「自由社会」 テキスト全文

様々な機会に話題に上るものの、そのテキスト全文を読むことができる機会は、UC時代を通してもあまりなかったと思います。この度、アメリカ、シアトルでの講演ビデオの字幕が日本サンクチュアリ協会アーカイブで文字起こしされ「自由社会」の全文通読が可能になりました。サンクチュアリの基本理念の一つである「自由社会」の思想を熟読することをお勧め致します。


「自由社会」 2012年7月27日 ワシントン州シアトルにて

ありがとう、おかけになってください。歓迎ありがとうございます。遅い時間に集まって頂き、恐縮です。せめて金曜の夜にすればよかったんですが。

今日はとても大切な話をします。

われわれは皆、真の父母様が再臨主であり、メシアであることを理解しています。御父母様は神の国へ、われわれを導いて下さいます。ですが、神の国の具体的な姿はどういうものになるのか、私たちは知らずにきました。どんな政治体制で、どんな経済システムをとるのか。理想世界の現実的姿をわたしたちは知らずにきました。今日そのことについて、話を進めたいと思います。テーマは「自由な社会」です。神の理想世界の具体的ビジョンです。

私たちは原理を学びました。神はアダム・エバを創造し、三大祝福を与えました。個性を完成し、家庭を持ち、万物を主管すること。皆さんよくご存知ですね。皆さん原理は学びましたね。その3つの祝福をあたえるため、神は彼らに自由と責任を与えられました。

神の創造に同参するため、彼らには自由が必要でした。自由を行使して共に創造主になるためです。神の子として。

さてエデンの園には、神様とアダム、エバ、そして天使長がいました。皆さんよくご存知ですね。神様は様々な戒めをアダムとエバに与えました。完成するための戒めです。三大祝福を受けるための戒めです。神はそこに僕として天使長を置きました。アダムとエバの教育係としての僕として祝福を受けるまで成長するためです。聖書と原理を学んで、何が起こったか、よく知っていますね。僕であるべき天使長が自己の位置を離れて、天使長ルーシェルからサタンになりました。その過程でエバを誘惑し、そしてサタンとエバがアダムを誘惑しました。その結果、アダムとエバは自由と責任をなくしました。神の祝福もなくしてしまいました。神様から離れてしまったのです。

天使長は僕から主人になり、アダムとエバは神の子から僕、奴隷になったのです。堕落の結果、人類歴史は独裁者や専制君主の歴史となりました。神は人間を本来の立場に復帰させようと、本来のエデンの園に立ち返らせようと、もう一度家族として取り戻そうと、摂理して来られました。神の努力の結果、何千年と独裁のもとにありながら、エデンの園で味わった自由の記憶を持ち続けました。

その結果、長い歴史の中で、時折、自由社会の成立を見ます。古代ギリシャや古代ローマ共和政です。しかし悲しいかな長続きしません。アリストテレスはこう書き遺しています。共和政は奴隷制に、そして独裁制に堕落していく。古代のギリシャの初期は豊かであり、人々は自由であり、新しい文明を創り、素晴らしい世界を形成しました。貿易で富み、都市国家は豊かで強かったのです。富と力を手に入れた都市国家は、民主主義が成熟するにつれて、人々は代価なしに欲しいものが手に入る事に気付いたのです。結局それが民主主義の崩壊に導くとも知らずに。その結果彼らは愚かな政策をとるようになります。国民が欲するからというそれだけの理由で。30年以上続くスパルタとの愚かな戦争。そして敗北します。イタリア半島に植民地を作ったりなどしますが、すべて失敗します。その結果財力を消費し、国力を弱めていきました。国力を弱めたギリシャは結局ピリッポス2世のマケドニアに征服されてしまいました。ギリシャ・アテネの自由なギリシャ人は奴隷に転落します。こうして自由は失われ、民主主義は消滅しました。

ローマ共和政でも同じです。ローマは民主主義、共和政で始まりました。選挙で公職者を選び、国の政治を任せたのです。初期には優れた政治を行いました。しかし、大衆に迎合する政治に変化していきます。貧しい者に土地を与える。大衆には甘い公約をする政治家を選びます。トウモロコシが高いと言っては補助金を要求し、無料で食料を与えることを求め、借金の帳消しすら要求するようになりました。政治的野心家は、選挙民の関心を買い、権力の座に就きます。どこかで聞いたような話ですね。現在の民主主義でもよく見られます。これは2000年前の話です。その結果、ローマはどうなりましたか。共和政の崩壊です。そして帝政ローマの誕生です。ローマは自ら共和政から帝政へと変質したのです。自由市民の位置から独裁者に支配される位置に自由な人間から奴隷の立場へ。こうしてローマの自由は死に絶えました。民主主義は損なわれたのです。

現代にもその例を見ることができます。ペロンがアルゼンチンの大統領になった当時、世界で10位に入る豊かな国でした。しかしペロンが貧者に無償で供与を始めてから、そして国の財政を破綻させた後、彼は独裁者になったのです。結局アルゼンチンは最貧国のひとつになりました。ペロンは国を潰したのです。

ドイツでヒットラーが台頭した時もそうです。彼は領土を拡大し、軍備に巨大投資することで大恐慌時代のドイツで失業者をなくしたのです。ドイツ人を救いました。その間に独裁者になりました。そして少数民族や身体障害者を殺戮し、自由と国民の権利を無くしました。第二次世界大戦をも引き起こしたのです。ドイツ人こそ世界を支配する民族だという理由で結局、国を廃墟にしました。世界を地獄に叩き込んで。

次の例はベネズエラのチャベスです。国民の関心を買う政治を通して、独裁者になりました。近いところでは、現代のギリシャです。甘い公約のもとで、福祉政策を進めたのです政府は肥大化して財政破綻を招き、今やEUの支配に服しているのです。古代ローマの独裁に屈服したのと同様です。

こうした南ヨーロッパに見られる無節操な福祉政策は、EUに損害、自国の破綻を招いています。ヨーロッパに安定した民主主義は定着してこなかったのです。ドイツは60年前に独裁者から解放。スペインはフランコの独裁から解放は25年ほど前。ギリシャは独裁政治解放から20年ほどでまた自由を失いました。ポピュリズムの結末は自由にとってよくありません。

原理を学べば、神が時代を用意されたことがわかります。その時代に再臨主を迎えるため、アダム・エバの堕落前のエデンの時代を神はご用意されなければいけません。現代は長成期完成級の時代といえます。国々は再臨主を迎える再準備の時代に入っています。その結果、世界を見渡せば、これほど民主主義が広まり、人々の自由が尊重される時代はかつてありません。しかし、その自由が危機にさらされているのです。

