デミアン・ダンクリーの誠実と憂鬱

アメリカの家庭連合にデミアン・ダンクリ―という公職者がいる。
私は直接会って親しく話したことはないが、ある公的な仕事を通して日本とアメリカで何度かやり取りしたことがある。だからUC用語でいう「情因縁」が少しあり、彼には今でも親しみと愛情を感じている。

何気なしにYOUTUBEを見ている時、デミアンが米家庭連合最大の教会、ニュージャージ、クリフトン教会で4月8日に説教をしている動画を見つけた。

その中で、デミアン・ダンクリーが「独生女」という概念に誠実に向き合い、考え、考え、考え抜く誠実な姿勢を見せながら、あくまで個人的意見だとしながらも、何とか自分のこれまでの原理観、信仰観と折り合いをつけていく過程を証していて、内容はともかく、その誠実さには心打たれた。

デミアンのその姿は澤田地平さんのブログを通して垣間見える、韓国幹部の上からの指令にただ奴隷のごとく盲目的に従う、あるいは、ただただ生活防衛と保身に走る意地汚い姿を見せて憚らない、日本の公職者とは対極的な姿だと私は感じた。そうではない人もいるのかも知れないが。

ただ、デミアンの誠実さには感動したが、その内容をいくら理解しようと思って何度聞いても、正直、体系的理解をすることができなかった。主要部分を日本語訳して読み返しても、理解不能であった。それはおそらくデミアンの中でも消化不良であることを示している。しかしこのようにして「独生女理論」とまともに向き合って折り合いをつけようとしている誠実な人物もいることを示しておきたい。今後の理論対策にも有益だと思うのでその日本語訳を紹介する。

翻訳:管理人 文責:Eiji Harikawa

堕落の責任は誰にあるのでしょうか。
お父様は何度もこの質問されました。
堕落の責任は誰にあるのですか?

これは知るべきでしょう?
ある人はアダムだといい、ある人はエバだという。
何度もこの質問をされたお父様による答えは「アダム」(に責任がある)でした。
全員(三者)に責任があるのだけれど一番責任を負うのは「アダム」だと。

ではアダムに堕落の責任があるとして、具体的にそれは何だと思いますか。
アダムはもっとエバを守るべきだった、とか、エバに十分な関心を払わなかった、とか。また堕落の動機といったことを教えられてきました。そうですよね。

ルーシェルの堕落の動機、これを聞いたことのない人はいますか。ルーシェルの動機は何ですか。愛の減少感から来る嫉妬、ねたみ。ではルーシェルが神様から受けていた愛とはどのような愛だったのでしょうか。

神様のお気に入りだった、僕ではあるが、その最高位であり、ボス(Big cheese)だったわけです。神様からルーシェルにどのような愛が流れていたのでしょうか。

私が思うに、天使世界をみたときこれはもう完全に縦的に構成されています。そこに女性的な霊性はありません。女性相の霊を語ることができるのはエデンの園ができてエバの誕生以降のことです、全く新しいことなのです。

そこでこの点に関して私が個人的に感じたことをいくつかお話しします。これを絶対的なものだとは思わないで下さい。ある一つの問いを考えあぐねていた時にふと思いついたことです。通勤バスでリンカーン・トンネルを通っている時に考え思いついたのですが、問題は独生女とは何なのかということ、もちろん知っていますが、どうしてお母様は・・・何故われわれが理解できないのか、何を理解すべきなのか・・・。

エデンの園のことを考え、三者(アダム、エバ、天使長)の関係を考え、アダムとエバにおいてアダムに責任がある・・堕落の動機、など、この問題を考えるとき、いつも大事なものを飛ばして考えてきたのではないかということです。

ルーシェルの妬みの前に何があったのか、ルーシェルの神様の愛の減少感よりも先にあったものは何なのか。それはアダム、エバが持っていた特別な特質と自分を振り返って比較したなどと言われますが、アダムに責任があったという限りは、その時点でいかなる責任を負うべきなのか。

私が思ったことは、最初の男性格と女性格、霊肉の実体として、アダムとエバが天地人真の父母になるべき運命にあり、すべての被造物を愛する運命にあったとするならば、そこに何か唯一、特別な愛がスタートしなければならない。

これは全く個人的な考えですが、その愛は、神様が縦的な霊界をとおして行ってきた創造の過程で放ってこられた愛とは違った形の愛でなければならないのではないか。きっと違いがあるだろう。

そこで指摘したい第一の点は、アダムとエバは問題を起こしたのは10代だったでしょう。そこでルーシェル、アダム、エバ、この三者を見るとき、アダムとルーシェルの関係はどんなものだったのでしょうか。エバを守るといいますが、そもそもどうしてアダムがエバを何かから守る必要があるということから話を始めなければならないのか。どうしてそのような存在を許すのか。エバを無視したというのはただ、エバに十分な注意を払わなかったということ?あるいはルーシェルが十分な敬意を払われなかったのか。まあ、それがどれほど重要なことか分かりませんが。

