家庭連合の「天一国国歌」はこうしてできた

 
 
当ブログの記事「サンクチュアリの祭壇、家庭連合の祭壇」にタカトシさんがコメントの中で「家庭連合の天一国国歌の作詞者発見」という言葉とともに家庭連合の『天一国歌』作詞者の証(韓国語)を貼り付けて下さった。原文をご覧になりたい方はこちらからどうぞ。

この証から当時の細かい状況を知ることができ、資料としても貴重であろうと思い日本語に訳してみた。 ↓↓「天聖経」編纂作業中に誕生した天一国歌

証によると歌詞が完成したのは2013年1月30日と特定できる。3日間で仕上げなければならなかったという証言から1月27日以前に公募(とはいえ限られた範囲で)がかかっていたのだろう。家庭連合の基元節は2013年の2月22日である。

思い起こせば、この年の冒頭から矢継ぎ早に韓オモニは「創造主、天の父母様に似た…云々」という言語明瞭、意味不明瞭な2020年に向けての「標語」とやらを発表し、神様の呼称を「天の父母様」に変更。「中断なき前進」と称して真のお父様と「断絶した堕落」を重ね始めた。

証に多少の自己称賛と誇張はあるにしても作詞者の崔洪吉(チェ・ホンギル)氏個人は誇りを感じながら誠実に作業を進めたと感じる。

ただ、管理人の所属していた教会にこの天一国歌が初めて導入された当時、教会長が首をひねりながら「歌詞が童謡のように幼稚なんです」とつぶやいていた姿が今でも印象に残っている。

結果的に韓オモニと家庭連合は、興南解放後40日間にお父様によってつくられた「栄光の賜物」と「聖励の新歌」という貴重な二曲をぞんざいに扱うことでその聖歌の生命を奪ったのだ。

全食口の前から姿を消した2013年春から約半年後、亨進様はYouTube上で当時の近況を発信され始めたが、そのアカウント・ホームの背景には「栄光の賜物」の歌詞が掲げられていた。何も知らない当時の私は奇妙に思ったものだ。しかし今となっては「天一国国歌」の変更こそ何より韓オモニの真のお父様への不信と裏切りを決定的かつ端的に現すものだったということがわかる。

 
 

「天聖経」編纂作業中に誕生した天一国歌

 
– 天が降された奥妙な応え  崔洪吉(チェ・ホンギル)
翻訳:サンクチュアリNEWS管理人

 15期の巡回伝道団を修了した後、光州で牧会活動をし1993年1月から協会の「統一世界」で5年近く働いた。当時、青坡洞(チョンパドン)のオフィスで待機しながら真の父母様が主催する行事があれば無条件に出かけて行った。

真の父母様の巡回路程に応じて映像チームのように全国を駆けずり回り水沢里や漢南洞でイベントがあればみ言を聞いて取材することもしばしばあった。

記事を書くのはもとより、写真を撮影した後、オフィスに戻って編集までした。印刷所に(原稿を)渡す数日前は、入力ミスを校正するため夜更けに帰宅することも多かった。

その頃20代半ばから後半の青春だったので、向こう見ずに摂理の現場を歩き回りながら心情文化世界を先導するために最善を尽くしている時だった。

その後、金川(クムジョン)教区禿山(トクサン)教会長として歩み始めたとき、1999年から恩平区所在財団学校の善正中学校に勤務する栄光を得た。

周知のように善正は、真のお母様ご自身が通学しておられた伝統ある学校である。

「愛天、愛人、愛国」の建学の精神を掲げ、正直、純潔、親切、奉仕という教訓のもと若い学生達を優しく正しく指導していた。その後、上級学校の善正高校に勤務先を移し、これまでずっと学生と苦楽を共にしている。

人文系高校は、大学入試を優先する学校なので放課後の授業に加え、夜間の自主学習の監督もしなければならず、早朝から夜遅くまで連日強行軍が続いた。

それに応じる学生が一流の大学に入学するように教育することとやりがいで時間の経つのも忘れるほどであった。そうこうするうちに、近年になって人文高は特別目的高校と特性化高校、自立型私立高校などに押され低迷することになった。勉強をしない学生が人文高に集まることになったのだ。

さらに悪いことに、2013年1月初旬には冬休み補習授業申請者が少なくなり、高校に勤務して以来10年ぶりに休暇中の授業をすることなく初めて休暇らしい休暇を過ごすことになった。

