サタンの王国から神の王国に-11月25日英語説教(その4最終回)

Sunday Service November 25 2018 Rev Hyung Jin Moon Unification Sanctuary Newfoundland PA on Vimeo

2018年11月25日 日曜礼拝

翻訳:Harry

想像してみてください。
監獄の中でそのような奇跡が起こることを。希望のない死だけを待つその空間です。それを目で見るように想像できますか。心の目で映像化できるのかというのです。衣服をはぎ取られ、足かせと鎖をつけられて、(賛美の)歌が湧き上がってきますか。大きなスピーカもありません。牢獄の中は静かに違いありません。いったい何時間、パウロとシラスは歌ったのでしょうか。響き渡るような声で何時間も歌うことはできないのです。声も出ないでしょう。何かが彼らの心で解き放たれたのでしょう。

私たちが想像するようにドラマチックなものではなかったでしょう。突然大きな声で歌い出したのでもないでしょう。とても静かに歌っていたに違いありません。ささやかな信仰から出たものに違いない。そこにいる囚人を力づけるつもりだったかもしれません。そしてどうなったか。

25 真夜中ごろ、パウロとシラスとは、神に祈り、さんびを歌いつづけたが、囚人たちは耳をすまして聞きいっていた。

ローマの洞窟を知っている人もいるのではないですか。カタコンベ(地下の墓所)に行ったことがある人もいるでしょう。牢獄はアリの巣のように掘られた洞窟です。だから声はあちこちでぶつかります。その声が遠くまで聞こえると思いますか。普通は不可能です。しかし神様の神秘的な力が加わるとき、その感謝の言葉が通り抜けるのです。すべての囚人の耳に届くというのです。

ある囚人は房の片隅にいたかもしれません。あるいは興南監獄の囚人たちのように、狭い所に20人が折り重なるようになっていたかもしれません。8フィート(約2.4メートル)四方に20人です。横向きでないと寝ることができません。そこに聞いたことのない歌が聞こえてくるのです。普通聞こえてくる声といえば「ああ、死にそうだ!」こういう叫びが一日中聞こえてくるのです。それは次元の違った王国の声、その王国は「ああ、死にそうだ」「なんでこんなところに閉じ込めるんだ!」このような叫びが響く王国です。おそらく日常的にはそうでしょう。

パウロ シラス   Google 検索.png

ローマ帝国時代の牢獄

そこでみなが耳にしたのは洞窟の牢を通して聞こえて来る歌。そこで彼らが聞いたものは、神への賛美です。ここで何か思い出しませんか。死の監獄にいた人のことです。お父様のことを監獄生活を通して守ってこられた神様の霊に思い至らないでしょうか。死んだ人の口の中から穀粒を奪いとる世界です。

パウロとシラスの2人と牢獄のすべての囚人たち。2人の信仰がすべての人を変えるというのです。そのすべてを。信仰に関していえば、もちろんパウロはリーダーです。私の想像では、パウロがシラスに「共に祈ろう」「賛美しよう」と誘ったのでしょう。

25 真夜中ごろ、パウロとシラスとは、神に祈り、さんびを歌いつづけたが、囚人たちは耳をすまして聞きいっていた。とあります。

たった一人でもその周囲の雰囲気を変えることができるのです。サタンの王国から神の王国に。ただ一度のアノインティングをその人に与えるだけで牢獄の雰囲気を変えることができるのです。みなが絶望している場所です。最終的には死刑になる人達、死のまな板上にいる人々です。ただ一人でいいのです。兄弟シラスもいましたが。ただ祈って歌うだけです。それ以上何ができるでしょう。服ははぎ取られ鞭打たれ、死の牢獄にいるのです。何ができますか。諦めて死ぬこともできるでしょう。他の者たちのように。しかし彼らは信じることに決めました。恐れる霊ではなく、信じること信仰を保つことを選びました。

救われていない人は悪魔から来る恐れる霊に取りつかれています。始終、恐れに取りつかれているのです。いつも怖れに支配されています。しかし霊において再生した人、聖霊を持つ人にはもはや恐怖はありません。恐怖をもつとき、それは悪魔が攻撃しているのです。恐怖は神様のものではないからです。神様の霊ではありません。分かりますか。

