2019年6月9日英語説教(2-完結)

「はかりのバランスを保つ」

文亨進二代王 説教

翻訳:BANBOOS

(略) 

 目覚めた人たち、キリストにある人たちである我々は、優れた判断力に配慮しなければなりません。この男の子たちの中には最高にハンサムではない人もいます。女の子たちの中には最高にかわいいわけではない人もいます。みなさんは優れた判断力に配慮しなければなりません。 

 あの男の子はどうだろうあの女の子はどうだろう。他にも誰かいると思う・・・分かるでしょう。いつも決まってそう感じます。悪魔が感じさせるのです。もっと良いはずだろう、と。そうしたものは全て変わります。家に正しい王妃がいれば変わります。

浮気者、夢想家、100万ドルの男で、しかも忠実だという人は見つかりません。非常にまれです。0.000001パーセントですお金を稼ぐのが上手な人は、ひょっとすると退屈で面白くない人かもしれません。パーティーによく顔を出す人ではないかもしれまん。パーティーの最中も働いている、勤勉な人です。アントニオ・バンデラス的な、ロマンティックな性質を持っていません。 

 人々がどれほど錯覚しているか分かります。若者の落ち度ではありません。儲けようとする企業から絶えずうそを吹き込まれてきました。女性から利益を挙げる女性ポルノの会社。男性から利益を挙げる男性用ポルノの会社ですから現実の手掛かりを知りません。その人が危険な人か、それとも安全な人かを判断する方法を把握するための手掛かりを。 

 (略) 

 誰も完ぺきではありませんが、祝福においてみ言に支えられていれば困難を克服するチャンスが高くなります。一緒に守ってくれるものがなく、自分の魅力だけなら、魅力は消えていきます。自分の夫がどんな姿でどんな匂いかといったことには慣れるでしょう。妻より若い人はいつもいます。容姿は衰えます。魅力は衰えていきます。

それよりもっと大きな背景を持たなければなりません。もっと大きな目的を持たなければなりません。そしてもちろん、祝福にたくさんの楽しみを持つことがとても大切です。洗脳されて社会主義者・共産主義者になって、フリーセックス文化を実行する友達と楽しみを持つのではありません。結婚の関係で楽しみを持つべきです。ですからそのための時間も持たなければなりません。しかし楽しみは、やりたいことをすることによってのみできるものではありません。 

 苦労してあれは大変だったと言いながら、心の中ではちょっと楽しかったと言ったことのある人はいるでしょうか。口には出しませんが、素晴らしかったと。つまり楽しかったということです。口に出さなくても分かっています。 

 ですから王国の文化一緒に訓練する夫婦は分かれずにいます。一緒に訓練するからです。しかしやりすぎないで下さい。最初に王妃に銃の訓練をした時、30分の約束でした。2つの弾倉で終わりです。男性と射撃場に行くと2時間、3時間になり、彼女はそこに座っていて寒くなってきたと言うからです。雨が降っている、とか。 

 最初の約束では30分の射撃練習で弾倉2つだけでした。弾倉には7,8個の弾丸があります。それほど多くありません。金曜日に弾倉2つだけです。王妃は訓練を受けなければなりません。というのも、彼女が天一国の女性の性質を決めるからです。特に若い女性は彼女を王妃として見るからです。もちろん彼女が美しく、元気で、強くあることに役立ちます。彼女はこうした技術が上手でなければなりません。練習して訓練しなければなりません。 

 若者たち練習と訓練なしに物事が上手にえるようにしたいと思っていることを知っています。しかし上手になるには訓練が必要であり、訓練すれば上手になります。 

 しかし同時にそれに心が乱されることを望んではいません。「王妃、あなたは天一国の女性の模範とならなければなりません。ですから1日5時間訓練します。あなたには信仰があるのですか、ないのですか。私はそういうことはしません。それはばかげたことであり、賢い指導者ではありません。罪悪感を持たせて訓練させることはしません。きっかけを与えようとします。時には自分の好まないことをもやるようにさせることもありますが、それを通して彼女が勝利できるよう支援します。 

 最初の勝利は小さくても、だんだん大きくしていってもっと自然になります。そして今では彼女は、銃を携帯し、ナイフを身に着けています。 

 数年かかりましたが、無理やりやらせていたらおそらく20年かかったでしょう。そして彼女は、私がそういうことを行う知恵を持っていることに感謝しています。 

 バランスです。はかりが働いています。あの1行目のことを話しました。王妃に訓練のことをずっと無理に勧めすぎてはいけないのです。バランスを取らせます。 

 ある時に彼女が怠けて全く訓練しないときがあれば、バランスを与えてあげます。「あなたは訓練してきましたね。技術は研ぎ澄まされていません客観的になりなさいいうように。大切なことです。 

