ムッソリーニとヒトラーが称賛したF.D.ルーズベルトの政策「鉄のつえの王国」本翻訳 第4章(前半)(その8)

鉄のつえの王国      文亨進  著

第4章

左翼ファシストの西側への脅威    The Leftwing Fascist Threat to the West

20世紀半ばまでに共産主義者に殺された者の数が数千万人に達し、マルクス主義者、資本主義批判者は、宣伝活動による攻勢が必要となった。それに好意的な主流メディアの助けを得て、左翼は大衆の注意を、ナチス・ドイツによる集団虐殺に誘導した。その一方で、ソビエト連邦や、中国、ベトナム、カンボジア、キューバでの膨大な数の、そして増加の一途をたどる死者の数については最小限に見積もった。

共産主義独裁や、社会主義を支持する左翼に対して公然と疑問を呈する者は、誰かれ問わず「ナチ」のレッテルを貼った。イタリアのファシズムの研究者、アンソニー・グレゴーが指摘するように、キリスト教徒を公言する者、減税を主張する者、政府規制の緩和を求める者、人為的な「地球温暖化」に対して疑いをもつ者や、「絶滅危惧種」の衰退に関心のないものたちには決まって「ファシズム(ファシスト)」のレッテルが貼られる。皮肉なことだが、本物のファシストは上に述べたような立場は一切取らない。

「ナチ」という名称は「国家社会主義(ドイツ)労働者党」の党員を指す。ナチスはアーリア民族に傾斜した民族主義的な行動計画を有する社会主義者だ。彼らは国民の生活に対してより大きな政府のコントロールと規制を求めるが、決してそれを軽減することはない。

信じられないかもしれないが、ニューディール政策の民主党のアメリカ大統領、フランクリン・デラノ・ルーズベルトは、ムッソリーニと、彼の中央集権政府による計画と行動を称賛していた。

1933年5月7日、ルーズベルトの大統領就任の数か月後に、ニューヨーク・タイムズの記者アン・オヘア・マコーミックは当時のワシントンの雰囲気について「黒シャツ隊の行進後の最初の1週間の雰囲気、あるいは、5か年計画を開始したモスクワの雰囲気と妙に似ている。・・・現在のアメリカはまさに命令を求めている」と書いた。また「ルーズベルト政権は、イタリアの組合国家風の産業、労働、政府の連合を構想している」と続けた。。

1930年代を通して、知識人やジャーナリストは「ニューディーと、ファシズム、国家社会主義が収束する領域」をよく口にした。この3つのものは、個人主義、自由市場、地方分権という「古典的な英仏の自由主義」をしのぐものとみなされていたのだ。

「3つのニューディール:ルーズベルトのアメリカ、ムッソリーニのイタリア、ヒトラーのドイツについての回想1933-1939」という著書の中でヴォルフガング・シーヴェルブッシュが書いているように、「アメリカ人の進歩派たちはドイツの大学で学び、無秩序な自由主義原理による支配などによらない、現代社会を組織する最も効果的なやり方として、強力な国家とプロイセン軍国主義というヘーゲルの理論を評価するようになった。」 

ルーズベルト自身が、ムッソリーニを「称賛に値する」といい、「ムッソリーニが成したことに深く感銘を受けた」公言した。ムッソリーニもこの称賛に報いた。1933年のルーズベルトの著作「Looking Forward」によると、ムッソリーニは、ルーズベルトに手紙でこのように書き送ったという。

 

「国はもはやそれ自身の働きに任せておくことができないという(ルーズベルトの)原則はファシズムを想起させるものです。・・・確かに、この大転換に伴うムードはファシズムが持つそれに似ています。」

ナチの主要機関誌、「フェルキッシャー・ベオバハター(訳注:「民族的観察者」の意)は「ルーズベルトが国家社会主義的思想の特質を彼の経済、社会政策に採用したこと」と、「個人的利益の前に集団的な善を優先させる必要性」に基づいた「権力国家に向けての進展」に対して繰り返し賛辞を送った。  

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ナチの機関紙「フェルキッシャー・ベオバハター」

1944年、「隷属への道(The Road to Serfdom)」の中で、経済学者F. A. ハイエクは、計画経済は全体主義をまねく恐れがあると警告した。ハイエクは、アメリカ人とイギリス人に対し、ドイツ人の魂の中に何か固有の悪が潜んでいると考えるべきではない、とくぎを刺した上で、ハイエクは国家(民族)社会主義は、何世代もかけて西側世界に沁み込んできた集産主義者の考えに依存するものだと述べた。