これまでなおざりにしていた各種の研修を受け、故郷にも帰るなど、内的にも外的にも充電する計画を立てていた。

そんな時に「天聖経」の(編集)作業に参加してほしいという話を電話で受けた。協会の機関紙である「統一世界」の編集長をしていた経歴を認められたのか、「心情文学」の編集などに参加していたことが理由だったのか、それはわからない。

私人の出版物ではない、天宙的な作業ということで無条件に喜んで応じた。計画した研修などは、次の機会に先送りするしかなかった。

昨年8月から始まった「天聖経増補版」の編集作業は容易ではなかった。既存の「天聖経」は信仰の祖国である韓国で直接編纂したことがないうえに、最近のみ言が入っていないなどの理由で、真の父母様のみ言を奉じて基元節献呈を目標に増補作業に突入したのだった。

それと同時に、講演文集である「平和経」編纂作業も行われた。私の引き受けた仕事は校正や校閲などであった。文脈に合わないみ言を修復するとか、分かち書きとつづりの間違いを訂正することであった。時によっては中間の見出しを削除することもした。「統一世界」時代に知ったノウハウがあり大きな困難はなかったが、時間に追われていた。

13編とされた天聖経の校正を13日間で一通りする必要」があった。 1編は通常2百ページだったが、これを最初から最後まで入念に読むことが求められた。黙読すると見逃すことがあるので声を出して訓読しながら校正しなければならない-という指示も守らなければならた。

ご飯を食べるときも作業をしました。 1ページが2段になっていて、字が比較的小さい上、一日に400ページを見なければなら難しい路程であった。

両班の姿勢で座り、ひざまずき祈り、うつぶせにもなりながら読んでいった。目が疲れるたびに目薬をさして目を閉じたまま聖歌を聞きながら休んだ。集中力が低下すると外に出て深呼吸をしばらくするなど、一日中没頭した。

ニュースを見るのもそこそこにして、知人と会うのも後回しにした。食事と睡眠以外は一日中、天聖経にかかりきっていた。天聖経編纂作業が一旦終わると、すぐに続いて平和経編纂に取り掛かった。

他のことはすべて後回しにしておいて、1月はまるまる真の父母様のみ言だけ読んでいた。感動的なみ言の部分では、涙を流し、この地の韓民族を選んで来るしかなかったことを思い、悔恨にふけることもあった。うぬぼれに聞こえるかわからないが、1月の1カ月の人生は「み言」だけが存在した。み言が肉化された状態であった。

天聖経の仕上げ作業をしている最中に「天一国」の歌詞を募集するという知らせを聞いた。基元節を迎え、天一国時代にふさわしい内容で、新しい国歌を制定しなければならないという真のお母様の言葉を伝え聞いたのだった。天地人真の父母様を賛美し、天一国のビジョンと希望が韓半島はもちろん人類と全世界を超え天宙まで満たすことを祈願する内容を入れなければならないという指示を受けた。

聖歌2番「聖励の新歌」に上から歌詞をつけるということだった。音源は再アレンジする予定で軽快で明るい感じにあう歌詞が必要だという説明だった。「祖国賛歌」の歌詞を参考にすれば助けになるだろうという説明も聞いた。

「統一世界」で記事を書いていた。趣味でエッセイと童話を書き続けているが、詩を書いて見たことは一度もなかった。つまり作詩は初めてだったが、それでもなぜか挑戦してみたかった。天聖経と平和経の編纂作業に関わっているうちに、それなりの自信も生じたようだった。 3日間という期間が与えられた。
式典の後、万歳三唱時に使われる「億万歳」に関してインターネットで検索した。千代を享受し、万歳を享受。//鉄柱に花咲き、実を開き手に取り味わう//その他、億万歳の上また万歳を享受//万寿無彊を祝願することを吟味してみた。祖国賛歌を何度も聞いてハミングもしてみた。賛美歌と聖歌にしがみついて格闘した。

現在天一国歌となった聖歌2番「聖励の新歌」を歌ってみた。歌って歌って歌い続けた。するとうっすら天一国の国花と国鳥そして国旗が思いついた。

天一国国花はバラとユリだから3番ではなく、4番にするのが良いという感じが自然にわいた。作業をしていて集中できないと、空を見て横になることが多かった。ふと国歌の歌詞が思い浮かぶと静かに歌ってみた。

国歌は4番で、各節の3-4句は完全にリフレインである点に着目した。気後れせずに一編ではなく、二編を作ることに決めた。一つは、「個人- 家庭 – 民族、世界- 天宙」の流れ、他の一つは、天一国と関連して「バラ- ユリ- 鶴- 天一国の旗」の流れで糸口をつかんだ。

