「栄光の賜物」が絶対正統である理由-永田教授

永田博士の異端家庭連合についての考察 第2弾

1,アボニムの正統天一国国歌
2,「栄光の賜物」からみるメシア・アボニムの唯一性・絶対性
3,韓氏オモニの改ざん国歌
4,神不在の改ざん天一国国歌
5, 歴史認識、世界認識、人間認識が欠如した改ざん国歌
6,過剰なキーワードの羅列
7,亨進ニム・荒野で呼ばわる者の声

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天一国国歌の研究
「栄光の賜物」が絶対正統である理由

永田正治 masaharu nagata 高麗大学歴史学科卒業 日本学博士)

1,アボニムの正統天一国国歌

2006年、アボニムは「栄光の賜物」を天一国国歌に定めました。みずから作詞し、国歌とするほど愛された栄光の賜物は、メシア・アボニムを象徴する聖歌であり、ご自身の「信仰の告白」であり、キリスト教の「主の祈り」にも相当する至高の価値を有する歌です。本来、メシアが定めた国歌が未来永劫、天一国の絶対正統国歌であり、それを改ざんすることが罪であることは議論の余地もありません。

ここで、あえてこの問題を論じるのは、天一国国歌改ざんが、韓氏オモニと家庭連合が行なってきた、アボニムの伝統を葬り去る最初の策動であり、多くのことと関連する、きわめて象徴性が高い事件だからです。「アボニムの正統国歌」と「韓氏オモニの改ざん国歌」を比較することによって、「無原罪の独生女」、「真の父母の完全一体」などの虚構を打ち砕くことができるのです。

 2006年、天正宮入宮が行なわれました。天正宮は、清平聖地の豊かな自然にかこまれ、美しく威厳があり、世界のどの王宮にも引けを取らない素晴らしい宮殿です。

 入宮に際しアボニムは、「栄光の賜物」を天一国国歌と定めました。しかし、この歌は、絢爛豪華な天正宮と似つかわしくないものです。「栄光の賜物」の歌詞は、アボニムが、入宮から56年も前に、北朝鮮の興南監獄から解放された後によんだ詩です。死線を越える過酷な苦役を終え、なにも持たず、みすぼらしい姿で弟子を訪ねたときによんだ詩なのです。

 「栄光の賜物」は、「統一教会は、自由天地から始まったのではなく、最低の立場、監獄から出発したことを思いなさい」というみ言に直結し、この天一国国歌の背景と内容に込められた高い宗教的、内的基準があればこそ、天正宮がアボニムの伝統を相続でき、世界、人類を救済する強力な中心地であり得るのです。どんなに威厳ある宮殿でも、アボニムの精神がなければ、ただの世俗の豪華な建物と変わりないものになり、宗教的生命を失ってしまいます。

1 はるかに輝く栄えの光 強く生きよ自由の生命 この地の果てまで目覚め立て
  生命の光、永遠にあり 生命の光、永遠にあれ

2 呼びて求むる栄えの主よ 大いなる姿は 天地を抱き 蘇きた生命はいずこにと
  尋ぬる君を如何に迎えん 尋ぬる君を如何に迎えん

3 死から蘇きたこの我は 蘇かしたお方に抱かれて 永遠の愛と恵みの声
  いついつまでも喜びを いついつまでも讃めまつれ

4 栄に入るのも主の恵み 愛に満つるも主の恵み 崇め崇めて奉れども
  足らぬこの身を如何にせん 足らぬこの身を如何にせん

 1番は、興南監獄から解放された喜び、2番は、自分を訪ねてくれる神、3番は、神に生かされ抱かれる喜び、4番は、神の恵みの大きさと悔い改めです。2番から4番まで、テーマは神への感謝と愛です。「栄光の賜物」は、アボニムが神と極限のなかで出会った心情を吐露した、神主義を体現した歌で、物質的栄華を超越した本質的精神が息づいているのです。

このアボニムの心と深く共鳴していた子女様がいました、それが亨進ニムです。天正宮入宮に先立つ講演のなかで、亨進ニムは、「世界の食口が苦労しているのに、宮殿か —–?」、「私はある行動をしたいと思います」と言って、壇上から降り、会場にいたお婆さんと黒人食口の足を洗ったのです。聴衆は驚きに包まれました。私は、長い信仰生活のなかでも、こんな感動的場面を目にしたことがありません。

天正宮入宮をまえにして、高い精神的価値をもつ、栄光の賜物を国歌にしたメシア・アボニムと、キリスト・イエスのように、食口の足を洗った亨進ニムの行動は、心情の発露をおなじくし、まさに成約時代、新約時代の両キリストを象徴する歴史的役事でした。当時、アボニムの天正宮は、世界救済の中心として、盤石の内的基準をそなえていたのです。

2,「栄光の賜物」からみるメシア・アボニムの唯一性・絶対性

まず、私たちが考えなければならないことは、「栄光の賜物」を作詞した1950年当時は、天一国も、聖婚も、統一教会さえもない時代だったということです。この歌には、韓氏オモニも、子女様も、私たち食口もいないのです。ただ、メシアであるアボニムが、神と二人だけで歩まれた時代でした。この事実に、メシアの「唯一性」と「絶対性」という神の救済摂理の核心が反映されています。

メシアとは、自体が信仰の目的体であり、希望の目的体であり、愛の目的体であり、また、全人類の信仰の結実体であり、希望の結実体であり、愛の結実体である。(み旨の道)

