していないではないですか。銃の訓練にも参加していない。総合格闘技や柔術、ナイフの格闘などの王のトレーニングに参加していない。すなわち王の義務、勤めに参加していない。

すべての王族は子女教育で格闘技や戦闘を教えていることを知っていますか。皆さんはそこに参加していない。だからこの文化の全体像が理解できない。これらを訓練する者たちが共有する行動規範がわからない。これは主権をもつ個人の問題を云々しているのではありません。常に個人の主権ばかりが問題になるとは限らないのです。兄弟団にある者として、チームとして立ち上がる必要もあるというのです。平和警察・平和軍は悪と戦う、地元のいわば、強力な善なるギャング団といってもいい。組織化された戦闘軍は、バラバラの部隊よりもずっと強力なのです。その力は倍加され、戦術的にも適切に動いて同じ数の組織化されない軍よりもはるかに強力なのです。

だから、あなた方は様々な地域からきていることを知っています。多くは「王様のため」と確信して行っているのでしょう。しかしあなた方の思考は鈍っている。いくら愛しているからといおうと、ここで私は個人を問題にしているのではありません-しかしあまりにも考えが浅い。皆さんがそのレベルを上げて王の武具を現実に持つのか。これがどうして道楽なのか。救いをお金で買うことになるのか。それをした(銃を買って所持する)からといって教会が潤うことはありません。利益はゼロです。感情的な言動を取る前に、よくよく考えてください。  つづく

翻訳:管理人

にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村

「あなた方は私の重荷をさらに重くしている」キングズレポート2月8日ハイライト(前半)」への1件のフィードバック

  1. hide6500 の発言:

    明治時代になってからもキリシタンに対する迫害があったことは知っていましたが、それがいかに残酷なものであったか、恥ずかしながら最近まで知りませんでした。わずか6坪の牢獄に200人が押し込められたのです。通勤ラッシュの満員状態がどれだけの期間続いたのでしょうか。糞尿は垂れ流し、中で押しつぶされて死んだ人もそのままの状態ですから、本当に地獄です。そんな中でも、生きたまま内部からウジ虫に食われながら、主を称えながら死んでいった少女の話に、何日も何日も私の心は痛み続けます。精誠、精誠と統一教会でよく言いますが、献金するのが精誠ではなく、自分の命を捧げるのが精誠であろうと思います。そうした精誠を捧げた人たちこそ、真っ先に天の祝福を受けるべき人たちです。私たちはそうした精誠のおこぼれに与っているにすぎません。おこぼれに与るものに、あれこれ言う資格はありません。鉄の杖は、偉大な福音です。そうした悲しみの歴史を終わらせようとされる、神の偉大な福音です。

    いいね: 1人

コメントを残す