2018年5月20日 鉄のつえの王国16
翻訳:管理人
鉄のつえの王国16です。
まずみ言を拝読します。ルカによる福音書6章19節から一緒に読みましょう。
19 また群衆はイエスにさわろうと努めた。それは力がイエスの内から出て、みんなの者を次々にいやしたからである。
20 そのとき、イエスは目をあげ、弟子たちを見て言われた、「あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ。神の国はあなたがたのものである。
弟子たちにはわかっていました。神の国がどのようなものかということを。
21 あなたがたいま飢えている人たちは、さいわいだ。飽き足りるようになるからである。あなたがたいま泣いている人たちは、さいわいだ。笑うようになるからである。
22 人々があなたがたを憎むとき、また人の子のためにあなたがたを排斥し、ののしり、汚名を着せるときは、あなたがたはさいわいだ。
23 その日には喜びおどれ。見よ、天においてあなたがたの受ける報いは大きいのだから。彼らの祖先も、預言者たちに対して同じことをしたのである。
アーメン。
このように6章は続いていきますが、今日はここを中心に見ることにしましょう。
王国の福音が説かれる先々で・・・先週もルカの4章43説を見ました、覚えているでしょうか。キリストご自身が「わたしは、ほかの町々にも神の国の福音を宣べ伝えねばならない」と言われました。
キリスト自身が、「福音」、エウアンゲリオン(良きおとずれ)を「王国の福音だ」と定義しているのです。
キリストのメッセージは来るべき王国のメッセージです。
ここでも言及しています。いいですか、どこであれ福音が説かれるところ(イエス様は)社会から排除された者を癒し、病んだ者、悪霊に取りつかれた者たちを癒されました。福音を説く場所、どこでもそうされました。福音は大きな力を持っていたというのです。
また現実世界の政治ヒエラルキーを激怒させました。だから福音を宣べ伝える先々でローマの覇権システムを揺るがしたのです。まずパリサイ派がざわめき立ちました。パリサイ派は情報収集をおこなういわば情報機関です。それはユダヤを治めるローマの高位聖職者のためだったのです!彼らはパリサイ派の人々と結託して内部情報を集めては政敵について密告させていたのです。もちろん、イエス様は彼らにとって敵でした。
だから福音を説く先々で、人々を良い気持ちにさせるだけではなく、社会の奴隷階級にいる人たち、もちろんそこでは一般市民も(ローマの)奴隷です、そんな彼らに、とんでもなく大きな希望を与えたのです。当然、当時奴隷階級は存在しましたが、一般の人々も現代の基準からいえば悲惨な困窮の中で生活していました。まさにその政治体制は左翼あるいは過激なファシスト的右派によって作られたもので、それは中央集権政府で人口の5%のスーパーエリートが支配する。残り95%が貧しくあえぎ、そして支配される。
これはいたるところで見られたのです。すべての共産主義政府、あらゆる社会主義政府、あらゆる専制主義政府や権威主義的な全体主義政府のもとの文化はこのようになるのです。避けられません。政治的サタン主義と呼ばれるものです。
現実のサタン主義の存在を呼び込む雰囲気を提供し造り出すというのです。そして結局は実体的なサタン主義者に皆が支配されることになる。
最上位に君臨する者たちには法さえも届かない、法を超越した存在になり、邪悪に通じて、正真正銘のサタン主義さになるのです。皆さんの上に君臨しているのです。例えばヒラリー・クリントン。彼女はサタン主義者と仲間です。ジョン・ポデスタやこれらの連中はマリーナ・アブラモヴィッチと一緒に、腹にペンタグラム(五芒星)を刻んだりして、サタンの儀式を行い、狂った者たちはこれに興じていたのです。
だからこういう政治体制をもつとき、とてつもなく大きな抑圧を受け、手加減なく自由を奪われ、一般市民に主権はありません。
ところが、この福音が説かれるとき、世界の中で大きな動きが起きます。王国の福音が説かれるとき、そこにこれまでとは全く異なる王国の姿を見るからです。
ローマ人への手紙8章17節、詩編2章8,9節に書かれているように、キリストの共同相続人となって世界中地の果てまで嗣業として与えてくださるのです。弱い人のように利己的に権力を求めるのではありません。ただ神様に栄光をお返しし、神様が所有される地上、そして被造物の執事となるのです。
先週ここで聖句を読みましたが、そこにキリストが悪霊を追い払う姿がありました。キリストの教団の3分の1が悪魔と闘っていたというのです。教団の中心で闘っていたというのです。闘いの連続です。
悪魔を追い払い、自由を取り戻したと聖書は言っています。神様の霊のあるところ、解放を求め自由を求めるようになっているのです。悪霊からの自由、悪魔の抑圧からの解放です。悪魔の抑うつからの自由、自殺からの解放、死からの解放です。悪魔のくびきからの解放自由。そこに力を得ます。もはや奴隷ではない。
「もはや恐怖の奴隷ではない。私は神様の子供・・・」(No Longer Slavesを口ずさむ)
もはや恐怖の奴隷ではありません!