ここで我々は決断に迫られます。人類は自らの運命を選択せねばなりません。再臨主とともに、天上・地上天国を築いて、神様の祝福を得るのか。それとも、社会・国家が再臨主の導きを拒絶して、地獄の道へと進むのか。どうか判断してください。この選択が現代我々の前に横たわっているというのです。統一教会員だけに限った話ではありません。この「自由」という時代的恩恵の中にある社会がどこに向かうのか。この問題に今直面しているのです。

この問題の答えを得るには、原点に戻らねばなりません。人類歴史はエデンの園で始まったのですから。堕落以後の全ての人の望みは、エデンに帰ることではないのですか?神様から祝福を受けたその場所に。では現代社会をエデンの園の観点からいかに理解すべきでしょうか。エデンの園には人間二人しかいませんでしたが、現代世界の人口は70億です。70億の人をエデンとどう結び付けるのかこれが核心的問題です。難しい問題ですが、よくよく考えれば答えは得られます。

再臨主である真のご父母様は地上の実体の神様ではないですか?ですからご父母様は今、神様の立場におられます。ではアダム・エバはだれを象徴するのでしょうか?アダム・エバは神様の子女でした。アダムは民主主義のもとに暮らす全ての男性を指します。ではエバは何を象徴しますか?すべての女性です。アダム・エバはすべての市民を象徴するのです。

では天使長はだれを指しますか?天使長はアダム・エバに使える霊として創られましたね。では現代、我々市民に使えるため、創られたものはなんですか?それは「政府」です。原理的観点からも明らかなように天使長は政府を象徴するということです。このように民主主義社会は堕落以前のエデンになぞらえられるのです。図をご覧ください。

ここでもう一つの問題です。

民衆迎合、ばらまき福祉は何を指すのでしょうか?天使長はエバを誘惑する時、どう言いましたか?政府が女性市民を誘惑するときどうでしょう。政府は囁きます。「政府があなたの面倒を見ます」「旦那さんがいなくても政府で世話しますよ」結婚なんてする必要ありません。政府を信じなさい。教育費?無料にします。健康保険?政府で保障しましょう。私(政府)があなたを保護します。私(政府)を信じなさい。権力がありますから。

政府はこう言いませんか?立場の弱い人々に約束して。政府は何をしますか?せっせと役人を雇うのです。官僚たちを。その官僚になるのは世の男性たちです。このように天使長(政府)はエバを誘惑し、そのあと二人にしてアダムを誘うのです。

人間堕落の再現ではありませんか?ここまで見てきたようにポピュリズム(大衆迎合)はまさにサタンが天使の立場から人間の主人に立つ過程の作戦といえます。ポピュリズム(大衆迎合)こそ人間堕落への道です。

この方法で政府は「僕」から「主人」、つまり独裁者に成り上がるのです。そしてアダムとエバ(市民)は神の子から、つまり社会の主権者からサタンの僕となり、選択の自由を失くし、自由を失くし、責任を失くすのです。そしてアダムとエバから神様は離れ、彼らは理想世界から締め出されるのです。

こういう現実を目にしませんか。まさに世界の民主主義世界に起こっている事ではないですか?我々は人類の堕落過程を目撃しているのです。図をご覧下さい。私たちが自身で創り出す、地獄の実情です。安易に福祉給付を求める結果です。タダほど高くつくものはないのです。見返りに「自由」を差し出すのです。地獄への道です。

では私たちは何処へ向かうべきでしょう。お父様は天国はどのような所だとおっしゃいましたか?「基本的な見取り図」を繰り返し何度も述べられました。「平和軍」と「平和警察」です。

そして裁判官も検事も不要な「良心ある社会」です。人々が各自の良心に従って生きる法律も不要になる社会です。お父様からこれらの事を聞いた時、私たちは正直、何を意味しているのか解りませんでした。

「平和警察ってなんですか?」

「平和軍?」

法律のいらない「良心ある社会」など存在し得るのか。全く理解不能でした。「解らない」から放っておこうとしましたね。皆さん、そうじゃなかったですか?

しかし、本当に考えてみれば、祈り、そして深く研究してみれば、意味をなさない事などではなく、実際、非常に重要なことだと解りました。ご父母様が言われる「良心ある社会」とは、それにもっとも近い例で言えば、「自己主管型社会」だったのです。この社会は僅かな条件で成立します。

私有財産を保障する「最小の政府」と「自由市場」です。「自由な競争」も必要です。この3つの条件さえ整えば「自己主管型社会」が成立します。よい例は私たちの暮らす現在の政府の介入しない自由市場経済です。皆さん、iPhone、ご存知ですね。政府の命令でiPhoneが出来たのではありませんね。自由市場経済が消費者のために産み出したものです。企業は自由競争に勝つために自己を管理し、自己の規制に従って自分で企画して商品を製作して、消費者に喜びと幸福感を与えるのです。

消費者が喜んだ時には生産者は何を得ますか?利益を得るのです。企業は人々を搾取して儲けていません。銀行にある彼らの儲けは人々の「幸福」の代価なのです。自己主管システムは電子産業に限りません。すべての分野に適用できます。教育にも。政府が教育を独占すべき理由はありません。政府であれ、私企業であれ、「独占」かた得られるものは、低品質、高価格の商品に過ぎません。我々の税金で賄われる(まかなわれる)「教育」はまさにその例です。

(ここアメリカで)教育省が出来てから30年で、子供一人当りかかる費用は2倍になりました。アメリカの子供の読み書き計算の力は世界の国々と比べて劇的に低下しています。より高い教育費をより劣った教育に支払っているのです。選択の自由を失くしているからです。選択の自由が奪われたのです。私たちの「自由」と「責任」が奪われたのです。「教育」において政府の僕に成り下がってしまいました。政府は次に「健康保障」の自由を取り上げようとしています。選択の自由を奪って、健康管理の自由を奪おうとしています。医療保障や医療行為を民間がやっていけない理由はありません。逆にそれによってコストは下がり、サービスの質は向上するでしょう。なにより問題なのは我々が選択の自由をもはや持たない事です。毎日、政府は法案を通して、我々の選択の自由を損ない続けているのです。

しかしお父様のおっしゃる「自己主管型社会」は可能です。ここアメリカで実際200年間も「自己主管型社会」は成立していたではないですか?すくなくとも1900年代始めころまでは。その200年間、政府はGDPの5%しか使っていません。現在はどうでしょう。