ロナルド・レーガンや、現在ではドナルド・トランプ大統領などが、国家権力を限定するための多くの政策をとっているにもかかわらず、主流ニュースメディアはいつも、彼らを新しい「ヒトラー」だの「ナチ」だのと非難する。政敵を簡単に怪物に仕立てようと、無配慮のまま「ファシスト」と呼ぶ前にどうして政策について議論をしないのだろうか。

つづく

翻訳:Harry

 

*管理人:最初の序文から日本語訳を読みたい方は、5章まで終了した時点でダウンロード可能なファイルに一旦まとめますので、しばらくお待ちください。

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8月26日英語説教「難しくありません 自分の習慣だけのことです」(その3)

Sunday Service August 26 2018 Rev Hyung Jin Moon Unification Sanctuary Newfoundland PA on Vimeo

2018年8月26日英語説教

翻訳:BAMBOOS

非常に多くの魂が知らずにいました。この世の快楽。この世の富。神様との超自然的な関係と比較になるものはありません。何も持っていける物はありません。子孫に残すことはできるかもしれませんが、霊界には持っていけません。

霊界に持っていける物が1つだけあります。その関係性です。それだけです。向こう側に持っていけるのは私たちの魂だけです。神様が収穫について話しているのはそのことです。「収穫は多いが働き手が少ない」と言われました。

(後ろにいた姉妹たちに前に来るよう注意される。)

ここで理解すべき致命的なこと、偉大で大変なこと、つまりは偉大な力のことですが、それは統治するための高潔さを持たなければならないということです。魂の収穫ということです。魂の収穫。

青年たちを訓練する時、平和警察・平和軍のことを話しますが私たちの模範は何でしょうか。私たちがフィストバンプ(拳を合わせてあいさつすること)する時に何と言うでしょうか。「神様を愛し、隣人を愛せ」です。それから戦いを始めます。

それはどういうことでしょうか。みなさんが学ぶ技は全て、国を守り、隣人を守り、価値あるものを守るためのものです。最も価値あるものとは何でしょうか。私たちに真の目的を与え、人権を与え、自由と主権を得ることができるようにするもの。それはどこから来るのでしょうか。政府から来るのではなく、組織や建物から来るものではありません。そのようなものから来るものではありません。神様から来ます。神様がいなければ人権はありません。誰がどんな権利を持つかをでっち上げる、年老いた間抜けの委員会があるだけです。

主権と王権の出発点では、全ての人がハイレベルの王と王妃とならなければなりませんでした。ハイレベルの夫と妻です。敬虔な男性と女性。妻を無条件に愛する男性。彼女が愛せない時があったとしても。

姉妹たち合っていますか。自分の罪を一人ひとり告白しましょう。ここには神を信じる人たちがいます。私たちは認めることができます。神様の助けが必要な時があります。アーメンですか。

配偶者を無条件に愛しましょう。そして女性たちに神様は何と命令しているでしょうか。夫を無条件に尊敬するということです。神様は彼の将来性を見ています。アーメンと言えますか。夫を尊敬してください。そうすることで夫を変えることができます。「主よ、彼は信仰的な男性ではありません。ですから不信仰的に彼に文句を言います。イエスの名に懸けて死ぬまで文句を言います」。それでどうやって聖霊があなたを通して働くでしょうか。

私たちは勝利します。神様のみ言に従うことで超自然的に勝利します。そして神様のみ言では、彼を尊敬しないと言っています。

「あなたの気持ちは分かります。難しいことです。娘よ、あなたを愛しています。彼のことが気に障り、その全てに腹が立つ場合があることを知っています。しかし娘よ、私はあなたを愛しています。私を信じなさい」。

あなたの父を信じてください。英知を信じてください。み言を信じてください。何と言っているでしょうか。彼は曲がった道を正すと言っています。
「自分の知識にたよってはならない。すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる」(箴言3:5-6)。

私たちは自分の意志で行い、自分のやり方で、自分の発想や能力で行い、曲げてしまいます。何かを作ろうとしたことはありますか。テーブルを作ろうとしたことはありますか。どうなりますか。工場で作ったようになるでしょうか。いやいやいや。曲がってしまいます。長椅子のはずがロッキングチェアになってしまったと気づくでしょう。自分の力でやるとそういうことになります。アーメンと言えますか。

私たちは曲げてしまいます。曲げたいと思ってやっているのではなく、まっすぐにしようと思っています。しかし私たちには能力がありません。全ての角度から見ることができず、知識も知恵も持ちません。誰かを変化させて聖別することがどれほど難しいことか分かりますか。誰かにそうすることができるだけの知識を全て持っていると思いますか。