「栄光の賜物」のストーリーは、神とメシア・アボニムの関係が絶対テーマです。「栄光の賜物」の国歌制定には、この関係を、永遠に天一国国民に伝える確固たるみ心があります。

それはまた、神と人類の仲保者であるメシアの「唯一性」が、神の救済摂理にとって、他に比類ない重要性をもつことを教えます。人間の歴史にかつてなかったような両者の深い心情の絆を中心に、すべての人類に救済の光が及ぶのです。

その内面世界を表現し切った「栄光の賜物」は、歌う人々が、自然と、神とメシア・アボニムにつよく心情が引き付けられる国歌なのです。

「栄光の賜物」の背景から分かる、神の救いの要諦は、救世主である「メシア・アボニム」であり、「メシア・アボニム」あってこその「真の父母」、「天一国」、「統一教会」であることです。もし、アボニムと韓氏オモニ、天一国、統一教会との関係性が救済摂理にとって最重要ならば、2006年の時点で、アボニムはそれらが盛り込まれた歌詞の国歌を制定されたはずなのです。

アボニムにとって、家庭連合が唱えている「アボニムと独生女の一体による救済」は、アボニム30才の北朝鮮における受難期も、86才の天正宮入宮期も、そして聖和に至るまで、すなわち全生涯にわたり、第一義的重要性を持つものではありませんでした。家庭連合が主張する救済観は、アボニムの救済観とちがうのです。

家庭連合は、真の父母様の勝利で聖婚が行なわれ祝福・救済の道が開かれた、とします。しかし、それよりも、聖婚に至るまでの、アボニムの血と汗と涙の歩みが重要なのです。それがなければ、そもそも何も成就しませんでした。救済摂理の第一義的重要性はこの苦難の路程で、アボニムはそれに勝利しました。聖婚、祝福はそれが「形」になったものです。「形」より「内面の勝利」が重要です。だからこそ「栄光の賜物」を国歌に定めたのです。

それは何にでも言えることです。天才ピアニストの演奏会も、天分をもって生まれついた運命と、血のにじむような練習があればこそ可能で、すばらしい演奏会という結果より、出発と過程が重要なのです。

韓氏オモニは、アボニムと自分が一体と主張しますが、どこまでも、唯一のメシアとして、また絶対主体としてのアボニムの優位性を認め、対象として同参する一体化です。ですから、オモニはアボニムに侍ったのではないでしょうか。そして、アボニムの苦難と勝利の歩みは、「アボニムのもの」として、一人の食口のような気持ちでほめ讃えるべきなのです。アボニムの聖和後、韓氏オモニは真の父母完全一体という名のもとに、アボニムの苦難と勝利の歩みをそっくり自分の功績にしているのです。

また、アボニム30才という年齢が意義深いことは、世界宗教の教祖の歩みからも悟ることができます。イエス公生涯開始30才、釈迦出家29才、孔子学問確立30才など、世界三大聖人も同じくらいの年齢が最も重要な時代でした。三宗教では、これら聖人は、唯一、絶対の存在です。アボニムにとって、興南監獄の受難期は、三大聖人の歩みと同時性をなし、その基準を越えた時代でした。

アボニムに「あなたの人生の絶頂期はいつでしたか?」と問えば、おそらく30才、興南監獄時代と答えられると思います。ですから、86才になったアボニムが、あえて、56年前の「栄光の賜物」を天一国国歌に定めたのです。

実にそれは、私たちも同じなのです。修練会の主の路程で、最も涙を流すのは、興南監獄の受難の場面です。「栄光の賜物」は、統一食口にとっても他に代えられない聖歌であるとともに、神・アボニム・食口を、深い心情で結びつける掛け替えのない国歌なのです。

韓氏オモニは、ご自身があらわれず、正しい救済観を教え、メシア・アボニムに食口の心情が集中してしまう「栄光の賜物」は、自身が「無原罪の独生女」になる道を決定的に閉ざす、極めて都合の悪い国歌でした。そのため、突然の聖和から基元節という混乱期に乗じて廃したのです。

その目論みは成功しました。5月14日、韓氏オモニの東京公演では、アボニムの言及が一切なく、独生女の強調に終始しました。本来、アボニムを証しに日本に来るのが、オモニの使命なはずです。なぜ、韓氏オモニはメシア・アボニムを前に立てず、常に自分を主張するのでしょうか?アボニム不在で自分を誇るのがオモニの話の定番テーマなのです。むしろ、祝福2世の小村聡士さんのほうがしっかりアボニムを証していました。オモニより二世がアボニムを証する。これはどう考えても変なことではないでしょうか。

5月29日、久しぶりに、渋谷本部前にある愛美書店に行きました。店内には、ご夫妻の写真は複数ありましたが、韓氏オモニの写真は12にもおよぶ様々なものが並べられ、反対に、アボニムの写真は申し訳程度に一枚だけ置かれてありました。これは家庭連合の方針なんでしょうか。アボニムがおられた時には、よもやこんな時代が来るとは夢にも思いませんでした。「12対1」、これが現在の家庭連合の、独生女とアボニムの比重を如実に象徴しています。

3,韓氏オモニの改ざん国歌

2013年1月、韓氏オモニは、天一国国歌を「栄光の賜物」から「聖励の新歌」に変え、アボニムの歌詞を廃し、別人のものに変えました。しかも新歌詞は、公募で採用されたのです。国歌とは、建国のために戦った人々が高い志でつくる神聖なものです。建国者の精神が表明されるべき歌詞を公募で決めた国などありません。この方法そのものが邪道で、天一国を冒涜するものです。

