街を揺るがす神様の霊-11月25日英語説教(その2)

Sunday Service November 25 2018 Rev Hyung Jin Moon Unification Sanctuary Newfoundland PA on Vimeo

2018年11月25日 日曜礼拝

翻訳:Harry

今日の聖句を読みましょう。使徒行伝16章です。

ところで証があるでしょう。ロザンヌ、素晴らしい霊的な体験をしましたね。ロザンヌから先に証をしてもらいましょう。キャメロン王妃(ロザンヌさん)です。今日の聖句に入る前に手短に証をしてください。

ロザンヌ:みなさん、こんにちは。(二代王様が)牧会を始められて、心に抱えているものを解放しなければならないと言われましたが、日曜が来るたびに恵みを受け、毎週少しずつ心に積もっているものがはがされていく体験をしました。

ある日曜に、亨進ニムが私の名前を呼ばれました。

その日、神様の助けが必要な3つの問題を心に抱えていました。亨進ニムはそれを知るはずがありません。その内の1つは、ときどき打ちひしがれて、恐怖を感じ、つい考えすぎて、もしああなればどうしよう、こうなればどうしよう、あの人にどういって説明しようかなどと、ちょうどそういうことを思っていた時に名前が呼ばれ、前に出るように言われました。

そしてお祈りを受けている時、こう言われたのです。「恐れる気持ち打ちひしがれる気持ちを吐き出しなさい。」まさに、ぴったりの言葉でした。

それがあった週から、毎週、自分はできると思えるようになりました。打ちひしがれる思いが起こるたびに、「神様は私に対して御計画がある。神様は私たちについての計画を持っておられる。われわれすべてに対する御計画を神様は持っておられる」こう思うことができて救われるのです。

二代王:皆さん、神様をほめたたえましょう!神様は多くの方法で一人一人に介入されます。だから恥ずかしがらずに、遠慮せずに礼拝後に私の所に来てください。心を解放しなければなりません。

では本日、使徒行伝の16章を読みましょう。先ほどの証に感謝します。
第25節です。パウロとシラスのやり取りをざっと見ましょう。彼らは別の場所にいて別の使徒たちといたようです。旅をしながら説教をしていました。教えていたのです。25節で何かが起こります。少しだけ戻って22節を読みます。

22 群衆もいっせいに立って、ふたりを責めたてたので、長官たちはふたりの上着をはぎ取り、むちで打つことを命じた。23 それで、ふたりに何度もむちを加えさせたのち、獄に入れ、獄吏にしっかり番をするようにと命じた。
24 獄吏はこの厳命を受けたので、ふたりを奥の獄屋に入れ、その足に足かせをしっかりとかけておいた。

2人の足に鉄球とクサリをつけたのです。こうして縛り上げ、石の洞窟のようなローマの監獄です。街の人々がこぞって反対して集まってくる様子を見てください。

パウロとシラスの二人はこの町を揺るがしたのです。神の御力です。聖霊の力です。その街の人々を揺さぶったというのです。生活は変えられ、彼らは奇跡をみたのでした。聖霊を通して直接イエスに際限なく出会ったのです。人々の人生が変えられました。

どうなったかというと、信仰なき者は「あなた方キリスト教徒は自分たちだけでキリストを信じていればいい」それに対して「信仰を自分たちだけのものにしないというのが私たちキリスト教徒の信仰です。神様がわれわれに見せてくださった偉大な大いなる御業を、私たちは証言しなければなりません」「静かにして黙っていることはわれわれの信仰ではありません」

分かりますか。力強い雄叫びを上げることでエリコの城壁は崩れ落ちました。そこにアノインティングがあるからです。神様の注がれる油で満たされているのです。その霊から多くの賜物を受けているのです。天からの賜物です。それが溢れるので分かち合うのです。それが溢れるものの自然な結末なのです。私たちに注がれた神様の愛は石の心を取り除くのです。聖句のいうように、その代わりに肉の心が与えられる。肉の心は神様の「心情(Sim Jeong)」に敏感です。

先週、シムジョンについて話しましたね。シムジョンをheartistic(ハーティスティック)と訳すのはまずい訳です。シムジョン、これは神様の霊、御心と一つになれば即、分かるのです。

神様が望むように望み、神様が憎むものを憎む。神様のみ旨が成ることを望む。

このシムジョン(心情)世界は、その圏内では、神様の霊と一つになるのです。それを言っているのです。心情圏の話です。これをハーティスティックと訳すのは、いったいどういう事でしょう。ハーティスティックとはどういう意味ですか。神様の霊と一つになること、こっちの方が良く分かるというのです。私たちの最深部にある本質の完全性、これと一つになる、その体験。神様と一つになることです。

歩くときも神様が望むことを望み、神様が欲することを欲する。私たちの願いではなく神様の御心が成就することを願う。われわれの願う国ではなく、神様の御国が来ることを願うのです。神様が喜ぶときに私も喜ぶ。神様が悲しむとき私も悲しむ。神様と霊において一つになることです。そう考えると理解しやすいでしょう?ハーティスティックでは複雑すぎます。

つづく

にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中