2019年3月24日説教(2)

2019年3月24日 日曜礼拝 英語説教

翻訳:BANBOOS

(略)

へブル人第2章に行きましょう。とても重要で強力な章です。今日のリマです。ここ全体でキリストに服従するというのがテーマとなっています。

1:こういうわけだから、わたしたちは聞かされていることを、いっそう強く心に留めねばならない。そうでないと、おし流されてしまう。2:というのは、御使たちをとおして語られた御言が効力を持ち、あらゆる罪過と不従順とに対して正当な報いが加えられたとすれば、3:わたしたちは、こんなに尊い救をなおざりにしては、どうして報いをのがれることができようか。この救は、初め主によって語られたものであって、聞いた人々からわたしたちにあかしされ、

ここで止めてください。この部分が強力です。パウロが言っているのは、彼らがみ言について、救いについて聞かされているという話です。神様の王国についての福音を聞いたというのです。救いがどこから来るのかを聞きました。

我々が犯した全ての罪・・・それは別の人間と比べるのではなく神様の完全性と比較するということであり、それが十戒の意味するところです。嘘をつくたびに、小さなものでも盗むたびに――インターネットで何かを違法にダウンロードするというようなことでも、それは盗みです。男性でも女性でも情欲を持って見るなら、心の中で姦淫を犯していることになります。誰かを憎むならそれは心の中で殺人を犯すことです。

それを受け入れるなら犯した罪を償うことです。「ヒトラーよりましだ」というのでしょうか。黙りなさい。ヒトラーと比べているのではありません。神様と比べています。神様と比べると我々は最悪です。自分が神様の栄光からどれほど離れているか分かるのです。

我々は信じられないほど悲惨です。これが福音の示すことです。十戒は自分がいかに惨めかを映す鏡のような物です。

(略)

そのために我々は認識することができます。第1に、私は思っていたほど清くはないということです。2番目は、私には神様が必要だということです。神様の清さが必要です。自分の誠実さは十分ではないからです。すると信仰者は謙遜さを持つようになります。これは自分の正義ではなく、神様から来たものだと。なぜなら自分に頼るならそれは不正だからです。根本的なことです。それは謙遜な態度です。

家庭詐欺連合で起きたことを見てください。二世なら今はあなたの時代ですよ、と言っていました。黙りなさいというのです。すると傲慢なクズのような人間になります。最終的には左翼になるだけです。堕落世界に取り込まれてしまうのです。

本当にキリストとの関係を持っている人たちは、自分たちが偉くないと分かっています。神様の前ではみじめだと分かっているのです。だから強くなります。謙遜さがあるからです。謙遜と柔和を持っているので神様は力を与えてくださいます。すると我々を通じて神様の力が出てきます。すると神様の栄光を称えることができます。

ですから謙遜は我々を弱くするのではなく、途方もなく強くするのです。死も恐れなくなります。それは我々が救いという贈り物、信じられないほどの愛の贈り物を得たからです。

我々は裁判所で裁判官から罰を受けるはずでした。「君はこういうことをしました」「しまった!私がやりました」「残念ですがあなたは罰を受けてください」ということです。

しかしそこで何が起こったかというと、キリストが罰金を払ってくれます。実際キリストは我々が本来死ぬべき場所で打たれて殺されたのです。十字架の道を行かれ、苦難の道を行かれ、我々のために代償を払ってくれたので、我々は裁判所から解放されるのです。

あなたが裁判所から出られるのは、この人がやってきて「自分がその人の身代わりになる」と言ってくれたからなのです。その人は図らずも神様の本体、地上に現れた神様だったのです。それが神様の愛を表します。子供を救うために喜んで身に受けようとすることです。

そのように恩寵を理解することはとても重要です。これは、ヨハネ21章のところに真のお母様が書いておられたことです。その聖句を読み、真の母として天宙祝福式を受けられた直後のことです。それは全ての被造物にとって最高の栄誉でした。完成されたエバ、それ以上のものはありません。お母様はそのことをヨハネ21章のところに書いておられました。

あのドキュメンタリー動画は素晴らしかったではないですか。マリーアンが作りました。彼女はどうやってまとめていいか分からないと言っていたのです。聖霊が文字通り彼女を導いてあのようにまとめることができました。私と王妃に2日前に見せてくれ、2つほど変更しましたがごく小さなことでした。マリーアン、素晴らしい出来栄えでした。

重要な点は、我々がこうしたことを理解しているということです。我々がもし償わなければならないとしたら、つまり自分が受けべき報いを受けるなら、ということですが、全員がひどく大変な目に遭います。しかし我々はみな、とても強力な贈り物を受け取っています。それは神様からの分断から我々を救い、神様に近づくチャンスを与えたのです。それが我々の話している救いです。

罰を受けたら地獄に行かなければなりません。天国に行けません。別れと苦しみ。そして他の犯罪者と一緒になります。しかし我々は恩寵を受けますが、それには5パーセントの責任分担として神様を求めることを確約し、イエス様に告白しなければなりません。また罪を悔い改めなければなりません。そうしたことをしなければならないのです。

以前我々は自然に二世が・・・覚えているでしょうか。余りにもプレッシャーが大きかったのです。彼らは完璧になるのだと少し思っていました。文字通り1つも罪を犯さず、罪を考えることもないのだろうと。そういう文化は狂っているのです。なぜならば聖書ではそう示されていないからです。完璧なエデンの園であってもサタンは誘惑することができました。ですから彼らを取り巻く文化をめちゃくちゃにしてしまっていたのです。エデンの園よりも悪く。二世は原罪がないので他の罪もないのだと考えていましたが、他の罪はたくさんあります。自分を崇拝するカルトのようなものです。