繰り返しますが、そもそもメシア・アボニムが定めた国歌は、天地が崩れても、絶対に変えてはならないのです。しかもこの国歌にはアボニムの深い思いが込められているのです。その国歌を廃すという恐ろしいことを韓氏オモニはしました。家庭連合が言うように、韓氏オモニがアボニムと完全一体ならば、こんな反逆行為をできるはずがありません。

世俗の国でも国歌は革命でも起きない限り変えるものではありません。しかし、家庭連合の天一国国歌の改定理由は陳腐です。韓国と日本のメロディーがちがうので、混乱をさけるために変えた、というものです。実際は、メロディーの違いは一部だけです。こんな違いは、どちらかに統一すればいいことです。現に、サンクチュアリ教会では、日本人、韓国人、アメリカ人がピッタリ合わせて「栄光の賜物」を歌っています。どうやったら混乱するか教えてもらいたいものです。
 
それはすなわち、理由にもならないような些細な理由で、メシア・アボニムの尊い国歌を廃したということなのです。この改定理由が本当ならば、あまりにも非常識で見識のないものです。それよりも、本当の理由は別にあり、それを隠すため、苦し紛れにこんな言い訳にしたのでしょう。

すべての国家は、建国に至るまでの過程を最も重要な時代とみなします。ですから、独立戦争や革命戦争を背景とした歌詞がおおいのです。おなじようにアボニムも、ご自身の若き時の苦難から、天一国時代にいたるまでの戦いの歩みを最重要の時代とみました。そのなかで最も記憶すべき時代として、過酷な戦いであった興南監獄を背景とした歌を天一国国歌と定めたのです。
 
それに比べ、韓氏オモニにとって最も重要な時代は、アボニムの聖和後、2013年からはじまる天一国新時代です。基元節を区切りに、アボニムを中心とした家庭連合から、自分を中心とする家庭連合に変えるためには、アボニムを象徴する国歌を廃し、自分を象徴する新国歌をつくらなければならなかったのです。

家庭連合は、なにかといえば、天一国新時代が到来したと強調しますが、宗教にとって新しい時代とは、教祖が生まれ歩まれた時代です。その時代を中心に置き、つねに教祖の生涯を振り返るのが宗教の正統な歴史観です。キリスト教をはじめ世界の高等宗教はみなおなじです。アボニムの聖和後に新しい時代がはじまったと強調し、アボニムの時代には想像もできなかった、無原罪の独生女という女メシアが登場するなどということは、宗教の基本さえわきまえない偽りの救済思想です。

4,神不在の改ざん天一国国歌

「聖励の新歌」はすばらしい曲です。曲のよさに覆いかくされ気づきませんが、新国歌の歌詞は問題です。これはとうてい神様とアボニムは認めることができません。

1 麗しき花よ 愛のバラ 望みの訪れ 満ち溢る 全世界あまねく こぞりて祝え
  尽きぬ喜び 輝かさん 自由の天一国

2 気高き純白の 清きユリ まばゆき心は とこしえに 全世界あまねく こぞりて祝え
  尽きぬ喜び 輝かさん 平和の天一国

3 真白き妙なる 鶴が舞う 永久に果てなき エデンのごと 全世界あまねく こぞりて祝え
  尽きぬ喜び 輝かさん 統一の天一国

4 高くはためく 天つ御旗 天地(人)父母様の 願う理想 全世界あまねく こぞりて祝え
  尽きぬ喜び 輝かさん 幸福の天一国

不思議なことに、この天一国国歌には「神さま」があらわれません。「言葉」からも「意味」からも「ストーリー」からも、神があらわれないのです。統一教会の聖歌(韓国版)には、「主:チュ・チュニム」、「父:アボジ」、「神:ハナニム」という神を示す語があらわれます。神を賛美する「聖苑のめぐみ」は、「われ今楽しく常に(神を)讃えん、栄光を高く捧げまつれ」など、「語」は省略されても、意味とストーリーにしっかり神が示されています。2曲の例外(5番、46番)をのぞき全てに「神」があらわれ、しかも多くは複数あらわれるのです。キリスト教の讃美歌はむしろもっと徹底して「神」があらわれます。

「神」を高く戴く、神主義を標榜する天一国の国歌に、「神」があらわれないのは、にわかに信じられない驚くべき事実です。韓国、アメリカ、イギリス、ロシアなど多くの国歌にも神があらわれます。この国歌は、キリスト教の伝統がある世俗国家よりも、むしろ神に対する意識において劣っているのです。イギリスなどは6番ある歌詞すべてに神があらわれ、12回も神の名が登場します。イギリス国歌一番を見てみましょう。

神よ我らが慈悲深き女王陛下を守りたまえ。我らが高貴なる女王陛下の永らえんことを。神よ我らが女王陛下を守りたまえ。勝利・幸福そして栄光を捧げよ。御代の永らえんことを。神よ我らが慈悲深き女王陛下を守りたまえ。(「女王陛下」は、男子が即位すれば「国王陛下」に変わる)

