天一国二代王様のスピーチ(スイス)その3(完結)2018年1月20日

Interview with Hermann Resinger   Gun Rights in Europe Conference   YouTube.png

「防衛のための武器(Arms for defense)」協議会での二代王様のスピーチ

(2018年1月20日、スイス、ローザンヌ)(第3回)

翻訳:BAMBOOS

聖書的な観点から見て、人権という観念、人間の価値という観念はキリストとその王国の福音において実証されており、言うまでもなく、私たちはその聖句をすべて見てきましたが、その王国がどのように治められるかはクリスチャンの思いにとって別の問題です。

神様の王国はどのように治められるのでしょうか。それは神様の性質、知性、個性、そして法とされるものに一致します。それらは神様の性質の延長です。

神様は泥棒ではありませんので、その延長として盗むということはありません。殺人犯ではありませんので、その延長として殺人を犯すことはありません。嘘つきではありませんので、延長として嘘をついたり、虚偽の証言をしたりすることはありません。

これらの法はこのような性質の延長でもあり、もちろんそういう理由から、キリスト教やユダヤ・キリスト教において、人権と未来の神様の王国を理解するためにそれが重要です。

どのようにして神様の王国は治められるのでしょうか。過去の王と君主国を調べてみると権力の集中があり、その結果として民衆の中でさらに階層化が進みます。そして最上階級ができて大部分の国民を支配するのです。そのためこれが、キリストが再臨する時の王国にとって大いに待ち望まれた形であるとは、とても言うことができません。

これは、現代において主権のために立ち上がっている信者の心の中で、重大な難問だと私は思います。というのも、ある聖句では、キリストが来られる時に大きな審判と激しい怒り、そして独裁と思われるようなとんでもないものによって治める、と示唆されているからです。

では信者はどうやってつじつまを合わせるのでしょうか。人は聖句と個人的な経験を通してキリストについて知ります。聖書にあるように神様は愛であると。

エデンの園の場面で分かるように、神様は子供であるアダムとエバに自由と主権を与え、その結果、神様とその命令を敢えて拒絶することを選択するような行動を取りました。

また聖書には神様は永遠不変であり、昨日も今日も永遠に同じだと書かれています。

では現代のクリスチャン、またユダヤ・キリスト教の思想家は、神様の最終的な地上での統治についてどのように考えるのでしょうか。さらに同時に、神様の善良さと、神様の王国が到来する時でさえ変わることのない神様の性質について、じっくりと考えなければなりません。

ここで、神様の王国について叙述しているいくつかの聖句に注目していただきたいと思います。

詩篇2:8からです。
“わたしに求めよ、わたしはもろもろの国を嗣業としておまえに与え、地のはてまでもおまえの所有として与える。おまえは鉄のつえをもって彼らを打ち破り、陶工の作る器物のように彼らを打ち砕くであろう」と。”

これらの聖句はクリスチャンが尊大に受け取り復唱するのではなく、主権は神様が与えた約束であり神様が与えた権利であることを、クリスチャンが理解するよう意図されたものです。

黙示録2:27
“彼は鉄のつえをもって、ちょうど土の器を砕くように、彼らを治めるであろう。それは、わたし自身が父から権威を受けて治めるのと同様である。”

これもまた、クリスチャンが信じているように、キリストが地上に帰って来られ、鉄の杖で治めることに言及するものです。陶工の器が粉々に砕かれるというのですから、イメージは非常に力強くとても暴力的です。キリストに反対する国に対する、力強く非常に暴力的なイメージであり、それらが壊滅させされるということです。クリスチャンは、このような非常に暴力的でほとんど独裁的に思える鉄の杖の聖句を、キリストの愛の性質によって、どのようにとらえているのでしょうか。

 
黙示録12:5
“女は男の子を産んだが、彼は鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者である。この子は、神のみもとに、その御座のところに、引き上げられた。”

ここでも神様の統治は、ユダヤ・キリスト教の枠組みにおいて鉄の杖によるものとなるということです。

黙示録19:15
“その口からは、諸国民を打つために、鋭いつるぎが出ていた。彼は、鉄のつえをもって諸国民を治め、また、全能者なる神の激しい怒りの酒ぶねを踏む。”

さらにまた、クリスチャンや信者、また信仰を持たずとも単にこの聖句を読む人は、このような統治を恐ろしいものであるとすべきか、それともそうではないとすべきか困るでしょう。

聖書では、キリストが再臨する時、鉄の杖による統治がまるで独裁的なものと思えるようなとてもおそろしい統治となると言っているように思えます。

神様とその性質、そしてキリストの性質に対して、それを愛の神として取り決める現代の思想家はどうでしょうか。

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私たちが犯罪を見るとき、私たちが文明を悩ませる様々な社会悪を見るとき、例えばアメリカで最も過激な左翼的な都市の中には、左に偏った人々によって運営されているところがあります。私の父であればそういう人たちを、共産主義者とか政治的なサタン主義者と呼ぶことでしょう。というのも、それらが本当の悪魔崇拝者が存続し、繁栄するように安全な避難場所を提供しているからです。政治的な枠組みを作って、中絶施設で子供を殺害するような事業を行う人々を保護しています。それを最も左翼的な政治家や指導者が支援するのです。

