2016年8月28日説教 「王国の救い主」 【英語説教日本語訳】 (その3)

Kingdom Savior   August 28  2016   Rev. Hyung Jin Moon   Unification Sanctuary  Newfoundland PA 00on Vimeo.png

2016年8月28日説教 「王国の救い主」 その3
 
 
これが現実です。
嘘をつき始めると、嘘を付き続ける他なく、嘘を重ねるうちにしまいにはそこから抜け出せなくなるのです。そのうち中にいる人もそれに気づく日が来るでしょう。

家庭連合がどこに向かっているか明らかです。キリストから離れ、聖書から離れ、原理とお父様が残された八大教材教本、それらも脇に置きました。そうすることによって違う道を歩き出したのです。

神様に向かうか、神様から離れていくのかの道は二つしかありません。色々注釈を加えてもはっきりその二つしかないのです。事故を欺いてはなりません。イエス様は、「私は真理と生命への道だ、神様への道だ」とおっしゃいました。それ以外の道は反対に向かうしかありません。ここでルカ9章をみましょう。

ルカ9章
9:57道を進んで行くと、ある人がイエスに言った、「あなたがおいでになる所ならどこへでも従ってまいります」。 9:58イエスはその人に言われた、「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」。 9:59またほかの人に、「わたしに従ってきなさい」と言われた。するとその人が言った、「まず、父を葬りに行かせてください」。 9:60彼に言われた、「その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい。あなたは、出て行って神の国を告げひろめなさい」。 9:61またほかの人が言った、「主よ、従ってまいりますが、まず家の者に別れを言いに行かせてください」。 9:62イエスは言われた、「手をすきにかけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくないものである」。

イエス様ご自身が「神の国を宣べるために私は来た」とおっしゃっているにもかかわらず神の国の福音を説く教会がないのは不思議なことです。だからこそ原理がキリスト教徒にとって重要だというのです。「イエスは十字架で死ぬために来られたのではない」というとキリスト教徒は教派に関わらずわれわれはそう教えられた、神学校でもそう習ったといいます。ではイエス様は真実なお方ではないというのですか。

イエス様はご自身の口で「私が来たのは神の国の福音を宣べ伝えるためである」とおっしゃっておられるのです。繰り返し繰り返しそう語っているのです。これまで何度も示してきました。
たとえキリスト教徒が否定しようと異端だと叫ぼうと、聖書に向き合えばわかることです。聖書のどこにも「私は死ぬために来た」とは書いていません。「神の国の福音を宣べ伝えるために来た」といわれたのです。イエス様は「私は死ぬために来た」とは一言もいっていません。そして弟子たちに「行って、神の国を宣べ伝えよ」と命じておられます。

だからこそ原理の価値が現れるのです。原理はイエス様が地上でやり遂げたかったことを明確に教えてくれるのです。神学校や学習、牧師の説教で学ぶことのできない内容です。聖句の深い内容を原理が明らかにしてくれます。イエス様の使命を教えてくれるのです。

ルカ9章のこの部分は「イエス様に従うことの代価」と呼ばれる部分です。ここでも2度、神の国に言及されています。ここまでイエスに従うという人は多く現れたのです。しかしイエス様についていくためには支払うべきコストがあります。

イエス様はすでに地上に送られた目的を果たそうとしておられました。だからこそ他の人にもそうするように呼び掛けたのです。天国を証するということを。だから町から町、村から村をめぐっては天国についての福音を宣べ伝えられたのでした。

そこにある人が現れて「あなたがおいでになる所ならどこへでも従ってまいります」といいます。それにイエス様は「私には枕する所がない」といいます。「私(イエス様)に従うということの意味がわかっていない、あなたも休む場所などなくなるのだ。私は休む場所がない。もちろん皆私の下で平安を得ることはできるが、私自身は休まない」というのです。休むことなく進み続けるというのです。

誰かを思い出しませんか。一緒におられた方を。
この青年はイエス様についていくことが、楽しくて快適でおもしろく、どこに行ってもワクワクするようなものだと思い込んでいたのでしょう。

しかし聖書の約束は、その者は迫害され、あなどられ、憎まれ、さげすまれるとあります。それを楽しいと思える人には楽しいでしょう。しかしドーパミンが噴出するような高揚感を求めるとするなら、イエス様と一緒にいるかぎりは、そのような麻薬的快感を味わうことはできません。

神様といるかぎり戦いがあります。イエス様には戦うべき戦(いくさ)があるのです。天国を宣布し建設する戦いです。それは戦争です。なぜならそこにすでに(イエスという)公国と権力が存在するからです。

また別の者にイエス様は「わたしに従ってきなさい」と言います。「まず、父を葬りに行かせてください」と答えるその人に「その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい。」と言われます。当時のユダヤ社会でこのようなことを口にすることがどれほど波風を立てるか理解できますか。

韓国文化でもそうです。「母親に向かってそのようなことをどうして言えるのか」と言います。お母様の真実を明かさなければなりません。完全に神聖冒涜、異端だからです。その犯した罪ゆえに永遠の地獄に行かざるを得ないからです。お母様に警告しなければなりません。愛しているからです。永遠の魂を思うからです。霊界では天国に行ってほしいからです。

いろいろ言っても最終的には本人の判断です。私がこのように真実を明かして家庭連合を壊そうとしているのは、もちろん詐欺グループであり、搾取とクーデターの組織であることが第一の理由ですが、それが最大の理由ではありません。最大の理由は多くの人々を神様から引き離し監獄に向かわせているからです。地獄に導いているからです。

ですからほんの少しでも愛のある人なら、火の手の上がった家を見れば教えてあげませんか。必死に、火事だ!逃げろ!と叫ぶでしょう。上品に「どうか家から出てきて下さい」と話している場合ですか!私なら叫びます。

「家が火事だ!逃げろ!」

もっと紳士的に話せ、ですって?今夜、丸焼きになってもいいのですか。

「家から逃げろ!」

死人は死人に任せておけ。ユダヤ社会は韓国社会同様に、しきたりを重んじます。とくに儒教社会ではそうです。皆さんご承知のように韓国は儒教文化です。式典で私は王冠をかぶってローブをまとったまま敬拝をしましたが、これは儒教的には違反事項です。人間の作った法を破ったというわけです。本来ならローブもつけず、ただ息子として敬拝しなければならないというのです。それが儒教の教えです。

しかし私たちの立場は異なります。私は息子であるだけでなく、。お父様が王権を継承させた者です。ですから私の全人格を私の王様の前に服従させるべきなのです。これが将来のすべての王の伝統になるのです。その王冠もすべて真のお父様に敬拝すべきなのです。

世代を通じて必ずそうあらねばならないのです。もし私が韓国風儒教文化にしたがっていれば混乱は免れません。人々はそれぞれの王を偶像として崇拝するようになるでしょう。王が神になるかも知れません。王が王の王になるかも知れないのです。今後すべての王も真の父母を継ぐ者も、真の父母、真のお父様に敬拝し続けなければなりません。

それが韓国儒教文化ではタブーだというのです。自分の父親の葬儀は自分がするというのは世界のあらゆる文化で行われていることです。しかしイエス様は「死人を葬るのは、死人にまかせなさい」と言われるのです。葬儀に出て死んだ父親、あるいは親戚が救われることはありません。今はキリストがいるのです。人々の魂を救うためにはキリストとともにいてその働き人として働くことではないですか。実際は私が救うのではありません、救い主につなげるのです。もはやしきたりはどうでもいいのです。「摂理は組織や建物ではなくキリストという人間を通して動く」と国進兄さんはいいました。

この人は「しかし社会のしきたりでは先にこれを済まさないと」とこの人は言います。イエス様は「死人に死人を救うことはできない」と言いました。「死人を救えるのは私だけだ」と言われるのです。だから私と共に歩み、神の国を宣布しなさいと。

普通私たちは(原始)キリスト教は秘密結社のような地下組織だったようなイメージがあります。しかしイエス様のこの初期の言葉を見て下さい。

「行って神の国を告げひろめなさい」。あなたがたはあなどられ、さげすまれるかもしれないが世界に出ていき、神の国を宣布しなさいと言われたのです。私を愛するなら御国を宣べ伝えよと。

またある人が来て「まず家の者に別れを言いに行かせてください」と言います。ここに蘇生、長成、完成の三段階を見ることができます。まず「私がついていきます」という個人のレベル、次に「父を葬らせて下さい」という段階を経て、家庭レベルにあがっていきます。

これに対してイエス様は「手をすきにかけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくないものである」と言われます。「すき」をひとたび握れば前を向いて注意しないと傾いてしまいます。牛が鍬を引いていくのですから、すきに手をかけてうしろを見る者は神の国にふさわしくないというのです。

ひとたび責任を受け入れるなら振り向いてはいけないというのです。それをすると安定を失って王国を失うということです。畑を損ないます。イエス様に従うには代価がかかります。

現代にはあらゆる代価を払わないという人がいます。結婚のための代価も子供を持つ代価、人間関係の代価も払いたくないというのです。どのような世界に住むというのでしょうか。子供もまま大人になった者たちです。まるで幻想の中に暮らす子供です。人生のすべてに犠牲はつきものです。善行をするにもコストがかかります。ボクサーになるにもバスケットボール選手になるにも代価はあるというのです。医者になるにも山に登るにもコストはあります。腕立て伏せをするにも!