自分自身や自分の悪い癖でも変えるは難しいでしょう。私たちは神様に寄り頼むことができるようになりたいのです。夫を尊敬できないと感じている時に、一時的にでも尊敬を持って夫を扱うのは難しいです。しかし神様はそれが簡単だからやりなさいとは言っていません。神様はそれが難しくないとは言っていません。

興味深いことにこう言っています。
「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」。

それから何と言っているでしょうか。
「わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」

あなたが理解して神様と歩むなら、その夫婦に与えられた命令のみ言は最初くびきのように感じられるかもしれません。「難しいです。主よこのくびきを負いたくありません」「主よ、彼が尊敬に値するとは思いません」「主よ、彼女が愛せません」と。それは重いくびきのようです。

しかし主は、「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽い」と言っています。実際は簡単なのです。ただ脇によけなければならないだけのことです。それが今日心に訴えて来る人はいますか。難しくありません。自分の習慣だけのことです。あなたは何度も同じ間違いを繰り返してきただけです。みんな分かっているでしょう。

戦いや訓練をする時、何度も間違ったことをやっています。ヘッドロックがうまくいくと思っている人が多いです。レスリングを少しかじった人は、ヘッドロックが実戦で役に立つと思っています。実戦で使うのはひどいものです。全く最低です。

テッドはアイルランド系で戦うのが好きです。青年たちと転がりまわるのが好きです。彼はヘッドロックを使います。そこで普通にヘッドロックしてみてください。校庭で子供が遊んでいる時にやるヘッドロックです。それがいいと思っています。しかし総合格闘技やブラジリアン柔術のような本物の格闘技を知っている人にヘッドロックを掛けたら、大きな問題になります。背中を晒してしまっています。あなたは捕まえられて背中や腕をきめられ始めます。

訓練で経験した人はどれくらいいますか。それは悪い習慣です。悪い習慣を持つと変えるのが難しいです。訓練によってそれを変えます。最初それはくびきのように感じます。ヘッドロックがしたくてうずうずします。

最初はくびきのように感じますが、神様はそれをもっと簡単にするものを与えようとしています。本当の習慣を学ぶようになると、少なくともそのような位置取りがもっと防御しやすいのだと、ヘッドロックをしてくる人から防御するのは簡単だと気づきます。思っていたよりも簡単だと。重荷だと思っていたものが今度は軽いものになります。

ですから私のくびきを負いなさいと言っています。私から学びなさいと言っています。私から学ぶとは、私と過ごすという意味です。私のことを読んで知るだけでなく、私から学んでください。私と過ごしてください。するとこのくびきは易しく、この重荷は軽くなります。

君たちはまだ白帯で、中にはもうすぐ青帯になる人もいますがほとんどは白帯ですね。ですからこの時点では重荷を感じます。私たちはたくさんの訓練をしていて、1週間に5日、1日2、3時間ブラジリアン柔術だけを訓練するとすれば、おそらく頭に来るでしょう。不安とストレスでいっぱいになります。ストレスがたくさんありますね。誰かがマットの上で殺そうとしてくることほどストレスなことはありません。そうですか。とてもストレスがあります。

しかし次のレベルに行けばもっとストレスがあります。面白いと思いませんか。青帯のレベルになるともっとストレスがあります。それは青帯保持者がみな君たちを狙ってくるからです。あなたの頭を壁にトロフィーとして飾ろうとして。「青帯を倒したぞ!」と。

私も経験しました。青帯はストレスが多いです。まだ中間であり上位のレベルではありませんので、紫、茶、黒はまだあなたを殺すことができます。アーメンと言えますか。また白帯も殺したいと思っています。そして友達の青帯も殺したいと思います。青帯を出たいからです。ですから85パーセントから90パーセントの人が青帯で辞めてしまいます。不安が多いのです。

私は若い十字軍とニンジャにこれを早くから教えています。それは君たちが打たれる前に準備させてようとしているからです。言っておかなければやられてバーンと倒れてしまいます。

腹にパンチを受けて倒れた経験をした人はどれくらいいますか。ではどういうものか分かりますね。しかし来ると分かっていれば持ちこたえることができるでしょうか。はるかに良いのです。実際来ると分かっていれば巨大なモンスターに腹を撃たれても持ちこたえることができます。ほとんどの人はできます。予測できるからです。ですから私は前もって話すのです。これがいつかやって来ると予測できます。それに直面した時、新しい領域ではありません。賢明であればすでに征服した領域です。

つづく

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