その力を見てください、何が起きたか。その魂が新生した人、聖霊と一つになった人、シムジョンと一つになった人がそうする時に。

26節です。
26 ところが突然、大地震が起って、獄の土台が揺れ動き、戸は全部たちまち開いて、みんなの者の鎖が解けてしまった。

賛美の歌をうたっていると突然、天の神秘の力が働いて大地が揺れたのです!神様のアノインティングがあるとき大声を出して叫ぶ必要はありません。神様が代わりにしてくれるというのです。自分なりの特殊効果は必要ありません。

神の霊を宿す多くの人は他の人を祈りで癒し、悪魔を追い出す力を持っています。ただそれを信じていないのです。それを信じない。「もし祈っても何も起きなかったらどうしよう」。それはあなたが心配する問題ではないのです。もし神様が祈りなさいというなら、ただその人のために祈ればいいのです。特別な結果は神様が責任をもたれるのです。分かりますか。皆さんの問題です。

一般的な話として、ほとんどの人は神様のみ言を真に了解していません。これが問題です。たとえば、切実に祈りを必要としている人がいる場合、あるいは声をかけるべき場合、それはスーパーマーケットでもガソリンスタンドあってもどこでもいいのです。ある人にみ言が必要な時、あなたの心に神様がりなさいと語りかけても、尻込みしてしまう。その経験がある人、手を上げてください。

「ああ、何という事だ」と。神様がその人のために祈りなさいと言われたことを知っているのに。あとで「ああ、しまった」と。「まあ、この人とはどうせ2度と会わないだろう」。

一回限りのチャンスです。その人に触れなさいと神様がいわれる。ひょっとして自殺しようとしている人、何か深刻な危機に陥っている人かもしれません。色々な場合があるでしょう。だから神様の御心に敏感になって、神様が祈れというとき、「あなたのために祈ってもいいですか」というのです。「おかしなことと思われるかもしれませんが祈らせてください」と。

私たちはよく、ウェグマンやサムズ・クラブ(どちらもスーパーマーケット)に行って、普通に歩いている人に「すみません、あなたのために祈らせてもらってもいいですか」と声をかけたものです。「ええ、いいですよ」とたいていは応えました。「何について祈りましょうか」と聞くと「子供たちのために・・」、「もうすぐ手術受けるんだけど・・・」など様々でした。そしてその場で祈りました。見返りなど何も求めていません。神様の訓練でしたから神様の願った通りのことが結果として出るのです。

私たちも「神様が大きな役事をしてくださるのでは」と期待していました。「ありがとう」とだけ言う人、「うわぁ、本当によくなった!」「腰の痛みがなくなった」という人。あるとき、一人のカトリック教徒の婦人のために祈ったことがあります。心開いた人が喜んで受け入れてくれることに驚いたことがあります。スーパーマーケットでたまたま行き会った人たちです。ウォールマートにも行きました。肉のコーナーで、あるいはチーズの売り場、カップケーキだったかもしれません。(笑)

神様の霊が「あの人に祈りが必要だ」といいます。それが誰か分かるはずもありません。ひょっとすると、お孫さんを失った人かもしれないのです。何が起こったか、あなたには分からないのです。そこに神様の神秘な働きを見るのです。そして事情を聴くと、「ああ、誰かが祈ってくれると思っていました!」というのです。「一体どうして私に祈りが必要だということが分かったのですか?」

私は知りませんでした。神様が知っておられたのです。(そういうことを経て)私は神様の求めに対して敏感になりました。神様の願い、神様の好み、神様の要求に対して。言いかえれば、神様のシムジョン(心情)です。神様の魂、その御心。これでシムジョンが分かりやすくなったでしょう。

パウロとシラスは本当にリラックスしていました。マイクもなかったのです。(試しに亨進様がマイクを外して話される)・・・

マイクがないとどれだけ静かか分かりますか。6メートルから9メートル離れたら、普通に話すことが同じ部屋にいても聞こえないのです。これが洞窟ならどうですか、曲がりくねった、ある場所では90度曲がったような洞窟です。そこにどうして声が響き渡るのでしょうか。カタコンベに行ったことがある人は手を上げてください。どれほど入り組んで複雑に曲がっていたでしょう。そこにどうすれば声が通りますか。そのためにはサムソンか、アップル社製のマイクが必要です!普通ならあり得ないことです。岩や石が音を反射しても、そのうち吸収されて消えます。おそらく静かな声だったでしょう。

しかし彼らが神を賛美した時、神様の霊と一つになるという意志のもとで神秘の力が働いたというのです。

おわり

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