私には16才の息子がいます。例えば彼のおじさんが家に来たとすれば息子はおじさんに挨拶することを望みます。おじさんが息子に何かプレゼントを渡すならば息子には「ありがとう」と言ってほしいと思います。

これは本当にそうだったのかどうかわかりませんが、エデンの園でアダムはヘビを捕まえて振り回したり、石を投げたりしているイメージがあります。少年とはそういうものでしょう。どれだけ速く走れるか試したり・・・十代の少年はその行いを計り知ることができません。限界を知りたいのです。想像ですが、ルーシェルおじさんがくれたオモチャに対して遊びに熱中するアダムはお礼を言わなかったこともあるのではないか。アダムがエバに注意を払わなかったのと同様に、ルーシェルにもアダム、エバは無視することもあったのではないか。

つまり21才になって完成すれば、真の父母の絶対的愛を全被造物に与えることができたでしょう。被造物の最上位のものはルーシェルです。その愛を最初に受けるはずであった者はルーシェルです。それは男性的な縦的社会の僕として神様から受ける愛とは違った愛であったはずです。私はそう思ったのです。問題が発生した後にアダムがあれをしなかった、これをしなかったというのが重要なのではなく、それ以前にアダムエバにかけていたことが(堕落が起きる)余地を与えたのではないか。アダム、エバ両方にルーシェルを「無視する、十分な配慮がない」ということがあったのではないか。

ちょっと考えてみて下さい。21才で完全な愛を与えるとしたら15才では少なくともその半分、あるいは20%は達成したでしょうか。愛と尊敬、われわれの10代の子供からそれをもっと期待します。これが一つの考え方。

次に考えたのは被造物が想像される順番です。
これまで神様が被造境を想像され、最後にアダム、エバを造られた。人間が最も貴重であり、すべては人間のために造られた、と教えられてきました。それから主体、対象の関係について学びます。男性と女性がいて、男性が主体であり女性が対象であると。どちらが優れていますか。ガッツのある人は答えてください。

主体は働きかけ、対象はそれに応じるという言い方が使われます。
アダムは結局、最後に造られたものではありません。最後に創造されたのはエバです。いま最も特別な存在は誰でしょう。ある特定の見方をすれば見え始めます・・でも心配は無用です。どちら(位相)を下げてどちらかの上にあげるという話ではありません。

しかし確かにこれまで誤解がありました。男性の責任と女性の責任の間にです。だからお母様とのかかわりにおいてただ、「メシアの婦人」と見なすことは的外れだと思います。的外れです。

わたしはずっと独生女、独生女と、独生女についてつくづく考えてきました、あきらめずに。
エバは最後の最後に造られました。神様は一体何を一番警戒しなさいといわれましたか。
そう「善悪知る木の実」です。それは具体的には?エバの愛。それは究極的にエバの子宮だということができます。だから、ある意味において、エバの胎、子宮こそが最重要で最終的に創造されたものでありもっとも待ち望まれた、最も貴重なもの、ただ守られるべきものではなく尊重されるべきものです。これまであり得なかったことがそこ(エバの胎)で起きるのです。

霊肉界の実体、男性アダムと女性エバという真の父母、神様の究極の目的は何ですか?
エバの子宮です!これは道理にかなうことですか。あり得ることでしょうか。真実か偽りか。

一体何が汚されたのか、最高に貴重なものが、サタンに汚されたものだといういうこと。

ルーシェルを非難するとき問題が生じます。それはわれわれが神様の息子、娘として立つ資格がない、被造物の主になりえないということです。ルーシェルを堕落の原因にすることができません。お父様は明確に人間がサタンを生みだしたといわれました。

もちろんルーシェルをふくむ三者すべての責任です。ここでルーシェルの責任だというのは簡単です。明らかに彼が一番の年長者であり、その時点で最も賢かった。他の二人よりも自分の行動の意味を良く把握していたでしょう。またエバの責任だ、というのも簡単です。エバが巻き込まれ、引き起こしたことです。

私の問いはその現象の下の下、下流に流れるものです。
お父様が「アダムの責任だ」と言われるときそれは深い意味をもっています。皆、どうしてアダムが責任を負うべきなのかと不審に思います。もしアダムの責任でなければ・・・誰の責任なのですか。三者のうちでルーシェルも完全ではありません。だから三者全員が、理解し、発見しながら自分の成長の糧とし自分の完成につなげなければならなかった。

それは、全く信じられないほど神秘的な神様の隠された性質、美と喜びを備えたその性質は爆発的に発散されるのを今か今かと待たれていた、神様の女性的な性相、これです。
これを神様は開始されその頂点がアダムとエバだった、それをさらに引っ張っていくならエバの胎であったということです。

お母様がこのスピーチで何を言われたのか、「血統は男性から始まるのではなく女性の子宮から始まったのだ」。想像して下さい、エバの胎こそがすべての人類、神の息子、娘が始まった点なのです。わかりますか。