キリストに従う決断をした人は後ろを振り返るべきでありません。キリストと共に動き共に戦い、ともに「すき」をもって進むのです。

キリストは私には御国が必要だ、行って御国を宣べ伝えなさいと宣布します。私たちは国家レベルで神の国について研究してきました。イエス様が「御国」というのは現実の神の王国を指しています。黙示録にも再臨して千年王国を打ち建てるとあります。現実の地上天国です。たとえ話ではありません。神様が統治される王国です。

国家レベルで見ることもできます。主権国家です。
将来、艱難の時代が来るでしょう。ありとあらゆる、金融、政治の中央集権システムは崩壊します。そのとき人々は神様を求め、神様を中心とする人権を求めていくことでしょう。神中心の統治です。  つづく

翻訳:サンクチュアリNEWS管理人
 
 
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4/10 式典後の懇談会から-その3

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 亨進様-

アベル・カインの一体化によって王国が可能になりました。王国を来たらせるためにはその一体化がなければならないのです。(韓オモニの)失敗後、これが基台になるのです。韓オモニの失敗後、私たち(亨進ニム、国進ニム)のいずれかがお金で買収されていたとするならばすべて失われてしまっていたことでしょう。

ですから(先程の)祈りの中で神様に力を与えて下さったこと、その力を持ち続けることのできる恵み、お父様を30シェケルの銀で売り飛ばさずにいることができた恵みに感謝しました。また祈りの中で、韓オモニが行ってきたことに対するお父様の痛みを霊的に痛切に感じました。本当に生々しい痛みでした。3年前から私たちが話してきた内容を、オモニが何かの折に話をするたびに、皆さんも本当だったのだと納得していることでしょう。

私たちが3年前に嘘をついていなかったことは明らかです。オモニはすでに3年前に同じことを私たちに語りました。その結果、オモニに付いていくことは、もはやお父様を冒涜することと同じことになってしましました。お父様に従うこととオモニに従うこと、この二つは決して両立しない事柄になったのです。善悪の二者択一です。

サタンはイエス様のもとに来て「私にひれ伏すなら世界を与えよう」といいました。ここでサタンに「お前に半分ひれ伏すから、世界の半分を与えろ」ということなどできないのです。黒か白です。私たちは白を選びました。

当時の36家庭を含むすべての幹部、長老はその時サタンにひれ伏しました。信仰よりも地位、つまり保身を優先させたのです。いかに軽薄であり哀れだったことでしょう。彼らは(オモニが)間違っていることを十分に知っているのです。しかし完全に責任逃れをしています。完全に臆病風に吹かれてしまっているのです。完全な背信者であり、「売春婦」です。そして今もメシアであるお父様を30シェケルの銀貨で売り飛ばした事実から目をそむけているのです。これがいかに卑しむべきことか。そしてお父様の怒りが韓国語で私を通してときおり噴き出すのです。

最大の愛と恵みと祝福を受けた彼らであったがゆえに最も痛烈な裏切り行為となったのです。そういう霊的雰囲気に現在包まれているのです。
 

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2016年4月24日説教「逆さの王国」【英語説教日本語訳】その1

The Upside Down Kingdom  Rev. Hyung Jin Moon  April 24th  2016 on Vimeo.png
マタイ18章
18:1そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、「いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか」。 18:2すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、 18:3「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。 18:4この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。 18:5また、だれでも、このようなひとりの幼な子を、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。 18:6しかし、わたしを信ずるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海の深みに沈められる方が、その人の益になる。18:7この世は、罪の誘惑があるから、わざわいである。罪の誘惑は必ず来る。しかし、それをきたらせる人は、わざわいである。 18:8もしあなたの片手または片足が、罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。両手、両足がそろったままで、永遠の火に投げ込まれるよりは、片手、片足になって命に入る方がよい。 18:9もしあなたの片目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。両眼がそろったままで地獄の火に投げ入れられるよりは、片目になって命に入る方がよい。

イエス様は「天国では誰が一番偉いのですか」と質問されました。すると幼い子どもを呼びます。その子供はそれにこたえて素直にやって来ます。そこでその子を真ん中に立たせるのです。この子供はキリストに対し素直であるだけでなく従順であることがわかります。

天一国憲法前文および最初の条文では神様と主体である夫と対象である妻という神様の創造の計画に対し感謝を捧げています。憲法の中で再臨主に感謝を表しているのです。その根があってこそ自由を享受することができ、王国が豊かになるのです。

天一国憲法の下にあるとき、神様が与える保護と人権、政府の制限と国民の保護ゆえに御前に従順になります。これらすべては神様の愛と血統からもたらされるものです。

天国の王権は神様の種によってもたらされ、キリストの千年王国はそこから始まるのです。

ところでイエス様が幼子を呼び寄せると、その子は従順に従いました。イエス様はそこで、「幼子のように自分を低くしなければならない」と言います。ここで多くの人は神様の前にへりくだることは謙遜に振る舞うことだと思っているのですが、神様の前に謙遜であることは時にサタンに対して粗野であることを意味します。神様に従順であるためには時に自分と家族を抑圧するサタンに対して攻撃的で厄介な存在であることも必要なのです。そのような悪の勢力にとって危険な相手になることも必要です。

ところが私たちはこれを相対主義的な独り善がりの哲学で納得しがちです。
神様の前に謙遜であるために自分はすべての人にとって良い人にならなければならないという風に考えるのです。自分を犯そうとする者に対して良い人であっていい訳がありません。

そのような時は、顔を殴りつけ、眼を突き、その急所を50回位捩じ上げる(笑)、また柔術の業で締め上げるなど、ありとあらゆることをして自分と自分の宮を守らなければなりません。自分に危害を加えるものに親切に語る必要などないのです。

誤解してはならないのは子供はどんな時でも例外なく謙遜である必要はないということです。キリストに対して謙遜であれというのです。ここがポイントです。

天一国ではその全法体系、統治システムは神様の承諾と神様から与えられた自由と恩恵の賜物です。そのすべては神様の贈り物であり愛であるというのです。私たちが主権を与えられて暮らす自由で豊かな国は神様と再臨主の賜物であるということです。神様の愛によって一つに束ねられているのです。

「わたしを信ずるこれらの小さい者」の「わたしを信ずる」が重要です。天一国の祝福された幼き者は神様のみ前に従順であり神様を愛し尊敬し、なおかつ自分がどこから来たのかを知り神様を信ずるものであるということです。

18:7この世は、罪の誘惑があるから、わざわいである。罪の誘惑は必ず来る。しかし、それをきたらせる人は、わざわいである。 18:8もしあなたの片手または片足が、罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。両手、両足がそろったままで、永遠の火に投げ込まれるよりは、片手、片足になって命に入る方がよい。 18:9もしあなたの片目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。両眼がそろったままで地獄の火に投げ入れられるよりは、片目になって命に入る方がよい。

いままで私たちはこの聖句を個人的レベルで解釈してきました。イエス様は文字通り腕や足を切れとおっしゃっているのではないであろうが、罪の誘惑からしっかりガードしなければならないと。

この「罪の誘惑」「つまずかせる」(英語ではoffend)の原語はギリシャ語のスカンダリツォ(σκανδαλίζω)であり、字義どおりに訳せば「わなを仕掛ける」という意味です。

わたしを信ずるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる(スカンダリツォ)者は、大きなひきうすを首にかけられて海の深みに沈められる方が、その人の益になる。

現代のこのoffendの用法には「怒らせる」という意味がありますがリベラルな人々は何でもかんでも「怒らせ」られます。お父さん、お母さんという言葉ですら彼らを怒らせるのです。パートナー1、パートナー2と呼べば彼らは納得するのでしょう。冗談ではありません。何に関してもこういうことを言うのです。

教育の場でも男子、女子という性別を分けて呼ぶことに対しても社会的な枠組みにはめていると反発するのです。これは良い悪いではなく単なる区別です。

ともかくスカンダリツォの意味は「わなを仕掛ける」「つまづかせる」というものです。ですから聖句で「罪の誘惑」と訳されている部分は「わなを仕掛けられた」と解釈できるのです。

18:6しかし、わたしを信ずるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海の深みに沈められる方が、その人の益になる。

ですから上の聖句では「小さい者のひとりをつまずかせる者」というより「小さい者ひとりにわなを仕掛ける者」としたほうが分かりやすいのかもしれません。「子供達を破滅に導く」という意味です。

これらのことを天一国憲法、千年王国の観点から見ればイエス様がここでいう「小さい者」は天一国国民と言えるでしょう。

ではその「小さい者」にわなを仕掛け、むしろ「大きなひきうすを首にかけられて海の深みに沈められる方が」まだましだと言及されている対象は何を意味しているのでしょうか。個人レベルを離れて国家レベルで考えましょう。わなを仕掛けて国を支配しようとするものは何でしょうか。天使長的マモンです。

イエス様は「神様とマモンの両方に使えることはできない」とおっしゃいました。信仰と拝金主義は両立しないということです。しかしこの世界では金を支配する機関が大きな力をもつのです。

