沈黙を破る一年前の亨進ニムの説教 【お父様の真の愛】

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2014年2月2日まだニューファンドランドの自宅で礼拝をされていた頃のものです。
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お父様が下さった最後の2年間は本当に貴重な時間でした。
ただ一緒に過ごしたときが問題ではありません。
人を介して理解していたお父様の姿と、日々直接、接する生活の中で知るお父様の姿は全く異なるものだということに気付きました。会議だけでなく、部屋に入って着替えを手伝ったり、お風呂にお入れしたりする中でのことです。お父様と生活したのです。

そうする中で見たお方は律法の神ではありませんでした。
それとはまったく違う神さまのお姿です。
恵みと赦しの神様です。
迫害する者を切なる思い出赦そうとするお姿でした。
心の中ではすでに許しておられるのです。

時に、私自身の理解を超えた世界を示されるのです。
酷いことをする人々に、さすがに私も「お父様なぜこのような人を許されるのですか」と思うときもありました。お父様は許して愛されるのです。想像を絶するほどです。
もし法で裁くお方ならあり得ません。即座に罪を裁かれるでしょう。そうでしょう。
私や家内が体験したお父様は…

お父様の近くにいるリーダー達はそれを体感しています。近くにいる指導者たちは、そのお父様の愛と恵みを体験しています。その恩寵が一般食口まで伝わって行かないのです。側近たちは誰もが身をもって体験していることです。お父様に許され、愛された体験があるのです。お父様の数多くのプロジェクトに直接関わっていますから。

皆さんは遠く離れたところから彼らを見ています。まるで半神か何かを見るように…。その体験が神様の子女である皆さんにまで伝わっていきません。

何という罪でしょうか。

長い間、お父様と実際に関わる中で教育されてきました。確かにお父様はパワフルですし、激怒されることもあります。しかしその怒りは悪に対する、いわば「法的異議申し立て」なのです。そうです。悪に対する「法的異議申し立て」をされるのです。

同時に信じられないほどの愛と信じられないほどの恵みをもっておられます。それを表現することができません。それが欲しくてたまらなくなるのです。ですから、もう身をもって体験しないと満足できなくなるのです。それが伝え聞くお父様と、身をもって体験するお父様の違いです。
私自身もそうでした。

他の人がお父様から受けた愛を伝え聞く、受けた人が解釈するお父様の愛を学ぶ、これではお父様を真に理解することはできません。「私はお父様にこのように愛されました、皆さん覚えておいて下さい」…これでは教訓にすぎません。
「お父様からこういう愛を受けたました。皆さん覚えておいてください。」この言葉の背後に「自分が教えを守ったから、その見返りとして(当然の報酬として)愛を受けた」こういうメッセージが潜んでいるのです。

そのような話を真に受けることでどれほどお父様についての真の理解が歪められるかというのです。どれほどの誤解が生じるか分かりません。

お父様が罪人、売春婦、マフィアのボスなどを祝福された時「お父様、何をされるのですか。おかしいとしか思えません。この者達はお父様を信じてすらいません。私は30年間信仰してきました」。「私は祝福のため命じられた条件をすべて立てました。なのに、どうしてこの者達を祝福されるのですか?」。そしてこう言います。

「彼らが受けた祝福は我々が受けた祝福とは違う格下の祝福だ。私が受けたものこそ真の祝福だ」。

しかし神学的にその物言いは間違っています。そのようなことは言えないのです。彼らも等しい価値の祝福を受け、神様の子女として天国に入るのです。

これは驚くべきことです。どう考えても不公平です。
そうでしょう。全くもって不公平です。神様の恵みは不公平なのです。むしろ、不公平だからこそ恵みがわれわれすべてに注がれるのです。

神様を讃美しましょう!

*字幕を一部編集しました。
 
 
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沈黙を破る一年前の亨進ニムの説教 【お父様の真の愛】」への2件のフィードバック

  1. sayaka の発言:

    「はげ頭と苺」私はこの本をとても大切に思っています。本当に神様の愛を、メシアを愛することを教えてくださった方であり、本です。こんな抜粋をされてとても信じられない。

    いいね: 1人

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