それが真実なら悪魔がそのエバの胎を汚したことの辻褄が合います。どうしてこれが意味あることむしろ重要なことなのか。復帰というものを見ていくとき、われわれは混乱するのです。聖句にも真のお母様の真の価値を求めることができません。その基礎とすべきものがありません。私の考えでは。聖書のここに書かれているとかお父様は「独生女」という言葉を何度も口にされたとかともいいます。しかしお母さまが本当に独生女であるならば、その価値はただ「真のお父様の婦人である」ということだけではあり得ません。

神様が必要としたエバから第一に引き出すことができる何か唯一のもの。それぞれが信じがたい価値を持ち責任と使命をもつ。

お母様のスピーチでどういわれていますか。
メシアという観点で見るとき、再臨のメシアであることよりも重要なことは何ですか。それは二番目の、お父様は二番目の・・・メシアです。第二のアダムであり、二番目の独生子です。この点から見るとき、アダムの責任が、エバを保護し愛しそして最終的にエバと一つになって人類を生み出すとき、エバこそ最終的な賞であり、アダムはそれを守らなければならなかったが、奪われてしまった。そこにアダムの無関心があったといえばそのとおりです。

こういう見方をするならばイエス様の責任は何だったのでしょうか。イエス様が来られ完成して花嫁を迎えて、彼女を成長させる。こう考えると理解できます。

アダムの責任はエバを守って、彼の種を何よりも待ち望まれてきたものの中に置く。もちろんこれはイエス様の責任と同じです。復帰時代ですから、理解できるのです。復帰の観点から見ればそれがベストでしょう。しかしクリスチャンはイエスが花嫁を迎えるということ、ここを理解できません。

だから統一食口とは言え同じ過ちを犯す場合もあります。

お父様が「結婚しなければならない」と言った時、おおくのクリスチャンが離れたことを知っていますか。どうしてだと思いますか。われわれの頑固な心は何でも知っていると思っているからです。私もすべて知っているわけではありません、すべて知っているという人はここにいる必要はありませんから退席して結構です。われわれは(すべて知っていると)そう考えることはできません。心を開いていなければなりません。後天時代は堕落とは関係のない時代です。これまでの見方をしていると今を理解することができません。

これまで知っていると思った考え方からは、お母様の話を理解することができません。
こういうことを私は個人的に感じ、考えたのです。こう考えることで真のお母様の価値を理解することができたと思います。

真のお父様の勝利とはまた別に、お母様の得た勝利というものを理解できたのです。

*管理人からひとこと
厳格な、厳愛とは異なり、本然に横的な女性性相的愛は、軍隊のような縦的構成世界に流れる愛とは異なる優し気な癒しの愛であり、それが韓鶴子オモニから歴史上はじめて出されると説教者は示唆しているようだが、その愛の実体であるはずの韓オモニのスピーチをいくつか読めばわかるが「私は独生女、私を崇めなさい。私は無原罪で生まれてきた。これを皆は知らなければなりません」この物言いのどこが横的で癒しの愛から出ているのだろう、これはお父様のみ言とも全く異質な、軍隊調で独裁者的な物言いだとおもうのだが。

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デミアン・ダンクリーの誠実と憂鬱」への3件のフィードバック

  1. hide6500 の発言:

    私は60歳を過ぎた今でも、初恋の人の夢を月に1回は見ます。異常だと思う人もいるかもしれません。でも、私は構いません。12歳の私は、そのとき、神様の本質、創造の本質を知ったのですから。

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  2. sasa の発言:

    ダミアンの必死の様子が解りますが、自分の事を 「神である」と言った韓オモニは、どう考えても傲慢になっておられます。此方で家庭連合と討論があったのですが、私が「お父様でさえも自分を神だと仰ったことは無い」と私が話した所、家庭連合話した「アボジ話した言ってる」と回答してきたので、「具体的に書いてある本とページ学校に解ったらメールで送って下さい」と伝えましたが、まだなんの連絡もありません。お父様学校に「私は神だ」仰った事をご存知の方 ぜひ教えて下さい。

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  3. Masako の発言:

    すみません。はっきり言って、誠実だろうが何だろうが、堕落したルーシェルとエバをかばい、アダム(すなわち真の父)に責任を擦り付けていることに変わりはありません!(サタン的フェミニズム! ルーシェルの代弁者!)エバがまず先に堕落し、さらに主管性転倒したのであって、エバの責任分担は、最終的にこの主管性を最後まで正しく保つ(絶対信仰、絶対愛、絶対服従)以外にはないのは原理から明らかです。真の父から離れた韓マザーの価値? 言い方が悪くて申し訳ありませんが、ただの女としての価値しかありません。もちろん、神の血統を真の子女としてこの地に残した肉の母としての功績は正しく評価されるべきですが。家庭連合の人たちは、なぜか韓マザーには責任分担がなく、あるいは、お父様が(条件的に)宣布された内容が韓マザーの実体・責任分担に関わりなく成就・完成されたと信じ、反面、お父様に対しては、蕩減復帰の内容を無視し、完全無欠・完璧を要求し、実質的にはお父様を否定しています。誠実さの下に、真理・原理に対する意図的な無視と自己正当化が隠されています。「特別な愛」??? 神から離れた愛はサタンの愛しかありません! 「四大心情圏」にすべての愛がすでに含まれています。

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