巨大金融機関があらゆる形で社会主義的、共産主義的中央権力を支持するのを目にしてきました。それが寡頭制であれ何であれ自分たちが利益になると判断すれば彼等は支援するのです。現代女性運動、フェミニズムも社会をどの方向に導くのかと言えばより大きな政府へと導いていくのです。その仕組みは単純です。その点ではイスラム法もスルタン(イスラム世界における君主号)などによる独裁に導く傾向を持ちます。 つづく

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4/10 式典後の懇談会から その1

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亨進様-

お父様は幾万の十字架路程を生き抜いていかれました。

そして全歴史の苦難を蕩減されました。「花婿」、「裁き主」、「王」という聖書が描く再臨主として3つの立場を確立されたのです。真のお父様は勝利的に花婿の立場を復帰され、すべてのサタン世界、特に共産主義世界を審判され、実質的に全世界、国連まで審判されました。そのうえで王国を創建されました。億万歳でも最初に「神様の王権」を謳うでしょう。2001年には王権即位式を行われましたね。

このようにして真のお父様は再臨主としての3つの大きな責任を果たされたのでした。ところが韓オモニの失敗によって、苦難を迎える世界の今を見ているわけです。その苦難は教会内だけにとどまらず全世界に及ぶものです。内的摂理の失敗は外的全世界に及ぶからです。世界的にも経済面ばかりでなく社会的にも不安定になって来ています。経済は崩壊過程に入り、各地で戦争が勃発しています。

私たちはお母さまが独自路線を歩み始められた3年前、こうなることを予想してお母様に強く訴えたのです。当時、お父様を愛し仕えるはずだったすべての韓国人幹部、長老たちは―彼らは実際これをお父様に誓っていたのです―一言も(オモニの独自路線に)反対せず流れに身を任せお金を手にしたのです。

当時私たちも同様なわいろと金銭的、権勢的誘惑を受けました。お父様から代身者、王権の相続者の祝福を受けていたのでむしろその規模は大きかったのです。私たちもサタンの誘惑にさらされました。国進兄さんも私もです。

しかし私たちは拒絶しました。
お父様を裏切ることを拒否したのです。

魂を悪魔に売ることはしません。お金と権力に売ることはしないのです。売春婦ではありません。
最初の頃、お母様には直接訴えました。何度も何度もこの道は破滅への道、審判への道であると訴えました。お母さまがどういっていたかというと、金孝南は私を裏切ることなどない、私はすべて主管している、私に任せればすべてうまくいくのだ、そして世界は祝福を受けるだろう―こう言い放っていました。そのすべてが覆ってしまいました。

金孝南はオモニを裏切り、追い出されてしまいました。いま家内(ヨナニム)が私に思い出させてくれたのですが、オモニは私に「あなたの言うことなど聞く人は誰もいない。国民のいない王様など何の価値がありますか」とも言いました。

ただ私たちはお父様を神聖冒涜できなかったのです。裏切ることができませんでした。
 
 
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福音とは神の国の到来を告げるもの!  3/13説教【英語説教日本語訳】その4

Kingdom of God Mar. 13 2016 Rev. Hyung Jin Moon Sanctuary Church Newfoundland2 PA on Vimeo

(神の国の)市民は権利を所有します。宗教団体の信徒には権利などありません。その権利は王であっても侵すことができません。神様もご自分が立てられた原理に従わなければならないと原理講論にもありました。同様に王国でも王は自ら市民に与えた権利を侵すことはできないのです。

マタイ伝においてイエス様は弟子たちにこう言っています。

「異邦人の道に行くな。またサマリヤ人の町にはいるな。
むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところに行け。
行って、『天国が近づいた』と宣べ伝えよ。

行って天国を証せよと命じられたのです。決して宗教を作り階級構造をつくるために来られたのではないというのです。 ルカ伝ではこうあります。

4:42 朝になると、イエスは人里離れた所へ出て行かれた。群衆はイエスを捜し回ってそのそばまで来ると、自分たちから離れて行かないようにと、しきりに引き止めた。4:43 しかし、イエスは言われた。「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない。わたしはそのために遣わされたのだ。」

ところがキリスト教の主要教義は、「イエスは(十字架で)死ぬために来た」です。しかしイエス様は自身の言葉として自分の口を通してはっきりと自分は神の国の福音を告げ知らすために遣わされたと明言しています。
「私はあなた方の為に死ぬために来た」とは一言も言っていません。「神の国の福音を告げ知らせなければならない。わたしはそのために遣わされたのだ」と言っておられます。聖書の中の言葉です。しかし神学はイエスは死ぬために来たといいます。ここで福音派キリスト教徒は困ってしまうのです。聖書を見ればはっきりと書いてある。カトリックなどの「宗教」の教義は横において、素直に読んでください。

イエス様自身がはっきりと、「神の国について説くためにここにいる」と言っています。これは動かぬ証拠です。マタイ伝4章23節では「イエスはガリラヤの全地を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった」とあります。

一般の教会、メソジスト、バプテスト、ペンテコステ派、改革教会などにとって福音とは、(キリストの)誕生と十字架の死そして復活、これなのです。しかし聖書にはイエスが御国の福音を会堂を回って述べ伝えたとあります。福音とは「十字架の死」「復活」ではなく「御国(神の国)のおとずれ」であったのです。

福音は十字架、死、復活などではなく御国(神の国)の到来であったということです。マルコ伝にはこうあります。「ヨハネが捕えられた後、イエスはガリラヤに行き、御国の福音を宣べ伝えて言われた、『時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ』」。イエス様は神の国が福音であることをはっきりと言っています。十字架ではありません。

しかし福音は十字架上での死とそれに続く復活というのがキリスト教の標準的な教えになっています。私のようなことをいえば石を投げられるかもしれません。しかし神の国こそ福音なのです。

最初のアダムに神の国は与えられました。しかしサタンの誘惑にアダムとエバが引っかかることによってそれは失われてしまいました。アダムとエバが統治し、地上に主権を打ち立てるべき王国が失われたのです。それ以降、この失われた王国を取り戻すことがすべてでした。

実際、聖書に書かれていることはすべて神の国に関わると言ってよいほどです。たしかに血統を巡る争いもあります。しかしそれも王国に絡む争いでした。

アダムとエバに予定されていた王国、しかし失われた王国、その王国をもう一度取り戻すことだったというのです。この話が皆さんの聖書の中で展開されているのです。「福音」とは「神の国」であるというのがイエス様自身の定義なのです。
マタイ伝9章35節ではこうあります。
「イエスは、すべての町々村々を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった」。十字架の福音ではないのです。

イエス様が地上に送られた目的は「神の国」であったということです。この事実は原理を証しています。イエス様は十字架路程を歩まれました。しかしそれが神様の当初の計画ではなかったことは明らかです。

原理講論にもこれらの聖句の引用がすべて載っていたとは思いませんが聖書にはっきりと福音とは何かということが書かれています。マタイ伝24章14節です。「そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである」。十字架の福音と語っていますか?いいえ神の国の福音です。イエス様は神の国建設のための来られたのです!

またイエス様はどう祈れとおっしゃいましたか。
「天にまします我らの父よ。
ねがわくは御名〔みな〕をあがめさせたまえ。
御国〔みくに〕を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ」。  主の祈り( Κυριακή προσευχή)

キリスト教は霊界の天国に行くためにあれこれ成しなさいと教えています。
聖歌にもそういう歌詞のものがあります。もちろん私はキリストを愛するキリスト教を馬鹿にする気はありません。キリストを中心に愛することは完璧に正しいことです。しかし聖書でははっきりと神の国の福音を述べておられるのです。

御国〔みくに〕を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。

イエス様ご自身がこう祈りなさいと教えられましたね。これは天上の神の国ではなく地上の神の国のことをいっているのです。地上天国の到来ことが福音だというのです。

今後数週にわたりこの問題を考えていきたいと思います。色々異なる聖句を用いて詳細に見て行くつもりです。これを天一国憲法の観点から見て行くつもりです。(拍手)

なぜならこの憲法こそ御国の青写真だからです。この憲法の予定する国こそキリストのみ言が成就する国であることがわかるでしょう。

過去の王国ではありません。千年王国はそれらとは全く異なるものです。来週それを分析したいと思います。神様はキリスト教徒にこの事実を突きつけるように迫っておられると思います。

「ちょっと待ってください。一緒に聖書を見てみましょう。私を信じなくても構いませんが、聖書を見て下さい。キリストは地上にも天国を作るために来られたと書いてありますよ」。

このようにキリスト教徒の友人たちに言わなければならないのではないでしょうか。
聖書それ自体が原理を証しています。神様が最初に予定されておられたのはイエス様の死ではなかった。「御国の福音を宣べ伝えるために来た」と自分の口を通して言っておられるのです。

この問題についてもっと研究しなければなりません。ところでイエス様がイスラエル人の中にもこれほどの信仰者はいないと褒め讃えた人物が誰か知っていますか。それはローマ軍の百卒長です。「私の僕が病気なのでそうか主に助けていただきたいのです」と彼は願いました。

イエス様が「わたしが行ってなおしてあげよう。案内して下さい」というと「いいえ主よ、ただ、お言葉を下さい。そうすれば僕はなおります」「私は権威の下にあるものです」と言います。自分はローマから遠く離れた地で「カエサルの権威の下にある者です」といいうのです。

