9月2日英語説教 だから宗教を追いかけるべきではありません(その1)

Sunday Service   September 2  2018   Rev  Hyung Jin Moon   Unification Sanctuary  Newfoundland PA on Vimeo.png

2018年9月2日 英語説教

翻訳:Harry

聖書にこうあります。ヨハネの手紙第1の5章です。

「すべてイエスのキリストであることを信じる者は、神から生れた者である」

これはもう信仰宣言です。これが重要なのです。これが基礎であり出発点です。絶対の核心的基盤だというのです。ほんとうの本質、エッセンスです。人はその堅固な基礎から出発しなければなりません。聖書にもあったでしょう。

なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。(ロマ書10:10)

心は変えられ、義を見ます。義は神の義を見るのです。そして告白するのです。いまのカトリックのようにではありません。どこかの小児性愛者の餌食になるだけです。そういう告解のことをいっているのではないのです。ペンシルバニアでは大問題です。(訳注:米ペンシルベニア州のカトリック教会で300人以上の司祭が児童を性的に虐待したという信頼できる申し立てがあった)

教会が世界中で崩壊し始めています。邪(よこしま)で・・とくにトップが邪悪です。多くの多くの罪のない人の善いカトリックの平信徒がいます。通常のカトリック教会です。彼らも自分たちのカトリック教会に対する信仰が破壊されているのです。
終末には不真実なものはその場に居続けることができないのです。神様によって引きずりおろされるのです。神様がその覆い隠している覆いを引き裂くのです。

皆が知っているキリスト教の面影、名残りが壊れていくのです。人々を宗教を追い求めなくなります。国営の救済機関を求めないというのです。人は神様を求めるのです。神様を求める。これは重要なことです。カトリックという国(バチカン市国)、これは1人前の国です。これがもう救いを与えることがない。アーメンといってください。(アーメン)

まったく狂った、邪悪な、いまわしいヒエラルキーです。彼ら(バチカン)がアメリカを、世界を支配することを想像してみて下さい。これほど罪を犯しても平然と何もなかったことにできるのです。今も、もっと多くの罪を犯しながらそれを免れている。それが今、大幹部が、その罪を明らかにして、法王が辞めない限り、自分達は脱退するといっているのです。
(カルロ・)ビガノ大司教(訳注:ローマ法王庁(バチカン)の駐米大使を務めた)が告発したのです。ローマ法王に辞任を要求したのですローマ崩れ始めています。

もはや真のキリスト教、真のキリストを中心とした信仰ではありません。信仰が国営の信仰になりました。

だから宗教を追いかけるべきではありません。宗教的に形だけ清く行動しようと思ってはならないのです。それは神の願いではありません。

神様が神の子たちに願うことは・・・自分の子供を考えてみて下さい。子供たちが親の
縦的な心情的伝統と価値と完全に一つになり、立っているとしたらどうですか。あなたは慰められ、喜びを感じるでしょう。そういう心情の一体化、価値や文明の一体化、そこには大きな自由が存在することでしょう。

私の言っている意味がわかりますか。

自由があるのです。なぜなら安心してくつろげるでしょう!子供たちは悪魔じゃないのですから。子供たちは神の文明に所属しているのです。人によってそのレベルの高い、低いはあるかもしれません。しかし基盤があるのです。その子には自信と確実性があるというのです。心の奥の奥で、それが神の王国を実現しているとわかるのです。

基盤があるのです。同じ文明、同じ岩の上に立っているのです。そこに慰めがあり平安と喜びがあるのです。だからそのような心情で一つになっている子供たちを囲んでそんなに宗教的になる必要はないのです。ロボットか何かのように思ってはいけないのです。子供たちに自由に神様から与えられた個性を表現してもらいたい。

これがサタンに仕えていたら個性の発露は私たちに悲しみをもたらすでしょう。大きな悲しみです。なぜなら子供たち自身も自分がサタンに仕えているという自覚がないのですから。既存の教育システムに吸い上げられて、洗脳されて・・・。

いいですか、悪魔はとても利口なのです。若者を洗脳するシステムを現実のシステムを造り出すのです。社会主義、共産主義。それはサタン主義へと導きます。不道徳へと導くのです。

不道徳でも構わない、人のものを盗んでも構わない。気に入らない人間は国の力を使ってで殺せばいいと。結果としてそうなるということです。不道徳OK、邪悪でもOK。
それで、社会で頭角を現すことができるなら、出世できるなら構わないと彼らは言うのです。
たしかにこれは哲学的に若者を釣って、サタン主義者にするにはいい方法です。自覚なしに、サタンに「信仰告白」しなくてもなれるのです。彼らもそんなことはしません。

しかし彼らが従う文化・文明がサタン主義だというのです。神の国に反対する立場です。主権と王権、正義の王権、キリストの王権に反対する立場に立っているというのです。
 

つづく

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