世俗国家でもこれだけ神を意識するのです。アングロサクソンが世界に君臨する理由もこんなところにあるのかもしれません。ともあれ、天一国の根本理念と照らし合わせてみても、宗教上、こんな重大な欠陥をもつ歌が、天一国国歌になるべきではありません。神がこの歌を聞いてうれしいでしょうか。神を崇める国歌を定めたアボニムがどんなに嘆くでしょうか。これは、公募に応じた人も、審査する人びとにも、アボニムの伝統を重んじるという思いが完全に欠如していたことを暴露するものです。こんな国歌をもつ国に、神の祝福があるはずがありません。

5, 歴史認識、世界認識、人間認識が欠如した改ざん国歌

国歌は、国民の歴史を踏まえてつくられます。善悪闘争の歴史を繰り返した国民の運命は悲惨なものでした。そのため、明るいだけの国歌など存在しません。各国の国歌を調べれば、つらい外国の支配や悲惨な戦争の歌詞が多いのです。

世界で、幾多の侵略をうけ亡国の悲しみを味わった国として、ヨーロッパのポーランド、アジアの韓国をあげることができます。ポーランドは、「ポーランドは滅びず、我等が生きる限り、外敵の包囲、サーベルにて打ち破らん」、韓国は「神が護りたもう我が国万歳」、「一片丹心」、「苦しくとも嬉しくとも国を愛せ」と、苦難の中で身をささげ国を愛する精神を歌います。
アボニムは、誰よりも歴史の真実を知っています。まさに「栄光の賜物」には、アボニムが自由を奪われ、残忍な共産国家の監獄に収監され、信仰をつらぬいた背景があります。このような国歌は、国民につよい信仰心と忍耐力を養わせることができます。

しかし、韓氏オモニの国歌は、底抜けの明るさしかないのです。この歌詞は、陽陰ならば「陽」だけ、昼夜だったら「昼」だけ、喜怒哀楽だったら「喜」と「楽」だけ、というように世界や人間の明るい面だけしか見ておらず、一面的で、単純です。国歌というより、まるでスポーツの応援歌です。

ですから、本来、国歌に求められる真剣な歴史認識をもちません。「神」がなく、「苦」のかけらもなく「喜」だけが強調される、お花畑のような国歌で、国民の信仰心と忍耐力を養うことができるでしょうか。

また、国歌に求められる世界認識も欠如しています。世界のすべての国家は外敵をかかえ、国防を重視しなければならず、多くの国の国歌は戦う勇気を鼓舞するものが多いのです。アメリカの国歌は「彼らの邪悪な足跡は彼ら自らの血であがなわれるのだ」、フランスは「武器をとれ市民よ、隊列を整え、進め、進め、敵の不浄なる血で耕地を染めあげよ」などです。

私たちが生きる21世紀は、9.11テロ、アフガン、イランでの戦争、今も世界で頻発するイスラム過激派のテロ、北朝鮮の核の脅威、そして自然災害の被害など、平和と安寧とほど遠い世紀になりました。現在、おおくの人々が苦しみ、未来はさらに深刻化する可能性が高いのです。私たち食口にも、いつどんな艱難が襲いかかるかも知れません。

アボニムは過酷な世界情勢を熟知しています。共産軍と激しく戦った韓国動乱下によまれた詩を国歌にしたのは単なる偶然ではありません。世界に善悪闘争が続くかぎり、未来の天一国の存続と安全のためには、戦争の教訓を踏まえなければならないのです。天一国国民も、悪なる勢力から無法な攻撃を受けたら、スイス国民のように、家族と国歌を守るため、銃をもち、勇敢に戦う覚悟が求められるのです。

このような厳しい世界の現状をみると、韓氏オモニの天一国国歌は、なんとズレたものでしょうか。まるでシャンパンを抜いて盛大なお祝いするような雰囲気で、こんな国歌を歌いながら、厳しい21世紀の困難を克服し、人々を導くことができるでしょうか。最近、イギリスではイスラム国の連続テロが発生し、多くの死者を出しました。「韓氏オモニの改ざん国歌」は、明るい新時代を強調したいあまり、厳しい現実を忘れてしまったのです。この歌は、戦争やテロの危険に直面する国際社会のなかで、国歌としての資格はありません。

また、人の苦しみや試練に対する認識も欠如しています。こんな深みのない明るいだけの国歌で、未来の天一国国民が、人生で苦難や試練を受け悩み苦しんだとき、助けになるでしょうか。「栄光の賜物」は、「死から蘇きたこの我は、生かしたお方に抱かれて」、「蘇きた生命はいずこにと、尋ぬる君を如何に迎えん」など、アボニムの深い信仰の世界を伝え、私たちに、神の助けを得て、苦しみに打ち勝ち、生きる希望を与えてくれます。アボニムの国歌がどんなにすばらしい歌でしょうか。

「アボニムの正統国歌」の背景と内容には、優れた歴史認識、世界認識、人間認識があります。反対に、「韓氏オモニの改ざん国歌」はそれらすべてが欠如しています。どちらが天一国国民を正しく導くことができる国歌かはあまりに明白です。未来の天一国国民のため、「改ざん国歌」を廃し、アボニムの国歌を復活させなければなりません。

6,過剰なキーワードの羅列

1番、「愛のバラ」、「五大洋六大洲」、「天宙」、「億万歳太平聖代」、「自由」、「天一国」
2番、「純潔のユリ」、「五大洋六大洲」、「天宙」、「億万歳太平聖代」、「平和」、「天一国」
3番、「千年鶴の翼」、「永生の理想郷」、「五大洋六大洲」、「天宙」、「億万歳太平聖代」、「統一」、「天一国」
4番、「天一国の旗」、「天地人真の父母様」、「五大洋六大洲」、「天宙」、「億万歳太平聖代」、「幸福」、 「天一国」                                           

