私のために祈ってください。それは私にとって意味のあることです。9月9日2018英語説教(その4)

Sunday Service September 9 2018 Rev Hyung Jin Moon Unification Sanctuary Newfoundland PA on Vimeo

9月9日2018英語説教

翻訳:BAMBOOS

10:あなたがた信者に対して、わたしたちがどれほど敬虔に、正しく、非難されることのないようにふるまったか、あなたがたが証しし、神も証ししてくださいます。11:あなたがたが知っているとおり、わたしたちは、父親がその子供に対するように、あなたがた一人一人に12:呼びかけて、神の御心にそって歩むように励まし、慰め、強く勧めたのでした。御自身の国と栄光にあずからせようと、神はあなたがたを招いておられます。13:このようなわけで、わたしたちは絶えず神に感謝しています。なぜなら、わたしたちから神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです。事実、それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているものです。14:兄弟たち、あなたがたは、ユダヤの、キリスト・イエスに結ばれている神の諸教会に倣う者となりました。彼らがユダヤ人たちから苦しめられたように、あなたがたもまた同胞から苦しめられたからです。

キリストに命を捧げる時、最初は重荷のように感じる場合があることを私は知っています。それは他の人たちが、神様があなたにばかなことを押し付けていると決めつけようとするからです。特に友人たちです。用心しなければなりません。

神様があなたを召命する時、ある贈り物を与えてくれます。友達が持たないある強み、弱みです。君たちはここで一緒に訓練を受けていても、大人になって様々な業種や市場、事業、あらゆる種類の分野へと広がっていくかもしれません。できればそういった分野に入って、それらの分野の側面がつながっていれば、ここで築いたこの尊い兄弟姉妹の関係に感謝することができます。このように近い関係で訓練を受ける時がいつあるでしょうか。普通の世の中の生活では決してありません。

しかし神様が呼ばれる時、中には圧力を感じたくない、祈る時に祭壇まで出たくないと思う人もいます。見せびらかすためにしないでください。心からの偽りのないものでなければなりません。心の中で信じていなければなりません。

細かなことまで全ての答えが出ないかもしれませんが、自分の命をキリストに捧げたいということは分かっているのです。そうしたいと分かっています。それは本当に尊いことです。なぜならその種が・・・からし種が大きな木になって・・・それが自分の人生で山を動かすものだからです。その1つの種。あなたが行った1つの宣言。

あなたは過ぎていく日だと思うかもしれませんが、その日を決して忘れるべきではありません。

尊い祝福の子女であって堕落していないとかいった話をします。しかし考えてみれば同時に、家庭連合でこういう状況があります。非常にたくさんの「堕落していない」、つまり結婚前に姦通を犯していない祝福子女が「祝福」を受けますが、彼らは全くの異教徒なのです。神様を信じておらず、お父様を信じておらず、イエス様を信じていません。イエス様をゼウスか何かのように扱っています。馬鹿げた話です。

血統を持っているからと言って救われているということにはなりません。神様は血肉だけを求めているのではありません。神様は心情と霊も求めています。そしてそれはとても重要なものです。

君たちのレベルは比較的高いです。血統を持ち、肉体を持ち、相続したものがあります。しかし同時に神様は君たちの心を求めています。誰にも見せずに隠している心です。世の中から隠しています。友達にも誰にも話しません。近くにいる人は誰もがそれから退散して隠れてしまいます。それが神様の求めるものでありあなたが誰にも見せないものです。意図的に隠されています。最も深いところにある願望です。それを神様は求めています。あなたがそれを捧げることに関心を持っておられます。なぜならあなたがそれを捧げる時に、神様もあなたにその最も深いものを与えるからです。交換できるということです。創造主の中核的な物をあなたに与えることができます。

