イエス様と聖霊を別のものとしてはいけません-9月30日日曜礼拝 英語説教(その4:最終回)

Sunday Service   September 30  2018   Rev  Hyung Jin Moon   Unification Sanctuary  Newfoundland PA on Vieo.png

9月30日日曜礼拝 英語説教 2018年 

翻訳:Harry

ヨハネの福音書第16章7節にはこうあります。

7 しかし、わたしはほんとうのことをあなたがたに言うが、わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのだ。わたしが去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はこないであろう。もし行けば、それをあなたがたにつかわそう。

イエス様が地上に居られるとき、多くの奇跡を起こしました。そして多くの場合、人びとはその奇跡に対する反応は各人各様でした。大勢の人がイエス様の奇跡を見たにもかかわらず、キリストを受け入れませんでした。そのだれ一人も「どうすれば私は救われますか」と問いませんでした。彼らは「治してください」「癒してください」、こればかり言っていた。人びとはイエス様を、なにか力ある奇跡を起こす人、ヒーラー(治療者)、医者か何かのように思っていたのです。救い主とは見なかった。「どうしたら私は救われるのか」これを問わなかった。

だから、17節にあるように、イエス様はまだ、聖霊を送っていません、まだ地上には送られていなかった。まだ「癒すもの」を使わしていないといっているのです。人々にまだ降ろされていませんでした。彼に従っていた人々(弟子たち)すらも十字架にかかるイエス様を見捨てたのです。

キリストが昇天された後、人々は聖霊を受けました。聖霊が人々を変え始めた、心を転換させるようになった、これがその始まりです。

興味深いところです。キリストが肉体を持っている時には人びとは心を変えなかった。同じ体験をした人はいますか。

キリストが昇天した後、神の御霊が解き放たれ、人々が変えられ、火を送られた。使徒行伝第2章にあるように、各自の頭の上に送られたのです。神様の力、神の御霊の力に覆われた。唸り声をあげる突風のようにその地を駆け巡った。人々の生活を変え、運命を変え、その路程を変えたというのです。悪魔が巧妙に仕掛けた誘惑と罠から逃れることができるようになりました。実に興味深い。

8 それがきたら、罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう。

人々が聖霊を受けるとき、悔い改めを始める。聖霊が彼らの罪をさばくからです。罪をあらわにする。多くの人はその傷を見るとき、包帯で隠そうとするでしょう。しかし、それを清くするためには、外気に晒(さら)さなければならないのです。それから縫い合わせるのです。そこから菌が入り感染して壊疽してから、傷を縫ったとしても、菌は全身に広がってしまうでしょう。まず傷を外部にさらさなければなりません。傷を晒して、悪いものを取り除かなければならない。・・・これは痛い処置かもしれません。しかしこれを縫い合わせる前にしておかなければなりません。悪い中身を取り除いておくのです。

神の御霊が私たちに触れるとき、それによって神様は愛を示し、隠しているものを外に出すのです。そして水で流して清いものとする。天の玉座から流れ来る新鮮で清潔な水をもって。

ハレルヤ。

9 罪についてと言ったのは、彼らがわたしを信じないからである。
10 義についてと言ったのは、わたしが父のみもとに行き、あなたがたは、もはやわたしを見なくなるからである。 11 さばきについてと言ったのは、この世の君がさばかれるからである。

ロマ書2章で、パウロはこの世の裁きを言っていないという人には、まさにパウロもそう言ったといいましょう。神様がこの世を裁くと言っているからです。サタンの世を裁くと。われわれは互いに寛容でなければなりません。しかし不正に対しては完全と立ち上がらなければならないのです。聖書は「正しい裁きを行う」といっているのです。この世の悪を正しく裁きなさいと。

12 わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。13 けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。14 御霊はわたしに栄光を得させるであろう。わたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるからである。 15 父がお持ちになっているものはみな、わたしのものである。御霊はわたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるのだと、わたしが言ったのは、そのためである。(ヨハネの福音書16)

皆さんの中でどれだけの人が、「母さん、子供たちにこのメッセージを伝えてください」といったお父さんがいますか。無責任にそうしなさいと言っているのではありません。難しいメッセージを伝える必要がある時にはそうしなさいと言っているのです。責任から逃げ回る無責任な父親のことを語っているのではありません。強い父親も時には、お母さんを通して子供にメッセージを伝えなさいと言っているのです。私の言っている意味が分かりますか。

いつもそうしなさいと言うのではありません。それでは(父親としての)自分の責任をはたすという責任を逃れることになります。 男性たち、アーメンですか。

子供の教育において、特にそれが女の子である場合は、お母さんを通す方がいいときがあります。それで心情を整えることができます。時がるのです。

神様は御自身の代理として聖霊を使わされ、聖霊を通してご自分の話したいことを伝えられます。ちょうど、父親が子供に何かを伝えたいときに、子供との間に壁がある場合、母親を通して伝えることと同じです。しかしメッセージは父親のメッセージです。

