牢獄に天から音楽が降ってきた-11月25日英語説教(その3)

Sunday Service November 25 2018 Rev Hyung Jin Moon Unification Sanctuary Newfoundland PA on Vimeo

2018年11月25日 日曜礼拝

翻訳:Harry

聖句に戻りましょう。パウロとシラスがどうなったか。彼らは伝道していたのです。
どうなりましたか。彼らは石の牢獄に入れられました。「その足に足かせをしっかりとかけ」られて。鉄の足かせと鎖です。鎖でつながれて牢屋に放り込まれました。

今や2人は国家による囚人です。なぜか。

それは人々の人生を変えたからです。国はそれを憎みます。人の人生を変えるのは国の役目だからです。すべての問題を解決するのも国の仕事ということになっています。国が「神」の役割を果たすのです。皆に与え、母さんやおばあさんの健康の問題をケアする。言い換えれば、国は抑圧された家庭の一員のようになっている。抑圧者でありながら家族の一員のようです。奇妙ではないですか。

何か皆さんが被害を受けると、国をあてにするではないですか。「警察」「警察」といって。裁判を求めれば裁いてくれるではないですか。あたかも「国」が一家の主人のようではないですか。もちろん偽りの父であり、淫行の父で、家庭に介入してそこから女性を奪っていきます。あたかもサタンが夫のアダムからエバを奪い去ったように!   分かりますか。

おもしろい話です。国は彼ら(パウロとシラス)が人の人生を変えるから、人々を救うからといって牢に閉じ込めました。そして国家、ローマ帝国はすたれて崩壊していきます。

神様の霊がすべての人々を引き上げます。人生を変え、盲目のまま生きていた人の目を完ぺきに開きます。神の王国が開かれるのです。だから多くの強力な証がでてきます。

長血をわずらう女のように自分の証を皆にするのです。井戸のそばにいた女はどうしましたか。イエス様が来て彼女に言いました、「その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。その後彼女はみんなの所に行って証をしました。

このようにパウロとシラスは社会を揺り動かしました。その地域を動かしたのです。それが許せなかったのです。あまりにも多くの人がローマ帝国、ローマ皇帝シーザーよりも神様に注目するようになったからです。人々の心に火をつける聖霊の力と油注ぎをもって役事する神様に仕えたのです。

その素晴らしい体験を自分の胸の内にだけ留め置くことはしませんでした、心に火がついたからです。他の人が救われ、自由になる姿を見たくなったのです。分かりますか。

人々に対する愛、周りの人に対する愛、それがあふれ出したのです、器からあふれ出した。満たされるだけでなくあふれるのです。

フーゥ、聖霊を感じます。

穏やかにしようと押さえています。そうでないと、皆さんはこの部屋を走りまわることになったでしょう。(笑)

22 群衆もいっせいに立って、ふたりを責めたてたので、長官たちはふたりの上着をはぎ取り、むちで打つことを命じた。23 それで、ふたりに何度もむちを加えさせたのち、獄に入れ、獄吏にしっかり番をするようにと命じた。(使徒16)

この時代、このような命令を受けた獄吏がもし仮に囚人を逃がすようなことがあればどうなると思いますか。首を刎ねれられます。命がないのです。いいですか、あなたが獄吏で、囚人が逃げればそれは死を意味します。そういう穏やかで優しい強制があるのです。(笑)
国の愛に溢れる強制です。死の強制ですが、優し気に愛ある父親のように「国」は振る舞います。

どうなったかつづきを見ましょう。25節です。
25 真夜中ごろ、パウロとシラスとは、神に祈り、さんびを歌いつづけたが、囚人たちは耳をすまして聞きいっていた。

彼らは服をはぎ取られて裸です。暗い暗い牢獄の中で低体温に陥っていたことでしょう。
洞窟のような牢獄の中で、足かせと鎖でつながれた彼らは意気消沈してふさぎ込み、ただうろうろしていたでしょうか。「ああ、主よ」「ああ、主よ」といいながら。

そうではありません。神に祈り、賛美を歌った。そうです、賛美歌を歌ったのです。牢獄がどれだけ静かな場所か分かりますか。全く静かなのです。水滴が上から落ちるだけでも聞こえるでしょう。時には叫び声が上がることもあるかも知れませんが静かであることは想像できます。ローマ兵たちが「昨日の女はいい女で・・・」などという話も聞こえたでしょう。(笑)
「きのうコロシアムの試合で勝ったのは誰だった?」
「よくわからないが、ひげをはやした奴だと思う・・」
「おまえバカか、剣闘士はみなひげ生やしてるよ」とかなんとか。(笑)
恐らくそういう話が聞こえたでしょう。

「おれは、ライオンに食われる奴を見たぜ」
「おれはキリンに食われる奴を見た」(笑)

これは聖句にはありません、私が勝手に想像しているだけです。
ところで、左翼や無神論者は「ユニコーン(一角獣)」を話題にするのを好みます。その理由はジェームズ王欽定訳聖書に5回登場するからです。(注:民数記、ヨブ記、詩編、イザヤ書に記載されている。ちなみに現代の聖書では「野牛」と訳される)

知っていた人は手を上げてください。
欽定版の訳語の話です。これをもって左翼は「あなた方はバカだ。神話のユニコーンなんて信じているじゃないか」などと言って。彼らの頭の中には「角をもった白い馬」があるのです。トム・クルーズの映画か何かにあったでしょう。何という映画でしたか?「レジェンド」?私が覚えているのは全身真っ赤で二つの角をはやした悪魔がいて、そこに角をはやした白馬がたてがみをたなびかせて走る姿がスローモーションになって映っていました。これこそ神話のユニコーンです。

15世紀につくられたジェームズ王欽定訳聖書は・・・15世紀ではなく1611年刊行でした。それが編集されたとき、ユニコーンと訳された言葉はギリシャ語のモノケロースからきています。実はこれは「サイ(犀)」のことです。ユニコーンはただ一本の角をはやした動物を意味するだけの言葉なのです。

それを左翼はあざけるネタとして使っているのです。「あなたは聖書にユニコーンがいるっていうのをまともに信じてるの?」。彼らはそれがサイだということを知らないのです。出エジプトで、イスラエルはアフリカ大陸から移動しましたよね。エジプトはアフリカ大陸の国ですよ。アフリカにはサイがいますよ。サイは古代、戦闘に使われていました。これが欽定訳ではモノケロースを一角獣、つまりユニ・コーンと訳した。

だから聖書が記されたとき、誰も一本の角を持つ白い馬など想像もしていなかったのです。それは馬鹿げています。これはサイのことです。

それはともかく、(使徒行伝に戻る)彼ら(パウロとシラス)は神に祈り、さんびを歌いつづけました。他の囚人もそれを聞いたことでしょう、あまりに静かな場所ですから。

うめき声やら「死にたい」というつぶやき声やら獄吏のローマ帝国内で起きた世間話やら聞こえたでしょう。そこに突然、その静かな牢獄で、落ちる水滴の音さえ聞こえそうな場所で、囚人といえば大抵いかつい男たちばかりでしょう。その静かな場所に突然、

「♪ハーレールーヤー、ハーレールーヤー♪」

皆それを聞いたのです。殺人者や様々な者たちが。牢獄に天からの音楽が降るように流れてきた。(パウロとシラスが)神を賛美し始めたのです。

つづく

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