これは「改ざん国歌」(韓国語の直訳)にあらわれるキーワードを抜き出したものです。当たり前のことですが、キーワードとは、文のなかで特に強調される言葉のことです。ふつう、詩や歌詞のなかに、数個しかあらわれません。私は、こんなにキーワードが多い詩も、歌詞も見たことがありません。皆さんはいかがでしょうか。

キーワード26個を並べれば、歌詞の大部分を占め、歌の意味が分かってしまいます。要するに、キーワードでつなげた歌なのです。キーワードがこんなに多ければ、キーワードどうしが相殺し合い、強調効果はゼロになってしまいます。しかもこれらのキーワードはいい言葉ばかりで、苦難、忍耐、悔い改めなどを示す言葉はひとつもありません。なにか、やたらといい言葉だけ並べて、何にポイントがあるか判断できない歌詞なのです。

韓国文化に根づいたキーワードは、翻訳すると意味が軽くなってしまいます。ですから、家庭連合の動画や手帳には、韓国語からの直訳の日本語訳が出ています。また、キーワードは翻訳困難な語も多く、たとえば「五大洋六大洲」は「全世界あまねく」に、「億万歳太平聖代」などは「尽きぬ喜び」と意味が全くちがうものになっています。そのうえ、音がおさまらないキーワードもあり、歌うとき、「天一国」は「くに」に変え、たとえば「幸福の天一国」は「さちのくに」に変えています。

家庭連合が「栄光の賜物」を廃した理由は、韓国と日本のメロディーがちがい、国際的統一性がはかれないということでした。しかし、この新しい歌詞は、はるかに国際的統一性がはかれない深刻な問題があります。

それに比べ「栄光の賜物」は、キーワードといえば、まさに神をあらわす「主」、そして「自由」、「永遠」など数個で、神を中心としたストーリーがしっかりあるので、翻訳しても、韓国語の原意を伝えられ、日本語で歌っても深みがあり恵みがあります。

私が、「改ざん国歌」の問題点を指摘するのは、改定の目的が、決して、「いい国歌をつくる」ものではなかったことを明らかにしたいからです。もし、いい国歌をつくろうとするならば、新国歌制定委員会が設けられ、アボニムの伝統を考え、聖歌、讃美歌や、他国の国歌も参考にし、作詞の能力がある人が、充分な時間をかけつくるのです。そうしていれば、少なくとも「神」が入らなかったり、「明るいだけ」の歌詞にはなりませんでした。

それをしなかったということは、とりもなおさず、改定の目的が「いい国歌をつくる」のではなく、「アボニムの国歌とその伝統を廃する」ことに真の狙いがあったことを示す事実に他ならないのです。

作詞者である崔洪吉氏の証によると、崔氏は詩作の経験すらなく、そのうえ時間は3日の猶予しかなかったそうです。ですから、とんでもないものができ上がってしまいました。家庭連合は、すぐれた詩人であるメシア・アボニムが、2年5か月の受難を背景に作詞した労作の国歌を廃し、なんと、詩作の経験すらない人が3日で仕上げた、にわか作りの国歌に変えたのです。このアボニムへの冒涜、不誠実は言語に絶するものです。こんな国歌を歌う場に、アボニムが臨在するはずがありません。家庭連合の天一国国歌の動画をみると、アボニムがあらわれます。それをご覧になるアボニムの情けない心情を想うべきです。

家庭連合の皆さんは、目を背けず、この事実を直視してください。家庭連合がアボニムの国歌を廃したことに納得できますか。アボニムは「栄光の賜物」を国歌にしたとき、何度も歌われ、当時を思い出され泣かれたそうです。そのような国歌を平気で廃する人を理解できますか。統一食口としての良心に問うて、アボニムの伝統を葬っている韓氏オモニと幹部に、ついていくか否か、真剣に考えてください。

7,亨進ニム・荒野で呼ばわる者の声

「荒野で呼ばわる者の声」とは、聖書にでてくる、洗礼ヨハネを指して言う言葉です。イエスが公的にあらわれる前に、洗礼ヨハネが人々にメシアが来ることを伝え、イエスをメシアとして受け入れられるように準備する歩みを表現します。

しかし歴史は、洗礼ヨハネが使命を果たせず、イエス自らが人々に訴え「荒野で呼ばわる者の声」となりました。結局、イエスは受け入れられず、殺害されました。
アボニムも、キリスト教牧師が責任を果たせず、自ら「荒野で呼ばわる者の声」になりました。そして、おもむいた所が北朝鮮であり、ついには興南監獄に収監されました。そこから解放されたときによんだ詩が「栄光の賜物」です。

21世紀になり、ふたたび同じことが繰り返されました。アボニムが苦労し基盤を築いた家庭連合は、韓氏オモニが権力を掌握し、アボニムの伝統をくつがえし、アボニムの存在を極小化する行動を繰り返してきました。正統後継者である亨進ニムは追放され、アメリカの片田舎から「荒野で呼ばわる者の声」を発するようになったのです。その悲痛な呼び声にこたえた群れが、サンクチュアリ教会の食口たちです。