聖書に基づく人が見れば、それが自己崇拝であり悪魔的な文化だということは簡単に分かることでした。その結果を見てください。完全に堕落し、完全に神様から離れてしまいました。彼らは今地獄へと向かう自己崇拝者です。他の自己崇拝のグループと全く同じように。

しかし実際途方もないプレッシャーがそういう子供たちにはあります。考えてみてください。若い時からです。

すると彼らは失敗者に仕立て上げられます。なぜなら世の中が自分たちに仕えるべきだと考えるようになったからです。全く謙遜さがありません。悔い改めることができません。ごめんなさいと言わなければならないと考えることさえできません。「自分は完璧だ。生まれながらに完璧な二世だ」と。みじめです。サタン主義です。ルシファー主義そのものです。

キリストにある者は容易に自分の罪を悔い改めることができるべきです。罪を犯したのだと本当に認識するということです。しかし、「今日は落ち込んだ。こういうことやああいうことをしてしまった」というのは、まだ自分を崇拝しているということです。

多くの日本の兄弟姉妹がこのようなことにのめり込んでいます。我々は見ました。日本の兄弟姉妹、これは本当ですか。その日に自分が犯した罪を認識すればするほど、清いのだというような話です。

「分かりました。あなたには罪があるんですね。でもそれを克服しなければなりません」。そういうことを毎日やっているとどうなるでしょうか。1日中自分のことに集中するようになります。「今日の私を見てください。――見てください」。自分を見るのをやめなさい!ばかもの!キリストに目を向けたらどうですか。栄光の主に目を向けるのです!なぜなら彼があなたを罪から救ったからです。自分を見つめないでください。罪から解放されなさい。悪魔は人々を騙すことがあるのです。

ともかくここで重要な点は「正当な報いが加えられたとすれば」我々はとんでもないことになるということです。

それから、「わたしたちは、こんなに尊い救をなおざりにしては、どうして報いをのがれることができようか。この救は、初め主によって語られたものであって、聞いた人々からわたしたちにあかしされ、」ということは、これは主によって語られたものだという話です。また主と共にいた人たちによって。なぜかと言えば、この時までには「二世」に対応していたからです。イエス様にあったことのない人たちに対応していました。

明らかにパウロとは関係があり、パウロのことは聞いたことがありました。人々と歩んでいますが、パウロもイエス様には会ったことがなく、イエスの目撃者には会ったことがありました。重要な点は、彼らが実体のイエス様のいない環境にいたということです。興味深いと思いませんか。我々は実体の真の父母のいない環境にあります。実体の真のお父様はいらっしゃらず、実体の真のお母様もおられません。我々は実体の真の父母が永遠に生きるように要求したことはありませんでした。それは我々の神学にはないことです。

韓国には教主が永遠に生きると言っている教会があります。数十年したら残念な結果に驚くことでしょう。自然の生と死のサイクルがあります。我々は決してそういうことは言っていません。

それで彼らが状況に対処しようと今やっていることは、キリストにつながらなければならないのに、自分たちの前に毎日現れることはないということなのです。実体として会うことができません。彼らがキリストに会い、経験するには、み言を調べなければならないのです。

ですからこれはとても重要な聖句です。そういうことから真のお母様に関して、私は2週間以上長々と、(ここにいる)みなさんというよりも世界中の人に、真のお母様を偶像化してはならないということを説教してきたのです。

なぜなら、そうすれば命の冒涜となるからです。お母様が一生を捧げていたことと正反対になるのです。その生涯はキリストが全てだったのです。我々は自分のイメージの女性を女神のように崇拝させることはしません。それはいうまでもなく破滅につながります。お母様がされることは、天国でお父様の栄光を称えることだからです。光を反射して、お父様の栄光を称えているのです。ですから我々は偽物のイメージ、偶像を作りません。それが文化的背景からいい気分にさせるとしても、それはサタン的な背景なのです。

我々はお母様と、生きたお母様と共にいたいのです。生涯をかけてキリストを称賛し、最期まで忠実でした。今天国でキリストを礼拝し、栄光を捧げているのです。キリストの意思を実行しています。そのような方でした。

ここにいるみなさんが理解しているというのは分かっています。アメリカ人は強いキリスト教福音派の背景を持っています。ヨーロッパや日本の人、多神教、カトリックの背景の人、そうした文化や背景の人たちは、偽りの偶像崇拝に非常に影響を受けやすいのです。ですからそれに対して警戒することがとても重要です。

1番目に真のお母様に対する全くの侮辱となります。そのような栄光を決して求めなかったので、嘆かれるでしょう。お母様は常に強い謙遜を持っていました。そのために聖霊の力に満たされていたのです。神様に対して謙遜だったので力強い女性だったのです。神様に対する謙遜のために、死を恐れませんでした。神様に対する謙遜によってもはや死を恐れなくなるのです。なぜならキリストが死を克服されたので、あなたもキリストを通して克服するからです。

ですから真のお母様は、お金などあらゆる誘惑をブロックすることができました。90歳を超えて飛行機に乗って来られました。医者は死ぬかもしれないと言っていたのに。16時間のフライトで脳卒中を起こすかもしれないのです。しかしお母様はやりました。そのような英雄なのです。

しかし、覚えておかなければならないのは、英雄ではあっても被造物だということです。創造主ではありません。そのためにもっと創造主からの愛を受けます。創造の産物だからです。

神様は自己愛に没頭しません。それはサタンのことです。神様は自分の創造物を誇りに思います。特に自由意思で神様を愛することを選択した場合は。すると神様は逆に愛を受けることができます。画家でも彫刻家でも、そうした芸術家と同じように。それが最高の喜びなのです。

(3へ続く)

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