GDPの25%も政府は使っています。見返りに市民は政府から何を得ていますか?黄金時代とも呼ぶべき200年間には、我々には自由がありました。政府の介入なしに教育も医療のすべてが上手く機能していました。欲しいものを買い、必要に応じてお金を使いました。それだけでなく、福祉は民間で運営され、慈善は個人レベルでなされていました。お互いを労わり合うのに、政府の介入が必要ですか?政府が福祉事業を独占して福祉の質が上がりますか?要するに政府が社会福祉と称して、介入していることによって、隣人を労わり合うその間に政府が割り込んできているのです。思いやり、労わり合いの「仲介人」のごとく、政府が割り込んできているのです。昔なら、あなたを助けたいと思えば、「私」が助けたのです。あなたの目を見て話を聞き、あなたの事をよく知っていますから、あなたが不幸な目に出会ったと知れば、私が助けるのです。

自分の力で立ち上がれるように。いまはそれをしたくても出来ません。政府が私のお金を全部取り上げますから。政府が「私たちがやる」というのです。彼らは慈善の「仲買人」に成ったのです。その結果、我々は隣人に対し、憐れみ深くなることもなく、バラバラにされます。分断され、距離が生じるのです。もはや思いやりの行為の自由もありません。悲しむべきことです。アメリカ人は本来、思いやりのある人々だからです。このように慈善を破壊するシステムを作ってしまいました。

これまで述べたように、過去確かに「自由な社会」は存在しました。20世紀に「自由」を失くしましたが、決してすべての「自由」を失くしてはいません。経済の自由は今なお存在しています。例えば、シンガポールや香港で生きています。二カ国共に一人当りのGDPは世界トップクラスです。そして世界で最も経済的自由を享受しています。輸出入の許可も政府に求める必要がありません。税率も世界で最も低いのです。キャピタルゲイン課税もありません。おかげで自由と繁栄を享受しています。だからといって、国は乱れていません。実に秩序だったものです。それこそが真の「自由」なのです。今のアメリカにみられる複雑に混乱したものではない。

アメリカ建国の父たちは今の時代こそ異なりますが、我々より賢明だったのです。その証拠に偉大な自由社会、自由国家を創ったではないですか。今、逆行して何千年も前の原始的で野蛮な社会に変質しているではないですか?「独裁制」に!「自由」を「独裁に置き換えているのです。

「平和軍」「平和警察」とはなんでしょう。天上地上天国をご父母様が語られる時、なぜ繰り返し語られたのでしょう。私が思うに、現存するもので、最もに理想に近いのはスイスの制度でしょう。そこでは、成人すれば必要時には軍務に着くのです。もちろん職業のかたわらとして。個々人が家庭に機関銃などの兵器を保持し、必要とあらば国を守るため軍務に着くのです。「平和警察」はその国内警察版です。アメリカは建国当時に仕組みを創っていたのです。最初の200年間、警察業務はボランティアで行っていたのです。それが事実です。そして私たちはそれを失いました。

原理からみた時、なぜ「平和軍」「平和警察」という考えが登場するのでしょうか。しかもそれらが天国に欠かせないものとなるでしょう。宗教的、神学的に考える時、実に明確な答えがでます。第一の祝福は何でしたか。個人として成熟しなさいということです。そうすれば生産的市民となり、就職して社会に貢献出来るでしょう。その個性完成の基台のうえで家庭を出発し、子女を得ます。家族の面倒を見なければならないし、家族を守らなければなりません。

第三祝福はさらに進んで、第一、第二の祝福の基台の上で、万物を主管せよという祝福です。「主管」という言葉の意味を注意深く考えてみましょう。具体的にどう「万物を主管」すべきでしょうか、それは何を意味するのでしょうか。

「主管」という言葉は非常に強い言葉です。例えば動物を「主管」するというのは、具体的に何を意味しますか。どうして人間が動物を殺して食用にするのを正当化出来ますか。実際そうしているでしょう?動物を殺して食べていますよね。皆さん、料理の方法も知っていますよね。お肉が皿の上に乗っているのはなぜですか。人間が殺したからです。皆さん、そうでしょう。またペットを飼っていらっしゃる方も多いでしょう。例えば、犬を飼えば、犬にも感情があることが分かりますよね。好き、嫌い、感情をもち、泣きもする。一体何の動物を、好きな時に殺して食べてもよいという権限はどこから与えられたのですか?

それを正当化するのはたった一つ。神様がくださった祝福です。それがあるので、生命を維持するため動物を殺して食べてよいのです。神様の許可がなければ、その人間の行いにはいかなる哲学的正当性も見いだすことは出来ません。なぜ人間が生きるために他の動物が死ななければならないのか。人間の価値を動物の上位に置くべき哲学的正当性などありません。もし、神様がおられなかったとすれば、べつに飼い犬を生かして人間を殺しても問題ないではないですか。そういう事を主張する人もいますね。正当性は神様が人間を創り、動物など万物を主管することを人間に許された所から来るのです。「主管」の意味を知ることは非常に重要です。なぜなら「主管」とは絶対的な支配を意味するからです。生死に関する権限を持つことです。それこそが「主管」の持つ意味です。生き死にに関する権限を持つ事。これです。

人間が、ある個人がアフリカのジャングルに行ったとして、何がライオンやトラに対する「主管性」を与えてくれますか?ヒョウや狼、そして熊をどう主管しますか?武器です。銃です。弓や槍も。武器が万物に対する主管性を与えます。道具です。動物を殺すことが出来るので、人を恐れ、そして人が主管性を持つのです。この「主管性」をもつことは武器や兵器と深い関係があります。

この第三祝福を社会的観点から見れば、お父様が「平和軍」や「平和警察」について継続して語られたことの重要性が分かります。なぜなら第三祝福は生死に関して成熟した見方を与えるものだからです。武器をもつに足るだけ十分に成熟しているということです。国を守る兵士として社会の平穏を守る警官として、第三祝福は十分成熟して成長した天国の市民となる事です。人々の利益のために武器をとる。これが天国がすべての市民に求める成熟度の基準です。

それが理解できれば、なぜそうなるのか分かれば、武器を持つ事を許された恩恵と責任は恐ろしく、また重要です。それは私たちに完全な成熟を与え、神のごとき存在者として、天地創造に同参したものとして、神様と同様、生殺与奪の権限を持ち、そして神様のような完成した人格をもって、その権能を全体の利益の為にのみ用いることの出来る個人を可能にする。私たちの個性完成です。

兄弟姉妹を守る責任を持つ者として、他者を守る為に自らの命を危険にさらす者として、これは限られた者の責任ではなく、すべての人の責任として、この意味でお父様は、神の国は自己主管、自己責任で成るとおっしゃったのです。そして自己保有。全体の利益を守る者に成るために、ですから天国では全ての市民が平和の兵士として、平和の警察官としての役割を果たすのです。

政府の役割は必要最小限に限定されます。国防・法と秩序・裁判所を司る、限定された政府です。エデンの園での顛末を検証すれば、理想世界に対する神様のビジョンとサタンのビジョンとの違いが分かります。