また、彼らは左翼の銃規制政策も支持しています。銃規制では、市民はその技術を利用して自分を守ることができません。自衛の世界で最も優れたものは、現状では銃だとされています。

市民の武装がかなり一般的である数少ない国の一つであり、銃の所有数が一億世帯以上
であるという立場でアメリカを見たときに、最もリベラルな地域の中には、家族や自分の生命を守るための銃の所有を認めない地域もあます。そのようなところは、最も人口当たりの殺人発生率が高いところでもあるのです。

一方、もっと保守的で市民の武装、市民の自衛を認めている地域では、人口当たりの殺人件数が劇的に低下します。簡潔なアメリカの統計でも、100世帯中に90丁の銃が保有されているとされています。

左翼の人々というのは、つまり最終的には共産主義、社会主義につながるわけであり、例えば金正恩は左翼です。(ベネズエラの)マドゥーロのような独裁者は左翼です。それで西側の社会では彼らは左翼だと言います。それはそのような政権を経験し、家族が殺されたた人々に懸念をもたらすでしょう。私の同胞もそうですが、多くの人の家族が北朝鮮の政権に殺されています。

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アメリカでは100世帯に90丁の銃があります。私が親しみを込めて鉄の杖と呼ぶものである銃が100世帯に90丁です。

左翼の立場が正しく、殺人の問題が銃に基づくものであるならば、アメリカは世界で最高の殺人発生率となるでしょう。次点のスイスなどの国と比べて約2倍の銃所有があります。大雑把な分析でもアメリカは、世界で殺人発生率のトップ10にも入りません。世界で30、40、50、60、70、80位にも及ばず、現在90位台にあります。

デトロイト、ボルチモア、セントルイスなどのリベラルの銃規制都市を除外するなら、殺人発生率に関して上位から200位にも入らない国になるでしょう。

世界のほとんどの人々は、自国の政府と教育機関から、銃は危険なものであり犯罪を生み出すものだと教育されています。これは、銃が正しい人に所有される場合には真実とは程遠いのです。銃が法を順守する人の手にある場合、統計的に社会はより安全になり、殺人発生率は落ち込みます。おそらく今日の講演者から、もっと正確な統計を聞けることでしょう。

全ての人は自分の価値と値打ちを神様との関係によって見出すというのが、私の見方であり、私の父の見方です

国民としても個人としても、神様を信じるか否かは個人的な意思決定の1つですが、それは次のような現実から私たちを引き離すものではありません。私たちの生命に意味があり、私たちの生命に価値があり、私たちは直感的に正しいことと間違っていることの違い、善と悪の違いが分かり、抑圧されている人々が解放されることを望むという現実です。

私たちは人々が暴力的な侵入や、一般の個人の平穏な生活を自己の利益のために搾取しようとする暴力的な人物から、自衛することができるようになることを望みます。

私たちが自然に持っているこのような願望は全て、天におられる父に由来するものだと私は考えています。私たちはその天の父の形に創造されています。またキリストが神様の戒めを2つの単純なことに要約したように、自然に慈悲を求める衝動と、神様を愛し隣人を愛そうとする衝動などもあります。

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それらのことは、責任を持って銃を所有することにより人を守ろうとする人に要約されると思います。

神様の最終的なこの世の統治を、鉄の杖と神様の本当の性質によって取り決めることができるようにするのが唯一の道です。神様の性質は時がたっても不変であり、正義の神であり愛の神であることは変わりません。神様は貧困にある人に優しく、しかしまた自由意思という贈り物を尊重しています。それは被造物である人間に与えたものです。

私たちの権利と自然法、自然権が、その本質が愛であり善であり正義である超越的な創造主に由来するものだということを理解するなら、神様の被造物である人間が、通常は政府や官僚にのみ与えられている権力に対して、責任を持つということも信じなければなりません。

普通の市民が、王の王であり、主人の主人である自分たちの創造主が付与した主権を目にすることができる時が来ました。

共同相続人、本質的に王と王妃として神の王国で神と共に立つのです。そして鉄の杖で国を統治しようではありませんか。征服するためではなく、平和と安定のために。人類が搾取者なしに、また自分たちの生命に対する暴力的な割り込みや暴力的な侵入を受けることなく前進できるように。

聖句では「天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている」と言っています。あらゆる人種、国家、宗教の市民が、武力によって市民を傷つけ搾取しようとする暴君、独裁者、権力、そして国内外の敵から自分を守ることができるようにするために、力を所有し、人権を持つことが必要不可欠です。

市民こそが私たちの共同防衛のための最大で最重要な守りなのです。
(音声が途中で途切れているためここまでとします。)

766
 
おわり

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