この亨進ニムの叫びがなかったら、韓氏オモニの計画は成功し、この地上からアボニムの正しい教えは消え去ってしまったことでしょう。誰が、絶対権力をもつ韓氏オモニに「あなたは間違っている」と直言できたでしょうか。誰が、「偽の国歌」、「偽の神名」、「偽の家庭盟誓」、「偽のメシア」、「偽の経典」に反対を表明できたでしょうか。この訴えがなかったら、すべての食口は韓氏オモニの偽りに気づくことはできませんでした。私たちは亨進ニムに限りない感謝をささげなければなりません。

「荒野」は困難な環境を象徴します。宗教にとって、真に重要で本質的な言葉は、つねに「荒野」から発せられました。キリスト教のみならず、ユダヤ教、イスラム教、そして仏教や儒教も同じです。アボニムをはじめ、イエス、マホメット、釈迦、孔子は、逆境のなかで真理を説いたのです。亨進ニムはペンシルベニアの地で、アボニムと諸聖人の苦難の路程を継承したのです。そして、アボニムは私たちにこう命じます。

統一教会人となるためには、神様と先生の内情的な願いを相続しなければならない。(み旨の道)

アボニムが「神様と先生の内情的な願い」を、すべての食口に相続させようとしたものが、「栄光の賜物」の天一国国歌でした。私たちはこれを子々孫々まで、国歌として歌い継ぐ天来の使命があるのです。亨進ニムは荒野で私たちに叫び、そのことに気づかせて下さいました。

今日、サンクチュアリ教会はアボニムの正統天一国国歌を歌います。「栄光の賜物」の背景と内容にサンクチュアリ教会のすべてが象徴されています。反対に、家庭連合は、韓氏オモニの改ざん天一国国歌を歌います。この歌の背景と内容に家庭連合のすべてが象徴されているのです。

あなたが真の統一食口ならば、亨進ニムにしたがい、「栄光の賜物」を家庭連合の国歌に復活させるため、みずからも「荒野で呼ばわる者の声」とならなければなりません。

家庭連合の皆さんは、30年以上の信仰がある方も多いでしょう。長く信仰をして、今、ふかい落とし穴に落ちてしまいました。それが、韓氏オモニの偽りの教説と逸脱によるアボニムの真理の無力化です。天一国国歌問題をみても、その深刻さがお分かりになると思います。偽りの策動に関わったり、翻弄されれば、信仰の歩みは失敗し、長年の精誠が無に帰し、後悔するときが訪れます。神とアボニムを悲しませてはなりません。今こそ、勇気をもって、韓氏オモニのもとを去り、亨進ニムのサンクチュアリ教会の門を叩き、真のみ旨に合流してください。

日本サンクチュアリ協会公式サイトより

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家庭連合の「天一国国歌」はこうしてできた

 
 
当ブログの記事「サンクチュアリの祭壇、家庭連合の祭壇」にタカトシさんがコメントの中で「家庭連合の天一国国歌の作詞者発見」という言葉とともに家庭連合の『天一国歌』作詞者の証(韓国語)を貼り付けて下さった。原文をご覧になりたい方はこちらからどうぞ。

この証から当時の細かい状況を知ることができ、資料としても貴重であろうと思い日本語に訳してみた。 ↓↓「天聖経」編纂作業中に誕生した天一国歌

証によると歌詞が完成したのは2013年1月30日と特定できる。3日間で仕上げなければならなかったという証言から1月27日以前に公募(とはいえ限られた範囲で)がかかっていたのだろう。家庭連合の基元節は2013年の2月22日である。

思い起こせば、この年の冒頭から矢継ぎ早に韓オモニは「創造主、天の父母様に似た…云々」という言語明瞭、意味不明瞭な2020年に向けての「標語」とやらを発表し、神様の呼称を「天の父母様」に変更。「中断なき前進」と称して真のお父様と「断絶した堕落」を重ね始めた。

証に多少の自己称賛と誇張はあるにしても作詞者の崔洪吉(チェ・ホンギル)氏個人は誇りを感じながら誠実に作業を進めたと感じる。

ただ、管理人の所属していた教会にこの天一国歌が初めて導入された当時、教会長が首をひねりながら「歌詞が童謡のように幼稚なんです」とつぶやいていた姿が今でも印象に残っている。

結果的に韓オモニと家庭連合は、興南解放後40日間にお父様によってつくられた「栄光の賜物」と「聖励の新歌」という貴重な二曲をぞんざいに扱うことでその聖歌の生命を奪ったのだ。

全食口の前から姿を消した2013年春から約半年後、亨進様はYouTube上で当時の近況を発信され始めたが、そのアカウント・ホームの背景には「栄光の賜物」の歌詞が掲げられていた。何も知らない当時の私は奇妙に思ったものだ。しかし今となっては「天一国国歌」の変更こそ何より韓オモニの真のお父様への不信と裏切りを決定的かつ端的に現すものだったということがわかる。

 
 

「天聖経」編纂作業中に誕生した天一国歌

 
– 天が降された奥妙な応え  崔洪吉(チェ・ホンギル)
翻訳:サンクチュアリNEWS管理人

 15期の巡回伝道団を修了した後、光州で牧会活動をし1993年1月から協会の「統一世界」で5年近く働いた。当時、青坡洞(チョンパドン)のオフィスで待機しながら真の父母様が主催する行事があれば無条件に出かけて行った。