エデンの園に関して聖書及び原理がはっきりと示しているのは、神の子としてアダム・エバに神様はすべてのものを相続させようとされた事が分かります。そして天使長はアダム・エバ2人の主人を支える僕としてそこにいました。神様の理想世界のビジョンは我々のいう「自由な社会」です。そこでは人々が自由社会の市民が全体の90~95%を所有します。政府の経済活動の割合はGDPの10%以下に限られます。

同様にエデンの園の出来事からサタンの理想のビジョンも知ることが出来ます。サタンの楽園に対するビジョンはどのようなものでしょうか。サタンが、アダム・エバを含む全てのものの所有者になることです。ですから、共産主義はサタンの思想に基づく理想世界だというのです。ご覧ください。共産主義体制では政府が全てを所有しています。天使長(政府)がすべて所有しているのです。神のビジョンは子女がすべてを所有し、サタンのビジョンではサタンがすべてを所有するのです。難しいことではありません。では社会主義とは何でしょう。すべての70%所有する政府は70%サタン社会だと言えます。では社会福祉型社会はどうでしょう。それは50%サタン社会だというのです。

ここで長成期完成級時代において神の社会か、サタン社会か、選択しなければいけません。世界は社会福祉型国家で溢れています。兄弟姉妹の皆さん、我々は決断を下すべき時にきています。神の理想社会のビジョンに進み、祝福を受けるのか。それともサタンのビジョンに堕ちて、地獄を相続するのか。問題はあなたが何を選ぶかです。

兄弟姉妹の皆さん、アメリカは神様に祝福された国です。建国から200年間はアメリカは自由な社会でした。まさに地上天国でした。世界中の人々が押し寄せてきました。アメリカの自由と機会を手に入れようとして、ここでは一生懸命働けば、その汗を流した分だけ見返りを手にすることが出来ました。その自由が世界を勇気づけたのです。世界を勇気づけました。しかし現在、その本来の自由の多くを失ってしまいました。さらに年ごとにさらなる自由を奪い取られていてます。我々の生活は規制という独裁に縛られ、仲間の市民が捕えられ、世界最大の囚人人口を抱えています。政府が市民に対して争いを挑んでいます。かつて自由だった社会が、多くの自由を失った国になりました。なぜそうなってしまったのでしょうか。

原理を学ぶと、イエスがメシアとして来られたのは、十字架で死ぬため来られたのではないと学んだのでした。神の願いは、イエスが受け入れられ栄光の王の座に着くことでした。しかし当時の人々はキリストを受け入れられず、十字架の道を行かざるを得なかったのです。十字架路程の結果、サタンはイエスの肉身を所有します。イエスの血と肉を、そして殺害しました。しかしイエスの魂は神が所有しました。その結果、地上の肉体は独裁と隷従のもとにおかれましたが、霊的に救いを受ける自由を得ることが出来ました。神のもとに行く自由を。しかしキリストの肉身は奪われたので、宗教の機構と組織は、霊的、理論的に、地上天国を保持することが出来ませんでした。このことが根本的原因となって、アメリカの民主主義が長続きしない結果となりました。

そして不幸なことに、他ならぬ宗教が「思いやり」(compassion)の名のもと、政府の社会福祉政策を押し進めてきたのです。このことが現在の困難を我々にもたらしているのです。我々が、地上天国を本気で相続する者であるなら、将来幾世代にも渡って、何千年、何万年と相続する自由な世界を相続するつもりなら、神と摂理に関する新しい理解が必要です。神の御旨に関する「新しい神学」と「新しい宗教」が必要なのです。自由な社会を保持出来るものが。それを為すものこそ、兄弟姉妹の皆さん、統一教会なのです。

統一原理と御旨に対する理解こそ、また理想地上天上天国に対する、神の摂理の理解こそ、私たちに続く、これからの世代に、何が神様の御旨であり、何が理想世界かを、私たちが地上天国を保持するために何をしなければならないかをどうすれば「自由」を手放さない人間に成長出来るのかを教えるのです。

兄弟姉妹の皆さん、我々統一教会は自由の為に立ち上がります。

ありがとうございました。

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2016年3月13日説教「神の国」全文 【英語説教日本語訳】

Kingdom of God Mar. 13 2016 Rev. Hyung Jin Moon Sanctuary Church Newfoundland2 PA on Vimeo

キリスト教徒とはキリストに属する者をいいます。キリスト教という宗教に属するものではありません。イエスは宗教の教祖として来たのではありませんでした。

マタイによる福音書6章31~33

31 だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。
32 これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。
33 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。

これは御利益信仰ではないのです。テレビ伝道師を含む、現代の多くの牧会者はこう言っています。

「イエスを信じて教会に献金すればあなたも金銭的に恵みを受けます」。

イエス様のためにこれをして、あれをして、賛美歌を歌ったり行事に参加したりすれば、経済的に恵まれて豊かになるというのです。

これは御利益宗教に他なりません。これが広くキリスト教世界で見られる福音伝道です。大きな教会でも変わりありません。イエスを信じさえすれば祝福され経済的に豊かになるといいます。

これらは山の神、地震の神をなだめるため犠牲を捧げたりして身の安全を確保しようとする信仰となんら変わりありません。

私がチベットにいたとき、チベットの山々一つ一つに山の神がいて、その神々に人々はお供えをしたり犠牲を捧げたりしていました。ダライラマや赤衣の僧侶もエキゾチックな土着の風習としてただこれを見ていました。根強いシャーマニズムです。

イエス様は「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」といわれました。

お父様聖和後の状況と重ね合わせて考えてみれば興味深いものがあります。事実を悟る人が多くいる一方、この事実を認めることがかくも困難な人がなぜまだいるのでしょうか。

その理由はただ「怖れ」です。お金を失うことに対する恐怖なのです。

「何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようか」その手段、生活の流れが断ち切られる恐怖が先だって抜け出すことができないのです。

誠実で倫理観の強い人ならたとえ詐欺連合を離れたとしても名誉あるより良き場所に神様は導いて下さるでしょう。お金を得るために「売春婦」になどなる必要はありません。違った形で名誉を保ちながら稼ぐこともできるでしょう。

この聖句はイエス様の時代だけではなく時代を超えて適用される真実です。

家庭連合の三分の一は公然とあるいは非公然にサンクチュアリを認めています。また三分の一は成り行きを見守っています。これは冗談ではありません、あるアジアのメンバーは「まだ時間がありそうだ。亨進ニムが(この闘争に)勝ちそうならすぐにでもそちらに行こう」といったそうです。結局、権力構造を見ているのです。

