「なぜ私たちは鍛えるのか」スイス訓読会から

「なぜ私たちは鍛えるのか」

お父様は、艱難の中で喜びなさいといわれました。迫害の中で喜びなさいと。
なぜなら苦難は忍耐を生み、忍耐は辛抱強さを生みます。そして辛抱強さは希望を生むのです。苦しむ人たちはそれを学んでいるではないですか!それをリアルに肉を削るようにして代償を払いながら学んでいるのです。友人をすべて失くすかと思えば、いとこからは憎まれる。分かりますか。

しかしその苦難と忍耐と辛抱を通して、希望を学び、神様の愛を学んでいるのです。われわれが行かなければならない路程を通して。
あざけりと嘲笑、すべてを受けて。しかしそれこそが王国をつくるのです。

その人格と決意こそが天国を造るというのです。みなさんは今まで家庭連合のピラミッドの中で奴隷のように過ごしていたかもしれません。しかし最後にはすべて暴(あば)き出されます。

善と悪が分立され、これまで韓国人か何かのリーダーの下で奴隷のように過ごしていたかもしれませんが、今や皆さんは王、王妃として立ったのです。ワオッ!

しかし代償なしにそれを得ることはできません。代償を払うことなしには。
はっきりいって、私たちの路程など、お父様がキリストとしていかなければならなかった路程とは比べればあまりに楽なものです。それについて何も言うことができません。

しかし普通の人と比べるとき、皆さんが通った道は普通の人々が恐れることではないですか。村八分にされ、友をなくし、気が狂った、とか色々言われたのです。

家庭連合が私のことをどう呼んでいるか知っていますか?
まあ家庭連合からお金をもらっている奴らですが、でも毎週、逃げ出してくる者がいます。しかし、とことん連合に残って取れるものは全部取ってくるつもりの者たちです。

その者たちはわたしのことを「荒野の裸の王子」と呼んでいたのです。今は「サタンの王」と呼んでいます。

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なぜ我々は鍛えるのでしょうか。それは人に見せびらかすためではありません。鍛える目的はただ、「神を愛し、隣人(となりびと)を愛する」ためなのです。簡単です。そう思いませんか。

強くなるために訓練し鍛え、愛のために有徳の人になるためです。この世の愛ではありません。世界から愛されたい、ハリウッドのスターか何かになって、血染めの赤じゅうたんの上を歩く。どれほどの人がハリウッドでレイプされたか知っていますが。血染めの赤、だから彼らは赤いじゅうたんの上を歩くのです。

天一国の赤じゅうたんは、共産主義の血で染めたものではありません。それはキリストの血で染められたものです。そのうえにあるのは岩であり、われらの救いの基(もとい)、悪魔に勝利したその基台です。それが違いです。

短い期間、苦難があるでしょう。信仰者、キリスト教徒で残ったものは苦難を受けます。ここに来る前にも黙示録を読みました。黙示録を読み、義人たちの受ける迫害について語る部分を読みました。殺され、殉教し、首を切られる、獣の名を額と右腕に刻むことを拒んだから。

翻訳:管理人

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