鉄のつえの王国を抑えつけることは難しい-12月2日英語説教(その3)

Sunday Service December 2 2018 Rev Hyung Jin Moon Unification Sanctuary Newfoundland PA on Vimeo

2018年12月2日 日曜礼拝

翻訳:BAMBOOS

今神様はトランプ大統領の下で、我々に素晴らしい守りの隠れ蓑を与えてくれました。トランプ大統領がいるということは、何という恩恵でしょうか。もしオバマやヒラリーが勝っていたら、我々は文字通り国民の第1の敵となっていたでしょう。銃と神様、そしてAR-15の教会がViceでニュースになって、直ちに殺害するよう要求していたでしょう。

それで神様がもたらしたのは、「あなたがたはわたしを捜すであろうが、見つけることはできない」ということです。つまり彼らは我々を探し求めましたが、お父様の権威の中に留まることで隠されて見つけることができません。

私たちの声はそこまで届き、他の人たちもみなその声に共鳴し始めることができるからです。そして「それには賛成だ」と言い始めます。もっと多くの人たちが「賛成だ」と言うようになり、我々を排除するのがさらに難しくなるのです。

今、鉄のつえの王国を抑えつけることがもっと難しくなっています。ところでそれはこの世界に実現しようとしています。東ヨーロッパと西ヨーロッパで鬱積した不安。神様の言葉、種が蒔かれる準備ができた豊かな土壌は、国を取り戻し、道徳、倫理、神様の王国に対する聖書的な見地を理解しようというつもりのある人々のためのものです。聖書に基づく装備品である王冠の重要性。聖書に基づく装備品である鉄のつえの重要性。なぜそれが独裁者の物でなく、王国を守るものであるのかを。

全く異なる倫理であり、全く異なる規範であり、全く異なる倫理規定です。権力のために何でもやるということではありません。それは鉄のつえの倫理規定ではありません。鉄のつえはそれに反対しています。鉄のつえはそのようなことをする人を踏みつぶし、粉砕します。鉄のつえは全く異なる倫理、道徳を持っています。なぜならその倫理は羊飼いを中心としているからです。

鉄のつえの倫理は、視覚的には羊飼いとして定義されます。キリストのような羊飼いです。王でありキリストのような者。完璧で欠点がないわけではありませんが、キリストに似ようと努力しています。そのような王の国民は、主権を守り、不道徳にはなりません。理由なく戦争を始めることはありません。完全に武装することができたとしても、必要があれば、王国のチームのために高い道徳的立場を保つために死に向かって行きます。

(略)

35節に行きましょう。
35:そこでユダヤ人たちは互に言った、「わたしたちが見つけることができないというのは、どこへ行こうとしているのだろう。ギリシヤ人の中に離散している人たちのところにでも行って、ギリシヤ人を教えようというのだろうか。36:また、『わたしを捜すが、見つけることはできない。そしてわたしのいる所には来ることができないだろう』と言ったその言葉は、どういう意味だろう」。37:祭の終りの大事な日に、・・・

終わりの日には2つの意味があります。

37:祭の終りの大事な日に、イエスは立って、叫んで言われた、「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。38:わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。

黙示録22章に行きましょう。以前見たと思いますが思い起こしてほしいからです。1節です。

1:御使はまた、水晶のように輝いているいのちの水の川をわたしに見せてくれた。この川は、神と小羊との御座から出て、

命の水がどこから流れ出ているかといえば、神様の王座からだということです。

ヨハネ7章にもどります。
「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」

ハレルヤ!神様の王座。聖霊は私たちの中に内在します。そしてその王座から純粋な命の水が発生します。それは強力なアノインティングです。何かが私たちの内側から湧き出てきますが、それは自分ではありません。しかしそれがあふれ出て、神の国を祝福し、命を与えます。

今日聞いているこれらのみ言は、独裁者にとっては死と破滅の言葉であり、彼らはこのような教えを嫌っています。しかし、柔和で抑圧されている人と常に奴隷となっていた人にとっては、喜ばしい知らせの言葉です。

「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」

生きた水の川。力強い川です。小川ではありません。小川とは言いませんでした。せせらぎの聞こえる小川とは言いませんでした。川だと言いました。川には文明を維持するための力があります。小川にはありません。大きな文明は川岸に集まります。曲がりくねった小川のところではありません。呼吸するのにお互い近すぎるからです。