誰であれ、権力を握りお金を握った者が勝利者だという考えです。高潔さ、名誉、誠実さ、お父様に対する思いなどどうでもよく、権力とお金を持つのは誰かということにのみ関心があるのです。

最後の三分一は実際に給料をもらっている人たちです。機関企業やその関連で利益を得ている人も含みます。自分が引退しても息子や娘がそこで働くかもしれません。直接間接に利益を受けているのです。

行事に参加する多くの人は家庭連合の賛同者ですらありません。そこに家庭連合の崩壊過程を見ます。そして激しく内部抗争をしながらも、さも何事もないように振る舞って見せる虚飾。しかし日々多くの人が悟っています。

現に真ん中の三分の一は離れ始めています。少なくとも財政援助(献金)は停止しました。結局、日本のメンバーに対する奴隷化をより強力に進めるしかないのです。残りの三分の一の悪の権力構造を維持するために日本人に対する経済的負担を増やすしか手がないというのです。

この純粋にお金のためだけに残っている者たち。この者たちは日本のメンバーのように献金などほとんどしません。献金要請が彼らまで上がってきて初めて驚いて「これは駄目だ。良くない。何とかしなければ」と言い出すのです。

完全に全体主義下の寄生階級だというのです。だから最後の三分の一は寄生階級として、彼らの言う「カイン圏」を搾取しながら残っている層です。

この聖句は私たちが(彼らの献金要請に対して)「NO」というべきであることを示しています。「NO」というべきなのです。私や国進兄さんが、お母様に対して率直に「良くない」ということが愉快なことだと思いますか。決してそのようなことはありません。

しかし自由のための闘いが家庭全体を巻き込まざるを得ないならばやむを得ません。お父様は一貫して真の世界平和のため人々を解放するために責任をもって闘ってこられました。

その方向に進んでいた所突然、母親が「私は共産主義者だから皆、社会主義者になりなさい」といって登場したらどうですか。もちろんそれでも母を愛しています。しかし「NO」を突き付けて逆の道を行かなければなりませんでした。

50年以上「自由の闘士」と共に戦っていたのが突然、共産主義者に転向することなどありえません。「その方向には進めません!」と言い切ることが名誉あることではありませんか。独裁者として終わることは何としても避けなければなりません。

人生には誠と名誉と倫理、そして善のため立ち上がらなければならない時があるというのです。決して楽な道ではありません。迫害も受けるでしょう。この世的善に逆らっているようにも見えるでしょう。でもそれをしなければならない時があります。

「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」

天聖教を見ましょう。

天聖教P130(英語版)

神様は絶対的な父であり、絶対的な真の父母、唯一、不変、永遠の真の父です。
・・・・侍義(じぎ)というのは、生活化天国時代を言います。それで待義を掲げてきたの です。復帰歴史は何かといえば、神様の創造理想を再現することです。(161-218,1987.2.15)

お父様は「侍義時代」を述べておられます。ところがいまや「祈りの時代」に逆戻りしたかのようです。神に対する願掛け、宗教的修養としても組込まれています。ヒンズー教、アニミズム、シャーマニズムへの逆行です。「~を寄進しますのでお怒りを鎮めて下さい」「子が嵐で死にませんように」「家に雷が落ちませんように」などと。異教の風習だと思ってきました。
いまのキリスト教徒はどうですか。

「キリストの血で清められた!どうか主よ、家に雷が落ちないようにして下さい!」(笑)
「主よ!給料が上がりますように!」

このようなことは異教がするものだと思ってきましたが現代キリスト教も同様にすることで罪を犯しています。それは宗教であって王との関係ではないというのです。

お父様は「祈りの時代」を超えて、「侍義時代」つまり神様、キリストと共に生きる時代の到来を告げられたのです。家内と一緒に暮していて私は家内に祈ることなどしません。これこれして下さいとは祈りません。

神様と共に暮らして侍り、報告するのです。考えを伝え心の内で神様と対話するのです。祈祷ではなく、それは報告です。「お父様、これが私の魂です」「お父様、これが私の霊です」「あそこに行き、こういうことをしようと思っています」このように神様に報告しながらともに暮らすのです。もはや宗教ではなく関係性、神様との絆を深めていく生活です。

私がニューヨークの柔術の先生に稽古をつけてもらいに行くとき、家内に報告します。そして一緒に行かないかと誘います。このように共に暮らすことは常に報告することです。神様と暮らす時も同じです。あれこれと願う宗教ではありません。キリストは神の息子として地上に来られ、生きた人々と関係を結んで行かれました。

お父様の聖和後、40日間、侍る期間として韓オモニが特別な食事をしていたことを覚えている人もいることでしょう。しかしそれと同時進行でお父様の聖典を破壊する委員会を設置したのです。このように外的にはメンバーに対してお父様とともに食事を摂っているように見せていました―そこには金孝南も同席していましたが。その食事は100名余りのスタッフが用意したものです。天正宮は外から見れば忙しそうに見えますが実際は何もしていません(笑)。

外に向けてはこういう姿を見せながら削除委員会では改ざん作業が進められていました。これがお父様に敬意を払う姿でしょうか。関係性の証でしょうか。単なるジェスチャーであり、外向けのショーだというのです。真に敬意を払うとは「あなたの王国はやってきます!あなたの意志はなされます!」と叫びながら遺業をあくまでも守り、願いを温め続けることではありませんか。
宗教と関係を築くことには大きな違いがあります。

家庭詐欺連合は完全に「宗教」になっています。
(組織の)上に何も言えないのです。高位の幹部を批判することが許されません。なぜなら彼らは「存在論上」偉大な存在ということになっているからです。

イエス様が強烈に攻撃したのはそのような人達した。罪人よりも宗教人にイエス様は悩まさせられました。大勢の罪人を招き入れる一方で、く宗教人から絶え間なく攻撃されていました。

宗教人と言えばパリサイ人や正統派ユダヤ教徒、ヒンズー教徒などを想像します。キリスト教世界ではメゾジスト、バプテスト、ルター派、ペンテコステ派などに分かれて聖書に書いていない儀式や文化を持っています。聖公会やカトリックもそうです。何故それぞれが聖書にも書いていないしきたりや儀式を行わなければならないのか。しないとクビになるからです。そして牧会者の説教があまりに空疎です。

説教した後、彼らはひどく落ち込みます。「宗教」を宣伝することに忙しくイエス様を証できないからです。聖書の通りに生活すると組織の上と軋轢が生じるのです。それが「宗教」です。個人との関係性になっていないのです。

キリストはユニークです。他の神々の宗教では信徒を超越した神のごとき指導者に仕えることを求めます。信徒は彼らの許しを請い、御機嫌伺をしなければなりません。指導者のストレスや負担を軽減することを求められます。

