彼らを悪しき者の手から助け出せ-12月24日英語礼拝ポイント③

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 2017/12/24 

「王国の防衛権」 Kingdom Right of Defense

翻訳:BAMBOOS

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詩篇82章を読みましょう。

1:神は神の会議のなかに立たれる。神は神々のなかで、さばきを行われる。
2:「あなたがたはいつまで不正なさばきをなし、悪しき者に好意を示すのか。〔セラ
3:弱い者と、みなしごとを公平に扱い、苦しむ者と乏しい者の権利を擁護せよ。
4:弱い者と貧しい者を救い、彼らを悪しき者の手から助け出せ」。

これはいうまでもなくドナルド・トランプが北朝鮮と直面していることです。「弱い者と貧しい者」。北朝鮮の人々は全体主義の共産主義の支配下にあります。それはまさに家庭連合が追求していることです。彼らの憲法を見てみれば。ミクロとマクロで同じサタンの動きが抵抗を受けています。トランプは北朝鮮に対して立ち上がっており、そこには2,600万人の「弱い者と貧しい者」がいるのです。

残念なことにその多くは、ソーシャル・エンジニアリング(↓)によって完全に洗脳されています。ほとんどの専門家は、やがてこの人々のために戦いが行われ救い出されるだろうということに同意しています。ホワイトハウスでは重大な決定について話し合われています。私の言っていることが理解できるなら、北の状況を変え、その共産主義体制を打倒する方法のことです。

*ソーシャル・エンジニアリング:政府やある政治団体が、大衆の社会的な態度や行動に影響を及ぼそうとすること。対立する独裁的な政府や政治団体の運動を批判するときの言葉として使われることが多い。

聖書には「弱い者と、みなしごとを公平に扱い、苦しむ者と乏しい者の権利を擁護せよ。弱い者と貧しい者を救い」とあります。

神様は理由を与えてそれによって人々が強くなるようにしています。道徳を与えているのです。なぜ人が強くなれなければならないのかということに対して。なぜ強くならなければならないかということについての意志と目的を与えています。

誰か他の人に任せることはできません。与えられたあるときに、誰かの命を守るための最前線にいるかもしれません。それは自分に不釣り合いかもしれません。罪のない人を傷つけている人に対抗して行動を起こすように求められるかもしれません。学校に頭のおかしいジハーディストがやってきて、子供を全員殺そうとする場に居合わせるかもしれません。パキスタン、イギリス、ヨーロッパで起きたことです。

それゆえイスラエルはそれを学びました。タイも学びました。タイでは公立学校の教師が銃を携帯しています。知っていましたか。白人至上主義者の話だと思っていましたか。貧しい肌の浅黒いアジア人が人種差別主義者だというのでしょうか。

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箴言24章
10:もしあなたが悩みの日に気をくじくならば、あなたの力は弱い。
11:死地にひかれゆく者を助け出せ、滅びによろめきゆく者を救え。
12:あなたが、われわれはこれを知らなかったといっても、心をはかる者はそれを悟らないであろうか。あなたの魂を守る者はそれを知らないであろうか。彼はおのおのの行いにより、人に報いないであろうか。

神様が知っているのであれば神様がその人を守ってあげるべきではないのか、と言うのであれば、あなたは罪を犯しているということになります。「神様はすべて知っていて私は自分を守るお金もないのに、なぜ私がやらなければならないのか」。それは責任を先送りしているということになります。

神様がその場にあなたを置いたということは、あなたにできるということです。どちらにせよそれを通して成長するのです。またその人はそれによって救われます。

「死地にひかれゆく者を助け出せ、滅びによろめきゆく者を救え。」
あなたは神様がやるべきだと言います。それは神様に罪を犯すことです。

ふたたび道徳のことです。善良な人々が力を支配することを学ばなければならない理由は何でしょうか。神様の王国のため。愛のためです。というのも私たちは神様を愛し、隣人を愛するからです。同意できなくても、飼っている犬が嫌いでも、政治的方針が嫌いでも、それでも守ることができます。

エゼキエル書33章
3:彼は国につるぎが臨むのを見て、ラッパを吹き、民を戒める。
4:しかし人がラッパの音を聞いても、みずから警戒せず、ついにつるぎが来て、その人を殺したなら、その血は彼のこうべに帰する。
5:彼はラッパの音を聞いて、みずから警戒しなかったのであるから、その血は彼自身に帰する。しかしその人が、みずから警戒したなら、その命は救われる。
6:しかし見守る者が、つるぎの臨むのを見ても、ラッパを吹かず、そのため民が、みずから警戒しないでいるうちに、つるぎが臨み、彼らの中のひとりを失うならば、その人は、自分の罪のために殺されるが、わたしはその血の責任を、見守る者の手に求める。

つまり、剣が来ることを人々に警告する責任を持つ「見守る者」が、警告を行わないのであれば、それで人が死んだときには彼の責任となるということです。

ですからあらゆる牧師と宗教指導者のような人は、善良な人々がどうして武装する必要があるのかを教える必要があるのです。そういうわけでお父様は私を、迷彩を着た教皇のような立場に立てたのです。カトリックの教皇ではなく迷彩の教皇です。

宗教指導者は、その信者に自分たちの愛する人や隣人を守る能力を持つように言わなければなりません。

私たちの住むところは逆さまの世界です。そこでは宗教的な人がこのようなことを話すことができません。教会でこのようなことを話せば気が狂っているということになります。

クリスマスイブには、松の木とヤドリギとジンジャーブレッド・クッキーのことを話すことになっているのです。私は自己防衛のことを話します。

イエス様は誕生され、他人への愛のために自分の命を捧げました。ウォーリアー・ポエットの道徳を示されています。戦士の道徳を示されています。本物であること、神のようであることが、人にとってどういう意味があるかを示されているのです。

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政府の警察や軍だけを促進する人もいるかもしれません。市民の番犬であることを恥ずかしいと思わせようとします。「君は戦争を見たことがない」「言っていることが分かっていない」などと言って。しかし、市民を訓練する本物の人たちは、私たち市民のことは好きですが、中央集権化した政府や中央集権化した権力を望んでいません。彼らが市民を訓練するのは、市民が第一線だと分かっているからです。

二人の子供がいてデイケアセンターに行くシングルマザーでも、彼女が子供たちの第一線です。そういう暮らしが子供たちにとって最適なものではないとしても。お父さんとお母さんは子供たちの第一線です。お兄さんお姉さんは弟妹たちの第一線です。軍でもなく警察でもなく自分なのです。ですから社会の保護において市民は重要な役割を担っています。市民がそのようにする社会では市民が力を持ち、罪の意識を持ちません。犯罪率は高くなるでしょうか。ならないのです。ばかばかしいほど低くなります。

つづく

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