紋章にまで王冠と鉄の杖をなぜ用いるのか-12月17日英語説教 ポイント② 

Kingdom of the Rod of Iron   December 17  2017   Rev  Hyung Jin Moon   Unification Sanctuary  Newfoundland PA on Vimeo.png

「鉄の杖」の王国-Kingdom of the Rod of Iron

 2017/12/17

翻訳:管理人

(鉄の杖の話は)これは本当に深刻な話題です。哲学的にも深くて密度が濃いのです。
いまは、ここで楽しげに話題にしていますが、非常に意義深いこと、再臨主が来られた時、神の国が到来したとき、神様による統治方法に関わる話なのです。それは神の統治法であり、権能を持った聖徒たちが治める法なのです。だからこれを避けて通る訳にはいかないのです。ある時点で聖徒はこの鉄の杖をもって支配しなければならない、そういう時が来るのです。しかし一体それが何か分かりません。

だから今日それについて話します。ここで関連する聖句を見てみることにしましょう。

詩編2:8-9
「8わたしに求めよ、わたしはもろもろの国を嗣業としておまえに与え、地のはてまでもおまえの所有として与える。
9 おまえは鉄のつえをもって彼らを打ち破り、陶工の作る器物のように彼らを打ち砕くであろう」

「わたしに求めよ、わたしはもろもろの国を嗣業としておまえに与え・・・」これはクリスチャンに強欲になれというのではありません。「ようしじゃあ、ひとつヒトラーかスターリンのように支配してやろう」そうではないというのです。私たちはキリストに似た者にならなければなりません。神様が完全であるように完全なものになりなさい、すなわち愛に溢れた者になりなさいというのです。権力も持つけれど、多くの愛をもたなければなりません。なぜなら、愛がなければ、権力は悪化するからです。

お父様はいつもおっしゃいました。何万回おっしゃったか分からないほどです。「神様には権力もお金も知識も必要ない。神様は愛なのだだからといってお父様が権威と力を持たなかったのではありません。とてつもないほどの力と権威を持っておられました。しかし中心は愛なのです。愛が中心でなければだめなのです。

若者たちを訓練するとき、皆さんが平和警察・平和軍のトレーニングに参加するとき、また今インターネットを通して世界中のメンバーが一緒にトレーニングできるシステムを考えているところですが-わたしたちがトレーニングをするときそれはイエス様の命令に従っているのです。それはなにか。「神を愛し、隣人を愛せ」これです。これはまったくすべてが凝縮された戒めだといえます。パリサイ人がやってきて「どの戒めが大切ですか」と聞いたとき、「神を愛し、隣人を愛せ」と言われたのです。「自分を愛するように人を愛せ」とも言われました。だから、自分を守るように、あなたの隣人を守りなさいというのです。
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はなともおっしゃいました。まさにその通りです。必ずしも隣人がソウルメイト(魂の伴侶)である必要はありません。必ずしも、自分にとって好ましくなくても、ひとたび何かが起きれば助けるのです。それが善良な愛ある人の心だというのです。平和警察・平和軍はそれを実践するの人です。

私たちはすべてのキリスト教会の人々に、平和警察・平和軍の訓練に参加するよう呼び掛けています。どうですか?  (拍手)

すべてのキリスト教会で、平和警察・平和軍のトレーニングをするべきです!すべてのキリスト教コミュニティがです。

神様は「わたしに求めよ、わたしはもろもろの国を嗣業としておまえに与え(る)」とおっしゃいました。過去のサタン的独裁者の統治ではありません。彼らは皆、政治的サタン主義者だったのです。そうして神の聖徒は神の国で、神様とともに立つことになるのです。

「地のはてまでもおまえの所有として与える。」

どうして紋章にまで王冠と鉄の杖をなぜ用いるのか分かりますか? AR-15と王冠を。
王冠はもちろん「主権」を象徴します。同時に神様から与えられた私有財産をも象徴しています。ここに自由の意志によって集った人々がいます。それぞれが自分の所有する銃や私有財産を持つ人々です。全ての銃は中央で所有するとか、土地の中央で管理するなどという社会システムはここにはありません。それはサタン的システムです。