キリストは反対です。

「疲れたもの、重荷を負うものは、だれでもわたしのもとに来なさい。」「くびきあるものは来なさい」と言われました。

2千年前のパレスチナの地エルサレムは大いなる宗教の場でした。宗教こそ正統的信仰でした。そのように崇拝されてきました。多くの人々は深く考えることなしに崇拝してきました。

まだそのような批判を持っていないとき、私も仏教を修業していました。そこでは完全な悟りを開くために数千回の敬拝、数百時間に上る瞑想、不眠不休で立てる条件など実践します。

今見れば、それも相対主義の一つに過ぎないのです。しかし私がそこで修業しているときはそれに気が付かないのです。なぜならそういうことを実践すると人から尊敬されるからです。何か聖なる存在に見られるのです。

ですから家庭連合ばかりでなく「文鮮明師の息子さんがそのような修行をしている」といって仏教の人達からも一目置かれました。韓国仏教界とは親しい関係でした。

しかし神様はそんなものは望んでいないというのです。(世界には)一万以上の宗教があります。つまり一万を超える神様がいるということです。キリストはそこにまた一つの宗教を増やすために来られるのではありません。まったく新しい何かをもたらすために来られるのです。神様との関係の修復です。

お父様は神様の王権をつくられました。韓オモニはそれに逆行して王権を破壊しました。そして自分が新たな王として立ちました。お父様の御座に座り、それを正当化する神学を作り出しました。(主体対象のない)性平等化を徹底しました。ポストモダンの時流に乗ったこの世の好むようなものにしようとしています。

お父様の王冠を隠し、祝福リングには自分の名前だけを刻む。神様とお父様を自分の子宮の中に収めるような神学を作りました。子宮神学は例外なく全体主義的共産主義につながっています。国民すべて子宮に収めるのですからそうなるのです。そうして安全と保護を与えるというのですが子宮に長く居続けると死んでしまいます。

文化が死に人が死ぬと母親も死にます。子宮に抱え込まずどういう決断をすべきかというと、人々を早く子宮から解放することです。そして自分達の力、能力、才能を用いて力強く成長するように促進するのです。男性性相、女性性相それぞれの発展の促進です。

韓オモニの指導の下に行われたことの数々

天聖教改変
天一国国歌変更
家庭盟誓変更
成婚問答変更
一神教から二神教へ
憲法に原理講論記述なし・・・これは考え直して変更したようです。
従順な対象的相対の位置を離れ神、メシア、独生女宣言
真のお父様の王権簒奪
祝福式から真の父の血統排除
メシアの血統の上に韓氏族の血統を上に置く

どうも韓オモニは自分のことをメシアだと思っているようだと3年前から言ってきました。2015年には自分の口で直接それを語るようになりました。最近ではことある事に、話をするたびにそれを語ります。(家庭連合のいうように)一般事務レベルの手違いなどではなくオモニの確信的な神学だというのです。

少し前に劉正玉氏がサインしたことで特別教育とか何かの名目で天正宮に36家庭が集められたことがありました。これで36家庭も独生女神学がオモニ自身から出たものであることをはっきり知ったのでした。いいですか、独生女を確信しているのは韓オモニ自身なのです。これまで「周りのものが…」などとかばってきましたが異端の源流はオモニなのです。
だから実の母であるにもかかわらず反対の立場を取らざるを得なかったのです。

「お母さまがこの道を進んでいくことを支えることはできません」ときっぱり言わざるを得なかったということです。もしそれをすれば、お父様を冒涜することになるのでそれは絶対にできません。

お金と権力を提示されましたが断りました。お父様を冒涜することなどできません。写真の出ないプライベートな集まりでも人に聞けばいつも「自分がメシアである」と繰り返し語っているといいます。「二千年のキリスト教歴史は独生女を迎えるためだった」等々。

劉夫人(史吉子氏)は(アメリカで)はっきりとこう言っています。
「お父様は亨進ニムを後継者にしましたが、お母様の考えは異なり『駄目です』と言ったのです」
家庭連合は「真の父母は一つ」を題目のように唱えながら、こういう矛盾したことを幹部が明かしているのです。

これは鮮鶴平和賞の授賞式ですが、もはや椅子は一つしかありません。これが現実です。私たちが特に母を憎んで作り事を話している訳ではないのです。真実を話しているのです。

Kingdom of God   Mar. 131  2016   Rev. Hyung Jin Moon   Sanctuary Church Newfoundland PA on Vimeo.png

家庭が世界的運動の中心となって生涯かけて共産主義と闘っているところに突如共産主義者の母親が出てきて、この運動を乗っ取り世界中を共産化しようとし始めたらあなたならどうしますか.

「NO」というしかないでしょう。

そしてその目標は文書化されているとおり「最高委員会」による全体主義国家の創設です。
幹部たちはそこで神のように崇拝されることを欲しているのです。典型的なrタイプです。
中央集権を望み、その権力の掌握を願い自分と子孫のための繁殖の機会を増やしたいのです。

異端の家庭連合を去り今回の祝福によって救われた、ある牧会者が自分が参加した牧会者修錬会の資料を今週私に見せてくれました。

2014年度第2期修錬会用の資料です。牧会者のための修錬会です。
タイトルが「真の父母理論」となっています。もちろん家庭連合が作成したものです。

 

目次の第3章を見て下さい。「真の母・神様論(참어머니 하나님론)」とあります。以前に話しましたね。自分がメシアであること-これはまだ結論ではありません。私と会話した時、「自分は誰だと思うか」と聞かれて「勝利したキリストの花嫁です」と答えると「違います!私は神です」と返答したのです。

「お母様、それは違います。そんなことをおっしゃるべきではありません。そのようなことを口にすればすべて崩れてしまうでしょう。天の祝福がすべて取り去られるでしょう!」とわたしは言いました。

この話は以前もしました。これ(オモニの神宣言)が徐々に下に降りてくることは予想していましたがこの「真の母・神様論」でそれが具体化されました。

また第7章に「真の母・メシア論(참어머니 메시아론)」とあります。

お父様が生きておられる頃、このような教説は決して許されなかったでしょう。お父様の聖和後に突然唐突にこんな説が出てきたことを不審には思いませんか。

これが正しい教えであるとするならば、なぜお父様が生きておられるときに出てこなかったのでしょうか。これはあくまで偶然で、たまたまお父様が聖和された後出てきたのでしょうか。

お父様の在世時にはこのような説は全くの異端として話にもならなかったことは間違いありません。

イエス様そして再臨主も新たな宗教を作るために地上に来られたのではありません。関係を築くためでした。また世界的レベルで神の国を作ることでした。

アダム・エバに始まる聖書のすべての話の流れにおいて一貫した神様の祝福は「地を治めよ」でした。この「治めよ」という言葉のヘブライ語の原語の意味は「王の主権的統治」です。
アダムに与えられた王国の初代王はアダムでありアダムの血統が神の血統となるのです。