14 御霊はわたしに栄光を得させるであろう。わたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるからである。 15 父がお持ちになっているものはみな、わたしのものである。御霊はわたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるのだと、わたしが言ったのは、そのためである。

15章に戻って、26節から。

26 わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊が下る時、それはわたしについてあかしをするであろう。
27 あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのであるから、あかしをするのである。

イエス様と聖霊を別のものとしてはいけません。それは悪い子供です、悪い子供。
イエス様と聖霊と分けてはいけないというのです。母親と父親を分け隔てる子供と同じです。必ずしも聖霊が女性神だと言いません。しかし聖霊は対象的相対であるのは間違いありません。両親を分離しようとする子供と同じです。
お母さんの方には癒しがあるというのです。しかしお母さんが子供から逆主管されるという罠に陥る場合、父親に対して敵対的になる場合には、まんまと罠にはまっているのです。なぜなら、母親は、父親の受けたアノインティングを守らなければならないからです。

聖霊がキリストに逆らう思いますか。それとも聖霊はキリストのアノインティングを守るでしょうか。夫のアノインティングを守る女性は幸いです。

人の笑いを引き出そうとして嫌みをいってはいけません。
「もう、うちの夫は6番目の子供みたい・・・」などと。これはあなたの夫を侮辱する言葉です。自分が上位に立っていることを誇示して、人を侮辱し、平然としている。

邪悪な者です!

傲慢な者です!

夫のアノインティングを守る者ではありません。子供は、そんな母親のアノインティングを守ることはない!

女性たち。アーメンですか。

まずあなたの夫のアノインティングを守りなさい。そうすれば、あなたの子供はあなたのアノインティングを守るでしょう。

自分の夫のアノインティングを守ることなく、独裁者のように振る舞うとするなら、あなたの子供もあなたに向かって独裁者のようになるでしょう!あなたがそれを教えたのだから。
賢明な女性は夫のアノインティングを守ります。それによって自分自身のアノインティングを守ることになります、子供たちがあなたのアノインティングを守るでしょう。

賢明な女性は、夫を持ちあげてそれを子供たちに示します。まるで無責任で未熟な2歳の子供のように、ぶつぶつ不平不満を自分の子供たちにぶつけることなどしません!

50才、60才になっても2歳児のように、無責任で未熟な赤ん坊のように行動する女性がいます!   アーメンですか。

神の女性は夫のアノインティングを守りなさい。そうすれば神様があなたのアノインティングを守ってくださるでしょう!そしてその収穫を2倍、3倍に増やしてくださるでしょう。夫のアノインティングをまもれば家族が守ってくれるのです。

神様のみ言は人を変える力があるのです。聖書には「信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。(ロマ書10:17)」というみ言があります。

だからこそ、み言を聞いて、またそれを話すことが必要なのです。本物の血と肉なのです。神のみ言を聞き、それをアノインティングとともに説教するとき、父なる神様のみ言が真っ直ぐに入ってくるのが分かります。それがあなたを愛する神、あなたに、男なら素晴らしい名誉ある戦士、王になることを願っておられる、そして女性なら、強く美しく、栄えある王妃になることを願っておられる神様であることを感じることができるのです。そしてこのことが次代の強く栄えある人々、王国を守る人々を生み出すのです。

神様のみ言は私たちを強めます。自分を超えた力を与えるのです。

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イエス様と聖霊を別のものとしてはいけません-9月30日日曜礼拝 英語説教(その4:最終回)」への1件のフィードバック

  1. Jhon の発言:

    Harry様、翻訳、お疲れ様です。
    実は先日SCPAのGregg Noll氏と英語スクリプトの件でメールでやり取りをしました。私は「現状では世界各国の英語の分からない人たちは母国語字幕でスピーチを見るのに3週間以上かかる。世界の英語に長けた人がTFTを作って手分けして作業すれば英語スクリプトは1日でできるし、英語スクリプトがあれば各言語への翻訳は格段に速くできる」という意見を送らさせていただきました。
    しかし、氏はよく理解できないようで「SCPAのウェブにあるTranscript(7月迄のもの)を活用してほしい」「HQで各国の言語に翻訳するのは無理だ」等と言われ、かみ合わないやり取りになってしまいました。
    私が直接貢献できないことでしつこく意見するのもはばかられたので、2,3通メールを送って止めました。
    やはりスピーチを聞いてそのまま理解する英語ネイティブには「英語スクリプトがあれば各言語への翻訳が格段に速くなる。聞き取るのは難しくても英語が読解できる人には翻訳自体が必要なくなる」ということが分かりづらいのだろうと感じました。
    無駄なことをしたかもしれません。何かご感想、ご意見があれば教えてください。

    いいね

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