彼はカエサル(ローマ皇帝)にあったことはないでしょう。彼の話の主旨は「自分が皇帝の命令に従うために皇帝がわざわざ自分のところに来る必要がない」というものです。

続けて言います。「わたしの下にも兵卒がいまして、ひとりの者に『行け』と言えば行き、ほかの者に『こい』と言えばきますし、また、僕に『これをせよ』と言えば、してくれるのです」。

そしてイエス様に「ただお言葉を下さい。そうすれば僕はなおります」と言います。
これにイエス様は非常に感心して、「ユダヤの内に、これほどの信仰を見たことがない」と言いました。

他のイエスに従う者達と比べてどうしてこの百卒長が偉大な信仰者だというのでしょうか。それは百卒長が神の国というものを理解していたからです。ローマ帝国で皇帝が命令を下せばそれは実行されます。百卒長は民間人でしょうか役人でしょうか。政府の軍隊を指揮する隊長です。彼はイエス様を王国の主人として接したといえます。

だからイエス様が一言いえばそれはなされるものと信じていたのです。
奇跡とは何でしょうか。神様の力、権威を派手に証する目を見開くようなものでしょうか。

この世の政府を統治する偉大な王国の証こそが真の奇跡です。
この世の考え方では50年も病気を患っていたとすればもう治る見込みはないでしょう。長血を患っていた女性に、イエス様が「あなたは癒された。立って歩きなさい」と言いました。このように奇跡は偉大なる王国の王であるイエスの力を証するものだというのです。

キリストがサンヘドリン(ユダヤの最高裁判)に呼び出されたとき、一言も返答しませんでした。「ユダヤの王と言うのだな。王国を持つと。」イエス様はこれに答えませんでした。そして帝国の官僚であるピラトのもとに連れて行きましたがそこでの尋問には答えられました。

つまりイエス様は宗教裁判では発言されなかったのです。なぜなら宗教問題ではなかったからです。問題は政治的問題でした。王国の問題だったのです!

聖書は明らかに語っています。来るべき王国が問題だと。地上の王国です。話はここでやめますがまた来週聖句を引用しながら詳しく見て行くつもりです。

聖書をこのように見て行くことはとても重要だと思います。こうすることでお父様が主権、王国、王権-実体の主権国家をもつことにこだわっていかれたのかがよく理解できるからです。これらはすべて聖書的だというのです。ひねった解釈でも何でもありません。これが福音であり、良き知らせです。良き知らせとは神の国が来るという知らせです。

アーメン。
 
 
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「NO」というべきである-3/13/2016亨進ニム説教より(その1)

Kingdom of God  Sanctuary Church Sunday Service  March 13th  2016 on Vimeo.png
2016年3月16日亨進ニム説教「神の国」(その1)より

キリスト教徒とはキリストに属する者をいいます。キリスト教という宗教に属するものではありません。イエスは宗教の教祖として来たのではありませんでした。

マタイによる福音書6章31~33

31 だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。
32 これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。
33 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。

これは御利益信仰ではないのです。テレビ伝道師を含む、現代の多くの牧会者はこう言っています。

「イエスを信じて教会に献金すればあなたも金銭的に恵みを受けます」。

イエス様のためにこれをして、あれをして、賛美歌を歌ったり行事に参加したりすれば、経済的に恵まれて豊かになるというのです。

これは御利益宗教に他なりません。これが広くキリスト教世界で見られる福音伝道です。大きな教会でも変わりありません。イエスを信じさえすれば祝福され経済的に豊かになるといいます。

これらは山の神、地震の神をなだめるため犠牲を捧げたりして身の安全を確保しようとする信仰となんら変わりありません。

私がチベットにいたとき、チベットの山々一つ一つに山の神がいて、その神々に人々はお供えをしたり犠牲を捧げたりしていました。ダライラマや赤衣の僧侶もエキゾチックな土着の風習としてただこれを見ていました。根強いシャーマニズムです。

イエス様は「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」といわれました。

お父様聖和後の状況と重ね合わせて考えてみれば興味深いものがあります。事実を悟る人が多くいる一方、この事実を認めることがかくも困難な人がなぜまだいるのでしょうか。

その理由はただ「怖れ」です。お金を失うことに対する恐怖なのです。

「何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようか」その手段、生活の流れが断ち切られる恐怖が先だって抜け出すことができないのです。

誠実で倫理観の強い人ならたとえ詐欺連合を離れたとしても名誉あるより良き場所に神様は導いて下さるでしょう。お金を得るために「売春婦」になどなる必要はありません。違った形で名誉を保ちながら稼ぐこともできるでしょう。

この聖句はイエス様の時代だけではなく時代を超えて適用される真実です。

家庭連合の三分の一は公然とあるいは非公然にサンクチュアリを認めています。また三分の一は成り行きを見守っています。これは冗談ではありません、あるアジアのメンバーは「まだ時間がありそうだ。亨進ニムが(この闘争に)勝ちそうならすぐにでもそちらに行こう」といったそうです。結局、権力構造を見ているのです。

誰であれ、権力を握りお金を握った者が勝利者だという考えです。高潔さ、名誉、誠実さ、お父様に対する思いなどどうでもよく、権力とお金を持つのは誰かということにのみ関心があるのです。

最後の三分一は実際に給料をもらっている人たちです。機関企業やその関連で利益を得ている人も含みます。自分が引退しても息子や娘がそこで働くかもしれません。直接間接に利益を受けているのです。

行事に参加する多くの人は家庭連合の賛同者ですらありません。そこに家庭連合の崩壊過程を見ます。そして激しく内部抗争をしながらも、さも何事もないように振る舞って見せる虚飾。しかし日々多くの人が悟っています。

現に真ん中の三分の一は離れ始めています。少なくとも財政援助(献金)は停止しました。結局、日本のメンバーに対する奴隷化をより強力に進めるしかないのです。残りの三分の一の悪の権力構造を維持するために日本人に対する経済的負担を増やすしか手がないというのです。

この純粋にお金のためだけに残っている者たち。この者たちは日本のメンバーのように献金などほとんどしません。献金要請が彼らまで上がってきて初めて驚いて「これは駄目だ。良くない。何とかしなければ」と言い出すのです。

完全に全体主義下の寄生階級だというのです。だから最後の三分の一は寄生階級として、彼らの言う「カイン圏」を搾取しながら残っている層です。

この聖句は私たちが(彼らの献金要請に対して)「NO」というべきであることを示しています。「NO」というべきなのです。私や国進兄さんが、お母様に対して率直に「良くない」ということが愉快なことだと思いますか。決してそのようなことはありません。

しかし自由のための闘いが家庭全体を巻き込まざるを得ないならばやむを得ません。お父様は一貫して真の世界平和のため人々を解放するために責任をもって闘ってこられました。

その方向に進んでいた所突然、母親が「私は共産主義者だから皆、社会主義者になりなさい」といって登場したらどうですか。もちろんそれでも母を愛しています。しかし「NO」を突き付けて逆の道を行かなければなりませんでした。

50年以上「自由の闘士」と共に戦っていたのが突然、共産主義者に転向することなどありえません。「その方向には進めません!」と言い切ることが名誉あることではありませんか。独裁者として終わることは何としても避けなければなりません。

人生には誠と名誉と倫理、そして善のため立ち上がらなければならない時があるというのです。決して楽な道ではありません。迫害も受けるでしょう。この世的善に逆らっているようにも見えるでしょう。でもそれをしなければならない時があります。

「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」

天聖教を見ましょう。

天聖教P130(英語版)

神様は絶対的な父であり、絶対的な真の父母、唯一、不変、永遠の真の父です。
・・・・侍義(じぎ)というのは、生活化天国時代を言います。それで待義を掲げてきたの です。復帰歴史は何かといえば、神様の創造理想を再現することです。(161-218,1987.2.15)

お父様は「侍義時代」を述べておられます。ところがいまや「祈りの時代」に逆戻りしたかのようです。神に対する願掛け、宗教的修養としても組込まれています。ヒンズー教、アニミズム、シャーマニズムへの逆行です。「~を寄進しますのでお怒りを鎮めて下さい」「子が嵐で死にませんように」「家に雷が落ちませんように」などと。異教の風習だと思ってきました。
いまのキリスト教徒はどうですか。

「キリストの血で清められた!どうか主よ、家に雷が落ちないようにして下さい!」(笑)
「主よ!給料が上がりますように!」

このようなことは異教がするものだと思ってきましたが現代キリスト教も同様にすることで罪を犯しています。それは宗教であって王との関係ではないというのです。

お父様は「祈りの時代」を超えて、「侍義時代」つまり神様、キリストと共に生きる時代の到来を告げられたのです。家内と一緒に暮していて私は家内に祈ることなどしません。これこれして下さいとは祈りません。

神様と共に暮らして侍り、報告するのです。考えを伝え心の内で神様と対話するのです。祈祷ではなく、それは報告です。「お父様、これが私の魂です」「お父様、これが私の霊です」「あそこに行き、こういうことをしようと思っています」このように神様に報告しながらともに暮らすのです。もはや宗教ではなく関係性、神様との絆を深めていく生活です。