真の父母様の巡回路程に応じて映像チームのように全国を駆けずり回り水沢里や漢南洞でイベントがあればみ言を聞いて取材することもしばしばあった。

記事を書くのはもとより、写真を撮影した後、オフィスに戻って編集までした。印刷所に(原稿を)渡す数日前は、入力ミスを校正するため夜更けに帰宅することも多かった。

その頃20代半ばから後半の青春だったので、向こう見ずに摂理の現場を歩き回りながら心情文化世界を先導するために最善を尽くしている時だった。

その後、金川(クムジョン)教区禿山(トクサン)教会長として歩み始めたとき、1999年から恩平区所在財団学校の善正中学校に勤務する栄光を得た。

周知のように善正は、真のお母様ご自身が通学しておられた伝統ある学校である。

「愛天、愛人、愛国」の建学の精神を掲げ、正直、純潔、親切、奉仕という教訓のもと若い学生達を優しく正しく指導していた。その後、上級学校の善正高校に勤務先を移し、これまでずっと学生と苦楽を共にしている。

人文系高校は、大学入試を優先する学校なので放課後の授業に加え、夜間の自主学習の監督もしなければならず、早朝から夜遅くまで連日強行軍が続いた。

それに応じる学生が一流の大学に入学するように教育することとやりがいで時間の経つのも忘れるほどであった。そうこうするうちに、近年になって人文高は特別目的高校と特性化高校、自立型私立高校などに押され低迷することになった。勉強をしない学生が人文高に集まることになったのだ。

さらに悪いことに、2013年1月初旬には冬休み補習授業申請者が少なくなり、高校に勤務して以来10年ぶりに休暇中の授業をすることなく初めて休暇らしい休暇を過ごすことになった。

これまでなおざりにしていた各種の研修を受け、故郷にも帰るなど、内的にも外的にも充電する計画を立てていた。

そんな時に「天聖経」の(編集)作業に参加してほしいという話を電話で受けた。協会の機関紙である「統一世界」の編集長をしていた経歴を認められたのか、「心情文学」の編集などに参加していたことが理由だったのか、それはわからない。

私人の出版物ではない、天宙的な作業ということで無条件に喜んで応じた。計画した研修などは、次の機会に先送りするしかなかった。

昨年8月から始まった「天聖経増補版」の編集作業は容易ではなかった。既存の「天聖経」は信仰の祖国である韓国で直接編纂したことがないうえに、最近のみ言が入っていないなどの理由で、真の父母様のみ言を奉じて基元節献呈を目標に増補作業に突入したのだった。

それと同時に、講演文集である「平和経」編纂作業も行われた。私の引き受けた仕事は校正や校閲などであった。文脈に合わないみ言を修復するとか、分かち書きとつづりの間違いを訂正することであった。時によっては中間の見出しを削除することもした。「統一世界」時代に知ったノウハウがあり大きな困難はなかったが、時間に追われていた。

13編とされた天聖経の校正を13日間で一通りする必要」があった。 1編は通常2百ページだったが、これを最初から最後まで入念に読むことが求められた。黙読すると見逃すことがあるので声を出して訓読しながら校正しなければならない-という指示も守らなければならた。

ご飯を食べるときも作業をしました。 1ページが2段になっていて、字が比較的小さい上、一日に400ページを見なければなら難しい路程であった。

両班の姿勢で座り、ひざまずき祈り、うつぶせにもなりながら読んでいった。目が疲れるたびに目薬をさして目を閉じたまま聖歌を聞きながら休んだ。集中力が低下すると外に出て深呼吸をしばらくするなど、一日中没頭した。

ニュースを見るのもそこそこにして、知人と会うのも後回しにした。食事と睡眠以外は一日中、天聖経にかかりきっていた。天聖経編纂作業が一旦終わると、すぐに続いて平和経編纂に取り掛かった。

他のことはすべて後回しにしておいて、1月はまるまる真の父母様のみ言だけ読んでいた。感動的なみ言の部分では、涙を流し、この地の韓民族を選んで来るしかなかったことを思い、悔恨にふけることもあった。うぬぼれに聞こえるかわからないが、1月の1カ月の人生は「み言」だけが存在した。み言が肉化された状態であった。

天聖経の仕上げ作業をしている最中に「天一国」の歌詞を募集するという知らせを聞いた。基元節を迎え、天一国時代にふさわしい内容で、新しい国歌を制定しなければならないという真のお母様の言葉を伝え聞いたのだった。天地人真の父母様を賛美し、天一国のビジョンと希望が韓半島はもちろん人類と全世界を超え天宙まで満たすことを祈願する内容を入れなければならないという指示を受けた。

聖歌2番「聖励の新歌」に上から歌詞をつけるということだった。音源は再アレンジする予定で軽快で明るい感じにあう歌詞が必要だという説明だった。「祖国賛歌」の歌詞を参考にすれば助けになるだろうという説明も聞いた。

「統一世界」で記事を書いていた。趣味でエッセイと童話を書き続けているが、詩を書いて見たことは一度もなかった。つまり作詩は初めてだったが、それでもなぜか挑戦してみたかった。天聖経と平和経の編纂作業に関わっているうちに、それなりの自信も生じたようだった。 3日間という期間が与えられた。
式典の後、万歳三唱時に使われる「億万歳」に関してインターネットで検索した。千代を享受し、万歳を享受。//鉄柱に花咲き、実を開き手に取り味わう//その他、億万歳の上また万歳を享受//万寿無彊を祝願することを吟味してみた。祖国賛歌を何度も聞いてハミングもしてみた。賛美歌と聖歌にしがみついて格闘した。