 若者たち、スタートは好調です。しかし配偶者がいるので今度は彼女を導かなければなりません。指導しなければなりません。多くのことで彼女の先生のようにならなければなりません。特に自己防衛ではそうでしょう。彼女より高いレベルになります。

彼女が刺激を受けて訓練を続けられるように、少なくとも新鮮さを保つようにしなければなりません。そうしてあなたの王妃はもっと破壊力を持つようになりますが、それがあなたの望むことです。そうして誰も彼女を傷つけることができなくなります。そうですか、違いますか、男の子たち。未来の王妃が犠牲者になって欲しいですか、それとも他の男が誰も触れることができないほど強くなり、力を持って欲しいですか。 

 それを楽しく新鮮に保たなければなりません。 

 (略) 

 敬虔な女性は夫を喜ばせたいと思います。夫も妻を喜ばせたいのです。どちらもお互いを喜ばせたいと思っています。しかし多くの場合悪魔が間に入り、我々の愚かな行為を利用して全てを混乱させます。だから我々はそれに気づきません。 

 しかし実際はお互い愛し合っていて、お互いを喜ばせたいと思っています。本当は良い人たちであり、配偶者を喜ばせたいと思っています。敬虔な夫婦にとって自然なことです。しかし、馬鹿げたことについて問題を起こすことがあります。 

 すると文字通り私は息子たちを連れて行かなければならなくなります。というのも彼らがビデオゲームで遊んでいたからです。以前はせっかちな感情、せっかちなドーパミン・ハイになっていました。女性の区域で生活していませんでした。 

 (略) 

 キングスレポートでも話しましたが、息子たちが成長して結婚に備えるようになる時、彼らも連れて行きました。配偶者をビクトリアシークレットでも何でもいいので、下着ショップに連れていくための自信を持つのだと。それについて緊張しないように。 

 自分も緊張すると女性も緊張します。しかし女性にとってはただの下着です。あなたほど緊張しません。自信を持たなければなりません。そこに行ってリーダーシップを取って、ねえこれがかわいいよ、と言うように――自然に振舞うのです。 

 顔を赤くしてこう顔を背けて咳払いの身振り)するのではありません。 

 しかし、馬鹿な友達や馬鹿な共産主義者とビクトリアシークレットに行くべきでしょうか。そうではありません。お父さんとお母さんと学ぶべきなのです。馬鹿な友達と行けば洗脳されてしまいます。 

 あなたは彼らに親密さにおいて自信を持ってもらい、成功して欲しいと思います。その世界で安心して欲しいと思います。その世界で繁栄して欲しいと思います。そこから孫が生まれてきます。ですからあなたにとっての利益となります。 

 それはウィン・ウィンです。バランスが良く、スキルの高いウィン・ウィンです。 

 こうしたことでも成功する方法を学ばなければなりません。聖霊はこうしたことでも働きます。劇的なやり方でだけ働くのではありません。優れた判断力に働きます。聖霊の賜物の1つが、優れた判断力です。 

 ですから神様が与えた最も重要なパートナーと一緒に、優れた判断力を持つのです。王国にとって不可欠なことです。自分の人生にとって不可欠であり、自分自身の幸福のためにも、自分の成功のためにも不可欠ですが、王国にとってはもっと不可欠です。 

 彼女はウィン・ウィンになります。あなたが祝福で成功することは、神様の王国の社会的成功のためにもプラスになります。あなたの成功と訓練のレベルが社会全体にとってのプラスになるのと同じです。その社会をある時点では守らなければならなくなります。 

 それもまた鉄の杖の文化、羊飼いの文化の重要な部分です。 

 羊飼いは愛に満ちているでしょうか。それとも憎しみに満ちているでしょうか。悪を憎み、オオカミを憎むので両方かもしれませんが――もちろん愛に満ちています。 

 聖書では、1がいなくなればその失われた1を探しに行く、とあります。100匹の中の99匹を残しても1匹のために。歌がありますね。SOS、何という歌ですか。「Reckless Love。みんな歌えますか。首を振っています(笑)

 みなさん全員が祝福で成功して欲しいと思います。みなさんも祝福で成功したいと思っています。みなさんは悪人ではありません。配偶者を傷つけたくないと思っています。 

 多くの場合にそうしてしまうのは、悪魔が我々を愚かなことに引き込み、我々の優れた判断力を取り去り、背景とのつながり、そして神様が我々に望まれることを取ってしまうからです。 

 我々が憤慨することがあるのは、夫が愛していないと感じるから、また妻が我々を軽蔑していると感じるからです。また背景を忘れてしまうことがあります。そして感情にとらわれてしまいます。それは正しいですか。ですからそこにも、我々の祝福にも聖霊を持たなければなりません。 

 

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