イエス様の誕生日とは関係ないミトラ教の冬至の祭りに-12月24日英語礼拝ポイント①

Sanctuary Church Sunday Service 12 24 2017   YouTube.png

 2017/12/24 

「王国の防衛権」 Kingdom Right of Defense

翻訳:BAMBOOS

Vimeo 46:36
これはもちろん有名な聖句ですが、王国の聖句についてすべて調べると、イエス様が福音について説いているということが明確に分かりました。十字架につけられることを説いていたのではありません。聖書には一つもありません。イエス様が福音を十字架の死と復活として述べたことは一度もないのです。実際イエス様は神様の王国の福音を説いています。王国について語っていたのです。福音とはユアンゲリオン、良き知らせのことであり、王国についてのことです。

これをさっと読んでみましょう。(マタイによる福音書6章)31節からです。

(マタイによる福音書6章)
31:だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。32:これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。33:まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。

これがとても大切です。クリスマスのことを話し、イエス様の生誕について話しましたが、何度も言っているようにそれはミトラ教の冬至(の祭り)です。クリスチャンはイエスを崇拝すると殺されてしまうので、ミトラ教に紛れてローマ人たちとこっそり崇拝したのです。そういうわけでクリスマスが12月25日に祝われるようになりました。

それはイエス様の誕生日とは関係ありません。春に近い時期に生まれたのです。春の初め、羊飼いたちは羊を連れて一晩中外で過ごします。それは羊に赤ちゃんがいる時期、年に一度だけのことでした。それが春の初めか冬の終わりの時期です。羊に赤ちゃんが生まれるのは年に一度だけです。オオカミが来て羊の赤ちゃんを餌食にしてしまうので、羊飼いは出て行って守らなければなりませんでした。聖書によればイエス様はもっと後に生まれたということです。

しかし、西洋でもそれ以外でも当たり前のことのようになっています。サンタクロースやクリスマスツリーといったものは長年の間に追加された異教のもの、異教の付属品であり、クリスマスは本来キリストをお祝いするものです。

私たちはキリストの生誕をお祝いするのですが、その方は自分の命を世界の救いのために差し出されました。言うまでもなく聖書の中で最高の愛について語っておられ、イエス様がそうされたように友のために命を投げ出すのがそれだと言っています。

それは最善の道ではありませんでしたが、神様はそれを用いて霊的救いをもたらされたのでした。しかし、肉的な救いや実体的な王国をもたらすことができたかといえば、できなかったのです。それゆえにイエス様は再臨する、戻ってくると言われました。

「毎日こう祈りなさい。神の国が来ますように。御心が天で行われるとおり地でも行われますように・・・」と。私たちは何度も話してきました。

神の王国が来なければなりません。クリスチャンであるなら神の王国が地上に来ると信じなければなりません。それを避けては通れません。昨日詩篇の第2篇、黙示録の2章12節と19章の聖句を読んで説明しました。それらはイエス様が再臨されたときに支配する方法です。もちろん王冠と鉄の杖を持って。クリスチャンであるなら、それもまた避けることのできないことです。

イエス様は再臨して永遠の王国を確立し、キリストが鉄の杖で支配します。聖書の詩篇2篇と黙示録2章にも書いてある通りです。地上の国々を撃ち、陶器師の作った器のように打ち砕くというのです。キリストが再臨するときには暴力もあります。

洗脳を行う学校では暴力は悪いと教えられていますが、必ずしも悪いとは限りません。暴力について学び、暴力を制御することを学ぶことは非常に重要です。そうやって自分を守る方法を学びます。あなたや弱者を暴力的に攻撃するために暴力を利用しようとしている人に対しての暴力の力を学ぶのです。

暴力についての知識と暴力の制御、そして支配、別の言葉では武力ですが、それは非常に重要な責任です。そして善良な人々は絶対にそのような責任を支配すべきなのです。というのも善良な人々は人を食い物にする搾取者ではないからであり、人を支配して上に立ちたいという病的な搾取者のようなことはしたくないからです。ただ本能的に人々を守りたいと思っているのです。積極的に人を食い物にし、弱者を食い物にしたいとは思っていません。弱い人を見るとかわいそうに感じて、その人たちを強くしてあげたいと思います。普通の人はそのようにします。

人口の10パーセントを占めるサイコパスは、弱さを見つけるとそこに付けこみ食い物にしようとします。40パーセントはソシオパスであり、利益を得られるのであればサイコパスや搾取階級と一緒行動します。いわゆる「良いナチス」というようなものです。悪いと分かっていても、利益が得られるとか恩給がもらえるということでそれに従うという人々です。そして残りの50パーセントはそういった傾向を持たず、利益のためにサイコパスだと分かっている人に従いません。一生懸命働いて暮らしていきたいと思っている、普通の人々です。それが人々の社会学的な内訳のようなものです。

つづく

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