チグリス川やナイル川の文明。聖書に出て来るあらゆる場所も水辺、川岸にあります。川は小川よりもはるかに強力であり・・・海にぶつかる前に最後に集まるところです。創世記には、神の霊が地上の水の上を動いていたとあります。全ての水の象徴。川が聖霊の存在する海へと押し寄せるように、聖霊の中のお父様の霊にも押し寄せなければなりません。

そのような流れる水の川は我々を追い越し、流れ出して追い越します。我々はそのような救いの井戸からくみ上げることができなければなりません。それから降り注ぐ水を海に向かって動かします。お父様はいつも海におられました。海に1度触れるだけで地球全体に触れるのです。

我々はメイン州で海に触れましたが、イギリス、ロンドン、アフリカと同じ海に触れたのです。知っていましたか。同じ海がアジア全体につながって、メイン州に戻ってきます。1度触ると全世界に触ります。お父様は海を愛しておられました。大陸ではそうはなりません。

(略)

箴言31章に行きましょう。箴言の最後の章です。10節に行きます。

10:だれが賢い妻を見つけることができるか、彼女は宝石よりもすぐれて尊い。11:その夫の心は彼女を信頼して、収益に欠けることはない。

いいですか。彼女の夫の心は彼女の中で休まることができます。彼には悪が必要ありません。Spoil(訳注:(箴言31:11)収益に欠けることはない=he shall have no need of spoil のspoil)とは略奪のことです。お金を欲しがる悪い女がいるために、他人から巻き上げるために暴力を振るうことです。

「その夫の心は彼女を信頼して、収益に欠けることはない」です。女性たちは自分が夫に対してどれ程の力を持っているか分かっていません。肉体的には夫のほうが力は強いですが、夫に対してとても大きな力を持っています。

信仰的な女性は、夫を通じて悪を成立させるために自分の女性としての力を使おうとしません。そういう者たちは邪悪で、男を誘惑する女であり、女悪魔です。あなたの力を利用します。多くの場合は性的な力で男を破滅させます。

あなたが略奪を望めば、彼はあなたのために取ってくるかもしれません。しかしその間彼を殺すことになります。しかし良心を持っていれば、夫に自分がこの世的な人間ではなく、自分のためにこの世の中や資源を略奪したいと願うだけの、他の女性達とは違うのだと気づかせます。しかしあなたは永遠の物を求めています。また神様の喜びを願います。

今あなたは彼の内側に現れます。略奪ではなく神様に喜びをもたらすという願いです。彼はあなたに心を休めることができます。あなたは途方もない影響力を持ちます。王を倒すことができます。そして王国を滅ぼすことも。ですから女性は警察の心構えを持たなければなりません。軍隊の心構えを。国を守り隣人を守らなければなりません。

(略)

(二代王の解説部分は省略させていただきましたが、以下は説教で取り上げた箴言の続きです。)

12:彼女は生きながらえている間、その夫のために良いことをして、悪いことをしない。13:彼女は羊の毛や亜麻を求めて、手ずから望みのように、それを仕上げる。14:また商人の舟のように、遠い国から食糧を運んでくる。15:彼女はまだ夜のあけぬうちに起きて、その家の者の食べ物を備え、その女たちに日用の分を与える。16:彼女は畑をよく考えてそれを買い、その手の働きの実をもって、ぶどう畑をつくり、17:力をもって腰に帯し、その腕を強くする。18:彼女はその商品のもうけのあるのを知っている、そのともしびは終夜消えることがない。19:彼女は手を糸取り棒にのべ、その手に、つむを持ち、20:手を貧しい者に開き、乏しい人に手をさしのべる。21:彼女はその家の者のために雪を恐れない、その家の者はみな紅の着物を着ているからである。22:彼女は自分のために美しいしとねを作り、亜麻布と紫布とをもってその着物とする。23:その夫はその地の長老たちと共に、町の門に座するので、人に知られている。24:彼女は亜麻布の着物をつくって、それを売り、帯をつくって商人に渡す。25:力と気品とは彼女の着物である、そして後の日を笑っている。26:彼女は口を開いて知恵を語る、その舌にはいつくしみの教がある。27:彼女は家の事をよくかえりみ、怠りのかてを食べることをしない。28:その子らは立ち上がって彼女を祝し、その夫もまた彼女をほめたたえて言う、29:「りっぱに事をなし遂げる女は多いけれども、あなたはそのすべてにまさっている」と。30:あでやかさは偽りであり、美しさはつかのまである、しかし主を恐れる女はほめたたえられる。31:その手の働きの実を彼女に与え、その行いのために彼女を町の門でほめたたえよ。

つづく

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