すべての人は、若者たちも含めて、幼いころから教育するのです、借金はせず、自分の土地と持ち物でお金を稼ぐ、自分の財産を持ちなさい、神様が所有者であるようにあなたがたも所有者にならなければなりません。そして愛と思いやりでキリストのごとくそれを治めるなら、当然その領地をまもり、王、王妃にならなければなりません。

一体どこの教会(キリストの体)がこのような事を教えましたか。誰が鉄の杖を教えたというのです。誰も教えなかったのです。鉄の杖。鉄の杖に関してはインターネットでも話題になっています。鉄の杖に関して啓示を受けた牧師は一人や二人ではありません。

彼らは鉄の杖を語り、主が戻ってきて鉄の杖を持って王国を建ててほしい、聖徒たちに鉄の杖で治めてほしいと痛切に願っているのです。しかし彼らには「鉄の杖」が何を意味しているのかが分かりません。王国がどのようなものになるかが分からないのです。そして多くのキリスト教人は過去のサタン王国のような統治をすると思っているのです。それは独裁ではないですか!

それは神様の本性ではありません。エデンの園をそのようには統治しないというのです。それをどうしたら信じることができるでしょう。

だからクリスチャン達に天一国憲法を見せるとき、彼らは、カルトだとかレバレント・ムーンはメシアではないといいますが、全く私は気にしません。いいたいことを言わせておけないいのです。実った実を見てみなさいと言うのです。天一国憲法を見なさい。これこそ神の国の成就であり、自由と主権と権力を最大限にまで王と王妃、すなわち天一国市民に与えるものです。そして同時に実際の王権と王国とともにある。キリストとキリストの価値を中心とした王国です。

ああ、これも重要です。黙示録2章27節です。
27 彼は鉄のつえをもって、ちょうど土の器を砕くように、彼らを治めるであろう。それは、わたし自身が父から権威を受けて治めるのと同様である。

AND HE SHALL RULE THEM WITH A ROD OF IRON,
(彼は鉄のつえをもって、彼らを治めるであろう)

このshallというのは非常に強い命令を表す語句です。「人を殺してはならない(十戒)」も英語ではSHALLを用います。「法を犯してはならない」これもSHALLです。このSHALLは法律の条文では最も強い言葉なのです。

彼は鉄の杖をもって治めるであろう

キリストの王権をどのように説明するのですか、それが到来したとき。「鉄の杖で治める」というのです。キリスト教徒ならここは避けて通ることができないのです。「鉄の杖」が気分を悪くさせると言ってどうやって避けて通るのですか。
「ああ、キリストが鉄の杖で治めるなら、そのおこぼれにあずかろう」
そうはいかないのです!

黙示録4章にどうありましたか。聖徒を裁き主に任命するとあったでしょう。そして彼らも鉄の杖で治めると。だから聖徒たちにもキリストから与えられた責任があるのです。

おまえは鉄のつえをもって彼らを打ち破り、陶工の作る器物のように彼らを打ち砕くであろう。わたし自身が父から権威を受けて治めるのと同様である。
お父様の権威に戻るという言葉を覚えているでしょう、この聖句では、わたし自身が父から権威を受けるといいます。

世界で、一つでもいいから、このごとく実った国、結実した国を挙げてみなさい、キリスト教国でもいいから。神の国として実った国・・・ただの一つもありません。一つもない!

いまだに心に思い描くだけ、ただ再臨のイエス様に任せる、クリスチャンたちはその国の姿すら想像できないのです。それは独裁国家ではありません、神様が独裁の王ではないから。もちろん、悪は排除されることでしょう、こっぴどく罰せられるでしょう。悪は自然と押し出されて、片隅に追い込まれて、分解され解体される。人びとが神様に似た者になるからです。

つづく

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