私がニューヨークの柔術の先生に稽古をつけてもらいに行くとき、家内に報告します。そして一緒に行かないかと誘います。このように共に暮らすことは常に報告することです。神様と暮らす時も同じです。あれこれと願う宗教ではありません。キリストは神の息子として地上に来られ、生きた人々と関係を結んで行かれました。

お父様の聖和後、40日間、侍る期間として韓オモニが特別な食事をしていたことを覚えている人もいることでしょう。しかしそれと同時進行でお父様の聖典を破壊する委員会を設置したのです。このように外的にはメンバーに対してお父様とともに食事を摂っているように見せていました―そこには金孝南も同席していましたが。その食事は100名余りのスタッフが用意したものです。天正宮は外から見れば忙しそうに見えますが実際は何もしていません(笑)。

外に向けてはこういう姿を見せながら削除委員会では改ざん作業が進められていました。これがお父様に敬意を払う姿でしょうか。関係性の証でしょうか。単なるジェスチャーであり、外向けのショーだというのです。真に敬意を払うとは「あなたの王国はやってきます!あなたの意志はなされます!」と叫びながら遺業をあくまでも守り、願いを温め続けることではありませんか。つづく
 
 
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2016年2月21日説教「神の計画にゆだねる」【英語説教日本語訳】全文

Relying on God’s Plan Feb. 21 2016 Rev. Hyung Jin Moon Sanctuary Church Newfoundland PA on Vimeo

2016年2月21日 神の計画に委ねる

今週は嵐のような一週間でした。いろいろなことがありました。韓国中から70人もの人たちがやって来ました。日本の人たちは早めに帰らなければならなかったのですが、韓国の人たちはもう少し長く滞在しました。その間3回懇談会を行いましたが、すべて5時間を超えました。私も韓国語を話さざるを得ませんでした。

霊に導かれ訓読会が5時間続いたということです。まあ、色々なことがありました。
お父様が大きな基台を造られた麗水で家庭連合の聖職者を務めるひとりの男性がいて、ナンバー2の位置にあったそうですが、ここでの礼拝を毛布の中に隠れて見ながら毎週、泣けて仕方がなかったというのです。彼は自分の罪深さを感じたというのです。

「この売春婦たち!数十万の給料を取る売春婦!」と私が叫ぶのを見て「どうしようか、私はやめなければ」と思ったというのです。そうしてまた月曜、火曜が過ぎ水曜が来ると「今日は何を語られるだろうか」と不安で仕方なかったそうです。その週はとくに何も私は言わなかったのです。「今週は何も言われなかった」といってほっとしたということです。(笑)

そうしながら時が過ぎていくのですが、私は人に対して叫んでいるのではありません。霊界に対して語っているのです。サタンに対して叫び打っているのです。決して人の歓心を買おうとしてはいません。

こういう風に私が真実を語り始めてから四つのことが起きていることに気付いたといいます。大気の災い、水の災い、子宮の災い、そして経済の災いこの四つです。

私が稲妻をもって善悪を分別し始めてから、韓国ではまるで船が沈み始めるように危機が勃発し始めたと彼は感じました。確かにセウォル号事件の余波で韓国政府も大変でした。そしてそうこうするうちにMERSウィルスが韓国を襲い、清平も一か月の間閉鎖されました。
清平の歴史でこんなことは初めてです。これにはこの人も現場にいて大きなショックを受けたそうです。そして追い打ちをかけるように経済危機が起こります。失業率が跳ね上がりました。そして胎児を襲う病原菌です。サタンの子宮と神様の種を分ける説教をするうちにこういうことが現実化していったというのです。

こういう現実を見ながらも彼は人間的思いと格闘していました。しかしとうとうここに来る一日前に家庭連合を辞める決心をしました。この麗水という大きな影響力をもつ基台、お父様が長い時間をかけて投入してこられた基台で指導的立場にある人物が退会届をインターネットで公開したのです。
ここに向けて出発する前日です。家庭連合もパニックに陥り、本来なら本部から何らかの措置が出るべきところ、時間がなく地区レベルで処分したということです。おそらく帰国すれば大きな迫害を受けることでしょう。しかしキリストとの関係よりも重要なものはないということに気付いたということです。それが天宙の中心ではないですか。それを失うとき、他の一切を失うのです。世界をもうけても、その魂を失うなら何の意味があるでしょうか。

ここであるキリスト教グループが制作した素晴らしいビデオを見ましょう。私も思わず彼らに献金してしまいました。バイブル・プロジェクトという題のビデオは神様の神聖について、聖書のテーマについて素晴らしい一流の手際の良さで描いています。

Animated Explanation of God s Holiness   YouTube 右下のアイコンで日本語字幕を出すことができます。

このレベルの高さはどうですか。ここでは聖書の内容についての関わりなどが見事に表現されています。無償で提供されているこのバイブル・プロジェクトを一度見てください。

The Bible Project

このビデオの中で登場する、驚くべき(燃える)炭の話を覚えておられますか。死を象徴する汚れたものに手が触れるとそこから汚れが全身に広がります。しかしその燃える炭がイザヤの唇に触れると、彼は清められました。

ビデオでは道徳的清さと儀式上の清さについて話していました。儀式上の清さとはこうです。死を象徴するものに触れて汚れたものが神聖な清い存在の前に行くと破壊されるというものです。ですから沐浴をしたり犠牲を捧げたりして儀式上の清めを経なければなりません。こうすることで初めて神様の前に出ることができるのです。

またこの清めは罪に関わるだけの話ではなく、その人の状態をも表します。燃える炭はイエスの象徴だというのです。イエスが汚れた人々に触れる時、イエスが汚れに侵されるのではなく逆に、人々がイエスによって清められました。癒されたのです。

このことを三日儀式を例に挙げて説明しましょう。ある人は祝福を受けるまで堕落していないかもしれません。道徳的に清いといえるでしょう。もちろん嘘をついたこともあるかもしれませんし人の時間を使うなどの「盗み」を働いたこともあるかも知れません。それは別にして、神様の種(精子)の神聖が私たちを変えるのです。
三日儀式では、女性は堕落したエバからキリストの花嫁の立場に立っています。最初は堕落した子宮をもつ堕落エバです。男性は堕落した天使長の立場です。そこから神様の息子の立場を復帰して、さらにはキリストの体、神の種を持つ者へと変えられるのです。

三日儀式を通してキリストをまとい、聖布に触れることでその体全体が清められます。わかりますか。このビデオが描く内容と全く同じです。汚れが清められるのです。

そしてその儀式を通して神様の種がキリストを通してキリストの花嫁の子宮に宿り、その子宮を清めます。そしてその子宮から原罪なき神の子が産まれるのです。分かりますか。

まさにイエスは清めの「燃える炭」であるわけです。キリストの主要な立場は「花婿」です。再臨の時、イエスは「花婿」としてやってくるのです。そして悪を審判する裁き主として、また王の王として来るわけです。そして千年王国の王権を樹立する。

このビデオでもキリストの花嫁を教会だといっていますが、キリスト教2千年はパウロのいうように、教会がキリストの花嫁であると規定してきました。しかしこの考え方はサタン圏から激しい攻撃を受けてきました。つまりキリストの花嫁という概念を通して同性愛が常に侵入してきたということです。

キリストの体がすべての男女であり、キリストがその花婿であるとするならば男性は自分の妻よりも、その両親よりも家族よりも愛さなければならないでしょう?なぜならキリストは男性の花婿なのだから。これについては深く論じてこられませんでした。

しかしそこから逃げ続けることはできません。再臨主は花婿として来られるのですから。再臨主はそのことについても明確にされるでしょう。すべての矛盾するように見える立場を理想的な秩序に置き換えて下さることでしょう。そうして王国が確立するのです。

そして神様の清らかさと神聖は宮殿から全世界に広がっていくのです。

これと真逆の現象が家庭詐欺連合で起こっているのです。病的ともとれる2性の混同、混乱に蝕まれ、そのプロパガンダ(宣伝文句)として韓氏オモニ自身が再臨主、キリスト教2千年の結実であり独生女だと主張しているのです。さすがに幹部たちもこれを消化できずに、最新映像では「独生子、独生女」と二つ並べています。しかしこれはオモニの本音ではありません。

もう何度も言いましたが、韓オモニの本音は「お父様は堕落していた、それを自分が救った」これですよ!これがオモニの神学だというのです。お父様を再臨主と証しない最大の理由はここにあるのです。自分が独生女であることの証しかしないでしょう。

これがレズビアン神学を生み出し深刻な問題になることも話しました。私の見る限りどんどんとヒンズー教に近づいています。そこでは理想的な聖なる男性と聖なる女性が現れる。ラーマにたいするクリシュナ、シヴァにたいするラクシュミ。決して新しい考えではありません。

実際古くからある宗教の考え方です。古典的な多神教です。その最大の問題はそこに人類の救いの介在する余地がない、人類が視野に入らないという点です。なぜなら神自身の中の2性が授受して他者の必要性を感じないことになるからです。

人は取り立てて価値のない付属物に過ぎません。主体も対象もすでにそこに存在するからです。この種の宗教は決まって多神教に流れます。

私は最初にいいました。男性格主体の神様からひとたび離れるや、自己の対象として被造世界を創造したという一神教の基盤をすべて失います。もし多神教と一神教の違いが判らなければ、キリスト教弁証学を学ぶことをお勧めします。高度な弁証学の観点からその違いを見る必要があります。結論的にいうと、その道は必然的に堕落の道だということです。