王国は基本的に悪い政体だと教える西洋の教育を受けた人々にはこれを理解することが難しいかもしれません。たしかに王国は歴史を通して全体主義的なものがほとんどです。また私たちは王国に住んでもいません。

王国(Kingdom)はギリシャ語でバシリア(βασιλεία)という女性名詞です。これは王(バシリユース)からの派生語です。王国は対象的相対であり王が主体的相対である点が興味深いところです。王国は王の周囲をまわるべき存在だということです。王国は領土、法、憲法などを持ちますが、同時に王の倫理、願いなどがその文化に反映します。王国に慣れていないのでそれを理解することが難しいわけです。

王国は王とその家庭、血統を中心軸として存在します。

バハマの大使であった黒人の牧師さんが「イエスは宗教を作りに来られたのではなく王国を創建するために来られた」と言っていたのを思い出します。これは原理にかなった見方です。

キリスト教徒にこれをいうと少なからずショックを受けます。一般の福音派キリスト教徒にとって福音とは「誕生」、「十字架」、「死」、「復活」、これがすべてです。また「神は、その独り子をお与えになったほどに世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」という聖句から神様の恩寵についても語ります。

しかしこの黒人の牧師は「よくよくイエス様の語るみ言をみれば福音をそのように語っていない。イエス様は十字架、死、復活を福音として語っていない」と言いました。実際、イエス様は説教の中で「十字架」「死」「復活」を語ったりはしていません。弟子との個人的なやり取りの中では話しましたが、群衆を相手にそれを一度も語ったことはありません。

このことが福音派においては大きな問題だというのです。なぜなら長きにわたって伝統的福音とは十字架、死、復活とそれを信じることで永遠の救いを受けると教えられてきたからです。

ではイエス様自身は福音-良き知らせをどう語っているのでしょう。

「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。」マタイ6:33

(スライドを指して)また神の国はこのようなものとも言えます。

Kingdom of God   Mar. 13  2016   Rev. Hyung Jin Moon   21Sanctuary Church Newfoundland PA on Vimeo

太陽中心に惑星が回る仕組みです。王が王国の中心であり存在理由です。他の者はすべて王であるキリスト、真のお父様の周囲を回るのです。このイメージが重要です。
原理の中で、(四位基台の)神様、父母、子女の図を学びます。教会員のほとんどはこの(四位基台の)図を中心にして知的、神学的、宗教的に真の父母というものをとらえているのです。関係性によってではありません。それは宗教的で独断的、教条主義的な見方です。また信じ込んでいる内容でもあります。それゆえに真実を認識することが困難なのです。

しかしいくら(家庭連合が)お父様の痕跡を消し、ヒンズー教のグルに仕立て上げようとしたところでこの事実は歴史から消し去ることはできません。

なぜならメシア家庭の実相を知る相続者、後継者、真の子女がいるからです。真の子女はすべてが主体(真のお父様)を中心に回っていたことを知っています。

お母様は絶対信仰、絶対愛、絶対服従でお父様の対象として歩まなければならないことは、お父様がお母さまを祝福された時あまりにも明らかなことでした。お父様の周りを回らなければならなかったのです。教会員が皆お母さまをあれほど愛した理由もお母様は絶対信仰、絶対服従で歩んでおられるとつねづね教えられてきたからです。

お母様が実践しているので私たちも愛、信仰、服従が必要なのだと思ってきました。これはキリストを中心とする太陽系の見方です。宗教的見方ではありません。これこそ私の家庭の偽らざる姿でした。
お父様が摂理の方向を示されると家庭全体がその方向へと動くのです。祝福家庭すべてがその方向へ動くのです。お父様が中心です。

Kingdom of God   Mar. 13  2016   Rev. Hyung Jin Moon   Sanctuary Churc1ewfoundland PA on Vimeo家庭連合がお父様の映像をあまり公開したがらないのは、お父様がすべての中心であることが明確に記録されているからです。王国の中心はキリストであるということです。今家庭連合はヒンズー教のイメージを教えています。シヴァとパールヴァ―ティです。

 

最新の教えを装っていますが本当のところは何千年も前の古代の宗教です。聖なる男性と聖なる女性が降臨して夫婦になるという教えです。8千年前の宗教だというのです。
天宙においてキリストはSON(息子)であってSUN(太陽)なのです。
キリストはある神性を崇拝する宗教をもたらすためにではなく神の王国をつくるために来られました。そこでは宗教団体の信徒や教会員としてではなく市民として暮らすのです。

(神の国の)市民は権利を所有します。宗教団体の信徒には権利などありません。その権利は王であっても侵すことができません。神様もご自分が立てられた原理に従わなければならないと原理講論にもありました。同様に王国でも王は自ら市民に与えた権利を侵すことはできないのです。

マタイ伝においてイエス様は弟子たちにこう言っています。

「異邦人の道に行くな。またサマリヤ人の町にはいるな。
むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところに行け。
行って、『天国が近づいた』と宣べ伝えよ。

行って天国を証せよと命じられたのです。決して宗教を作り階級構造をつくるために来られたのではないというのです。 ルカ伝ではこうあります。

4:42 朝になると、イエスは人里離れた所へ出て行かれた。群衆はイエスを捜し回ってそのそばまで来ると、自分たちから離れて行かないようにと、しきりに引き止めた。4:43 しかし、イエスは言われた。「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない。わたしはそのために遣わされたのだ。」

ところがキリスト教の主要教義は、「イエスは(十字架で)死ぬために来た」です。しかしイエス様は自身の言葉として自分の口を通してはっきりと自分は神の国の福音を告げ知らすために遣わされたと明言しています。
「私はあなた方の為に死ぬために来た」とは一言も言っていません。「神の国の福音を告げ知らせなければならない。わたしはそのために遣わされたのだ」と言っておられます。聖書の中の言葉です。しかし神学はイエスは死ぬために来たといいます。ここで福音派キリスト教徒は困ってしまうのです。聖書を見ればはっきりと書いてある。カトリックなどの「宗教」の教義は横において、素直に読んでください。

イエス様自身がはっきりと、「神の国について説くためにここにいる」と言っています。これは動かぬ証拠です。マタイ伝4章23節では「イエスはガリラヤの全地を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった」とあります。

一般の教会、メソジスト、バプテスト、ペンテコステ派、改革教会などにとって福音とは、(キリストの)誕生と十字架の死そして復活、これなのです。しかし聖書にはイエスが御国の福音を会堂を回って述べ伝えたとあります。福音とは「十字架の死」「復活」ではなく「御国(神の国)のおとずれ」であったのです。

