来年10月の大きな祝典-12月2日英語説教(その2)

Sunday Service December 2 2018 Rev Hyung Jin Moon Unification Sanctuary Newfoundland PA on Vimeo

2018年12月2日 日曜礼拝

翻訳:BAMBOOS

大きな祝典が来年の10月、お父様の解放の日に行われます。お父様が興南(フンナム)の死の収容所から解放された日です。天一国国家が生まれた時でもあります。お父様の解放の日に祝祭を行い、解放のお祝いをします。特にアメリカで我々の自由を守る核心である憲法修正第2条を称えます。

リベラル派のメディアはこれに恐れおののくことでしょう。AK-47とAR-15を持ってくるということです。人はAR-15教会などと言います。我々が発表していた内容を見れば、実際AK-47もOKだと言っていました。そうではないですか。あるいはAR-15と同等の威力のものだと。重要なのは市民が同様の力を持つということです。

あのカリフォルニアのスウォルウェル(下院議員)が言ったことを覚えていますか。銃支持者や修正2条支持者に対して、政府には核兵器があるということを忘れるな、と言ったのです。自分が大量虐殺を行う独裁者だと暴露したということです。カリフォルニアの議員が、アメリカ市民に核兵器を使うといいました。

もし少しでもそれに近いことをしようとしたらどうなるか分かりますか。この国にスナイパーがどれだけいるか知っていますか。訓練を受けた退役軍人がどれだけいるか。子供の頃からハンティングをして育ち、600メートル、700メートル、800メートルと離れた標的を撃つことができる人がどれだけいるか。

彼らはカリフォルニアから現れてくるでしょう。カリフォルニアに住んでいるかは関係ありません。茂みの中から現れます。見ることもできず、忍者たちが出て来るでしょう。あらゆる人種と宗教のアメリカの忍者たちが現れて来るでしょう。アメリカ市民に爆弾を落とし、核攻撃しようと考えるなら、1つの町全体か数千人を殺すかもしれませんが、彼はおしまいです。

グリーンベレーや特殊部隊の人たちが、ネバダ西部やユタにどれほど住んでいるか知っていますか。ジープやF-150に乗って、カリフォルニアに向かうのです。ばか者!この人たちは狂っています。どれほどおかしいか分かるでしょう。核兵器では勝てません。核兵器工場もたくさんの武装した人がいれば奪取できます。それでどうやって爆弾を作りますか。彼らが恐れるのはそういうことです。

(中略)

今日の聖句に行きましょう。見てください。ヨハネ7章です。信じられますか。神様が与えてくれたリマです。それが驚くべきことであるのは、神様のみ言を見る時新鮮さがあるからです。同じ章を見ても全く違って見えるということです。神様のみ言はいつも生きているということです。いつも新鮮です。暑い夏の日の川のようです。月曜日に浸かると活力を取り戻し、火曜日にまた来ても水は新鮮なままで元気が回復します。

33節から見ていきます。王妃の壁画が完成に近づいていますが、壁画のタイトルはヨハネ7章37、38節となります。アーティストたちの作品には全て私が聖句を与えています。それらがその作品を支えます。単なるでたらめな作品ではありません。それについて何か瞑想するようなものがあります。青年たちが作っている美しい壁画の作品を見れば、全てに聖句があり、聖句の芸術作品となります。その表現の美しさを称賛しながらみ言について瞑想することができます。

33節から見てみましょう。

33:イエスは言われた、「今しばらくの間、わたしはあなたがたと一緒にいて、それから、わたしをおつかわしになったかたのみもとに行く。34:あなたがたはわたしを捜すであろうが、見つけることはできない。そしてわたしのいる所に、あなたがたは来ることができない」。

なぜでしょうか。32節に行きましょう。次のように話しています。

32: 群衆がイエスについてこのようなうわさをしているのを、パリサイ人たちは耳にした。そこで、祭司長たちやパリサイ人たちは、イエスを捕えようとして、下役どもをつかわした。

では誰に話しているかといえば、パリサイ人と祭司長、そしてやってきた役人に話しているということです。

パリサイ人、祭司長がやってきて、役人もきました。役人は隠れた異教のサタン的な神々と共謀していました。またもちろん帝国とその権力とも。ナチスのような恩給、ナチスのような給料を得るためでした。抵抗してくる可能性のあるあらゆる勢力を支配することができるように。この人たちはイエス様の時代のナチスなのです。役人、パリサイ派、サドカイ派はローマの役人に協力しており、基本的にはただ命令に従うだけのナチスのようなものです。

(略)

こういう人たちがイエス様を逮捕しにやってきます。そして(イエス様は)「あなたがたはわたしを捜すであろうが、見つけることはできない」と言われます。この言葉にはとても謎めいて力強いものがあります。というのも、サタン側に対して話しているからです。