その映像で見るように豪華なステージにバラを敷き詰めることで内部で進む崩壊を取り繕っているのです。完全に崩壊過程です。日本の教会だけで1000人を超える職員を養うために月30億円が必要です。とことん中央集権化された組織です。ひと月に30億円ですよ!年間360億円必要ということになります。また清平のスタッフを維持するのにもやはり一月6億5千万円かかります。

彼ら(家庭連合)の行き着く先は明らかです。もはや今のやり方を続けることは無理なのです。なぜかといえば皆が内心、良心が彼らが詐欺行為を行っていることを感づいているからです。

私の説教を嫌って、見るのも嫌だという人も家庭連合には献金したくないといいます(笑)

いま2100家庭が祝福を受けました。一家庭平均3.3人とすると(合計3000家庭にかけると)全世界で約10000人の人が真のお父様の栄光のもとに戻りました。(拍手)

サンクチュアリ協会はもはや零細でちっぽけなキリスト教派グループではないということです。

問題は聖書から離れる時、お父様から離れざるを得ないということです。なぜならお父様は聖書を完成させるお方だからです。だから聖書から離れる時、お父様から離れるというのです。お父様のみ言を理解するためには聖書解釈学が不可欠だということです。何故そうすることが大切なのでしょうか。

もしお父様のみ言だけを学びながら相対主義に満ち満ちたこの世で育つなら、お父様のみ言を相対的に理解してしまうでしょう。つまりメシアのみ言を異端のこの世的文脈の中で解釈するようになるということです。メシアを正しく表現することができず偽メシアをあらわすことになるでしょう。真のメシアを知ることができません。

家庭連合を見てください。その神の種(精子)に対する憎悪、生命の源である神の精子を持つ真のお父様が地上の神様の体現である事実に対する憎悪、神様の精子によって胎が清められそこから祝福の子女が産まれるのではありませんか。それらを憎み排除しています。一方で今風のポストモダン・フェミニズムを取り入れているのです。そうすることで結局のところ社会主義全般を抱え込むことになりました。世界政府を支持する思想です。世界政府が貧しい人々に税を課して痛めつける世界です。無欠の全体主義です。

その憲法を見ましたね。そこに描かれる未来の構想とビジョンはどのようなものでしたか。
邪(よこしま)な全体主義国家の姿そのものではないですか!奴隷制です。「最高委員会」が皆さんを統治します。これで天一国市民であることに誇りを持つことができますか?あきらかにサタン圏であるということに気づかなければなりません。

豪華なステージ、それを飾る花々、2百本のチューリップ?脳死状態のゾンビでない限りそのようなもので騙される人はいません。それが現状だというのです。

そしてミクロ(家庭連合など)で起こることはマクロ(世界)での出来事に連結されています。ミクロの基台が崩壊するとき世界的基台も同時に崩壊するのを見るのです。世界的経済システムが崩れつつあるでしょう?日経平均株価も急落しましたね。韓国の船舶に関する経済指標も急落したといいます。いまアジアの人々も重苦しい雰囲気に包まれています。 

今すべての出来事が黙示録の預言を証しています。黙示録には最後の時、世界政府に向かうことを示唆する記述があります。10人の権力者が一体の獣に自分たちの権威と力を与えるとあります(黙示録17:13)。そして「平和」をつくりだそうとします。そして偽預言者が現れる。

これらすべては世界政府、世界的支配に向かう闘争を意味しています。そしてその過程で最も迫害を受けるのがキリスト教徒なのです。国連の報告を見ても現在、世界で最も迫害を受けているのは福音派キリスト教なのです。数十万人がシリアで首を切られました。国連の(安保)理事会から一言のコメントもありません。なぜかわかりますか?彼ら(福音派キリスト教徒)は共産主義に屈しないからです。国連は実質的には共産主義的な組織でしょう。

そういうことが今、終末の時に起こっているというのです。崩壊過程が徐々にエスカレートしつつあります。悪の勢力が勢いを増すと同時に崩壊過程に入ったことも見て取ることができます。ヨーロッパへのイスラム難民流入以外にも西側社会は大きな打撃を受けています。その一つがスカリア(連邦最高裁判所)判事の死です。このニュースを知っていますか?

80%のアメリカ人が殺人ではないかと疑っています。枕が顔の上にのった状態で発見されたのですよ。司法解剖も行われず薬物検査もなされないまま、すぐさま埋葬されました。80%のアメリカ人は殺人ではないかと疑っているというのです。スカリア判事は修正第2条を含む人権憲章の最後の強力な擁護者でした。

スアカリア判事は積極的に全国のロースクール(法科大学院)を回り、「ただ権力を得たいがために裁判所や最高裁に入ろうと思ってはならない。絶対に(合衆国)憲法と自由を護らなければならない。」と説いて回ったのです。そういう活動を積極的に行っていました。その彼が顔の上に枕をのせた状態で死にました。その体はすでに処分されています。誰しも普通の死ではないのではないかと疑ってしまうでしょう。

迫害、キリスト教徒への迫害が始まりました。中東ではシリア情勢でことによるとサウジアラビアが35万の兵を送るかも知れません。ロシアはそれをすれば第三次世界大戦だといっています。このような話を聞いたことがありますか?これが私たちが暮らす世界の現況です。決して輝かしい未来とは言えません。

お父様は自分が世界の崩壊を防ぎサタンの最後の攻撃を防いでいると生涯、言い続けてこられました。しかし私たちは現在の世界の現状を目の当たりにしています。全体主義の台頭を見るでしょう。

最大宗教勢力であるローマ・カトリックは100%世界的共産主義を支持するでしょう。アメリカを非難し、国境を開放して世界共産化の道を開けというのです。バチカンには60メートル以上の城壁を張り巡らせておいてよその国には壁を作るなというのです。

移民は誰一人バチカンに入れません。しかし西側諸国には不法に入国する移民を受け入れよというのです。世界的規模での崩壊が起こります。文明間の衝突が起こるでしょう。この数年が心配です。聖書が2千年預言してきた時、それが今だということです。シート・ベルトを着けるべき時です。

このような艱難と試練の時、ある姉妹がこう聞きました「二世の私たちはどうすればいいのですか?」。私はそれにこう答えました「迫害に備えなさい」。

用意しなければなりません。「最悪のことが起こる」と人に警告する前に自分が準備しておかなければなりません。来るべきことに備えなければ犠牲になるのです。くれぐれも準備しなければなりません。不幸にも韓オモニによって選択された審判への道です。

天国が祝福と共に到来するか審判の後に来るべきかの選択をお父様はお母さまに委ねたのです。オモニは審判の道を選びました。

このような中で一つ分かっていることは審判は永遠には続かないということです。これは確かです。神様を讃えましょう。とはいえ皆さんを喜ばせるためにこういうことを言っているのではありません。皆さんも確実に打たれるからです。しかしその嵐をやり過ごせばそれも終わるということです。

すべてに神様の神聖を見ましょう。ひとつ聖句をみましょう。この一週間のような嵐のように慌ただしい時こそみ言が必要です。試練の時には明確な方向性と指示が必要です。

イエス様はご自分を足元を照らす灯であり道を示す光であるとおっしゃいました。キリストがいなければ次の歩む先が見えないというのです。神様からの指示が必要なのです。皆さんそれぞれがリマを選びそれについて祈って下さい。
 
 
 
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2016年2月21日説教「神の計画にゆだねる」【英語説教日本語訳】その2

このビデオの中で登場する、驚くべき(燃える)炭の話を覚えておられますか。死を象徴する汚れたものに手が触れるとそこから汚れが全身に広がります。しかしその燃える炭がイザヤの唇に触れると、彼は清められました。

ビデオでは道徳的清さと儀式上の清さについて話していました。儀式上の清さとはこうです。死を象徴するものに触れて汚れたものが神聖な清い存在の前に行くと破壊されるというものです。ですから沐浴をしたり犠牲を捧げたりして儀式上の清めを経なければなりません。こうすることで初めて神様の前に出ることができるのです。

またこの清めは罪に関わるだけの話ではなく、その人の状態をも表します。燃える炭はイエスの象徴だというのです。イエスが汚れた人々に触れる時、イエスが汚れに侵されるのではなく逆に、人々がイエスによって清められました。癒されたのです。

このことを三日儀式を例に挙げて説明しましょう。ある人は祝福を受けるまで堕落していないかもしれません。道徳的に清いといえるでしょう。もちろん嘘をついたこともあるかもしれませんし人の時間を使うなどの「盗み」を働いたこともあるかも知れません。それは別にして、神様の種(精子)の神聖が私たちを変えるのです。
三日儀式では、女性は堕落したエバからキリストの花嫁の立場に立っています。最初は堕落した子宮をもつ堕落エバです。男性は堕落した天使長の立場です。そこから神様の息子の立場を復帰して、さらにはキリストの体、神の種を持つ者へと変えられるのです。