福音は十字架、死、復活などではなく御国(神の国)の到来であったということです。マルコ伝にはこうあります。「ヨハネが捕えられた後、イエスはガリラヤに行き、御国の福音を宣べ伝えて言われた、『時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ』」。イエス様は神の国が福音であることをはっきりと言っています。十字架ではありません。

しかし福音は十字架上での死とそれに続く復活というのがキリスト教の標準的な教えになっています。私のようなことをいえば石を投げられるかもしれません。しかし神の国こそ福音なのです。

最初のアダムに神の国は与えられました。しかしサタンの誘惑にアダムとエバが引っかかることによってそれは失われてしまいました。アダムとエバが統治し、地上に主権を打ち立てるべき王国が失われたのです。それ以降、この失われた王国を取り戻すことがすべてでした。

実際、聖書に書かれていることはすべて神の国に関わると言ってよいほどです。たしかに血統を巡る争いもあります。しかしそれも王国に絡む争いでした。

アダムとエバに予定されていた王国、しかし失われた王国、その王国をもう一度取り戻すことだったというのです。この話が皆さんの聖書の中で展開されているのです。「福音」とは「神の国」であるというのがイエス様自身の定義なのです。
マタイ伝9章35節ではこうあります。
「イエスは、すべての町々村々を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった」。十字架の福音ではないのです。

イエス様が地上に送られた目的は「神の国」であったということです。この事実は原理を証しています。イエス様は十字架路程を歩まれました。しかしそれが神様の当初の計画ではなかったことは明らかです。

原理講論にもこれらの聖句の引用がすべて載っていたとは思いませんが聖書にはっきりと福音とは何かということが書かれています。マタイ伝24章14節です。「そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである」。十字架の福音と語っていますか?いいえ神の国の福音です。イエス様は神の国建設のための来られたのです!

またイエス様はどう祈れとおっしゃいましたか。
「天にまします我らの父よ。
ねがわくは御名〔みな〕をあがめさせたまえ。
御国〔みくに〕を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ」。  主の祈り( Κυριακή προσευχή)

キリスト教は霊界の天国に行くためにあれこれ成しなさいと教えています。
聖歌にもそういう歌詞のものがあります。もちろん私はキリストを愛するキリスト教を馬鹿にする気はありません。キリストを中心に愛することは完璧に正しいことです。しかし聖書でははっきりと神の国の福音を述べておられるのです。

御国〔みくに〕を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。

イエス様ご自身がこう祈りなさいと教えられましたね。これは天上の神の国ではなく地上の神の国のことをいっているのです。地上天国の到来ことが福音だというのです。

今後数週にわたりこの問題を考えていきたいと思います。色々異なる聖句を用いて詳細に見て行くつもりです。これを天一国憲法の観点から見て行くつもりです。(拍手)

なぜならこの憲法こそ御国の青写真だからです。この憲法の予定する国こそキリストのみ言が成就する国であることがわかるでしょう。

過去の王国ではありません。千年王国はそれらとは全く異なるものです。来週それを分析したいと思います。神様はキリスト教徒にこの事実を突きつけるように迫っておられると思います。

「ちょっと待ってください。一緒に聖書を見てみましょう。私を信じなくても構いませんが、聖書を見て下さい。キリストは地上にも天国を作るために来られたと書いてありますよ」。

このようにキリスト教徒の友人たちに言わなければならないのではないでしょうか。
聖書それ自体が原理を証しています。神様が最初に予定されておられたのはイエス様の死ではなかった。「御国の福音を宣べ伝えるために来た」と自分の口を通して言っておられるのです。

この問題についてもっと研究しなければなりません。ところでイエス様がイスラエル人の中にもこれほどの信仰者はいないと褒め讃えた人物が誰か知っていますか。それはローマ軍の百卒長です。「私の僕が病気なのでそうか主に助けていただきたいのです」と彼は願いました。

イエス様が「わたしが行ってなおしてあげよう。案内して下さい」というと「いいえ主よ、ただ、お言葉を下さい。そうすれば僕はなおります」「私は権威の下にあるものです」と言います。自分はローマから遠く離れた地で「カエサルの権威の下にある者です」といいうのです。

彼はカエサル(ローマ皇帝)にあったことはないでしょう。彼の話の主旨は「自分が皇帝の命令に従うために皇帝がわざわざ自分のところに来る必要がない」というものです。

続けて言います。「わたしの下にも兵卒がいまして、ひとりの者に『行け』と言えば行き、ほかの者に『こい』と言えばきますし、また、僕に『これをせよ』と言えば、してくれるのです」。

そしてイエス様に「ただお言葉を下さい。そうすれば僕はなおります」と言います。
これにイエス様は非常に感心して、「ユダヤの内に、これほどの信仰を見たことがない」と言いました。

他のイエスに従う者達と比べてどうしてこの百卒長が偉大な信仰者だというのでしょうか。それは百卒長が神の国というものを理解していたからです。ローマ帝国で皇帝が命令を下せばそれは実行されます。百卒長は民間人でしょうか役人でしょうか。政府の軍隊を指揮する隊長です。彼はイエス様を王国の主人として接したといえます。

だからイエス様が一言いえばそれはなされるものと信じていたのです。
奇跡とは何でしょうか。神様の力、権威を派手に証する目を見開くようなものでしょうか。

この世の政府を統治する偉大な王国の証こそが真の奇跡です。
この世の考え方では50年も病気を患っていたとすればもう治る見込みはないでしょう。長血を患っていた女性に、イエス様が「あなたは癒された。立って歩きなさい」と言いました。このように奇跡は偉大なる王国の王であるイエスの力を証するものだというのです。

キリストがサンヘドリン(ユダヤの最高裁判)に呼び出されたとき、一言も返答しませんでした。「ユダヤの王と言うのだな。王国を持つと。」イエス様はこれに答えませんでした。そして帝国の官僚であるピラトのもとに連れて行きましたがそこでの尋問には答えられました。

つまりイエス様は宗教裁判では発言されなかったのです。なぜなら宗教問題ではなかったからです。問題は政治的問題でした。王国の問題だったのです!

聖書は明らかに語っています。来るべき王国が問題だと。地上の王国です。話はここでやめますがまた来週聖句を引用しながら詳しく見て行くつもりです。

聖書をこのように見て行くことはとても重要だと思います。こうすることでお父様が主権、王国、王権-実体の主権国家をもつことにこだわっていかれたのかがよく理解できるからです。これらはすべて聖書的だというのです。ひねった解釈でも何でもありません。これが福音であり、良き知らせです。良き知らせとは神の国が来るという知らせです。

アーメン。
 
 
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