我々は何か曖昧だというようなことを言いますが、それはあなたが内なる働き、内なる願望をまだ隠しているので全てが曖昧なのです。ですから見せびらかすためにしないでください。圧力からやらないでください。つまり他の人がやっているからとか、そういう理由で祈りたいとか祈って欲しいというように。祈りを受けたいと思うのは素晴らしいことです。明らかに神聖な人々はあなたのために祈りたいと思います。またあなたも他の人のために祈りたいと思うべきです。

大人は遠慮せずに青年たちに自分のために祈るように頼んでください。アーメンですか。自分の方が年上だから私だけがあなたのために祈ることができる、と決めつけてしまうことがあります。そうではありません。自分より若い人に祈って欲しいと頼まなければならない場合があるのです。アーメンですか。

私たちも威張った態度はできないのです。私たちも青年たちに祈ってもらう必要があります。ですから私はこの青年たちに「私のために祈っているか」と尋ねます。頼みませんでしたか。私のために祈っていますか。私は君たちのために祈っています。君たちは私のために祈っていますか。責めているのではなく質問しているだけですよ。ほとんどの人は二代王のために祈っていないのですね。おそらくそうでしょう。

私のために祈ってください。それは私にとって意味のあることです。君たちにとっては何の意味もないかもしれません。この年頃にとって祈りは意味が全くないか、ほとんどないからです。しかし私にとっては大きな違いがあります。私が訓練している子たちが私のために祈っていると知れば、大きな違いがあります。

ですから親が子供に自分たちのために祈るよう頼むこともとても大切です。小さな子供でもあなたのために祈ることができます。神様は祈りの力を与えています。祈りとは何でしょうか。それはハリー・ポッターが宇宙にかけようとする魔法の呪文のようなものではありません。それは祈りではありません。仏教のマントラのようなものではありません。繁栄がもたらされるようにという願いでもありません。「南無妙法蓮華経」のような。

祈りは力であり、神様が私たちに与えた武器でもあります。その目的は霊的な戦いをすることであり、神様が聖なる戦い、聖なる軍隊に招集した人々を守ることです。ですから私のために祈る時は、その祈りで私を守っているようなものです。

ジェダイの映画を想像して見てください。あなたの祈り、魂と思いを込めた願い。それが「フォース」の場のように私のまわりにきて助けてくれます。分かりますか。

男の子たち、君たちの年齢で祈りが力だということを理解していますか。1度祈ったらハドソン川が真っ二つになるとか、大西洋のクジラが全部浮かんでくるとかそんな話をしているのではありませんよ。私が話しているのはあなたの祈り、いたわり、心のことです。

親のために祈りなさい。君たちに頼まないならもしかしたら頼むのを恐れているのかもしれません。私には分かりませんが。自尊心が強すぎて頼めないのかもしれません。もしかしたら、余りにも日本人的、韓国人的すぎて子供に祈りを頼まないということかもしれません。いいでしょう。では君たちが祈ってあげなさい。それを克服できるように(笑)。

若い子供は親のために祈るべきです。うその祈りをする必要はありません。「お父さん、僕はお父さんのために3時間半祈ったよ」とか。そんなことをするようには言っていません。見せびらかしは止めてください。

「先週あなたのために10時間祈りました」などと言いに来ないでください。多分ありがとうとは言うかもしれませんが、見せびらかすのは止めなさいというのです。私ならこう言います。私のために祈ってくれるのであれば、心のこもった本物の祈りであれば1秒か2秒でいいです、と。「私はこの間抜けたちよりも優れている」と言うために目立とうとして10時間のインチキな祈りをするよりも、もっとうれしく思います。

そんなことはしないでください。それは偽物です。それでは宗教です。パリサイ派がやっていたことです。本物の、心からの祈りをしたらどうですか。例えば「二代王が神様に任せられたことで本当に成功して欲しいです」と。そしてアーメンとイエス様の名前だけです。心のこもったものであればそれは私にとって尊いものです。全ての人にとって尊いものです。私が君たちのために祈る時に、君たちは私があなたのことを大事に思うよう自分が納得するために13時間祈る必要はありません。

つづく

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