三日儀式を通してキリストをまとい、聖布に触れることでその体全体が清められます。わかりますか。このビデオが描く内容と全く同じです。汚れが清められるのです。

そしてその儀式を通して神様の種がキリストを通してキリストの花嫁の子宮に宿り、その子宮を清めます。そしてその子宮から原罪なき神の子が産まれるのです。分かりますか。

まさにイエスは清めの「燃える炭」であるわけです。キリストの主要な立場は「花婿」です。再臨の時、イエスは「花婿」としてやってくるのです。そして悪を審判する裁き主として、また王の王として来るわけです。そして千年王国の王権を樹立する。

このビデオでもキリストの花嫁を教会だといっていますが、キリスト教2千年はパウロのいうように、教会がキリストの花嫁であると規定してきました。しかしこの考え方はサタン圏から激しい攻撃を受けてきました。つまりキリストの花嫁という概念を通して同性愛が常に侵入してきたということです。

キリストの体がすべての男女であり、キリストがその花婿であるとするならば男性は自分の妻よりも、その両親よりも家族よりも愛さなければならないでしょう?なぜならキリストは男性の花婿なのだから。これについては深く論じてこられませんでした。

しかしそこから逃げ続けることはできません。再臨主は花婿として来られるのですから。再臨主はそのことについても明確にされるでしょう。すべての矛盾するように見える立場を理想的な秩序に置き換えて下さることでしょう。そうして王国が確立するのです。

そして神様の清らかさと神聖は宮殿から全世界に広がっていくのです。

これと真逆の現象が家庭詐欺連合で起こっているのです。病的ともとれる2性の混同、混乱に蝕まれ、そのプロパガンダ(宣伝文句)として韓氏オモニ自身が再臨主、キリスト教2千年の結実であり独生女だと主張しているのです。さすがに幹部たちもこれを消化できずに、最新映像では「独生子、独生女」と二つ並べています。しかしこれはオモニの本音ではありません。

もう何度も言いましたが、韓オモニの本音は「お父様は堕落していた、それを自分が救った」これですよ!これがオモニの神学だというのです。お父様を再臨主と証しない最大の理由はここにあるのです。自分が独生女であることの証しかしないでしょう。

これがレズビアン神学を生み出し深刻な問題になることも話しました。私の見る限りどんどんとヒンズー教に近づいています。そこでは理想的な聖なる男性と聖なる女性が現れる。ラーマにたいするクリシュナ、シヴァにたいするラクシュミ。決して新しい考えではありません。

実際古くからある宗教の考え方です。古典的な多神教です。その最大の問題はそこに人類の救いの介在する余地がない、人類が視野に入らないという点です。なぜなら神自身の中の2性が授受して他者の必要性を感じないことになるからです。

人は取り立てて価値のない付属物に過ぎません。主体も対象もすでにそこに存在するからです。この種の宗教は決まって多神教に流れます。

私は最初にいいました。男性格主体の神様からひとたび離れるや、自己の対象として被造世界を創造したという一神教の基盤をすべて失います。もし多神教と一神教の違いが判らなければ、キリスト教弁証学を学ぶことをお勧めします。高度な弁証学の観点からその違いを見る必要があります。結論的にいうと、その道は必然的に堕落の道だということです。

その映像で見るように豪華なステージにバラを敷き詰めることで内部で進む崩壊を取り繕っているのです。完全に崩壊過程です。日本の教会だけで1000人を超える職員を養うために月30億円が必要です。とことん中央集権化された組織です。ひと月に30億円ですよ!年間360億円必要ということになります。また清平のスタッフを維持するのにもやはり一月6億5千万円かかります。

また新しい建物を建てたりなにかする。そしてそれがお金を抜く手段でもあるのです。
 
 
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亨進ニム・インタビュー(第8章) アメリカと天一国建設

Hyung Jin Nim the Untold Story on Vimeo.png
Interview with Hyung Jin Nim – The Untold Story

下の8つの章から構成されています。
Chapter 2- お父様のお側で過ごした2年間
Chapter 3- アメリカで過ごした子供時代
Chapter 4- お母様とアジアの摂理への願い
Chapter 5- 天正宮建設後のお母様
Chapter 6- 2015年まで沈黙を守った理由
Chapter 7- ペンシルバニアの荒野(ミドバ―)で学んだこと
Chapter 8- アメリカと天一国建設

 

 第8章 アメリカと天一国建設

 

神様が私たちを韓国や日本ではなくここに連れてきたのは、アメリカに自由がまだ残っているからだと思います。例えば私は若いときに銃を所有していました。兄たちがそうだったので同調圧力があり、男として受け入れられるためにはそうしなければならないといったようなことがありました。しかし、最終的に私はやめてしまったのです。

仏教を追い求めるようになり、非暴力主義者になりました。暴力的な格闘技を捨てて瞑想を学び、菜食主義者になり、まったく正反対の道へ行ったのです。最終的に私は仏教から多くのことを学びましたが、それについてはあまり大っぴらにしてしていませんでした。人の心を理解すること、心理学、といったような点に関して。しかし、仏教を離れるきっかけとなったことの一つは、世捨て人のような社会から隔絶した存在になってしまうことでした。それで、仏教国や非暴力主義者を見てみると、ほとんどが共産主義者なのです。ダライ・ラマは勇敢な人ですが、チベットの歴史でさえ、特権階級のエリート僧侶、聖職者による完全な中央集権なのです。また、チベットの歴史には僧侶階級の性的スキャンダルもあります。カトリックにも小児性愛の不品行がありますが、チベット仏教の歴史にもあります。

仏教の作り上げた社会の基本を見たときに・・・なぜなら、私は個人的にも修行して、自分の人生の目的全体を仏教に注ぎ込んでいましたので、それで自分の心の中を理解することができるようになるのですが、あくまでも個人としてです。しかしそれが社会のレベルに拡大されていくと、何が起こるでしょうか?それはあなたのための社会を作りません。人々のためではないのです。仏教が追及するのは解放です。ヒンズー教も、ヨガもそうです。しかし彼らが作った社会はどうでしょうか?自由ではないのです。全体主義になりました。また、君主主義になりました。自由を土台としたものでなく、中央集権化した君主主義です。世界の実際の歴史を見ると、実際に立憲君主制や立憲民主主義は自由を生み出す母体となっています。

カトリックはファシズムを直接サポートし、ドイツではナチをサポートしました。時の独裁者をサポートしてきました。なぜなら彼ら自身が階級組織だからです。分権化した地方の政府の出現が見られたのは、プロテスタントのキリスト教だけでした。なぜならそれがプロテスタントの本質だからです。それは分権化し、地方化した宗教なのです。階級組織がないのです。信仰も分権化しています。神に対する自分の信仰が問題です。メソジストだとかバプテストだとか何か一つに縛られず、みんな信仰でつながっているのです。組織によってではありません。

それで、分権化した立場から超越して私たちがつながることができる、こういった分権化した宗教、分権化した信念が、アメリカの憲法を作ったものだったのです。自由は神様から直接来るので、自由を得るために一つの政府を成し遂げる必要はないという考えなのです。そして、それが現代の世界での自由の本当の始まりだったのです。アメリカで始まり、皮肉にもヨーロッパへと逆に伝わり、そしてオーストラリアなど世界に広がっていきました。 では、どんな神学的、宗教が始めたかというと、イスラム教、仏教、カトリックは自由を作ることができなかったのでだめでしたが、プロテスタントのキリスト教からスタートしたというのです。

私はプロテスタントが嫌いでした。なぜなら、私は反プロテスタントのリベラルな文化で育ったからです。 今はもうわかっています。リベラルな文化というのは共産主義の文化です。中央集権の権力を信じ、中央集権の政府を信じ、中央集権の教育、中央集権の財政、中央集権の銀行、全部中央集権です。西洋で拡大しているリベラルな文化というのは、単に共産主義の文化なのです。それらはマルクスの計画と一致しています。マルクス主義者、社会主義者、フェミニスト、どんな名前をつけてもやはり社会主義者なのです。 私は今になって、なぜ彼らがプロテスタントを、カトリックよりも、イスラム教よりも、仏教よりも嫌うのか分かりました。なぜなら、プロテスタントは本質的に中央集権の権力に対して抵抗してきたからです。彼らを抑えるのが難しいのです。本質的に中央集権に抵抗しているのです。こういうわけで、リベラルな文化がプロテスタントを嫌い、悪者扱いするのを見るのです。それが自由の、分権化した自由の基礎であったというのにです。

それで、お父様が私たちをここに帰らせた理由というのは、ここでもう一度、根を見つけることができるからだと思います。最初、私は奮起させられたのです。それは、男として自己防衛ができ、銃を持つことができ、そういうタイプの格闘技を学べる自由があるのです。伝統的な格闘技や素手の戦いではなく、最も危険なタイプの格闘技を男として学べる自由があるのです。お父様が平和警察、平和市民軍と呼ばれたものの力を持つことができる自由。天一国の主人である自由な男性と女性は、万物を主管するために、捕食者、野生動物、荒野を恐れないようにするために、力と権利を持ちます。その力を与えるのは、自己防衛を学ぶことなのです。