3-4-5という音節数を考え、様々な組み合わせを試してみた。最初に書いたサビの部分を前の時調を参考にして「億万歳」と変えたりした。 1節から4節までの曲の始まりを子音「ㅅ」に統一した。大変な作業だったが、希望を失わなかった。ある程度の見通しが得られ、結果が出た。

知り合いたちに結果をメールで送信しアドバイスを求めた。特に地方の教会で牧会をする後輩とは、長時間の電話での会話を通してアドバイスを受けた。普段はあまり来ることもない私たちの教会をまだよく知らない甥が訪ねてきたときは唐突に押し付けて感想を聞いたりした。しかしまだ気に入らなかった。 2%不足している状態であった。今度は天聖経の「天一国」編を読んでいった。 「天一国の民の七大指針」という小見出しが目に入った。

「皆さんの一生は、母のお腹の中で10か月、地上界で空気を呼吸しながら100年、永遠の天上世界で永遠に生きるように創造されました。 (中略) 皆さんの地上の生活は、次の段階の人生、霊界の人生のために徹底的に準備します。すなわち、皆さんはいつ、どこで、何を言っても、霊界の先祖が皆さんと一緒にいることを忘れずに霊界と歩調を合わせて生きる人生が必要です。精誠と祈りで霊界と交流しなければなりません。」

ああ、天聖経のみ言のとおり、精誠と祈りが不足したな!音量を高くして聖歌を聞いた。眠りに落ちる前に天に向かって真剣な祈りを上げた。やはり天は答えを与えられた。私の願いに応じて生前に聖酒を飲んだおばあさんが笑顔で現れた。夜中なのか明け方だったのか得られた教え、まさにこのようなもの霊的な感覚であろう。 「崇高」と「永生」と「純情」という貴重な言葉はこのようにして生まれた。

天一国讃歌 1
(省略)

天一国讃歌 2
1.
麗(うるわ)しき花よ 愛のバラ
望みの訪れ 満ち溢(あふ)る
全世界あまねく こぞりて祝え
尽きぬ喜び 輝かさん
自由の天一国(くに)

2.
気高(けだか)き純白の 清きユリ
まばゆき心は とこしえに
全世界あまねく こぞりて祝え
尽きぬ喜び 輝かさん
平和の天一国(くに)

3.
真白(ましろ)き妙(たえ)なる 鶴が舞う
永久(とわ)に果てなき エデンのごと
全世界あまねく こぞりて祝え
尽きぬ喜び 輝かさん
統一の天一国(くに)

4.
高くはためく 天(あま)つ御旗(みはた)
天地父母様の 願う理想
全世界あまねく こぞりて祝え
尽きぬ喜び 輝かさん
幸福の天一国(くに)

上の二編をメールで送った。私が作った歌詞が最終的に確定した、という知らせを1月30日の夕方に受けた。その後、私が送った原案がいくつかの修正を受けたことを知った。本部でサビの「享受結合」を「太平聖代」に変えたことなども聞いた。また、2番の「純潔な」も「純潔の」に変えた。

その時刻は、紆余曲折の末、羅老(ナロ)号(大韓民国初の宇宙ロケット)が打ち上げに成功した時刻(2013年 1月30日16時00分)とほぼ同じだった。宇宙に行く天の道が今や開かれた。今回のナロ号の成功は、大韓民国の快挙に違いない。ナロ号が大韓民国の慶事であるとするなら、天一国国歌の確定は統一家の飛翔のための信号弾である。また個人的には「家門の栄光」であるわけだ。

偶然の中の必然!補習授業がなかった2013年1月に、天は私を呼び出し、私はその呼びかけに応えて、視力の低下も気にすることなくみ言にしがみついた。み言を読みながら泣き笑いながら私の人生を点検した。その間、天一国歌作詩と自然に結びつき、得ることが難しい栄光を獲得したものである。天一国歌の歌詞は私一人で作ったのではないことをよく知っている。天聖経からヒントを得るとともに霊界の協力の中、霊界を治められる真のお父様の愛の中で生まれたと考えている。

今私のコンピュータのデスクトップの背景には、私は作詩した天一国歌が写っている。インターネットに接続して仕事を始める前に、毎回天一国歌を聞く。なにか喜びを体得しながら切望していた天一国がすぐ目の前に近づくようだ。憂鬱な80年代の大学時代ヨンボンゴルで「あなたのための行進曲」を大声で叫んで自由と民主化を熱望していた私は、今は天一国歌を歌い天の父がそれほどまでも望まれる以上の世界が早く来るのを願っているのである。-終わり―
 
 
真のお父様が制定された天一国国歌

映像:北日本サンクチュアリ
 
 
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