キリストはその行く先々で悪魔、悪霊を追い出し、同時に美しい徳が彼から流れ出しました。悪霊が出ていった人々の中に、美しい徳が流れ込みました。これが重要です、とても重要なのです。
悪霊が追い出され、徳が入れ替わりに入ってくる。ここが大切な所です。だからこそ力の美徳、自衛の美徳が極めて大切になってくるのです。そこで美徳を学ぶからです。
HBO(アメリカ合衆国の衛星およびケーブルテレビ放送局)の番組で見た非道徳はどうでしょう。奇抜なドキュメンタリを作ります。アフガニスタンについてのドキュメンタリ番組を制作したのですが、アメリカが支援するあるアフガンの指導者が、少年を拉致して性的暴行を加え、人身売買までしていたというのです。そこに何かアフガンの政治家がやってきて彼らに依存する姿を、現地で取材していました。そこで現実に起きている事実をレポートしていたのです。アメリカ軍の士官がアフガン人にやめさせようとしましたが、一部のアフガン人は本当に腐敗していて性奴隷人身売買に対してどうすることもできないのです。
そこでアメリカ兵が行っていることは何かというと、アフガン人に戦闘訓練をさせているのです。タリバンと戦うためです。つまりアフガニスタンである種の徳目を教えているのです。アメリカ軍は彼らに「理由もなく人を殺すな」と教えていました。「むやみに子供を誘拐して性的暴行を加えるな。それは人の道を外れている」と。こういうことを教えているのです。
それに対してアフガン人は、あれやこれやと言い訳していました。「じゃあ、婆さんと交われとでもいうのか」などと。本当にそんなことを言っていました。もっと下品な言葉ですが・・。そういう者たちに、アメリカ兵は「徳(倫理)」を吹き込まねばならないのです。
むやみやたらに野外で銃を撃ってはいけない、弾を無駄にするだけでなく、どこかで誰かに弾が当たるかも知れない、それは非戦闘員かも知れない、ここまで説明するのです。それに対してもアフガン人は、「それがどうした、そんなこと構わない・・・」
それに対して「少し待て、それは違うだろう。戦闘員と非戦闘員(民間人)とは意味が違う。同列に扱ってはダメだ。」このようにアフガンの兵士たちに教えているのです。「まず狙いをつけて相手をよく見ろ。それから照準を合わせろ、しっかりと戦闘員であることを見極めてから倒すのだ」
これに対してしびれを切らせて怒ったあるアフガン人が自動小銃を片手に立ち上がって、野外でそこら中を撃ち続けていました、もちろん誰にもあたりません。まるで気違いです。アメリカ軍兵士は頭を抱えるしかありません。
つづく
なぜ、亨進様の政治サタン主義と戦いなさい 役に立たないもの達、という動画をけしました これはサンクチァリの全てのシックに言っているみ言です、再び掲載するべきでしょう。
いいねいいね: 1人
「何でもいい」さんの意見
確かにそのとおり、
組織論的にも重要なみ言葉だからね。
アップするタイミングと出し方を考えて出します。
ま、今はとりあえずこのリンクから動画にとんでください。(コピペしてね)
KING’SREPORT 2017年11月3日 EXCERPT→ https://www.youtube.com/watch?v=RANo3Z1XMUk
2017/07 /23 豊かな王国(EXCERPT)→ https://www.youtube.com/watch?v=VYNJOuDBZSs
いいねいいね