私が神様と共にいる時は、まるでステルス・モードのようになって、みなさんは見ることができません。あの大きなステルス爆撃機は何と言ったでしょうか。飛んできてもレーダーで捉えることができず、気づいた時にはもう遅いのです。基本的には聞こえた時にはもう手遅れです。

驚くべきなのは、数カ月前にこの聖句をやった時にはこれを取り上げなかったからです。この聖句でイエス様は、自分の父と共にいる時には自分を見ることはできない、と悪魔の側であるパリサイ派、サドカイ派、ローマ帝国に対して語っています。

超自然的な覆いがされるというのです。あなたたちが来ることのできない場所があって、聖なる所なのでアクセスできないというのです。ステルス・モードに入るので悪は見ることができず、傷つけることもできないということです。

「あなたがたはわたしを捜すであろうが、見つけることはできない」。我々は戦う時もあれば、避難することもあります。勝利できない戦いもあります。全ての戦いに勝てるわけではないのです。勝つ戦闘もあれば、負ける戦闘もありますが、戦争には勝ちたいのです。

ある戦いでは、「これはだめだ」と言わなければならないこともあります。今回はステルス・モードにならないといけない。敵を混乱させます。敵は、戦場にいると思っていたのが突然隠れてしまい、どこに行ったのだろうと思います。

(略)

我々が隠れてお父様の下にいる時に、敵が我々の所に来て我々を見ることができないというのは、興味深いことではないでしょうか。王国に入ることも見ることもできません。考えてみてください。

家庭詐欺連合のことを考えてみてください。なぜなら我々は明確に王国を定義できるからです。それは憲法を中心とする、武装した王と王妃の国であり、そこでは自分たちの主権の個人の権利を守っています。彼らは想像することもできないというのです。見ることができません。彼らにとっては目に見えないものです。彼らにとってはあり得ないからです。彼らは搾取者なので悪夢となります。彼らは弱さのためにあなたを支配したいと思っています。

(略)

初代教会で、パウロや使徒たちなどの殉教者は何をしたでしょうか。何がローマ帝国を倒したのでしょうか。それはこのような狂った人たちです。彼らははるかに悪い状況にありました。完全に武装解除されていました。まさに奴隷でした。彼らが300年、400年間かけて最後にはローマ帝国を屈服させたのです。多くの人が殉教しました。あなたたちがそのような態度を取るなら私は喜んで死のう、と言って。

メリーランドの男性は犯罪の訴えも受けておらず、有罪にもなっていないのに、リベラル派が成立させた州の憲法に反したばかげた法律のせいで、警察官がやってきました。それは、所有する銃について誰かが不満を申し立てたら逮捕できるというものです。2、3週間前の話です。

朝の5時17分に警官がやってきました。彼が出て警官に銃を捨てろと言われましたが、いやだと言って撃ち殺されました。法律を守るアメリカ市民を処刑したのです。狂ったリベラル派の作ったばかげた法律のせいで。おばあさんでも、不満を抱いた隣人や、元ガールフレンドでも誰でも、あなたのことで苦情を訴えれば・・・どういうことかといえば、誰でも苦情を訴えられるわけで、そうすれば突然人権が消えてしまうということがアメリカで起きています。

どれほどおかしなことが分かりますね。この人は起訴も判決も受けていませんでした。処刑したのです。彼は殉教者と呼ばれます。彼は武器を携帯する権利を諦めませんでした。彼は警官殺しにはなりませんでした。撃ち返して警官を殺そうとしませんでした。彼は、「いいだろう、全く不道徳なことに、アメリカの憲法に基づく神に守られた権利を持っていることで私を殺そうとするなら、そうしなさい。あなたは悪者だ」と言ったのです。

神様を信じる人々は死のうと願ってはいませんが、死を恐れません。ジハード戦士のような特攻任務を行う人はいません。警官を殺す任務も行う人もいません。エンシノのように。

初期のクリスチャンの殉教者に起きたことはこういうことです。「イエスの名前を説くのをやめたらどうだ。さもないと殺す」と言われました。クリスチャンは、それはできないと答えました。ライオンの口に放り込まれたのです。コロシアムでライオンのえさにされました。それでも彼らは自分を連れて行ってくれ、次は自分にしてくれと言ったのです。

ローマの兵士は何度も繰り返さなければなりませんでした。ある時点で良心の呵責に苛まれる者も多かったのです。「何ということだ。自分は何をやっているのだろう。何も悪いことをしていないのに、なぜ我々は彼らを殺しているのだ」と。するとローマ兵士がキリスト教に改宗しました。そして、この人たちは何も悪いことはしていないのだから、代わりに自分を殺せと言いました。

重要なことです。全ての戦争、全ての戦闘は高い道徳的立場を持たなければなりません。非合法で不道徳な戦争であってはならないのです。

つづく

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