2019年5月12日英語説教(3-最終回)

「イエスとヤコブの教会」

翻訳:BANBOOS

パウロはカルバンやこういう人たちが作ったパウロ像ほど極端ではありません。というのもパウロは、自らの多くの記述の中で道徳的であるべきだと言っているからです。

彼らは都合のいい部分を選別してもっとグノーシス主義的に見えるように、信仰義認的に見えるようにしています。そういう駆け引きをしています。しかし、イエス様を見て、ヤコブを見て、それからパウロを見れば納得できます。パウロが極端なカルバン主義者でないことが分かります。彼は極端な信仰義認的教義を教えていないのです。

信仰をより強調しているのは、新しく来た異教徒コミュニティの対応をしているためです。信仰は強調しても、何でもやりたいようにしなさいとは言っていません。姦淫しなさいとは言っておらず、何度もそうした行為を止めるように言っています。

初代教会では、現代のプロテスタント主義やカルバン主義、ルター主義を教えていないということです。初代教会は原理を教えています。それが初代教会の教えていること――血統、王権、(蕩減)条件です。

5パーセントの責任分担――それは原理で大きな問題です。お父様は主要な預言書と摂理歴史上の中心人物を全て分析されました。何によってかといえば、5パーセントの責任分担です。

アダムの5パーセント、エバの5パーセント、ノアの5パーセント、モーセの5パーセント・・・原理は常に5パーセントのことを言っています。

彼らは信仰を持ち、神様が95パーセントを行っておられるので、みなさんは実体として100パーセントになるように行わなければなりません。実体を作り出さなければなりません。

これが全てを通して絶えず原理で注釈されていることです。責任分担は重要です。一度救われたらずっと救われるからもう責任はないので、勝手気ままにして罪を犯しなさいということではないのです。それがどれほどばかげたことが分かりますか。若者にとってそれがどれほど破壊をもたらすものか考えてみてください。人生がめちゃくちゃになります。男の子はホルモンの影響でものすごく性的に敏感です。すぐにサタン主義に陥ってしまいます。

教会の聖職者のことを考えてみてください。それが教えられたらどうなるかを。残念ながら実際そうなっていますが。――ばかげています。子供たちを破滅へと導き、完全に神様から引き離しているのです。

少なくとも神様がそういうことを嫌っておられることを伝えるべきです。非常に多くの教会ではその話を聞くこともできません。しかもデートをさせています。ばかげた話です。

ヤコブの初代教会はイエス・キリストを代表しており、マタイ5章、6章、7章の山上の垂訓からそれが分かります。イエス様が信仰と行いの両方をどれほど強調しておられるかが分かるのです。

極端なルター主義やカルバン主義ではありません。ですからもう一度言いますが、初期の原始教会では現代のプロテスタント主義やルター主義、カルバン主義を教えていません。初代教会は原理を教えています。

責任分担を教え、条件を教え、神様に喜びをもたらすことを教え、王権を教えています。現代の教会で誰が王権を教えているでしょうか。血統について誰が話しているでしょうか。誰もいません。

イエス様の死後、イエス様の血統圏がリーダーであったという歴史的な証拠があります。これは新しい本で明らかにしていることです。この本では、初期のキリスト教がイエス様と文鮮明師の教会のようであったという、この歴史的事実も明らかにしています。

私がまたこう言わなければならないのは、危険があるかもしれないからです。「王様はヤコブと行いを強調した」(と言うかもしれません)――しかし私は信仰も強調しています。聞いていますか。

信仰は悪いものだから行いだけにしよう――それではパリサイ人になってしまいます。それも止めてください。2つの脚、2つの腕、2つの目を持っています。片目だけでいいと思いますか。イエス様は片目でも天国に入った方がいいとおっしゃってはいますが。(笑)しかしそれは理想的ではありません。その方がいいということには賛成ですが理想的ではありません。理想的には両目があった方がいいです。

私がヤコブの話をしているからといって、パリサイ人になるべきだということではありません。彼らは互いを比較し合います。私はあなたよりもっとやっている、というように。我々はお互いに寛容であるべきです。

神様は我々に、「臆する霊」ではなく、「力と愛と慎みとの霊」に満たされると言っておられます。

ですからこうしたことを私が説教で話しているからといって、サンクチュアリはパリサイ派になるわけではありません。

(略)

我々はヤコブを高く評価できます。パウロの手紙も高く評価できます。パウロの手紙を捨ててしまう必要はありません。逆の結論を下すことも逆の間違いを犯すこともできません。ヤコブのことは守らなければなりませんが、パウロのことを全て捨ててしまうということではないのです。パウロを捨て去ることはできません。

パウロはとても重要です。彼はカルバンやルターのように教えてはいません。彼は強い信仰を教えながら、不道徳にならないよう教えており、カルバンのようには教えていません。混乱してはいけません。依然としてパウロの手紙に触発されるべきです。ヤコブにもイエス様の言葉にも触発されるべきです。どれも捨てる必要はありません。しかしやはり、パリサイ人になってはいけません。

(略)

ヤコブはある章の中で忍耐について多く語っています。第3章全体では言葉が破壊につながるという話をしています。我々は多くの場合にバカなことを叫んで、誰かの信仰が築き上げられようとしているのにうるさく小言を言って彼らの信仰を傷つけてしまうことがあります。忍耐せずに、お母さんたちが子供にこういうことをしてしまうことが多くあります。小言は特に男性を損なう可能性があります。忍耐を持ってください。2週間前よりは、2カ月前よりは良くなっているのですから。彼も努力しています。

しかし同時に、何も言わず、全く叱らないというのもいけません。バランスを持つということです。

信仰と行い、両方を一緒に、羽の生えた輝く鳥の翼のように。それが聖書の示していることです。両方を高く評価することができます。お互いに信仰と行いを持ち続けましょう。信仰と行いです。

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