現在天一国歌となった聖歌2番「聖励の新歌」を歌ってみた。歌って歌って歌い続けた。するとうっすら天一国の国花と国鳥そして国旗が思いついた。

天一国国花はバラとユリだから3番ではなく、4番にするのが良いという感じが自然にわいた。作業をしていて集中できないと、空を見て横になることが多かった。ふと国歌の歌詞が思い浮かぶと静かに歌ってみた。

国歌は4番で、各節の3-4句は完全にリフレインである点に着目した。気後れせずに一編ではなく、二編を作ることに決めた。一つは、「個人- 家庭 – 民族、世界- 天宙」の流れ、他の一つは、天一国と関連して「バラ- ユリ- 鶴- 天一国の旗」の流れで糸口をつかんだ。

3-4-5という音節数を考え、様々な組み合わせを試してみた。最初に書いたサビの部分を前の時調を参考にして「億万歳」と変えたりした。 1節から4節までの曲の始まりを子音「ㅅ」に統一した。大変な作業だったが、希望を失わなかった。ある程度の見通しが得られ、結果が出た。

知り合いたちに結果をメールで送信しアドバイスを求めた。特に地方の教会で牧会をする後輩とは、長時間の電話での会話を通してアドバイスを受けた。普段はあまり来ることもない私たちの教会をまだよく知らない甥が訪ねてきたときは唐突に押し付けて感想を聞いたりした。しかしまだ気に入らなかった。 2%不足している状態であった。今度は天聖経の「天一国」編を読んでいった。 「天一国の民の七大指針」という小見出しが目に入った。

「皆さんの一生は、母のお腹の中で10か月、地上界で空気を呼吸しながら100年、永遠の天上世界で永遠に生きるように創造されました。 (中略) 皆さんの地上の生活は、次の段階の人生、霊界の人生のために徹底的に準備します。すなわち、皆さんはいつ、どこで、何を言っても、霊界の先祖が皆さんと一緒にいることを忘れずに霊界と歩調を合わせて生きる人生が必要です。精誠と祈りで霊界と交流しなければなりません。」

ああ、天聖経のみ言のとおり、精誠と祈りが不足したな!音量を高くして聖歌を聞いた。眠りに落ちる前に天に向かって真剣な祈りを上げた。やはり天は答えを与えられた。私の願いに応じて生前に聖酒を飲んだおばあさんが笑顔で現れた。夜中なのか明け方だったのか得られた教え、まさにこのようなもの霊的な感覚であろう。 「崇高」と「永生」と「純情」という貴重な言葉はこのようにして生まれた。

天一国讃歌 1
(省略)

天一国讃歌 2
1.
麗(うるわ)しき花よ 愛のバラ
望みの訪れ 満ち溢(あふ)る
全世界あまねく こぞりて祝え
尽きぬ喜び 輝かさん
自由の天一国(くに)

2.
気高(けだか)き純白の 清きユリ
まばゆき心は とこしえに
全世界あまねく こぞりて祝え
尽きぬ喜び 輝かさん
平和の天一国(くに)

3.
真白(ましろ)き妙(たえ)なる 鶴が舞う
永久(とわ)に果てなき エデンのごと
全世界あまねく こぞりて祝え
尽きぬ喜び 輝かさん
統一の天一国(くに)

4.
高くはためく 天(あま)つ御旗(みはた)
天地父母様の 願う理想
全世界あまねく こぞりて祝え
尽きぬ喜び 輝かさん
幸福の天一国(くに)

上の二編をメールで送った。私が作った歌詞が最終的に確定した、という知らせを1月30日の夕方に受けた。その後、私が送った原案がいくつかの修正を受けたことを知った。本部でサビの「享受結合」を「太平聖代」に変えたことなども聞いた。また、2番の「純潔な」も「純潔の」に変えた。

その時刻は、紆余曲折の末、羅老(ナロ)号(大韓民国初の宇宙ロケット)が打ち上げに成功した時刻(2013年 1月30日16時00分)とほぼ同じだった。宇宙に行く天の道が今や開かれた。今回のナロ号の成功は、大韓民国の快挙に違いない。ナロ号が大韓民国の慶事であるとするなら、天一国国歌の確定は統一家の飛翔のための信号弾である。また個人的には「家門の栄光」であるわけだ。

偶然の中の必然!補習授業がなかった2013年1月に、天は私を呼び出し、私はその呼びかけに応えて、視力の低下も気にすることなくみ言にしがみついた。み言を読みながら泣き笑いながら私の人生を点検した。その間、天一国歌作詩と自然に結びつき、得ることが難しい栄光を獲得したものである。天一国歌の歌詞は私一人で作ったのではないことをよく知っている。天聖経からヒントを得るとともに霊界の協力の中、霊界を治められる真のお父様の愛の中で生まれたと考えている。

今私のコンピュータのデスクトップの背景には、私は作詩した天一国歌が写っている。インターネットに接続して仕事を始める前に、毎回天一国歌を聞く。なにか喜びを体得しながら切望していた天一国がすぐ目の前に近づくようだ。憂鬱な80年代の大学時代ヨンボンゴルで「あなたのための行進曲」を大声で叫んで自由と民主化を熱望していた私は、今は天一国歌を歌い天の父がそれほどまでも望まれる以上の世界が早く来るのを願っているのである。-終わり―
 
 
真のお父様が制定された天一国国歌

映像:北日本サンクチュアリ
 
 
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