ここを出るとセキュリティチームはいませんので、自分の家も守らなければなりません。生まれて初めてのことですが、しなければならないのです。私がセキュリティであり、警察・・・というよりもこの場所の保護者なのです。誰かが家を襲ってきたら私が戦います。女性はこういうことは対処できない、とだれかに言われて決めつけられた不安を克服するために、私は妻に力を与え、娘に力を与え、家にいる女性に力を与えることができます。それを克服するために銃を学び、棒やナイフを使った戦い方を学び、柔術を学ぶのです。こういったこ とは危険なことですが、そういった技術を学んで理解するのです。それが力を与えるのです。そして、今の世界でそういったことが本当にできるのはアメリカだけなのです。他の国は非常に中央集権化されてしまいました。だから、全体主義者たちはアメリカに集中してその残ったものを壊そうとしているのです。

ですからそれが天一国でとても重要なのです。天一国において、自己防衛の権利は神様が与えた基本的な権利なのです。 ハンティングの場合に限らず、政府が非常に腐敗して悪くなり、天一国の原理から大きくそれてとても離れてしまう場合にも、人々が政府とその独占的な武力に対して反乱を起こすことのできる力と手段、そして火力を持つのです。人々は暴力を使ってでも取り戻す力も持つのです。神様がその権利を与えます。ですから神の国、天一国ではそれが欠かせないものなのです。そういうわけでお父様は、自由な人間となる姿を受け入れてくださるために私たちをアメリカに戻したのです。王国において平和警察、平和市民軍の人間になるという責任。兄弟を守り、隣人を守り、共同体を守るために。すべての市民がその権利と義務を持ちます。自由に対する力を子供たちに与えるために。

私は、長い間、非暴力主義者だったので、憲法修正第2条(人民の武装権)の価値がわかりませんでした。自由の力関係を、自由の社会学を、そして、自由の政治体制を、共産主義と比較して理解するまではわからなかったのです。それには、深い理解と教育が必要でした。今はもう十分に教育を受けましたので、それらの違いがわかります。私がここにいることは、天から与えられたものだと思います。おそらくアメリカだからできるのです。真の自由という観点では、世界中のどこよりも高いのです。

日本語訳はCyberサンクチュアリ人協会HPより引用

 
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亨進ニム・インタビュー(第7章)ペンシルバニアの荒野(ミドバー)で学んだこと

Hyung Jin Nim the Untold Story on Vimeo.png
Interview with Hyung Jin Nim – The Untold Story

下の8つの章から構成されています。
Chapter 2- お父様のお側で過ごした2年間
Chapter 3- アメリカで過ごした子供時代
Chapter 4- お母様とアジアの摂理への願い
Chapter 5- 天正宮建設後のお母様
Chapter 6- 2015年まで沈黙を守った理由
Chapter 7- ペンシルバニアの荒野(ミドバ―)で学んだこと
Chapter 8- アメリカと天一国建設

 

 第7章 ペンシルバニアの荒野(ミドバー)で学んだこと

パンザー会長:ご家族とともにペンシルベニアに移ることを決意されました。どうしてペンシルバニア、しかも荒野のダバーに決めたのか知りたいと思うのですが・・・。

ミドバーです。ダバー(神のみ言)に由来する言葉です。
あなたはユダヤ人だから知っていてください(笑)。

パンザー会長:すみません。私は出来の悪い生徒ですね。(笑)

私たちは、残念なことにお母様がご自身の神学を続けることを決断され、それを変えるつもりがないという現実に直面しました。それで、イーストガーデンを出ていくことは、はっきりしていたのです。もうここにはいられないと。それでも彼らは、あなたはまだ給料をもらっているじゃないかと言うために、送金しようさえとしていましたが、私は韓国の銀行口座を閉めてしまいました。それで給料を送金できなくなりました。私はすべて切ってしましました。彼らが自分にひもを残さないためです。「いやいや、彼は資金を受けているよ。」と言わせないために。すべて切りました。なぜならサタンがどのように働くか知っているからです。そのひもが繋がっていると、彼らはいつも「あー、やっぱりそうだ。お母様が彼にお金を払っているんだ。」と言うのです。それは真の子女によく起こることなのです。逃れることのできないひもがつけられているのです。私はそれを切ってイーストガーデンを出ました。

私たちは荷物をまとめていたんですが、國進兄さんは、ご自分の会社のことでもうニューヨークから出ていました。彼の工場はもう別の場所に移転していました。私たちは、聖霊によりお父様が導く場所に移ったのです。最初に来たのがPA(ペンシルベニア)つまりこれはお父さん(訳注:Paは「おとうちゃん(呼びかけ)」の意の俗語でもある。)、父を意味します。そして最初についた場所がローズ・バレー(Lords Valley:「主の谷」の意味)でした。えっ本当に?と思いました。ここは國進兄さんが自分のために探していたものでした。ローズ・バレーのサンライズ・レイク・コミュニティです。これはもうまったく信じられないほどのことです。

私はイーストガーデンを出る準備ができ、場所を探す必要があって、國進兄さんが一緒に探しに行こうと言ってくれました。彼はここで探し始め、何人かの人と会いましたが、彼らは不思議にも助けてくれたのです。売りに出される前の古い物件を知っていたのです。それで神様がいろいろなできごとで導いてくださり、なんとか場所を見つけました。600エーカーの掘り出し物の物件でした。広大な荒野のような場所です。

彼の自宅も154というのが番地なのですが、お父様が聖和されたのも午前1時54分だったのです。私たちは「お父さん(PA)」の州におり、独立の州(注:なお州の愛称は)でもあります。ペンシルベニアで独立宣言が署名されたのです。私たちはニューヨークのエンパイア・ステート(訳注:ニューヨーク州の愛称、直訳すると「帝国の州」)を去り、独立の州に来たわけです(笑)。象徴的な帝国からの脱出、出エジプトのようなものです。それはもちろん家庭連合の、ナルシズムの偽りの帝国のことです。それで、すべてがサインでした。154というお父様の聖和の数字も。

ここにいる人々と会って、コミュニティの中に入ってみると、みんなハンターであったり、 人民の武装権(憲法修正第2条)を支持する人々であり、この国で最も銃の所有率の高いところであったりして、信じられないほどです。私たちは本当に受け入れられました。お父様の作ったワシントンタイムズの価値が、ここでは非常に尊重されているのです。子供が公立学校に行って、先生に「君のおじいさんを尊敬しているよ。彼はワシントンタイムズを作った。あれはすばらしい。」と言われました。ニューヨークではそのようなことはまったくありませんでした。いつも「いやだ」とか「ひどい」とかでした。別の世界なのです。

お父様がここに導かれました。ポコノ(ペンシルバニアのポコノ山地)は岩を意味します。聖書にあるように、私が立つ岩にあるのです。マタイ7章に岩の上に家を建てる賢い人の話があります。風が吹いても倒れることがないという話です。 このような荒野の中に導いてくださったということは本当に驚くべきことです。本当にここは荒野のような所なのです。しかし、純粋な美しさがあります。本物のアメリカ、本物の自由を愛する精神があります。それは、ニューヨークやニュージャージーなどの大都市を支配する共産主義的なものとはまったく違います。

状況は非常に速く拡大していきました。そして、とても素晴らしい人々と出会いました。彼らも迫害を受けていたのですが(笑)。山の男たち女たちです(笑)。そして、ただ神様が導いたのです。驚くべきことですね。

おもしろいことにペンシルベニアは政治的にも紫の州と言われています。スイング・ステート(訳注:揺れのある州:共和党と民主党の勢力が二分される激戦区のこと。「紫の州」も赤・共和と青・民主の中間を意味する。)なのです。右に傾くのか左に傾くのかといった、全米の雰囲気を代表するようなところです。社会福祉もあり大都市もありますが、非常に保守的な面もあります。銃を持つ権利、人民の武装権、自己防衛など。風変わりな紫の州なのです。アメリカ全体の論調の雰囲気を決めているような感じです。地名もローズ・バレーやプロミス・ランド・パーク、全部聖書的なのです。ニューファンドランドも(笑)。すごいですね。

ここにきてからの啓示や夢はすべて、お父様との出会いでした。神秘的な出会いです。そして賛美礼拝を始めると次から次に人々も集まり、もっとたくさんの神秘的な啓示や幻、におい、音、神秘的な感触、神秘的な感覚、そういったすべてのもの、様々な霊的五感が様々な人から解き放たれました。この荒野の地で聖霊の働きと贈り物がそれをもたらしていることがわかります。

私はそれが、お父様がいつも荒野に行かれ、イエス様が荒野に行かれた本当の理由だと思います。それは自分自身を再び発見する場所なのです。サタンと戦う場所でもあります。興味深いのはイエス様も荒野に出てサタンと戦ったということです。それで同じように私たちも荒野に出て世界中のサタンと戦うのです。インターネット部門は世界中の人々をサタンの偽りの支配と囚われの身から解放するのを助けます。

荒野は重要なものを表しています。ヘブライ語のミドバーは、ダバーというみ言を表すヘブライ語に由来していますが、何かと取っ組み合うことも意味しています。ヤコブが天使と組打ちしたのは荒野でした。そしてイスラエルとなったのです。ですから荒野というのは、取っ組み合いをして自分を試さなければならないところです。そして自分が何者かわかるのです。お父様も荒野に行かれました。アラスカやアマゾンのジャングルに行かれ、釣りや狩猟などをされたのです。

日本語訳はCyberサンクチュアリ人協会HPより引用

 
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